Kan-Kan の雑記帳


2005年7月27日

 副総裁にまで上った人が、「組織のOB会の存在も名前も知らなかった」と・・・?とことんすべてしらを切るつもりなのでしょうが、それなら、「その組織は知っているが、談合などには関与していない」というべきでしょう。語るに落ちるというやつで、今後の発言はすべて信用できなくなりました。ほんまに偉い人なんやろうか?

 車の廃車や売却が決まった途端、あちこち調子が悪くなるという話をよく聞きます。拗ねているとか言われますが、それは家にもあてはまるのでしょうか?

 我が家も、引越し、売却が決まってから、ドアが閉まりにくくなったり、電気が切れたり、床がきしんだりします。当然長年使ってその時期が来たということなのですが、これまでがんばってくれたんだ、疲れているんだ、と思うと、いとおしい、切ない気がします。

 それにしても、ガス、電気、水道、インターネット、電話・・・もろもろの開閉、変更はとても大変。関電、大阪ガス、ケーブルテレビ、それに古本屋、リサイクルセンター、清掃局、不動産屋・・・27年前とはいろいろ勝手が違ってあたふたしています。

 引越しはスリムになるチャンスというより必然。「天牛」の古書センターに来てもらって、いくらか整理しようとしたのですが・・・。電話では「学問書、特に国文学はどうも」という係員の冷たい対応に怒った私ですが、来てくださった方はなかなか好感度高い中堅社員。テキパキと値付け、説明をしてくださる。お陰でこちらも売るべきものは売り、残す、あるいは寄付するものを速やかに決めることが出来ました。200冊以上の本をくるくると見事にくくって台車に乗せて、さっと去ってゆくまで1時間余り、そのプロの手並みにも感服しました。

 日本国語大辞典(当時10万)は現在価格、数千円ということで寄付。大漢和辞典(6万)は1万4千円でこれは売却。漱石全集は残す。源氏物語全評釈、新釈漢文大系も売却、世界大百科事典、日本古典文学大系、昭和文学全集は寄付・・・ということに。売り上げ、2万3千円でした。

 寄付先はまだ決めていません。もしもらってくださる方があれば、ご連絡ください。持って参上します。

2005年7月26日

 準備万端でないのに宇宙に飛び立って大丈夫なのでしょうか?スペースシャトル打ち上げを見てハラハラしました。野口さんご無事で。

 6カ国協議、核保有国が核を放棄せよと迫るのって説得力あるのかなあ。力関係だけのようで・・・。拉致問題もきっちり話し合うべき。「拉致」は国際的な人権問題、国家犯罪で、韓国だって被害者なのに・・・。日本は根回しをはじめ、交渉の仕方が下手だなあ、と思います。もっと下準備をして、会議の空気を掴んで、いや操作して、もっとしたたかにやらにゃあ・・・。

 元同僚で、書家でもある友人、山本峰夫さんの個展が今年も開催中。ことしはこちらがばたばたしていてあまりお手伝いできなかったのですが、24日、自宅のガレージで汗を流して仕上げていた作品が、一緒に搬入、展示してゆくうちに、まったく違った顔を見せるようになってゆく・・・毎年ながら楽しみです。

 初日の25日に様子を見に行くと、力の籠もった陶板がすごい迫力です。今年のテーマは「山月記」と「静夜思」。北区の老松通り、現代画廊(06-6361-6088)で、31日まで。是非、お運び下さい。

 24日は丁度、天神祭りで、陸渡御というのを初めて見ました。老松通りを約1時間あまりかかって、輿、地車、太鼓、獅子舞、踊りなどが練り歩く。京都の祭よりもっとごった煮でパワフルな感じ。画廊の外の歩道に椅子を出して、ビールを飲みながら見物、思わぬ余得でした。


行く人

杉浦日向子さん(漫画家、エッセイスト、下咽頭がん、46才)

 柔らかな着物姿のファンでした。東京・京橋の呉服屋のお生れだもの。文芸春秋漫画賞を受賞した「風流江戸雀」は私も大好きな作品で、今回の本の大処分でも売りませんでした。

 10数年まえから闘病生活を送っていたなんて、テレビで拝見していてもわかりませんでした。現在の江戸ブームを作ったおひとりです。「天声人語」氏は「日ごろ江戸の町屋に住み、時に現代に通ってくる女性の浮世絵師といった風情だった」と惜別の言葉を送っています。若い。惜しい。

岡八朗さん(俳優、呼吸器不全、67才)

 愛嬌のある顔と演技で、吉本新喜劇で笑いを振りまいたのに、実人生は苦難の連続。アルコール依存症、胃癌、転んで脳挫傷、家族の不幸・・・。オール阪神・巨人などいい弟子に恵まれたのが幸せでした。

 それにしてもカンバックを期した40周年記念公演の前日に転んで公演は中止、再起不能(ぼちぼち地方興行はしていたらしいですが)になるなんて、なんというめぐり合わせの人生だったのでしょう・・・。華やかな時代があっただけに気の毒です。華やかな時代があっただけまし?いや、その時代があったからアルコールに溺れていったのでしょう。 

2005年7月21日

 朝、義父の付き添いに病院へ行く義母を迎えに、住んでいるマンションへ向かう。いつもの場所に誰もいず、見慣れたバッグが落ちている(置いている?)。しばらくして、ばたばたと現れ、ごめんごめん老眼鏡を忘れた・・・もー、こういう時のために携帯を持っているんでしょ?変な目印置いとくの、やめてください、北朝鮮に拉致されたのかと思いましたよ、とお説教。でも、その前の日は携帯を忘れて来たんだ。その前は入れ歯・・・(笑)。

 人のことは言えません。私も最近3つ持てば、必ず1つは忘れるくちです。


行くひと

 串田孫一さん(哲学者、詩人、老衰、89才)

 山と音楽を愛した教養人。ラジオでディスクジョッキーを務めた「音楽の絵本」、たまに聴いていました。「人間が自然を征服したり、保護したりしようとすること時代が高慢で滑稽なこと・・・」おっしゃるとおりです。息子さんは、今をときめく演出家の串田和美(かずよし)さん。

 三船 浩さん(歌手、心筋梗塞、75才)

 小学校の低学年でしたが、この人のしぶい低音、憶えています。今でも「男のブルース」など歌えるかも・・・。日本歌手協会会長だったんだ。

 寿岳章子さん(国語学者、エッセイスト肺炎、81才)

 父親の英文学者、文章氏のユニークな子育てはドラマにもなりました。京都を愛し、向意気強く、さまざまな場で誤解も恐れず、発言を続けてこられました。一度お目にかかったことがあります。 

2005年7月18日

大阪ええとこ

 平野杭全神社の夏祭りを初めて見ました。和菓子屋「梅月堂」でのお茶席に呼んでいただいたのです。店の裏の2階で、祭囃子を聴きながらいただくお茶はなかなか味わいがありました。時折、表通りを過ぎるだんじりを背伸びして眺める。風炉で湯の沸く音。時間の流れがここだけ違っているようです。梅月堂のご主人の方針で従業員の方全員に茶道修行を義務付けられているとのこと。茶髪の二十過ぎの店員さんも神妙にお茶を立ててはる。いい方針だと思います。お師匠さんは和服をざっくりと見事に着こなして、見るからに涼しげ。花は桔梗、女郎花、黄そけい。


 お茶席は5年ぶりだったので、始めちょっと緊張しましたが、細かい約束事や動きにすべて意味があって、それに集中することでなんともいえない間(ま)とくつろぎが生まれるのですね。素人なので気楽に楽しめたのかもしれません。退職後の楽しみをまたひとつ発見。

 夏祭りの楽しみ方としても新鮮でした。だんじりをちょっと距離をおいて見るのもいいですね。いつもかぶりつきで見ようとする癖がついているので、これからは年齢相応の楽しみ方を探ろうと思います。

2005年7月17日

 連勝街道爆走中の朝青龍を止めたのは、琴欧州でした。紫の雨のように座布団が舞うのを久しぶりに見ました。あれ、投げてみたいなあ。居合わせた観客は幸運です。それにしても、日本人力士もがんばれ。

 こちらはがんばり続ける人、野茂英雄、36才。今日、「戦力外通知」を受ける。でも、まだまだやらはるんだろうなあ。こちらもその本場に乗り込んで道を切り開いた人。彼がスポンサーとして支える堺のノンプロチームは全国大会に出場決定。そのチーム監督の奥さんはうちの嫁ハンの知り合いらしい。

 アイドルグループの「NEWS」(人数も個々の名前も顔も知りませんが)の一員が未成年ながら飲酒して暴れたという事件。その酒の席に居たということで、フジテレビの菊間アナが処分されるとのこと。もちろん本人に責任はあるけれど、あの「めざましテレビ」での気の毒な転落事故(偶然見ていました)以来、復帰してもずっと不遇で気になっていました。フジテレビはこれで晴れて(?)彼女を切るのだろうか・・・ウーム。

 昨秋の発病以来、親戚、知人、友人から義父にいろいろと「特効薬」が薦められてきました。私は病院に掛かった以上、あまり余分な事はしないほうが、という考えでしたが、善意で言ってくださることもあるだろうし、縋りたい気持ちも義父母にはあって、義父はいくつかのクスリを服用してきました。高価なものが多く、中には月10万を越える支払いのものもありました。

 もう、食事も十分摂れなくなった今になって、また、コンブのなんとかを言って来てくださる方があったのですが、もう全部やめはったらと申しました。痛みがないままに、金が底をつかないうちに、どう命と折り合いをつけるか・・・自分自身の将来としても考えたいと思います。難しい問題です。

 写真の件は本人がうるさく言うので、結局、嫁ハンが写真屋に持って行って、今、遺影作製中(?)です。

2005年7月16日

 いくつになっても男の子(息子)を釣るのは簡単、食事です。「こんどいつ帰ってくるんや?」と訊くと「さあ?」とつれない返事。「いつでもええけど、今、友達からもらったおいしいメロンがあるねん」というと、よっしゃあ!帰るわ!と即答。

 で、帰ってきた息子と駅前の焼き鳥屋に。そこでおもろい事態に。隣り合わせた4人組は、女性3人に若い男性ひとり。どうやら会社を辞めたい男性社員を女性社員とパートのおばちゃんたちで慰留している気配。わが家族はもちろん居合わせた客の耳はすべてそちらに傾く。

 社長がきらいだという男に、社長はめったに来ないやない?給料運んでくるただの人や思ったらええやん!大きな声の女性のお陰で、その会社の事情はすべてわかりました。息子が、お父さん、Kさんって誰?それはセクハラの部長やろ?などと小声で確認しつつ、1時間、明日からあの会社で働けそうやねと息子のコメント。面白かったけれど、酒場での話には注意しなければ・・・。

2005年7月15日

 義父が入院して2週間。朝夕、義母を住んでいるマンションから病院に送り迎えする毎日です。一雨ごとに、一日毎に、緑陰が濃くなり、蝉時雨がしげくなります。特に早朝のドライブは気持ちいいものです。

 1昨日から外泊許可が下りて、3日ほど帰宅しました。義父は久しぶりに風呂に入って、本当に気持ちよかったらしい。あちこち写真を整理して、「これを(遺影に)使って欲しい」とかなんとか言っている。そんなこと言ったりしたりしている間は死なないもんですよと笑い飛ばす。退職して20年余、最近、背広姿の写真がなくてね、と言うので、実は遺影の服は合成でどがいにでもなるのですよ、と言おうとして止めました。


最近読んだ本

 「歌舞伎をつくる」 服部幸雄編

 打ち続く襲名披露で沸く一方、次々と失われてゆきつつある歌舞伎の、舞台上の工夫、所作を言い残そうとする歌舞伎通、裏方、役者その他の面々の会談の記録。機構や技術が進歩しても、アイデアややる気が失せれば、舞台は生気を失います・・・そんな当たり前のことを再確認した本でした。


 「スリリングな女たち」森川みどり
 「大人のための映画選び」井上一馬

 映画評は難しい。つい語りすぎて、まだ見ていない人の興趣を削いではいけない。説明が足らないと面白みが伝わらない・・。その点、このふたりは森川さんはちょっとしゃべりすぎ。井上さんは書き足らない。うーむ。むつかしい。


 「高峰秀子の捨てられない荷物」斉藤明美

 これは読ませられました。あの、賢い、難しい大女優の評伝を書けるなんて。その懐へいかに飛び込んでいったか?おそらく女優と正反対の性格で、微妙に厚かましくずかずか入って行ったのだろう。奇跡です。その分、なんともいえない魅力的な女性の有名な波乱の親子関係、縁戚関係、見事な夫婦関係、仕事と家庭が浮かび上がって来ます。今や名エッセイストでもある女優自身の自伝的な作品と内容も矛盾していないから、信憑性も高い。よくここまで書かせたと感心しました。文章自体はけっしてうまくありません。むしろ読みづらい。でも、登場人物の魅力で読ませる。

 仲人でもあった作家、川口松太郎が高峰を評して「あれだけ賢いと気の毒だ」と言った逸話や、高峰がひばりちゃんがうらやましい、家庭教師をつけてもらって・・・と言ったこと。5歳から働いたため、学校へ行けず、すべて独学で読み書きをマスターし、今でも計算が苦手なこと・・・自伝でなく、評伝で語られるとまた違った説得力があります。それにしても高峰秀子はすごい女性だと再確認。長年のファンである故郷の母に教えてやろう。

2005年7月11日

 一足早いパリ祭、「大阪パリ祭」を聴きに大阪NHKホールへ。嫁ハンが出演しているのです。遅かったので2階しか席がない。それならとバルコニー席の一番先に座る。ここは音響はイマイチだけれど、舞台が近い。と、係員が来て、落ちるかもしれませんから後ろでいかがですか?なに言うてはりますのん?子どもちゃうし、あばれませんから、ここで聴きます、というと、身を乗り出されないようにとお節介をして引き下がる。なんだあれ?

 シャンソン界のお祭りのようなものだから、出演者の衣裳のケバイこと。嫁ハンのものより0がひとつ多いみたい。でも、豪華な衣裳を纏う分、身のこなしや姿勢が問われるのですね。また、歌がおろそかになっている人もいました。嫁ハンの歌は「子どもの頃」と「タイムツウセイグッバイ」。しっかり歌っていました。ゲストはお楽しみ、アンヌ・リーズさん、「そして今は」は人生の悔恨をほろ苦く、「シェルブールの雨傘」は可憐に、「水に流して」は中年女の開き直りをしたたかに・・・見事なものでした。

 終演、ロビーでさんざめいて、いただいたお花を整理していると、エスカレーター止まるから早く急げという、事実、すぐに止められる。エレベータは一杯、そしてまだ人がいるのに電気を落とす。NHKってやっぱりお役所だったんだ。その古い高圧的な従業員の態度、今時、市役所にもないよ。ライトアップされた大阪城と対面するステキなナイトスポットなのに、勤務時間とかに縛られているのかな。願わくば、あの付近にいいシティホテルなんか出来て、ほんとにゆっくり寛げる文化ゾーンになったらいいのに。

 先日、宿泊した「堺リーガロイヤルホテル」の事を書いのですが、今日、支配人から丁寧なお手紙が届きました。ホテルに残して来たアンケート用紙への返事でした。トイレ、レストランの従業員の態度など、指摘した点をすべてチェック、対応したとのこと、具体的に書いてはりました。ちょっと見直しました。書いたかいがありました。ホテルマンの息子から一番ありがたいのはお客様の意見だと言われているのです。ただし、アンケートに答えるのは、義務や善意というより、私の場合はかなり趣味が入ってますが・・・これで返事が来ないのは、京都ホテルオークラと名古屋観光ホテルだなあ。我ながらしつこい(苦笑)。

2005年7月9日

北国の青い空

 先日、北海道へ行った友人が北国はすばらしかったと言ってました。梅雨がないため爽やかで、花一杯で・・・。30年近く前の8月に一度行ったきりです。釧路は寒くてストーブにあたった思い出があります。有珠山が噴火して灰を被ったりして、面白かったけれど、あわただしい旅でした。いつかゆっくり四季を味わいつつ、周って見たい。


 「一度聴いて惚れ、二度聴いて酔い、三度聴いて涙する」といいう江差追分も一度ゆっくり聴いてみたい。


行く人

エド・マクベイン(米作家、喉頭癌、78才)

 もと高校教師、映画にもなってシドニー・ポワチエがスターになった「暴力教室」で売り出し、やがて87分署シリーズで人気作家になりました。舞台であるニューヨークの陰影が特に魅力でした。


最近読んだ本

「ダ・ヴィンチ・コード」  ダン・ブラウン

 1昨年からの大べストセラーを遅れて読みました。上巻を三日、下巻を週末の一晩で。表紙にモナ・リザ、見開きに最後の晩餐という気になる装丁。舞台は、パリ、リッツホテルで幕を開け、ルーブル美術館、スイス銀行のパリ支店の地下金庫、ベルサイユ近くの別荘、そしてイギリス、スコットランドまで・・・華麗でドラマチック。これが2日余りの出来事なのです。

 ハーヴァード大学教授で宗教象徴学専門の主人公、ロバート・ラングドンは、講演で訪れたパリで、深夜、警察にルーブルに呼び出され、そこで美術館長の奇怪な死に様を知る。しかも彼はその殺人犯として疑われているらしい。それを救ったのは、殺された館長の孫娘で、暗号解読官のソフィーだった。二人はダイイング・メッセージに込められた、キリスト教世界の歴史を揺るがす秘密の解明を求めて、ルーブルを脱出し、逃避行に出る。一方、怪しげな刺客が別方面から二人に迫る・・・。

 上巻がものすごく面白い。謎をちりばめ、撒き散らしながら、速いテンポでグイグイ読者を引っ張ってゆく。わくわくします。登場人物も魅力的。

 ところが下巻に入ると。一気に謎解きと、ストーリーの終結を急いで、話も人物も一気にスケールが小さくなってしまう。刺客も黒幕も、もっとしたたかで大物でないとつまりません。悪役がより魅力的であってこそ、主人公達も活きます。

 宗教、キリスト教や古代からのヨーロッパの歴史に詳しければ、もっと面白かったのでしょう。謎解き、アナグラムも欧米人ならより楽しめたでしょう。しかしミステリーアドベンチャーとして、十分楽しめました。

 同じく宗教界の秘密、裏側をミステリーとして描いた 「薔薇の名前」と共通項はありますが、「薔薇の名前」のあの独特のムードには及びません。それは作家としてのキャリア(ダン・ブラウン氏は41才、まだ数作の若手)によるものでしょう。こちらも映画化されトム・ハンクスが主演するそうです。ソフィーは誰が演るのかなあ。 

2005年7月7日(旧暦6月2日)

 初蝉を3日前に聞きました。息子はその2日前に聞いたと言ってましたが、いよいよ夏。梅雨も梅雨らしくなりました。でも「七夕」はもう秋の季語なのです。旧暦では7月から秋に入るのですね。やはり、このような行事は、旧暦どおりか月遅れでやってもらわないと・・・梅雨の夜空には「七夕飾り」は似合いません。もっとも、晴れても大阪では天の川は見えないでしょうが・・・。黒地に白砂をぶちまけたような天の川が家の真上を南北に横切る「故郷の空」を想います。

 本命のパリを抜いて、ロンドンが2012年オリッピック開催地に決定。プロモーションビデオがよかったとか(そんな次元で決まるのかなあ?)そのビデオをちらっと見ましたが、なかなかうまく作っています。ロンドン版の監督名は聞き逃しましたが、他の候補地のプロモーションビデオは、ニューヨーク版はスピルバーグ、パリ版はリュック・ベンソンが作ったというのですから、どこも力の入れ方はものすごいものです。昔の話ですが、大阪市版はどうやったんやろ?

 そんな無責任なことを思っていたら、ロンドンで同時多発テロ発生。止まらない暴力の連鎖。どこまで行くのか、どこで断ち切れるのか、人間ってなかなか「学習」できません。

2005年7月3日

 夏の朝の座禅はさわやか。雨上がりで草木の匂いが本堂にも濃い。古墳の傍ということもあって、ふくろう、からす、すずめ、その他知らない鳥の声が近い。住職である友人父子の透き通る黒い絽の夏の袈裟が涼しげ。いつも悩まされる蚊がいないのは、きっと未明から奥さんが線香を焚いてくれていたのだろう。気持ちよく座っていたけれど、次第に汗をかいてくるのは、やはり座り方にどこか無理があり、体にいらない力が入っているからでしょう。

 義父は先週、体重が40キロを切り(私の体重の半分)、立つことも難しくなったので、結局、車椅子で入院。でも、点滴1本で一気に元気になって歩けるようになる。これも怖い。1週間の入院予定でしたが、ヘルペスを発症して、その治療もあって入院は長引く気配です。

 付き添いの義母の送迎で、毎日病院へ行くのですが、ナースステーション(ここを通るのが楽しみ)の前に数日前から七夕飾りがあって、だれでも短冊を付けられるようになっている。なにげなく読んでみると、早く退院できますように、とか、手術がうまくゆきますようにとかある中に、孫の結婚式まで生きられますように、というのがあって、胸をつかれました。

 義父は癌に罹ったのは残念ですが、本人はずっと認知症になることを懼れていたので、却ってほっとしたところもあるようです。後のこともいろいろ処置して、抗がん剤も服用を止めてしまいました。医者もそれでいいという。さて、これからです。


行く人

萩原葉子さん(作家、播種性血管内凝固症候群、84才)

 詩人、萩原朔太郎の長女。不幸で暗く地味な方という印象があったけれど、60を越えた20年ほど前に、突然ブレイク、変身。アクロバチックダンスを始め、孫ほどの年齢のパートナーと踊りまくって、周囲を驚かせました。いい晩年だったといえると思います。 

2005年7月1日

最近印象に残った言葉

ハインリッヒの法則

 ひとつの事故が発生した場合、その背景には事故にいたらなかった300のイレギュラリティ(異常)があり、その陰に数千の不安全行動、不安全状態が存在する・・・事故のたびにいわれることですが・・・。


こんな夢を見た

 友人と中国を旅行している。なぜか山登りを始めようとしたら、登り口で見知らぬ男性二人が駆けつけてきて声を掛けてきました。かんさんですね、家を見せて下さい、ぼくら兄弟で、一緒に住みたいのです。

 夢の中なので、判断力もいつもにましてええ加減。あ、やっと売れるかも、よかった、いや、山登りはどうする、と迷いつつ、二人を観察。愛想のいい丸顔の長男さん(40代前半?)まじめそうなうな表情で、細面、眼鏡をかけた次男さん(30代後半?)。どちらもええ人に見える。そこで思い出す。あ、家は先週、業者に売れたんだ。

 実は・・・と言って説明。残念そうな二人(こちらも)。先週末のチラシ(それも変)を見たんですよ、気づくのが遅かったなと言いつつ帰っ行かはった・・・。目が覚めてもその顔を憶えている。いったい誰だったのだろう?どこかで、うちの家を気にかけてくれている人がいたのかなあ。せめて名前を訊いておけばよかった。


行く人

松村達雄さん(俳優、心不全、90才)

 寅さん映画のおいちゃん役(2代目かなあ)でも知られましたが、特によかったのは黒澤映画の「もういいかい」の内田百けん役。飄々として、一途で・・・味わいがありました。いい意味で目立つ脇役でした。さびしくなります。



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