Kan-Kan の雑記帳


2002年9月30日

もっと京都

石山寺で月を見たあとは、祇園で嫁ハンと待ち合わせ。しっぽり京情緒をと思っていたら、どんでんがえし。嫁ハンの友人から自分の店に来ないかとのお誘い。すぐに乗ってしまい、地下鉄で今出川まで、それからタクシーで5分、西陣の町屋の路地を入った奥の看板もない店に着く。内部は京都の家らしく奥が深い、ピアノもあって、ライブもできるラウンジといったところ。駆けつけ3杯ビール(ジョッキ)を飲んだ後で、居合わせた客と一緒に飲めや唄えやの大騒ぎになる。友人の娘にあたる、叶姉妹を上回る美人姉妹(こちらは本当の)がいて、その妹はプロのダンサーとか、さっそく2人で(嫁ハンの視線も無視して)踊りまくる。夜中の1時過ぎまで騒いで、辞去。常連客だけで持っている店なんだ。知らない変な人には来て欲しくない、地道に、気楽にやりたいんじゃと、オーナーである友人の京都人らしい意見。

翌日は四条大丸の星野富弘展へ。100点を越す作品に大勢の客。詩画なので、ゆっくり読む人が多いので、なかなか進まない。たっぷり2時間かかる。それだけの内容あり。でも感激もしたけど、十分疲れました。展示としては、作品を絞って、空間的に余裕を持たせる工夫があってもよかったのでは・・・。草花以外の風景画も初めて見ました。

ふるさとへの想い、神(キリスト教に帰依されて久しい)の意識が前面に出てきたのも近年の特徴でしょう。

最近読んだ本

「ここではないどこかへ」  鴻上 尚史

同郷の劇作家。その才能、才気は溢るるばかり。あらためて感嘆。

「心残りは」  池部  良

俳優でエッセイを書かせるなら、高峰秀子、岸恵子、加藤剛、そしてこの人。映画の黄金期を飄々と生き抜いてきた。過激な戦争体験もさらっと流し、自分を茶化しながら長い俳優生活を振り返ることで、日本映画の興亡が見事に浮き上がる。小津安二郎、黒澤明、木下恵介ら錚々たる名監督たちの奇妙な生態が伺われるのも楽しい。まだ、出し惜しみしている。もっと、書き残して欲しいと思う。

2002年9月21日

近畿あちこちー石山寺秋月1

 3連休の古都は人が一杯。家でも、ローソンのインターネットでも、ステーションの観光案内でもホテルはすべて満室。それで、サウナに泊まる覚悟で、いざ、石山寺へ。8月からの予定だったので、変更するつもりはなかったけど、前日、20日のNHKで待宵の月が中継され、これでは人出が一杯かと心配したけれど、電車が終着駅、石山寺についても、人は少ない。これはラッキーと瀬田川沿いをゆっくり寺まで歩く。空はうす曇り。ボート部のエイトが滑るようになめらかな川面をゆく。山門の前には10人ほどの人だかり。午後6時からの秋月祭の開門を待ってはるのだ。先に腹ごしらえをと、門前の蕎麦屋でてんぷらそばをかきこんで、時を待つ。午後5時50分。

 夕焼けが美しい6時過ぎ。山門が開くと、どっと人が流れ込む。観光バスも乗りつけ、いつの間にか人が増えている。薄暗い参道の周囲に合計1500個の「よし明かり」(短い筒に蝋燭を入れて和紙で包んでいる)が並べられてムードを高める。天然記念物の石と多宝塔はライトアップ周囲の暗さの中で光り輝いて見える。「本堂」で「源氏物語を読む会」も開かれるため、もう席を取っている人もいるが、まっすぐ丘を登り、「月見亭」へ。帝しか上がれない桧皮葺の屋根つきの舞台の周囲に人が集まってくる。その数、100人余。うす曇りでなかなか月の姿は見えない。目の下に瀬田川があるのだろうが、今は桜の木が茂って見えません。約1時間後、やっと雲の隙間から朧月が・・・歓声が挙がる。月見亭の軒に懸かる月は、流石に雅で美しい。

2002年9月20日

待宵の月

 今年はきれいに見えました。二上山の上の月を見届けた後、故郷の弟が送ってくれた銘酒「梅錦・吟醸」にひとりで酔って、爆睡。目覚めれば午前1時。喉が渇いた、二度寝しようかと思いつつ、でも、考えてみれば、息子2人は月も見ないでこの時間も働いているのだ(一人は夜勤、一人はバイト)。お父さんもがんばらにゃと机に向かう。

 とりあえずBGMをとテレビをつけると、ラフマニノフのピアノコンチェルトが流れてきた。軽快なタッチはまだ白いスーツの少年といえそうな若者。イム・ドンヒョクという新進のピアニストらしい。難曲を見事に弾きこなし、盛り上げてました。アプローズに応えるのに、照れて引き気味なのを、指揮者が前に押し出しているのもほほえましい。若い人のがんばりは見ていて気持ちいいなあ。名前覚えておこう。月はもう西の空に懸かっています。

2002年9月17日

近くて遠い国


 4人存命、6人死亡、それだけを告げられて、納得できるものではありません。親族の気持ちはいかばかりでしょうか?あまりの長い年月の、その取り返しのつかない、貴重な時間の重さを感じます。国交正常化に向けて動き出したことは、大きな進歩ではありましょうが・・・。イデオロギー、国、外交というものの非情さ、おそろしさ、空しさを感じます。

2002年9月10日

 9日、早朝、四国の母から電話あり。○○(息子A)は大丈夫?中座が爆発炎上ー息子の勤めているところが道頓堀の近くと知っているのです。たまたま夜勤でなくて、うちにいたのですが、勤務していた同僚は、爆発音を聞いたそうです。

 なつかしい中座が完全に姿を消しました。私は6日の深夜まで道頓堀で飲んでいたのです。酔って中座の前も通りました。いろんな芝居を見ました。歌舞伎の興業が主でしたが、今は亡き京塚昌子の「おたふく物語」なんていうのも見たなあ。2階正面の桟敷が好きでした。適当に狭くて、舞台が近くて、親しみやすい小屋でした。一番の思い出は歌舞伎の「怪談乳房榎」、勘九郎や橋之介が若くて、本水を使った立ち回りが見事でした。大劇場より、あのくらいの大きさの小屋が、役者も観客も育てるのです。

 戦車やミサイルを作る費用をほんのちょっと加減すれば、こういう文化財は守れます。老舗の「今井」も「正弁丹吾」も、もう戻らないのかもしれません。

 さっそく、現場を見に行った息子に、どうやった、大騒ぎか?と問うと、いいや、一部の交通規制があるだけで、普段と変わりないで、という返事。後ろばかりを見る必要はないけれど、そのクールさがなぜか空恐ろしい気もします。

2002年9月8日

6日夕刻、友人達と道頓堀で待ち合わせ。暑い日だったので、みんな汗だく。でも集合時間にはきちんと集まる(早く飲みたい一心)。ま、ともかく、体温を下げようぜと、戎橋を渡って、KPO(カッパ・プラザ・オオサカ)へ。ここの1階のカウンターでビールを。ピルス、ヴォイス、エール、スタウトの4種類を冷えた小さなグラスに入れて盆に横一線に並べて出してくれる。4回乾杯しながら、落ち着く店を相談する。その間約15分。500円は安いでしょ!

全米オープンテニスは女子は、またもやウイリアム姉妹の対決。妹の迫力が勝りました。それにしても男子顔負けのスピードと技術です。圧倒されました。観戦あとのテニスの練習でみんな大振りすること。影響を受けやすいんだから・・・。

男子はアガシが準決勝でNO1シード、ヒューイットを破って、決勝でサンプラスと夢の対決。こちらはベテラン健在です。

2002年9月3日

 通勤のバスの中で、ふと、このバスが路線を外れて暴走したらなどと考えました。今日はダイヤが遅れて、運転手もいらついていて、荒っぽい走行。かつて運転手が運転中にトイレを我慢しすぎて、失神して事故を起こしたことがありましたね。両替やら、回数券の販売やら、神経を使うことも多い事でしょう。かつてのように車掌さんをつけてはどうなのかな?経費削減、経営合理化も仕方ないけれど、ワンマンバスはやはり大変そうだし、危険もあると思います。

 この秋の楽しみ、平成中村座の公演チケットをゲット。嫁ハンが電話しまくってくれて、助かりました。1日の10時から電話予約でしたが、10時直前から2台の電話を使って、リダイヤルでかけまくる。かつて、松竹座の?落とし公演で6時間電話したことがあったけど、この方法で20分でゲット。でも、土日はほとんど売れていました。人気です。とにかく一安心しました。

 「マディソン郡の橋」のモデルになった橋が焼けたようです。放火の疑いありとか。なんの変哲も無い屋根付きの橋ですが、それがよかったのかも。原作のほうがよかったけど、映画もさすがイーストウッド(監督と主演)、うまく作ってありました。メリス・ストリープが本当の農婦に見えました。ラストのクレジットのバックの橋から遺骨が撒かれるシーンで涙が溢れました。

 愛媛県、内子町にも屋根付き橋があるのですよ。こちらのほうが風情あり。

2002年9月2日

 通勤途上で見かける季節の花々。朝顔は小振りになりましたが、やはり紺色のものが強いですね。百日紅やサルビアのピンク、赤が秋空に鮮やかです。コスモスもやはりピンクが美しい。彼岸花が着実に芽を伸ばしています。今日の我が家の夕顔は一輪だけでした。一軒隣のおばあちゃんが毎夕楽しみにしてくださっているのです。夕顔の、細い茎から、大きい蕾を伸ばして、一生懸命支えている様子が健気です。

☆タカラヅカ

 匠ひびき、絵麻緒ゆうさんという新トップお披露目がサヨナラ公演という異例が続く最近のタカラヅカ。特に匠ひびきさんはその公演中に髄膜炎で倒れ、あのダンスの名手(花組若手時代から光っていた)が十分に踊れないまま退団するなんて、ほんとに気の毒でした。

 それぞれ跡を継ぐ春野寿美礼さんは近年の大物と期待の星、朝海ひかるさんも楽しみなスターです。短期に3代のトップの相手をした娘役の大鳥れいさんも「エリザベート」で退団とか。めまぐるしく入れ替わるスターたちの消長にタカラヅカの底力を感じます。それにしてもOSKの解散は寂しい。

2002年9月1日

 今月の早朝座禅は秋の光が差し込む潮音寺本堂で。涼しい風、数少ないつくつくほうしの声に、虫の声がかすかに混じり、これから座禅には気持ちのよい季節と実感しました。

 我が家の蔦もすでに落葉がはじまり、掃除が大変です。ついでに、夏太りの体を引き締めるため、夜の散歩に出かけました。同じように、ジョギングスタイルで歩いている人が結構いるのですね。古市近辺の通りをぐるっと廻ってみると、ちょっと見ない間に、代替わりした店や、新しく出来た店、マンションなどの多いこと。この街に住んで、もう20年を超えましたが街はめまぐるしく変わって行きます。

 長野県知事は田中さんに。脱ダムには賛成ですが、これからどうビジョンを出してゆくか、力量が問われますね。県議会の対応は?当分、目が離せません。それに、ひとごとではありません。ふるさと四国の村は、ダムはすでに土砂にほぼ埋まり、源流からコンクリートで固めた川はすぐに水を流してしまい、山は荒れはじめています。

☆行く人来る人

林義雄さん

 TBSアナウンサー 58歳。70年代ラジオの深夜放送「パックインミュージック」のパーソナリティとして人気を博しました。歯切れのよい声と発言。埼玉、そして東京の下宿でよく聴いたものです。あれから30年、ずっと現役のアナウンサーでおられたのですね。ご自宅が埼玉県新座市というのも覚えのある地名。なつかしい固有名詞に、青春時代がよみがえってきました。肝不全とのこと。合掌。



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