2001年4月25日
行く人来る人 7
逝く人が多くて・・・ まずは、前回の三波春男さん、三波春夫さんのマチガイ。 前々任校、K高校の卒業生k君にご指摘いただきました。ありがとう。お詫びして訂正させていただきます。 河島英五さん 48才の突然の死はやはりショックです。酒も原因のひとつかなあ。6年前にナガノの文化鑑賞会、ラブリーホールでコンサートしてもらいましたね。K先生も舞台に上がって、肩を組まれて・・・。あの写真は素敵で、PTA新聞にも使いました。旅を愛し、四国巡礼で作った白衣(四国では「おびんずる」と呼んでいたと思う)を身につけて旅立ったそうです。その数日後、先述のk君らとカラオケで「野風増」を歌ってしまいました。
小島三児さん トリオスカイラインもなつかしいけど、近年は脇役として光っていました。62才。腎不全。
勅使河原宏さん
肩書きはいっぱいあったけど、やはり映画の印象がいちばん。時代よりちょっと先を走っていたけど、伝統芸術(華道)の基盤を持っていたのが、彼にとってよかったことかどうか?おぼっちゃまであることは邪魔なことでもあったのではと今、思います。
ジュゼッペ・シノーポリさん ベネチア生まれの世界的指揮者、まだ54才。今年はベルディ没100年、その記念公演ベルリンオペラの「アイーダ」、第3幕指揮中に倒れるなんて・・・。あまりに劇的、かっこよすぎ(失礼)。芸術家として本望ではないでしょうか?(本人の意識はなかったでしょうが・・・)。世界でもっとも美しい墓地、ベネチアのサンミケーレ島に葬られるそうです。ストラビンスキーの墓の近くに。
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来る人
鷲尾いさ子さん ひさしぶり。きれい。ショートカットが似合う!もっと露出してほしい。家庭におさまっている人ではない。
坂東三津五郎丈
やっと襲名披露公演、行ってまいりました。報告は次回に。
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2001年4月17日
行く人来る人 6
シンジョー、イチロー、ササキの活躍で大リーグがぐっと身近に。 彼らも、遠くへ行ったという感じがしませんね。 |
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三波春男さん
あの美声、派手な衣装、滑舌のよさ・・・。「チャンチキおけさ」より「船方さん」がリアルタイム(小学生時代)で耳に残った歌です。でも、政治的姿勢も強く、いまいち思い入れることができない歌手でした。近年、永六輔やさだまさしとも付き合い、長崎コンサートなどにも顔を出して、あらたな方向の活動を始めてましたが、声量がグンと落ちていました。ガンだったとは・・・。
辞世の「逝く空に桜の花があれば佳し」はいい句です。名前にふさわしい最期でした。 |
2001年4月16日
行く人来る人 5
まずは作家、加堂秀三さん 60代そこそこで書けないからと、自ら命を絶つとは・・・ 10年くらい前から、独特の文体のファンでした。 官能描写に冴えを見せ、文学賞の候補にも挙がったのに。 ここ数年低迷し、同じパターンの中途半端なポルノを中間雑誌に 少しずつ、書いていました。そんなに書くことにこだわるか? それが作家の業なのでしょうか。 消えてゆく作家なのでしょう。 でも、彼の文章は忘れません。 新玉三千代さん 上品な美しい方でした。「細腕繁盛記」が話題でしたが 「氷点」の冷酷な上流夫人ー夏子役が本領でしょう。 「細雪」の幸子、「御宿かわせみ」の るい、晩年まで役に恵まれた幸せな女優人生だったと思います。 |
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2001年4月7日
昨日の富士山の写真は最近あれっと思ったものです。いい意味で期待を裏切ってくれている。
富士はいつかゆっくり廻って見てみたい山。桜の向こうの富士ー陳腐かもしれないけど一度は見てみたいと思います。 サクラ咲く国 3
長野公園の桜をはじめてじっくり見ました。あたたかい7日の午後。4年前のPTA仲間4人に誘われてノバティで酒と「あて」を買い、川遊びの人がいっぱいの石川を渡り、公園に至る遊歩道を登ること約5分。中腹の広場には売店も4軒出て、花見モード全開。運良く市内を見下ろすベンチが空いていて、そこで約3時間。次々と知り合いに出会うのは土地柄仕方なし。ソメイヨシノが多いけど、すぐ側に紅濃い枝垂れ桜が2本。これが見事でした。ビールと日本酒と話に酔って、気がついた時には美原のスナックで「花」を歌っていました。 隣の席に車椅子の若い女性がいて、この人がめちゃ歌がうまい。介助の人がマイクを持っているのだけれど、声量もあり、「zoo」なんてなかなか聞かせました。拍手。そういえばこの2月、4年ぶりに瀬古さんの歌を聞きました。ハタ坊が持ち込んだ尾崎豊のCDに合わせて口ずさんではった。彼ともいつか歌いに行きたいものです。 今日の写真はパリコレの山本耀司の服。無理とお笑いでしょうが、いつか彼の服を着てみたい。すごく楽そう。 |
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2001年4月6日 その2
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サクラ咲く国 2 やはり弘川寺(河南町)です。ここだけは毎年欠かせません。今年はよいタイミングで行けました。絶好の花見日和の6日夕刻、車をぶっ飛ばして、閉門すれすれに滑り込む。ここの枯れ山水の庭の桜は地表すれすれまで枝を降ろしたものをはじめ自在に伸びた巨木が多く、花吹雪もダイナミック。白砂の上にピンクの花びらが薄く散り敷いて、風に流されて逝く。そして、気に入っているのは西行記念館の裏のみずみずしい1本の山桜。ソメイヨシノが多い庭の片隅でひときわ新鮮。これには気付かない人も多い。天然記念物の海どう(字が出ない!)も蕾をふくらませている。 もちろん最後の楽しみは裏山の桜、さくら、サクラ。こちらは山桜の巨木が多く、空を覆う赤紫の若葉に白い花びらが凄烈かつ豪奢。整備された遊歩道を30分余り散策、西行庵跡を訪ね、大阪湾に沈む夕陽を眺めながら山道を下ると、里はすっかり暮れていました。この集落には教え子の家が2軒あります。ひとりは成人して家を離れ、ひとりはここから大学に通っています。元気かな。 逢い見むことは命なりけり・・・人や花との出会いも命あってこそ。来年もまた訪れることができますようにと祈りつつ、グリーンロードを走って帰りました。 |
2001年4月6日 その1
サクラ咲く国 1
数年前までは、春は吉野と京都へは必ず出かけて桜狩りと決めてました。ここ数年、無理せんとこと思い始めたのは体力、気力が落ちた所為か?より忙しくなったからか?いや、それより「貪らないでおこう」と思い始めたことが大きいと思います。
4日の入学式を終えてもまだ会議や新学期の準備が続く日々。今年は春休みはなかったみたい。でも今年も花は咲き、今がまさに見頃。5日の昼時、校舎の中庭のベンチで、春の日差しと桜吹雪を浴びながら弁当を食べた30分。これも贅沢な時間です。ホトケノザ(仏の座)が草芽を伸ばしているので、摘んで茶で洗って口に入れてみる。苦さが鼻に抜けるけど、これも春の香り。
夕刻、帰宅途中に道明寺と古市の間の石川堤に寄ってみる。10数年前に植えられた桜が成長し、数百メートルの列になって満開。夕陽を受けて更にピンクに染まって美しい。目の前の玉手山も桜色。人が少ないのがもったいないくらい。土手の下のグランドで、少年達が花なんか眼中にないようにひたすらボールを追っている。川面をかすめる鷺。少し冷えてくる。駅前で買ったお酒を一口。これも贅沢。遠くへ出かけなくても春は満喫できることをこの年になってやっとわかってきました。
セコタツさん情報
4月1日にひさちゃん、ハタ坊とお家に伺い(お元気そうでした)、採寸などして、帰りにミドリ電器でパソコンを注文しました。8日にひさちゃんたちがセッティグしてくれます。いよいよ目標に近づいてきました。セコタツさんと交信できる日も遠くはありません。
1日もいい日和だったので、セコタツさんは庭に出ておられました。もすこし暖かくなったら、ぼちぼち庭で歩行訓練を始められるそうです。もちろんお父さん特製の器具がスタンバイ。
ひさちゃんにはお手数ですが、しばらくパソコン教室チューターとしてセコタツさんちに通っていただきます。(ホントは女性チューターの方がいいという噂もあるがー笑)
セコタツさんの笑顔が配信される日までもう少しです。待ちましょう!
2001年4月3日
キトラ古墳の「朱雀」ーステキですね。
行く人来る人 4 人事異動、そして歓送迎会の季節。 ハタ坊もK高校に転勤しちゃいました。テニス部顧問に燃えるのだと宣言していたけど、その前に年末に切っていたアキレス腱、しっかり直せよ! 理科の新転任は常勤講師で、なんと20年前の前々任校での教え子。2年ぶりの対面を喜び合う。そのとき彼は塾の講師をしていた。何年か前に、会社を辞めて、教員採用試験に挑戦し続けているのです。教え子で教師になった者は何人もいるけれど、同じ職場になるのははじめて。うれしい。もちろん●●先生と呼ぶ。 |
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