Kan-Kan の雑記帳


2002年3月25日

映画大好き

 アカデミー賞発表。今夜はビデオに録画した授賞式を、嫁ハンとあれこれいいながら5時間。疲れた。スター達はホンマにタフですね。会場入口でのインタビューに始まり、終わったあとのパーティまで。ずっと姿勢を正し、笑顔で・・・。

 今年も、笑い、感動して、泣いて・・・。今年度のポイントはアフリカ系アメリカ人。シドニー・ポワチエ(40年前に「野のユリ」-地味な小品だけど心に残る作品でしたーで主演男優賞)の特別賞受賞で一気に盛り上がり、彼が切り開いてきた道の延長線上で、とうとう主演男女優をデンゼル・ワシントン、ハリー・ベリー(どちらも美しい!)というアフリカ系アメリカ人俳優が共に受賞。特にハリーは女優では初。興奮と感激のあまり壇上で泣き出し、一層拍手を浴びました。

 そこここで昨秋の同時多発テロの影響が見られましたが、司会のウーピー・ゴールドバーグの軽妙な進行もあって、スムーズに終了。会場も変わって、ハリウッドに帰り、例年より豪華な印象でしたが、感動の度合いは(演出が平板でもあり)まあまあでした。(もっと盛り上がった年もあったのです。)

 主題歌賞で、スティング、エンヤ、バリー・ニューマン、ポール・マッカトニーが連続して一気に歌うなんて・・・ゴージャスで夢のようで、それにあまりにもったいない!

 大きな楽しみはファッション。ハリー・ベリーのドレスはすばらしかったです。ノースリーブで腕と首を出しているのに、アクセサリーを控えて、セクシーでかつ優雅。特に美しかったのはニコール・キッドマン。ピンクのドレス。ブロンドが見事。こちらもブロンドのシャロン・ストーンのシンプルな黒いドレス。背中がすべて開いている。期待したジュニファー・ロペスは変にふくらんだヘアスタイルがイマイチで、ドレスに合っていない。あれこれ突っ込みながら見られるのも映画界最大のビッグイベントの楽しみです。

2002年3月21日

 ツバメが来ましたね。揚げ雲雀も鳴き(もっとも今日は強風で揚がらず)、菜の花は満開、桜も開花、この1週間で一気に春です。入試、採点、再点検、判定会議と続いてきて、いよいよ明日合格発表。飛び上がって喜ぶ顔を見るのはうれしいけれど、肩を落としてそっと去って行く後ろ姿を見るのは辛いものです。今までみた幾百人の後ろ姿の「その後」を思います。

映画大好き

 近づくアカデミー賞。本命は「ビューティフル・マインド」、対抗は「ロード・オブ・ザ・リング」という下馬評らしいけど、候補5作品、どれも見ていないのでなにも言えません。個人的には「ムーラン・ルージュ」が見てみたい。そして「Gosford  Park」も。オールスターキャストのミステリーって大好きなのです。
最近読んだ本

「ハリー・ポッターと賢者の石」

 謹慎中の生徒の家庭訪問に行って、本棚にあったので、「ご注意」もそこそこに(笑)、ハリポタ談義をして、ついでに借りて帰って、同僚に呆れられた。ちなみに2回目の訪問で2巻をゲット。

 訳がイマイチとか値段が高いとかいろいろ言われていますが、子どもをテレビやゲームから本に呼び戻した業績は称えられるべし。なによりルビが振ってあるのがいい。ドラマに起伏があり、伏線がわかりやすくひいてあって、最後にきちんと説明する。良くできたファンタジーと思いました。主人公の成長が描き込まれていない気はしますが、全7巻の出だしと思えば、これからに期待するのが筋ですね(最終章はすでに出来上がっていて、銀行の金庫にあるそうです)。映画も見ましたが、CGがうまく使われています。でも、少し眠かった。

2002年3月16日

 14日、今年のホワイトデーは思い切り気障に、嫁ハンには白い薔薇、GFには白いポーチとイチゴ大福。うーむ。究極の選択をしたみたいで、来年がおそろしい。嫁ハンは喜んで、ベルバラのオスカルのテーマを歌って(注・タカラヅカの「ベルサイユのバラ」ではマリー・アントワネットが紅いバラ、オスカルが白バラにたとえられる)息子にたしなめられていましたが・・・。

近畿あちこち

 2月11日、関電に勤める教え子のプランニングというよりセッティングで、テニス仲間と大浜の原子力発電所見学ツアーに。これは「原子力発電啓発キャンペーン」の一環で総ての関電社員がこのツアーを設けなければならないんだって。それによっしゃあと乗ったのですが、これが昼食代のみの豪華なバス(トイレ付)の旅でした。舞鶴道に入ると雪。舞鶴で「蟹雑炊セット」の昼食(2500円、これがツアー料金のすべて)、小さな鍋でおこげができておいしかった!

 大浜の原子力発電は流石の規模。半島の細い部分をぶち抜いて発電所を造り、海水を流し冷却水にするなんて。発想がすごい。発電所はヘルメット着用でチェックも厳しい。地下階層まで見える足場の上の所内見学は結構スリルもあり。地元にすごく気を遣って、雇用や地場産業の促進にも配慮しているなあと思いました。自然破壊、そして、放射能を帯びた廃棄物の処分の問題(東北まで運んで地下処理しているなどという説明はなし。安全、安心ですの大合唱)は以前から気になっているのですが、教え子の手前、追求、質問はしませんでした(笑)。

 帰りのバスは(持ち込んでいた酒や、舞鶴で買い込んだ酒、肴もあって)飲めや歌えやの大騒ぎ。添乗していた関電のえらいさんもびっくりしたやろなあ(笑)。ご興味のある方にはご紹介します。

2002年3月15日

 続くあたたかさに木蓮が一気に開いてきました。大好きな花なので、急がずゆっくり咲いてほしい。

 広島の宮島競艇で40万円の超大穴が。7枚的中。だれが買ったのでしょう。喜んではるやろな。でも、選手の気持ちは複雑かも・・・。

 景気は回復せず、給料は上がらず、グリーンジャンボも当たらなかったしなあ。ま、春が来るからいいか!


逝く人来る人

 古山高麗雄さん

 30年以上前、芥川賞受賞作「プオレー8の夜明け」しか読んでいませんが、50歳のデビューには感服した記憶があります。81歳で孤独死。心臓発作とみられているとか。うーむ。


 鈴木宗男代議士

 「潔い」という言葉は彼の辞書にはないのでしょうか?あれ、日本全体でも、死語になっているのかもしれません(苦笑)。
映画ダイスキ

 「初恋の来た道」

 同じ映画を、今度は映画館で見られる喜びは最上のもの。朝日映画ベストテンの上映会で肥後橋リサイタルホールへ。2度目のほうがより泣いた映画も珍しい。「THE  ROAD  HOME」  というタイトルのあと、雪の道がモノクロで画面に現れるとそれだけで涙がドバッとでてしまう。(それにしてもこの時、右目からだけ涙が出たのはなぜだろう?)

 2度目は細部までゆっくり目が届く。画面の端をかすめる雁の群れ。吹雪の吹いて行く方向。出てくる料理、布、髪飾り、スカーフの色・・・すべて計算されて、意味があるのです。意外性のない、お約束のストーリーを淡々と追って、飽きさせない。その磨かれた映像美は古典に通ずるもの。歌舞伎や文楽や落語を繰り返し見、聞いても飽きない、それと同じと思いました。見終わって友人とコトバなく淀屋橋まで歩いてしまいました。

2002年3月11日

もっと京都

 2001年12月13日。「アサヒビール大山崎美術館」を出て、裏の山道にかかる。一気に天王山に登るコース。270メートルほどの低い山だけど、平地から一気に盛り上がっているのと、山林が保護されて、豊かに木々が茂っているので、登山気分は十分味わえる。山の地中深く名神高速道路のトンネルが掘られ、東西交通の大動脈になっているとは信じられない。

 まずは目の下、東側の景観が気にかかる。京都から流れてきた、木津川、宇治川、桂川の大河が合流する水の要衝の地でもあり、秀吉と光秀の戦いの舞台にもなりました。「天王山の戦い」といわれているので山での戦かと思っていたら、この湿地帯で行われたのですね。展望台に陣地の見取り図などがあり、なるほどと思いました。天下分け目のわりにあっけなく決着はつき、光秀は落ちて行く途中で農民の手の竹槍で命を落とします。あちこちの竹薮や、細い山道に往時を偲べます。

 目を西に転じると、大阪方面もすばらしい眺望。三河が合流した淀川がゆうゆうと平野を蛇行しながら、海に向って流れて行く。かつて春は一面の菜の花だったろうなどと想像します。

 40分足らずで山頂へ。見晴らしもイマイチで、天王山城跡はほとんど跡を止めず、礎石と古井戸が残っているくらい。酒を飲んで早々に引き上げる。途中に酒解(さかとけ)神社という由緒ありげな無住の古社がありました。歴史の眠る山です。

2002年3月10日

もっと京都

 2001年12月13日、ハイキング日和に恵まれて、大山崎の大念寺から「アサヒビール大山崎山荘」へ向う。山道を10分。大正時代の実業家、加賀正太郎の山荘を美術館に改装したもので、天王山の尾根をたっぷりつかって、南に開けた英国風の広壮な造り、煉瓦と木目が美しくマッチして建物だけでもすばらしい。河井寛次郎や濱田庄司、バーナード・リーチなどの収蔵作品とその展示ケースも立派。北の水の溢れる庭も、南の枝垂桜の庭も美しい。

 ところが改築の目玉の、安藤忠雄設計の新館ががっかりでした。本館とミスマッチ、薄暗くて折角のモネが生きていない。音楽も邪魔。例によってコンクリート打ちっぱなしのエレベーター棟はなんとかしてほしい。はやく蔦がからまるのを祈るのみ。

 それにしても、戦前の関西上流階級の優雅な暮らしを偲ばせるこの建物は、大山崎の自然に見事に溶け込んでいて、四季折々にさぞ素敵だろうと思われます。また、春の盛りに行きたい。

2002年3月9日

行く人来る人

 はせさん治さん

 ポンキッキのお兄さんがもう66才だったとは・・・。肺ガン。

 松井誠さん

 今、新歌舞伎座の「雄呂血」(おろち)の200人斬りで話題沸騰。幻の日本映画をこういう形で復活したのはおもしろい。2年前に同じ劇場で彼の公演を見ましたが、なにせサービス精神旺盛、それに梅沢富美男よりしっかり踊れる。そのときの圧巻は10分くらい女装で踊りながら、着物をすべて着替えたこと、帯まで自分で巻いて、拍子木でピタッっと決めるまで、乱れを見せない。客席の女性はため息。新しい大衆演劇の星でしょう。
もっと京都

 2001年12月13日。阪急「大山崎」(オオヤマザキ)の駅からいきなり坂。大体、駅自体が山裾にあって、ホームも傾いている。山側へ3分。坂の上に「大念寺」。電話で拝観をお願いしておいた阿弥陀如来像が今回の楽しみ。ご住職が丁寧に案内してくださる。この地は古来、交通の要地で、大いに繁栄してたくさんの寺も栄えたのだけれど、戦火に遭い、そのどさくさでたくさんの寺宝が失われ、錯綜して、残った寺の建物も仏様も由来がさだかでないものが多い。それだけに保護や文化財指定が遅れた恨みがあります。それにしても、この阿弥陀如来(重要文化財)はすばらしい。すらっとしていて、そしてやさしいお顔をしてはる。ここは訪れる人も少ないらしい。掃除の行き届いた南向きの明るい境内に椿が咲いていました。

2002年3月7日

大阪ええとこ

「生野界隈」

 「鶴橋市場」ーー戦後の闇市から発展した国際マーケット。路地が縦横に走り、キムチ、チヂミの匂い、人々のざわめき。魅力ある街です。

 「弥栄(やさか)神社」、「御幸森天神宮」(ここは菅原道真ではなく仁徳天皇をまつる)いずれも古い由緒ある神社。そのむこうにコリアタウンが伸びる。平野川分水路(これが元の大和川)までの500メートルは韓国のムードがいっぱい。もっと雑然としているのかと思っていたけど、ゆったりして明るい。

 「鶴の橋跡」-昔、鶴がたくさんいたらしい。これが「鶴橋」の由来。

 「御勝山(おかちやま)古墳」ー大阪夏の陣のあと徳川秀忠が勝利の宴をはったという古墳。「勝山」の地名はここから。

 「源ヶ橋商店街」ーーこれも長い。寺田町から東に伸びる大阪の味を残す店のつらなり。

 「源ヶ橋温泉」ーー生野区は大阪で一番銭湯が多いところ。その代表格。戦前のムードをのこした情緒ある風情、入口に桜、大きな瓦屋根の上にしゃちほこ、そして玄関の上に自由の女神(ニューヨークの洒落やね)。

 ホンマ、おもしろい。飽きの来ない界隈です。

2002年3月6日

おいしいもん大好き

 ブラジルから来ておられるバニア先生(女性)を囲んでのブラジル料理講習会に参加。かの地では水曜日に食べるという「フェージョアーダ」・・・豆と豚肉を圧力鍋でしっかり煮込む。「ファロファ」・・・べーコン、ニンニク、玉ねぎを炒めたものに、山芋の粉をまぶして、さらに炒める。味付けはいずれも塩、そして、ブラックペッパー。それをタイ米のガーリックライスにかけていただく。1時間半ほどかかって、完成。食べる前にダンスしてからと先生がおっしゃるので、日本代表(笑)で先生と二人でサルサを踊る。大受けで安心。味はばっちり。ビールが欲しかったけど・・・。

 デザートはパッションフルーツのタピオカ(甘い寒天を粒にしたようなもの)。あとマテ茶(ストローで廻し飲みー熱い、苦い、独特の作法と風味あり)。面白かったです。サルサにはまりそう・・・。

2002年3月5日

 春一番が吹くと言う予想が、なんと春の雨、雨、雨。仕事の帰りに道明寺に寄ってみました。1昨年焼けた庫裏が見事に修復されていて、玄関前の焼け残った紅梅、白梅も満開でした。境内の花梨の木も芽を吹きかけています。ひとはだれもいない。

 隣の天満宮も小雨のせいか、人影まばら。今年は菅原道真没1100年ということで、歌舞伎や文楽で「菅原伝授手習鑑」が上演されます。菅丞相を演じる片岡仁左衛門が、先月、慣例によりここに詣でて、梅を植樹していったそうです。梅は盛りをすぎたところ。桜ほどではないけれど、はらはらと散っていました。昔は白梅が好きでしたが、今は紅梅、それも濃い色が好きです。

行く人来る人

半村  良さん

 直木賞作家らしい(幅の広いエンタテイメントが)たくさん書ける作家でした。「雨やどり」、「産霊山秘録」、「石の血脈」、「妖星伝」が印象に残っています。どれもサービス精神たっぷりで・・・楽しめました。でも、無理をしはったんじゃないでしょうか。68才、肺炎。まだまだ若い。


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