Kan-Kan の雑記帳


2006年8月31日

 8月尽。朝夕の風もめっきり涼しくなりました。朝のサイクリング通勤も快適です。道明寺、石川を跨ぎ玉手山に向かう通称「サントリーの吊り橋」(昨年まで橋のたもとにサントリーの工場があったーどちらも赤い煉瓦の味のある建物)の下を抜けてゆくのですが、その橋の下の陰で、いつも老人お二人がそれぞれ犬を連れて語り合っている。2匹の犬はいかにも気持ちよさそうに並んで寝そべっている。

 人生のたそがれに犬のパートナーがあるのはいいですね。「老犬トレイ」という歌を思い出しました。

老いたるトレイよ
やさしくまめに
我に仕え 変わらざりし 
こよなき友達


 川辺八幡宮の門前にいつもいた白い犬。首輪もない。これも老犬で薄汚れてマットレスよう。涼しい日陰を上手に探していて道路の真ん中に寝ていることもある。しばらく姿を見かけない。めったに通らない車に轢かれたのかと心配していましたら、昨日やっと見かけました。大分衰えているようで、ちょっと心配。

 全米オープンテニス。男子はマラト・サフィンが復活を期してがんばっています。かつてのランキング一位の王者もちょっと最近はさびしい。ラケットを叩きつける気の強さ(短気さ)が、良い方にでればいいのですが・・・。

 女子、3年ぶりのマルチナ・ヒンギス(25才)も中国の若手ペン(20才)相手に苦戦しましたが、こちらはテクニックでかわし貫禄の逆転勝ち。

 でも、ニューヨークの話題はシャラポワの新しい黒いウエアと、彼女とロディックとの交際の噂。

 忘れてはならないのは、アガシの引退の大会でもあるのです。

 黒柳朝さん死去。ドラマチックな生涯でした。徹子さんはお寂しくなります。

2006年8月27日

 ラーザリ・べルマンのピアノを聴きながら。華麗で力強いタッチ。耳に快い音です。

 ピアノは不思議な楽器です。強い自己主張も出来るし、伴奏も出来る。嫁ハンのピアノのパートナーは数人いますが、出過ぎる人(弾きすぎる人)、引きすぎる人、いろいろあって面白いし難しい。個人的には、繊細で気配りが出来て、でも、控えすぎず、出るときには思い切って出てきて、歌手と丁々発止で勝負する、そんなタイプが好きです。今度のライブのピアニストは華麗派の独身男性です。

 定年後の楽しみに絶対、ピアノの練習は上位に置いています。ボケ防止にも役立つらしい。

 墨色の雲が、空から襲いかかるように降りてきて、すごい夕立になりました。その中でテニスをやっている仲間たち。炎天下より確かにマシかもしれません。でも全身ずぶぬれでどうやって車に乗って帰るのだろう(笑)?私は下着まで濡れる前に上がりました。

 義父の一周忌もなんとか終了。思えば去年の今頃は葬儀と引っ越しの後始末と考査前の授業と考査問題作成に追われていたっけ。一年は早いし、しんどかった記憶もあっさり消えてゆきます。でも、それだからやって行けるのでしょう。


鳥取への旅 8

 今回のテーマ 「日本一危ない国宝見学」ーこの観光キャッチコピーはウマイー三徳山三仏寺(みとくさんさんぶつじ)の「投入堂」ー写真などでよく見ていたのですが、前日倉吉であちこちの店で、お気を付けて、滑落死した人もいますよ、などと冗談半分に脅されていたので、ちょっと覚悟して望みました。長袖にタオル、ジーンズ・・・ところが同行の友人Sはサンダルに短パン、明らかになめています(苦笑)。彼は旅行前々日に日本アルプス縦走から帰って来たばかり。往復1時間半という山道なんてちょろいものなんでしょう。

 石段を登り、見事な杉木立の並ぶ境内を抜けて本堂裏の投入堂参拝受付へ。そこで入山手続き、六根清浄と書かれた輪袈裟を貰い、服装・装備チェックを受ける。受付の学生アルバイトとおぼしき若者が、友人を見て絶句。しかし、その日に焼けた顔つきと足の筋肉を見て、諦めたらしく、「今回だけですよ」と見逃してくれる。

 堂の裏からちょっと沢に降りて、一気に登り始める。確かに信仰、修行の道であり、ハイキング道ではないから、丁寧な整備はされていない。金剛、岩湧にもないような坂が続く。でも、根を伝い、枝を掴んで登るのは山育ちの私には慣れたこと。友人Sも軽装もあって軽々と先頭を登ってゆく。もうひとりの友人Yはかなりバテ気味なので、マイペースで登ってもらうために、あえて残して先を行く。

 鎖場もよいしょと越えて、文殊堂へ。ここは大岩の上にある舞台造り。四方を巡る縁側は手すりもない。目の下は数十メートルの崖。高いとこ好き人間の私もさすがに足がすくむ。しかし、見晴らしは最高。

 そこから約5分。いくつかの堂と崖を巡ると、目の前に谷を隔てて投入堂が現れる。もっと深い谷を隔てた遠くにあると思っていたのですが、意外に近い。20メートルくらいか。岩山の頂上近く、せり出した崖の窪みにぴたっと嵌ったお堂。とても人の手によるものではなく、役行者が法力で堂を投げ入れて造った、というのが名前の由来らしいけれど、よく見ると、巧妙に岩に窪みをつけて、支柱を固定している。その支柱の長さのバランスがなんともうまく取れていてすばらしい。

 岩の窪みという立地からか、雨風から長年守られてきたのがわかります。よく見ると、張り出した上の岩から、細かい水滴が霧のように降り注いで堂の前に淡いベールを掛けています。周囲は見事な大木、緑。木の低かった昔はもっと遠くから望めたかも知れません。たしかに俗から遠く離れた聖地です。

 惜しむらくは世界遺産に登録するための(?)の工事か、改修の為のリフトが引かれ、フェンスが巡らされていたのがちょっと目障り。遅れて友人Yも到着。写真を撮り合う。


 帰りは急坂なのでさらに慎重に。上では数人でしたが、次々人が登って来る。かなりの年輩の方もおられたので心配。手を貸してあげる。寺の売店でもちろんビール。往復1時間余でした。

 あとで知ったところでは、あんな山奥にあったのに、麓の村からお堂が見えるスポットがあったらしい。これは見ておけばよかった。昔はもっと深山で趣があったことでしょう。

 汗を流すのと、昼食を目指して、近くの三朝温泉に向かいます。

2006年8月26日

 エリック・クラプトンの3年ぶり来日公演が11月にあるという。3年前は北海道公演まで手配してもチケットが取れなかった。今回は大阪で4公演もある。よっしゃあ、と今日開始の電話予約にダメモトでトライしたら、あっさり取れました。

 クラプトン狂の四国の弟にプレゼントします。

 早速、夜に電話したら、え、え、本当?今、酔っているから、信じられない、夢かもしれないから明日電話して確認するわと、興奮していました(笑)。


そして神戸( 8月26日記)

 最近ハマっている神戸。金曜の夕方から。いつもの南京町でジャージャー菜とジャージャー麺と焼餃子、水餃子、これでハードだった一週間の疲れがすっと取れる。

 ホテルオークラ神戸。なかなかチャンスがなかったのですが、やっとゲット。でも、期待が大きすぎて、あれ、こんなものかなあという感じ。東京のイメージが強すぎるからかも知れません。東京と同じ名前のカフエレストラン「カメリア」もちょっと手狭で地味な感じ、フツーのホテルのレストランです。サービスは流石でしたが、やはりオークラらしい上品さとゴージャスさが欲しい。客室やベッドは上々でした。

 朝の神戸。海岸通りは日差しは強いが、木陰も豊富で、海からの風も爽やか。旧居留地の趣のあるビル群と、新しいブランドのテナントがうまくマッチして、なんともオシャレな町並み。

 堂々たる偉容の神戸大丸デパートへ。このビルの造りもすばらしい。屋上のイングリッシュガーデンで一休み。藤の花が返り咲いていました。

 うまく新快速、関空快速、近鉄急行を乗り継ぎ、すべて座れて1時間あまりで帰宅。便利な時代です。ちょうどいいタイミングの骨休めになりました。


鳥取への旅  7 

 旅の2日目。今回の旅の楽しみのひとつは野外の朝食。あえて旅館は素泊まりにしました。前夜、料亭「万よし」の帰りにスーパーで仕入れていた食材を持って、湯梨浜町を見下ろす鉢伏山(514メートル)に車で登る。高くはないけれど、海に近い平野から一気に立ち上がっているので見晴らしは最高。360度。

 テレビ塔があって、早朝なのにドライブの先客が2名あったけれど、すぐにいなくなる。あとはわれわれだけ。木立の中の木造の立派な高い展望台に登る。周りの木々が強い日差しを遮ってくれる。友人が持って来てくれたコッフェルで湯を沸かしてくれて、コーヒーとお茶、パン、サラダ、ヨーグルト・・・。涼しい風と清澄な空気、シンプルな食事がおいしい。

 目の下に緑の山野と東郷湖、その向こうに広々とした青い日本海。海岸に立ち並ぶ白い風車、遙か西に霞む大山、後ろは中国山地。瀬戸内海の島々が連なる海を見てきたので、島影のない広い海は見ていて気持ちよい景色です。

 ウグイスをはじめとする鳥の声、まだ鳴いている虫。「美しい鳥取」のイメージが刻みつけられた時間でした。冬はまた違う顔を見せるのでしょうが、夏のこの国は明るく広々としている。

 尾根づたいの帰り道を少し自転車で走りました。下りはすごいスピード感。緑の木立を走り抜ける快感はドライブでは味わえないもの。友人は車で後ろから追走してくれました。確かにあそこで転んでいたら大変でした。感謝。

 いい気分でいよいよ今回の旅の目標、一大イベント、三徳山三仏寺を目指します。

2006年8月24日

 我が町、羽曳野は葡萄だけでなく、イチジク(無花果)の産地でもあるのです。近所でも安く売られています。夫婦揃ってイチジク大好きなので、朝夕いただいています。ところが息子達は見向きもしない。今時、この果物ははやらないのかなあ。これはお行儀悪く食べるのがポイントだと思っています。

 そういえば、帰省時に母を病院に連れて行った時、診てくれた初老のヒゲのお医者さんが、説明が一段落した時「ところで、おたくの下の川のそばのイチジクはまだありますか?」と話しかけてきたので、びっくりしました。「あ、あれは前の台風の時、根こそぎ流されました」と言うと「惜しいなあ、大きなおいしいイチジクだったのに・・・」。

 聞けば、彼のおばあちゃんの実家がうちの近所で、夏休みによく遊びに来たとのこと。イチジクの下に大きな青大将がおったでしょ?いたいた、怖かったねーと盛り上がったことでした。

 もちろん羽曳野の葡萄も忘れてはいません。果樹園の中にある即売所で「ウインク」という品種を買いました。ちょっと高かったけれど(一房1200円)、深い紫の楕円形で歯ごたえあって、甘い。今年は梅雨が長くて、全体的に収穫期がずれているとのこと。新種の「翡翠」を待っているのです。


鳥取への旅 6 (8月24日記)

 第一日目の泊まりは倉吉の隣町「湯梨浜町」(ゆりはまちょう)の「澤の湯」。平成の大合併で3つの町が統合されたもの。温泉と特産の梨と美しい海岸の町なんですね。広々として美しい東郷湖畔の温泉宿。素泊まり4000円。愛想はないけれど、放っておいてくれるのがいい感じの気楽な宿。

 ところが売り物の温泉が熱い。熱くて飛び出してしまう。源泉に近いのが原因とのことだが、埋める水道もない。仕方なしにシャワーをいくつも集めて延ばして、水を注ぎ、意地でも浸かる。泉質を味わう余裕なし(苦笑)。2泊して朝夕何度も風呂に行きましたが、湯船に浸かったのはこの1回だけでした。

 汗を流したところで、車で再び倉吉へ。15分程で「喜太亭・万よし」へ。棟方志功縁の店と聞いて昼間、訪れたのですが閉まっていたので、宿から電話して予約、出直して行ったのです。一度目を付けたら、放しません。2100円の会席料理と小部屋を頼んでおきました。高級過ぎない、ラフな姿の3人に手頃な居心地のいい空間。冷たいビールと日本酒。刺身、山菜がおいしい。鮎も。

 志功の作品のある座敷は宴会で使用中と電話で聞いていました。暗い庭の向こうの大広間が明るく賑やかに盛り上がっている。やがて静かになった頃、親切な仲居さんが案内してくれる。敷石を踏んで庭を渡り、縁側から片づけが終わったばかりの広々とした座敷に上がって志功の作品と対面。明るくのびやかな書と版画。

 画伯は前述したこの地の画家、長谷川富三郎氏と交流があり、「また、来たデー」とこの店を訪れた由。それが店の名前の由来とか。思わぬ眼福に大満足の一夕でした。

 その夜は、宿でまた少し飲んで、おいしい酒の酔い(ただし2人)と快い疲れで、3人ともイビキの大競演。それぞれが他人のイビキを憶えているところが面白い(笑)。

2006年8月21日

 夏休みが終わり、今日から授業。2期制を取っている関係で、うちの学校は早いのです。

 夕顔が咲きました。今夕は一輪。これからぐっと増えてきそう。コスモスを茎を伸ばしています。もう来月の今は秋分なのです。

 あ、嫁ハンのライブの宣伝もやってやらにゃ。来月2日、近鉄長野線、喜志より車5分(送迎あり)。太子町の「サントル・ドゥ・ヴィラージュ」でソロ・ディナー・ライブをします。

 食事は5時半から、ライブは7時から。食事つき8000円、ライブのみ3500円です。

 暑気払い?夏の夜の怪談代わりにしては高いけれど、よろしかったらお運び下さい。

 本人はかなり燃えています。暑い、いや熱い!


鳥取への旅  5

 鷹をあしらった暖簾を分けて高田酒造に入ると、なんや涼しい。天井が高いせでしょうか。広い土間、磨かれた板敷き、ほの暗い天井。壁に香川京子さんや渥美清さんの写真が掛けてある。倉吉ロケに来て、訪れたものらしい。

 女主人とおぼしき方がにこやかに現れる。いかにも大店のおっとりした奥様風で、しかも感じがよくて、またおしゃべりが面白い。店先に置いてあったここで造った酒を味見さてもらいながら話し込んでしまう。町のこと、明日訪れる投げ入れ堂のこと、いろいろ情報も仕入れる。香川さんはNHK「鳥帰る」(偶然見ました)のドラマ撮影で訪れ、渥美さんはロケの帰りに、寅さんそのままの格好で店を訪れたらしい。

 いろいろ飲んだ挙げ句、原酒と本醸造の小瓶を買って店を後にする。生産量はそれほどでもないようだけれど、味もすっきりしていいものでした。

 その近くの料亭に、この地に縁を持った、棟方志功の版画などがあるというので足をのばします。

2006年8月19日

 電車で子供4人(一番上が女の子で下3人が男)連れの若い夫婦を見かけました。一番下は一歳半くらい。今どき子供4人は珍しく、かつ新鮮。子供それぞれに個性があって、顔つきも少しずつ両親からもらっていて、見飽きません。さぞかし家では大変だろうけれど、その分楽しみもあるでしょう。3男坊が拗ねて、ひとり外れているのも微笑ましかったです。

 茶席に合わぬ話題は 我が仏 隣の宝 婿舅 天下の軍(いくさ) 人の善悪」だとか。

 宗教 貧富の比較 家庭の事情 政治 人物評・・・「茶席」は「酒の席」にも置き換えられるのでしょう。私も「酒席」は好きですが、上記に加え、仕事の話がいやなのです。ところが、職場の仲間(いいやつが多くて楽しいのですが)で飲む席ではどうしてもその話題になってしまう、情報交換や愚痴も相談も含まれることがあり、それはそれでいいのだろうけれど、個人的にはどうしても、ちょっと引いてしまう・・・そういう話は素面でやればいい。

 なぜか?おいしく酒を飲むことに集中したい、単純にそれだけなのです(苦笑)。なかなか、そこのところ、わかってもらえなくて・・・。映画や音楽や趣味の話、Hな話題で十分場は持ちます(笑)。酒以外に重点を置くと、酒に申し訳ないように思う私は変な酒飲み?


大阪よいとこ(8月19日記)

 「淀川邸」

 JR「大阪城北詰駅」から1分。明治期、藤田男爵の私邸は本宅は何万坪もあって、その豪邸は戦災で焼けて、今は藤田美術館になっており、本宅の東西にあった別邸(息子達が住んでいた)の東側の部分8千坪が「太閤園」。その奥の焼け残った建築を使っているのが料亭「淀川邸」。

 唐風の門、廊下も柱も見事、台湾の安里山から運んだとか。シャンデリアの豪華な洋館(昔はビリヤード室だったらしい)でお茶を呼ばれてから、長い広い廊下を伝って和室に案内される。広い部屋の庭に面した部分だけを使った贅沢な席。料理も結構な味でした。都会の中とは思えない静けさ。昼の納涼会席だったので、値段も手頃。おすすめです。


鳥取の旅 4

 倉吉は鳥取県のほぼ中央、打吹(うつぶき)山の下にひろがる城下町。室町時代に山名氏が拓いたらしい。市内を流れる玉川の傍に漆喰の白壁と焼杉の黒い腰板の土蔵が続きます。玉川は小さな清流でそこから向かいの蔵に向かっていくつも一枚石の橋が架けられている。

 古い蔵などを赤瓦館として番号をつけて公開しているのですが、惜しむらくはその展示にムラがあること。川沿いの細い道をもう少し風情のある石畳などにして、柳などを植えるともっと風情が増すと思います。

 その赤瓦館のひとつ(7号館)で販売していた銘酒・元帥(これが地元一番の酒らしいが醸造倉は郊外にあるとのこと)をあえて外して、少し離れた造り酒屋、高田酒造を訪れる。これが正解でした。

 追伸、3の蕎麦屋「土蔵蔵」は「土蔵蕎麦」のまちがいでした。


映画も見なくちゃ(8月19日記)

 「ゲド戦記」

 話題の作品なので予約して出かけました。ル=グウィンの原作を読んでいないので、えらそうには言えませんが、「生と死」のテーマは明快、ただしそれをどう伝えるか・・・新人監督、宮崎五朗さんは、まだ、ジブリブランドを継承しつつ、独自の表現手法を手探り中のようです。

 画面は美しい。独特の味わいの欧州風(?)風景も魅力的、特に街がいい。でも、問題は人物描写。大賢人「ゲド」は狂言廻し的役割で脇役、主人公であるはずの二人、心に闇を持つキレやすい少年王子、アレン、その父殺しの背景、顔に火傷の跡を持つ少女テルー、その家庭内暴力の背景 説明が十分されていないので、最後の戦いの後の救いや竜の登場にカタルシスが感じられません。それが残念。小学、中学生にはちょっと半端かも。

 もっとも最近、父の宮崎駿さんも、本音はわかる人だけわかってもらったらええねんという気配あり。今回の観客ターゲツトはどこにあったのでしょう。アニメ界の先端を走り、アニメの枠を拡げつつある立場にあるだけに難しいところです。

 結局、魅力的な悪役、クモの声(田中裕子さんーすばらしい)が目立つという皮肉な結果となりました。

 もうひとつ。この映画のポスター等の「見えぬものこそ」というキャッチコピーは明らかに「星の王子様」からのパクリですよね。 これは相手が相手です、やめたほうがよかった。

2006年8月18日

 甲子園での母校はベスト16で敗退。延長12回の表に2点入れたのに、裏で逆転サヨナラ。バッテリーは勝ち急いで、明らかに気持ちがうわずっていました。そのあたりが高校野球の面白さ、難しさ。いつのまにか力が入ってみてしまいました。

 甲子園はなんでもあり。期待通りの逆転劇が常に起こるので、目が離せません。つい、見てしまう。昨日の帝京と智弁の試合もすごかった。金属バットの問題もあるのかもしれませんが、ものすごい打撃戦が多いですね。

 結局、母校に寄付はせずじまいでした。寄付者一覧がOBに配られるので、とっくに寄付した父(おなじ高校、ただし旧制)には叱られるかも。ま、いいか。会計報告されるのなら(されるべきだと思う)、見てみたい気もします。

 ふるさとを思い出すのは「水」。実家に着いてすぐに蛇口をひねって、冷たい水で手を洗い、コップで水を飲み干す。うちはまだ井戸水を汲み上げているのです。あの、独特の冷たさ、味わい・・・。今日も暑い。ペットボトルの水を飲みながら、ふとなつかしく思います。

友にさよなら告げた後 口ずさみたい 歌がある  井伏鱒二

 「花に嵐のたとえもあるさ サヨナラだけが人生だ」は漢詩の名訳(絶句の第4句の部分)としてというより、井伏鱒二の名言として有名ですが、そのあとにさらに1句が付け加えられたというのは知らなかった。久世光彦さんのエッセイで知りました。


鳥取の旅 3 (8月18日記)

 いよいよ倉吉へ。甲子園代表校がよく出る町、古い城下町という乏しい知識しかありませんでした。まずは腹ごしらえと、雑誌で調べていた、市内中央の「土蔵蔵」(どぞうぐら)という蕎麦屋を目指す。私が車を降りて、古い町並みの中を走って訊いて、やっと発見。通りに面した大きな土蔵で、一階はカメラ屋(見つからなかったはず)。階段を上がって2階にギャラリーや会議室があり、その奥に蕎麦屋がある。この地に生きた版画家(?その他、いろいろやってはるー本職は教師)長谷川無弟(冨三郎)さんの作品などが多く飾られ、同行の友人Y(書家でもあり、長谷川氏は知り合いでもあった)はめちゃ興味深げ。

 土蔵そば 2枚800円。陶製の器で割子スタイル、腰があって、だしも辛めでおいしい。ビール2本。満足。店の駐車場に車を置かせてもらったまま、市内探索に出かける。


行く人来る人(8月18日記)

 マコ岩松さん

 日本人俳優として、ハリウッドで地盤を築きました。「砲艦サンパブロ」での主人公(スチーブ・マックイーン、相手役は新人だったキャンディス・バーゲン)と心を通わせたばっかりに、悲劇を招く中国人役が印象に強いのですが、たくさんの映画に出演、オスカーにもノミネートされました。ただし、常に東洋人差別には苦しめられたということです。

 十輝(とき)いりすさん

 タカラヅカ宙組のエース。身長178センチ。とうとうこれだけの身長の若手スターが登場しました。天海祐希174センチでも大きかったのに・・・。

2006年8月17日

「ものを増やさず、むしろ少しずつ減らし、生きている痕跡をだんだん消しながら、やがてふっと消えるように生涯を終えることができたらしあわせだろうと時々夢想する」  (藤沢周平)

 ちょっと手を抜くとどんどん増えている荷物、ガラクタ。それらの多くはいつか使おう、役に立つだろうと思っているものばかり、でも1年も放っておいたらもう賞味期限(?)切れ。せっかく昨夏引っ越して、長年の荷物を半分以上大整理をしたのです。この季節の境目にまた新たに処分しようと思います。

 昨夕も美しい夕焼け。雲が秋のものに変わって来ました。蝉の声も弱くなって、容赦なくさっさと季節は移ってゆきます。

 警察官の息子が疲れ果てて帰宅。15日は盆で通報件数が50件しかなかったのに、息子の当直の16日は100件を越したのだとか。なんで?人が盆の帰省から帰ってきたのと、盆の留守中の空き巣などが発覚するからだと・・・。

 普通は複数で出動するのに、人手が足りなくて、ひとりで行くこともあるという。ちゃんとやれるのか、と無事でいられるのか、と二重の心配(苦笑)。急いで指紋を取って、粉を吸い込んでしんどい、などと言っている。ちょっと遅れた息子の誕生祝をと思って焼肉に誘ったのですが、食べながら半分眠っていました(笑)。


鳥取への旅 2  (8月17日記)

 全体的に四国・愛媛の実家付近より水が豊かな印象を受けました。冬の雪を山が留めているのでしょうね。池も湖を広々、満々としている。どうしても道端の水田が気になる。穂が出てきた時期ですが、棚田も平地もよく手入れが行き届いている田が多かったです。

 院庄インターからさらに山に入り、渓流沿いに奥津温泉を目指す。10数年前に通り抜けたことがあったけれど、あの時は子連れだったので、ゆっくりできなかった。今回は車を止めて渓流を眺める余裕あり。緑が溢れ、石が見事。石の窪みに石が入って長年の流れで削り削られ、丸い穴に丸い石という奇観も。流れは奥に温泉街があるためか、清流とはいいがたいのが残念。

 もう40年(もっと?)前の映画「秋津温泉」の舞台になったところです。岡田茉莉子がこれでブレーク。各種映画賞の主演女優賞を独占したのを憶えています。老舗旅館の娘と、東京からやってきた男との恋、「雪国」のパターンですね。もちろん悲恋でした。

 小さな温泉センターで入浴。湯はつるつるして気持ちよい。湯船も小さいけれど、人もいないし、窓の外は翠と川の流れ。湯上りはもちろんビール。申し訳ないけれど、運転は酒を一滴も飲まない(!)友人に任せ、座席でぐたーとして、めちゃええ気分のドライブが続きます。もう一人の友人は車から自転車を降ろしてサイクリング。これも風を切って爽やかそう。人形峠を越えて(今は長いトンネルが出来ているーウラン関係とか見たいけれどパス)やっと鳥取県に入る。岡山がぐっと押し上げていて、鳥取県って案外立幅が狭いのですね。


タカラヅカ・フォーエバー (8月17日記)

 「エンター・ザ・レヴュー」

 少し前の舞台を偶然、テレビで見る。ラッキー!花組が専科の、(あ、名前をど忘れ、昨年退団したスターさんです・・樹里咲穂だ!)を迎えての華やかなレビュー。「ダンスの花組」はいつもシンプルな衣装や造りが多かったようですが、トップスターの春野寿美礼さんの個性もあって、明るくカッコイイ舞台でした。黒エンビ服のオープニングから、白エンビ服のフィナーレまで正統派男役らしい姿で踊りまくり、唄いまくってテンポがいい。シャンソンを多用しているのもなつかしい。

 春野さんは最近珍しい歌のうまい、品のある男役です(苦笑)。それにこの組は若手男役を活かすのがうまい。これからの成長株がたくさん見受けられました。

 でも、ファンサービスの定番、トップ男役の女装(?)はどうしてもいただけない。なぜかオカマ風になってしまうのです(笑)。

 恒例の初舞台生のお披露目ラインダンスも見事でした。これにはいつも感動。

2006年8月15日

 初盆の送り。義父の好物を作ってお供えし、みんなで食べました。

 好きだったお酒は供えないの?と義母に問うと、いいの、いらないの!と冷たいお言葉。本人も、死んでからはいらないから、生きてる間に飲ませてくれと言い続けていたのよ、かんちゃんはどうする?

 僕も生きている間にたっぷり飲めば十分やなあ、と思わず答えてしまう。

 でも、先日四国でお墓の掃除に行ったとき、母は酒好きだった祖父の為に一合瓶を供えていたなあ。あんなに酒で苦労させられたのに・・・。複雑な心境。

 四国では、家の側の川の畔で、送り火を焚いていることでしょう。4,5軒単位で砂で壇を作り、その上で「おがら」を燃やします。弟夫婦と帰省中の甥(姉の息子)が動いてくれているはず。何百年も続き、ふるさとの町でも、我が村にしか残っていない行事です。14日の夜にその火をたよりに帰って来たご先祖を線香に移して各戸の仏壇に持ち帰り、今夜、送り返すのです。京都の大文字は明日ですね。

 「戦争責任」とは何か?A級戦犯だけが悪くて、後は被害者なのか?大事な論議が抜けているように思います。

 新聞に「戦争中に幼かったものや、戦後生まれのものに戦争責任はないが、戦前責任はある」という論が載せられていて新鮮でした。「戦前責任」とは「次の戦争をおこさない、未然に防ぐ努力をする義務のこと」。


美しい国 鳥取への旅 1

 旅の楽しさは準備段階にあります。でも、あまり調べすぎても新鮮味が薄れる。難しいところでです。

 その土地に詳しい友人にちょっと話を聞いておくのは便利。特に道路と、食べ物。

 今回はまず、朝食。早朝の中国道を走るなら、加西のサービスエリアで焼きたてパンを食べなはれ、という職場の友人のアドヴァイスに素直に従う。確かにおいしい。たくさんの帰省客も買っている。有名なんでしょうね。寝不足の身体がしゃきっとしました。すごい青空の下を一路西へ。院庄インターを目指す。 

2006年8月14日

 朝8時に出勤。そして昨日の今頃は日本海で泳いでいたんだ、と思うと感慨。つらつら考えてみると、6年ぶりの海だったと思い出しました。

 昔、お盆に泳ぐと海坊主に足を引っ張られるとおばあちゃんに言われましたが、昨日は海が暖かく、海月がで出る直前で、最高の海水浴でした。早朝、家族が海に入っているのを見て、寒いやろなあと思って眺めていたのですが、白兎海岸(はくとかいがん、因幡の白ウサギですね)の近くの小さな海岸(名前も憶えていない)は、遠浅で、水がきれいで、人が少なく、砂が鳴く(足下できゅっ、きゅっと鳴ります)駐車場は無料(そのほかの場所は1000円)とええことだらけ。強いて不満を言えば日陰がないだけ。それも友人持参のテントで解消。

 最初冷たいだろうと思って入ったら、なんとぬるくて、いつまでも泳いでいられる状態。結局1時間、たっぷり沖で浮いたり沈んだりしていました。最初はプールの感覚でバタバタ泳いでいましたが、しばらくすると身体が思い出す。身体が浮くので、ゆったり、大きく泳げばいいのです。

 「愛されずして 沖遠く 泳ぐなり」の句は、私はクロールと思っていました。友人は沖へ向かって平泳ぎで泳いでゆくのでは、と言う。でも、この時、実感しました。沖で、岸と並行にクロールで泳いでゆく少年なんだと。少年(作者の分身でもある)は岸に意識を残しており、岸からは少年の頭と腕の動きがきれいに見えるのです。この日もかなり沖をそんな風に泳いでいる人がいて、近寄ってみると中年のおっちゃんでした(笑)。

 澄んだ水に潜って、宙返りをすると、鼻からうまく水を抜けなくて、目の奥までつんとする、なつかしい痛みを味わいました。

 そんなに好き勝手をして沖にいる私を、泳がない友人は心配して、浜からずっと双眼鏡で見ていてくれたのだと後で知りました。「愛されずして」の少年とはほど遠い、気楽な幸せな50代の夏の一こまでした。

 仲良し3人の鳥取2泊3日の旅。「旅」のコーナーでぼちぼち紹介します。

 母校は、甲子園でまた勝ったようです。これでベスト16? 

2006年8月10日

 30数年前、学生時代。夜行寝台急行で夏休みに帰省する。朝着いて一息ついた頃、祖母が呼ぶ。祖母の部屋(「年寄りの部屋」と呼んでいた、家の南側でトイレに近い)に行くと、そこに立ちなさい、と言われる。祖母は竹尺を持って、後ろから、ぽんぽんと肩幅、腕の長さを確認、あ、いいよーと言う。その間10秒。その後、祖母の枕元の針に糸を通しておいてあげる。そうすれば、夕方には浴衣が出来上がっているという寸法。からだにぴったり。それが毎夏のことでした。

 そのうちの私のお気に入りは、白地に薄い青い筋模様が入ったもの。その夏はたまたま坊主頭にしていて、それにその浴衣を着て、玄関の夕顔棚の前で撮った写真は、自分とは思えない凛々しさ(笑)。口の悪い姉が「226事件前年の将校みたい」と評したお気に入りの一枚でしたが、引っ越しを重ねるうちになくなりました。

 そして、それらのいくつかの浴衣もいつの間にか、息子達のお襁褓に姿を変えて、消えてゆきました。あのきさよばあちゃんのマジックのような裁縫にもういちど巡り会いたい。

 夕顔は大好きな花で、今年も職員室入り口にプランタを据えて、昨年の種を蒔き、芽生えた4本の芽を、2階から紐を垂らし伝わせています。もう5メートルくらいに伸びました。この盆過ぎには咲きそうです。私の帰省中は同僚が面倒を見てくれていました。今日も朝夕たっぷり水を遣りました。

 母の丹精した夕顔棚も今年は無くなって、小振りな朝顔棚になっていました。それが美しいのです。「清流」とか「流雲」と名付けられた花の淡い色が朝の斜めの日差しに映える。うすい空色の朝顔が殊の外、気に入りました。なつかしい、胸が締め付けられるようなはかない美しさです。

 朝顔の 紺の彼方の 月日かな

2006年8月9日

 残暑お見舞い申し上げます。

 立秋も過ぎても大阪は暑いのですね。四国の実家のある山村は、もう日差しも風も秋の気配でした。早朝は寒いくらいで、つくつく法師がもう鳴いていました。

 今回はゆっくりしてほしいという母の言葉を受けて、土日を挟む5日間という余裕を持った日程でした。そのうち一日は、30年来、腎臓病で療養中で、2日に1回は透析に通っている中学時代の親友を誘ってドライブにゆく予定でした。

 着いた朝から庭木の剪定やら買い物やら、近所の入院中の小父さんのお見舞いやら、車という機動力を使って動き回っていました。母もあまりがんばらんといて、あなたが帰った後、辛くなるから、と言いつつ嬉しそうでした。

 二日目の朝に、母が急に胸が痛いと言い出して焦りました。土曜だったし、救急車と思ったのですが、すぐに治まったので様子を見ることに・・・友人とのドライブはキャンセル。母は行けと言いましたが、放ってはおけません。もともと心臓肥大と言われていたのです。

 いやがるのを説得して月曜に病院へ連れてゆく。検査の結果、一応異常はないということで一安心。心臓肥大は少し治まっていました。私が帰省するというので張り切ってあれこれ動きすぎたのが原因のよう。困ったものです。もう85才なのだから無理してはいけないと言うのですが、なかなかじっとしていてくれません。帰阪する夜も、いつの間にか赤飯を炊いていて、持たせてくれました。

 今回は珍しく(?)怪我をしないで仕事を終えました。でも家の内外でばたばたしていたので、大阪の友人が、きれいな夕陽だよとか、月を見たかとかメールをくれたのに、どたらも見ずじまい。帰阪で実家を発つ時に、向かいの黒岩山の上に美しい満月があるのに気付きました。外灯も家の明かりもない、山の稜線と木々の漆黒のシルエットと対照的な月と雲と夜空の明るさ。新鮮な光景でした。フェリーから見た海上の月もまた。

 それにしても自然や景観を眺めるゆとりが全体的に失われて来ているのかも知れません。神戸から今治・松山に向かうフェリーは明石、瀬戸、来島の大きな橋を潜るのですが、時間的なこともあってか、その迫力ある動く眺望をデッキから眺めている人は希でした。私もしんどくて、やっとひとつだけ見れました。


 甲子園、母校は打撃戦を制して常総学院を破ったようです。でも、その前の第1試合関西と文星芸大付のドラマチックな逆転劇には驚きました。その時間にはもう朝からの仕事を終えていたのです。ファインプレーとエラーが背中合わせ。流れがくるくる変わる。高校野球のおもしろさです。母校の試合中は、町も村も閑散としていたようです。私は夕刻からの仕事に備えて半分昼寝をしていました。

 「母校への思い」を心配してくださる方もあり。でも、自分にも愛校心、愛郷心は一応あると思うのです。ただ、無理に「愛せよ」とか、「伝統を重んじよ」とか押しつけられると反発してしまうのです。寄付も同じ。天の邪鬼なんでしょうね。家族愛も祖国愛も湧いてくるものであって、教えられたり、無理に植え付けられるものではないと思います。 

2006年8月3日

 水泳の女子100メートルでドイツのシュテフェン選手が53秒30の世界新記録(これまでは53秒42)。男子で「1分の壁」があった時代が夢のようです。東京オリンピック、ショランダーや山中選手は生きてはるのでしょうか?今は、高校生の地方大会でも1分を切るスイマーはざらにいます。

 愛されずして 沖遠く 泳ぐなり

 松本たかし。少年の夏。孤独とナルシズムがあります。沖へ出るのは速いのに、浜に帰ってくるのは大変だった。何度も溺れかけました。

 でも、何年も海で泳いでいません。今年は行きたい。

 この夏の国語講習は、初日に申込者9人中出席2人で、怒りまくっていたのですが、それが伝わったのか、2回目は8人、3回目は6人、4回目は7人と落ち着いてきました。欠席連絡も入るようになりました。生徒のリクエストに応じて大学別入試問題をやっているのですが、今春の近大の現代文、野上弥生子と田辺元の往復書簡(最近このような形が多し)には、みんなこれ現代文?と口あんぐり状態でした。「御小照を拝しお懐かしさに堪へませぬ」などという美しい敬語が飛び交うのです。(「御小照」は「小さなお写真」のこと)

 講習には授業とは異なるおもしろさがあります。それも今日で一段落。これからちょっと夏休みをいただきます。

 気丈な母がめずらしく、ゆっくり帰ってきてほしいなどと言うので、今回は今夜から5日間ほど帰省をしてまいります。仕事が山積みやろなあ。早朝に着いたらすぐに、全仕事をチェックして時間を有効に使いたいと思っています。なんせ、田舎の時間はこちらと大分ズレがあるのです。適当ですが、例えば午前6時から10時、午後3時から7時などという労働時間は、午後だけ見たらスペインみたいでしょう?(苦笑)。

 おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな

 芭蕉です。「鵜舟」は「花火」にも「芝居」にも言い換えられる・・・人生の世間のいろいろなものに当てはまるところが名句の所以でしょう。愛媛では大洲の清流、肱川の鵜飼いが有名で、何度か鵜舟に乗って見物したことがあります。確かに、面白いけれど、だんだん鵜がかわいそうになってきます。鵜匠に操られる鵜はまた人に見えてきます。

 「ゆるやかに着て人とあふ蛍の夜」の句の服は、「浴衣」ではなくて、ひょっとして「絽」や「紗」ではないかしら、と思って・・・という話をこの欄に書いたら、やはり浴衣ですよ、という声があちこちから。島根の友人からも。安心しました。ありがとうございました。でも、「蛍狩り」に彼と出かける句と思っていたら、島根の友人によると蛍の夜、彼が訪れるのを待っているのだという解釈。蛍は家の周りにいっぱい飛んでいる・・・なるほど。

 母校が甲子園に出場決定。それはいいけれど、今日届いた案内は、なんと明後日の大阪市内のホテルでの激励会(校長や監督は来るらしい、もちろん選手は来ない)。そして一口5000円の寄付依頼。「甲子園偏重主義」にはいつも疑問を感じているし、それほど母校にいい思い出もないし(むしろいやな思い出がいっぱい)、母校愛もあるほうじゃない(苦笑)私としては悩むところです。へそ曲がりなので、前回の甲子園出場時のように、その夏の国体に出場したボート部に寄付しようかな。

2006年8月2日

 「ふじみ野市大井プール」の杜撰な管理態勢批判の大合唱ですが、一応監視員が付いて、近寄らないように注意していたのです。それを無視して、吸水口のところに潜って行った少女にも責任はあります。子供の好奇心は理解できますが・・・。

 亀田選手は勝っていたかなあ?彼の為にも負けた方がよかったような気がします。若くして上り詰めたら後が大変。

 昨夜のPL花火は、今のマンション引っ越して来てのミニお披露目も兼ねて。私は近所に住む同僚達を招く。若い同僚は彼女を連れて来て、こちらもお披露目。息子の客と併せて18名を義母のマンションと2グループに分けて接待。嫁ハンの友人が潜って採ってきた、アワビ、サザエなどを、調理人の友人がやってきて、昼からこしらえてくれる。私は夕方帰宅して大急ぎで部屋、ベランダの掃除とセッティング。酒は「御前酒」と「浦霞」。幸せ気分で、飲み過ぎ、食べ過ぎて、花火はあまり憶えていません(苦笑)。でも、例年より地味だったような印象があります。

 PL教団に勤める友人は、今年も、きっと今日は朝5時から花火会場だったゴルフ場で薬莢拾いをしていたことでしょう。

 全国の花火師さんが揃った滝谷不動の旅館での、昨夜遅くからの大宴会も盛り上がったことでしょうね。一年があっという間に過ぎてゆきます。梅雨が明けたと思ったらもうすぐ立秋。今のうちに、暑中お見舞い申し上げます!



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