Kan-Kan の雑記帳


2001年9月23日

大阪ええとこいろいろ


 23日、秋晴れの1日、夕刻テニスを終えて、サクラ坂の友人宅へ。それから二人、車で、河南町平石の高貴寺(こうきじ)へ。前から行きたいと思っていたけど、機会がなくて・・・。車で約10分。南河内グリーンロードから2,3分入ったら落ち着いた山中の集落が始まる。数十軒の落ち着いた古い家並み。その尽きる坂の上に目指す寺が。

 無住と聞いていったのだけれど、立派な間口の広い庫裏に明かりが点り、話し声も。彼岸だからかもしれない。参道も手入れされている。夕闇迫る境内を散策。見事な本堂をはじめ、裏の坂を更に登った奥の院も見事な作り。どうみてもこの小さな集落だけの寺ではない。起源は奈良時代に溯り、さらに平安時代に大きくなり、南北朝で試練を受けと、かすかに読める案内板でも歴史の深さを感じさせられます。

 静かな山懐の隠れ寺として、今後脚光を浴びてもおかしくない。いや、観光化しすぎずに、なんとか荒廃から免れて欲しいと、木立からのぞく半月を眺め、虫の声を聴きつつ思ったことでした。

2001年9月22日

曼珠沙華   南河内の  明るさよ       草城


 文化祭はすばらしい秋晴れでしたね。河南町でテニスをしながら、今ごろはなどと考えていました。

 さて、ひさちゃん、Tシャツ当選おめでとう((「ひさちゃんのひとりごと」参照)。EAGLESと小さく入っているというのがニクイですね。ロゴは目立たないほうがシブイ。それと子供時代に懸賞で黄金バットのマントと杖が当たった話。あの髑髏のマスクはついていなかったのですか?

 ところで、この夏参加した日本横断マラソンの時、知り合った人から、谷川真理さんのサイン入りTシャツをいただきました(彼女が横断マラソンの趣旨に賛同して寄付してくれたものだとか)。資生堂時代(今は所属が違うらしい)のあのピンクとグレーの縦カットのユニフォーム姿を思い出して興奮、それを着てがんばって走ったのですが、洗うのがもったいなくて・・・(笑)。やはり飾っておくべきものだったのかなあ。

2001年9月21日

 明日は長野高校の文化祭ですね。昨年はお騒がせしました。今年も水泳部やB先生からお誘いいただきましたが、もう失礼しようと思っています。秋空の元、盛況でありますように・・・。OBとしてこころから祈ってます。

おいしいもん大好き

 日ごとに秋めき、朝夕冷気を感じるまでになりました。酒屋のガラス棚も一気に秋。ビールも秋の商戦です。恒例の「秋味」に対抗して、サントリーは「味わい秋生」(これも発泡酒ですが)を発売。いずれも鮮やかな紅葉をあしらって、目を引きます。味は?ようわかりません。残暑の中、帰って来て、一気に飲んだのでは評定のしようがない(笑)。

 ぼちぼち日本酒が恋しい季節ともなりました。友人の大工さんが棟上げで貰った酒のおすそ分けを、燗してちびちびいただいて、秋をかみ締めている連休前の宵です。

2001年9月20日

 人間の醜さ、弱さ、強さ、すばらしさ・・・いろんなことを考えさせられた1週間でした。

 単位制高校は今、前期学期末。考査の採点やら出席集計やら慌ただしい中で徹夜の作業の後、行ってまいりました、大阪ドーム。西武との首位決戦の3戦目、ほっとけません!

 10数年ぶりのマジック点灯に経験者の少ない近鉄はがちがち。1回のチャンスも主軸の中村や礒部が見送りの三振。こりゃあかんわ、しょうもないミスで3点先行されて、意気消沈かと思いきや、ここからが今年の近鉄。追い上げて同点。また離されて7階の裏、磯部の起死回生の3ラン。場内大興奮。隣の友人と躍り上がって抱き合う。友人は泣いている。両チーム戦力のすべてをつぎこんでもつれにもつれ、1点差。8回表から守護神、大塚投入。幼い頃両親を亡くして叔父さんに育てられたという彼の話をしながらとなりの友人は、また泣いている。選手は息子の年配だものなあ。ウエーブが場内を何周も回る。大田府知事も来てはる。立ち上がってはる。8階裏、ローズは三振。9回表、最後は場内を揺るがすオオツカコールの中、カブレラなどクリーンアップを仕留めて試合終了。万歳、応援歌熱唱。ヒーローインタビューはもち、磯部。もみくちゃ。

 死ぬ前にこんな近鉄のゲームを見れてよかった、阪神ファンに申し訳ない、21世紀中にはもうないやろなあという帰りの車中の人々の声。みんな上気して饒舌。これでマジック5。4時間の熱戦。11時半に帰って体重計に乗ったら1キロ太っていました(なんでやろ?)。 

2001年9月11日

 10日の夕焼けご覧になりました?茜色というよりオレンジ色に世界が染まって、一種異様な感じでしたね。学校で眺めていたのですが、校舎や周囲のマンションも同色に染まって、別世界の様でした。瞬時、思ったことは、屋内や地下街で働いてはる人は見られないだろうなということ。ちなみに、うちの嫁ハンは家を飛び出して眺めていて、また鍋を焦がしたらしい。家に辿り着いたら焦げ臭いこと・・・。

 いっちょかみの息子Aがわざわざ気象庁に電話して問い合わせたところ、様々な条件が合致して生じる珍しい夕焼けだったのだそうです。

 こんな夕焼け、昔、何度か見たことがあるような気がする。でも、なんや不気味やなあ、いやな事件も多いし・・・と言い合っている時に、世界貿易センター炎上、続いてペンタゴンも・・・の特大ニュース。ちょうど居間のテレビが壊れていて、2回の息子の部屋のテレビと、居間のインターネットで情報収集。毎日新聞のHPが一足早い様ですね。

2001年9月8日

最近ながめた本


「長安旅遊」  学研グラフィックブックス

 いつかは行きたい街のガイドブック。寝る前に読みながら必ず行くぞと夢を膨らませる。細かい市街地図や関連の漢詩など読んでいると却って目が冴えてきます。

「橋」  平野暉雄

 川大好き人間、というより橋が好きだから川が好きなのか自分でもわからないくらいの川と橋ウッチャーの私。毎日、大和川を東から、昭和橋、大正橋をかすめ、明治橋を越えて通勤しています。土木工学の専門家で写真家である平野氏が捉えた日本の橋の数々。明石海峡大橋から名もない石橋まで125橋。行ってみたいのはダムで水没して渇水期に現れる北海道のタウシュベツ川橋、熊本の通潤橋、大窪橋・・・。いつか行きたい。

2001年9月7日

 某週末、テニス仲間と恒例のサマーパーティーを富田林で開催。ここ数年なぜか私が幹事役。焼き肉で食べ放題、飲み放題のあとカラオケへ流れるというパターン。7時半から11時45分までセッティングしていたのですが、終わってみたら12時45分。みんなのたくましさに感服。でもこのメニュー(5時間)で男性5500円、女性5000円は安いでしょ!

 集まった面々(12人)は大工さん、会社員、主婦、研究者、美容師、OLとまさに様々、年齢も20代から50代まで・・・。これが実に楽しい。職員仲間もいいけど、やはり職種の違う人々とのふれあいは新鮮で、話題沸騰、抱腹絶倒の中で、勉強させていただくことも多い。仲間にも恵まれて、やはりテニスはやめられない。(転勤を機にスイミングは辞めてしまったけど・・・)

 翌朝(日曜)は月一の早朝座禅の日。自己嫌悪に苛まれつつ、二日酔いの頭を抱えて、6時過ぎ迎えに来てくれた友人(これは昔のスイミング仲間)の車に乗り込む。前に一度ひどい目に遭っているので、今回は無理せず、前半は足を組まず正座して隅に控える。後半も吐き気がし、胸がむかつくので(苦笑)力を抜いて軽く組む。これが却ってよかったみたい。いつものように耳が外部の音に過敏になることもなく、頭の中の音を静かに感じていた。幾万もの(108なんてもんじゃない!)煩悩が少しだけ減った気配(笑)。

 午後はもちろん、昨夜の仲間達とテニスでアルコールを抜き合う。終わった後、昨夜の写真(もう出来てる)を見ながら、みんなでまたビール(まったく懲りてまへん)。

2001年9月4日

 某日  嫁ハンの父方のお祖父ちゃんの27回忌に大阪市内の某寺に。結婚前に亡くなられたので一度もお会いしていないが、3回忌からの法要に顔を出しているので、なんとなく親しみあり。この時だけお会いできる人々に会うのも楽しみ。

 マンションの谷間の墓所は昭和20年の大空襲の名残で墓石が焼けて黒ずんでいる。17回忌以来十年ぶりに中に入った本堂は、代替わりした新しいご住職(30代)が改築して、すべて椅子。教会みたい。楽だけど畳もなつかしいような・・・。

 法要の後の宴会は大川を見下ろす料亭で。昔話に花が咲く。本家筋の若奥様(80才!ということは、大奥様が99才で矍鑠としてはる!)の故人の思い出話。「まあ、趣味の多い方で、仕事(青果商)を退いてからも、戦争中やのに、朝からお酒を飲んで、三味線弾いて、太鼓たたいて、長唄唄うて・・・ハラハラしたけど、粋な方やったなあ。」生きてはる間にお会いしたかった。


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