Kan-Kan の雑記帳


2001年6月27日

おいしいもん食べたい

暑い日が続きます。こんな時はビール、ビール、ビール。

あたらしい製品が出ると必ず、飲んでみる。

キリンから「常夏」、サントリーから「夏のイナズマ

どちらも発泡酒ですが、猛暑に打ちのめされた体にはまーうまいこと!
さて、「あて」ですが・・・

ブラウンマッシュルーム、これがおいしい。

薄く切って、さらっと炒めて、レモンを絞って・・・。

梅肉を添えてもいい。

それと「噂の種」。小さい袋に、ひまわりかぼちゃ西瓜

シンプルなものがおいしい季節です。

2001年6月23日

最近読んだ本

小松左京「くだんのはは」

 「九段の母」ではなく「件の母」。ひらがなの題名に、この文章のすべてのトリックが込められている。
 ホラーミステリーなんだろうけれど、小松左京にはホラーは似合っていないと思う。それは作風というものでしょう。

宇江佐真理「春風ぞ吹く」

 平岩弓枝さんの跡を継ぐ江戸を描く作家はこの人と勝手に決めているのですが・・・。若い小普請組の主人公が御番入り(役職に就く)を目指して勉強に励むという時代青春ドラマなのですが、結末を急いだのと、人物が類型的なのが残念。
渡辺保「歌右衛門伝説」

 今年亡くなった六代目中村歌右衛門の芸と在り方を分析する。歌右衛門の存命中(2年前)に書かれたものだけど、かなり大胆、辛辣な部分もあっておもしろい。扱いにくい人物が多数存在する伝統芸能の世界で、努力、精進だけでなく、いかに政治的に動いて地位を確立していったか、その部分も興味深いけど、白眉は歌右衛門が老いをいかに超えていったかの部分。体が動かなくなって、はじめて踊りや演技というものがわかってきたというところ、納得。女形とは、歌舞伎とはという芸術論を超えて、人間の根源的な生き方に迫る。
 でも、正直なところ、歌右衛門のような演技って、見ている方もしんどいのですね。勘三郎までくだけすぎず・・・そのあたりの塩梅が舞台の、いや、人生のむつかしいところです。

2001年6月18日

最近読んだ本

「私の映画遺言」  淀川長治

 遺言と言っても、亡くなる7年前のエッセイ。しかし、家を離れ、ホテル住まいを始め、身辺整理も含めて、自分の蓄積したものをあれこれ言い残したいと、痛切に思われた時期でもあったのでしょう。サイレント時代のもうフィルムが残っていない映画を、細部まで再現して語れる話芸は、この人の独壇場。

 美しいものを率直に認める感性も魅力でした。

 映画の保存は大きな世界、文化的問題。日本映画の保存も特に寂しい状況。それだけでも、この作品、この人の存在した意味は大きかったのですね。

2001年6月17日

最近読んだ本

「中村屋3代記  (小日向の家)」

 中村勘三郎、勘九郎、勘九郎の息子、勘太郎、七之助の3代の周辺の人々の証言でつづる歌舞伎名門のドキュメント。小日向(こひなた)は中村家のある地名。勘九郎が「しかん」の娘と結婚したことで、歌右衛門の系統と繋がり、さらに複雑化、系図を書いてもらって説明を聞いても、理解に小一時間かかりそうなややこしさ。これを読んで、やっといままでのいろんな疑問が解決しました。
 それにしても、いい役者ではあったのでしょうが、勘三郎の頑固さ、むつかしさ、かたくなさ・・・傍にいる人はしんどかったやろなあ。
 名優、先代吉右衛門を異腹の兄として妾腹に生まれ、吉右衛門のライバル、六代目菊五郎に惹かれ、その娘を妻とし、精進しつつ、屈折感を抱えつづけた一生だったのでしょう。舞台を見たのは2,3回でしたが、そのうちの一回は、あきらかに「投げた」有名な舞台でした。周りの役者の演技が気に入らないらしく、あきらかに腹を立てている様子がありあり。側の勘九郎がハラハラしているのがわかったくらい。現吉右衛門が登場して機嫌を直し「やっと役者が来た(ここまでアドリブ)こちへこちへ」
 勘三郎さんと呼ばれて怒って帰ることはしょっちゅう、先生と呼ばれないと返事をしないというこの「役者バカ」・・・でも、興に乗ると愛敬のあるすばらしい演技を見せる・・・こういう役者が好きな人もいますよね。
 勘九郎が苦労して、勘三郎亡き後、一皮剥けて成長したのもわかるように思います。数年後にその勘三郎襲名が控えています。

2001年6月11日

 四国から最後のレモンが送られてきました。暮れに帰省した時、庭のレモンの木が大きくなったので少し切って、たわわに実ったのを採って持って帰ってきたのです。それでも残った高いところは、両親の手には負えなくて、そのままになっていたのを、弟が取ってくれたらしい。不格好で染みも多いけど、農薬が少ないので、その分香りが高く、焼酎のお湯割で楽しんでいます。

 「レモンツリー」という歌がありましたね。幼い頃庭のレモンの木の下で父が教えてくれたこと・・・レモンはきれいで、良い香りがするけれど、すっぱくて・・・ちょうど女性のように・・・そんな歌詞だったかなあ。

奈良へゆくなら 2

 当麻寺は牡丹時は結構、混雑。8つある塔頭のうち7個所は公開している(牡丹園もあちこちに)というけれど、嫁ハンの足も考え(ほんまは隣の石光寺にも行きたかった)3個所に絞る。なんといっても二つの三重の塔を身近に仰ぐ、西南院(せいないん)、護念院、中の坊、それぞれの庭にそれぞれの趣あり。

 牡丹の盛りははちょっと過ぎていたけど、残った白牡丹が透き通るように美しく、そして、特に護念院のつつじが見事なこと・・・。この日一番の見物でした。(余談ながら、ここのしだれ桜は枝振りもすばらしくて、是非見たい。来年こそ・・・チェック。)

 西南院の池のほとりの水琴窟(すいきんくつ)もかろやかな音を立てていました。立ち止まれば、池の水面には西塔の姿が映り、やられたと思いつつ、庭園作家の意図にはめこまれてしまいます。

 3箇所を見たところで「今日はこれくらいにしといたるわ」という嫁ハンのお言葉に甘え(?)門前の朝日亭でざるそばを食って帰宅。

 全行程、3時間余、程よい花見でした。そうそう、拝観しなかったけれど、これも塔頭のひとつ、宗胤院前の藤が見事で、これは思いのほかの収穫でした。

 義母を送ってマンションに行くと、ダイエーも快勝したらしく、わけのわからんままに祝杯につきあわされ、こちらのほうが時間がかかってしまいました(笑)。

2001年6月10日

奈良へゆくなら 1

 5月の連休の最後の日。午前10時。もったいないほどの良い天気だったので出かけることにしました。たまには親孝行と、まず車で5分のところにいる嫁ハンの両親のところへ。「ボタン見に行きませんか?」「ワーうれしい、行きたい!」と義母。「僕はテレビでダイエー戦があるから、3人でいっといで」」と野球ファンの義父。即、出発して、駒ガ谷から新緑の美しい農業促進道路を走り、竹ノ内峠を越えて、30分後には当麻寺の参道に。

 ここまで順調だったのに、参道に並んだ出店に女2人が引っかかる。牡丹はじめいろんな花や観葉植物の販売、そして、このあたりは靴下の生産地なので、そのたぐいの店も多い。はよ行きましょ、荷物になるし、帰りに買ったらよろしいやんと言っても、「店をひやかすのは往きがいいの、帰りは疲れて早く帰りたいから、選ぶのも雑になるでしょ、ねー(ここだけ見事にハーモニー)」なかなか動かない。おとうさん(義父)がしぶったのも、やはり、これやな。あれこれ騒いで、結局買ったのは、僕のテニス用靴下、4足1000円のみ。山門にたどり着く前に疲れそうでした。
最近読んだ本

中野  翠   「くすだま日記」    「生意気時代」

 林真理子さんの親友としても有名な著者の日記風エッセイと評論。なにより、その自意識の高さ、切り口の鮮やかさ、そしてナルシシズムに流れない客観性が魅力。もうちいと反骨精神を磨いたら、大阪人の仲間に入れたるというとこやけど、反体制を標榜しているようで、最後のところでちょろっと権力に擦り寄る部分があるのが東京的で・・・惜しいなあ。

2001年6月9日

恐ろしい、憤ろしい事件の続出に心沈む日々です。

神はいるのでしょうか?

被害者のご家族の心痛はいかばかりか・・・。

初夏の北海道の風物詩、よさこいソーラン祭が開幕したというニュース、映像が躍ります。

2年前に中国で殺害された姪が、毎年参加していたっけ。

両親も姉もどんな思いでニュースを見ているかと思うと

胸が痛みます。

最近読んだ本

辻 邦生   「幸福までの長い距離」

 映画評にからめた社会論。読み応え有り。フランス映画「冬物語」に触れて、哲学者の森有正の言葉「神はいるからこそ、沈黙し、ただ見ている」という重い言葉を自分流に解き明かす。

 「神は永遠に沈黙する。たしかに奇跡を現すことはある。だが、神の本質は沈黙であって、人間の祈念には直接には応答しない。神の存在を示す外的証拠はどこにもない。ただ神の存在を信じるという無償の行為があるだけである。」


 すぐに、神も仏もいないのかと思ってしまう自分には新鮮な一文ではありましたが・・・。

2001年6月4日

もっと京都 12

 大徳寺の非公開の塔頭の案内は、市内の大学の考古学や歴史研究会のメンバーが中心の模様。みんな申し合わせたように黒かグレーのリクルートファッション。でも、それぞれ個性があっておもしろい、マニュアルを読み上げるだけの人、暗誦している人、工夫してアドリブを入れる人、通り一遍の説明なのになぜか面白味のある人・・・。ふと教育実習を思い出したりして・・・。説明には耳を貸さず、さーっと通る拝観者もいるけれど、我々はついいちいち立ち止まって聞いてしまう。庭、それぞれの部屋毎とかなりの人数のガイドがいて、静かに鑑賞したい時には、正直、少々うるさくはあるのですが・・・。

 芳春院の仏間で、女子大生のガイドさんが説明の後、質問を受けている。
「あの天井から下がっている飾りはなんですか?」
「さあ・・・、このお寺のご住職の趣味じゃありませんか?」
オイオイ、それは天蓋(てんがい)でしょうが、とつっこみをいれようとして思いとどまる。ま、いつか気がつくこともあるだろう、強いて恥をかかすこともないやろうと・・・でもやはり言ってあげるのが親切だったかなあ・・・口の中でぶつぶつ言っていたら嫁はんがおかしそうに笑っている。女子大生には甘いかんちゃんです。


 非公開ということは普段は修行、生活の場。その匂いがあるのが新鮮で好ましい。廊下にも、本堂にも人間の気配がある。観光用にセットアップされた寺院というのは清潔で美しいけれど、却って味気ない時があります。もちろん禅寺の修行では掃除が大きな比重を占めているので、ここも手入れは行き届いています。ただ、長年の歴史の中で増改築がなされ、特に庭などの形が損なわれている場合があるのが残念。非公開にも2種類あり、修行優先というのと、公開するにはイマイチというのもあるのだと感じました。

 それにしても一個所800円、廻って2400円、2人で4800円というのは失礼ながらちょっと高い気も・・・。ま、満足はしたので文句は言いますまい。


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