Kan-Kan の雑記帳


2004年6月30日

 6月29日、12時30分頃、職場の中庭の桜の枝で、蝉が鳴きました。今年最初でした。例年より早かったみたいです。

 昨年は朝の通勤時、大和川の畔、川辺八幡宮の楠の下で初鳴きを聞きました。その時は、ジッと鳴き始めたら、ギッという悲鳴のような声ですぐ止まって、羽音が。待ち構えていた鳥がゲットしていったのです。長年土中で過ごしてやっと出てきたのに・・・。

 蝉ってそのサイクルを何千年と続けて来たのですが、ヒロシマ、ナガサキでは蝉が極端に少ない年があるようです。あの、原爆で焼かれた蝉の子孫が生まれないからなのだそうです。

 今日鳴いた蝉の無事を祈って、今夜もビールを飲むことにします。

2004年6月28日

 先週から大変でした。19日に神戸で行われた、全日本シャンソンコンクール全国大会で嫁ハンがグランプリに次ぐ賞である、「歌唱賞」を受賞。グランプリ(副賞パリ旅行)は将来性を見込んで若い人に(第1回は当時学生の加藤登紀子さん)と決まっているらしいので、実質、歌唱力トップと認められたらしい。NHK神戸でも報道されたとか。 大阪大会を勝ち抜いただけで快挙と思っていたので、周囲は大騒ぎ。

 でも、金に繋がらない、マイナーな分野だけに、これで、また金もかかるし、本人は更に乗って行くだろうし・・・内方としては嬉しいし、応援もしてやりたいけど、また、家はどうなるねん?と、複雑な思いも交錯する昨今です(苦笑)。

 これにしても、報道で嫁ハンが○○歳とは!?「こら、サバ読むな!」と怒ったら、あら、2歳くらいいいじゃないですかと、シャンソン教室のお弟子さんが庇う。もう、世間と弟子と二重に欺いているのです。したたかな女じゃ。許せん!

こんな夢を見た

 昼休み、仕事をしていると、急に午後の授業の予鈴が鳴って、急いで授業道具を持って立ち上がり、階段を上る。すれ違う生徒が、今日のベル早いなあとぼやいている。一段飛ばして、急いで階段を上がるうちに、今、何階かわからなくなる。ま、どうせ授業は最上階(4階)だからいいやと上って行くと、見知らぬ扉につき当たる。

 中は暗い。開けると薄暗い中に準備室らしきものが見える。その前にひとりの見知らぬ男子生徒が座っている。こちらを見て慌てて部屋の中に向かってなにか合図する。こりゃ事件だと、急いで走って部屋に飛び込む。校庭を見下ろす見たこともない部屋に男子生徒が数人、立ってタバコを吸っている。入り口には若い教師が机に向かって仕事をしている。

 生徒達を一喝して、引き連れて部屋を出る。出る時に、部屋にいた若い教師に、後で連絡します、生徒が部屋に来たら、しっかり見ていてくださいなどと言って、2階の生徒指導室に向かって階段を下り始める。3階を過ぎたところで、後ろから来ていた生徒が、あれ、ここ、どこやろと言っている。その声が小さくなって、生徒達の姿も消えてしまう。

 あれはどこの学校だったのだろう。時間と空間がちょっとゆがんでいたんだろうか・・・。

2004年6月25日

 売り方・・・参議院議員選挙、ポスターを見て・・・。僕なら辻本清美さんのポスターはあのような顔のアップにしないで、全身で、しかも頭を下げて、顔を見せない。顔はみんな知っている。反省の意と再度チャンスを下さいという姿勢を示す。それでも、有権者の目は厳しいと思うけどなあ。

 大正橋から葛井寺への参道と大和高田線の交わる近くの小さな居酒屋。暗い電灯、小さな暖簾が掛かって、戸は開いているが、店の看板は中に閉まってあるのが見える。ずっと気になっていて、4月のある日、とうとう覗いてみました。

 70代(?)のおばあちゃんが一人。カウンターにもテーブルにも埃。でも妙に落ち着く。メニューはどて焼きのみ。30数年前、すなわち、私が藤井寺の学校に赴任した頃からやっているんだって。あのころは駅前に数軒しか飲み屋はなかったねえ。昔は流行っていたけど、今は細々と、あ、先月で止めたけど、冬はおでんもやってまっせ。そう、この店のおでん、おいしそうやね、などと話して、剣菱を一杯飲んで帰る。

 数日後、気になって覗いてみたら、なんと、おでんが湯気を上げている。あ、にいちゃん、来てくれると思って、作っておいたんや。うれしくて2杯飲んで帰る。でも、500円しか取ってくれない。なんでや。あんたは福を呼んでくれた気がする、ええからまた来てやと背中を摩られて送り出される。

 それから2ヶ月、毎週1回くらい、30分だけ寄って、だいたい冷酒一杯とどて焼き2本で帰ります。でも、一度も客がいたことがない。相変わらず、暗く、汚い。でも楽しい。きっとおばあちゃん子だった自分の琴線に触れるところがあるのだろう。切れた電球を換えてあげたり、重い物を動かしてあげたりするのも気持ちいい。でも、看板は出さない(重くて入れられないのだ)。それでいいのかも知れない。店の奥での一人住まいも長いようだ。

 話しこんで2杯飲むこともある、手作りの煮物を出してくれることもある。でもいつも500円。1000円出して、商売しいやと言っても、ええねんええねんと言って、釣りを押し付けてきはる。暖簾をくぐった時、テーブルから頭を上げて、目を細めて、こちらを見極めて、ぱっと嬉しそうな表情になる・・・。それに引かれて、通い続けることになりそうです。

奈良へ行くなら

 20日、前日の雨もあり、見ごろと聞いて、「滝畑しょうぶ園」に出かける。三重との県境に近い山中のこじんまりとした花園。5月の連休に行ったころは鉄線が咲いていたけど、今は、しょうぶと紫陽花が満開。ここの紫陽花は、多種あるけど一番は青。青の色が見事。宝石のような澄んだ美しさ。菖蒲は数百種類あるのかな。これだけ多種が揃うと豪華絢爛。紫はもちろん、白も、黄も、青も美しい。目を洗われた一日でした。 

2004年6月19日

 久しぶりの痛飲(いつもは控えているかって?)。目が覚めると玄関の床の上でした。フローリングが冷たくて気持ちいい。でも、板目の跡がくっきり頬に残っている。3次会まではかすかに覚えているのですが・・・。

 12時前に帰宅してそのまま寝込み、嫁ハンと息子がどんなにがんばっても、巨体(?)は動かなかったらしい。反省。

襲名披露

 テレビで市川海老蔵(えびぞう)襲名披露・歌舞伎座5月公演の録画を先日放映していました。新之助改め海老蔵はきりっとして、口跡もよく、なかなかのものです。口上の口切は中村雀右衛門が勤め、間口の広い舞台に幹部俳優勢ぞろいの華やかさ。最後の恒例の「睨み」もきれいに決めました。録画の1週間後、父、団十郎が白血病で休演。ファンを心配させましたが、公演は引き続き盛況、今月も歌舞伎座で。休養明けの玉三郎が「揚巻」を勤める「助六」が人気のようです。

 思えば、35年前、今の団十郎の海老蔵襲名披露公演を歌舞伎座で見たのです。私はまだういういしい(?)学生でした。同じ演目で「揚巻」は亡くなった中村歌右衛門。玉三郎も若手で注目されはじめたころで、まだ10代でした。歳月と文化の伝承を感じます。

 大阪松竹座は7月に、京都南座では11月末から12月の顔見世で披露。7月の切符をやっと手に入れました。

2004年6月14日

 早朝から息子の大声で目覚めました。ギャー、ワオーという歓声はサッカーのイングランド対フランス戦に対してのものだったのです。

 それにしても、フランス、ジダン。ロスタイムで2点とは。テニスや野球ならわかるけど・・・、サッカーも最後までわからないものなのですね。

 今月の「讃岐うどん頒布会」は善通寺の「讃州屋」、サンシュウという呼び方は「金毘羅船船」でおなじみですが、店の名前になるといかにも大店という感じ。でも実際の店舗は看板もないらしい。ここはぶっかけうどん。薬味が七味でなく、鷹の爪であるということが特徴。もちろん今回も付いてます。おいしかった!

 今年のトニー賞、ニューヨーク、ブロードウエイの伝統ある演劇賞ですが、アカデミー賞に対抗してか、更にショーアップされてたっぷり見せてくれました。オープニングから司会の男前、長身のヒュー・ジャックマンが会場のラジオシティミュージックホールのロケットダンサーズ(ここだけには私のごひいきタカラヅカもかなわない)を従えて、唄いつつラインダンスを踊る。ダンサーはヒールを履いているから平均180センチ以上と見ました。長い足が揃ってきれいに高く上がる。華やか、美しい。

 地の利を生かして、ミュージカルや演劇の名場面を次々繰り広げ、また、受賞者のスピーチもすばらしい。演劇畑だけに、映画界より年齢も上、顔ぶれも濃い。なつかしいクリストファー・プラマー(なつかしい映画「サウンド・オブ・ミュージック」の主演男優、今回の舞台は「リア王」)、ケビン・クライン(「ヘンリー4世」)なども候補に上がっている。プレゼンターがまた、シガニー・ウィーバー、レニー・ゼルベガー、ニコール・キッドマンとか超一流。

 司会もつとめた、今年ブロードウエイデビュー(オーストラリア出身、映画ではすでに「Xメン」などで活躍)のヒュー・ジャックマンがミュージカル部門の主演男優賞も受賞して、新しいスターの出現を印象付けましたが、全体的には小品や問題作にも光を当て、アフリカ系アメリカ人女優が多く受賞して、しぶい味わいの結果でした。それにしても、つぎつぎ才能が流入して活況を呈す、ブロードウエイ、ひいてはアメリカの芸能界の底力を本当にすごいとおもわせられた一夜でした。

2004年6月13日

雨のおとがきこえる

雨がふってゐたのだ

あのおとのようにそっと世のためにはたらいてゐよう

雨があがるようにしづかに死んでゆこう  (「雨」 八木 重吉)


 雨の中、職場の友人達と吹田のアサヒビール工場見学に行ってきました。
 もちろん、ねらいは社会勉強、いや、そのあとの「世界のビール30分試飲会」(6月13日まで)。
 「試飲」は「飲み放題」とも読めるのです。無料というのがうれしい。

 銘柄はイギリスは「バスペールエール」、ベルギーは「クリーク」、ドイツは「レーベンブロイ」、アメリカは「ミラー」、中国は「青島」日本はもちろん・・・。最初、なじみの薄いバウペルエールから入ったのはいいのですが、次のクリークで躓きました。甘いチェリー味の発泡酒。これであとの味がわからなくなった。結局、なじんだアサヒに落ち着いて口直しという、これは計算されたキャンペーンだったのかも・・・。

 それにしても、こういう催しにさっと14名も集まるうちの職場って、団結心があるのか、呑ん兵衛が多いのか(笑)。お世話してくれたUさん(HP見てくれてますね)、ありがとう。反省会が長引いて、結局、梅田、天王寺経由で帰ったら、やはり午前様でした。

 全仏オープンテニスが終わりました。女子の浅越しのぶさんがめちゃがんばって、1−4からの感動の逆転劇、でも次のカードでセレナウイリアムズに完敗、そのセレナがカプリアティに打ち負ける、そのカプリアティが優勝したミスキナに敗れてしまう。強い人が次々に現れて、世界のレベルの高さを感じさせてくれます。また、クレーコートのため、ストローク戦が続き、見ごたえのあるラリーが多いので、テニスファンとしてはめちゃ楽しめました。テレビ中継でも、4大大会でいちばん観客席の美女を写すのが全仏です。これも楽しみでした。

 ビッグサーバーやネットプレーヤーが活躍出来ないのは男子が特にそう。でも、今年はヘンマンががんばりました。しかしやはり、準決勝で優勝候補コリアに破れ、そのコリアとノーシードのガウディオの決勝はアルゼンチン同士の対決ということよりも、ハイレベルのストローク戦を期待しました。2ゲ−ムをあっけなくコリアが奪って、このまま最短試合記録を更新するのかと思ったら、ローランギャロス(開催地)にはやはり魔物がいました。突然足を痛めたコリアにガウディオがくらいつき(戦いにくかったと思うけどなあ)、第5セットまでもつれ込む。復調したコリアがマッチポイントを握るけど、またガウディオが追いつき、3時間31分、最後のセットは8−6で見事な逆転勝ち。全仏決勝でマッチポイントを握られてからの逆転は44年ぶりとか。コリアは泣いていました。野球もですが、テニスも最後までわからんものですね。

 ちなみにミスキナもガウディオも私も身長は一緒。体重は・・・それぞれ59キロ、70キロ、○○キロ、うーむ、痩せなきゃ!

 これで寝不足が続いたと思ったら、こんどはサッカーのヨーロッパ選手権。そして間もなくテニスのウインブルドンが始まる。短い初夏の夜が更に短くなります。(ゴルフのUSオープンは見ません)

2004年6月12日

 朽臼(くちうす)を めぐりめぐるや 蝸牛(かたつむり) 泊雲  おもしろい構図だという句評がありましたが、なにか悲しい思いにさせられる句だと思います。人の営みにも似て・・・。

 うち続く雨に、あじさいが色鮮やかさを増して行きます。日本原産の花で、平安時代に水夫か遣唐使などの衣類について中国に渡ったのだろうとされます。杭州で晩唐の詩人、白居易によって見出され「紫陽花」の名を与えられたそうです。美しい花で、大好きでしたが、大きくなりすぎるとちょっと興ざめします。

 長崎、佐世保の御手洗怜美(さとみ)さん(12才)が殺された事件。ポイントはまだ絞られていないようです。校長の涙、精神鑑定の是非、クラスに行けない担任、大きなショックの級友たち、HP、チャット、小説と映画「バトルロワイヤル」、殺害現場を写メールに撮った生徒がいたとか・・・一連の過剰な報道の嵐の中で、それにあらためて驚きもしない自分の感性に驚いていました。

 休日の朝、改めて、怜美さんの父親、恭二さん(45才)の手記を読みました。「最後のさっちゃん、ごめんな、もう家の事はしなくていいよ。遊んでいいよ。遊んで・・・」というところで、妻を亡くし、男手ひとつで娘を育ててきた父親の無念が胸に迫って、先が読めなくなりました。

 最近の若者は「死」も(生も)「死者」も見たことがないといいます。祖父母は家で死にました。看病して、衰え、死を確認し、みんなで体を拭いて、帷子を着せ、通夜をし、遺体の変化を見届けました。

 でも、今、ほとんどの人は病院で死に、そのまま斎場へと運ばれる。それなのに、身の回りにはテレビ、映画、パソコン、雑誌などあらゆるところに残虐な死のシーンが溢れている。人間関係の地道な積み重ねもせず、人との距離感も保てず掴めぬまま、体だけ成長して、いきなり「殺人という究極の人間関係」に至ってしまう。国全体でゆっくり考えなければなければならない問題ではあるのでしょうが・・・。


行く人

レーガン元大統領(肺炎、93歳)

 アメリカでの人気は非常に高かったようですが、好きな人ではありませんでした。知性が感じられなかったから。一流の役者にはならなかったけど、大統領や明るい人生を演じることは巧みだったようです。それは、今思えば、すごいことだったのだ。69歳で大統領に。ある面、老人社会の星だったのかも。

 アルツハイマーを発病してから、自ら親しい友人達を次々招いて、お別れの会を催したという10年近く前のニュースには、しみじみと心打たれたことでした。

コロンビア・トップさん(肺炎・82歳)

 戦時下の暗い時代に、戦地で周囲に明るさをと、青空トップ・ライトという漫才コンビを結成したと初めて知りました。

春日井 健さん(歌人、中咽頭がん、65歳)

 1960年デビュー。三島由紀夫らに愛された、早熟の歌人は20年の空白を経て復活したのですが・・・。「壮年にしづかに兆す悲しみやある日の風はわが肩ゆ立つ」。「ゆ」は「より」の意です。

レイ・チャールズさん(肝臓病による合併症、73歳)

 「わが心のジョージア」は好きでした。7歳で失明、盲学校で独力で作曲を覚えたという。グラミー賞12回受賞の大歌手。誠実っぽいイメージがあったので、5人の女性との間に少なくとも9人の子供がいたというロイター電にちょっと驚きました。

野村万之丞さん(狂言師、神経内分泌がん、44歳)

 和泉流の御曹司というだけでなく、古典芸能の枠をはみ出して活躍、プロデューサーとしても、四条河原で歌舞伎踊りを上演するなど、意欲的な活動は期待を集めていました。来年、8世万蔵襲名披露を控えていたのに・・・。残念です。


最近読んだ本

「私の話」 鷺沢

 先日死去した若き作家の自伝的作品。世田谷の豪邸のお嬢様から、経済的破綻、貧困生活、短い結婚生活、個人的には、ギャンブルと酒・・・でも、文章は妙に明るい。

 おばあちゃんが朝鮮韓国人であったことを知り、日本語の読み書きが不自由であったことに思い至り、自身も朝鮮語を学び、また、在日韓国朝鮮人のための識字学級でボランティアをするようになる。そこで、自分の離婚を打ち明けると、あるハルモニが「あたしたちのころはね、離婚したくたって、できなかったんだよ。生活があるからね。ねえちゃんたちは、ここやここにいろんなものがついているんだから、ダンナなんかいなくたって生きていけるんだよ」と頭をさすり,肩を揉んでくれる−「教育を受ける」ということは「ここやここにいろんなものをつける」ということなのだ。なるほど。

2004年6月6日

最近読んだ本

「嫌われ松子の一生」 山田宗樹

 昭和45年、24歳の九州の中学国語教師だった川尻松子は、修学旅行でのトラブルから学校を追われ、トルコ嬢(死語ですね)、愛人の自殺、クスリに溺れ、やくざのヒモを殺し服役、更正、再度入所・・・美しかった容姿は、醜く太り、最後は行きずりの若者グループに蹴り殺されるという、流転の人生を歩むことになる。

 不器用というか、選択時にいつも悪いほうを選んでしまう、肝心なときに言ってはならないことを言ってしまうということは、愚かしいことだけど、わかるような気もします。

 同じようなテーマの石川達三の「転落の詩集」と違って、乾いた感じがするのは、時代や文体のせいもあるでしょうが、松子の甥の大学生が語り手という点もあるのかもしれません。伯母の存在すら知らされていなかった彼が、松子の人生辿ることで自分の生き方を真剣に探り始める。それが結末に妙な明るさをもたらしています。


 それにしても、題名がよくない。「A  woman who kept searching for love」という副題もとって付けたようです。



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