Kan-Kan の雑記帳


2002年10月27日

最近読んだ本

不良中年は楽しい  嵐山光三郎

 単なる生き方論でなく、自身の生き方の裏づけがあるから、説得力あり。非行と不良は違うー非行は人倫にもとるが、不良は常識にこだわらないだけ。共感した私はさっそくネクタイを半分、処分してしまった。

ビデオ世界遺産   ドイツ

○ケルン大聖堂

 ライン岸辺に聳え立つすごいスケールの聖堂。600年あまりをかけて、作り上げたその信仰の強さと、神への思いに打たれる。

○トーリアのローマ遺跡、大聖堂、聖母マリア聖堂

 ローマの遺跡がドイツにここまで残されているとは。帝国が大きくなり過ぎて、大きな拠点をあちこちに作らざるを得なかったのですね。

○ハンザ同盟都市リューベック

 「ハンザの女王」と呼ばれたバルト海沿岸の自由都市。建物のデザイン、色が美しい。美的統一がある。昔の京都もこういう美しさを持っていたのだろうと思う。ゆっくり歩き回ってみたい。

中国への旅 6

 訃報を聞いて、すぐ京都の姉の家に駆けつけようとしたのは、今から思えば短慮でした。当時、パスポートを持っていなかった私は、真っ直ぐ天王子へ行って、パスポートセンターで事情を話して、交付してもらうべきでした。車で高速を飛ばし、たどり着いた姉の家は、帰宅したばかりの義兄が電話にかじりついて、外務省、大使館、旅行社との連絡、対応に追われている。(これは深夜まで続いた)姉は呆然としたまま。父は無言。

 交渉、相談の末、翌日の便で北京経由で現地に入ることになったが、一緒に行って欲しいと言われてもパスポートが無いため、行けない情なさ。結局、姉夫婦とパスポートを持っていた父(その前年、中国を訪れ、姪と三峡下りをしていたの3人が行くことになる。翌朝、3人を送り出し、四国から駆けつけた母を迎え、留守部隊として、現地との連絡と、マスコミ対応に当たることになったのです。

2002年10月26日

戦争を終わらせるために、武装して、劇場を占拠し一般市民を人質にするーそれに特殊部隊が突っ込む。暴力の連鎖から解き放たれることはないのですね。

行く人来る人
小倉寛太郎さん

 山崎豊子さんの小説「沈まぬ太陽」のモデルになった方。元日本航空労組委員長。会社の組合分裂政策でアフリカの地を転々と動かされ、たらい回しされる、それでも挫けず、やがて本社に戻るが、御巣鷹山の事故が起こり、その事後処置に奔走する。組織の非情さを暴き、雑誌掲載中にその雑誌が、日航機内には置かれなかったという伝説を生んだその張本人。退社後はどのように過ごしておられたのだろうか。

笹沢佐保さん

 働きすぎです。月産800枚なんて、人間の能力を超えていると思う。作家として幸せだったかも知れないが・・・。

山本夏彦さん

 もっと長生きしはると思った。憎まれっ子世にはばかるを、意識して実践しておられたのに。このヒトを恨んでいる人は多かったやろなあ。銀行、生命保険会社などぼろくそ。しかしまさに小骨のある文章で、読み応えありました。向田邦子さんを真っ先に激賞したのもこの人と山口瞳さんでした。目の利くうるさいご隠居がまたひとり減りました。胃がん。

ノルベルト・シュルツさん

 ドイツの作曲家、「リリー・マルレーン」を作った人。あのドイツ出身のデートリッヒが連合軍の慰問に唄った歌として、世界中に知られました。古い詩に、なじみにバーで酒を飲みながら数分でメロディを付けて、レコードも売れなかったのに、時を得て、超有名曲になってしまった。この曲以外に大ヒットはない。そんな歌の作曲者ってどんな心境だったのだろう。

アドルフ・グリーンさん

 「雨に唄えば」はすばらしいミュージカルでした。その作詞者。そして名曲「ニューヨ−ク・ニューヨ−ク」、「踊る大紐育」は観ていないけど、シナトラ、ライザ・ミネリ、サミー・デービス・ジュニアの歌、そしてスコセッシの映画、それぞれに素敵でした。
香寿たつき、渚あきさん

 タカラヅカ星組のトップコンビが揃って退団。思えば、香寿さんは16年目のトップ昇格からわずか1年。16年前の花組の時から知っている。実力も花もある若手スターだったのに、組変えで行くところ総てに上が詰まっている。月組で6年前にトップになれたのに、当時のNHKの特集で過度に取り上げられたのが災いして(と、私は思っている)思わぬ回り道。でも、諦めずがんばってタカラヅカをまっとうしました。えらい。相手の渚さんも、娘役として異例(14年目ー黒木瞳は2年目)の遅いトップ、こちらもがんばらはったねえという感じ。ごくろうさま。

成瀬こうきさん

 こちらはトップになり損ね、専科に移り、中堅スターのまま、惜しまれて退団。このような人もいる。ユニークな男役でした。それはそれでよかったと思う。トップがすべてではない。

紺野まひるさん

 こちらは入団してすぐ、役がつき、あっというまにトップ娘役に上り詰めて、退団してゆく。美しい人だが、ものすごく疲れているみたい。記者会見でも、笑顔だがやつれている。しんどかったんやろなあ。早く認められるのも辛いものかもしれない。
 

2002年10月21日

 不思議な夢を見ました。一人の転校生がやってきて、いろいろあって、そして卒業してゆく。夢の中で完結してしまう。彼(名前も顔も憶えているー長谷川(ながたにがわ)クンー彼にはいつかどこかで出会うのだろうか、それとも今、どこかにいて、もうすれ違ってしまったのだろうか?


映画ダイスキ
 
「ハリウッドにようこそ」

地味ながら、よく出来た映画です。スターを目指して、ハリウッドへやって来るたくさんの人々、その中からオーデションで1人を選び、彼に名前を付けて、スターとして売り出すプロジェクトの過程を、ドキュメンタリー映画に撮っているという凝った体裁。選ばれた男は、顔はいいが年は食っているという設定。さまざまな映画や、監督のオーデションを受けて、落ち続け、売り出すためにスキャンダルもセッティングされる。妨害も受ける。その過程で、たくさんのスターや有名監督が本人の役で特別出演するという仕組み。アカデミー賞授賞式も背景に使われる。最後まで売れなくて、カンヌ映画祭で命を賭けて一発勝負に出て・・・皮肉な結末も、うまく用意されている。俳優もいかにもそれらしく、手撮りのぶれた映像も臨場感を出しています。
 
「インビジブル」

 「透明人間」のリメークですが、映像処理の目覚しい進歩で、透明人間が出来上がる過程がリアルで迫力あり。でも、話が暗く、広がりが無く、天才学者の思い上がりと破滅の話に終わっているのはつまらない。透明になりたいという人間の微妙な欲望と夢がもっと描けないと・・・。深い地下実験室でのアクションも緊迫感より、却って、せせこましい感じ。主演のケビン・ベーコンはこんな役が最近続いて、力演だけどもマンネリ。エリザベス・シューはせっかくの人間的魅力がもったいない使われ方。もっと面白く出来た題材なのに残念。

2002年10月20日

 正月恒例、箱根駅伝の予選会が開かれました。もう、年末と言える時期なのですね。そういえば、クリスマスグッズが売り出されている。気が早いとはいえません。忘年会の予定がもう2つ入っている私です。

最近読んだ本

「深夜のヒマ人」 田辺聖子

 ちょっと古い(20年前)エッセイだけど、味がある。今よりも少し色気に富んで、老いを感じ始めた感覚は自分に近くてよくわかる。「気張らんとまあ、ぼちぼちに、いきまひょか」。旺盛な創作活動をしつつ、この意識。あちこちにちりばめられた俳句もいい。「牡蠣鍋や 老いてちまたに 埋もれん」。

「世界で一番いとしいあなたへ」岡山県新見市編

 最近流行の地方自治体による短文コンクール。乱立、食傷気味だけど、新見はなつかしい町なので許す。のろけに近い夫婦間の感謝はちょっとご遠慮願いたいが、愛情が薄れかかった相手に切ない思いを訴えるものや、散歩に連れて行ったスーパーの駐車場での事故で失った孫へのおじいちゃんからのたよりは、胸を打たれました。

「皆勤賞」  林真理子

 いつもながらに唸らされる。うまい。流行作家として、擦り切れず、ここまでやってこれたのは、優れた時代感覚と、並外れた好奇心と向上心。そしてたくましさ、正直さ。たとえば、デートの時のトイレをどうするか、そういう次元での悩み、人間の心理の綾をここまで的確に描いた女性作家はいなかったと思う。
 
世界遺産ビデオ紀行(イギリス編)

4 ウエストミンスター寺院

 外観はよく見るけれど、内部をじっくり見たのは初めて。大きく、たくさんの聖堂や会議場があるのですね。一度大火災で消失したのは知らなかった。ステンドグラスはもちろん、30メートルもの高い天井のラインの美しさ。日本とは全く異なるタイプの設計、建築のすごさを感じました。
それと議事場所。きちんと与党、野党が向かい合うかたちになっていて、その間に超えてはならないラインが引いてある。本来、議論はそうあるべきと思いました。

5 ストーンヘンジ、エーヴベリーの巨石群

 イングランド南部の平原にある、新石器時代に築かれたと思われる巨石群。瞬時に飛鳥石舞台を連想するのは、私だけではないはず。しかし、その規模、多彩さ、目的の不明な点に於いて、段違い。それに、ピラミッドまであるとは知らなかった。

6 バースの市街

 ローマ時代に温泉場として栄え、やがて廃れていた田舎町が、19世紀に貴族の保養地として整備され、見事に典雅な街並みに変身。宮殿のような貴族向けの集合住宅(巨大な半円形)などの建築が美しい。周囲の丘陵地帯の自然を計算して、それをとりいれた設計家のセンスがすばらしいんですね。
 

2002年10月19日

 「人々の心、山、川、谷、みなあたたかく美しく見えます。空も、土地も、木も私にささやく」24年の厳しい年月も、曽我さんから美しい日本語を奪うことが出来なかったのですね。拉致の5人の方の帰郷の報道に涙、涙。そして、増元るみ子さんのお父さんの死、北朝鮮、核開発の情報・・・心波立つ日々です。

 祭囃子を遠くに聴いて・・・秋祭りも、そろそろ終盤です。今日、明日の富田林、河南町で河内の祭りも一区切り。京都では21日に時代祭りと鞍馬の火祭りが行われます。十数年前に京都でこの二つの祭りをハシゴしたことがありますが、鞍馬は山中の小さな地域、そこにものすごい見物客、クライマックスの篭松明までおられないで、脱出しました。一度宿泊して、ゆっくり最後まで見たいというのが定年後の目標の一つです。ふるさと四国の秋祭りは27日、ここは「お供馬」という華やかな行事があります。今頃、その準備をしていることでしょう。

大阪よいとこ  天下茶屋

 長年大阪に住んで、これまでなにか縁の無かった町、そして気になる町でした。地下鉄堺筋線の終点は南海の駅と隣接して、乗り換えもめちゃ便利。初めての町。ちょっと緊張して、嗅覚をたよりに駅前の商店街探索からはじめる。狭い道路沿いに小さな店が軒を並べ、路地がまた縦横に走って、私の好みの下町の風情が漂う。京都とも東京の路地とも違う、飾らない人間臭さがあっていい感じ。床屋や中華の店が多い。飲み屋(特にスナック、バー)は少ない。ところどころにお地蔵さんがあるのもいい。

 駅から3分の銭湯を見つけて早速入浴。客は時間(6時前)もあって、おじいさんばかり。湯上りにマッサージ機にかかろうとすると、みんなで親切に使い方を教えてくれる。

 6時半、駅の反対側にある「山女庵」(やまめあん)で、友人と落ち合う。ここのご主人は山歩き、山菜採り、ハンティングが趣味というより生きがいで、今頃はあちこちで採ってきたきのこを出してくれるという。この日は松茸は採れなかったということで、カナダ産が出たけれど、「アミタケ」とか「ゲンショウジダケ」(?)とか、いろいろ初めて見た、聴いた、きのこを見の前の七輪で焙っていただく。酒は栗焼酎。まろやか。早いピッチで飲む。うるめを焼き、鹿の刺身が出てきた頃から意識が朦朧、気がついたら家の居間で寝てました。

中国への旅 5

 姪の死の知らせが私に入ったのは1999年、1月25日、12時50分。昼休みの時間でした。廊下で生徒と話していて、校内放送で呼ばれて、事務室に駆けつけると、「なにかご不幸があったようですよ」と親しいYさんが受話器を渡してくれる。ええ知ってます、と答えたのは、寝屋川のイトコ(父の弟の娘)の主人(41歳)が癌で亡くなって、前日、お通夜に行ったばかりだったからです。四国の父は通夜と葬儀に出席するため上阪していました。足の悪い母は四国に残っていました。その関連の連絡と思ったのです。電話は四国の弟からでした。思わず「殺された!?」と口走ったので、事務室の空気が凍りました。

 そのころ父は、葬儀に列席中。焼香の時に、緊急な連絡なのでという母の伝言で斎場の電話に呼び出されたのです。父は喪服のまま姉の勤務している学校へ走り、私は自習課題を作って、学校を飛び出し、車で京都の姉の家に向かったのです。 

2002年10月17日

 拉致5人帰国。「心配かけてごめんね」というコメントに、「あんたらが悪いんとちゃう」とテレビに叫んでしまった私です。マスコミも地域も、友人知人達も、引っ張りまわさないで、そっとしておいてあげて欲しいものですが・・・。

 友人の彫刻家のグループの展覧会が、15日、うつぼ公園で開催。そのオープニングパーティに駆けつける。木立の間にそれぞれの作品が立ち並び、その足元に花々があしらわれ、なかなかお金も掛かっています(後援、大阪市)。テニスコート脇のクラブハウスで懇親会。彫刻家って、個性的で楽しい方が多い。放送局に勤めている知人が来ないので、連絡したら、急な取材(拉致帰国の方の故郷へ)が入ったとか。まったく。

ふるさと四国

 10月6日(日曜)は曇り。家の前の畑に残飯処理用の大きな穴をひとつ掘る。村にはごみの回収はきません。これで正月までもつやろ。この日は村の役(やくー村道の整備や、掃除などの共同作業)があり、そのあとは芋煮会。本来は月見を兼ねていたそうだが、近年は休日に合わせて行われ、月は関係なくなったみたい。村の会堂(集会所)でにぎやかに盛り上がっているのを横目に、帰阪の準備。もみのままの新米60キロ、郷土の酒、夕方採ったさつまいも、トマト、ピーマン、父の丹精したぶどう・・・。車体が沈むほど積み込んで出発。雨の中を今治港へ。老親が元気な間に何遍でも帰りたい。 

2002年10月14日

 今年は金木犀が散るのが早かったとか。たしかに香りを味わった期間が短かったような気がします。

 教え子の所属する演劇パフォーマー集団「天満橋木造モルタル」公演、「続・伊円崗家の一日」を見に、高槻の現代劇場へ行ってきました。阪急高槻の駅前はいろんな個性溢れる店があって、面白いところです。歩いて5分ほど。立派なホールです。

 春の公演の続編ですが、期待以上の出来でした。大道具などは最少限で、30人以上の登場人物が織り成す大家族の一日という集団劇。演出とアンサンブルが命ですが、前回より動きもこなれ、家族とはという問いかけもきちんと届きました。(解決に甘さはありますが、続編の「お約束」ーパターンを踏襲する、外すーをきちんと踏まえているのはよかった。)

 教え子は、前回と同じ役(末っ子で双子の片割れ)ですが、比重が増え、狂言回し的役割で頑張っていました。平均年齢30に届かない集団でしょう。老け役や中年の役に無理もありましたが、みんなの演劇に対する熱い思いが伝わってきて、元気をもらえたように思います。やはり、テレビでは味わえない、生の舞台の魅力は大きいものがあります。

2002年10月12日

 ノーベル物理学賞の小柴さんの息子さんは、四国、香川の息子の在学中の大学の教授らしい。電話のついでに訊いてみると、え、あの人、息子さんやったん!と驚いている。ちゃんと新聞を読めと諭しておく。ちなみに、小柴親子の最近の会話は「ファイナル・ファンタジー」の攻略法だそうです。うちの親子の会話は、飲みすぎたらあかんぞ、お父さんこそ、でした。

 爽やかな秋空の下のテニスと思いきや、今日は暑かったですね。3時間あまり走り回って、汗びっしょり。体調がイマイチ(これでも?)なので、ビールを控えているこの数日の中では、飲むのをガマンするのが辛い一日でした。

 10月9日、10日と24時間リレーマラソンが長吉高校で行われました。恒例の文化祭の中で実施されるチャリティマラソンで、襷を繋いで200メートルのコースを走り、走った距離に応じて募金(一人200円位)をし、それでネパールに学校建設するNGOに資金を送るというものです。私は夜食(バーベキュー、焼き鳥、おでん)など裏方担当。正午にスタート、生徒は夕方下校、あとは職員とOB、ボランティア、保護者などで。風の強い夜で、月も細く、見事な星空のした、黙々と走り続ける若い先生達の姿に感動しました。朝6時、1000週目あたり、昨年もこの時間帯で走ったのですが、もう生徒が登校してきたので、若いもんに任せました。みんな元気や。24時間で1300週あまり走って無事終了、よかった。ネパールの小学校建設への寄付は亡くなられた先々代校長の遺志でもあって、長吉高の職員を中心に列島縦断マラソンはじめ、5年以上、脈々と続いている行事です。続けているのがすばらしい。

 嫁ハンが友人の招待で新歌舞伎座「藤あや子公演」に行ってきました。ど派手かつ地味な衣装で美しかったそうです。もう20歳の娘さんがいらっしゃるはずなのに・・・。立派。

映画ダイスキ

 「キャストアウェイ」

 トム・ハンクスの名演で評判になった作品です。飛行機事故で南の島に漂着したエリートサラリーマンが、孤島で4年を生き抜いて生還する、しかし恋人は・・・というお話。丁寧に作られているが、映像のテンポに緩急がなくて、グッとくるところがありません。20キロ痩せたというハンクスの力演は立派ですが、同じく一本調子ながら、「グラディエーター」のラッセル・クローにアカデミー賞をさらわれたのは、新鮮さと作品のスケールの差かなあ。

2002年10月11日

 北朝鮮に拉致された人々の中の生存者が15日帰国することになる。最初、「帰国は本人の意志を確認して」などとアホなことを言っていた(本人の意思に反して強引に拉致されたんでしょうが!)外務省が世論に押され、早期帰国に方向転換し、交渉の結果、思いの外、早めに実現。よかった。本人の意思の確認はまず帰国して、ゆっくり時間をかけてからでいいのです。あのような状況下に長い年月を送らされて、どのような意志や思想を持つことが出来るでしょう?受け入れ準備のため、本日11日、中国北京大使館から館員が平城に飛んだそうですが・・・。

 ノーベル化学賞の田中さん。作業服でのインタビューもよかったけど、今日の首相との昼食会の後の「授賞式のパーティでダンスを踊らなければならないらしいが、ダンスは踊れないし、妻もドレスを持っていない。新たな悩みです。」というコメントもほほえましくていい。

ふるさと四国

 10月6日、父の丹精した葡萄を収穫する。出荷用でなく、趣味として、孫に食べさせようと作り初めて、もう15年。ブドウ畑まで車で1分ですが、木が大きくなり、枝を広げすぎて、手入れが大変。この夏、帰省した時、カラス対策で光る紙を青竹の先にくくり、10数箇所に刺しておいたのですが、少し効果があったみたい。葡萄の房に被せた紙の袋の窓を覗いて、熟れ具合を見て、鋏で切り取る。家まで運んで縁側で義妹を呼んで4人で袋から外し、痛んだ玉を除き、形を整えて、何十という紙の小箱やビニールの袋に入れる。改めて、父と一緒に車で近隣のお世話になっている人、友人、知人に配りまくる。自宅だけでは消化できないのです。出荷するほどでもないし・・・。もちろん柿や、桃と同じように、木の枝にも少し残しておく。それは自然の動物との共有物。故郷では名称はないけれど、それを「木守り」と呼ぶところもあるようですね。

中国への旅 4

 事件は1月22日、金曜日の午前10時。楽山市内で。そこから武漢(四川省の省都)の日本領事館に連絡があり、北京の日本大使館に報告が入ったのが午後5時半を過ぎていて、勤務時間外なのでしかるべき人が居らず(!)、情報は土、日と寝かされて、25日、月曜の朝に東京へ、そして1,2で述べたような経路を経て、四国に連絡したーというのが外務省の最初の説明です。

 楽山は100万人を超える大都会。現場は世界遺産「楽山大仏」を望む砂州で。複数の目撃者もある。しかし犯人は逃走中・・。例によって(あれから3年の間にさまざまの事件で外務省のやりかたはよくわかった)小出しの情報、次々変わる説明と担当者、そして報道管制。マスコミの取材・・・。我々一族はいきなり報道、小説、ドラマでしか知らなかった世界にいきなり引きずり込まれたのです。

 私に四国から連絡が入ったのが、25日月曜日の昼休みでした。

2002年10月10日

 友人から「毛がに」が届けられる。「どうしたん?」「北海道の弟から送ってきたけれど、私は蟹アレルギーで・・・」。弟さんは知らないんだ!彼女の体質に感謝と同情をしつつ、おいしく秋の味覚を頂きました。

行く人 来る人

和田  俊(たかし)さん

 96年まで「ニュースステーション」のコメンテーターを勤めておられた、朝日新聞の元論説副主幹。おだやかな語り口と笑顔で、厳しいコメントを出しておられた。番組出演期間中に奥様を亡くされたはず。食道がん。66歳。まだ若い。

ふるさと四国

 稲刈りは、今は業者にお願いして、大きなコンバインであっという間に終わってしまう。それ以前に、機械が入りやすいように、田の端のほうの稲を刈っておくのが農家の仕事。今年は大風が吹かなかったので稲がきちんと立っている。それに近年我が村を悩ましているイノシシの被害(山から走り降りてきて、稲の中で運動会、収穫まえの稲田を見事になぎ倒してくれる)にも遭わず、いい実りだったようです。刈り取られた稲は、稲木に架けて乾かす必要も無く、業者の倉庫で乾燥、脱穀されて、翌日もらいに行ったら、もう30キロずつ袋に詰められている。なんや、めちゃあっけないけれど、ものすごく楽になったのはたしかです。それでも、30キロの米袋を20個近く家の倉庫まで運ぶと、腰が痛くなりました。

2002年10月8日

 朝夕、めっきり涼しくなりました。いや、もう肌寒いくらいです。でも、夕顔は元気に咲き誇り、金木犀は今を盛りに咲き匂う。稲穂はたわわにこうべを垂れて、通勤路のコスモスも咲きそろってきました。いい季節ですね。

 泉が丘に「ラーメン劇場」オープン、これは流行るでしょうね。腕のいいプロデューサーがいるようです。天保山の「グルメ横丁」も相変わらずの人気だとか。古市駅前にも、新しいフランス料理店がオープン。ボーナスが出たら行ってみよう。

  ノーベル物理学賞に小柴昌俊博士。気の遠くなるような、長期間の緻密な研究とデータの積み重ね。無条件に尊敬してしまう。

ふるさと四国

 10月5日、5時過ぎの暗い朝の路を故郷のむ走る。今治から実家まで20分余。隣町との境の峠から、農道に入って近道をする。少し明るくなった道だが、安心はできない。早朝散歩のご老人がちらほら。イノシシや狸が飛び出すこともある。5分足らずで我が村、我が実家に到着。あかあかと電気がついて、母が朝食を用意してくれている。父が坂道に止めた車に滑り止めの石を噛ませてくれる。仏壇を拝んでから、朝食を頂いて、庭に出る。まつばぼたんが咲き競っている。

中国への旅3

 姪は大阪市立大、法学部の三回生。中国との交換留学生として、北京の人民大学に1998年秋から留学中でした。好奇心、向学心が強く、市立大学では探検部に所属して、沖縄のガマ(鍾乳洞)に潜ったり、モンゴルの草原を踏破したり、よさこいソーラン踊りを札幌に踊りに行ったりしていました。どちらかといえば、真面目、地味タイプの多い我が一族の中では、元気印で、よく、「大阪の不良のおっちゃん」(私のことらしい)に似ているなどといわれていました。留学も本人の強い希望で、試験にも無事合格したのですが、姉夫婦は心配して渋りました。それに対して、これからは女性も世界に羽ばたかなければ、行け行け、などど煽ったのも私です。中国好きの四国の父(姪にとっては祖父)、「三国志」、「大地の子」などの影響もあったのでしょう。98年9月、教育実習を終えてすぐに、旅費節約と称して旅客船「鑑真丸」で神戸から旅立って行きました。 

2002年10月7日

大阪あちこち  南港付近

 3日、中学訪問で、住ノ江区内の中学校を7校廻る。ニュートラムから見る景色は、入り江、運河が多く、海鳥が飛んで、木場のような、独特の風情。工場や倉庫が多く、住宅地が見えない。そしてたどり着く中ふ頭近辺の、新しいビルが立ち並ぶ住宅地は、木々がいい具合に成長して、落ち着いた公園都市に変わりつつあります。歩道が整備されているのも歩きやすい。もっと、街灯や、街の建物の色合いを工夫すれば、素敵な街になるだろうなあ、駅前に魅力的な店舗も欲しいと思います。

ふるさと四国

 4日の夜のフェリーの便で四国に向かう。夏に帰省したときは、朝方、窓の外に「しまなみ海道」の終点、来島大橋がダイナミックに広がって見えましたが、今回はまっくら。5時10分今治港着。空には下弦の月が。今回は稲刈りが目的です。

2002年10月4日

中国への旅2

 いまでも外務省の対応には疑問を持っています。そんな重大事(殺人事件の被害者宅への連絡)です、父(義兄)の会議中でも、母(姉)の授業中でも、呼んでもらうなり、終了時間を待って、連絡してもいいのではないでしょうか?第4の連絡先の四国の祖父母(両親)宅へあっさり流れて、80才の老母にいきなり事実を告げるなんて・・・。気丈な母だからもったようなものの、もし自分だったら、また母が病身だったら、とても平常ではいられなかったと思います。近くて遠い国。中国への旅の関門は国内にありました。

 姪は春節の休みを利用して、中国国内を旅行中に四川省、楽山の市内で殺されたのです。1999年1月22日のことでした。

2002年10月3日

映画ダイスキ 「猫の恩返し

 友人にチケットをもらって、あべのアポロへ。「サイン」を見たかったけど時間の関係で「猫の恩返し」にする。スタジオジプリの最新作。今回は若手を起用、新鋭監督らしい元気な画面作りに好感が持てる。もちろん本来の丁寧な画面造りは健在。素敵だった「耳をすませば」(数々の名作の影でちょっと目立ちにくいけど、いい作品でした)の猫男爵がさっそうとしているし、ヒロインがいつものように凛としていないのも、かえって好ましい。でも、いかんせん構成が荒いのです。話の繋ぎに丁寧さが欠けるので、感動まで持ってゆけない。なぜ猫の国にゆくのか、猫の王様はどうしたいのか?個々の個性の創造がイマイチなので説得力がありません。ま、美しい画面に堪能して、次回作に期待しましょう。

2002年10月2日

 台風一過、一気に秋ですが。夕顔は今夕も九輪。夏より今の方が花の勢いがいい。そして、どこを歩いても、金木犀がほのかに、また激しく匂ってきます。

中国への旅1

 北朝鮮との交渉、死亡時期、理由の公開。ガス中毒、溺死、自殺・・・それが遺族にすんなり受け入れられるでしょうか?うつ病で自殺なんて、あまりにむご過ぎます。

 3年前の姪の死の時も、外務省はごく事務的に連絡してきました。1999年1月25日、四国の実家、姪の祖父母である私の両親の家に。それは交換留学生であった姪が、日本に残していった緊急連絡の第4登録でした。

 第1は京都の家、第2は義兄の勤務先、第3は姉の勤務校、月曜の朝でしたから、義兄は会議、姉は授業、そして四国の母に・・・。事務的にごく冷静に、姪との関係を質したあと、「お孫さんは1月22日、中国、楽山で殺されました」。

 それが嵐の始まりでした。

2002年10月1日

大阪よいとこ

 大阪市立美術館、関西美術展は、毎年夏の恒例の公募展です。今年は友人2名が入選。一人は彫刻の特選、もう一人は1席。うれしい。8月の晴れた朝、一番で訪れる。すでに30度を超えている館外の熱気もここまでは届かない。薄暗く、広い館内は気持ちいい。早足でざっと見て、彫刻のコーナーへ。お目当ての友人の「HER TIME」という作品は、風に向かって立つ若い女性像。胸を張った姿勢が快い。

 祝賀会はもちろん天王寺で。アポロビル裏の路地の居酒屋の2階で、床が抜けないかと心配するくらいの盛会。主賓である彫刻家が参加者全員に作品の頭部の小さなモデルを贈ってくれる。「値が上がるように、はよ死んでや」という不謹慎な発言(ワタシ)も。いつの間にか常連客が乱入して、記念撮影には、わけのわからん人がいっぱい写っている。主賓に記念に贈ったTシャツの寄せ書きは、放送禁止用語ばっかしで着れないと嘆いていました。そういえば、もうひとつの記念品の吟醸酒も、その場で飲んでしまったんだ。最後は、何の会だったのか、みんなわからなくなって、幹事の私もどうやって精算して、いつ家に帰ったか覚えていないという大騒ぎでした。こういう宴会ダイスキ。



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