2001年7月31日
30日は「マンデーパリーグ」の日。そして、同時に「サラリーマンデー」(サラリーマンは無料の日)なので、クラブを終えて大阪ドームへ駆けつける(ちなみに勤務証明や、身分証明が一応必要です)。折り返しを過ぎてまだ首位にいるなんて・・・ファンとしてほっとけまへん!この日は対ロッテ戦。まずは9階の三田屋へ行き、地ビールで景気をつける。
飲み放題(2500円)のビールを飲み過ぎて、初回の中村のりひろのスリーランホームランを見逃す。歓声を聞いて、いそいでスタンドへ駆けつけると、すぐ追いつかれ、逆転され、今度はノーアウト満塁のピンチ。これを救ったのは巨人から来たばかりの三澤。びしっと押さえて、礒部、的山のホームランに繋げて再逆転。これが今年の近鉄の強さ。そのまま逃げ切り、外野席は狂喜乱舞、応援歌を唄って大騒ぎ。
実は昨年から大阪ドームへ通うたびに完封負け。実に27イニング無得点の記録を更新中でした。これでジンクスも破れた。8月のサラリーマンデーも行くぞ。
暮れなずむ金剛山、群れ飛ぶ赤とんぼ・・・藤井寺球場がひたすらなつかしいけど、無機質な大阪ドームは好きになれないけど、ま、乗りかかった船、近鉄の応援は続けるつもりです。
2001年7月30日
明石の花火見物事故の11人目の犠牲者、新奈ちゃんのかわいい遺影に涙がでました
。親御さん、つらいでしょうねえ。
誰か故郷を思わざる(帰郷編)
母は今年に入って2度の骨折で流石に自信を失い、もう2度と起き上がれないのではという不安を持っていたようです。田舎で老人が多く、そのような例を多く見てきたからでしょう。それに動けないぶん、あれこれ家のこと、父や弟夫婦のことなど気になって・・・。
まず、たっぷり話を聞いて、そして医者に行きました。車で40分。レントゲンを撮ると骨の折れた部分の上に新しい骨が出来つつある、それを見て母も安心、自信が出てきたようです。
年老いても、衰える一方ではなく、人間の体は、着実に回復する力をもっているのですね。表情が俄然明るくなりました。
2001年7月29日
元、水泳部顧問としては、思わず世界水泳を見てしまう。やはりメドレーリレーは水泳の華。興奮します。あ、選挙速報も見なくっちゃ!
おいしいもん食べたい 夏のビール商戦のとどめは、サッポロの「7」(セブン)か?正確には発泡酒ですが、アルコール分7パーセントの”こく”と”キレ”は確かにある。時間か何かの都合で1,2本だけ軽く(?)飲みたい時にはいいかもしれません。 |
最近お気に入りの”あて” こんにゃくの刺し身。昔はきらいだったのに、年と共になじんでゆく食物ってありますよね。海苔やすだちで味付けしているものもあるけれど、なにもついてないのがいい。(「四万十川の川のり入り」のは別ですが。) |
誰か故郷を思わざる(帰郷編)
今治港の桟橋でうろうろしていた明石から来たおじさんに声をかける。西条までゆくとおしゃるので、それならJRですよと言うと、え、港と駅と違うのですか?そうです、歩いて15分くらい、タクシーもあるけど、僕も歩くから御一緒しましょうか、それはありがたいお願いします、ということに。
道々、私は母の介護に帰るのですと言うと、実はと旅の目的を明かされる。33年前に石鎚山で弟さんが遭難され、今年その33回忌を済まされ、ちょうど自分も定年で体も空いたので、供養を兼ねて石鎚に登りたいと思ってきたのです、ということ。お一人できたのは明石で催しがあるから・・・。今治駅で西東に別れましたが、心に懸かりました。いい靴履いてはったけど。今夜は面河(石鎚の麓の渓谷)に泊まると言うてはったなあなどと思いつつ、6時半には故郷の町の駅に到着。弟が軽トラックで迎えに来てくれている。笑顔。
朝食やらあれこれ済ませて、最初の仕事は隣村の親戚(伯母)の法事、こちらも33回忌。50才で親の法要を営む従兄弟が不憫で・・・。ばたばたしている間に夜に。田舎の夜は早い。10時過ぎに寝ようと思うと、明石の花火大会で事故の知らせが・・・あ、あのおじさんとこでは?
2001年7月28日
誰か故郷を思わざる(帰郷編)
フェリーの船室に帰ったのが午後11時前、となりのおじさんは話かけたそうにしていたけれど、こちらは一番窓際(両サイドに気を遣わなくてすむ)だったので、背を向けて本を読む。11時15分に消灯と知っていたので眠る体勢にはいっていた次第。。ドアをノックの音、消灯しますと船員の声。慌てて支度をする隣。バチッと電灯が消え、しばらく寒いとかエンジンがうるさいなあとかつぶやく声が聞こえていたけど、こちらはビールの酔い、帰省準備の疲れもあってか、まもなく爆睡。
翌朝、4時45分に電灯が点され起床。洗面から帰ってくると、隣のおじさんが挨拶。良く眠れなかったらしい。いつもこんなに音がうるさいのですかと問われる。いえいえ、橋が整備されて客が減り、合理化で前の船が売り飛ばされて、ランクの低い船に変わったみたいですと答える。旅慣れてはるんですね、いえいえ、帰省の時によく利用するものですから。毛布2枚を上下にして上手に使うんですね。そう、冷房が思いのほかきついでしょう、などと話が弾みだす。今治は数十年ぶりでとおっしゃる。明石の方らしい。詮索するのは趣味じゃないので、高校野球とかとりとめもない話を交わす。
5時15分、今治着。30分停泊。船はこのまま松山を経て別府まで。瀬戸内海はベタ凪で朝日に輝いている。船室で別れたその人に桟橋でまた出会う。リュックを背にうろうろしてはる。つい声をかけてしまった。
2001年7月27日
誰か故郷を思わざる(帰郷編)
7月20日、午後8時、古市花火大会(見たかった)直前の喧騒を背に今回は電車で(先週は車)神戸に向う。
JR住吉で六甲ライナーに乗り換え、アイランド北口下車、無料送迎バスをパスして早足でフェリー乗り場に。汗をかくのが狙い。午後10時頃の六甲アイランドのはずれは、広い通りも、人通りゼロ。その上暗くてやや不気味。徒歩15分。フェリーは2等席なので、大部屋。自分の場所を確保して、毛布を2枚借り(100円)、その足でフロントに貴重品を預け、大浴場へ。船に乗ってここまで5分。汗を流し、更に熱いお湯で汗をかいた後、レストランヘ。神戸の夜景を眺めながら、明石の蛸の酢のもので生ビールを。これが一人旅、船旅の醍醐味。おいしい。たまらん。思わずおかわり。
この私の一連の流れを興味深そうに眺めている男がいる。あちこちで出会うと思ったら、大部屋の隣に居合わせた人だ。最初に会釈を交わしている。60才くらいと見た。
2001年7月20日
ずいぶん久しぶりになりました。やはり6月末から7月は、なにかと慌ただしいこの業界です。
行く人来る人
やはりジャックレモン
初期の軽妙な喜劇演技から、晩年のシリアスなものまで、幅広い演技力と、庶民的なキャラクターで愛されました。個人的には助演した「ミスターロバーツ」と、ウォルターマッソーとの名コンビ「フロントページ」が好きです。
そして市村羽左衛門
3月の坂東三津五郎襲名披露公演で来阪したのに、1週間で休演、楽しみにしていた口上は聞かれませんでした。歌舞伎界の大御所、人間国宝。口上ではもちろん、トップを切って、座を仕切ります。渋い脇役で生き、座頭格の敵役をやらせたらステキでした。でも、どこかに人の良さや人情もろさが見え隠れするのが(つまり政治的に動けない)、主役を張れなかった原因なのかもしれないと、今になって思います。
花の人(孝夫から仁左衛門へ) 宮辻政夫
大病を克服して行った強さ。その元は舞台への執念と謙虚さか。 |
幸四郎の見果てぬ夢 松本幸四郎 水落潔
ご存知「ラマンチャの男」の主題歌がタイトル。チャレンジ精神そして古典への思い。欲張りで、それを着実に実現して行く強さ。 |
人は好きなことしかやる時間がない 秋元 康
ホンマに忙しいマルチ人間。でも、この人も謙虚。人から学ぶ姿勢を崩さない。 |
はじめての夜 二度目の夜 最後の夜 村上
龍
ハウステンボスのホテルのディナーをモチーフにした中編。もちろん食事は性に繋がる。 |
中島みゆきミラクル・アイランド 谷川俊太郎ほか
対談、評論など。この人も自分を崩しません。 |
歳月切符 田辺聖子
おせいさんスキ。人生に残された歳月の切符(これは配給の切符、戦後生まれの我々は親からききました)を手に、茫然と過ぎ行く美しい四季を見送る・・・わかるなあ。 |
誰か故郷を思わざる
故郷の母(80才)が先日、今年2度目の骨折をしました。前回は脚、今回は腕。上体を固定されて、寝起きが不自由で、気丈なひとも流石にめげているようだったので、先週末を利用して帰省してきました。辛いのは夜にトイレに立つことで、いちいち父を起こし、ベットから起こしてもらうのをすまながります。父も低血圧に加え、前立せんの病気を持っています。まさに老老介護。
それでも、親は親ですね。世話をしに帰ったのに、却って世話を焼きたがり、あれを食べよ、これを持って帰れなぞ、いそいそ動き出し、それまで動きにくかった左腕が少し動いたりして、周りを驚かせ、帰省はリハビリには役に立ったようでした。
日曜の夜の便に乗るのに家を出ると、車が峠を越えるまで、谷間にある実家の門の前で母が振る懐中電灯の灯がバックミラーに映っていました。
今日から夏休み。クラブ付き添いも 交代していただきました。休暇願いも、旅行届も出しました。それで、今夜、帰省します。日にちクスリですから、もうひといき。ベットから自分で起き上がれるようになるまで看てやろうと思います。天神祭りは無理かもしれないけど、PL花火までには帰って来れると思います。それではまた・・・。