Kan-Kan の雑記帳


2002年1月31日

 外務省のドタバタ、いや部外議員の干渉から来た国会の混乱、そして、深夜の解任劇。外務省の膿を出すために送り込んだ人材(田中さん)だから、そして、その成果は上がっているのだから、リスクはしょっても、小泉さんは最後までバックアップすべきではなかったでしょうか?例によってうやむやに終わらせるつもりか?彼の地金が見えてきたように思います。

 外務省の腰の弱さは今に始まったことではありません。外に弱く、内に強く・・・。姪の中国での客死事件でも痛感しました。真相を追究しようとする姉夫婦にあからさまな圧力をかけてきたのはその例です。建築関係の仕事をしている義兄に対して、職場にまであきらめよ、これ以上動くなといわんばかりのプレッシャーをかけました。義兄は生活もあり、しばらく動きを控えたくらいです。(もちろん、あきらめませんでしたが・・・)頭の良い人達が集まっているはずなのに、なんであんなに頭が固くて、権威に弱く、融通がきかないのでしょうか?引っ張ってますが、この話もいよいよ始めなければ。

2002年1月26日

もっと京都

 2001年12月12日午後8時、京都南座、顔見世の夜の部、最後の幕は「乗合船恵方萬歳」(のりあいぶねえほうまんざい)。歌昇、かん雀、孝太郎、菊之助、愛之助、進之介、扇雀の若手の御曹司と呼ばれる7人が、それぞれ江戸の人物に扮して、そして七福神になぞらえて、粋に、華やかに踊る。短い幕だけど、それぞれのライバル意識が火花を散らして、見ごたえのあるものでした。できれば、夜の部の最初にもってきてあげたかった(最終幕は帰る人もいるのです)。やはり、若さは、動きに勢いがあり、技術はともかく(そんなのこの場合どうでもいい)、姿も美しく、「花形」と呼ばれる意味はあるのだなあとつくづく思いました。暖かい拍手が場内をつつみました。

 舞台がはね、9時前、千人を超える人々と共に、どっと南座の外に吐き出されると、師走の京の町はすっかり夜の装い。大阪より暗い(そこがいいのだけど)。行き交う人の多くは、コートを深くまとい、足早に、そしてカップルはゆっくりと・・・。河原町に流れる人に逆らって、足は東に。祇園へ。

2002年1月25日

行く人来る人

ペギー・リー

 ベテラン歌手。享年80才は超えていました。ものごころついたころからオトナの歌手でした。ゆったりとして貫禄十分、厚化粧で、セクシーな声で、ゴージャスなドレスで・・・。アメリカ文化(音楽)への反発と憧れをこの人に感じたものでした。

イヴ・サンローラン

 引退発表。モンドリアンドレス、シースルー・・・。ファッション界を引っ張ってきて、疲れはったのかな。つぎつぎ定期的に独創的な作品を発表しなければならないというプレッシャーはすごいものだったでしょう。芸術性と採算性の共立も。ま、休んでくださいというところ。でも、戻ってはこないでしょう。
奈良へ行くなら

 1月14日、午後2時、当麻寺の門前はぼちぼちの人出でした。蕎麦屋を出て、友人とゆるやかな坂道を下りながら両側の土産屋をひやかす。1軒の店先の観葉植物に小さな札があり、詩のようなものが。近づいて読んでみると金子みすずの詩。同行の友人はこの詩人を知らなかったらしく、ちょっと説明していると、たまりかねたようにこの店の女主人が話し掛けてくる。

 金子みすず、いいでしょう?なにごとかと思うと、ご夫婦揃って、彼女のファンで「奈良みずずの和」の代表なんだって。定期的に愛読者のつどいを開き、遺児であるみすずのお嬢さんとも交流があり、2月にはこの店で、研究者を迎えて講演会を開くとか・・・。そのような会が各県にあるとは聞いていたけれども、まさかこことは。話し込んで、お茶をいただき、お土産にみすずの詩のカレンダーまでもらう。友人は興奮していました。

 短い時間におもろい体験のいくつか。古市の駅に着いたらまだ3時。こんなゆるやかな旅もいいものです。奈良は近くて、奥が深くていい。

 例の土産屋は「和」(かず)0745−48−4552です。

2002年1月24日

大阪ええとこ

造幣局

 社会見学で行ってきました。参加生徒12名。財務省の直轄で、ここは貨幣のみ。工場はあと東京と広島に。紙幣は印刷局の担当なのですって。貨幣工場はすべてコンピュータ制御。清潔で広々としているが、ガラスのこちら側からはよく見えないのが残念。おもしろいのは裏(?)の大川端にある貨幣博物館。時価1億5千万円の大判(見るだけ)やら、金塊(触れる)、千両箱(持てる)があったり、貨幣の検査が出来たり、私(引率責任者)も生徒も集合時間を忘れて遊んでいました。おすすめポイントです。人も少ない。もちろん無料。

 案内の女性2人もそれぞれ素敵でした。

 名物の桜(120種類の八重や枝垂れ)も前に下見で訪れた時より、蕾が大きくなっていました。係りの人が蕾を摘んで、重さを量っていました。「今年の花」は未定とのこと。

 それにしても、ワールドカップの記念硬貨の発売の遅いこと。もちろん私には高くて買えないけど、韓国はすでに発売中(日本でも手に入る。4万円くらい)。マニアはひたすら待っているようです。このあたり、財務省、商売へたやなあと思います。お役所仕事といえばそれまでやけど。

2002年1月22日

 新潟の少女を9年間監禁した事件の判決のニュース(懲役15年)に、テレビの前で「甘い!」と叫んだのは私だけでしょうか?我が親友Tのこの件について主張する「のこぎり引きの刑」は極端としても、少女とその家族のかけがえの無い時間をぶち壊しておいて、「精神不安定だが刑事責任は問える」(だったらしっかり問え!)「待つ母親がいる」(被害者の家族の気持ちはどうなる?)
 求刑を減じた判決は解せません。

 中国で客死した姪(姉の娘、当時21才)の3回目の命日が巡ってきました。四国で両親が、弟夫婦が、京都の姉の家で義兄が今夜、念仏をあげています。姉は祈りません。まだ、神仏に向かい合う気持ちになれないようです。この事件はわが一族のみならず、世間的にも大きな波紋を呼びました。(いや、呼ばせなかった?)昨年(正確には1昨年から昨年にかけて)訪れた中国の話をそろそろしようと思います。

2002年1月20日

奈良へ行くなら

 当麻寺の前で午後1時前。お腹が空いている。先刻の酒も効いている。目的地はひとつ。山門前の蕎麦屋。ここは、1日一定量しか作らないので売り切れが早い。座敷はいっぱいで、カウンターの隅をやっとゲット。せいろ大盛りを注文し、ビールを飲みながら待つこと20分余り。やっと出てきました。ここの今年のせいろのそば粉は山形産とか。流石にウマイ。蕎麦湯もいただいて満足して店を出ると、本日売り切れの札が。がっかりして立ち去る人がいる。まだ2時前やで・・・。ラッキーでした。

2002年1月19日

「山の郵便配達」

 セリフの少ない映画なのですが、印象に残る言葉がいくつも・・・

 息子のナレーションで「父は一度も振り向かなかった」

 バスも通る道があるのにと言う息子に

 「道は歩くものだ」

 歌いながら歩く息子から歌わないのと言われて

 父「仕事中に歌うなんて・・・。」

 山の上の牛飼いの少年、学校は?と問われて

 「おじいちゃんが、お前は賢いから学校へ行かなくて良いと言ったので、中2から行っていない。通信教育で勉強して将来は新聞記者になる。」

 それぞれに含みがあって心に響きました。
 やはり原作を読まなくてはと思いました。

2002年1月18日

「山の郵便配達」

 久しぶりに大きいスクリ−ンで映画を見ました。1999年の中国映画。舞台は1980年代の湖南省の山深い地域。2泊3日で険しい山々の村を巡る郵便配達夫。年老いて、足を痛めて息子に仕事を譲り、2人で最初と最後の配達に出かけます。美しいカメラ、さりげないけど計算され尽くした、アングルと色調、クレーンカメラなどもさりげなく使用、おきまりのパターンをそのとおりに描いて、飽きさせない演出と演技はすばらしい。犬が旨く使われていています。緑深い村村、山、懐かしい自然と人の表情が、人情があふれ、切ない親子の交流と仕事の厳しさが伝わります。現代中国映画の底力と奥深さを思い知らされる佳品です。原題は「あの山、あの人、あの犬」。さっそく本を探します。23日までサンケイホールで上映中。おすすめ。

2002年1月16日

 今日の花   デンドロビューム  花言葉  「思いやり」

 前に触れた土師ノ里駅前のビラ撒きの婦人。先週お姿を見掛けず、心配していましたが、今週はいてはった。安心。

奈良へ行くなら

 石光寺から当麻寺に向う。途中、昔(20年前)訪れたことのある造り酒屋に立ち寄る。「偕老」というその酒造は今も作りつづけている様子。小売りの店を出しておられるので、そこで2合瓶を求める。新酒は出来ましたかと聞くと、奥さんが、12月24日に出来ました、飲んでみますか?とのこと。もちろん、是非。まったりとしているが、甘くはない。程々に引き締まった良い味。ラッキーでした。同行の友人はことの成り行きに驚きつつ、お酒のおかわりを・・・。すきっ腹に効きます。

2002年1月15日

行く人来る人

川野純夫さん

 川野さんというより「カモカのオッチャン」のモデルとして有名。田辺聖子さんの夫で、ファンにはおなじみのキャラクターです。もちろんその発言とされるものは、デフォルメされ、聖子さんによる創作の部分も大きいのでしょうが、それを笑って、時に叱り、冷やかし、たしなめるとこも含めて懐の深さを感じさせる人物でした。

 大阪のおっちゃんの典型のように言われますが、実は奄美のご出身。もともと聖子さんの親友のご主人だったのです。奥さんを亡くし、子連れで、それでも元気で、洒脱に遊び倒していた川野さんに聖子さんが惹かれたのはわかるなあ。

奈良へ行くなら


 鳥谷口古墳から石光寺(せっこうじ)へ。ゆったりしたたたずまいの好きな寺です。今回は寒牡丹を見に行ったのです。ところが盛りは過ぎていて、白牡丹は色を変え、ピンクも散り急ぎ、真紅がまだ見所を残しているという感じだったのですが、どこからか漂ってきた香りにドキ。みると紅梅がもう咲いているのです。何本も。日差しも柔らかで、庭の散策しながらすっかり梅見気分になりました。

 

2002年1月14日

奈良へ行くなら

 好天に恵まれた三連休最後の1日。

 テニス仲間と万葉ハイキングに。

 目的地は近年、二上山山頂に代わる「大津皇子の墓説」が浮上している、「鳥谷口(とりたにぐち)古墳」。午前10時。近鉄二上神社口で降りて、駅でマップをもらう。二上山に向って歩き始めると、消防団の人達が軽トラックに青笹を積んで走る姿をあちこちで見かける。後でわかったことだけど、これは「どんと」に使うものだったらしい。

 まず、山裾の二上神社に参る。本殿に雉が迷い込んでいて、われわれに驚いて逃げ回る。気になって早々に退却(雉は無事に外に出れたかな)。気持ち良い道をゆったりと歩いて南へ。半袖で歩いている人もいる。刻刻と山容を変える二上山が美しい。集落の家はどこもどっしりして歴史の重みを感じさせられる。でも、掃除が大変やろうなあ。

 山の真東から上り坂にかかり、傘堂を過ぎて、最後の溜め池の側、登山道に入る直前に目指す古墳が。思ったより高いところに、きちんと整備されて明るい冬の日差しの中芝生に囲まれて光っている丘。罪人として処刑された人だから、谷あいの目立たないところにひっそりあるようにイメージしていたのでちょっと意外な感じ。訪れる日の天候によって印象も違うのでしょうね。

 丘の上からは耳成山や香久山が真東に見える。石室が見える構造になっていて、石棺は157センチと70センチ。皇子のイメージにしては小さい。目の下の池からは鴨の鳴く声が聞こえて、皇子の最後の地、「磐余(いわれ)の池」を連想して胸迫るものがありました。

 道には近くの釣り堀への客と登山客の乗ってきた車がいっぱいあり、ハイカー達が次々過ぎて行くけれど、静かで、道のすぐ傍にある掲示や、その上の丘の古墳に気づく人は少なく、訪れる人もわれわれの他はいない。ゆるやかな時間が過ぎて行きます。ビールを持ってくればよかった。

2002年1月13日

行く人来る人


アンリ・ベルヌイユさん

 フランスの映画監督。ずっとフランス人と思い込んでいましたが実はトルコ出身だったんですね。「ヘッドライト」「地下室のメロディ」など、アメリカ映画とは一味も二味も違うリアルで切ない味わい。娯楽作品にも映像に人生の陰りと深みがありました。

春野寿美礼(はるのすみれ)さん

 宝塚花組の次次期トップスターに決定、最近では若いトップです。

 次期トップの「匠ひびきさん」が就任前になぜ急な退団を発表したか、やっとわかりました。実は匠さんは2000年に舞台で骨折、昨夏復帰したばかり。本人は年齢、体力などを考え、その時点で退団を決意していたらしい。しかし、そこへトップの座が廻ってくる人生のおもしろさ。結局、引き受け、トップお披露目が退団公演になるという異例の事態に。

 トップを断るには歌劇団の都合や後の人材のこともあったのでしょう。本人も一度はトップに立って、あの大階段を降りてきたいと思っただろうし・・・。2002年の年間上演作品の発表の為に退団を発表せざるを得なかったのです。

 春野さんは初舞台の時から将来のスターと言われていた華やかな存在。昨年キムタクとコマーシャルで共演して話題になりました。順当なところです。でも「ダンスの花組」で、歌が中心のミュージカルの大作「エリザベート」でトップ披露というのはプレッシャーも大きいだろうなあ。健闘を祈るのみ。

2002年1月12日

 冬季オリンピックが近づいて、テレビでもウィンタースポーツが頻繁に取り上げられるようになりました。好きなのはスキーは滑降ーあのスピード感がたまりません。そしてスケートはもちろんフィギアです

 今回は女子は贔屓のブッデルスカヤ(ロシア)がメダルに届くかどうかというところ。優勝候補のミシェル・クワンやスルツカヤは個人的に趣味ではない(笑)。それより面白いのは男子のほう。本田クンはまだ不安定ですが、ヤグディンとプルシェンコのロシア2人のハイレベルな金メダル争いがものすごいみたい。五輪に向けて世界各地で開かれている大会でも、勝ったり負けたりで予測がつきません。

フィギアスケートは優雅に見えますが、何年か前に、「なみはやドーム」ヘNHK杯を見に行った時、ジャンプのドシン、ドーンという音の大きさ、選手の汗に圧倒されました。膝や腰や足首に悪い、激しいスポーツやなあと思います(笑)。

 子どもが小さい頃、「狭山遊園」(今は無い)のスケートリンクへよく行きました。なつかしい。今は生駒山頂にもあるとか。厚い手袋をして、マフラーしてゆっくり滑ってみたい。バックで滑る練習をし始めていたのです。2人で滑るのもいい。ペアはもちろん、競技としてもアイスダンスは見てても楽しいものですね。

2002年1月7日

おいしいもん食べたい

「七草粥」

 今まで七草が揃わなくてもあり合わせでやってましたが、ちゃんとスーパーでセットで売っているのですね。300円くらい。これがおいしかった。

 おかゆは大好きです。子どもの頃は風邪を引いた時しか(したがってめったに)食べれなかったけど、結婚したら、嫁ハンが和歌山の出身でかゆをすぐに炊く。奈良、和歌山ではかゆは常食なのですね。二日酔いの時には最適。茶粥もいい。芋とかは入れないで、シンプルなのが好きです。

 それにしても、京都の「瓢亭」の朝粥、5000円とかいうのは、(食べたいけど)やはり高いですよね。湯豆腐もこれに同じ。

2002年1月5日

 寒い夜、嫁ハンの入れてくれたココアを啜りながら。

 年賀状の返事を書き終え、来週からの準備をしつつ、夜が更けて行くのを楽しんでます。冬の週末は夜の長さがいいのです。

 元日からおめでたい(?)ニュース。エリック・クラプトン(56才)が再婚。相手、メリアさんは25才!。2人の間にはすでに6ヶ月の赤ちゃんが。うーむ。

行く人来る人

小栗一也さん
 味のある脇役。出演していたNHK「バス通り裏」は40年前、午後7時のニュースの後の帯ドラマでした。なつかしい。78才。

旭輝子さん
 粋な年増や、しゃきしゃきしたおばあちゃんを演じていましたが、もともと松竹歌劇団のスターだったのですね。神田正輝のおかあさん。77才。

ジュリア・フィリップスさん
 女性映画プロデューサーの草分け。あのハリウッドで映画を作り、アカデミー賞を受賞(「スティング」で作品賞ー作品賞は製作者に贈られます)したのですからスゴイ。「未知との遭遇」、「タクシードライバー」など名作もたくさん。57才での癌による死は早すぎます。

朝比奈隆さん
 もう、いうことなし。でも、第九に送られて、大往生ですよね。93才。
もっと京都

 12月22日、午後7時、京都南座「助六桜の二重帯(ふたえおび)」(よく上演されるのは「助六由縁江戸桜」の方ですが)の幕が開きます。数ある歌舞伎の舞台でも最も華やかなものでしょう。板付き(はじめから舞台に出ている)で居並ぶ、着飾ったおいらん、かむろ、客をふくむ江戸吉原の大店、三浦屋の店先。その数30名くらい。場内ため息。真ん中に控えるのが、今をときめく太夫、揚巻(あげまき)。中村雁治郎が目を奪う豪華な衣装で堂々の貫禄です。客の髭の意休(いきゅう)とのやりとりのあと、花道から主人公、助六の登場。10代目坂東三津五郎が初役で懸命に努めます。

 江戸の男前の粋と意気。ちょっと柄が小さいのが残念。まだ大きく見せるところまでは行きません。これを機に、この役を自分のものにするか、やはり本来の市川家(団十郎)に役は戻って行くのか(題名が変わっているのもその遠慮から)。現団十郎はイマイチですが、息子の新之助が力と人気をつけてきているので微妙なところ。歌舞伎界の人的バランスも考えてしまう。それほどの意味のある舞台、それほどの大役でもあったのでしょう。三津五郎はポイントは大きくないけど、及第点ではあったように思います。

 ちなみに「助六寿司」というのはこの助六の恋人、「揚巻」の「あげ」と「まき」から来ているのですね。
 

2002年1月2日

 みなさん、明けましておめでとうございます。このコーナーへのアクセス、ありがとうございます。今年も眠気と戦いつつ、「よしなしごと」を書き綴らせていただきます。どうぞよろしく。

 この正月は自分の体調不良や義母の予後もあり、いつもの帰省をしないで、大阪市内のホテルで中年、老年夫婦4人で迎えました。息子2人はクリスマスから年末にかけて、ひたすらバイトに明け暮れていました。贅沢するのは30年早い(笑)。

 カウントダウンは梅田シティの広場で。あっという間に人々が集まり、新年を迎え、花火が上がり、そしてさっと散って行く。こちらも早々に引き上げる。ホテルの高層階の広いガラス窓を通してみる、梅田界隈のビルの夜景が美しい。特にハービスオオサカの星明かりのような屋上の灯りが素敵です。

 元旦、ホテル内の料亭で凝ったおせちをいただき、風呂に入り、テレビで勘九郎の「鏡獅子」を見て、午後ホテルのバスで住吉大社に初詣、夜はテレビでウィーンフィルの「ニューイヤーコンサート」。小沢征爾の指揮は見事でした。


 そんなしあわせで非日常的な大晦日から元日を過ごしているあいだ、現金なことに頭痛も腹痛もなし(苦笑)。あたたかいホテルの中にいたせい(ずっとシャツ1枚)でもあるのでしょうが・・・。情けないことです。分不相応な時間を持ってしまいました。これを区切りのよい想い出にして、今年は心身共に立て直したいと思います。

 2日夜、帰宅して、初芝居「文七元結」(ぶんしちもっとい)をテレビ中継で。落語から歌舞伎に移築されたいい話です。江戸末期の貧しくとも善意に満ちて、支え合う人々の涙と笑い。吉右衛門、玉三郎の心のこもった演技。泣かされました。

 更に深夜、懐かしいテレビドラマ「天城越え」の再放送。23年前なのに細部まで憶えている。さすが 和田勉のダイナミックな演出と大谷直子、宇野重吉らの名演技。堪能しました。目の表情の細かいアップ、自然描写の挿入のうまさ。人間の業があぶりだされます。


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