Kan-Kan の雑記帳


2001年12月30日

 50代と共に迎えた21世紀初年。親の年が気になる一年でもありました。今年は前半に四国の母の2回にわたる骨折、父の前立せん、最後は年末に嫁ハンのお母さんの白内障手術と入院。

 入院時、体重,身長を計りますよね。義母はあれーワタシ70キロもあるのよと言いつつ体重計に乗ると、ナント75キロ。キャーうちの体重計壊れているんだという絶叫。30年も使っていれば壊れるさ。新しいのを買いなはれという大騒ぎ。嫁ハンは一人娘なので付き添い、通院などあれこれと。手術も無事成功して一安心。

 我が家も夏の嫁ハンの靭帯断裂などあり慌ただしい一年でした。とどめは年末の私の頭痛と腹痛。頭痛は初めてなので、S病院で精密検査。一応異常なしということでしたが、この冬はおとなしくということで帰省をあきらめ、例年にない静かな年の瀬を送っています。

 28日の御用納めのあと、賀状をやっと書き、掃除を終えて、30日は嫁ハンのお母さんの実家の墓参りに和歌山に。帰りに義母のリクエストで雑賀崎(さいかざき)を訪れる。冬の太平洋が広々とうねる。白内障の手術後は特に自然が美しく見えるものらしいです。喜んでもらえました。嫁ハンの母方のおばあちゃんは来年で100才。親戚、そして孫からわからなくなり、最近は子ども(義母)たちも識別できないらしい。お祝いはどうするか相談中です。

もっと京都(というより今回は歌舞伎)

 22日午後4時45分、「寺子屋」の幕があがりました。名作「菅原伝授手習鑑」(すがわらでんじゅてならいかがみ)の一段でもっとも人気のある幕。主君、菅丞相(菅原道真のこと)の一子、菅秀才を救うために我が子を身代わりに差し出す松王丸の悲哀。

 良くできた芝居で役者もしどころたっぷり。いつ見ても泣かされます。「せまじきものは宮仕え」「もつべきものは子でござる」など現在も使われる名セリフがちりばめられ、吉右衛門、菊五郎、仁左衛門、秀太郎の力演とアンサンブルで魅せました。主役の吉右衛門のセリフは見事なのですが、個人的には松王丸は仁左衛門のほうが似合っていると思うのです。

 次の幕が口上。10代目坂東三津五郎の襲名披露。14名ほどの幹部クラスの俳優がズラリ正装で居並んで頭を下げます。各家で羽織の色や紋が違うので、縁戚関係が一目瞭然。口上は東京、大阪、名古屋と経てきているので、こなれてきていて、大阪松竹座の時よりぐっと砕けたものになりました。

 まず、左団次を呼んだのがいけません(笑)。このひょうきんものが近藤サトさんとの離婚をネタに笑いを取り、それを受けて菊五郎が3度目の結婚はと冷やかし、場内の笑いを誘っていました。三津五郎は主役ですから真ん中に控え、あくまで神妙に・・・。口跡もきれいで、華やいだ舞台挨拶でした。

 京都を愛し、吉田山に住み、舞踊の名手で人間国宝、75年に河豚にあたって亡くなった8代目(10代目の祖父)、そして3年前に亡くなったお母様(8代目の娘)、2年前に亡くなった9代目(父)の霊がどこからか見守っているような気がしました。10代目も舞踊には定評あり(あの勘九郎が息子2人を預けている)。スキャンダル(女性にはまめな人らしい)に流されず、精進して大成してほしいと思います。

2001年12月27日

 今夜は嫁ハンの今年最後のシャンソンライブ。西梅田のレストラン、「カルフール」で。このくそ忙しい時に来てくださったお客様に感謝。亭主(私)も年末のここ2,3日は、日頃しつけぬ嫁ハン孝行に励んでおり、今夜ものこのこ出かけました。平凡な造りの(ムードのない)店だけど、料理の味はいける。歌は「君をのせて」から最後は「ローズ」まで2ステージ、10曲。相変わらずの元気な歌いっぷり。あのパワーはどこからくるのか不思議(笑)。ちと分けて欲しい。

もっと京都

 22日、午後4時半、南座に滑り込む。流石に着物姿をはじめ、着飾った人が多い。さっそく番付(いわゆるパンフレット)を買う。これが2000円。いつもながらに高いと思う。売店で来年のカレンダーを買う。これが年末の楽しみ。玉三郎のもので2000円。これは美しいもので値打ちあり。チョンチョンと打たれる「き」の音に誘われて、客席へ。3階席で花道(客席内を横切り、舞台に繋がる渡り廊下のような通路状の舞台)が半分以上見られない。それでも7000円。高い。

 でも、特等席は2万円を超すのです。先日友人のお母さんがその席で見られたそうで、後ろに京舞の井上八千代さんが座られて、観客の中の著名人や歌舞伎役者やその奥さん(富司純子ーもと藤純子さんも)が次々に挨拶に来られたとのこと。後ろが気になっておちおち見れなかったと贅沢なことを言うてはった。いつかそこで見たいけど、当分は狭い3階席で辛抱するしかない。

 しかし、今回は、いわゆる大向こう(おおむこうー役者に声を掛ける芝居好きー今はプロ化?して役者さんからお金をもらっているらしい)の席のすぐ前になって、耳の後ろから「大和屋!」とか「十代目!」とか声が掛かるのは臨場感があってなかなかのものでした。

 夜の部開演は4時45分。いきなり人気演目「寺子屋」です。

2001年12月25日

 今年は夜、あちこちの住宅地でクリスマスのデコレーションが流行りましたね。ガーデニングブームの流れの上にあるのでしょうが、楽しくて良いと思います。うちも少しやろうぜと、昔のツリーの電飾を引っ張り出したのですが半端で、出来ずじまい。

 デパートでいろいろグッズを売っているそうですが、やはり自分で工夫してみたい。来年は挑戦してみよう。でも、こんなの見ていると、日本ってほんとに不況なのかなあとも思う。もっとも不況だからこそ、身近な楽しみを求めているのでしょうか?

 通勤途上で見かける気になる風景。土師ノ里の駅前のスクランブルで毎週決まった日に街頭演説している市会議員さん。その活動はえらいと思うのだけど、目が行くのはその議員さんから離れて交差点の入口でビラを配っている老婦人。いつもひとり。小柄で前かがみ、質素なみなりで少し笑顔を浮かべて一所懸命配ってはる。このあいだは強い風に飛ばされそうになっていた。

 議員さんのおかあさんか、年上の奥様、熱心な後援者?こちらは車なのでよく分からないが、なぜか気になる。どなたかご存知ありませんか?

行く人来る人

ジルベール・ベコー

 シャンソンの大物歌手の突然の死。ドラマチックに人生を歌い上げる。「そして今は」という歌が好きでした。


マイヨール

 あの海の詩人。素潜りの世界チャンピオン。イルカの友人。リュック・ベンソンの伝説の映画「グランブルー」のモデル。海で死なないで、自宅で首を吊るなんて・・・。
もっと京都

 30代になって、やっと少し自分や周りが見えるようになり、いろんな趣味に目覚め、歌舞伎や文楽にはまり、京都に通うようになり、その流れで、毎年、年末の「顔見世」に通うようになりました。顔見世というのは、いわば、歌舞伎界の紅白歌合戦のようなもの。今はこちらも権威は薄れたけど、京の年末の風物詩、歌舞伎の重大な興行であることには変わりありません。

 今年はそれに通うようになって19回目。22日の夜の部の切符が取れて、行って参りました。結構料金も高いのですが、年に一度の贅沢として、毎月貯金しているのです。メンバーはずっと同じ酒好き、歌舞伎好きの3名。今回は10代目坂東三津五郎の襲名披露公演も兼ねていて、華やかな演目が揃いました。行きの近鉄特急の中からその話題で盛り上がる。
 

2001年12月21日

もっと京都

 大徳寺から東南に下がって、同志社大学をかすめる。大学祭の最中らしく、女子大生に校門で誘われる。フラっとしたけど、友人に引きずられて通過。冷泉家の前から京都御苑に。広大な宛内は枝振りの美しい松で枠造られ、砂利の白との対比が見事。庭師の手間はすごいだろうなあ。東へ抜けて、梨木神社で名水を飲み、ろ山寺、法住寺跡を見て、東山三条へ抜ける。これで2万歩。四条まで鴨川の河川敷を歩いて、みんなで軽くビールを飲んで解散。

 そのあと、若い同僚を案内して、2人で祇園の「一力茶屋」の裏の、おばんざいの店で日本酒を1杯飲んで、京阪から近鉄に乗り継ぎ、橿原神宮まわりで帰る。翌日、昨晩一緒に飲んだ彼が、職場で、祇園の外れで飲んだと話しているのを聞いて、口を挟む。ネオンがないから、さびれていると思ったらしい。京の花街は暗いのだ。薄暗い中に灯火や、さりげない店の灯かりが映えるのだ。あそこが祇園のど真ん中だったんだよといったら驚いていました。

 それにしても、京都の路地の美しさ、清潔さ。ごみの少なさ。今回の旅でいちばん心に残ったのはそれでした。やはり街の歴史の深さでしょうか・・・。

2001年12月19日

映画大好き

「リプリー」

 ハリウッドの人気若手俳優の競演で蘇る名作「太陽がいっぱい」。リメークのハンディを超えて面白かった。なにより、パトリシア・ハイスミスの原作が良く出来ているから安心。しかも30年を経て、前作当時、描けなかった同性愛的な部分もしっかり表現できるので、その分、作品に深みが出ました。

 前回は何といってもアラン・ドロンで人気が湧いたけど、その点、今回のマット・デーモンはちと力足らずでした。健康的な明るさが持ち味の彼には、才能はあるが恵まれない育ちで、屈折した思いを抱く主人公リプリー(原題は「才能あるリプリー」、「太陽がいっぱい」は名訳でした)の翳が表現出来ません。その分、役得は相手役のジュード・ロー。男すら魅了するハンサムな金持ちの放蕩息子を見事に体現、アカデミー助演男優賞にノミネートされ、人気もブレイクしました。前回はモーリス・ロネという俳優が演じ、これもオトナの女性に人気を博したのですが、映画の内容とは逆に、アラン・ドロンの光の前にかすんでいたのです。前回マリー・ラフォレが演じたヒロインはヴイネス・パルトロー、こちらもファッションともどもすばらしい雰囲気。今回あらたに登場する、鍵を握る女性役のケート・プレシェットと共に画面を引き締めています。

 前作の美しい音楽が聞きたかったけど、これは仕方なし。有名なラストシーンもあえて変えてありましたが、これはイマイチでした。結局、題名も含めて、あえて別の作品に仕立てたところがこの新作の成功の所以でしょう。でも、今回のアメリカ映画版は上質のミステリーですが、成り上がろうとした青年のあがきと哀しみみたいなものは、それを資質で見せたアラン・ドロンのフランス映画版の方が描けていたようです。監督の違いか、お国柄の差かも知れませんね。

2001年12月18日

 激ヤセを心配していた小椋圭さん。やはり癌だったそうで。本人には告知していなかったのに、関係者から洩れて(?)記者会見。煙草をふかしながら、コンサートも続けるという。療養生活に入らないのかなあ。すっきりしない流れに憮然たる思い。気の毒です。

 匠ひびきさんに何があったのか?タカラヅカ花組の次期トップスターの突然の引退発表。ダンスのうまい人でトップは当然のなりゆきだったのに・・・。うーむ。

もっと京都

 好天に恵まれて歩いた晩秋の洛中。しかし、かつての平安京の面影は求めにくい状況でした。朱雀門の跡も、応天門の跡も、商店街や住宅地の中に、さりげなく標識があるのみ。中心地であった大極殿も7年前にやっとほぼ限定され、ちいさな公園の中に立て札があるのみ。むしろ3分の2のスケールで再現された平安神宮にその面影を求めるほうがよさそう。今も生き続ける町である以上、発掘調査にも限界があるのでしょう。

 4条から1条まで歩いて、大徳寺まで出て、その手前の雲林院でひと休み。ここは歴史物語「大鏡」が語られたところ。今は小さな寺なのに驚く。ここで100才を超える老人同士が過去を語り合うという形なのです。寺の近くで湯豆腐を食べて、御所に向う。

2001年12月17日

おいしいもん食べたい

スペイン料理「レス  グラエーレス」

 9月に職場の仲間と行ったのを、「パルケ・エスパーニャ」の話を書いていて、思い出しました。天王寺都ホテル新館2Fにある、都会の隠れ家的なこじんまりした、近鉄アベノ駅構内から数十秒とは思われない静かな雰囲気の店。パスタや貝がおしいかった。もちろんワインも。10名くらいのゆっくりした会合にあってるかも。予算5千円で十分。

ケーキ屋「メイプリーズ」

 河内長駅構内にあるケーキ屋さん。千代田に仕事がある嫁ハンに買ってきてもらう。150円の「ハイジ」「クララ」(「アルプスの少女」とどう関係あるのか?笑ってしまう。「ペーター」は?ありません)僕は100円のシフォンケーキ。結構いけてます。

2001年12月13日

行く人来る人  野村監督が去り、星野監督が来る?「竜虎」なんて洒落にもならない。引くほうも引くほう、靡くほうも靡くほうです。仁義はないのか?と急に古くなるかんちゃんでした。

江戸屋猫八さん

 名人のお父さんの後を継いで苦労をし、声色を寄席の芸に定着させました。僕らの世代には「お笑い3人組」(火曜日の夜のお楽しみ、たしか「ジャスチャー」の後にありましたね、いやあれは「歌の広場」だったかな?)のイメージが強いけど、若い日の被爆体験を語り始めた晩年の彼も素敵です。

 お父さんをなかなか超えられず、若い日、墓石にすがって泣いたという彼の最晩年、「息子(小猫)の方が俺より上手い」と言い残して死ねたのは、芸人としても、父としても、本望だったでしょう。
11月の想い出  初めてシニアテニスの試合にに出場。そういえば50才を超えてたのでした。シニアの中では若手や、行くぞ・・・それがマチガイ。経験豊かなベテランのやわらかいボールと正確なコントロールに翻弄され、緒戦敗退。反省点多し。
文楽11月公演  「本朝廿四孝」(ほんちょうにじゅうしこう)の通し上演。何十年ぶりというめずらしいもので本来10時間かかるものを少しは短くしてある。珍しい昼の部だけ見たのだけれど、やはり上演されなかったのはそれだけの理由があることがわかりました。なんといっても「忠孝」だけで客を引っ張るのはもう無理。主君の為に自分の赤子を殺すなんて・・・。名作「寺子屋」なら納得ですが・・・。人形の動きは美しいけれど、三味線の響きもここちよいけれど、物語に没入できないままで終わりました。夜の部の八重垣姫(赤姫と呼ばれる美しい衣装)の勝頼への恋物語の方を見るべきだった。蓑助さん力演だったらしいし。悔しい。
パルケエスパーニャ  3連休にテニス仲間と行ってきました。予備知識もなく初めていったので、新鮮な感動がありました。まず、志摩の繊細でかつおおらかな自然。すばらしい晴天に恵まれ、テニスも楽しく、入り組んだ半島の変化に富んだ景色や海の美しさ。そのなかのテーマパークは経営難といわれて久しいけれど、適度な混み具合で快適。スペインの街並みと青空が気持ち良い組み合わせです。

 でも、まず目についたのはなんといっても絶叫マシーン。「ピレネー」はエキスポの「おろち」と同じタイプの座って足の浮くヤツでさらにスケールが大きい。高低差もあり、満足度高し。連続して2回乗ってしまい、皆から呆れられる。もちろん他のコースターにも。最後は地上120メートルの気球に。なんとかと煙はというけれどまったく童心に返ってはしゃぎまくった50のおじさんでした。も一度行きたい。もちろん晴天時に。
もっと京都  現任校には創立記念日というおいしい休日が11月にあるのです。長野高校は4月20日でいつも花見でした。11月の当日に合せて、紅葉の「修学院離宮」の拝観を8月に申し込んで、見事に外れ、次に「冷泉家」の拝観も申し込んで、また外れ、慰めてくれた友人の企画で平安の京都を探る旅に。今の京都は江戸以降の形ですが、1200年前の姿を探そうというわけ。11月下旬とは思えぬ暖かい日の午前10時4条大宮に一行9人が集合。それが2万歩を超える市内散歩のはじまりでした。

2001年12月10日

 ちょっと前の話ですが…めずらしく雨になった文化の日、松原の「大和川園」に行ってきました。知的障害を持つ幼児と大人の方が通園している施設なのですが、そのふれあいカーニバルの日。たくさんのバザーや園で作られた品物の展示即売。雨にもかかわらず、ものすごい人出にも驚きました。地域に根差して、人気があるのです。安いし、飲み物、食べ物が豊富なのもうれしい。レターセットなど買い込む。感動したのは行事を支えるたくさんのボランティア。雨の中、押し寄せる車や人波を分担して整理、案内している。その表情がみんな明るい。いつも思うのですが、障害を持った方の保護者、それを支える人達の、あの突き抜けた明るさ強さはどこから来るのでしょうか。心暖まった1日でした。

 それから一週間後、生徒6人を連れて大和川園をあらためて訪問。今度は社会見学の一環として半日体験入園させてもらう。幼児のいるキンダーハイムと成年のいる大和川園に分かれているのだけれど、希望者の少なかった、成年の4コースの内、一番重度の障害者のおられるコースへ、生徒一人と一緒に入れてもらう。

 実は、昨年も訪れていて、その時はキンダーハイムに行き、子ども達と遊んで、それは楽しく、別れも辛かったのだけど、今年はまた違った体験をさせていただきたかった。

 われわれの入ったコースは通園者12名、担当職員は4名。9時半過ぎに送迎バスで到着する方々を迎える。フロアをカーテンで仕切って、男女別に着替え。全員お家から着替えをきちんとバックに入れて、持参しておられる。職員の方は的確に指示、手伝い、介助をされる。それがひとりひとりの障害の度合いに応じて、ちょっと脱がせてあげる、大きな声で指示するだけ、きちんと着せ替える、靴下だけ履かせるなどとすべて違うのです。介護するだけでなく、自立を促すための施設の趣旨なのです。よく覚えておられますねえ、と感心すると、いえ初めは覚えるのに大変でしたとのこと。やっぱり。全員着替えてトイレに行って、フロア中央のテーブルに集合するまでに40分余りかかる。足首の弱い方が多いため、捻挫や骨折を防ぐため、特別のシューズをあつらえている。

 年齢は18才から30代まで様々。言葉を話せる方はいないが、こちらの言葉を理解できる方はかなりいらっしゃる。集まって挨拶をしてから、部屋の模様替えをしてトンネルや障害物を置いて、音楽に合わせてぐるぐる回る運動の時間。音楽はアップテンポ。感心したのはデッキを近くに置いてあること。いたずら、もとい、さわっていまう人もいるが、決して手の届かないところには置かない。止めたらまたかけ直す。介助をしながら、疲れた人には休んでもらい、あるいは車椅子も使い、怪我しないように気を配りながら何十周もまわるとさすがに疲れる。でも、職員の方は本当にえらい。根気強い。気配りと笑顔を絶やさない。伺うと、やはりコルセットをしている職員が多いらしい。障害者の方はどうしても運動不足になりがちだから、こういう時間は貴重とのこと。

 50分くらいで運動の時間が終わり、またさっと片付け、昼食の準備。職員の方の動きの機敏なこと。なんとかついていってお手伝い。われわれはここまで。得難い体験でした。その後、キンダーハイムを覗いたら、職員になんと長野高校の卒業生が・・・。今年の4月から勤めているとのこと。ゆっくり話せなかったけど、うれしい出会いでした。また行きたいと思っています。三宅インターのすぐ側。松原から車で10分かかりません。毎月発行しておられる「菜の花通信」という機関紙も楽しい読み物です。

2001年12月2日

 1日深夜、長野PTAのOB、OG仲間でチャンコ鍋のあと、カラオケ大会。4、5年も経つと、「さん」も「先生」も抜けてかんちゃん、Eちゃんという感じ。笑いすぎて腹が痛くなる。カラオケは、一番下手なはずの私が、何と92点の最高点を出してみんなガックリ。ザマーゴランナサレ。盛り上がった会は、これだから機械文明はあてにならないという結論にてお開き(笑)。

行く人来る人

 秋野不矩(ふく)さん。93歳。2年前松柏美術館で見た、インドの絵が忘れられない。少年達をみずみずしく描いていた。そしてインドと言えば、ジョージ・ハリソン。「サムシング」もいけど「美しき人生」も好きだった。若い死だけど、普通の人の何倍もの人生を生きたのだろう。そして新宮誕生。1日夕方、駅に降りると改札に日の丸が見えたので、それと知れた。彼女にどんな人生が待っているのだろう。


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