Kan-Kan の雑記帳


2006年5月30日

 石川から大和川伝いにサイクリング通勤を始めて2ヶ月、いい季候になりました。山も川(ワースト上位でも)も美しい。でも、悩みは小さな虫たち。走行中に目や口に入って来ます。マスクは常用していましたが、先日、神戸モザイクでやっと大きめのサングラスをゲット。これで安心して走れます。

 しかし、いかにも人相が悪くなったようで、今朝も近所で歩きながらカバンからタバコの空き箱を取り出して、道ばたに放った女子高校生を見かけたので、側を走り抜けながら、ゴミ放るな!と怒鳴ったらビビッていました(苦笑)。タバコを喫っていたら、自転車を止めて怒るところでした。

 夕暮れの石川沿いはベンチや木陰もあって、最近カップルが増えました。高校生カップルの大胆さに呆れて、水を掛けたろか、と思って睨み付けて通っていたのですが、今日は70代とおぼしき老カップルが抱き合っていました。人ごとながら、これもちょっと辛いものがあります。

 大河ドラマ「功名が辻」をまだ時々見ています。これは近年なかったこと。キャスティングがいい。とくに秀吉の柄本明はうまいですねえ。で、来年はまた戦国時代、「風林火山」だそうです。山本勘助を内野聖陽(一路真輝さんと婚約って本当かな?)、信玄を歌舞伎の市川亀治郎、ここまではいいとして、謙信 がGACKTと聞いてがっくりしました。


ゆく人(5月30日記)

 デニス・ウィーバー(米俳優、癌による合併症、81才)

 「警部マクロード」は見ていません。印象に強かったのは、監督スピルバーグの実質デビュー作「激突」で演じた、巨大タンクローリーに追われる車を運転していた若いセールスマン役。ほとんど一人芝居でした。相手の運転手は見えず、それが余計に怖かった。晩年はボランティアに励んでいたそうです。もう81才だったのだ。

2006年5月27日

 年々仕事量が増えるのか、処理能力が落ちたのか、(おそらくその両方だと思いますがー苦笑)年度末から、いや、それ以前から、ずうーっと忙しい日々を送っています。不器用だから,元来、同時にいくつか並行してしてやることが苦手です。でも、次々沸いてくる仕事はやらざるを得ません。

 ばたばたしているときに、管理職から、これこれの人数を調べて出してくれと指示あり。いつまでですか?早急に。もー

 この忙しい時に・・・もっと早く言って下さい、と昔なら言わなかった文句を言う。彼が悪いのではない、その上部の問題なのですが・・・こちらも今後のためにも一応は言っておきたい。

 他の仕事をしばし中断して急いで調査して報告。こういうときに単純な計算ミスや年次、日付のミスが出てきます。気を付けなければと思いつつ、確認やチェックもそこそこに次の仕事に移っています。

 もっと余裕を持たなければ。追わていたら好きな仕事も楽しめません。そろそろ年齢も考え、役も降り、若い人に任せるとことは任せて、おぼつかない自分の仕事をまず丁寧にきちんとまっとうしたいと思っています。

 ハードな一週間が終わって、金曜日の6時過ぎに職場を飛び出し、また忘れ物を取りに引き返し(笑)、地下鉄駅まで走って、7時前に天王寺で嫁ハンと落ち合う。先月から再開した月一のホテルツアーの二回目は、また最近はまっている神戸です。内容は項を改めて。


そして神戸(27日記)

 午後8時。小雨の降る南京町は週末の夜なのに少ない人出。もう閉め始めている店もある。でも、「元祖ギョウザ亭」の前には列が出来ていました。20分ほど並んで店内に。入り口の側にある厨房に30代くらいの男性2名が必死でギョウザを作っている。ウェイターは中国人の女性。メニューはジャジャ麺(麺はうどん)と焼餃子と水餃子のみ。ピリ辛と書いてあるけれど、ジャジャ麺はさっぱりして食べやすいのでついおかわり。あと餃子2種類(どちらも美味)、青島ビール2本と紹興酒をいただいて2500円は安い。でも、店の壁を閉める有名人とやらの色紙は止めて欲しいなあ。味に自信があるなら、そんなものに拘るなと言いたい。

 南京町から5分で神戸港。今回の目的、「メリケンパークオリエンタルホテル」は中突堤の南端に聳える、白い豪華客船のような美しい建物。6年前に評判のラインチバイキングを食べに来て以来、宿泊はもちろん初めてです。

 ひとことで言って、リゾートホテルとシティホテルのいいとこを取った素敵なホテルでした。椰子やシュロ、南欧風の白い壁は一歩違えばラブホテル風になってしまうのですが、そこは神戸の独特のムードと建物のスケールの大きさであっさりクリア。居心地のよい空間です。

 270度の景観が売り物だそうですが、我々の部屋は12階の南向きのツイン。広くはないけれど、横長でガラス窓が大きく、うまく出来た間取りです。バスルームはシャワー室が別にあるのがうれしい。部屋の半分くらいの大きさの板張りのバルコニーがある。目の下はすぐ海。神戸湾が一望ですが、防波堤や空港島が出来て海の拡がりが無くなって、オーシャンビューというわけにはゆかないのが残念。でも怪我の巧妙(?)、神戸空港の飛行機の離発着が部屋から眺められるのは新しいポイントでしょう。

 朝食のバイキングがこれまたどこのホテルにも負けない充実したものでした。嫁ハンはフレンチトーストを焼いてもらい、私はオムレツを好みの堅さに焼いてもらう。これがホテルの朝食の醍醐味です。久しぶりに麦飯にとろろを掛けていただく。これもおいしい。幸せ。そして思わず円谷選手の遺書の冒頭(「お父様、お母様、麦とろろめし、おいしゅうございました・・・」を思い出して、うるうるしてしまいました(朝から泣いてどうする?ー苦笑)

 モザイクで懸案の買い物をいくつか済ませる。ジプリのキャラクター専門店があるのです。おなかいっぱいなので昼はジェラード。ホテルのバスで三宮へ。梅田の映画館は「ダ・ビンチ・コード」一色だったのでパスし、阿倍野近鉄の「大北海道展」で試飲、試食をいっぱいして、酒を買って帰りました。

 非日常の空間に浸った週末でした。明日の日曜は考査問題を作ります。 

2006年5月25日

夜歩く

 ダイエットを兼ねて嫁ハンと「夜の散歩」を始めて3週間になります。午後9時過ぎから約1時間ほど古市の町内から石川河畔を歩きます。驚いたのは古市の町の奥の深さ。特に駅の東側から石川に至る地域は、戦災に遭わなかったのが幸いしたのか、中世から近世以来の町のつくりがまだ多く残っています。まさに超ミニ京都。

 車の入らない狭い路地が縦横に走って、棟割長屋が繋がっている一方、大きな門構えの千坪を越える旧宅、お寺などが現れる。狭い地域なのに、いくら歩いてもまだ知らない道や家があります。並木はないけれど、盆栽、植木、見越しの松、生け垣、屋敷林、様々な庭・・・見飽きません。どうやって車を入れて工事をしたのか、家はどんどん建て替えられています。火事が出たら大変です。

 いつも市議会のテーマに上がるけれど、この地域の再開発は難しいだろうし、このままでもいいように思います。先週末の夜に歩いたら、各地区の集会所で会合がもたれており、それぞれ賑やかに同じ議題で論議しているのが漏れ聞こえてくる。窮屈かもしれないけれど、こういう小さな地域のまとまりもいいかも。


最近読んだ作品

 「佐賀屋喜七」 藤沢周平

 作者にはめずらしい悪女もの。幼くして両親を失い、叔母の家に引き取られ、やがて美しい姪と結婚した喜七は、仕事に精出すが、義母でもあった叔母が亡くなったあと、妻は遊び始める。喜七は耐えるが、心を通わせた幼なじみの「お品」が行方知れずになったあと、もうエスカレートした妻の遊びに対する怒りは歯止めが効かなくなってゆく・・・。男女の深い淵を描いて救いのない話なのに、読後感は不思議に暗くありません。

2006年5月24日

 暖かくなった4月から,雨の日以外はサイクリング通勤(電車の定期は一応買っています)を再開。でも、今春からは藤井寺を抜ける直線コースを変更、遠回りながら、石川河川敷を走り、柏原に抜けて大和川堤を延々と下るコースに変えました。景色は良くなったけれどやや平板。時間的には10分近く余分に掛かりますが、健康(ダイエット競争中)にはよいだろうし、なにより自転車も車も信号も少なく安全です。今、広い河川敷は白いクローバーの花、川堤は赤紫の豆科の花が咲き乱れています。 

 このコースを当分続けるつもりですが、町中の雑多な風景も好ましい。散在する寺社、図書館、本屋、市場、あちこちの家の庭や花、ふらっとあちこち(立ち飲みを含め)立ち寄る楽しみも捨てがたいものです。


今日の風景

 たそがれの大和川河畔。薄暗い土手への坂道を懐かしい型のリヤカーが登ってゆく。荷台にいっぱい空き缶を積んで、落ちないように網を掛け、ゆっくり、でも懸命に引っ張っているのは初老の男性。目を引いたのはその男性の側で歩調を合わせている大きな犬。どちらも疲れた足取りでした。なぜかパトラッシュとネロを連想してしまいました。

2006年5月23日

最近読んだ作品(5月22日記)

 「上意討」 藤沢周平


 最近発掘された短編。徳川幕府初期の庄内藩。戦国の名君は平和時のトラブルメーカー。そのわがままから、藩士が次々討たれる。幕府の動きと藩内の動きと、目配りしながら苦慮する切れ者の家老は、上意討ちの人選に絶妙の案を出す。指名された、いつも居眠りしている浪人上がりの若い侍は、実は江戸幕府の密偵だった。

 緻密な構成と、剣術の腕を描く筆力は確か。短いのに、権力闘争の非情さをきっちり描き込んでいます。

2006年5月21日

 毎朝、忘れ物の不安に苛まれています(また、実際忘れます)。自分で「カメトケリ」(鍵、めがね、時計、ケイタイ、リムーバブルディスク)と口ずさんで準備するのに、それでも忘れる。とうとう、今日、百均で小さな仕切のあるボックスを買って来ました。机の横に置いて、それぞれをスペースに入れてやっと安心。これで当面は凌げるかな。

 友人が「明日の記憶」を見てきて、身につまされた由。若年性アルツハイマーに冒される主人公は四十九才。うーむ。

 ぼける前に、死ぬ前に行きたいのは、まずイタリアとインド。

 インドの目的地のひとつはアーグラのタージ・マハル。陳舜臣さんがこれについてエッセイを書いてはります。ムガル王朝の歴代王はひとつのことに打ち込んでしまう。初代は酒、2代目はアヘン、3代目は帝国の建設、そして、4,5代は妻を愛すること。五代目のシャー・ジャハーンの妻ムムターズ・マハルは十三人の子供を産み、十四人目を産むときに産褥熱で亡くなってしまう。王は妻のために二十二年の年月をかけて世にも美しい霊廟を造ったのです。「タージ」は「宝冠」の意味だそうです。

 さらに数年後、王は「礼儀正しい社会では口に出して言えない病気」で危篤になる。皇位継承をめぐって四人の王子が争そい、第三王子のアウラングゼーブがあとの三人を殺して王位につく。

 ところが父は奇跡的に回復。しかし、そんな父はアーグラ城に幽閉するしかない。そこはタージ・マハルが見える城壁の上の四阿(あずまや)で、彼はそこで八年生きたそうです。

 シャーはタージ・マハルの側に同じ作りの黒い形の自分の霊廟をつくる予定だったそうですが、それは叶わなかったわけです。今はタージ・マハルで妻の側に眠っています。「ほんとうにそれでよかった」。

 月夜に、満月の夜に、タージ・マハルを訪れて見たい。 

2006年5月20日

 2日前でしたか、朝早くというより未明から上の息子が騒いでいました。なんや騒々しいと起きていって怒ると、これ見て、すごいで、と興奮している。テレビでサッカーの欧州チャンピオンズリーグの決勝を中継していたのです。スペインのバルセロナとイングランドのアーセナルの対決。そういえば、前日からニュースでもなんや言うてました。

 静かにしいやと窘め、まあ、起きたついでにと眠い目をこすりながら、見ると、確かに素人目にもハイレベルなプレーとわかります。雨の中、バルセロナのロナウジーニョが縦横に走りまくっている。パスも速くて正確。引き締まった試合です。アーセナルが先行したけれど、後半30分過ぎに立て続けに2点入れてバルセロナが逆転。どちらもこんなとこ通すの、というくらい狭い、キーパーとゴールポストの間、キーパーの股間を抜いてのゴール。客席で赤い発煙筒が焚かれる。見事な勝利でした。息子に聞くと、両リーム合わせて22名W杯に出場する選手がいるのだとか。なるほど。

 昨夜の宴席でその話題が出たのですが、かなりの人があの時間帯に見ていたのには驚きました。ロナウジーニョと同じブラジル出身の女性は、これでW杯優勝は決まったも同然ね、と喜んでいる。なに言うてまんねん、ジーコジャパンが勝つねん、と言うと、ふんと鼻で笑われました。悔しい。そのあとヤケ酒を飲んで、その女性とサンバ?を踊ったらしい。


 美しき麹の黴の 薄緑

 昨年、目にして、作者は忘れましたがずっと心に残っている句ですたしかに「よく見るとうつくしいもの」ってたくさんありますよね。蜘蛛の巣、薄く積もった埃、こぼれた塩、砂糖・・・。

 きれいと言えば、先日、藤井寺の夢色ミュージアムで「風景万華鏡」というものを発見しました。人工的な色や材料が入っていないものです。これがまた飽きない美しさ。病気見舞いなどに喜ばれているようですが、5千円という値段に、迷った挙句諦めました。

 前述の上の息子はホテル勤務。今日は5時起きで出勤。帰りは深夜。遅番(午後から出勤)の場合は朝帰宅して、2時間程家に滞在して、また出勤することもあります。若いから体がもっているのでしょう。高校時代は起こしてもなかなか起きなかったのに、今は起こさなくても大丈夫。やはり仕事になると違うみたいです(笑)。社会こそ学校。基本的にはほったらかしにしているのですが、でも、一応、時間(今朝は5時)になると気になって、つい声をかけてしまうバカな親です。

2006年5月19日

ゆく人(5月19日記)


 和央ようかさん 花総まりさん (タカラヅカ宙組トップコンビ揃って退団)

 和央さんは姿月あさとさんの後を受けて6年、花総さんは月組時代からなんと12年トップ娘役を務めました。最近のタカラヅカでは異例の長さ。それだけ人気、実力があったということですが・・・。和央さんは長身、歌もダンスもうまい。花総さんは皇族の血を引いているそうですが、首から肩の線がめちゃきれいで、コスチュームプレイに打ってつけ。エリザベートやマリー・アントワネットなど高貴な女性を演じてこの人の右に出る人はいませんでした。あまりに長いタカラヅカ生活。しっかりその色に染まってしまって・・・これからどうしはるんやろ?

 田村高廣さん(俳優、脳梗塞、77歳)

 名優坂妻(バンヅマ)の長男。「二十四の瞳」で戦争で視力を失った青年が同窓会で小学校時代の写真に触れて、「これは見えるんじゃ」と写真を押さえて指差しながら昔の12名の同級生の名前を呼んで行く。それが少しずつずれて、傍で見ている大石先生を泣かせる。映画のクライマックスシーンの大事な役を演じました。

 器用な人ではなかったけれど、晩年ほどいい役者になりました。NHKの「御宿かわせみ」で演じた主役東吾の実直な兄、通之進の役は適役、好演でした。お父さんの眠る嵯峨野、二尊院に葬られるそうです。

2006年5月18日

 「おやじ台風」が吹き抜けてゆきました。母から明日くらいお父さんが寄るらしいよ、という電話が入ったのが一昨日。父はケイタイを持たず、電話はきらい。とにかく都合をつけて、翌夕待機、というより、夫婦それぞれ駆け足で帰宅すると、マンションのロビーで父が待っていました。管理人さんが入れてくれたらしい。

 14日に上阪。寝屋川の叔父の家から、京都に行って葵祭、伏見の孫娘の墓参り、松阪で本居宣長の旧跡を訪ね、鳥羽に出て島巡り、飛鳥に帰って、高松塚の白虎を見てうちに来たらしい。

 しっかりビールと酒と焼酎を飲んで、高いびき。朝4時起床。もう一泊したらというのに、今日は神戸で「江戸の誘惑展」を見て帰ると言って出てゆきました。まあ、元気なこと。85才。30年後、あんなに行動的でいられる自信はありません。
 

2006年5月17日

 雨の中、隣の中学校のプールで掃除をしています。今年は少し寒かったせいか泳ぎ初めが遅いようです。こんな日にやらなくてもと思うのですが、生徒たちは嬉々として、はしゃいでブラシやタワシで磨いています。

 上から見てると、バケツでひっかける奴、走って滑って転ぶ奴、デッキブラシでちゃんばら、ホースで水を掛ける奴、いつの時代もプール掃除風景は変わりません。遊びつつ、これから数ヶ月の活動への弾みがあります。顧問の先生が来られた途端、動きが違ってくるのも一緒。

2006年5月16日

 15日。午前5時過ぎに赤い朝日が昇ります。日の出る位置がかなり北へ移って来ました。夏至まで30日あまり。テレビで能登の千枚田が朝日に映えています。アナウンサーは寒そうですが、田植えの時期だそうです。津軽海峡を桜が渡ったばかりなのに、沖縄は梅雨入り。もう、めまぐるしい日本の季節感。

 晴天に恵まれた葵祭。きれいでしょうね。代休なので行きたかったけれど、テニス仲間に拉致(?)されて、8時間テニス、アンド、コートサイドパーティ。場所は法隆寺。雑木林に囲まれたコートは植栽の紅白鮮やかなツツジと、薄いピンクの山ツツジが緑の中、互いに映えてさわやか、風も湿気もなく最高のコンディション。

 昼は(というより朝から)ビールと焼酎、お酒、そして、今回のテ−マはベトナム。5種類の「生春巻き」と「ホウガー」(米で造った麺をゆがいて、特性スープでいただく)、ニンニクにパクチという香草、ナンプラという醤油を掛けて完璧。おいしい。ビールがさらにすすむ。テニスも快調。いい一日でした。今日もちろんは全身筋肉痛でした。


最近読んだ作品

「小町・中町浮世を行く」田辺聖子

 途中まで読んで、かつて読んだことに気付く。情けない。でもおもしろい。聖子さん、ご主人に続いて、最近お母様も見送ったのですね。でも、さらっとして明るい。

「風のように贅を尽くす」渡辺淳一

 題名の気障さ加減がいや。この人の文体もイヤ。でもつい、手が出る時がある。もと医者だけに医療に関する発言がおもしろい。経歴から応急処置をよく問われるが、要するに患者が気持ちいい方法がいいのだ。温湿布、冷湿布どちらでもいいのだ・・・ナルホド。

 題名の由来は月見から。芭蕉も「名月や池をめぐりて夜もすがら」の句を残した嵯峨野の大沢池。そばの大覚寺は嵯峨天皇の御所でもあったのですが、もともとは今よりもっと北西寄り、すなわち大沢池を真南に見下ろして、池に映る月をずっと眺められるように造っていたのだとか。月は見下ろすものとして実践する、これぞ贅沢と作者は述べる。それはわかる。

2006年5月14日

母親は 生まれた文を 抱き歩き

川柳です。

 友人が次々おじいちゃんになり、孫の写真をメールで送って来ます。正直うらやましい。でも、しゃあない。昔の同級生の女の子の大半はおばあちゃん。幸せそうですが、孫だけにかまけるのもまだ早いと思います。やはり心配なのはまだまだ子供のことです。

 昔は、交通も不便、情報も途切れがち。嫁がせた娘の身を案じて案じて、やっと届いた無事出産の便り。嬉しくて、座っておられず、その文を孫のように胸に抱いて歩き廻っている母親の弾んだ姿。いつの時代にも親心は変わらないものですが、子供が育ちにくかった時代は尚更だったことでしょう。今日、母の日。

 田舎の父がまた突然旅に出ると言って、昨日、明日大阪へ行くとの電話。今回は大阪を足がかりに鳥羽へ行くつもりらしい。休日出勤していたので、嫁ハンから電話を受けて慌てて14日の仕事の段取りや、夜の約束の解約して帰宅して四国へ okと電話すると、いそがしそうだから、寝屋川(父の弟、私の叔父の家)へ行く、段取りはつけた、お前とこは鳥羽の帰りに寄るという。

 もう!また急いで寝屋川に電話すると、叔父は上機嫌で、「ああ、兄貴のことは任せておけ、あはは」もう酔っている。「もしもし、おじさん、糖尿で医者からお酒止められているんやろ?」「そうそう、でも今日は友達が4人遊びにきてくれてな・・・」明日はまた父と飲む気です。「もう、あっちもこっちも・・・叔母さんに代わって!」電話でぺこぺこ頭を下げている私を嫁ハンは不審そうに見ている。

 四国の母に電話すると、ほっとした様子。たまには父がいないのもいいかも(苦笑)。嫁ハンは義母に今日1500円のフレンチのランチ(安い!)をおごり、花を贈ったそうです。

2006年5月13日

 一昨日書いた、家事と仕事の関連。大阪在住の友人たちの状況は・・・。

 家が農家・寺・商家という友人が何人もいますが、親が元気な家は、土、日のどちらかは家事、後の一日は自由に使うというパターンがあるようです。でも、親が老いてくるとそうはいきません。

 特に農家は農繁期があり、お寺は相手によって時期を選べません。傍からみても結構しんどそう。四国の実家の隣に住んでくれて、農業も手伝ってくれている弟に感謝するばかりです。

 雑事に追われ、仕事は溜まる、ストレスも溜まる。家で思い煩わず、さっと休日出勤して仕事を片づける方がいいと、思い切りました。また、気持ちは変わるでしょうが・・・(苦笑)。

 例によって誰もいない職員室。パソコンを開き、書類を拡げ、まとめたものはファイル、出来た書類は印刷、余分な書類はシュレッダー・・・いつも分断されやすい仕事が2時間あまり流れると見る見る片づいてゆく。完璧とは言えませんが、すっきりしてきました。気分も落ち着きます。

 それにしても、数年で変わってゆく進路関係の状況。大学も受験科目も制度もめまぐるしく変わってゆきます。今朝の新聞を読んで、嫁ハンが「あれ、明浄大って大阪観光大に変わったの?」と驚いていました。


女優 キャサリン・バード・ヨークの2億円の靴(5月13日記)

 今年のアカデミー賞の話題のひとつでした。長いドレスに隠れて少ししか見られないのですが、一見普通のサンダル、実はその結び目にかつて大女優スーザン・ヘイワードがエンゲージリングにもらったダイヤが嵌め込まれていたのです。テレビ中継ではよくわからなかったのですが、最近映画雑誌で見て納得。それにしても、いつも足下を見ているわけではないから、外れないか不安でしょうね。あ、これは貧しい庶民の発想でしょうが・・・。


最近読んだ作品

 「赤心」  藤田宣永  奥能登の温泉

 墨田川河畔でふと見かけた美しい女性は、旅先の北陸の温泉宿の女将だった。女将には複雑な事情があり、同情した主人公と一夜結ばれ別れてゆく。ありきたりのパターンを描いて飽きさせないのは、作家の力量でしょう。

 「インセクト」 浅田次郎

 1970年、学生運動の残り火が燃える東京を舞台に、地方出身の無垢な大学生とアパートの隣部屋の母子の交流。ノンセクトの主人公の趣味は実はインセクト(虫)を飼うこと。それを捨てなければならなくなるラストがじんときます。

 「林檎の木の下で」  朱川湊人

 懐かしい歌をモチーフした作り方、好きです。切れ者で仕切屋の父、不器用で叱られてばかりの母。父の介護にも母はミスを重ね、主人公である次女をはらはらさせます。母がかすかに心を寄せた海辺のレストランのマネージャー、たまに母が訪れる病院近くのその店で流れるこの歌。その間に父は死んでしまいます。責める長女。でも、そのあと奇跡が起こるのです。太宰治を思わせるファンタジー。 

2006年5月12日

「世界の中心で愛を叫ぶ」と「いま会いにゆきます」


 偶然、2夜連続してテレビで放映したのを、パソコンに向かいながら横目で見ていました。

 インパクトがなくていつの間にか終わっていたのが「セカチュウ」で、思わずパソコンを離れて座りなおして見たのが「イマアイ」でした。

 「セカチュウ」は難病を絡めた純愛ものですが、全く新鮮味がなく、みんなどこで泣いたのだろう。自分の涙腺がおかしいのかなと思いました。最後のオーストラリアロケもとってつけたようで不自然。話題の若手女優さん(名前も忘れました)もワタクシ的にはイマイチ。

 それに比べて「いま会いにゆきます」はまず脚本がよく出来ています。これで結ばれたという中村獅童と竹内結子のカップルが新鮮。子役もうまく、ロケも美しい。「雨が降ると帰ってくる」といって亡くなった若い妻。残された若い父と幼い息子。そのとおりの奇跡が起こるのに、帰ってきた母はどこか不自然で・・・。

 雨が大きなモチーフなので、水、滴る翠の田舎町が美しく捉えられているのも映像の勝利。前半に撒かれた不可解さを最後にきれいに解き明かしてみせるエンディングまで流れがスムーズです。気持ちよく見終えることができました。それにしても中村獅童、歌舞伎役者と思わせないナイーブな演技。感心しました。

2006年5月11日

 3月からずっと仕事がばたばた続いて、大型連休で一息と思ったけれど、そこで風邪を引いて、連休明けからまた慌しい日々。なんか、体が休まっていない感じ。また、平日の夜に展覧会やライブに出かけたりするからだめなんですね。週5日はきちんと規則正しく働いて、週末はきちんと休む、遊ぶという生活をしなきゃ・・・。でも、実際にはクラブ活動などもあり、今週末は日曜に公開授業があるので、出勤。ついでにその日に保護者懇談もしようという魂胆です(あ、懇談と魂胆の意味もないオヤジギャグでしたー苦笑)。

 でも、思えば、故郷では土日こそ働く日でした。土曜は午後から、日曜は朝早くから山や畑に行って、日暮れまで働いて、また月曜から両親は仕事、子供は学校へ。思えば、仕事がないこともありますが、そんな息詰まる環境がしんどくて都会に出てしまったような気もします。テレビで見る都会の、土日があるサラリーマンの生活にあこがれていました。趣味やスポーツ、図書館通い、知らない人のいる居酒屋などの空間、友人とのパーティ・・・。今、それが一応すべて満たされているというのに、この気ぜわしさはなんだろう。人間って贅沢なものですね

2006年5月10日

 2年ぶりに靱公園に帰ってきた、花と緑の彫刻展。久しぶりに見ると、深い木立の中の前衛的な作品は浮き上がり、オーソドックスな彫刻は小さく見え・・・感銘はイマイチでした。改装したバラ園も却って平板になりました。残念。でも、オープニングパーティのビールはめちゃおいしかった。

 話題の青いバラの展示は、もうすぐです。

 松山恵子さんが亡くなりました。最後に出演したテレビを見たという友人が、やつれて気の毒だった,肝臓ガンと告白してはったと言ってました。芸名でわかるとおり、愛媛松山の出身で、同郷ということから親しみを感じていました。


 独特の細い声を震わす歌い方、赤い口紅、こぼれる愛嬌、レースのハンケチ(ハンカチというよりこれ)、ウエストを思い切り締めてパラシュートのようなスカートをはいて・・・。

 泥くさいような華やかさで根強い人気がありました。同じライン上に八代亜紀がいるのでしょうが、こちらは男性向き、松山さんは女性に人気があったようです。いつまでも田舎の雰囲気を持ち「・・・じゃけんね」などと語る飾り気のなさも懐かしい。

 吉行理恵さんも癌で死去。詩人で芥川賞作家。吉行淳之介さんの妹。お姉さんは女優の和子さん。おかあさんは「あぐり」。華やかな一家の中では控えめな、でも感性の光る存在でした。

 新大阪で嫁ハンの出演するシャンソンコンサートがあったので、疲れた身体にむち打って、雨の中、荷物運び役に出かける。 20人くらい出演した中で、やはり元タカラジェンヌの幾人かは動きが華やかで見せる。某有名作家夫人のF本さんは歌うの止めてほしい。ドレスとメークは見事。東京から来られたS間千絵さんはさすがの貫禄(タカラヅカ出身の大歌手Kーちゃんのご主人の愛人だったのは業界の有名な話。Kちゃんが亡くなって、彼女の時代が来るはずだったのに、すぐにそのご主人ーピアニストで作曲家ーも亡くなって、ブレイクしそこねたのは気の毒でした)白いたっぷりしたドレスに背中をきれいに見せている。嫁ハンはおはこの「子供の頃」。

 疲れていたので、書道仲間と来てくれていたらしい義母の存在を忘れて、衣装の入った荷物や花束を持ってとっとと帰って来てしまいました(苦笑)。

2006年5月7日

 6日。午前中、出勤。だれもいない学校ってにぎやかないつもの反動もあって、静寂感が強く、好きです。仕事もはかどりました。

 連休の最後7日は雨。久々の早朝座禅はツツジがきれいな潮音寺。葉桜も濡れ、緑も鮮やかで気持ちのいい朝です。ここは特別静かだなあと思って座りはじめたのですが、次第にいろんな音が聞こえてくる。電車が大和川の鉄橋を渡る音、鳥の声・・・聴覚が研ぎ澄まされてくるのですね。薄目を開けているので目の前の畳の明るさの変化で雲の動きがわかります。ゆっくり座れて充実した時間でした。

 テニスは中止。10時10分前に市立図書館へ本を返しに行くと、ドアは開いているのに、入り口の事務所の職員さんは10時までお待ちくださいという。かちんときたので、これ見よがしに咳をしながら(実際寒かった)自動ドアの前の、雨に濡れない石段に座って本を読んで開館を待つ。10時きっちりに現れた先の職員は、お待たせしましたと言って開けてくれたけれど、百貨店じゃあるまいし、閲覧室は無理でも、せめてロビーに入れるくらいの配慮があっていい。

 時間外の返却用ボックスはあるのですが、本を投げ入れるようでいやなのです。返すCDもあったので、待ってしまいました。帰ったら寒気。嫁ハンには叱られました。

 でも、返すだけのつもりだったのですが、意地で新たに借りてきたCDを聴きながら、本を2冊読めて、いい連休の締めくくりでした。


最近心に残った言葉

芸術は鏡ではない。社会を造るハンマーだ  ブレヒト


そうだ。芸術はアクティブなものなのですね。


最近読んだ作品

「町長選挙」奥田英朗  小笠原の離島に赴任したドクター伊良部

 直木賞受賞の人気シリーズの最新作は過疎地医療をテーマに。もちろん、ええかげんな伊良部に真剣さなどありません。島を二分した札束の飛び交う町長選挙に自ら巻き込まれ、ええ思いをしようとするが・・・。例によって、その規格ハズレの行動が結果オーライのハッピーエンドを導き出します。

2006年5月5日

 奈良下市の若い夫婦(34才、27才)。小学生の子供3人にスーパーでおかずや酒(焼酎)のつまみ(チーズ)を万引き(1278円)させるー5月5日、こどもの日に4月7日のニュースをふと思い出しました。

 マンションのベランダに数えたら14の鯉のぼり。さわやかな5月の空に似合います。4日、仲人の息子さんが6月に結婚するのでお祝いを持って橿原神宮へ。畝傍山の若葉が美しい。座敷には昭和5年の武者飾り。真剣二振りも。酔っぱらう前に扱わせてもらう。ずっしり持ち重り。実戦で使ったみたいで、刃こぼれがいくつか。手入れも大変らしい。赤白のツツジの咲く庭を眺めながらつい飲み過ぎてしまう。

 5日。かなりの二日酔い。義母をさそって竹ノ内峠のロッジで茶粥。新緑燃える二上山がまた美しい。まだ早いかなと心配しつつ峠を越えて、石光寺(せっこうじ)へ。これが大当たり。牡丹は満開。やはり花の王です。特に白い大輪の花が見事でした。ライラックや紅の花も咲いて、石光寺周辺は(寒牡丹でも賑わいますが)今が一年で一番華やかで美しい季節です。

2006年5月3日

 ご指摘いただきました。昨日の記事、「横田めぐみさん」です。横山めぐみさんは女優さんですね。すみません。

4月は残酷極まる月だ   T・S・エリオット

 そして、美しい五月。黄金週間はかつての映画全盛期に出来た言葉だそうですが、映画ファンの私でも戸外に出たくなるような季節です。

 帰省を考えたのですが、クラブ付き添いもありそうだし、諦めて、今までにないできるだけゆっくりいた連休にしようと思いました。今までならあれこれプランを組んで(これが楽しみでした)予定を入れて安心していたのですが、もう年だしそんなに疲れることは控えようと思い至りました。

 で、まったく予定のない連休初日の3日。体内時計も狂って、5時半に起床。朝日を浴びながらゆっくりミルクティ。新聞、古雑誌の整理。洗濯機の回る音。いいものです。


来る人

大竹しのぶ さん

 近年、舞台女優として、「欲望という名の電車」「肝っ玉おっかあ」「メディア」と女優の憧れの大役をゲットして実績を上げ、新作にも成果をあげて、当たるところ敵なしの快進撃。最近自伝を出して更に注目を集めているようです。乳ガンを克服していたなんて知らなかった。

 彼女が舞台女優としての本格的スタートを切ったとき、なぜか、東京にいました(旅行中?)。最初の夫を癌で亡くして半年、芸能活動復帰は日生劇場の「奇跡の人」。もちろんサリバン先生役。それまでの奈良岡朋子、市原悦子、有馬稲子と比べていかにも若い。すでに初舞台は済ませて、将来日本の舞台を背負う人材として期待されてはいましたが、未亡人になった彼女がこの大役でどんな鬼気迫る演技を見せるか。無責任な、でも熱い視線が注がれる舞台。チケットはとっくに完売でしたが、有楽町まで出かけてみました。

 演劇ファンにマスコミも加わって、劇場前は向かいの帝国ホテルまで人が溢れ、異様な雰囲気でした。ヘレン・ケラー役はたしか荻野目慶子さん。いままでにない若い、でも原作に近いキャスティングでした。あれから20年余が過ぎて、まさに今、大女優への道を着実に歩いています。


逝く人

絵門ゆう子さん(元NHKアナウンサー池田裕子さん、乳ガン、49才)

 野際陽子さん、下重暁子さん、松村満子さん、加賀美えつこさん・・・黒田あゆみさん、久保純子さん。確かにNHKの一時代を代表するアナウンサーでした。まだ若い。

久島国夫さん(囲碁棋士9段、12指腸潰瘍、59才)

 12指腸潰瘍で亡くなるのですね。気を付けなくっちゃ。

2006年5月2日

 ホテル・モントレー神戸のウィーク・ポイントは眺望。でもそれを、かわいいパティオ(洋風中庭)が補っていました。支払いは結局二人で1万千円ですから、儲けものの小旅行でした。

 ホテルのテレビで、横山めぐみさんのお母さんと弟さんがブッシュ大統領と会見したというニュースを見ました。

 家に帰ったら上の息子がいて・・・「どんなに動いても当面、北朝鮮は変わらないんだから、拉致問題は棚上げにして、国交正常化を図ったほうがええんとちゃうのん?」

 「こんな人を踏みにじることをしている国とまともに付き合えるか?国家的犯罪なんだから、きちんと決着はつけるべきやろ?」と私。

 「お父さんは情に流されているんや?政治はもっと非情やで」「確かに、横山さんや拉致被害者の家族には深く同情しているけれど、こんな問題を見過ごして国交を結ぶなんて、民主国家としてやったらあかんと思うよ。喧嘩するときにはきちんとやらんとあかん」「でも、喧嘩ガ高じたら、戦争になるで」「それを避けるのが外交やろ?」

 久々、家族で熱くなってしまいました。


そして神戸(5月2日記)

 神戸空港の悪口を書きます。いろいろあったけど、出来てしまった。それならもっと上手に活かすべきだと思うのです。ポートライナーは遅くて、まだるっこしい。多くの観光客を流すだけで、受け入れる施設もサービスも乏しい。土産物屋は少なく貧弱。折角展望ラウウンジがあるのに、説明も案内もない。せめて何分後にどこそこ行きが発着しますくらい言え!折角の眺望を活かしていません。


 かつての商売上手な神戸市はどこへ行ったのでしょう。

 いろいろ経緯があって、国際便が飛ばせず、単なる地方空港に甘んじているのはわかるけれど、背景に神戸という美しい100万都市が控えているのです。3空港をばらばら経営にせず、まとめて、合理化、観光化、共存共栄を図るべきと思うのです。そして、せめて神戸の歴史を活かして中国行きの便くらい飛ばせたいなあと思います。

 もったいないなあというのが初めて神戸空港を訪れた感想でした。第3セクターが転けまくっている大阪の人間が偉そうに言えませんけれど(苦笑)。



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