Kan-Kan の雑記帳


2003年11月30日

 焼き魚が好きです。先日、好きな「太刀魚」が夕食の膳に出てきて、ラッキーと食べ始めたら、なんか変。そう、小骨が多いはずのこの魚に、骨がないのです。嫁ハンに聞くと、最近は骨があるのをいやがる人が多いので、このように処理したものが出回っているんですって・・・。うーむ。なんや便利やけど物足りない。値段も変わらないらしいけど、やはり本来の骨付き(?)を買ってもらうことにしました。あの骨を避けながらちびちび食べるのも魚の味の内です。

 幸運続きの11月でした。なんや気持ちが悪いくらい。吉野の旅館で友人に便乗して風呂に入っていい思いをしたのをはじめ、28日に同僚達と出かけた文学散歩も、雨の予報で覚悟していたのに、宇治を歩いている間は雨が持ち、伏見で十石舟に乗ってからぽつぽつ来ただけ。それも舟を上がると、東の空に虹が・・・。

 その夜の嫁ハンがゲストとして出演した、日仏協会の「ボジョレー・ヌーボォの会」。たまたま数日前に、ホテルのhpでホテル・ハイット・リージェンシーの冬季割引(通常の半額以下)の記事を見て、どうせやからとたまたま空いていた当日、ツインの部屋を予約していたのです。その夜、会場でホテルの社長に紹介され、泊まっていただいているんですか、サービスでランクを上げておきますということに。で、パーティのあと、行ってみると、なんとスイートに部屋替えしてもらうことに。シャンペンの差し入れもあり、もう、感激して、最上階ラウンジでカクテルで再度乾杯することに。あとはおぼろ。

 嫁ハンは舞い上がっていたけれど、ここまで来たらやはり何かおかしい。これからよくないことが起こるんじゃないかと心配し始めている、貧乏性の私です。


往く人来る人

 小林千登勢さん(11月26日、多発性骨髄腫 66才)

 NHKしか映らなかった田舎の小学生にとって、テレビドラマのヒロインはこの人でした。薄幸に泣いて耐えているような役が多かった。しっかりしたイメージは後年のもの。自身の終戦時の引き揚げ体験を綴った「お星様のレール」も印象に残っています。女優だからと化学治療を拒んで、死ぬ寸前まで仕事をしてはったというけれど・・・。それもひとつの生き方なのでしょうね。

 団令子さん(11月24日、心不全 68才)

 私が思春期を過ごした田舎の生活とは対極にある都会の明るさ、華やかさの象徴のような女性でした。40年前の東宝映画のモダンさのシンボルだったと個人的に思います。彼女の映画はあまり見ていないけれど、ひとつの時代の顔でした。都会(東京)は映画のようなものではないと、数年後、18才で知りました。でも、貧しかったけれど、戦後の復興から成長期に向かう希望と明るさのあった時代を、今、ちょっぴり懐かしく思います。
もっと京都

 11月28日、宇治は薄曇り。同僚達26名と文学散歩に行ってきました。まず、「源氏物語ミュージアム」へ。「ムラサキシキブ」がずっとアプローチに小さな実を付けているのが圧巻。内部はうまく作ってあるけど、やや、外国人向けに派手目な仕様か・・・。「宇治十帖」の映画はヒロイン「浮舟」役の葉月里緒菜のナレーションがイマイチでした。

 宇治上神社は小さいけれど、世界遺産の宮。この檜皮葺の屋根のラインがたとえようもなく美しい。背景の山の翠の深さも目にしみます。少し歩いて、琴坂へ。洛南名所の紅葉も今年はイマイチ。でも、ところどころに目の覚めるような紅葉が見かけられました。

 宇治の中之島、宇治川先陣の碑の前で、同僚と二人で「平家物語」の一節を説明(私は「橋合戦」の部分を担当)する。なんや人数が多いなと思ったら、他の観光客の人も聞いてくれていたらしい。昼食は宇治名物の「茶うどん」とビール。平等院は久しぶりだけど、さらに老朽化が進んだようで、柱や屋根がすすけてきて、なんやみずぼらしい感じになってきました。せっかく源平はじめ数多くの戦火を免れてきたのに、あの繊細で美しい建物を早めに補修、保存する必要があると痛感しました。

 天瀬ダムが出来て、水量が減ったとはいえ、やはり宇治川は美しい。それを取り巻く自然(山並みも森も)見事。平安の昔から、京の「彼岸」として、別荘、保養地として趣味人の心を奪ってきたのがよくわかります。次回はゆっくり川を遡ってみたいと考えています。義兄の幼なじみが上流の山間の村に蕎麦屋を開いたらしい。そこを訪ねたい。
  

2003年11月26日

おいしいもん食べました

「熱湯玉露」  こんなんが出来てます。ぬるい湯でなくても、おいしい。新発見。

「しっとりかりんとう」  やわらかくて、甘い。これも常識を覆すもの。長生きすると、いい目に会える。

最近読んだ本

「メイクアップハリウッド」 カオリ・ナラ・ターナー

日本人としてハリウッドで成功した、メイクアップアーチストの自伝。めちゃおもしろい。撮影前、2時間かけて、スタンディング(代役)を使って、カメラ・リハーサルを行う。「ファースト・グループ・ゴーイング」(主役が来ます)の合図で身構える。「ファイナル・タッチ・アップ」(仕上げをして下さい)の言葉で、スターに飛びつく。1人の役者にヘア1人、メイク1人、ボディメイク1名、コスチューム1名がとりついて5分、「レッツ・シュート」(本番)の声が掛かるまでが勝負。評判が悪いと、どんなに人間関係がよくても、スターや監督と仲良しでも、次の仕事が来ない。その緊張感、非情さが好きという筆者の姿勢が気持ちいい。

ハリウッドの映画製作システムの裏側が面白い。クリント・イーストウッドは監督としても一流だけど、普通、150名ぐらいのスタッフを70名くらいしか編成しない。でも、ギャラは他の倍払う。だから仕事はきつくても人気がすごい。昼食はハリウッドは雨が降らないのでいつもオープンで。豪華なバイキングだけれど、イーストウッドはいつも遅れてきて、後ろの方に並んで、その席空けてくれる?と言いつつ遠慮しながら食べいるのだって・・・。 

2003年11月24日

紅葉狩り

 連休の一日、20年来の悪友(?)の熟美女二人に誘われて吉野へ行って来ました。今時流行の「女ふたり、グルメと温泉、老舗旅館の旅」の一日の、ボディガード兼案内人というわけです。吉野へはほとんど毎春花見に行っているけれど、秋は久しぶり。こんなにかえでが多かったのかと、改めて驚きました。天気は晴れたり片時雨(かたしぐれ)たり、空の色も刻々と変わって行く。蔵王堂に参ってからバスで一気に奥の院へ。あとは坂をだらだらゆっくり降りるというコースです。

 今年の紅葉はイマイチという情報でしたが、あちこちに見事なもみじがあって、感動。特に高城山展望台あたりは見晴らしもよくてすばらしい。木は大きくても、葉は小さく、色も黄色から橙、赤も濃淡あって独特の繊細な美しさがあります。陽の当たり具合で微妙に色が変わってゆく。中千本で昼食。山菜や湯豆腐をアテに地酒をしっかり飲んで、最後の仕上げは吉水神社のキレイな紅葉。結構歩いたけど、しゃべり通し、笑い通しであっという間の五時間余でした。

 創業270年という旅館は、蔵王堂の隣。入り口は小さいけれど、下の谷まで、増築を重ね、それが迷路のような廊下でつながれ、内部は意外に大きい。各部屋に風呂と、専用露天風呂がついているという豪華版。隠れ宿といわれるのがよくわかります。それらしい客多し。興味津々。私は単なる付き添いなのに、上客の連れということで、部屋に上げてもらって、部屋の風呂も、大浴場もタダで使わせてもらって、バスタオルや浴衣もサービスという丁寧な扱いをしてもらう。ラッキー。

 大浴場(中浴場というべき?)の露天風呂には樽が置いてあり、枡酒が飲み放題。うれしい。酒を飲みつつ湯船に浸かって見上げれば、山茶花の白い花、その上に紅葉した楓、更に上にさくらの古木の枝。そして漆黒の夜空。湯上がりには三人でビールを飲み直し、宿の人が山下の駅まで、車で送って下さる。宿泊する熟美女ふたりはそれから豪勢な夕べの膳であらたに飲み出しているんだろうな。朝風呂が楽しみと言うてました。ええなあ。こちらは明日から仕事です。でも、お陰で、今日は気持ちのいい一日を過ごせました。

2003年11月22日

紅葉狩り

 晴れた休日の朝。モーニングに行こうかと嫁ハンと出かけて、ついでやから紅葉も見たいと南河内グリーンロードを走る。紅葉もイマイチで、それに適当な店がなくて、またあっても客がいっぱいだったりして、結局竹ノ内街道に入って、峠を越えてしまう。當麻寺に着いたけれど、もくろんでいた門前の蕎麦屋は11時から。しかし、さすが古寺の境内は楓がたくさんある。特に、奥の院へのアプローチには見事に紅葉した楓があって、思わぬ眼福を味わいました。それに背景の二上山が大和側はきれいに黄葉していて、青空に映えています。人も少なく、お薦めスポットです

 門前の別の店で、柿の葉寿司セット(蕎麦付き、800円)をいただく。おいしい。客は我々だけ。店の隅に写真があり、五木寛之さんが写っている。女将さんに訊いてみると、三月にこの寺に取材で来て寄ったらしい。彼は甘酒を注文したとか。朝日新聞連載の「みみずく通信」でも書いてはったけど、「百寺巡礼」の旅の途中だったんだろう。ミーハーなのでつい写真と同じ席に座ってしまう。2時間余のミニ紅葉狩りでした。 

2003年11月15日

 地元古市におしゃれなギャラリーが開店しました。「木苺」(きいちご)。陶器や絵が中心で、個展などのイベントもあり。女主人ひとりで、がんばってはるけど、このまま残ってほしいなあ。早速、友人の書家、山本峰夫に連絡。

 藤井寺の町屋を改造したギャラリー、「ゆめミュージアム」も気になっている。今年も恒例の「やすらぎの灯りたち展」をやってはる。それにからめて、日本酒も飲めるらしい(11月23日まで、木金土のみ)。いそいそと出かける。展示はたくさんあったけど、末友章子さんのステンドグラスが昨年よりパワーを増した感じで迫ってきました。

 うれしかったのは「大黒正宗」というお酒を持ち込んでくれた山本さんという尼崎の酒屋さんに会えたこと。酒も確かにおいしいけれど、震災でつぶれた酒蔵の再建に手を貸して、勝手にあちこち無料で配って、応援してはる、その心意気がうれしい。無料で五合のんだ見返りに、一本、原価(2300円)で買わせて頂いて、再会を期して別れる。恐縮してはったけど、これをなにかの契機にしたいと一緒に行った嫁ハンと話す。「シャンソンと、とっておきの日本酒の会」なんてのを来春企画しようかな。

2003年11月14日

往く人来る人

 アート・カーニーさん(11月9日、85才)

 米俳優。1974年のの映画「ハリーとトント」で、トントという名前の猫を連れて旅する老人(退職教師だった)を飄々と演じてアカデミー主演男優賞を取った。地味な佳品だったけど、印象に残っています。29年前の作品というと、あの時はまだ56才、とすれば、かなりの老け作りだったんだ。

 竹内陶子さん、有働由美子さん、膳波貴子さん、阿部渉さん、高山哲也さん

 今年の「NHK紅白歌合戦」の司会グループ発表。若手アナを起用するのはいけれど、NHKの言うように、「1テレビ局の枠を超えた国民的番組」ならば、もっと一般のタレントも司会に使って、華やかにしてもいいのではと思われますが・・・。

最近読んだ本

 「明日はじめる恋のために」  唯川 恵

 最近売り出しの女流作家の、映画をテーマにした恋愛論。かなり自分に引きつけすぎる点はあるけれど、共感する部分も多々あり。「ジェーン・エア」の最後、二つの偶然から、突然ハッピーエンドが訪れる。愛を勝ち取ったのではなく、愛が転がり込んできたところが「いまひとつ嬉しくない」という。ワカル。

 「恋におぼれて」でメグ・ライアンのヒロインが振られた男に、とことん汚い手を使って復讐するけれど、後味が悪くないのは、復讐すべき相手を見据えて、間違えず、まっすぐにゆくから・・・。確かに、男を奪った女や周囲の状況に憎しみを向けるケース(もちろん男女は置き換えられる)があるものなあ。 

2003年11月10日

今日印象に残った言葉

 「死ぬということは、モーツァルトが聴けなくなるということだ」・・・ アインシュタイン  わかりやすい。納得。「モーツァルト」の部分は言い換えが利きそう。

 「みてる」・・・新聞の投書欄から。 広島の言葉。故郷愛媛との共通語が多い地方です。たとえば「おらぶ」ー叫ぶ、「はぶてる」ーふてくされる、これらは懐かしい言葉で、故郷に帰るとすぐに使える。でも「みてる」は知らなかった。「無くなる」という意味で、「傘がみてる」というように使うらしい。でも、字は「満てる」いう字を充てるんですって。一種の忌み言葉で、逆な表現をするのですね。でも、「亡くなる」場合も「みてる」というらしい。人生を十分生きたから、というニュアンスがあるなら、確かに味な使い方といえますね。

もっと京都

 10月22日、今年の時代祭も雨模様で心配したけど、なんとか天気は持ちました。京都御苑内の観覧席を予約しておいて、朝、京都駅の観光案内所で引き換える(2000円)。地下鉄で丸太町に。10時スタートだけど、早めに行ったので、堺町御門からのメインストリートは人もまだ少ない。それを幸いに、まっすぐ真ん中を歩いてみた。真っ正面に建礼門、両脇の観覧席と枝振りの見事な松の翠。気持ちいい。友人3人が遅れて到着。席確保料として持って来てくれたビールを飲みながら、祭りの開始を待つ。どんどん人が集まってくる。やはり年配の方が多い。それも女性達の服の立派なこと。にぎやかなこと。

 今年、行列はたくさん衣装を新調したらしい。こういう繰り返して、織物、染め物などの文化が保たれるのだから、何億円とかかるらしいけど、ええことやと思う。個人的には、明治はいいから、江戸以前に力を入れてほしいと思っています。それと、いつも声を大にして言っているけど、アルバイトの学生などの茶髪はなんとかしてくれ。日常はもういいけど、せめて、この祭の一日くらい「黒彩」を振ったらいい。主催者も振らせるべきだと思う。

 ゆっくりした行列は約1時間半で通過。子役の場合は行列の脇を控えめに、母親、もしくは祖母が着物で歩くという習慣があることを発見。その着物がまた凝っている。でも、歩き続けるのは大変やろなあ。最後の平安神宮は3時くらいになるはず。

 最後の列を見送って、京阪丸太町に出て、伏見、中書島に下る。最近人気の居酒屋「月の蔵人」で昼食。湯葉、豆腐を肴に酒がすすむ。月桂冠大倉記念館をざっと見て、利き酒をして(おかわりもきっちり)、お土産の酒一合をもらい、傍の運河から十石舟に乗る。両岸の柳が美しく垂れた中をゆっくり三栖(みす)の閘門(こうもん)まで10分ほどの船旅。舟の中で月桂冠を飲む。昔は京都から宇治川への航路のポイントであった、閘門は、天瀬ダムの建設にともない、宇治川の水位が下がったことで、今は形のみ。当時の面影を残す管理事務所は博物館となり、水門の上の塔は展望台になって、目に下に宇治川の流れ、南山城一帯が望まれ、見晴らしは抜群。

 次の舟で引き返して、運河沿いを歩いて、寺田屋へ。今も旅館として営業しているので、見学時間は過ぎて、門は閉まっている。入れないので、庭を望む門の前でのぞき込み、あれが風呂、お竜さんがハダカで龍馬に急をしらせた階段はあのあたりと同行の友人達に説明していると、大学生らしき若者二人が一緒に教えてくださいと寄ってくる。東京からオートバイ二人乗りで来たらしい。私の連れの女性三人はここでも元気。やれ、どこへ行くのか、大阪はあそこへいったらいいとか、世話を焼き始める。若者はそのしゃべりに圧倒されて、絶句。名だたる「大阪のおばちゃん」のホンモノに会えてよかったですと言いつつ、手を振って走り去って行きました。元気でやってるやろか?

2003年11月9日

おいしかった!

 友人からのお土産、岡山市中島田、中山昇陽堂の「きびっこ」。きびだんごの姉妹品。小さくて、さっぱりしていて、おいしい。

 これもお土産、鳥取県東伯郡、原酒造の純米吟醸「大山の音」。すっきりした切れ味。一晩で飲み干してしまいました。でも、こんな贅沢な作り方をして、やっていけるのだろうか?廃業した「近つ飛鳥」を思います。

金子浩三さん リサイタル

 7日、「いずみホール」で。全ショパンプログラムというのがすごい。冒頭の「レント・コン・グラン・エスプレッショーネ嬰ハ短調」(「戦場のピアニスト」で使われて改めてCDも売れているとか)から、アンコールの「春」まで、あっという間の2時間。終わった後、疲れましたとぐったりして言っておられたのも納得。春先に職場の音楽室でサロンコンサートを開いてくださった時とはまた、別のお顔。

 いずみホールはさすがにいい響き、スタンウエイのピアノの音も見事でした。人間のこころにしみ入る音。彼は地道に阪神大震災の復興活動も続けているのです。それは戦火に荒らされたポーランドからも繋がって来ている「平和への祈り」なのでしょう。

最近読んだ本

 「なにわの夕なぎ」  田辺聖子  70才を過ぎて「ぶっかえり」、短気になったという作者。もっと憂え、怒っていいのです。

 「深夜の唄声」  辻井喬    中上健次からインドの城まで、幅広い見識の発露が即文明批評になっている。

 「旅好き、もの好き、暮らし好き」 津田晴美  インテリアのスタイリストから今は街作りまで、手を広げている総合デザイナー。こだわりと好奇心の強さに圧倒される。

 「粋で野暮天」  出久根 達郎  さすがにこの人の書評はひと味違います。それぞれの文は短いけれど、深い。

2003年11月4日

 我が家では、まだ、夕顔が咲いています。みちのく、蔵王では、霧氷が美しいとか。やがて樹氷の季節になるのでしょうか。山小屋は今日で今年の営業を終えたとのこと。

 河内長野の18才の学生による家族殺傷事件。例によって、マスコミが殺到して大変な様子。ニュース班より、ワイドショーの取材合戦が激しいようですね。知人が美容院に行っていると、そこに取材に来て、びっくりしたそうです。容疑者がその美容院の客だったらしい。でも、警察の事情聴取ならともかく、軽々しくマスコミ取材に応じたりしないのが、接客プロとしてのマナーと思うのですが・・・。

 昨夜のワールドカップ、女子バレー、日本チームが韓国に勝ってうれしかった。
 韓国はすごくええチームやけど、あまりにフェイントがうますぎる!
 はじめぼんやり見ていたのだけれど、だんだん腹が立ってきて、途中から日本に勝ってほしいと思い始めました

 テニスでも、ドロップショットを多用する選手は、個人的にイマイチです。

 単純で、旧いかもしれないけど、堂々と打ち合えといいたくなるのです。

 日曜夕刻のテレビ「笑点」は倉吉からでした。
 出演者がみんな倉吉には人がいない、過疎やというのをネタにするので
 これにも腹が立ちました!
 ご当地でそれはないやろ?
 上手に持ち上げるのが、マナーでは・・・?

 NBAの中国選手、よう明。229センチ。
 「はえたたき」と呼ばれているけれど
 ゴール寸前のボールを次々たたき落として
 これは見ていて、面白くない!

 ルール違反ではないけれど、見ていて、気持ちいいプレーやゲームを見たい。

2003年11月2日

 めずらしく雨の「文化の日」を迎えることになりそうですね。しかし、過ごしやすい時候です。今朝の座禅は気持ちよく座れました。友人の禅寺は先日、書院が完成したばかり。座禅の後、さっそく建物探訪。十畳の間を連ねて、広々としている。いずれは本堂改築の際の仮本堂にするためとのこと。耐震構造がすごいこと、使っている木は、最近は一木でなく、合成した木を使っていることなどを興味深く聞く。屋根裏などもうまく使って部屋を作り、来年修行が明ける息子さんが住めるようにとの工夫もあって、おもしろい。四千万円以上かかったとのこと、その資金繰りの苦労なども聞く。本堂も四百年を経ているので、今度、大地震がきたら、持たないそうです。二十年後をめどに、本堂改築を考えているらしいけど、すごいなあ。本人は酒も、煙草も嗜まず、「ぼくは月千円お小遣いあればいいのです」と平然としている。ご立派。

 河内長野の家族殺傷事件、気になるけど、河内長野の友人達には電話しにくいなあ。詳しく知るのが怖いような気もします。新聞で読む限り、二人で暮らすために家族が邪魔で、そして、そのあと二人で死ぬつもりだったとか・・・。うーむ。二人で生きたいなら、なんで駆け落ちせえへんのや!と叫んで、嫁ハンに若い人は「駆け落ち」なんて言葉知らないわよと、諭される。

往く人来る人

くどうべんさん(2003年9月9日、間質性肺炎、77才)

 シャンソン歌手。破滅型というか、無頼派で、いつも飲んではったらしい。「さくらんぼの実る頃」は好きでした。合掌。

有馬秀子さん(9月25日、心不全、101才)

 飲んべえの憧れの人でした。銀座のコリドー街、「ギルビーA」のマダム。最後まで現役でした。101才というのがすごい。でも、ウイスキーを飲み始めたのは90才とか。亡くなった次の日、古市の行きつけの居酒屋でその話をすると、ママが「そうなの、さっきまで来ていたTさん(羽曳野在住の日本画家)が、ちょっと前に東京に行って、店で会ったと言ってたのに・・・」と、直接の知人でもないのに
 みんなしんみり。
最近見たビデオ

「たそがれ清兵衛」

 これも見逃していた作品です。山田洋次監督はたしか時代劇初演出のはず。しかし、丁寧に、幕末のみちのくの小藩の一下級武士の哀歓を、見事に描ききっています。真田広之は殺陣のシーンも含めて、はまり役、幼なじみ役の宮沢りえも非常に美しい。子役も、脇役も好演。成長した末娘(岸恵子)のナレーションは、耳に心地よく(昔はあのしゃがれ声が気になってしょうがなかったのに、いつのまにか魅せられている)、最後の登場シーンと、主人公達のその後の説明も、お約束通りとはいいながら、爽やかな後味を残しました。
こんなお店に行きました

「ニューメイフル」南森町店

 前から気になっていたインド料理店。ビルの地下にあるのだけど、吹き抜けになっているので明るい。店先に順番待ち用に、イスと雑誌が用意されているのがうれしい。昼時だったので日替わりランチを注文。皿からはみ出しそうな熱熱のナンと別皿のルー、スープとサラダとヨーグルト。800円。ナンの上にルーを乗っけてかじりつく。隣の女の子は苦労していたけれど、辛いもんダイスキの私は5分で平らげて、待っている人もいたので、すっと出てきてしまいました。バイキングもあるらしいので、次回は挑戦してみよう。

 ちょっと物足りなかったので、天神橋商店街2丁目の、これも名物の揚げたてコロッケ(60円)を食べながら一駅歩く。ビールは我慢しました。




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