2001年8月30日
薔薇の棘
7月に帰省した時のこと。
夕方、畑仕事を終えて裏庭の花壇で雑草を引いていました。「じゅうやく」(この場合は薬草か)の根がしぶとくて、苦労をしていた時、台所からもう上がってお父さんの酒のお相手をしなさいと母の声。もおちいとじゃけんと答えて続けたのがマチガイ。えてして、こういうとき怪我をするのですね。夕闇の中で、じゅうやくの根を思い切って引き抜いた勢いそのままに、隣の薔薇の木の幹に右手の甲をぶつけてしまう。その大きな棘が人差し指の付け根にささり、鋭い痛みが・・・。
やがて痛みは収まったのですが、右手人差し指の痺れが3日ほど残ってしまいました。その違和感は一ヶ月過ぎた今もかすかに残っています。どこかの神経を刺激したのでしょうか?それとも棘の先が残っているのか・・・。体の傷は癒え、心の傷は残るというけれど、こんな場合もあるのですね。
そんなこともあって、手を眺めることが多かった今年の夏です。日に焼けて、皺が増え、染みも出てきた自分の手。若い頃、バーで、きれいな手とママに褒められたのに・・・(笑)。改めて年齢を感じました。手は、皮膚は誤魔化せない。
9月公開の映画「ファイナルファンタジー」。実物さながらの登場人物はすべてCGとか。それにしても、老人の手の皺、染みまで描き込んだというその映像・・・。複雑な心境です。
2001年8月28日
今日の誕生花は桔梗、花言葉は「変わらぬ愛」。
2,3日前出勤途中で見た光景。ある家の前で、ランドセルを手に持って当惑顔のおとうさん、その下で泣きじゃくっている女の子。登校日だったのでしょうか?最近は登校日に一部宿題を提出させる学校も多いらしい。人事ながら気になって・・・。
今日の夕刻、近所の路上で踊っている知り合いの高校生。文化祭の練習かいと問うと、そうですと元気な答え。秋の到来を感じます。
最近読んだ本
「中陰の花」 玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)
次々と文章の名手が現れるものです。作者は現職の臨済宗の僧侶。オウム以来、宗教不在の現代と言われているけれど、心の世界に本職(?)が正面から宗教家という立場を踏まえて斬り込んできたのは大歓迎というべきでしょう。前半は特に読ませます。彼岸への十万億土の距離を49日で割ったら、ちょうど光速になったなんておそろしい偶然(?)をはじめて知りました。人間は死んだら光になるのかも・・・。
今年の前期芥川賞受賞作。選考委員、全員一致(めったにない!)というのが気になりますが、確かに読み応えあり。でもクライマックスの肝心の「花」ー主人公(僧侶−パソコンも駆使する現代的な感覚も持った禅僧)の奥さんの手作りの、「こより」で出来た豪華な造花ーの描写がイマイチなのがめちゃ惜しい。ここで読者を陶酔させればより大成功だったのにと思われます。うーむ、残念!酔わせて欲しかった。
2001年8月26日
嫁ハンのソロライブを聴きに和歌山に。テニス仲間も7人来てくれることになって、うちのおんぼろワゴンでにぎやかドライブ1時間。和歌山城の側にある「JOY味村(みむら)」というフランス料理の店でのランチとライブ。嫁ハンは和歌山市内出身ということもあり、昔の仲間も来てくれて50席の店内に60人以上入って、店はうれしい悲鳴。昨夜遅くまでテーブルセッティングしたらしい。味には定評ある店らしいけど、これだけの人数を捌けるか心配でした。でも、味は上々で一安心。
肝心のライブは、これも嫁ハン、昨夜から市内のホテルに泊まり込んで力が入っていただけに熱唱。多少老けてきましたが、ますますパワーアップしてきたみたいでコワイ。ライブ後、あちこちで、また帰りの車中で結構好評をいただき、感謝。(夫である自分の内助の功も強調)彼女はこれでまた、更にシャンソンの世界にのめり込むのでしょうか。ま、いいか。女房元気で留守がよい(笑)。
あちこちに配ったのですが、いただいた花々で玄関はむせるような香り。そのなかでぐったりしているただいまご帰還の嫁ハン。3個所歌詞とちったやろというと、わかった?と苦笑い。(ちゃんと聴いていたということもアピールしておく。)無理せんといてほいいのやけど、明日は、また心斎橋で歌うそうです。大丈夫かいな・・・。躍りつづける「赤い靴」ではないけれど、歌うことに魅せられてしまっているのも怖いものがあります。
2001年8月25日 その2
私を野球に連れてって
24日、友人に誘われて(招待券あり)大阪ドームへ。相手は日本ハム。首位を滑り落ちたものの、この時期に優勝を狙える位置にいるなんて何年ぶりか。喝をいれなきゃあと張り切り、ドーム9階の三田屋(飲み放題)でジョッキ6杯飲んで、景気をつけて乗り込む。
この日は中村のりひろ人形を先着2万名にプレゼントとかで凄い人出。その中村の先制打、ロ−ズのスリーラン、礒部の駄目押しホームラン、5点差。ファンは大喜び。これで楽勝と思うでしょ?ところがそこが近鉄。守備の乱れとピッチャーのノーコンでたちまち1点差。中村のりひろの右中間へのすごいホームラン(ホンマ、パワフル!)でやっと突き放したけど、サバイバルゲームのペナント終盤でのこの戦いぶりはやはり心配です。
勝ったのはうれしいけど、後味はイマイチで、ペナントレースの最後は投手力のある西武やダイエーにかわされるんじゃないかと案じてたら、案の定、25日は大敗。あの投手力ではねえ。巨人の長嶋さんの苦労もわかります。梨田監督めげるな!
のりひろ人形はよくできていたけど、友人に息子さんが2人いたことを思い出して、お土産用に彼にあげてしまいました。6才と10才では取り合いするもんな。
おっと、今(10時21分)、地震がありましたね。速報によると震度3だそうですが・・・。やはりドキッとしますね。神戸方面の方はなおさらでしょう。
2001年8月25日 その1
最近読んだ本
大阪センチメンタルジャーニー | 富岡 多恵子 |
こんな老いかたもある | 佐藤 愛子 |
わらう | 田中 康夫 |
無茶な人々 | 中野 翠 |
地球の片隅の物語 | 曽野 綾子 |
京都おもしろウォッチング | 赤瀬川 源平 他 |
2001年8月23日
台風一過。戻ってきた夏空の下で、年甲斐もなく生徒相手にテニスのシングルスを。午前中だけで2キロ減。それなのに夜には元に戻っている不思議(笑)。
午後から近鉄電車で京都まで。わざと各駅停車を乗り継いで行く。知らない駅名を確認して憶えたり、駅前の居酒屋などを眺めるのが楽しみ。京都は姉の家に。2年前に亡くなった姪の追悼文集を作っています。原稿の整理、タイトル決定、写真選びなど・・・。来春には完成しそうです。急がずにぼちぼちと。遺された者の為の癒しの作業でもありますから・・・。
誰か故郷を思わざる
母の怪我、父の病気で、手が入らなくなると一気に荒れる畠や庭を実感。今回の帰省はそれを補う作業もたっぷり。その結果、長時間外に居ることになり、あっという間に日焼けしてしまいました。父が孫のために作っている葡萄棚の網かけ(カラスの侵入を防ぐ)や畠の草引き、田んぼの水の具合を見て回りー「穂水」(ほみず)といって、穂の出るこの時期には水稲には特にたっぷり水が必要なのですーたっぷり焼けて、汗をかいて、ビールで補給して、体重はじわじわまた増えて・・・この夏はこれの繰り返しに尽きるようです。
2001年8月21日
久々の台風上陸です。2週間前にリレーマラソンで訪れた十津川、熊野川町、串本や新宮の、テレビに映る嵐の中の町並みや山沿い、海岸線の映像が、別の土地のように見えます。もうすぐ嵐の峠は越えそうですが、気は抜けません。友人のお父さんは、かつて、台風の後の屋根の修理中に足を滑らせ、落下して亡くなりました。台風の前後に却って事故は多いのだそうです。
誰か故郷を思わざる
12日の夜、正確には13日の未明から、今度は嫁ハンと2人、車で帰省しました。初めて走る山陽自動車道。高低差の少ない走りやすい道です。あちこちのサービスエリアも充実していて、人もいっぱい。岡山で桃を買い、ねむ気覚ましにガムを噛みながらひたすら走る。ところどころから実家にケイタイで連絡。母は早朝から電話の前で待っている気配。
尾道から「しまなみ海道」へ。連絡橋からちらっと見えた尾道の階段状の町並みは朝陽に映えて、昔と変わらぬ風情。豊かな青い水流を持つ川のような瀬戸の海、緑溢れる島に南面したいい港町です。子どもの頃、今治から3時間余りかかって、連絡船で訪れた道程を1時間足らずで逆行します。
2001年8月20日
10日に、以前このコーナーで紹介させていただいた、山本さんのてんこくの個展に行ってきました。西天満の「老松通り」は画廊が多くて、ウンンドーを眺めつつ歩くだけで楽しいところ。思わず、目に付いたイヤリング(工芸作家、金井加代子さんという方のもの)を嫁ハンに買ってしまう。暑くてボケていたのだけど、帰省を控えて、田舎で「長男のお嫁さん」してもらう嫁ハンへのゴマスリも多少あり(笑)。
山本さんの展示はこころの行き届いた素敵なものでした。目に見える、使えるもの(印)を作りつづけておられるというのはうらやましいなあ。
ところで台風接近。雨は楽しみだけど、風の被害にもご注意。先刻、四国の実家に電話して、2階の戸締まり大丈夫?(老夫婦なので2階は使っていない)と聞くと、母が、さっき見てきたとのこと。あの階段(踊り場を含めて15段ありー何故,段数を覚えているかというと、夜に暗闇で昇降する時つまづかないため)をソロソロ上がり降りしたのかと思うと胸が痛みます。
明日の部活動はあらかじめ中止と連絡しておいたので安心。今日は張り切り過ぎて、活動後、2年生の男子とシングルスの対戦をして(勝ったけど)バテてしまって(笑)、帰って疲労回復にと特製ニンニクラーメンを作り過ぎ、食べ過ぎたのがたたって、今もトイレに通っている情けなさ(苦笑)。友人から風を見にゆかないかと誘いがあったのに、断ったのは残念。
それにしても、人のことは言えないが、高波の海にサーフィンに出かけるヤツは(気持ちはわからんでもないけど・・・卒業生にも何人もいる・・・やめとけと言うんだけどこっそり行ってるみたいだ)はた迷惑ですよね。沿岸警備の人や、消防団、海上保安関係の方達は大変みたい。危険承知でやっているんだ、死んでも本人の責任、ほっといたらとも思うけど、救助要請があれば嵐の海へ出かけなければならない。ほっとくと、後で管理責任が問われる。結局、海岸で「あがりなさい」という放送や呼びかけと、それを無視して海へ入ろうとする若者のイタチゴッコ。過保護な日本社会の縮図か。これも台風シーズンの胸の痛む光景です。この文章を読んでくれるはずのS君、行ったらアカンで!
2001年8月19日
8月11日、長野高校を4年前に卒業した3年4組の同窓会。千日前で。22名の出席。22、23才なので安心して(?)飲める、飲ませられる。ビールは面倒くさい、ピッチャーだ!あ、おまえはお湯割やったななどと、いつの間にか仕切っている元担任の私。飲むとは知っていたけどこれほどとはと、みんなから呆れられる。でも、そんなに飲めるのも雰囲気がいいから。それに居酒屋で飲み放題というと俄然張り切ってしまう情けない性格は直らない。
全体にパワーのあるクラスだったけど、今は概して女性が元気。きれいになっている子が多いのは当然としても、どんどん海外への進出をもくろんでいるメンバーがいるのも逞しい。今でも資格を取ったり、語学研修をうけたりしている子が結構いる。テニスをやっている子も。近々の対戦を約束。10月に結婚する子も。男子は高校時代より痩せている子が多いみたい。浪人して現在大学生という子も数名。みんなバイトや仕事が結構きつそう。会社員で当日、福井に出張していて、最後まで会に間に合わなかった子がいたのが残念でした。
最後に用意していった「かん2の雑記帳」(そもそもこれが本家)特別バージョンを配布すると、みんな大喜びしてくれました。タイトルの名づけ親の生徒は欠席だったけど・・・。あっという間に時間が過ぎ、再会を約して別れました。
あ、このHPの存在もPRし、同窓会コーナーなども遣わせていただくように段取りさせてもらいましたので・・・。翌日さっそく欠席していた子からメールが入ったりして、ホンマにうれしかった。同窓会って教師人生の大きなボーナスみたいなもんですね。
2001年8月11日
チャリティリレーマラソン 2
チャリティリレーマラソンから無事帰って参りました。予想以上に楽しい旅でした。私の参加した後半部分、約250キロは、前半の照り付ける炎天から(ハタ坊ごくろうさまー彼とは入れ替わり)転じて、薄曇りだったり、小雨が降ったり、最終日は晴れても風が吹いたりと、走行には絶好の天気に恵まれました。十津川は涼しく、新宮までの川は深く澄み、太平洋の波は荒く、潮の岬の灯台は白く・・・期待通り。
それにしても、一行約18名の頑張りはすごい。各地で役場や学校を表敬訪問する時間が事前連絡で決まっているのですが、それに合せて走る走る。私がペースを落としても、次のランナーがピッチを上げて取り戻してくれる。申し訳ない。自転車で伴走してくれる友人が歌を唄ってくれたり、一緒に走ってくれた地元ランナーからいろんな話が聞けたり・・・。脚はガクガクでしたが、充実したランニングでした。それにしても、私が参加してからの掛け声が「ファイト」から「ビール」とか「ラガー」とかに変わったのは何故(笑)?
募金をしながらの旅でしたが、受入先の対応、反応も様々。当惑気味のところから、市議会を中断して全議員、職員で拍手で迎えてくれ、あらかじめ集めてあった募金箱を下さるところまで・・・思うところもいろいろありましたが、それもすべて含めて生徒にも良い経験になったと思います。おいしいとこどりで申しわけなかったけど、生徒、職員、一緒にゴールした時はさすがに感動しました。
募金は集計の上、ネパールに小学校の建設資金として送られます。当然ですが、参加職員、すべて年休を出して、自費での参加と言うのが気持ち良かった一因でもあります(それにしても、ちょっと飲み過ぎたかな?ー反省)。
10日。ゴールシーンが、9日付の朝日新聞の朝刊に写真入りで載ってあなたも写っていたよと、メル友のIさんからメールをいただき、慌てて確認したら、タオルを首に巻いてよたよた走っている姿が隅のほうに。生徒が主役だからと後ろのほうに控えていたのに・・・(苦笑)。ええ方のTシャツを着ておけばよかった(笑)。
2001年8月5日
チャリティリレーマラソン
3日、京都の経ガ崎から始まった3年ぶり往路の近畿縦断マラソン(長吉高校の職員と生徒有志の企画、参加)。本日5日の大阪市内の部から参加しました。バス2台と、車5台に分乗して、大阪市役所から、富田林川西まで、次々とメンバーを入れ替え、常時10人近く走らすように段取りしている裏方(若手職員)がまずすばらしい。僕も数キロ走らせてもらいました。ホンマに分刻みのスケジュールを事故なくこなし、今回は河南町大宝小学校や、富田林高校、河南高校、和泉高校などの生徒、教師の賛助参加を得て、盛り上がった1日でした。
いろんな思いはあるけど、まず参加してみようと思いました。参加してよかったと思いました。各地での寄付金はネパールの小学校建設にまわされます。今日は何百人という参加、ボランティアがありましたが、明日からの後半(9日まで)、紀伊半島下半身の部分は十数人で走ることに。酒と、温泉とその地域の人々とのふれあいを楽しみつつ、走ってきます。
2001年8月3日
シアトルから帰ってきた友達の話。あちらはイチロー一色だったと。お土産はイチロー人形ではなく、ビーフジャーキーだったけど、大リーグの話ばかり・・・(何しにいったんやろ?)。日本でも対抗して、(中村)のりひろ人形を作るそうです。僕は優香ちゃん人形のほうがいいけど・・・。
誰か故郷を思はざる(帰郷編)
懸案の畑仕事はみかん山の除草剤散布、みかんの摘花、田んぼへ除草剤散布など。これらは3日余りでなんとかクリアー。除草剤を使うと流石に疲れます(やはり体にもよくないみたい)。あとは、こまごましたことで、近くの畑に家の生ゴミ廃棄用の穴を掘る。まだゴミの回収が行われていないので各家庭で処理しているのだけれど、これが結構大変。但し、穴に入れた生ゴミはほとんど、からすやタヌキ、いたちなどが食べてしまうらしい。とりあえず大きな穴を3つ掘っておく。
後は家の周りの草引きや庭木の剪定。毎年3箇所くらい作っていた朝顔、夕顔の垣も、今年は作らず仕舞い。父が無理して作業して怪我をしないように、庭のはずれの崖の方の樹木の危ないところだけ簡単に剪定する。結局、庭は半分も掃除できず。これはお盆前の帰省時に残して置こう。お墓の掃除は草刈り機でざっと。あとは弟に託す。
田舎の時間帯はこちらと全く異なり、朝5時過ぎには起きて10時前に一仕事追え、たっぷり昼休み(ビール、昼寝も)を取って、午後3時過ぎからまた日が暮れるまで作業というパターン。夕食後、9時頃には寝てしまうので、ナイターの結果もわからない。夜中12時頃、目が覚めて母の様子を観ながら、本など読んで、3時頃また休む。1日が長いような、短いような不思議な感覚の1週間でした。夜中に起きた時の母にはNHK「ラジオ深夜便」を奨める。これ、ここ近年の人気番組です。柔らかな語り口が高齢者に合うみたい。
ベッドの脚に紐を付けて、母がそれを引っ張って自力で起き上がれるようになったので、一応安心。帰阪することに。お盆に今度は嫁ハンも一緒に帰ることを約束する。弟夫婦にはその時に旅行してもらうつもり。前回ほど心を残すことなく出発できました。
帰って来たら大阪の暑いこと。さっそくクーラーをかけて眠る。そういえば故郷では、夜には窓を閉めて寝ていました。山の冷気が降りてくるのです。冷たい井戸水も懐かしい。
映画ー快楽装置と仕掛け | 山根 貞男 |
下戸の酒癖 | 玉村 豊男 |
人間の絆 | 童門 冬二 |
おととしの恋人 | 戸板 康二 |
国語の時間 | 竹西 寛子 |
ぐでん愚伝 | 塩田 丸男 |
亡くなった人の文章が心に沁みます。「おととしの恋人」は芝居を中心とするエッセイ集。江戸趣味は鼻につくけど、いいものをたくさん観ている点で独特の説得力があります。
2001年8月2日 その2
こちらは元気すぎるうちの嫁ハンのライブ紹介。
今回はご縁があって、大阪からは遠いけど、出身地の和歌山で。 なんでも、同窓会の2次会で、友人達と今和歌山で評判のおいしい店に寄ったら、 オーナーがまた幼なじみで・・・という具合でトントン話が進んだらしい。
てなわけで、チラシは和歌山向けになっています。(出身校まで書いてある) こわいもん見たい聞きたい、おいしいもん食べたい方どうぞ。 ちなみに、大阪や京都でも随時ライブをやってますので(このライブの翌日にも) また、紹介させていただきます。 |
2001年8月2日 その1
友人の「てんこく」個展の案内です。
僕が勝手に入れあげて、あちこちPRなどしています。同僚の教師(国語)ですが、ピュアで、こころ洗われる作品を作られます。是非、時間を作られて、覗いてみてください。 画廊もステキなところです。彼はずっといます。声を掛けてあげてください。 |
2001年8月1日
8月、新しいカレンダー。タカラヅカカレンダーは絵麻緒(えまお)ゆうさん。先日、雪組娘役トップ、月影瞳さんが退団発表。早くから期待され、大成したステキな娘役でした。黒木瞳さん以来の可憐なタイプ。芸能界でも通用するでしょうが、本人は結婚(引退)願望が強いようで・・・。
誰か故郷を思わざる(帰郷編)
脚に引き続き骨折した左腕の怪我で、起きあがることも不自由になり、母は参っていました。病院まで車で40分もかかることも含め、リハビリのむつかしさを痛感。医者に家でリハビリできますか?と問われて、母が無理ですと即答したせつなさ・・・。参考までにと見せていただいたリハビリ施設を見て、これなら作れると思いました。さっそく帰りにホームセンターに寄って、滑車を始めいろいろ買い込む。家に帰って母の部屋に取り付けようとすると、柱に釘を打ってはいけないなどといろいろあって・・・。
台所の外の西側の縁の下にいい場所を見つけました。雨に当たらないし、部屋の中のテレビも見れる。電話の音も聞こえる。さっそく設置。これが思いのほか気に入ってもらえて一安心。毎日励んでいます。
夜の世話が心配でした。起き上がれないので、トイレに行かないように水断ちをしていても、却って行きたくなる。できるだけ遅くまで起きて、床に就く時間も短くしている。それでも余計に行きたくなって、何度も父を起こしてしまう・・・。気になる。眠りも浅い・・・その気持ちわかります。
で、そこはかんちゃんの逆転の発想。爆睡すればいいのだ。夕食時に母にお酒を勧める。もともと飲める人(私の母です)。チューハイでご機嫌になり、良く眠れた様子。夜中に起きるのも一回位に。弟夫婦はじめみんなの称賛を得て、私も鼻高々(笑)。添い寝しても気を遣うので、携帯電話で呼んでもらうことにする。こちらも安心して眠れるーでも、やはり気になって、何度も様子を見にいってしまう。こちらはやはり寝不足になってしまいます。