2005年6月25日 その2
なんでも堺
リーガロイヤル堺
今月のホテルツアーは堺へ。ハリウッドツインというプランで2人で1,2470円。関空開港を見越して、南海駅前に建てられた立派なホテルなのに、空港利用客は素通りしているという噂。たしかに入れ物はすばらしい。ロビーのシャンデリアなんて大きすぎるくらい。でも個性を感じないのです。モダンなハイアットや、部屋とイメージカラーが強いウエスティン、風景を売るポートピアのような目玉がなくて、面白みに欠ける優等生みたい。
やはりホテルの勢いみたいなものがあるんだろうか?週末なのに賑わっているのはビアガーデン、あとはなんとなく閑散としている。従業員の方も一部以外元気ない感じだった。ま、酔っ払って行ったので、えらそうに書くのは遠慮しましょう。翌朝目覚めて、自分がどこにいるのかわからず、めちゃ焦った私です。
でも、先月の名古屋観光ホテルもリーガロイヤルも丁寧に感想を書いたのに、なんの反応もなし。きちんと返事をくれた、ハイアットリージェンシーや京都グランビアの対応を思います。
方違神社
堺東の駅前で教え子のやっているタバコ屋を覗いてから(「嗅ぎタバコ」といのを初めてじっくりみせてもらった)、歩いて7分。引越しを控えているのでやはりここへ。古墳に面した静かなたたずまい。でも、たくさんの方がお払いを受けているので、私は10円、嫁ハンは100円のお賽銭で済ます。神さん怒ってはるかなあ。
もっと京都
桂離宮
20年ぶりに訪れて、よかった。前回は池の浚渫工事をしていて、庭の風情がイマイチでした。今回はじっくり味わえました。
まず、庭の入り口の「住吉の松」、庭の全景を見せないためのブラインドだったんだ。ゆっくり少しずつ見せようという配慮、仕掛け。庭には順路に従って1200余りの飛び石があるけれど、その間隔も絶妙。ゆっくり見てほしいところは間隔が狭くなっている・・・。
点在する茶室は季節ごとの仕様がなされ、築山の上の茶室は夏用で、裏の水田から吹いてくる風が見事に吹き抜けて暑さを忘れます。(この日京都は32度)
松琴亭の青と白の市松模様の床と襖のモダンさ、細かい部分の気の遠くなるような意匠や細工は押し付けがましくないのでかえってすごいと思わされます。
野うさぎが1匹いたり、前回無愛想だった案内の方がめちゃ親切だったり、御所や離宮の中で一番厳しいチェックは変わらないけれど、写真撮影も一部でOKだったり、大分方針も変わってきたみたい。
ここの月波楼と大河内山荘の展望台、金閣寺の3階で月見をしたいというのが私の生涯の夢なのですが、叶うことはないでしょうね。
1時間の拝観の後、桂川沿いの生の竹を使った青々とした「笹垣」を見ながらバス停へ。広壮ですばらしい文化遺産ではあります。そのメンテナンスの大変さを思い、これまで保存してきた人々の努力を偲び・・・でも離宮造営や、風雅の道にしか生き甲斐を持てなかった江戸初期の宮家の人々の心境も思ったことでした。
2005年6月25日 その1
息子の読んでいたMJ(日経流通新聞)を覗くと、今年の上半期のヒット商品が発表になっている。これはいつも楽しみです。東の横綱は「富裕層向けサービス」、リゾートホテル会員権も売れているらしい。西の横綱は「生鮮100円コンビニ」。なるほど。愛知万博は大関。話題賞は、クールビス、風太くん、ホリエモン、納得。残念賞は、カルフールとCCCD(これって何?)。
ちなみに「富裕層」とは、「不動産を除く金融資産を100万ドル(約1億8千万円)以上持っている人々のこと」だそうです。勝手にやってちょうだい。
行く人
水島弘さん(俳優、肺炎、72歳)
劇団「四季」の創立メンバーで劇団の要だった人。東大在学中から四季に参加。あのころの「四季」は、若い浅利慶太さんを中心に、他の新劇とは一線を画して、その後出来た日生劇場をホームグランドに、アヌイやジロドゥの戯曲を独特の発声で演じていました。ミュージカルに流れてしまった(それはそれでいいけれど)ことは、水島さんにとっては寂しいことだったかもしれないと勝手に思っています。最後の舞台は93年の「オペラ座の怪人」。7月19日に亡くなって葬儀はすでに済んでいるそうです。
もっと京都
大西清右衛門美術館
三条釜座400年の伝統を残す大西家。当代は16代目でまだ40代の若さ。建物はビルになっていて、1階に工房、7階が茶室、3階が展示場。これだけたくさんの茶釜を一度に見たのは初めてで、その曲線、肌触り、さまざまな意匠の幅広さに感服しました。
おそるおそる訊いてみたら、現在もやはり一般の注文などほとんど受けず、三千家(表、裏、武者小路)が中心で、数百万円単位の値段なのだそうです。
紫織庵(しおりあん)
これが新鮮な驚きでした。六角堂の帰りに時間があって寄ってみたのですが、これほどすごい建物とは思っていませんでした。江戸の名医、荻野元凱の医院跡に、大正の豪商井上利助が建てた粋を凝らした和洋折衷の屋敷。京都の伝統的な「大塀造」を踏襲しつつ、大正モダニズムも香ります。
240坪に洋館、茶室、母屋、二棟の倉とその他。
玄関は3つ、旧帝国ホテルと同じ素材の外壁を持つ玄関1階洋間の上は、この家専用の祇園祭の山鉾を見る為の「鉾見台」(バルコニー)。ほとんど鉾の上階に手が届く位置で見られるようになっている。
母屋の15畳と12畳半の座敷にも感嘆。ぶち抜いたら職員会議ができます。欄間は竹内栖鳳作で桐の一枚板。2階にも15畳の座敷と広い洋間、グランドピアノ・・・。舞台は違いますが、ここでも「細雪」のような生活が繰り広げられたのでしょう。
東西に向かった造りで南は開けていませんが庭が二つあり、広縁の大きな「波うちガラス」から、緑と光溢れる庭が眺められ明るい印象です。二つの庭には庭師がそのまま出入りできるようトンネルが外から掘られている・・・。
四季折々に訪ねてみたいステキな家です。平成9年まで人が住んでいたらしい。今も事務所として使用されている様子。京都市指定有形文化財。入場料500円。
2005年6月23日
激しい全仏オープンが終わって2週間、もう全英オ−プンが始まりました。また毎夜の観戦に寝不足の日が続きます。9時間の時差も衛星放送では関係なし。それにしても赤土とカラフルなウェアの全仏から一転して、芝のコ−トに白一色のコスチュームも鮮やか。シャラポワの金を縫いこんだシューズも話題です。昨年17歳でこの大会で優勝して、もう1年。ういういしいプリンセスが今や貫禄を漂わせています。1年は長いのか短いのか・・・。
「惚れて通えば千里が一里、ぬしを待つ間のこの長さ、おやまあ相対的ですね」
大正11年秋の、アインシュタイン来日の時に歌われた俗謡だとか。時間や空間も絶対ではないことをうまく表しています。
遠き山に陽は落ちて・・・
プラハ交響楽団の演奏会(23日、フェスティバルホール)に行って来ました。チェコがスロバキアと分離してもう12年。オーストリア、ドィツ、ハンガリー、旧ソ連、それぞれの国の支配と葛藤を経て、スラブの国として独立と誇りを保つ。
首都プラハには国際的な3つのオーケストラがあるという。 その中でもよりいい意味で土の匂いのするというオーケストラ、それが「国民音楽の父」スメタナの「わが祖国」を演奏する。まさにご本家、そのプライドと迫力がありました。もとは民謡だったというあのメロディ、雨が降って来て、猫チャンは家に、子犬は外で・・・という明るい歌が短調に変わって、モルダウの流れのうねりのように迫って来る。やがて流れがプラハに入ると、元の長調に転調して一気に喜びを表します。「プラハの春」を知っている世代としては、その迫って来るメロディに思わず涙してしまいました。指揮は小松一彦さん。
モーツァルトのピアノコンチェルト第27番は荒憲一さんのピアノで。これがモーツァルト最後のコンチェルト。不遇で生活苦の中で生まれた曲なのに、降り注ぐ陽光と優しい風の中で、自在にはしゃぐ子リスのような明るい第1楽章のすばらしさ。モーツァルトは最初ウィーンで不遇だったけれど、プラハで受け入れられた作家なのだそうです。
3曲目はドヴォルザークの「新世界より」。これも地元の作曲家。熱演でしたが、指揮者と呼吸がいまいちあってなかったようです。来日して、福島、東京、そして今夜の大阪とハードなスケジュール。疲れもあるのでしょう。あの第2楽章の緊張感からか、第3楽章はしんどそう、一気に第4楽章まで走りこんだけれどちょっとグロッキー気味と感じました。でも、弦の美しさ、特にバイオリンとチェロの駆け引きはきれいでした。やはり生はいい。明日は愛・地球博で演奏とか・・・。お疲れさまです。
2005年6月18日
ワールドユースのサッカーを見ていて興奮しました。0−0ながら、押していて、後半30分で逆に先制されるが、終了間際に同点に追いつく。 その粘りに日本チームの成長を感じました。これで決勝トーナメント進出決定。こういうぎりぎりの試合を重ねていって若いチームは鍛えられるのでしょうね。
教育大付属池田小の事件で犠牲になった塚本花菜(当時小2)ちゃんのお父さんに、宅間守が法廷で投げつけた言葉ー「おい、お前、子どもと血がつながってないやないか!」被害者側の供述調書を宅間が読んでいたのです。死んだヤツだけど、やはり許されへん。
実は事件前日(6月7日)、花菜ちゃんはスーパーの父の日ポスターコンクールに応募していたのだそうです。仲のよい父娘だったといいます。あれから4年です。
2005年6月14日
6月3日に記入した羽曳野の旧家「畑田家」の記述で、「白川英樹氏を囲む会」が行われたと書きましたが、「囲む会」は10月実施でした。私の勘違い、記憶違いでした。お詫びして訂正させていただきます。また、秋になりましたら紹介させていただきます。私も友人の化学教師に教えます。勉強好きのヤツなので、きっと飛びつくでしょう。
2005年6月13日
倉橋由美子さんの死にはちょっと驚きました。「パルタイ」、「スミヤキストQの冒険」は学生時代に読んでまだ本棚にあります。当時は新鮮で刺激的な作品でした。69才だったということも初めて知りました。もっと上の方と思っていました。ただずっとご病弱と聞いていたので、長生きされたんだなという気もあります。
「長岡輝子の四姉妹」が話題になっていますが、この名女優(95才)に3人も姉妹がいたなんて、それも矍鑠としてはるなんて・・・。ちなみにその構成は姉の妙子さん(100才)妹春子さん(88才)陽子さん(83才)。みんなご立派。「細雪」ならぬ「牡丹雪」の世界ですね。
行く人
塚本邦雄さん(歌人、呼吸不全、84才)
馬を洗はば 馬のたましひ さゆるまで 人恋はば人 あや(殺)むるこころ
戦後短歌界の輝く星でした。近大教授でもあったんだ。自宅は東大阪市。
草野昌一さん(訳詞家、すい臓がん、74才)
「ヴァケ−ション」「砂に消えた涙」は今でもフルコーラス歌えます。わかりやすい日本語でした。でも「マシュポテト」なんていう言葉を初めてこの歌で知りました。
先代貴乃花
もう、気の毒やなあ。亡き後も、若貴の兄弟の確執だけが取り上げられて・・・。栃若時代からの流れを知っている者には深い感慨があります。大鵬、千代の富士、北の湖、そして若、貴にいたる土俵の厳しくも美しい勝負の連鎖。でも、その私生活にマスコミの話題が移って行ったときから興味を失くしました。死者に鞭打つ気はさらさらないけれど、今の時代についてゆけないまま脚光を浴び続けなければならなかった、世間知らずで愚直な人だったのかもしれません。
アン・バンクロフト(米女優、子宮がん、73才)
舞台と映画「奇跡の人」でサリバン先生を演じてアカデミー主演女優賞。大ヒットした映画卒業でダスティ・ホフマン扮する主人公を誘惑するミセス・ロビンソンを演じてこちらも評判に。あくの強い演技派。名監督メル・ブルックスの奥さんでもありました。
ところで、日本の舞台でサリバン先生を演じた大竹しのぶさんは、台本を数回読むだけでセリフを憶え、本番であがった経験もないという。こちらも天性の女優さんなんだなあ。
石津健介さん(服飾評論家、肺炎、93才)
アイビールック、「VAN」田舎の高校生にはまばゆいものでした。午後11時に帰宅した大学生の息子に「なにやってんだ。若いうちはもっと遊んで来い」と叱ったという逸話も。倒産とかいろいろあったけど、最後までおしゃれにこだわったらしい。病院でもパジャマでは通さず、毎朝着替え、息を引き取った時はスタンドカラーのシャツに茶色のコットンパンツだったそうです。
エディ・アルバートさん(米俳優、肺炎、99才)
「ローマの休日」で主人公のグレゴリー・ペック扮する新聞記者の友人のカメラマンを演じました。特ダネを狙い、オードリー・ヘプバーンのアン王女の様子を隠しカメラで撮影する重要な役どころでした。思えば、あのカメラマンはのどかな時代のパパラッチだったわけです。
2005年6月12日
「おばけ屋敷」の宣伝が効きすぎたのか、家が売れません(苦笑)。やはり景気は厳しいものがあります。特に南河内の不動産の動きは鈍いのですと、不動産屋さんもため息。まだ若い担当者が、一度バブルの頃にやってみたかったと愚痴るので、いやいや大きな金額のもんや、電話一本で右左というのじゃなくて、頭を捻って、地道に足を運んで、人間関係を作りつつ、売ってこそ本来の不動産業やんか、と慰めつつ、また一緒にため息をついています。
ほととぎす、ほたるの便りを聞くのですが、今年はばたばたして、なかなかそちらに向かって行けません。
義父も腹水が溜まり始めたので、要注意。苦痛が少ないのが幸い。医者の入院の勧めにはまだうんといわはりません。
かかっている病院に繋がりのある、近所の、往診してくれる開業医に相談してみようと思っています。
最近読んだ本
「夜のピクニック」 恩田陸
評判の青春小説。ある地方の高校。夜を徹して80キロ歩き通すという「歩行祭」を舞台に、異母兄妹(姉弟)で同級生の主人公二人の思いと、周囲の心の動きが鮮やかに描かれる。さすがノスタルジーの魔術師といわれるだけのことはある。恩田さん、うまい!
ビデオでガマン
「ミニヴァー夫人」(1942年 アメリカ)
最近、伝説の名画を見ようと思い立って、ぼちぼち見始めています。「ミモザ館」に続いてこれを選びました。
第2次大戦前夜、ロンドン郊外の海岸の由緒ある高級住宅地。日本なら鎌倉か芦屋のイメージか。ヒロインで、この街に住む弁護士ミニヴァーの妻は美しく聡明で、みんなの憧れ。薔薇栽培に情熱を燃やすこの街の駅長は自作の薔薇に「ミニヴァー夫人」という名前を附け、それまで、かつてこの街の領主であった貴族館の老貴婦人が仕切っていたフラワーコンクール出品に意欲を燃やす。
ミニヴァー夫人には大学生の息子と幼い娘と息子。開戦が近い状況に、帰省した息子は空軍に志願する。やがて、開戦、空爆が始まる。夫は徴用され舟でダンケルクに同胞を救いに行く。不時着したドイツ兵と夫人の遭遇、息子と貴族館の孫娘の「身分違いの恋」。戦時下でも日常生活は続き、様々な出来事を越えて息子の結婚を迎え、フラワーコンク−ルで薔薇「ミニヴァー夫人」は賞を得るが、その直後の空爆時の機銃掃射で駅長も新婦も亡くなってしまう・・・。戦争に翻弄される庶民に悲哀。
ユーモアを交えた街の人々の日常描写が、逆に戦争の悲惨さを浮き上がらせます。このあたりの名匠ウイリアム・ワイラー(後に「ベン・ハー」、「ローマの休日」)の手腕は見事。
主演のグリア・ガースンは、美しいというより立派な顔立ち(日本でいえば山本富士子風)でそれをソフトフォーカスでさらにきれいに写されて、堂々のアカデミー主演女優賞(1943年度)、息子の嫁役のテレサ・ライト今春亡くなった)は助演女優賞。(ちなみにこの映画は作品賞はじめ6部門受賞)。題名にはこの「二人の夫人」と薔薇の名の3つの意味があったのです。
しかし、これはよくみるとれっきとした国威発揚映画でもあるのです。アメリカ映画はこういう外国を舞台にしたメロドラマやホームドラマで戦意高揚を図るのが非常に巧妙です。「カサブランカ」もそうでした。反ナチを訴え、「自由を守る」ために戦うことを提唱します。噂に聞いていた有名なラストシーン、人々が祈る教会の破れた屋根の隙間から見える迎撃に飛び立つ英国空軍編隊のシーンに改めて複雑な思いがしました。
2005年6月11日
いよいよ梅雨です。沖縄はもう梅雨明けだそうですが・・・。昔は、じめじめうっとおしいこの時期がいやでたまらなかったけれど、今は雨も好きです。紫陽花や菖蒲、睡蓮、やまぼうし、くちなし・・・雨の中に咲く清楚な花も好きです。雨でテニスもできず、家のなかで本を読んだり、あれこれ溜まった雑用をしているのも好きです。これも年を取った効用なのでしょう。
アメリカンチェリーというさくらんぼ。おいしいけれど、あらかじめ種を抜いてある。どうするんだろう。確かにおいしいけれど、やはり味気ない。そういえば、レモンスカッシュに乗っていたさくらんぼの茎を口の中で結んだりする遊びが学生時代に流行っていたっけ。今はそんな遊びはなくなっているんでしょうね。先日、飲み屋でお湯割りの中の梅の実を歯で割って、その中身(「天神さん」という)を食べたら、みんなにびっくりされました。
最近印象に残った言葉・記事
「眠くなれば寝てしまい、気にするなと言われても気にしてしまうのが人間の業であり、その業を肯定してやるのが落語の世界なんだ」立川談志―いろいろ舌禍事件を起こしますが、根はまともに落語を捉えて考えている人なんだ。言葉にきれと含蓄あり。やはり一種の天才かも。
読売新聞の記事からー銚子市での3歳の女児虐待死。父親の連れ子で、毎日玄関の外に出され、「ごめんね、ごめんね」と泣いていたという。「お前なんか、前の母親の所に行け」と新しい母に言われても、3歳の子に何ができよう・・・。
こんな夢を見た
入院中の友人に頼まれて、彼の留守宅へ行く。和歌山県橋本市の手前の御幸辻(みゆきつじ)で電車を降りて、山側へ歩くこと数分、列車の車両をそのまま使った家が現れる。5両の細長い家。家中は通路を挟んで細長い部屋が続く。
頼まれたとおり、窓を開いて風を入れてゆく。外は快晴。最後の部屋の窓際で鳥篭を見つける。止まり木にミイラと見まがうカナリアが止まっている。まだ生きている。籠に触れるとぽとりと下に落ちた。急いで掌に包み、テッシュに水をしめらせて、カナリアの口に持ってゆくと、パツリと小さな目を開いたところでこちらも目が覚めました。入院中の友人に心当たりはあるけれど、家も場所も違う、カナリアは何を意味していたのだろう?
2005年6月8日
平野区役所から綿の苗(40本)をいただいたので、校庭の隅に植え、毎朝水遣りをしています。綿は平野区の花。河内木綿の産地だった名残です。
昨日、やっと時間が取れて、畝を造りました。炎天下の農作業は久しぶりですが、昔の記憶を総動員して小一時間、汗まみれになりましたがなんとか完成。これで梅雨が来ても大丈夫です。
作業後、校庭の枇杷をもいで食べながら、小さな畑を眺め、綿が出来たらクッションを作ろう、などとほざいて、それは10年先でしょう、と見ていた同僚に笑われました。
映画ダイスキ
「ミリオンダラー・ベイビー」
友人に招待券をもらって、夜の部に滑り込みました。今、話題のアカデミー4部門受賞作(作品、監督、主演女優、助演男優)。
ボクシングだけが生き甲斐の貧しい育ちの31歳のウェートレスが、女子は面倒みないという老トレーナーに強引に頼み込んでレッスンを受け、世界を目指して一気に駆け上がり始める。そこまで面白い。
迫力あるボクシングシーンと主演のヒラリー・スワンクの鍛えた体と動きが話題ですが、映画はヒロインが大怪我で倒れ、入院してからの後半がポイント。絶望的な状況でトレーナーが下した決断は・・・。
ヒロインは父を失っており、一人暮らしの老トレーナーはなんらかの事情で娘から義絶されている。それぞれの魂がかけがえの無いものを求め合うという物語なのですが、残念ながらその肝心の後半で映画としてのテンションが落ちます。
トレーナーの苦悩の描き方が足らないし(監督だが、主演でもあるイーストウッドはあまり派手な演技をしない)、ヒロインのひどい家族(だらしない母、ぐれた弟)の描き方も類型的。脚本の問題でもあります。
ラストシーンは余情があっていいですが、感動はイマイチでした。期待しすぎたのかな。映画としては前作「ミスティック・リバー」の方が深いと思います。トレーナーの長年の親友で元ボクサーを演じ助演賞のモーガン・フリーマンはおいしい儲け役。失礼ながら、この名優にはこれくらいの演技で賞を上げなくてもいいと思いました。
2005年6月3日
どこかでなにか、ちょっとしたマチガイをしたらしい、それが何かわからないまま、頭にひっかかっている、ということがあります。思い出しました。昨夜の夕食のメニューは「ほうれん草の胡麻和え」でなく「春菊」でした。
「ほうれん草」の名前の由来も国名。西南アジア原産で中国経由。ペルシャの中国読み「ポーレン」が変化したらしい。カボチャ=カンボジア=と同じようなものですね。
好きで嫌いで、嫌いで好きで・・・。美空ひばりには格別の思いがあります。今年で17回忌。亡くなった月である6月にはいつも追悼番組が組まれますが、あれだけ彼女を締め出したNHKが特別番組を放映するのも皮肉で、川の流れ、いや、時の流れを感じます。
それにしても、なつかしい歌と映像。紅白歌合戦のトリで歌った「哀愁出船」は若さと自信と美しさに満ちて圧巻です。でも、最後の東京ドームの歌唱の方がすばらしい。声は衰えても、闘病を通してやっと身についた人生に対する謙虚さのようなものが表情に表われて、歌により説得力があります。おそらく最後に近い舞台であるとの思いが、彼女にも観客にもあったのではないでしょうか。6世中村歌右衛門の歌舞伎座最後の舞台「建礼門院」を思い出しました。雑念の抜けた、芸だけの世界、それに接し得た者は幸せです。
古い建物大好き
羽曳野市郡戸(こおず)にある「畑田家」。市内で最初の国指定の有形文化財。古い庄屋屋敷(明治初めに改築)。その一般公開に応募したら当たったので、晴れた日曜の朝、行ってきました。近鉄恵我之荘駅から南に歩いて30分のところ。10時半、長屋門を潜るともう10人くらい集まってはる。当主の畑田氏(今は池田市在住とか、学者さんみたい)が迎えてくださる。田の字型に座敷があり、大黒柱も表と奥に2本。欄間も釘隠しの細工も見事。あちこちの造りや道具(行灯、古井戸、釣瓶、かまど・・・)がなつかしい。倉は3つ。大きな納屋があり、ここを親戚の画家の方がアトリエとして使いつつ、屋敷の管理をしてはるらしい。長い梯子を上った屋根裏(というより2階)がスゴイ。土で床を固めている。重いだろうなあ。それを支える頑丈な造りになっているのでしょう。
コンサートや学習会にも使われているらしい。この日の午後にはノーベル化学賞を受賞された白川英樹さんを囲んでの会が行われたのですが、ついてゆけない自信があったので、失礼しました。あとで友人の理科教師に譲ってあげればよかったと後悔しました。
それにしても、旧家を維持することの難しさ。費用も人手もかかります。庭の手入れにはボランティアも来ているらしい。私も定年後には参加しようと思っています。
2005年6月2日
今日の夕食は卯の花、ほうれん草の胡麻和え、冷やしシャブ、大根サラダ。迷った挙句(?)、やはり酒を飲むことにし、更に迷って結局赤ワインに。今の時期の激しい気温の変化は飲み物に微妙に影響します。ビールか燗酒が冷酒が焼酎か、どれもおいしいし、どれも半端な時期でもあるのですね。
数日前、調理師学校に勤める知人の案内で、今宮の店へ。そういえば、あちこちで聞いた名前だと看板を見て気づく。「山中」。ビルの4階の大きな重い一枚板、ドアが開くとフローリングされた瀟洒な造りの店。テーブル、イスなどはすべて酒蔵の道具で出来ている。ビールはエビスのみであとはすべて日本酒。そう、日本酒をメーンにした呑み屋なのです。
酒にあった魚を、まさに肴を提供。酒も、濁りなら、まず上澄み、そして濁りの部分と、2度に分けてきれいなグラスに注いでくれる。調子に乗って次々と飲むうち、6人中2人が寝込んでしまう。これぞチャンスと更に飲み、終電近くまで酒と肴を堪能してひとり6000円は安いと思いました。
調理師学校で教えている知人の教え子が板前ということもあったのでしょう。教え子はその日で店を変わるということで、今度行っても味も変わっているかもしれませんが、また行きたい。それにしても、運ばれた料理を各人の皿仕分けしてくれる知人の手つきや盛り付けもさすがに見事でした。やはりプロはプロだけのことはある、と思わされた初夏の宵でした。