2006年7月30日
休日出勤はもちろん気が重い。校門の開閉から、校舎の機械警備の解除、警備会社への連絡、その他もろもろのややこしいことあり。でも、何回かやっているうち、嵌ってきました。
蝉が鳴く校庭。だれもいない校舎の内部の静かさ、広く感じる職員室。窓を開け放ち、風を入れ、軽装で、資料をいっぱい拡げ、好きな音楽をかけながら・・・仕事がはかどること。
このええ気分は50年前、教師だった父や母に連れられて「日直」「宿直」(当時は教師が交代で警備員も兼ねていました)に行った記憶に由来するのでしょうか。あのころだれもいない木造校舎を走り回るのはちょっと怖かったけれど、新鮮な気分だったなあ。日常との落差が大きいほど、胸がときめきます。深夜のデパートなんかも行ってみたい。
サンドイッチを囓りつつ、午後2時過ぎまで。仕事が一段落したので、いちおうキャンセルしておいた仲間とのたそがれテニスに河南町へ向かう。
ちょうどいい薄曇り。もう年輩者にはギラギラの夏の青空は「いい天気」と言えません。夕立がさっと来たのもシャワーがわりで気持ちいい。午後6時までやって帰宅して、ほんとのシャワーを浴びて、それからもちろんビール。下の息子は日焼けの背中がいたくてビールどころではないと言う。よーし、と代わりにしっかり飲んでやって、帰宅時2キロ減っていた体重が2時間後には3キロ、リバウンドしていました(苦笑)。
故郷の母校が甲子園に出場するらしい。友人に教えられて知りました。ええかげんな先輩です(苦笑)。また、寄付依頼がくるのでしょう。インターハイや国体でがんばっている他のクラブもあるのに・・・。野球部だけ例外なんて(ずーっと昔から)変ですね。
2006年7月28日
夜勤明けから帰ってきた下の息子が、着替えるやいなや飛び出して行った。一言「海に行って来る!」。次の日の夕刻、真っ赤に日焼けして帰ってきて、そのまま食事もしないで寝てしまいました。
嫁ハン曰く、「彼女と行ったのかしら?」私「ちゃうで!」「なんで?」「彼女となら車でゆくやろ?」(息子は先日、中古のインテグラを買いました)「若狭かな?」「伊勢方面ちゃうか?」「なんで?」「乗った電車が下りやったやろ?」
翌朝、6時、出勤する息子に訊いたら、はたして、先輩達と10人で伊勢・鳥羽に行ったそうです。でも、尺土駅で待ち合わせ、車3台だったそう。みんなタフやなあ。
夏期講習も半ば、その準備や、進路指導で毎日めまぐるしい忙しさ。冷房の効いた室内と、蒸し暑い室外の出入りがこたえたのか、昨日から偏頭痛に悩まされています。ジャケットを持って、こまめに着脱するようにしているのですが・・・。
石川のほとりの道路の真ん中でうずくまっていた大きな亀さん。車の往来が激しかったので心配。みんな避けて走っていたけれど・・・。
「ミクソロジスト」最近増えてきた、フルーツや野菜を使ったカクテルを作る人。ロンドンで生まれ、健康志向の世相を背景に増えてきているらしい。おいしいものあると思うけれど、トマトをバーナーで焼いて磨り潰し、ウォッカを入れてシェークしたやつ(グルルドトマトマティーニ)なんて・・・飲みたくねえ!
最近読んだ本(7月28日記)
「ベラルーシの林檎」 岸惠子
女優として確固たる地位もあり、パリと日本に家もあるのに、この人の好奇心はより広い視野を求めます。映画の全盛期のスターだったけれど、芸能人に対する差別意識がまだあった時代、そして国際結婚、東洋人に対する差別を受け、人種の坩堝のフランスで暮らし、人権に対する意識を否応なしに磨いてゆきます。
ユダヤ人問題に関心を持ち、ヨルダンやパレスチナ訪問。殴られたり、襲われたりしながら、取材を続けます。題名はホーランドからバルト3国へ汽車で旅した時のエピソードから。ゆっくり走る「聖ペテルブルグ特急」の中は買い出しの貧しい人々で溢れかえる。混雑と悪臭の中で、年老いた明るい老婦人のロシア式林檎の食べ方と、明るい歌声が周囲を和ませます。
そして、駅に着き、大きな荷物に小柄な身体をふらつかせながらホームを去ってゆく老女の後ろ姿を作者は胸に刻みます。エッセイストとして腕も見事です。
2006年7月24日
土曜夜のテニス仲間のサマーパーティは盛り上がりました。いろんな職種の人が集まって騒ぐのは楽しい。でも、みんなのタフさについてゆけない(苦笑)。朝方まで、飲めや歌えやの大騒ぎになるのだもの。2次会は失礼して、11時過ぎに退席。20人中、10数人は2時ころまでやっていたらしい。今回はまだ早い。もちろん日曜は朝からテニス(私は午後から)。
パーティの帰りに駅裏のゆきつけの小さな居酒屋へちょこっと寄る。ここのママは着物に詳しくて、いろいろ教えてもらうことがある。「ゆるやかに着てひととあふ蛍の夜」という句が気になっていたのです。「ひと」はもちろん彼氏、いままで、「ゆるやかに着る」のは「浴衣」と思い込んでいましたが、ふと、「絽」や「紗」ではないかとも思ったのです。
ママいわく、絶対「浴衣」。絽や紗は下に重ねなければならない、抱かれにゆくのだから、入浴してそのまま下になにも着けず、浴衣を着たはずだという・・・納得。
その話をしていると、ひとりいたお客が加わってこられて、3人で話に花が咲く。そのうちふと故郷の話になって、わかったのは、彼も愛媛、しかも、同じ高校の後輩だった・・・それでさらに盛り上がる。寄寓。結局、1時過ぎまで飲んでしまいました。
最近知ったこと
遊牧民は乳製品だけで食事を済ます。それが最も高貴な食ご馳走なのだ。そして夜はみんなそのままの位置で、毛皮の服と頭巾を被ったままでひざを抱えて眠る。内臓を冷やしてはいけないからだ。(新聞小説「チンギス・ハン」から)
もちろん現在はこうではないのでしょうが・・・。羽曳野の石川を跨ぐ大黒橋(おぐろばし)のたもとにラーメン屋があり(「羽曳野ラーメン」という)、結構おいしいのですが、その敷地にパオというかゲルというのかモンゴル風のテントがあるのです。主人の趣味らしい。その店に通っている友人がまたかの地に興味を持って、とうとうこの夏モンゴルへ旅行するらしい。北京からの汽車の旅。いいなあ。そういえば、今場所の千秋楽の結びはモンゴル同士の対決でした。いい相撲でした。
2006年7月22日
ホテルマンである息子の意見(「ホテルを活かすのはお客様の苦情」)を聞いてから、宿泊したホテルのアケートは出来るだけ丁寧に書くように心掛けています。それに対するホテルの姿勢がいろいろで興味深い。
先日、泊まった大阪帝国ホテルの支配人からアンケートに対する礼状が届く。ワープロ打ちで名前のところだけ入れ替えた通り一遍の文章。紙質、封筒は立派。先月のハーバーランドオリエンタルホテルも同じ。
こういう点では外資系のホテルの方がはるかに丁寧なのはどうしてだろう。先年、泊まったハイアット・リージェンシーは支配人の手紙に添えて、意見を書いたレストランの責任者からの説明、その後の対応、感謝の手紙も添えてあって、苦情を書いたことを忘れていっぺんにホテルのファンになってしまいました。息子のホテルに泊まったときも、手紙に加えて支配人の秘書から電話をもらいました。息子に訊くと、アンケートで最上の評価をもらえなかった部門は責任者がお客に電話することになっているそうです。
きめ細かいはずの日本のホテルが、今は遅れをとっているように思います。
やっと覗いた青空。朝から近所の古墳からクマゼミの合唱が沸き起こってきています。午前中は仕事。午後からはテニスに飛び出します。夜はテニス仲間のサマーパーティ。ダイエットが心配(苦笑)。それにしても梅雨明けはいつになるのでしょう?
2006年7月21日
夏休みはあと2週間後に来ると、期待して山のような仕事にかぶりついています。
豪雨の害は大変だけれど、雨はやはり大切。稲作農家にとっては死活問題です。雨の少ない瀬戸内では梅雨にしっかり降ってくれないと困ります。でも、今年はやはり降りすぎ(苦笑)。
あちこち奥山に作ったゴルフ場にも問題があるのです。芝生は森のようには水をせき止めず、下流に鉄砲水を流します。治水工事で川はコンクリートの単なる水路に変わり、カワウソも魚も姿を消しました。
雨上がりの大河が好きです。大和川のボリュームある濁流がうねりつつ海に向かう。いつもと違う川の顔。岸辺の枝ぶるのいい柳の下に住むホームレスの人はどこに避難しているのだろう。いつもはあの木を独占していて苦々しく思っているのに、こんな時はふと心配になる。
下の息子は夏休みが急に取れて、ひとりで四国へ。両親は狂喜乱舞。一泊だったけれど、刺身、分厚いステーキ、焼き鳥というわけのわからないメニューで死にそうなほどの歓迎だったそう。全部食べんと帰してもらえへんで、と電話で言うと、僕もそう思う、でも、まだ食後におじいちゃんの作ったスイカがあるねん、とため息をついていました。幸せなやっちゃ。
「30年を2時間半で」。森山良子さん、最近またよくなりました。なにかふっきれて若くなって、一時荒れていた声もきれいになった。新宿のデパ地下で30年振りに再会した恋人同士の自作自演で鮮やかに演じます。芝居気たっぷりに聞かせます。
来る人(7月21日記入)
安蘭けいさん
タカラヅカ星組の次期トップスター。10年前から人気があったのに、なぜか2番手、3番手でもう15年。遅咲きのトップとなりました。おそらく2年ほどの在任かもしれないけれど、燃焼し尽くして欲しい。独特のいなせな甘い魅力あるスマートなスターさんです。
2006年7月17日
雨上がりの町並みがきれいです。屋根瓦が濡れてしっとりとええ色合い。
法隆寺のテニスグループとの定期交流戦が中止になり、よっしゃあ、と昼からビールを飲もうとしたら、電話。メンバーの身体が空いているんだから、大阪グループでテニスをしようという。元気やなあ。ビールを冷蔵庫になおして、出かける支度。あ、また雨が降ってきた。雨ですよーと電話をすると、雨でもやるんじゃ、と叱られる。困った人々。結局雨の中、6人も集まって4時間もテニスをしてしまった。もちろんコートにはわれわれだけ。正気の沙汰とは思えない。
岸惠子さんの文章がおもしろい。彼女の行動力と好奇心、グローバルな視点にはいつも感嘆しますが、人種問題に向ける目も鋭い。
彼女が引用した言葉。「見たことのない人に、そのものを見せることは出来ないのです。そして、見てしまった人は、見なかった前に戻ることも出来ないのです。
2006年7月16日 その2
テレビでイタリアの世界遺産の小さな海岸の町を見てジーンと来ました。断崖を開墾して石垣を巡らし、ブドウ畑を作り、ワインを作り、 狭い谷と丘に美しい家並みと迷路のような路地。それって、瀬戸内海に面した島や半島と同じ構図です。ぶどうがみかんに置き換わっただけ。でも、瀬戸内より海も家並みも明るく、色も鮮やか。また、イタリアへの夢がふくらみました。
秋田の米山豪健くん殺害の容疑者、畠山鈴香は娘の彩香ちゃんを橋から落として殺した・・・毎日新聞の特ダネだったようですが、やっぱりと思う反面、謎は深まるばかり。どう考えてもその後の行動は不可解です。
もし、ワイドショーで騒がれているように、愛人がいて、娘が邪魔になったとしたら、さらに保険金目当てとしたら、ものすごく気分の悪い事件です。
アイガー東壁が崩落。地球温暖化の影響によって、氷河が緩んだためといいますが・・・。
最近読んだ本
「岡本太郎に乾杯」
岡本敏子
個人的によくわからない芸術家だった岡本太郎のことが、少しだけ理解できたように思います。筆者は50年、岡本太郎の秘書を務め、養女になった人。幅広い活動と、ものすごい行動力を支えた人だけに、素顔があきらかにされ、興味がつきません。
フランスへの深い思い。縄文土器の美しさを初めて認めたのは彼だった。写真、イベント、スキー、ピアノ・・・いろいろなものにのめりこんでも、そのことに拘らない。すぐ次に移ってゆく。後ろを見ない。挑発し、敵を作り、孤立をおそれない。また、自分に擦り寄ってくるものにも厳しい。
彼を打ちのめし、鍛えたのはやはりピカソなのですね。藤田嗣治と同じなのです。
崇拝者による賛歌という面はあっても、美化ではなく、確実に芸術家の一面を捉えていると思います。でも、もっと書いて欲しかった。
行く人 来る人
ジューン・アリスンさん(米女優)
「若草物語」のジョーが印象的です。美人とは思わないけれど、元気で親しみやすい雰囲気でアメリカでは圧倒的人気があったようです。
2006年7月16日 その1
梅雨明けを思わせる油照り。真夏の到来です。入道雲が盛り上がり、夕焼けもダイナミック。昨日も夕立の中、ゴジラの背中のような形の金色の雲がきれいでした。
警官の発砲事件が続いています。切れやすい者がさらに切れやすくなる時期。息子が心配。息子も心配しています。
高校生に対する発砲の件。相手が素手なのが苦しいなあ、と息子。でもラリっていて、二人がかりで、一人が羽交い締めしてもう一人が警察官をぼこぼこに殴ったんやろ、そりゃあかんわ、危険を感じるで、と私。つい警察官を庇ってしまいます。ラリっている者の怖さは私も知っています。あの目つきは恐怖です。何されるかわからない。
もちろん警棒を使えれば、それに越したことはないのだけれど・・・。発砲は最後の手段であるべきですが、エスカレートする非常識な行動にどう対応するか。発砲に対して批判的なマスコミの口調もわかるけれど、気になります。
土、日のクラブの試合の付き添い。キレルばかりでなく、きちんと挨拶できる気持ちよい高校生もいます。気を取り直して行ってまいります。
2006年7月13日
二日ほど前、石川縁で初蝉を聞きました。そのときは一匹だったのに、昨日はもう数匹の合唱。今日はどうでしょう。
朝の石川堤は、釣りをしているおじさん、堤に座って喋っている老人二人の側で、2匹の犬が気持ちよさそうに寝そべっている。グランドではおじさんチーム(平均年齢65,6?)が対戦中。
そして、名高い大阪のおばちゃんは?と見ると、いました、元気にワォーキングそしてランニング、サイクリングしている人もいる。僻目かもしれませんが、身につけている物もおじさんより高価ないいものに見えました(苦笑)。
たまに早めに就寝すると体内時計がずれて、4時前後に目が覚める。これがうれしい。窓を開けてからもう一眠り。涼しい風が入ってくる、ことこと電車の音。鳥の声。しんどいこともいっぱいあるけれど、今日も仕事がんばるか、と思う時です。
ジダンは「反省しているけれど、後悔はしていない」という。彼を挑発した言葉も気になりますが、彼を「悲劇の英雄」にしてもいけないと思います。
2006年7月9日
ミサイル発射は許し難い暴挙と思うけれど、非難轟々の裏には、きっと別の見方をしている、またシビアな計算をしている層がいるんだろうなあ、と思います。経済制裁から生じる金融の流れの変化、麻薬、武器輸出・・・これに乗じようとする輩とそれをまた利用する政治。表と裏を見やりつつ、ぎりぎりのやりとりをする、政治、外交って本当に胃の痛む仕事なのでしょう。それに生き甲斐を見いだす人もいるでしょうが、自分ならとっくに血を吐いていると思います(苦笑)。
キューバ危機の時のケネディ大統領の写真があります。ホワイトハウスの執務室の机に手を付いて、頭を垂れている後ろ姿。最上級の仕立てのスーツの肩にフケがいっぱい落ちていたとカメラマンのコメントが添えてありました。
そして、なんや申し訳ないけれど(?)緊迫の世界情勢をよそに、大阪に、京都に繰り出す平和ボケの私であります(苦笑)。
茶屋町画廊の「きままな彫刻展」のオープニングパーティ。友人の彫刻家、堀信二の作品は今回は片頬杖の上に頭が載っている面白い構図。濃いめの茶色の塗りが入っているのですが、個人的には塗る前の木地のままの方が好きでした。居合わせた別の彫刻家の方に感想を伺うと、うーむ、顔に木の裂け目が入っているのがあかん、とおっしゃる。腕ならいいらしい。堀はそんなこと気にしていないけれど、そんなものなのか・・・。全体に小振りな作品が多くて、ちょっと淋しい。最近彫刻展が続いていたもんな。彫刻は創作に物理的にも時間がかかります。
久々に市内の銭湯に行く。390円でゆっくり。全身刺青の人が3人ほどいて、その内のひとりの彫り物がなかなか立派で見とれてしまいました。刺青は好きではありませんが、肌や技術によって大きな差が付くものなのですね。風呂上がりの広いロビーでの足裏マッサージ、全身マッサージ器で入湯料より高い500円を遣ってしまいました。でも、気持ちよかった。
大阪あちこち
今月のホテルツアーは桜の宮の「帝国ホテル」(インターネットで2食付き1,1000円をゲット、本来なら3万円ーちなみに先月のオリエンタルホテルは朝食付きで7,000円ーホテルマンの上の息子が価格破壊だと怒っておりましたー笑ー)。女性に人気のあるホテルらしくシックでした。特筆すべきはベッドの寝心地がサイコー。バスも広い。大川に面してロケーションもいい。ただ、レストアランも多いロビーフロアのトイレがウォシュレットでないのはなぜでしょう?レストランのインテリアが昔風に言うとポップなのも気になりました。このホテルにはそぐわない。きっちりアンケートに書いておきました。
もっと京都
京都での「藤田嗣治展」。岡崎の国立近代美術館まで京阪丸太町から歩いたのですが、疎水は緑の水が豊かで涼しげ、岸の桜が水面まで枝をたれ、暑い日でしたが、木陰を歩いて気持ちよかったです。
でも美術館は冷房が効いているのに人いきれのする大入り。展示は質量ともに充実していたのですが、ゆっくり見ることはできませんでした。個人的には、戦後パリに戻ってからの時代がやはり輝いていたように思います。彼の宗教画や子供の絵はあまり好きになれません。
日本を去るきっかけになった戦争の記録画は迫力ありました。フランスでも日本でも「異邦人」だったと評されていましたが、それはセンチメンタルな見方で、彼はパリを愛し、ちきんとフランス国籍を獲得しカトリックに帰依し、自分の葬る礼拝堂も建てたのです。フランス人として死んだのだと思います。
18才の頃の、美術学校入学時の写真は素朴でなかなかの爽やか青年。20代でパリに渡って、オカッパ頭と丸いめがねとちょび髭の姿、もう十分にアヤシイ雰囲気。当時の日本に合うはずはありません。国際人だったのですね。
ポイントだけ隙間から眺めて、ゆっくり見ている嫁ハンが見終わるまでロビーの椅子で居眠り。気持ちのいい京の午後でした。
2006年7月6日
今日の雨は「洗車雨」。明日の逢瀬に備えて、牛車を洗ったのですね。あちこちの軒に七夕飾りが揺れています。
小雨の向こうにきれいな夕焼けが見えました。明日は晴れるのでしょう。
ミサイルが突然飛んでくる時代です。孤立を深めつつ、まだしたたかに生き残りも図る。もー、大変な隣人と付き合うのも疲れますね。でも、今こそ日本も外交面でがんばらねば・・・。よりしたたかに。
ジェンダーについて。「なんで我々優秀な女性が男性のところまで降りてゆかなければならないの?」という発言はオノ・ヨーコさんの伝説の語録。真偽のほどはわかりませんが、「小野財閥のお嬢さん」、「学習院の女王様」そして・・・という経歴を思えば、むべなるかな。笑って「その意気や良し」と言っておきましょう。
働き過ぎを天帝に心配された織女は、牽牛と出会って恋に落ち、機を織ることを忘れてしまい天帝の怒りを買う。そのアホさかげんがいいなあ。それが恋。
2006年7月4日
そうか、今日はアメリカの独立記念日なんですね。日本は植民地時代がないから(占領されたことはある)、独立記念日がないのでしょうね。建国記念日というわけのわからないものはあるけれど・・・。
横田めぐみさんの件、これだけ翻弄されて、まだ事実解明の道は遠い。ご両親が健在なあいだに、なんとかしてあげたいのに・・・。
女児に対する「強制わいせつ致死」というのは絶対許せないなあ。一人の殺人では死刑求刑は異例だというけれど・・・。被害者の親にしては堪らない。
中田ヒデの引退になんの感慨も湧かないのはなぜかなあ?彼の熱さとクールさが、つまり、彼の個性、人間性がもうひとつ自分にピンと来ないからかも知れません。「我」「個」というのは当然あっていいのだけれど、サッカーという集団競技において、そのバランスは難しい。中田の場合は日本チームにおいてあまりに「孤高」であったような気がします。よく似ているようにも思うけれど、イチローとの違いは何だろう?
先週末に参加した「七夕会」という年一回の昔の仲間の集まりで印象に残った話です。
私より年少の主婦。お孫さんが出来たばかり。おばあちゃんの介護中でもある。自身が体調を崩して、おばあちゃんが入院している病院で診てもらった。よくない見立て(本人は詳しいことは言わない)を受けて、動転し頭が真っ白でどうやって駐車場まで歩いたか憶えていない・・・。その時ケイタイに電話。娘さんからお孫さんの調子が悪くて、救急車を呼んだが、あちこちたらい回しで、どうしよう・・・。
その瞬間、ビシッと気合いが入って、すぐここへ連れておいで、私が話をつけておく。走って受付に引き返し、孫を迎え入れる、幼児の貧血という特殊な症状でしたが、幸い助かったそうです。そのあと、彼女、病院に親子4代かかったのだから、家族割引は利きませんかと交渉したらしい(微苦笑)。
げに母は強し。でも、ご病気が心配。
2006年7月2日
先日テレビで放映された今年のトニー賞授賞式(プロードウェイの演劇、ミュージカルの優秀作品、出演者に与えられる賞)を見ていると、ほんとに多くの演劇人の舞台に賭ける情熱のすごさに改めて圧倒されます。
映画とはまた違う舞台の魔力。
ちなみに今年のミュージカル作品賞は「ジャージー・ボーイズ」。伝説のグループ「フォ−シーズンズ」の青春を描いたもので彼らのヒット曲がちりばめられています。いつも感動的な受賞のスピーチですが、今年は主演、助演のどちらもこの作品でもらった若い二人が、共に幼いとき片親を亡くしていて、ひとりは亡き父に、ひとりは残された父に語りかけて、胸を打つものがありました。アメリカには10万人の舞台を目指す人がいるそうです。
それにしても演劇部門で演技賞を取った俳優はみなイギリス系のベテランが多く、また「ハリー・ポッター」「スター・ウォーズ」に重要な脇役で出演していた人達なのにも驚きました。
やはり、ミュージカル部門は華やか。主演女優賞は「カラー・パ−プル」に出演した若い、目の表情豊かな人。もちろん歌声もすばらしい。ブロードウェイはいつか行きたい。
あと、行ってみたいのは、今度完成したというラスベガスの「オペラ座の怪人」上演専用劇場。膨大な費用をかけて、あのいにしえのパリオペラ座を再現しているのだそうです。このミュージカル大阪の無くなった近鉄劇場で見ましたが、劇場が小さいのでがっかりしました。やはり劇場がひとつの主役ですから、完璧を目指すならそこまでやってほしい。出演者(60人)のオーディションにはブロードウェイはもちろん、全世界から8千人が集まったそうです。