2005年4月30日
年2回行われる10数年前の教え子たちとの「勉強会」という名の飲み会。参加者10名。農業、公務員、カメラマン志望、会社員、プログラマー・・・と多彩な職種が集まるのが楽しみ。私の授業もあるけれど、それぞれの近況報告が面白いし、勉強になります。
会社訪問に十三に行ったら朝からキャバレーや居酒屋がたくさん開いている、なんで?と問うと、すぐに答えが来る。「それはね、先生、夜勤明けの人が来るんですよ。僕も行きました。ちなみにあと京橋と新世界にあります。その理由は・・・」なるほど、社会勉強もしてきているんだ。
中国との交流があるヤツの解説。反日運動を含む中国の今の問題は、市場開放や共産党支配の衰退もあるけれど、基本は「農民」と「都民」(そういう言葉があったんだ!)の対立、待遇の格差からくる問題ではないか・・・うーむ。
「ビフォーアフター」とかいう人気番組があるらしい。それでおばあちゃんの家が改装されたというヤツの話。田舎の使いにくい大きな家を、都会に散らばったみんなが集まれる家にというコンセプトで応募、採用されたけど、決定から放映まで2ヶ月というやっつけ仕事で、その間家には近寄らせず(当日の感動を高めるため)、写すところだけ仕上げて撮影、その後補修に3ヶ月ひとりの大工さんがかかったという。
そして、家はますます冬は寒く、夏は虫だらけになり、親族みんなは嫌がって集まらないという笑い話。ちなみに設計料金だけ無料なんだそうです。一度どんな番組か見てみよう。
帰りに送ってくれた教え子の車の前に飛び出した子猫。急ブレーキ。捨て猫らしい。助手席から飛び出して、後ろの車のクラクションを気にせず救い上げたら、片手の平に入るくらい小さい。ミャーミャー鳴いて飢えているみたい。一瞬連れてかえろうかという気になったが、走って近くの竹やぶのくぼ地に運ぶ。指にまつわりついて、附いてこようとしたけれど、振り向かず走って車に乗る。また道路に出て後続の車に轢かれはしなかったか心配です。
初夏のミニ旅行
青山高原
午前10時、友人5人と初めて近鉄「東青山駅」に降りる。まさかコンビニくらいあるだろうと思っていたのが甘かった。あったのは駅に直結したツツジ咲く美しい公園のみ。池にはおたまじゃくしが群れ、蛇がゆうゆうと泳いでいる。藤の咲く里山をいくつかハイキングコースが縫っている。「バードコース」というのを選び、整備された山道を気持ちよく歩く。連休なのに出会ったハイカーは一人だけ。
榊原温泉まで行くつもりが、途中で、「猪の倉温泉」という看板を見て、お腹もすいたし、そちらに変更。山の上のまだ新しい施設。人も少ない。つるつるして肌にやさしいお湯で、竜神温泉に泉質が似ている。室内のより広い露天風呂でのんびり。風が、頭上のハナミズキがつくる蔭が気持ちいい。見渡す限りのあざやかなさまざまな緑色をした山。風呂上りにレストランで昼食に山菜ごはんをいただいて、歩いて30分で「榊原温泉口駅」に。帰宅は午後4時という楽な日程。好天にも恵まれ、初夏のハイキングとしては上々の一日でした。
2005年4月27日
最初はそんなに大きな事故とは思われぬ報道でした。怪我人あり、死者もあるかも・・・そんなニュース、阪神淡路の震災の時もそうでした・・・死者100人を越え、怪我人は500人を越えそうです。
友人の学生時代の友人も事故に遭遇し、肋骨を折って入院しているとか。昼夜をおかぬ救出活動(この言葉も空しい)で増えてくる死者の数の多さに驚きます。
あの車両が幅50センチになっているという、痛ましい限りは、その車両の中から携帯の呼び出し音やメロディーが流れてくるというニュース。必死に呼びかけ続けている人々がいるのでしょう。その音の空しさ、怖さ。
運転手の資質や教育体制、JRの体質の問題も、もちろん大きいでしょうが、数秒の正確さ、速さを競い、誇って来た、現代日本社会の在り方が問われる事故でもあります。
奈良へ行くなら
そんな悲惨な事故が起こっているとはつゆ知らず、参観日の代休の晴れた月曜日、酒飲みの友人と二人で明日香へ行きました。岡寺。父の西国巡礼に付き合ってあわただしく訪れてから20年。今回はゆっくり。
山門を抜けてから、ずっと花だらけ。椿、牡丹、山吹は満開、ツツジは咲き始め、そしてなにより見事だったのは裏山を覆う石楠花。白、薄紅、ピンク・・・微妙な色のグラディエーションが美しい。ここの石楠花は室生寺より大分早いらしい。そして若葉の中に桜もたくさん残っている。山腹の多宝塔から葛城、金剛の山並みを眺めつつ、4月初めに元同僚からいただいた銘酒「香住鶴」の限定版「香住桜」をいただく。めちゃおいしい。通りがかりの名古屋から来たという3人連れのご婦人にも振舞って喜ばれる。万博より万葉集よ、こんなにきれいとこでおいしいお酒いただいてうれしいーーと大騒ぎの賑やかなご一行でした。結局一升をほぼ空けてしまう。
どうやって家に帰ったか憶えていません。雨にぬれたらしい。でもきちんと駅から自転車には乗って帰っている。夜中に居間で目が覚めると、テレビが延々と怪我をして病院に運ばれた人の名前を読み上げている。その中に知人の名前あり、驚いて確かめると同名の別人でした。
2005年4月23日
桜が散ったと思うと、もう、次々と花々が咲き競う、まさに爛漫の時です。ツツジ、ハナミズキ、今年は牡丹は早いみたい、藤もどんどん伸びています。薔薇ももう蕾がふくらんでいます。山々に散らばるうす紅が桜から藤の花に代わって、最も美しい季節ですね。
舞台もいい
「わが町」
4月22日 天王寺 一心寺シアター 劇団 ドラマックス
1938年初演のソーントン・ワイルダーの名作舞台は、その名前だけ聞いていて、いつも見逃していました。やっと見れましたが、それは半世紀以上も世界各地で上演されるわけが納得できる舞台でした。
20世紀の初め、まだ車が走っていないニューハンプシャーにある「グローバースコーナー」という人口2千人の小さな町。町の名前からしても、世界のどこかの片隅にある平凡な町。舞台は大道具、小道具もほとんど無いシンプルなもので、俳優のパントマイムに近い演技ですべて示されます。
3幕のうち、第1幕が味があります。約一時間、平凡な町の向かい合う、ギブス家とウェブ家という仲のよい2軒の家の早朝から夜更けまでの生活を丁寧に描く。医者と編集者のそれぞれの家族。一番列車の遠くの汽笛、牛乳配達、新聞配達、朝食、子供達の登校、下校、宿題、それぞれの長男、長女の淡い交流、それぞれの母親の教会での聖歌の練習、酔っ払いのオルガン弾き、美しい月に見とれる人たち、最終列車の汽笛・・・暗闇。
休憩を挟んで2,3幕は一気に80分、まず、数年後の両家の若い二人の恋と結婚が描かれます。そして第3幕ではまた数年後の「死」。墓石にたくさんの亡者が座っている。新聞配達の少年はフランス戦線で、オルガン弾きは酒で、ウェブ家の幼い息子は虫垂炎で、ギブス家の主婦は病気で・・・そこに新しく加わる人物は?
平凡な日常の中に痛ましいほどの貴重な「生きる意味」があるのだというテーマは普遍です。それに気づくまもなく時間が過ぎて行くのだというため息もまた・・・。若い人には退屈な舞台かもしれない、でも年寄にはジンとこたえます。暗闇に溶けるカーテンコールもない静かな幕切れ、泣いていたのも年配の人でした。
2005年4月19日
中国や韓国の対応も気になりますが、日本のこれまでの外交もきちんと、また毅然としていなかった点がありますね。こんな詩が目に留まりました。
堅苦しく、うはべの律儀のみを喜ぶ国
しかも軽はずみなる移り気の国
浅く利己主義なる国
亜米利加(アメリカ)の富なくて、亜米利加化する国
疑惑と戦慄を感ぜざる国
めでたく、うらやすく、万々歳の国
明治45年3月 与謝野晶子「或国」より。 彼女33歳 あの時代、あの状況、この年齢で、日本をこう謳う。その見識の高さがすばらしいというよりスルドイ!もちろん現代日本にも通用するということは90年余りかかって、この国はどれほど進歩したと言えるのでしょう?
行く人
江間章子さん(詩人 脳内出血 91歳)
「夏の思い出」、「花の町」(どちらの曲もフルコーラス歌えます)。尾瀬が全国区になったのはこの人のあの歌のせいでしょうね。
阪田寛夫さん(作家・作詞家 肺炎 79歳)
「サッちゃん」「おなかのへるうた」(これも全部歌えるー年やなあ)の作詞で有名ですが、芥川賞作家だったんですね(受賞作は「土の器」)。それも大阪市出身。宝塚の大浦みずきさん(ダンスの得意な花組のトップスターでした。ファンでした。サインを持っています。)のお父さんとしても知られ、宝塚に関するエッセイもありました。
レーニエ公(モナコ元首、気管支炎、81歳)
ハリウッドの花、グレース・ケリーとの結婚で地中海に面した小さな公国は世界に知られました。たしかポートピア博に来はったはず。公国は、王妃とカジノのカーレースで潤いましたが、82年の王妃の事故死以来、二人の王女、カロリーヌとステファニーのご乱行(?)、跡取りのアルベール王子はまともでハンサムやけど、47歳で独身・・・モナコはどうなる・・・心落ちつかぬ晩年だったようです。
来る人
RIKIYA(俳優、29歳)
昼ドラ「危険な関係」(ラクロアの名作ですね。これって映像関係者がダイスキな素材。最近では韓国で「スキャンダル」という映画になりあのペ・ヨンジュンが主役を演じました)の主役。和歌山出身、早稲田の工学部在学中からモデルで活躍、ブラダのショーに3年間、その後、豪映画でデビュー。こんな若者が出てきているんですね。
2005年4月17日
よく晴れた気持ちのいい日曜。窓を全部、開け放ち、半日かけて部屋の大掃除。古い年賀状、写真、手紙、ノート、メモ、授業資料、原稿、、教案、日記、フロッピー、切り抜き、カタログ・・・溜め込んだものを整理、一気に捨てる・・・寂しい気もあるけれど、なにかダイエットに成功したようですっきりしました。また、明日から新たにがんばれそう。そしてまた溜め込んでゆくんだろうなあ(苦笑)。あ、冬物の服の整理が残っていた!
最近知った存在 「ハワード・ヒューズ医学研究所」
伝説の大富豪は19歳で遺産相続、20歳で医学研究に自らの遺産を投じる遺言を作成したという。年間予算600億円。錚々たる研究員の中には利根川進さんもいた・・・・病的な潔癖症だったようですが、それが嵩じてやることもスゴイ。年間予算の多さは、その研究所の業績と人材の多さに反映されるのですね。映画「エビエーター」はまだ見ていません。
2005年4月16日
絵本「とにかくさけんでにげるんだ」副題「悪い人から身をまもる本」
こんな題の絵本が売れているとか。寂しい限りですね。3月に田舎に帰ったら、自分の村では別ですが、町では、見知らぬおっちゃん(私)に子供が興味深そうに笑いかけてきたり、話しかけてきたりしました。そんな光景ももうすぐなくなるのでしょう。「見知らぬ人は悪人と思え」という教育を幼い頃からして、その「刷り込み」はもう消えることはないでしょう。そんな子供達が大人になった時の事を思います。反日教育も同じでしょうね。
珍しく新番組をいくつか見ました。人気脚本家が揃った今春ですが、やはり内館牧子さんの「汚れた舌」がおもしろそう。飯島直子さん復活?美女、森口瑤子さんが悪女を熱演しているのも楽しみです。
大阪の春
花見の仕上げは「通り抜け」。嫁ハンと天満橋で落ち合い、まずは水上リムジンで大川クルージング。10人乗りの船には二組だけ。盛りを過ぎたとはいえ大川端はまだ屋台と人手がいっぱい。水面に舞い散る桜吹雪を浴びて30分で1500円。これは儲けものでした。風が快適。
人波に押されつつ、造幣局へ。八重桜が満開直前。背が低く、華やかで、これはこれで素敵。楊貴妃、爛々、二尊院、うこんなど名桜をたっぷり堪能しました。
六甲山の春
はじめて「六甲山ケーブル」に乗りました。10分で一気に登る。少し肌寒くなる。山上巡回のバスで「六甲ガーデンテラス」へ。数年前、展望台、売店、レストランなどすべてイギリス風にうまく改築してリニューアルオープンしています。春霞で下界の景色はイマイチでしたが、気持ちよい風が吹く。なんといっても山桜が今、満開。萌えはじめた緑の中の桜色が美しい。つつじ、もくれんも咲き競って春爛漫。ガーデンテラスは売店も充実、「いしころ屋」で嫁ハンに赤いガラス玉のイヤリングを買う。1200円。名物のアイスクリーム300円。おいしい。
再びバスで27年ぶりに「六甲オリエンタルホテル」へ。あの時は新しかったけれど、すっかり落ち着いて、ちょっとさびれたたたずまいがいい。眼下には神戸市街の東半分が一望に。でも、またしても、最近出来た安藤忠雄さん設計のコンクリートのチャペルだけが浮いている。カフェでケーキセットをいただいて、送迎バスでJR六甲道へ。ヘアピンカーブの続くドライブが20分。始めからケーブルでなく、送迎バスで行けばよかった(笑)。でも、きもちいいミニ旅行でした。
最近読んだ本
「本所しぐれ町物語」 藤沢周平
江戸物の短編集。例によって庶民の哀歓を綴っていますが、作者はかなりハッピーエンドを意識してつくっているようで、後味のよい作品。飲んだくれて死んだ父の借金を、身を売って清算する、健気というよりかわいげのないしっかりした幼い娘。どうなるかと心配しましたが、なんとかなるのです。やはり名手です。
「桜の樹の下で」 渡辺淳一
かつて週刊朝日に連載していたものであったことを読了してから思いだしました(苦笑)。岩下志麻さん主演で映画化されたことも。祇園の料亭の美しい女将とその娘と、同時に関係を持つ東京の出版社社長の主人公。みえみえの展開を手馴れた情景描写と丁寧な心理描写で引っ張ってゆく。でも、おなじ中年男としても、やはり主人公の甘えと身勝手には共感できません。
「相棒に気をつけろ」 逢坂 剛
これは面白かった。日本で少ないコン・ゲーム小説(詐欺師を主人公にその世界を描く)でしかも成功している。ストーリー展開の妙もありますが、やはりポイントの人物造型が見事です。ええ加減な主人公とそのしたたかな悪女のパートナー(かなり太めの美女、四面堂遥ー通称ジリアンー「Xファイル」のジリアン・アンダーソンに似ているからという設定)のやりとりが愉快です。おしゃれ。ドラマ化されないかなあ。
2005年4月14日
リンカーンが暗殺された時に身に着けていたフロック・コートが「ブルックス・ブラザーズ」。アイビールック、アメリカ東海岸の洗練されたおしゃれ。自分とは無縁のものと思っていたけれど、お洒落な友人に勧められて、アウトレットで赤い帽子を買いました。2000円也。たった1品でも、身につけるとなんやぴしっと引き締まって若返ったような気になって、テニスが弾みました。不思議なものです。
朝起きると一番にうがいをするー睡眠中は唾液の働きも落ちるので、口中にばい菌が増えているから・・・その上で水を2杯飲むとよいーこれも睡眠中に失われた水分補給の為ー新聞記事で呼んで即、納得。実践しています。
桜と好きですが桃の花も好きです。3月に帰省した時、家の前の畑の桃の花が枝が伸びすぎたので切ってくれと言われ、まだ蕾でしたが大きな枝ごと持って帰阪。あちこちに配って喜んでもらいました。約1週間で見事に開花。さくらはほど艶麗ではないけれど、こちらはあでやかで色気があります。富田林のブティク、河南町の友人宅、藤井寺の居酒屋、阿倍野の事務所、息子のホテルの中華レストラン「香桃」(シャンタオ)・・・同じ木の花が、大阪のそれぞれの場所で花く・・・人も同じかも知れませんね。
2005年4月13日
今日、夕方、帰宅中、自転車の前を黒いものが掠める。今年初めて見たツバメでした。ばたばたしていたので、いつ来たのか知りませんでした。彼らの故郷、インドネシア、スマトラでは火山が噴火したらしいけれど、たくさんの鳥達は大丈夫だったのでしょうか?
逢魔が刻ー先日の夕暮れ時、大和川を跨ぐ大正橋を、日が沈んだ後の濃い紫の西空を眺めながら自転車でゆっくり渡っていて、ふうっと引き込まれるような気持ちになって、そのまま橋の袂の赤信号の横断歩道に入って行きそうになりました。クラクションではっと我に戻ってブレーキを踏んだけれど、あのまま突っ込んで死んでたら自殺だなんて言われるのでしょうか?人生、わけのわからないそんな瞬間もあると思います。それにしても不思議な体験でした。
大滝秀治さんへのインタビュー記事から
「欠点が欠点と映らないまれな役者」といわれますが、本人はものすごい努力家。台本は24時間はなさない。「持っていないと逃げられそうな気がする。女性と同じですよ」
演技と同じ飄々とした語り口。名優は更に進化を続けます。
2005年4月12日
最近「日本の家」を刊行したフリーカメラマン、和田久士さんのインタビューから・・・。
「日本の家は、庭の自然と一体になっている。だから四季折々で家の表情が違う。床の間や掛け軸も、季節に応じて変わるし。住んでいる人の細部の演出が実にすばらしい、欧米の家も面白いが、家として完結しているから、一度撮れば終わりにできるんです。」
欧米の家は訪ねていきなり撮影もOkだったが、日本では必ず後日ということになり、当日菓子折りを持ってゆく。玄関に打ち水があり新しい花が床の間に活けてある。「打ち水は訪ねていいというサインだと初めて知った」そうだ。
行くひと
清家清さん(建築家 4月8日、肺炎 86歳)
奇をてらわない、落ち着いた作風に、丹下さんより、黒川さんより、安藤さんより好感が持てました。
2005年4月11日
中学生4人洞窟で一酸化中毒死。暴挙と責めるのは簡単だけれど、若いときの、無茶や冒険心ってあります。我々も親に内緒で埋め残された防空壕で遊んだ記憶があります。いたましいけれど、親の嘆きはわかるけれど、死者を鞭打つ気にはなれません。洞窟を放置した(?)行政を攻める気も起こりません。誰が悪いというのものではありません。人の世にはこのような事故は、ままあるものではないでしょうか。
やはり西行の桜
職場を5時半に飛び出して、一路南へ。河南町の弘川寺へ。もう30年、毎春通っているので、やはり今年も落とせません。6時半、もう、門は閉まっていたけれど、その前で友人と落ち合い、急ぎ足で裏山へ。桜は昨夜の雨風で大分散っていたけれど、まだまだ風の届かない山間にはたっぷりに残っている。西行の墓に一礼、山桜の大樹3本を見下ろす丘の上で、持ち寄った熱い紅茶とたこ焼きを楽しみながらあわただしく眺め、しゃべり、30分ほどで足元も暗くなったので、花びらの白さを目印に山道を引き上げる。今年も見れてよかった。
丸谷才一さんの文章から・・・明治時代、三木竹二という劇評家がいた。本名森篤次郎で、森鴎外の弟。その劇評に「先ず第一に感服したのは、一座が好く和熟して、悪い役でも役不足を言わず、神妙に勤めて相手を引き立てるので、舞台がしっくりして隙のないところです」
―「和熟」、今でいえば「アンサンブル」でしょうが、スター主義の歌舞伎界にいて、明治の時代にすでに西洋的な視点を持っていた人なんですね。鴎外の弟にそういう人がいたことも知らなかった。
2005年4月10日
戦いに 果てにし子ゆゑ 見に沁みて 今年の桜 あはれ散り行く
これを歌った人は有名歌人にして国文学者、同性愛者でもありました。「戦死した息子」は 養子で後継者として将来を嘱望されていましたが、昭和20年、海軍士官として南の海に散る・・・それを思って読むとまた悲痛な思いがあります。
そういえば、戦艦大和が出撃したのも4月初旬でした。出発前日、甲板で見張りの水兵が桜だ!と叫んだら、みんながどっと双眼鏡に飛びついて、本土の最後の桜を眺めたそうです。岩国市の桜でしょうか。その2日後、大和は沖縄沖で3000人余の命と共に沈んだのでした。
藤井寺市の居酒屋「薫」もとうとう店じまいすることになりました。腰を痛めてもう続けられないという「おかあさん」に、もう82歳やもん、十分働いたよとねぎらってあげました。奈良県吉野の下市の弟さんのところに家も用意してあるそうで安心です。たくさんの弟妹のために若いときからずっと働いてきたのです。これからゆっくりさせてもらってもばちは当たりません。もう店も開いてないのに、僕のための焼酎だけは用意してくれていました。
かつては大阪芸大生の溜まり場で、午前3時頃まで流行っていたというのに、この1年間の付き合いで一度も客に会いませんでした。目の前のコンビニもおでんを売っています。潮時なのでしょう。でも、寂しくなります。
今年の桜は、小野妹子の墓、推古天皇稜、大和川ほとりの2本の桜、石川堤、極めつけは、今年は公開されなかったけれど、友人のPL関係者の好意で見せてもらったPL教団の敷地内の桜。人のいない夕暮れ、全国から40年前に届けられたという1万本あまりの桜はたっぷり満開の枝を地面近くまで垂らして見事のひとことでした。
もちろん翌朝は深い二日酔いの淵に沈んでいたのはいうまでもありません。
さまざまのこと思い出す桜かな 芭蕉
最近知った言葉
「孤独学」・・・昨年から大学の講座にもあるらしい。日本では一人になることは「協調性がない」とされ、「孤独」ということばは「淋しい」「独りぼっち」といった悪いイメージがあったが、英語ではこれを「ロンリネス」と呼ぶのに対して、自ら進んでひとりになる孤独を肯定的な概念として「ソリテュード」と呼んで区別している。群れから離れてひとりになる時間を持つことで、人はストレスから解放され、想像力や活力を養うことが出来る・・・・この記事は週刊朝日から。なるほど!
2005年4月6日
「世の中は3日見ぬ間に桜かな」
「世の中は3日見ぬ間の桜かな」の方が一般的ですが、近年「に」の方が好きになりました。年度始めの忙しさで花見もできませんが、「花の行方を思う」のも春の風情です。
松井、イチロー、すごいですね。プレシッャーをいとも簡単に撥ね退けてゆく。
クタクタで夜の9時に家にたどり着くと、夕食は、わけぎと青柳のぬた、ぶり、ジャコおろし、竹の子の煮物・・・これで酒がないのが辛い。でも、飲み始めると止まらないし・・・週末の花見を楽しみに禁酒を続けます。