2001年3月31日
春場所観戦記 3
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幕内力士の土俵入りはあっけないけど
ずらり並ぶとさすがに壮観。 ひとりひとり名前を呼び上げられて土俵に上がるので
その力士の人気度もよくわかる。
カンバックした寺尾、快調の魁皇に拍手が多い。
お待ちかね、横綱の土俵入り。
武蔵丸はぶっきらぼうにあっさりと。
次は貴乃花。
彼はこれまで好きではなかったけど、今回認識を改めました。
まず、見た目がきれい。
太刀持ち、露払いを従えたいでたちは
金と赤の横縞の化粧まわしに真白い綱
肌がつやつやして美しい。
友人A : 「昔の力士と違って、栄養がいいんやな。」
わたし : 「肌の手入れしてるんちゃいますの?ヌードダンサーのおねえさんのように・・・」
友人Bの奥さん : バシッとかんちゃんをたたいてから「テレビの強い照明のせいもあるでしょ!」
手足の先まで伸びた動き、
特に足先が高く上がった四股は見事で、日本一!の掛け声も納得。
幕内の取り組みに入って・・・
普段テレビで見る時はまだるっこしいと思っていた仕切りが
あっという間に時間一杯。 なぜか?
飲み食いしているからです。 「ハタ坊」(掲示板参照)からいただいた銘酒「菊姫」がおいしい!
友人Bの奥さんの手作りのあても・・・。
歓声に気がついたら取り組みが終わっていたなんてこともザラ。
これが相撲の見方なんでしょうね(?)。
どんどん取り組みが進んで,寺尾も勝ち、この日は上位陣も安泰で
折角投げようと思っていた座布団も飛ばせずじまい。
見た日が中日だったので、盛り上がった終盤のような迫力ある取り組みが少なく
少し欲求不満の残る内容ではありました。
それともっと早く行って(朝の9時からやっている)
若い力士の取り組みをみるのもいいかなあ。
とあれこれ言いつつ、打ち出しの太鼓(2階の櫓で実際に打ってはる)に送られて
夕闇にネオン輝くナンバに繰り出し、飲み直し、
それぞれ12時前後に帰ったらしい(?)我々一行。
いつか今度はもっと土俵に近い席で
千秋楽の土俵を父に見せてやりたいと思ったかんちゃんでした。
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2001年3月29日
アカデミー賞の季節 3
「グラディエーター」(作品賞はじめ5部門)でしたね。本命強し。いまさらという声もありますが、もともと古代(ローマ)史劇、スペクタクルというのはハリウッドのひとつの大きな流れであり(「イントレランス」、「ベン・ハー」、「スパルタカス」・・・「クレオパトラ」もその一種でしょう)歴史を重んじる(それがない分だけこだわる)アメリカの選択としては当然とも言えます。
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台湾・米合作で、台湾出身のアン・リー監督の「グリーン・デスティニー」が4部門獲得というのはアジア映画にとっても朗報。アメリカ市場は大きいだけに、今後日本映画もいい作品を送り込んで、より映画をインターナショナルなものにして欲しいと思います。
ジュリア・ロバーツ(主演女優賞)は例のネックレスはしなかったようですね。中継も、録画も見れず、ぼやいていたのを漏れ聞いた奇特な友人の友人がビデオを届けてくれるとのこと。首を長くして待っている春の日です。 |
2001年3月25日 その2
春場所観戦記 2
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入口の「切符もぎり」は明らかに力士上がりのごっついおじさん。「ハイ4名様ご案内!」という大声に飛んできた女の子が、煙草を吸われますかと聞く。え、吸えるの?といぶかりつつ一行の中にスモーカーがいたので吸いますと答えると、また飛んで行って大きな灰皿を持ってくる。 案内された桝席は西側3階にあたり、右斜め下に土俵を見下ろすところ。聞いていた通り狭い。土俵を中心に4面に階段状に広がる桝席、南北はその後ろに椅子席があり、東西は立ち見席がしつあらえてある。立ち見席には通い詰めているらしいおじさんと、若い女の子が・・・。女の子達はどうやら、ロビーでたむろして幕下以前の若い力士を追っかけ、あるいは逆ナンパしていると見た。憤るかんちゃん。相撲取りってもてるとは聞いていたけど・・・。 なんとか席に落ち着いて、食べ物やら 飲み物やらセットして飲み始めた頃に中入り。席がみるみる埋ってきた。土俵入りが始まります。天井からするする「満員御礼」の垂れ幕が降りて来ました。 |
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あっというまにもう明日に迫ってきました。トム・ハンクスは史上初の3度目の主演男優賞を獲るか?上げ潮ラッセル・クローか?ゴールディー・ホーンの娘ケート・ハドソンが助演女優賞を獲って初の母娘2代受賞なるか?作品や演技の仕上がり、出来はもちろんですが、より巡り合わせの幸運、不運、時代風潮に左右されやすいだけに候補者達には気の毒ですが、興趣もさらに募ります。明朝の授賞式中継も夜の再放送も、仕事と宴会(送別会)で見られないかんちゃんは、そわそわいらいらしています。 |
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2001年3月21日 その2
春場所観戦記 1
人気下り坂というけれど、大阪では連続大入り記録更新中。「だめもと」で電話をしたら、案外簡単に枡席がとれました。もちろん一番安い席。(でも9千円はイタイ!)
相撲は、幼い頃、地方巡業で観た記憶がかすかにあるだけです。あの時は、故郷の町外れの宮下の馬場に土俵を組んで、出店もたくさん出て、まつりのような賑わいでした。
取り組みを終えた力士がいきなりまわしを外して、そばの池に飛び込んで泳いだのに驚いたのを憶えています。
それと、みんな赤ちゃんを連れてきて、関取に抱いてもらっていたなあ。元気に育つおまじないだと聞きました。
それ以降、テレビで見ることはあったけど本場所は無論初めて。大阪府立体育館は、入口からバレーボール大会開催の時とは全然違う雰囲気。
2階のベランダに櫓が組まれ、アプローチの左右に相撲茶屋20軒余がずらりと並び、客を案内する声、大きな土産袋を運ぶ粋な男衆(たっつけ袴と言うのかなーサイドが裂けていて動きやすそうなスタイル)、和服姿のきれいどころ、浴衣姿の若い相撲取りなどが入り交じって華やかなこと・・・わくわくしました。
2001年3月21日 その1
アカデミー賞の季節 1
映画好きなのに、しばらく映画館に行ってません。なさけない。
それで、この話題を出しそびれていました。でも、もう間近です。
本命「グラディエーター」、対抗「グリーン・デスティニー」、穴「トラフィック」のようですね。
どれも、観ていないのでなんとも言えない。みんなから予想を聞かれるのが辛い。
でも、台湾出身のアン・リー監督(「グリーン・・・」)には取ってほしいなあ。
スティーブン・ソダーバーグ監督も作品賞候補2作を作っているし・・・。
あちらのメディアはかなり盛り上がっている感じ。
主演女優賞最有力候補のジュリア・ロバーツの授賞式当日の衣装が注目の的だとか。
なんでも、10カラットのダイヤのイヤリングにお揃いのトリプル・ストランドのネックレス。
イヤリングだけで200万ドル(2億3千万円!)ということ・・・。
傍から嫁はんが「どうせレンタルよ。」
「でも、1作品の出演料21億円というで。」
「ゲゲ!ほな、買えるね。買うたんかしら?」
映画スターらしい映画スターは少なくなったというけれど
夢を与えてくれる存在はあってほしいもの。
授賞式は26日です。
2001年3月20日
行く人来る人 3
教え子の店の出前の少年の死を聞いてー
「どうしたん?バイクの事故か?」
「違うんです。あいつ、大坂港の外国船のパーティの手伝いに頼まれて行ったんですよ。その打ち上げで、飲めない酒を飲まされて、帰りの艀(はしけ)から落ちて、溺れたんです。無念で・・・。」
店内シーン。
誰かが、
「店持つ言うて張り切っとったのになあ。」
とつぶやく。
さらに沈黙。
仕方なしに私ー
「ま、彼の冥福を祈って、みんなもう一杯飲もうか?」
「先生、今日はこのくらいで止めときなはれ。」
「そうやな。なんやしょっぱい味がするし・・・。」
「いや、先生が素直に言うこときいたら気味が悪い。またよくないことが起こりそうやからもう一杯飲んで下さい。」
「頼まれたら飲まなしゃあないなあ。」
かくして、我が町の夜は更けてゆきます。
2001年3月17日
行く人来る人 2
その教え子の中華料理店は小さかったけど、店長と同じく高校を中退したらしい若い男の子を雇って、バイクによる出前中心に結構繁盛していました。
そんなある夜、久しぶりに訪れて、食べて、飲んで・・・
「そういやあ、ここの出前している笑顔のええ子、最近見いへんなあ。もう独立したん?それにしては若すぎるけど・・・」
「先生・・・実は、あの子、死んだんですわ。」
「ええっ!」
2001年3月16日
行く人来る人 1
卒業ではなく、たくさんの生徒がいろんな事情で学校を辞めて行った。気がかりなのは生徒達のその後。
25年以上前、某工業高校での新任教師時代。学校を辞めて、中華料理店に住み込みで働き始めた子がいました。その彼が10年ほど前に某市内に自分の店を開業、おまけに子ども同士が同じ学校、同学年で、今度はPTA仲間として付き合っています。彼の店でのある夜の話を。
2001年3月12日
今年同じ職場に転勤してきた仲間(7人)で、兵庫県竹野へ
「蟹、雪見、温泉、冬の日本海、蕎麦」という欲張りツアーに行ってきました。
ちょうど、長野のよどちゃん達ご一行も前後して隣の城崎に行っておられて、
お会いできなかったけど、
メールで連絡を取り合いながら
雪道の心配をし合いながら・・・
どちらも、無事楽しい旅行でよかったです。
満喫した蟹や温泉はもちろんですが
旅の2日目、訪れた「出石」が印象的でした。
「但馬の小京都」と呼ばれるだけあって
こじんまりした落ち着いた山中の町。
この地に詳しい友人が一行の中にいて
彼の道案内により、早めに出発、朝10時過ぎに到着。
落ち着いた静かなええ町やなあ
あ、ここが京から逃げてきた桂小五郎が住んでた家だ
などと立ち止まるのを引っ張られて
まっすぐに目当ての蕎麦屋(とにかく蕎麦屋がめちゃ多い!)に入る。
これが正解でした。
名高い蕎麦を13皿平らげたごろには
観光客がどっと繰り出してきて、
店の内外はあふれる人波、喧騒。駐車場付近は大渋滞。
家老屋敷をざっと見て、雪を被った小天守を遠目に眺めて
早々に脱出しました。
も一度、ゆっくり訪れて歩いてみたい町です。
出石焼きもじっくり見たかった。
帰宅後、
例によって、飲み過ぎ、食べ過ぎ、はしゃぎ過ぎを少しだけ反省し、
明日からのダイエットを誓うかんちゃんでした。
2001年3月10日
二つの卒業式 6
松島菜々子さんに似た卒業生代表は、答辞でゆっくりと自分を語り始めました。家の事情で高校へ行くことは思いもせず、また日本はそんな器量の狭い社会でもないと信じて就職した。数年経って、いろんな壁を感じ、同僚達が卒業した高校の話をよくするのを淋しく思いはじめ、またみんなが気を遣ってくれるのもつらかった。でも、仕事もあり定時制に通う決心がつくまでにそれから7年かかった・・・。
3年前に仕事を変わって、高校に通い始めたが、仕事で失敗すると「学生さんはいいね」といやみをいわれ、仕事で無理をすると学校に差し支え、心身共に辛かった。2年生の終りくらいに持たなくなって、やはり仕事に打ち込もうと、学校をやめようとしたが、今までがんばったのはなんのためと、友人に止めてもらって、今がある・・・このあたりから涙・・・それでもこらえて最後までしっかり読み終えました。小さなホールに響き渡る拍手。こちらも涙。手作りの心温まる卒業式でした。胸張って退場する42名の人生に幸多かれと祈らずにはいられません。
気持ち良く校門を出ると、夜空に寒スバルが。そうそう、来賓(?)なのでお土産にチーズケーキをいただきました。2001年2月27日はセコタツさんち訪問を挟んで二つの感動的な卒業式に出れて、いい1日でした。その夜の酒はことにおいしく、その勢いでこの「雑記帳」を書き始めたのです。ちなみに●●君は4月から大学生です。(この項終り)
2001年3月9日 その2
二つの卒業式 5
初めて出席した定時制の卒業式は新鮮。4面列席者に囲まれた真ん中のスペースで、ひとりひとりが卒業証書を受け取る。卒業する42名の3.4年生はそれぞれスーツあり着物あり普段着あり、さまざま。年齢も10代から60代まで(ひとりひとりの証書を読み上げるので年齢がわかる)。最高齢の方は昭和15年生まれがお2人。どちらも女性で揃って見事な訪問着。花模様と山水のあでやかな和服で、きちんと背筋を伸ばした姿が感動的でした。
証書の授受以外に、皆勤賞(拍手)、精勤賞、努力賞、奨励賞などあって、卒業生に何度も出番が用意されている。●●君も記念品贈呈の目録を見事に読み上げました。保護者席にお父さんの姿も。
式のクライマックスは、こちらもやはり答辞。淡いピンクのこれも和服姿の女性(たしか28才)が真ん中に登場しました。松島菜々子に似てはる!
2001年3月9日 その1
二つの卒業式 4
セコタツさんちから学校へ帰り、時間を見計らって、みちこたんと富田林高校へ。4年前に、長野高校で一年次、彼女が担任していた●●くんが転学し、今日が晴れの卒業式。みちこたんと仲のいいかんちゃんもいろいろ噛んでいたので、流れで出席することに。席の都合もあるだろうからと連絡していただいていたら、こちらもいきなり来賓扱い。いえいえ保護者席でいいのですと断るのを、強引に校長室に拉致される。
6時、案内を受けて、真新しい中庭を抜けて多目的ホールへ。紅白の幕が張り巡らされている。南面して卒業生42名、向かい合って保護者、在校生50名ほど、東面してわれわれ来賓10名、向か合いって職員20名ほど。このような卒業式は初体験。緊張し、ワクワクしました。(松島菜々子はいましばしお待ちを)
2001年3月7日
二つの卒業式 3
卒業式後、あちこちに顔を出して久闊を叙し、わいわい言っているうちに、水泳部の現キャプテンが呼びに来てくれる。恒例の「卒業生を囲む会」がプールサイドで開かれるのです。OBも顔を見せている。在校生からのプレゼントとお祝いの言葉、顧問(私も入れていただいて)からのはなむけの言葉、卒業生の挨拶、その最後、キャプテンの番になると涙、涙ー部室からマンガを一掃してクラブを立て直そうと努力した真面目な生徒ー水泳部歴代3人目の女性キャプテンでもありました。キラキラ光るプールの水面を見ながら、またみんなでここで集まろうと約束しました。そう言いながら、うなづきながら、同じメンバーが再び揃うことの難しさを感じているみんな。卒業式の切なさが漂います。
セコタツさん情報
卒業式の午後、みちこたん、大先生、とよちゃん、S氏と私の5人でセコタツさんちへ行きました。清水は春の光があふれ、あちこちの梅が匂っていて、いつもながらに美しい所です。3日前に伺った時には薄雪が残っていたのに・・・。門をくぐると庭の日だまりにセコタツさんが立っています。お父さんが考案、作製された訓練の器具(さすがセコタツさんのお父さん、めっちゃ器用)に支えられて立つ練習をされていたのです。暖かいので、今年初めて庭に出られたそうです。いい時に行ったものです。立っている時間は、去年は10分くらいだったのに、今は30分以上持つとのこと(この日は40分)。日々のリハビリの賜物です。足の裏もほぼ水平に保てるようになって、傾斜を付けた支えを外してはりました。
椅子を持ち出して、セコタツさんを囲んでおしゃべり。ところがメンバーがメンバーなので、やかましいことこの上なし。隣接している家がなくてよかった(笑)。のどかな村の雰囲気をぶちこわし、ぎゃーぎゃーしゃべって、笑って、セコタツさんもときどき合いの手を入れはって(声がまだ小さいのでこの時だけみんな静かになる)、楽しいひとときでしたが、セコタツさんが後で「人疲れ」したのではと心配です。30分のつもりが1時間もいてしまいました。帰りの車で今度来るときはメンバーを選ばなくちゃなと言うと、あんたが一番やかましいとおもうと言われる(確かにそうかも)。
2001年3月6日 その2
二つの卒業式 2
式次第がふたつあるという不思議はありましたが(微苦笑)、それを軽く補ったのは卒業生の表情。
答辞も心が篭っていてよかった。あの文章の指導はきっとkyon2先生でしょう。来賓として、壇上で卒業生代表に花束を渡すとき、気心のしれたPTA役員さんにお願いして位置を代わってもらいました。生徒代表で登壇したメンバーのひとり、水泳部のS君に直接渡したかったからです。彼は東京の大学にゆくそうです。いろいろ心配させられたやつだったけど、大きな声で「ありがとうございます」と言ってくれました。窓から差し込む暖かい春の日差し、滑らかなK先生の進行・・・ひとつひとつのシーンを胸に刻みました。卒業生退場ー来賓席をとよちゃんと飛びだし、会場出口で13年間やったように(担任の時は別)先生方と並んで拍手で見送る。BGMはすぐ側で吹奏楽部の奏でる「卒業写真」。涙が溢れました。
2001年3月6日 その1
春の使者ー黄砂が舞っています。道明寺天満宮の梅も満開。お水取りも始り、関西は春近し。でも、スキー修学旅行の下見に山形に行っている同僚から電話が入り、大雪とか・・・。民宿から民宿へ、キャタピラ付きの車で送迎してもらっているそうです。車椅子をはじめ、足の不自由な生徒も何人かいるので、雪の状況の確認は大事です。「米沢牛のしゃぶしゃぶ」どころじゃないみたい。
さて、二つの卒業式の話です。
二つの卒業式 1
昨年4月から、離任式、文化祭、そして卒業式と長野高校を訪れました。もちろんそれ以外の機会もあったけど、招待を受けての公的な訪問はこれが最後と思うと感慨深いものがありました。そして、昨年まで自分が関わっていた卒業式を別の立場から見るという不思議な感覚も。保護者席に紛れて見ようと思っていたことを、見事に先読みされて、●●老先生によって既に来賓席に名前が書かれてある。それに花束贈呈名簿にも名前が・・・。聞いてないよ!でも、なつかしいブラスバンドの「威風堂々」の演奏がはじまるとジーンときて涙腺が緩みっぱなしでした。
2001年3月3日
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今日は楽しい雛祭り。でも、我が家には息子達しかいないので(それも家に居着かない) 嫁ハンの雛人形が押し入れで眠ったままです。 新婚時代は出して、ささやかに祝ったのに。 むさくるしい部屋が華やいだのを憶えています。 それも20年前の話。 そういえば今年も 沢口靖子のコマーシャル、飛ばしてますなあ。(去年の方がおもろかったけど) 忘れぬうちに防虫剤を入れよっと・・・。 ところで今日は息子Aの誕生日でもありました。 2週間前に信州へスキーに出かけてからずっと行方不明で、捜索願いを出そうと思っていたら金を使い果たして、東京へ出て、イベントの会場作りのバイトをして、今度は蔵王へスキーに行ってきたと 昨晩ヒッチハイクで帰ってきました。 腹が立つやら、うらやましいやら。 息子Aが産まれた当時は 「女の子の節句に産まれたのでおかまでは?」と 心配して下さる向きもありましたが、無事(?)女好きに育ってしまって・・・。 「おかまの日」というのがちゃんとあるのですね。4月4日に。 卒業式の話を書こうと思いつつ 例により、酒を飲んでしまって、導入でおしまい。 また次回に。 |