2006年9月29日
奈良のお寺に「白い彼岸花」が咲いているらしい。見物客が押し寄せているとか。でも、見たくありません。「赤い夕顔」、「赤い向日葵」もしかり。いろんな色の花があってもいいけれど、やはりこの花はこの色として動かせないものが自分の中にはあります。薔薇やチューリップは多彩な色を楽しめるけれど・・・不思議なものですね。
ダイエットは苦しい。ひりひりするような渇き。ひもじい感じ。学生時代以来の貴重な感覚です。月一回の計量が終わった後のおいしい牛乳やジュース(もちろんその夜はビール)の味。ダイエット競争も半年を超えて、着実に?減量が進んでいるので、来年には一回り引き締った姿を見せられるはず。癌だろうという噂はウソです!(笑)
映画ダイスキ(9月29日記)
「父と暮らせば」
先年亡くなった黒木和雄さんの戦争レクイエム3部作の完結作。舞台がすばらしかったので、期待しつつ、心配しつつ見ました。心配が的中。
昭和23年のヒロシマ。原爆で父を失い、ひとり生き残り、自分だけ幸せになっちゃいけないと心に決めて、恋心も抑えて、図書館司書としてひっそりと暮らすヒロインの前に、娘に心を残した父の幽霊が現れる・・・。
宮沢りえさんがやはり美しい。美しすぎる。そして力演。それが映画として失敗の元。美しい同僚の傍で目立たない存在という設定がムリ!キャスティングのミスとしかいいようがありません。父親役の原田芳雄も好演ですが、元の脚本がいいので、どうしても舞台と同じ二人芝居にしていますから、スターの競演になってしまいます。舞台で演じた女優さんたちには申し訳ないけれど、このドラマでは美人じゃないことも大事な要素です。「長崎ぶらぶら節」でもそうだったけれど、不美人だけれど三味線の腕が売り物の芸者を、なんで吉永小百合が演じるの?
井上ひさし原作で8公演を重ねた舞台のすばらしさが邪魔をしているのでしょう。ヒロインの家に場面を固定して会話で連ねる舞台の方が原爆やヒロインの恋人(浅野忠信)のショットを挟む映画より、より想像力をそそります。舞台を捨てて、映像としてのドラマを追求すべきでした。
ミュージカル映画「シカゴ」が成功したのは、舞台のメインであった刑務所から思い切ってヒロインの妄想の世界にカメラを飛ばしたからです。映像には映像の世界の勝負の仕方がある。
最後の原爆の廃墟後に花が咲くシーンもあまりの凡庸さにシラケました。
でもこれだけ貶したら気が咎めます。今度は「紙屋悦子の青春」を見たいと思っています。
2006年9月28日
秋の卒業式。2期制なので、3年以上在籍していて、認定単位が足りた生徒が卒業してゆきます。卒業生18名のうち、4年半かかった生徒が9名。保護者も大変だったろうけれど、本人たちもよくがんばりました。
「卒業生の言葉」―昔の答辞―を述べた女生徒は何度も挫折しかかったのを、友達や先生のひっぱりでがんばりなおし、5年かかるところだったのを、友人と一緒に卒業したいと、アウトドアトレーニング(1単位)、漢検2級(2単位)―2回目のチャレンジで合格―をゲットして4年半で秋の卒業に漕ぎ着けました。よほどうれしかったみたい、泣いていました。先生方も・・・。これも単位制高校のええとこだと思います。彼女のがんばり、卒業は一生の財産になるでしょう。
夜は前期の打ち上げ。法善寺横丁の居酒屋で。飲み放題だけれど(普通は生ビールはつきません)ビールサーバーがあったので、調子に乗って飲みすぎる・・・。38名も集まる。フットワークが軽く、チームワークがいいのがうちの職場の魅力です。
コスモス揺れて、月曜から後期授業の開始です。新しい科目の授業も始まる。生徒も変わる。気分も新たに、仕切りなおしです。
卒業式に加え、来春卒業予定生徒の進学、就職の調査書や推薦書作成、面接練習、小論文添削、授業の準備やらで卒業年次担当はこの時期、特にてんてこまい。万が一漏れがあっては大変、いつもメモをするようにしているのですが、そのメモも置き忘れる始末(苦笑)。最近特に忘れっぽくなっているので不安が募ります。気を引き締めよう。
警官である下の息子、あの青い制服(シャツ)ってクリーニングに出せないのです。盗難防止のため。なるほど。したがって、毎日家で洗濯。汗と泥と血が混じっていることもあります。現場は大変なんだなあと思う。
デープインパクトが凱旋門賞で2位になった夢を見ました。競馬に興味ないのに、なんでだろう?
阪神電車にタカラヅカの広告が、阪急電車にタイガースのファンクラブ募集が・・・そのうちに慣れるのでしょうが・・・。
2006年9月26日
毎月恒例の、阿倍野路地裏のなじみの店での宴会。今回は、「玉の光」「黒牛」「強力」という個性あるうまい酒が揃い、さらに寄せ鍋に加えて、友人が持参した「豆(とう)ベイ」というおいしい当てがめちゃ酒の味を引き立てて、楽しい会になりました。
前にも一度食べたことがありますが、熊本県山都町というところの「豆匠・嶋津」で作られた豆腐のもろみ漬け。阿蘇の伏流水を使っていると聞くとなんや爽やかな感じ。大阪では日本橋で一軒だけ扱っている店があるそうです。包装紙をもらったので、ファックスで注文してみようかと思っています。
12名ほどの集まりだったのですが、私は2時間ほど飲んで、9時過ぎにさっさと一人で引き上げたので、残ったみんなは随分、怒ったり心配したりしたらしい。でも、平日だから、たまにはこういうこともします。残ったメンバーはもちろん終電近くまで盛り上がったらしい。
ところが、早く上がった割には、飲みすぎていてしっかり翌朝まで酒が残っていました。やはり「冷や酒と親の意見は後から利き」ます。これから新酒の季節。気をつけなければ・・・。
小泉劇場の閉幕。安倍さんの若さに期待はしますが、民主の前代表のように、若さが脆さに繋がって足下が崩れないことを。ちなみに新閣僚の菅さんは、「すが」さんです。
去りゆく総務相の竹中さん(義父の教え子でした)が新内閣に「ボンボ・ヤージュ!」(よい航海を)という言葉を贈る。シャンソンの名曲でもあり、嫁ハンのレパートリーにも入っています。
小林被告に死刑判決。「一人しか殺していない」という点が、焦点になっていたようですが、あの罪状と事件後の態度・・・当然でしょう。
死刑が執行されても、遺族の悲しみは消えません。中国で姪を殺した犯人が死刑執行された時も、姉夫婦は却って落ち込んでいました。憎むべき相手がいなくなることでの喪失感と、より娘の死を認めざるを得ない無念さとでもいうのでしょうか・・・。
丹波哲郎さん死去。最近痩せ細っていました。かつてはタフでダンディな国際スターでした。晩年の霊界への傾倒は死の恐怖に打ち克つために方便だったのでしょうか?安らかな死だったのか気になります。昔、インタビューでかつてアメリカ映画で共演した人気女優、キャプシーヌ(彫刻のような長身端正な容姿のスターだった)と恋に落ち、ベッドインしたら相手は男性だったと笑いながら述べていて、若かった私は仰天した記憶があります(笑)。
2006年9月25日
彼岸も過ぎて、日の落ちるのが本当に早く感じられます。秋は「夕焼け」。昨日も地味だけれど、クリーム色のきれいなものでした。雲や風によって、毎日違った趣き、色合い。なかなか見える時間に居合わせることも難しいけれど、週末の夕暮れは夕陽を眺めつつビールとゆきたいものです。引っ越してきた大きなメリットのひとつは眺望なのですから。
吉田玉男さんが亡くなりました。10年余り、毎公演、文楽に通った時期がありました。玉男、蓑助コンビもたくさん拝見しました。最初は、あの長身、立派なお顔(大きく、長いー失礼)が気になってしかたがない時がありましたが、いつの間にか人形しか見えなくなりました。この人の「菅承相」(菅原伝授・・・の道真)を見逃したのだけが残念です。
いつでも見られると思っていてはだめですね。もう80代でいらしたんだ。今、見るべきものは見ておかなけりゃ。といいつつ、プラドもルーブルも正倉院展も、京都の紅葉も過ぎてゆくのでしょう(苦笑)。
2006年9月23日
5年振りの免許更新。もう5年経ったのかと愕然。 ま、今回は(!)違反も無く、あの講習を受けなくていいだけでも嬉しい。30分のビデオを見て、新免許の郵送を依頼しました。
また、5年後か、更新面倒くさいな、誕生月の10月は行事も多くて忙しいし、10年くらい有効にしてくれたらええのに・・・と思いつつ安全協会を後にして家路を辿りながら、ふと、5年後にはもう退職しているんだと気が付いて、笑ってしまいました。
彼岸の中日です。澄んだ秋空の下、朝からドライブ。今年1月、スキスル性の癌で発症からわずか1ヶ月で亡くなった先輩(前任校でめちゃお世話になった方)のお宅に伺いました。河内長野郊外の緑溢れる住宅地。奥さまが息子さん(来月ご結婚とか)とお二人で住んでおられる。元バレーボールの国体選手で大柄だった先生は小さな骨壺に入って仏壇の前に。奥様があまりに明るく楽しげに面白く思い出話を語られる(エピソードの本当に多い人だった)ので、笑いながらウルウルきてしまいました。
昨春、退職されたばかり。これからたっぷり一緒に飲もうと思っていたのに、悔しい。
息子さんが結婚されたら奥様は大きな家におひとり。また、話しに伺おうと思います。別れ際に、前にうちで飲んだとき、かんさんがわたしの作った「わけぎのぬた」がおいしいとおかわりしてくれたのよ(思い出した!)また、作るからみなさん連れて来てねと言っていただく。うれしいけれど、切なくて胸が詰まってご返事も出来ず、帰って来てしまいました。
いつか逢おうね、また飲もうねでは遅い。逢える人には逢える時に逢っておかなければと思います。
「彼岸」にふさわしく、昨日、今日と見事な夕焼けでした。私はもうしばらく「此岸」でばたばたしたいと思います。
鳥取への旅 16 エピローグ
友の故郷
鳥取の湯梨浜町は友人Yの両親の故郷でした。その里帰り(?)に同行したという一面もあった旅行ですが、Yにとっても新しい発見がいろいろあったようです。名づけて、「ディスカバーホームランド」。
私のように田舎で生まれて育って、そこに両親や弟が今もいる、というこてこて、がちがちの「田舎持ち」と違って、大阪生まれ、大阪育ちのYには、鳥取にはワンクッション置いた微妙な、はるかな思いがあるようです。
30年以上前に大阪で亡くなったお父様のお墓(東郷にある)に一緒に参り、叔父様宅にお邪魔してビールをいただきました。緑なす美しい里山や田畑(水田、梨畑)に囲まれた友の故郷。初めて訪れた土地なのに、懐かしいような思いがありました。
自分にとって故郷・愛媛は近くて、生々しく重たいところも多いけれど、また、帰る可能性もまだ少しだけある、ややこしいところです。Yが鳥取に転居、永住することはおそらくないでしょう。その故郷との距離感が何か切なく、またうらやましく感じられた旅行でもありました。
でも、とにかく、鳥取は美しい!今度は大山、蒜山、そして米子、智頭に行ってみたい!
P.S.今朝(9月23日)の日経新聞の旅のコーナー。蔵のある町、歩きたい町で倉吉が西日本ベスト5に選ばれていました。
2006年9月22日
9月15日の石切のケーキ屋さんは「シェ・アオヤマ」でなく「シェ・アオタニ」でした。ちゃんと知ってはって、確認してくださって連絡くださったかたあり。ありがとう、すみません。アオタニさんもごめんね。
おまけに食べてみたら、葡萄と思ったのはメロンをきれいに丸くこしらえたものでした。お詫びして訂正。でも、おいしかった!
ラフレシア騒動
一月ほど前、夏の終わりの一夕、職場でがむしゃらに仕事していた時。人が少なくなり、冷房が効いて寒気がしてきたので、ジャージーを羽織り、髪が垂れるので、嫁ハンにもらったバンダナをしてノートパソコンに向かっていました。
同僚Kがやってきて、
「そのかんさんの姿、店が終わった後、収支計算をしているゲイバーのチイママのようですねーー。」
思わず笑ってしまいました。ウマイ!思わず小指を立てて、
「そう?じゃあ、ジャージでなく今度はカシミヤのカーディガン、Tシャツでなくシルクのブラウス、百均のバンダナでなく鼈甲のカチューシャで決めるわね」と言うと
周りは、えずいたり、倒れたりしていました。
受けたので、二人とも味を占めて、仕事などそっちのけ。
これからkansbarでなくゲイバーを開こうという話に発展。
じゃ、俺、じゃなかったアタシはそのままチーママでゆくとして
ではママは? 理科の I さんやね。(職場の人気者、文句なし!)
バーテンは?美術のHやろ? ちょっと髭が怪しいなあ。喧嘩っぱやいけど、まあいいか!
用心棒は?体育のHやろ? ウンウン。 サクラは・・・?K あんたやで!
肝心の店の名前や、何にする?
迷った挙げ句が「ラフレシア」・・・あの熱帯の夜に咲く世界最大の徒花、悪臭を放つという・・・ピッタシ。
場所はアベノかナンバの裏通りの地下に決定。あとはスポンサーを探すのみ。
それにしてもきれいな名前なのに、と思っていたら、義母の病院の送迎中、狭山で紅茶「ラフレシア」という店の看板を発見。これは大変と早速Kを偵察に送ると、すでにその店は潰れていたらしい(やっぱり)。
ちなみにインターネットで調べると、「ラフレシア」は東南アジアの密林に咲く花。名前はあのシンガポールを拓いた実業家にして探検家ラッフル卿(あの「ラッフルズホテル」のオーナーですね!)から来ているのだそうです。
きれいな名前とは正反対の実体?ですが、それもいい。憧れのホテルと繋がっているものうれしい。HPの名前も変えようかなどと乗りまくっています。困ったもんだ。
鳥取への旅 15
最後に鄙びた温泉に漬かって帰りたい、今度は熱くないやつに、というわけで、きょろきょろしながら走っているうちにぶつかったのが、関宮温泉農村交流センター(養父市三宅)「万灯の湯」。出来たばかりみたいでピカピカ。山懐に抱かれた環境、小作りで感じはいい。でも、最近の温泉センターってすべて同じ造りなのがちょっと残念。地域色をもっと出すべきですね。
「地域起こし」で作ったのでしょう。農産物、特産物を売っているけれど、職員はまだ慣れていない感じが微笑ましい。
露天風呂のスペースが大きいのがうれしい。でも、湯船の傍で両手両足を広げ、前も隠さんと寝ている兄ちゃんはなに者だったのだろう?露出狂か、パフォーマンスか、ただ長距離ドライブに疲れていて無防備だったのだろうか・・・。
ゆっくり漬かって、風呂から上がると、大広間でYが熱心に高校野球を見ている。わが母校を応援してくれているようです。2回戦。例のすごいしばきあい(打撃戦)の試合で、母校が僅かリ−ドしている場面。薄情な先輩(私)は「そろそろ行きまひょか?」と声を掛ける。
カーラジオで高校野球の中継を聴きながら走る。母校は勝利。高速に乗って、走って神戸に入り、甲子園の近くまで来た時にものすごい通り雨。試合も中断の様子。東大阪で「王将」に入って、旅行費用の精算と打ち上げの乾杯。まあ、ホント中身の濃い3日間でした。
それにしても東大阪で別れて帰って行ったSの荷物は自転車と小さなポーチひとつ。私とYは着替えやらなにやらで座席いっぱい・・・。車という安心もあったけれど、もっとスリムに行かなければと共に反省。帰宅して体重計に乗ったら、恐れていた通り、2キロ増えていました(苦笑)。
2006年9月21日
大正も 昭和も生きて 秋刀魚食ふ 深見けん二
秋の夕暮れ、裏庭で七輪で秋刀魚を焼いた思い出。白い煙と、夕焼け空と夕闇、そして匂い、脂のジュウージューという音がセットになっています。
おじいちゃん(岸信介)の場合は知らないけれど、おとうさん(晋太郎)の持ち歌はデイック・ミネの「夜霧のブルース」、そして彼の持ち歌はワイルド・ワンズの「思い出の渚」。私はどちらも歌える年代であるのが微妙(苦笑)。新総裁はおぼっちゃん風で一見臭みがありませんが、実はかなりのタカ派なんですね。秋刀魚を焼いた経験はおありかな?
タイでクーデターとは?今どき珍しい王国で、東南アジアで一番安定している国だなんていわれていたのに・・・。修学旅行を計画していた高校はどうしたんだろう?などと下世話な次元で心配したりしています。知人も単身赴任しているのですが・・・。
同僚同科8人が集まって前期打ち上げの食事会を古市のフレンチ「ビストロ・カキモト」(オーナーシェフの意気込みが気持ちいい店、リーズナブルでお奨めです)で。ハーフメニュー(2000円)でも満腹。その後、我が家で宴会。まあ、喋る、飲む、喋る・・・みんな話し上手な上に話題がいっぱい。笑い転げているうちに5時間経ってしまいました。
鳥取への旅 14 「天滝」
一応、帰途に就いたわけですが、時間もある、もう一箇所どこかへ廻ろうかという時に、サイクリング行脚で全国各地にくわしいSが「天滝という所に行こう」。それどこ?何?という状態。滝は大好きですが、不勉強にして知らなかった。よし行こ、行こ、ということで、山中に入る。「氷ノ山」の山懐(兵庫県養父市広谷)にあるらしい。
県道の終点まで行って、三仏寺・投げ入れ堂と違って、今度はかなり整備されたハイキング道を登る。ボーイスカウトが整然と歩いている。渓流はここもイマイチ水が澄んでいないのが気になる。道はアップダウンがあって結構きつい。約30分登って、下ると、やや大きい目の滝がある。これかと思うと,また新たに崖を登って5分。見事な滝が現れました。高い!綺麗!しかも急な人工の階段を登って、滝の中段、すぐ傍まで行けるらしい。よっしゃあ、と俄然元気になる。
歩いて行けるところまで行って、改めて見上げた滝の威容のすばらしさ。岩の間から斜めに噴出した大量の水が一気に50メートル位落ちて、傾斜した岩に当たって90度位に砕けて広がってゆく。黒い岩肌に白く細かい水のレースが絶え間なく動き続ける。今まで見たどの滝より(層雲峡の滝、那智の滝、大台ケ原の山間の滝、故郷の歌仙の滝・・・)美しく迫力あり。いつまで見ていても見飽きない感じ。落差98メートルと書いてある。数十人いた見物客も皆、茫然と見上げている。
滝の上に 水現れて 落ちにけり
・・・ 誰の句だったか、忘れましたが、ここでふと思い出す。
岩間を下って、ずっとカメラを据えて上を見ている人に話しかける。天気待ちですか?ええ、滝の上の雲と太陽の位置のバランスを考えて待っているのです、雨季はもっと迫力あるのですよ。なるほど、でも秋の紅葉時も見事でしょうね、などと話す。
ずっと見ていたかったけれど、下山。上り口にあったレストハウスで 「冷やし蓬麺」を食べて(もちろんビールも・・・運転手さんごめん、おいしい!)車に乗る。しかし、提案したS自身もこれほどと思っていなかったらしく、3人とも改めてため息。大満足。うれしいサプライズ、この旅の「だめ押し感動スポット」でした。
投げ入れ堂と同じく、この滝も麓の村から見える場所があるらしい。今度は見逃すまいとうろうろしたけれど、見つからない、諦めてしばらく走った頃、掲示を発見。二つくらい下った村のお寺の境内から見えるとのこと。早速行ってみたら、石垣の上に双眼鏡まで設置している。覗かなくても、肉眼(老眼)で遥か山の中腹に白い帯が見える。もちろん一応双眼鏡でも確認。滝の上半分が見えます。
その不思議な景観は、投げ入れ堂と同じく古来信仰を集めたことでしょう。後で知ったのですが、やはりここも修験の場所であったようです。そういえば、滝の下に行者用のお堂がありました。そしてこの滝が「日本の滝100選」に選ばれていることも初めて知りました。
あとは帰るだけ。でも、まだちょっと時間があります。
2006年9月20日
彼岸の入り。たまには「お萩」を食べたくなります。
祭囃子が聞こえます。古市は来月初めですが、もうすでに盛り上げってきています。高ちょうちんが町を貫き南北一列に点され、ええ風情。ネオンなんかよりはるかにまし。春、夜桜の雪洞(ぼんぼり)もいいけれど、祭り提灯のほうはきりっとして、初秋の町の夜にいかにも似つかわしい情景です。
鳥取への旅 13
「青春の風景」ってあります。私の場合は東京のあちこちになりますが、地方都市で学生生活を送った人にはその街に独特の思い入れがあるのでしょう。友人を見ても、仙台、札幌、松江を熱く語る者がいます。下の息子も高松が懐かしそう。
鳥取大学で青春を過ごした友人Iが旅行に際して、いろいろアドヴァイスをくれた時に「岩牡蠣」を薦めてくれました。おいしかった。彼に敬意を表して、彼の居た下宿近くまで行く。
鳥取市の外れ、湖山池(これ以上大きいと湖になるほどの大きさー結構広い、島が4つあるー浅くて冬は凍ることもあるらしい、青い夏空を映して美しい)のほとり。彼が30年近く前にサイクリングした池の周囲を車で廻る。彼が入ったという、下宿の対岸の温泉、「吉岡温泉」の公衆浴場に海水浴の潮を落としがてら入る。ここも熱い!数分で出てしまう。でも、いかにも町営の鄙びた風情がいい。小さな川が流れ、温泉宿がいくつか並び、猫がのんびり歩いている。入湯料200円。湯上がりに白バラ牛乳。はじめてなのに、懐かしい感じがするのは、きっとIの話を何度も聞いていたからでしょう。
2006年9月19日
通勤路、土師ノ里の駅近くの古墳の傍の小さな平屋。どうも男性の一人住まいらしいと前から思っていたら、先日、当主発見。晴れた朝、7時頃、下着姿の50代のおっちゃんが庭で洗濯物を干している。干し終わって縁台から部屋に入る。畳の部屋。茶色の洋服箪笥。丸いちゃぶ台がある!朝ご飯は済んだらしい。箒で部屋を掃き始める。開けたガラス戸からそのまま庭に掃きだす。うあー、昭和30年代の世界や。
信号待ちの間にしっかり覗き見してしまいました。でも、向こうも無防備。いくら私でも今は(?)下着では外に出ません。
でも、「彼は「私」だったかも知れない。同年輩の男同士、運命の行き違いで違う場所・立場にいるだけ。がらんとして清潔そうに見えた畳の部屋がなにやら懐かしく、うらやましく(?)感じられました。
鳥取への旅 12
第3日、旅の最後の日。今日も快晴。まずは朝食。前日友人Sがサイクリングで下見をしてくれていたので、コンビニでパンなど買い込んで、まっすぐ海岸に向かう。泊の町の外れの岬の高台にグランドゴルフ場があるという。白い大きな風車が回っている。入り口にチェーンが掛かっていたので、車を置いて歩いて登ること7分。青々とした芝生が広がる高台。朝なのに日差しが痛いくらい。グランドゴルフ発祥の地という碑がある。知らなかった。
海を見下ろすベンチを占領。コ-ーヒー、紅茶を入れて、サンドイッチ、ヨーグルト・・・。目の下の海ではもう何人かが泳いでいる。まだ7時前、水が冷たいやろうに・・・、Yの双眼鏡を借りて観察、ワー、黒いビキニの女の子がいる!あれ、傍に子供が・・・なんや、家族連れや、あそこにギャルの集団発見、はよ泳ぎに行こう!と騒いでいると、Sが、泳ぐとこもちゃんと調べています、あそこは駐車料金が1000円も取られますから、次の次の浜辺で泳ぎます。了解、ビキニのギャルはいますか?わかりません、昨日はいませんでしたよ。ワイワイ言いながら食べまくる。屋外の食事は本当においしい。
その直後、訪れ泳いだS推奨の浜辺(青谷海岸という名前でした)については8月14日に記したので割愛します。水は温かく、澄んで、久しぶりの海水浴を満喫しました。そのあと鳥取市に向かいます。
2006年9月18日
3連休の一夕、姉夫婦の息子が顔を見せにきてくれました。うちの嫁ハンは一人娘だし、弟夫婦には子供がいないので、私にとってはたった一人の甥(姪は亡くなりました)、息子たちにはたった一人の従兄弟になります。私自身は20人近い従兄弟の顔と名前が全部はわかりません(苦笑)。彼は上と下の息子の中間の年齢で、幼いころは三人兄弟のようにしていました。
私とは四国の実家に帰省した時に会うことが多かったけれど、上の息子とはすれ違いが多く、7年ぶりとか。京都で小学校の教師をしています。小学校もいろいろ大変みたい。学級崩壊もあり、また辞めてゆく先生もいるようです。もったいないなあ。
下の息子は夜勤だったので、4人で焼き鳥で飲んで盛り上がり、家に帰ってさらに飲む。姉夫婦は飲まないのに、甥は酒が強い。義兄の方は飲まない家系なので、四国の父の隔世遺伝のようです。下の息子のベッドに泊まってゆきました。
3連休でしたが、1日はテニスで2日間は休日出勤。家で休むより、体を動かし、溜まった仕事を片付けるほうが心身共に翌週が楽なのです(苦笑)。
昼飯も抜いて、一気に懸案事項3件を片付ける。平日なら必ず別件が入って、作業を分断されることがほとんどなので、集中できるこの時間は貴重です。
同じ思いで出勤していた同僚も帰った午後4時過ぎ。まさに校舎にひとりきり。かさかさ音がするので行ってみると、校舎の中庭の隅で、吹き寄せられた枯葉が台風の余波の強風に踊らされて音高く舞っている。職員室の入り口に植えた夕顔が、今日は一輪だけ咲こうとしている。細かく身を揺すりながら着実に白いつぼみを開いてゆく。この花を見られるのは自分だけだと思うと、うれしいような可哀想なような切ない気分でした。
敬老の日でした。義母へのプレゼントは「なだ万」のお弁当。四国の母へは義妹から薔薇の花束。
鳥取への旅 11
「岩蠣」を造ってってくれた魚屋さんは「河本」でした。広島中心の養殖のものでなく、この時期鳥取の海岸の岩場で採れる天然の蠣だそうで、後に大阪への帰途、海岸で売っているのを何カ所か見かけることになりましたが、あの気持ちよい魚屋さん一家に逢えてよかったと思いました。また、あの店に行ってみたい。
旅館は素泊まりなので、鳥取第2夜の夕食も外食。これはなぜか私の担当に。飲む場所を選定する嗅覚に他の二人からは絶大の信頼をいただいておるわけですが、なんせ時間がない。駅前も人通りなし。声を掛けて訊く人もいない。プレッシャーが募ります。
でも、前日来、目星を付けておいた数軒から場所、雰囲気(暖簾や周囲の清掃状況など)、人の気配で絞って「香梨」を選ぶ。ちょっと目に付きにくいけれど、船着き場の側、東郷湖上に張り出した和風レストラン風の店。屋上がちいさなビアガーデンになっている。そこには数人の先客あり。
6時過ぎにその一階に浴衣で繰り込む。店の中は奥のほうが更に仕切られていて、和風の座敷。二面に湖を望む一番見晴らしのよい隅の席を占めて、暮れなずむ水面に映るきれいな夕焼け雲にみとれつつまず乾杯。近くの公園に出入りするアベックを三人であれこれ観察批評しつつ、刺身、湖で採れた貝(しじみ)を肴に、ビールと地酒の冷酒・・・。地酒は「東郷」、「元帥」。後で気が付いたのだけれど、この地は東郷平八郎と関係があったのかしら?(笑)。客はわれわれだけ。店の人も親切。値段も手ごろ。今回も当たりでなんとか面目をほどこしました。
旅館に帰って、翌朝早いからと、寝る前に精算。ハイハイと対応、そのあと放っておいてくれるのがうれしい。連泊して、ほとんど他の客、従業員の人と接することはありませんでした。こんな宿もいい。夜はまたイビキの競演でした(笑)。
2006年9月17日
暑さ寒さも彼岸まで、というのは本当に本当で、朝夕めっきり涼しくなり、タオルケットだけでは肌寒くて、掛け布団を引っ張り出す始末です。
蝉の声が収まり、虫の音が高くなり、稲田の畦に彼岸花が咲き始めています。空行く雲も秋。一年中やっていますが、これからがテニスのベストシーズン。しかし、先週の大会でも完敗、なんや自分の限界が見えてきた気もして、少し弱気になっています。年なんやから、勝負に拘ってばかりいてはいけない、と思いつつ、勝負に拘り続ける元気なメンバーに鼓舞されて今日もテニスコートに向かいます。
やってみたら、今日は絶好調。なんや、先週までの不調は?人間、力を抜いて開き直ったら、また違う世界が開けるのかも・・・。
ローマへ行きたい。今、読んでいる対談集(塩野七生と五木寛之さん)の会場は、「ホテル・エデン」の最上階、「ヴィラ・メディチ」(メディチ家の屋敷)が望める「ラ・ティラッツァ」というレストラン。ふたりともお洒落して、ええ雰囲気です。
フィレンツェも行きたい。ミケランジェロの手が入っているという、修道院を改装したホテル「ヴィラ・サン・ミケーレ」に泊まって「百合の花の都」を歩きたい!
もし、病気になったら、また、仕事が終わったら、真っ先にイタリアに行きたい。
ちなみに我が部屋の号は「伊太利庵」です。元同僚で書家でもある山本添山が札を書いてくれました。名付け親は元同僚のY氏。彼によると、私はイタリア人なんだそうです。
鳥取への旅 10
三朝温泉から東郷温泉に引き返し、元気なSはサイクリングで海岸線を探索に出発。私とYは旅館の温泉に入って昼寝。絶対無理をしないというのが、二人の旅行前からの申し合わせでした。1時間眠って、Yと車で湯梨浜町を探検に出かける。
目的は「岩蠣」。鳥取で学生生活を過ごした友Iのアドヴァイスで、この夏是非味わうようにと言われていました。気持ちよく海岸線を走って、港町、泊(とまり)まで走りましたが、見あたらず。旅館に引き返して、今度は一人で町を歩き回る。今夜の飲み場所を探しつつ、心当たりを探して、なかなか見つからず。でも諦められません。その結果は・・・。
駅前の土産物屋で訊いたら、「裏通りにある魚屋を当たってみたら・・」。東郷湖湖岸の大きな通りからちょっと入った路地に薄暗い小さな魚屋を発見。近寄ると、でも活気がある。ガラス戸を引くと、40代の頭に手ぬぐいを巻いた兄ちゃんと、奥さんらしき若い時の賠償智恵子みたいな奥さんらしき人、赤木春恵のようなお母さん、高校生らしき娘。みんな元気に動いている。ええ感じやなあ。と思って踏み込むと、後ろから元気な「失礼します!」という声。真っ黒に日焼けした高校生らしい女の子はキャプテンという名前を顔に貼ってあるようでした。
お世話になりました、行って参ります!という言葉に、みんな振り返る。奥さんはエプロンを取る。がんばってね、若主人の言葉。ありがとうございますと言って去ってゆく。みんな軽く会釈。私も思わず姿勢を正して会釈。まるで出征兵士を送っているみたい。ここはどこや?
「ソフトボール部?」と訊くと、いえ、表の旅館で合宿していたボート部の生徒さんです。これから大会に行くのです。うちが仕出しをしていたので挨拶に来てくれたのです、との言葉。で、ご用は?あの、岩蠣ありまっか?(なぜか大阪弁ん)ちょうど入ってます。よっしゃあ、3人前、御願いできます?いいですよ。
5分後、どうやって食べたらいいですか?そうですね、スダチがあればいけれど、あ、酢みそを付けてあげましょう。すみません、割り箸もよろしく。
支払いは・・・一人300円で900円です。あの1000円取ってください。いえ、900円で結構です。気持ちのいい若主人の気っ風に押されて900円で納め、急いで旅館で持って帰る。
帰っていたSと3人、いずれも岩蠣は初体験。恐る恐るいただく。これは冬の蠣と違って中る心配はないらしい。最初に口に入れたのは私。ふわーーーっ、プニュプニュという味わい。口の中に広がる潮の香り。鼻に抜ける磯の気。この旅行の味の最高ポイントでした。
2006年9月16日
義母は今日退院しました。早速、おいしいもん食べにゆこ、と言ってうるさいこと(笑)。
富田林に最近出来た、一膳飯屋のレストラン版に連れて行くと、喜んでくれました。
「逢いたい」・・・近年、東京でよく流れていて、NHK「ラジオ深夜便」でも採り上げられて話題になりました。発端は永六輔さんの発案で「逢いたい」というフレーズが72回繰り返されるだけの歌。最初、ATOMI(アトミ)さんという若い歌手が歌って、後に長谷川きよしさんもカバーしているらしい。
その歌に触発されて、最初流した永さん司会のTBSラジオの土曜ワイドに「逢いたい」がテーマの投書が殺到。歌をバックにそれを朗読するコーナーが誕生。これが本にまでなりました。亡くなった、逢えなくなった肉親や友に逢いたい・・・胸を打つその内容はともかく、興味深かったのは裏話。
担当の永さんや雨宮塔子アナは、泣いてしまって、なかなか読めない。そこでプロの岸田今日子、加藤武さんが登場。プロはいつでも泣けるけれど、泣かないこともできるのだそうです。でも、泣きながら読むバージョンと、泣かないできちんと読むバージョンとどちらが人の心に迫るか・・・論議の分かれる、実際分かれたところです。私は後者を支持。
あとがきのプロの感想が面白い。
ワープロに打ち直したものでなく、読みにくくてもいい、元の投書を読みたいと拘った岸田今日子さん。
加藤武のコメント
「永さん、こりゃむつかしい。杉村春子先生に聴かれなくてよかったよ、叱られちゃうよ、ヘタクソねって!俺、魚の喰い方以外で誉められたことなかったからね」
2006年9月15日
今、評判の石切の「シェ・アオヤマ」のケーキを頂いちゃいましたー!
メロンをくりぬいて、巨峰を凍らせて・・・大きくて、流石においしい!写真に撮ってケーキ好きのあちこちへ送りつけるといういやらしい事をしてしまいました(反省)。
田舎の母に続いて、元気いっぱいだった義母も胸が痛いと言い出し、11日に入院、検査を受けることに。どちらも年なんですね。大阪狭山市のK病院でカテーテルを入れました。
老人は血管が細くなったりしているので、万が一の為に付き添いを、と言われたのですが、嫁ハンも私も都合がつかず困っていたら、非番の上の息子が行ってくれました、ありがたい。そろそろ退院です。これでちったあ、おとなしくなるでしょうか(苦笑)。
ベッドの上でも、彼岸の準備やらをあれこれ指図して、振り回されました。義母は近所の子供に書道を教えているのですが、これも気になる様子。まあ、気になることがあるのがいいのですね。特に、教えている小学生たちの無邪気な言動に、この一年、夫を亡くした寂しさを紛らわさせてもらってきたようです。
小学生の校内暴力が話題になっていますが、義母も最近の子供は躾が出来ていないと言いつつ、昔、ガールスカウトのリーダーとして鳴らした声と押しの強さでやんちゃ相手に結構渡り合って楽しんでいるようです。
今日はかわいい弟の53才の誕生日。ええ年をこいておっさんが「可愛い」もへったくれもないでしょうが、50年余、喧嘩した記憶もなく、仲良くやってきました。(ま、にいちゃんー私―が仕切ってうるさいから、喧嘩も出来なかったんやろ、という説もありますがー苦笑)お祝いはいつか記した、エリック・クラプトン大阪公演のチケットです。田舎の実家のそばに住んで、義妹と共に両親を見守ってくれています。
昨年来、酒場でウケた話のひとつ
まだ息子たちが小学生の頃、夏休み、四国に帰省して数日過ごし、大阪に帰る途中の船の中で・・・。
下の息子が突然
「お父さん、ぼく○○(弟の名前)おっちゃん、好きやなあ」
「うん、お父さんも好きやで。でもなんで?、あ、また内緒でお小遣いもらったんやろ?」
「うん、なんでわかったん?でも、おっちゃん、やさしいし、渋いし・・・」
「やさしいのはホンマやけど、渋いちゅうのはかわいそうやで。まだ若いのに・・・」
「え?おっちゃん、おとうさんより若いん?」
「当たり前やろ?おとうさんの弟やもん!」
「えーーー!○○おっちゃんって、お父さんの弟やったん?」
ここで、周囲の一同コケました。たまたま同行していた甥(これも当時小学生)がなんとか立ち直り、
「お前、そしたら、いままで○○おっちゃんを何者と思っておったんや?」
息子「うん、おとうさんのお友達の親切なおっちゃん!」
この話がひろがって弟はしばらく「親切なおっちゃん」と呼ばれて、本人も笑って受け入れていましたが、やがて父の耳に入り、私がきつく叱られたのはいうまでもありません。いわく「身内の基本的な系図くらいきちんと教えておけ!」。当然でございます。
でも、息子の為にちょこっと弁護すれば、子供にとってすべてのある程度年上の男はおっちゃんなんですね。また、弟は私のことを「お兄さん」と呼びますが、田舎では近所の年下のものは私をそう呼びますし、年下の従兄弟たちも「お兄さん」もしくは「にいちゃん」と呼んでくれるのです。迷うのもわからないではない?でもやはり情けない・・・。
その息子も25才。今でも弟には懐いていて、たまに四国に行って二人で酒など飲んでいるようです。親にはしない肩もみなどもしているというのが腹立つ(笑)。子供のいない弟夫婦には甥がめちゃかわいいらしく、まだ小遣いをもらっているんじゃないかと疑っているのです。
2006年9月12日
アメリカって、ホントある面すごいけど、わけのわからんおそろしい国。9.11同時多発テロの何十倍もの犠牲者(もちろん多くの一般市民を含む)を出しても、まだ被害者であると主張し、強大な軍事力と情報網を持ちながら、テロの首謀者も捕まえられない。イラクの今後も全く混沌。
世界の警察だなんてえらそうに言っても、もう世界平和へのビジョンなんてブッシュさんの頭にはないと思います。まあ、アメリカって国には自浄力がまだあると思いたいけれど、60年前のふたつの原爆投下や東京、大阪などへの大空襲による大虐殺への反省なんてほとんどありませんでしたものね。(日本人も、まあ、しゃあないと思っている部分があるけれど、今でも許されない行為だったと個人的には思う)
正義を振り回して、後ろを見ない国、人は怖い。
最近読んだ本
「ハイドゥナン」(上・下) 藤崎慎吾(ハヤカワSFシリーズ)
日本沈没がまたブームを呼んでいる(?)ようですが、こちらは琉球が沈むというお話で、読み応えがある5000枚のSF超大作。この夏半分かかりました。
舞台は基本的には与那国島。しかし、マッドサイエンティスト、美しい巫女と腹違いの弟の恋、木星探索機、量子コンピューター、神様・・・まあ、なんでもありで読者を振りまわし、幻惑、混乱させながら、最後は深海での活劇と、マントルに活きる「菌」の活躍(?)でなんとか大団円を迎える。
本の中の日本国民も、読者(私)もホッとしてどっと疲れの出る「事件」です。たまにはこのような作品も頭の体操としてはいいかも。でも長時間寝床で読んで、肩が凝りました(苦笑)。
2006年9月11日
「9月の雨」ー太田裕美のヒット曲。あの透明感のある歌声が懐かしい。夕方のラジオでこの曲を流しながら、ジョッキーが、かつて、キャンディーズは元々4人の案があって、あとひとりの候補が太田裕美さんだったと述べていました。真偽のほどはともかく、70年代を象徴する歌声です。渡米、結婚、子育て・・・90年代にカムバック、今は「カリスマ主婦」としても婦人雑誌の顔なんだとか・・・。セプテンバーレインレイン、でも、あの声は今も新鮮です。
「だれかとどこかで」ーこれも懐かしい番組ーその「七円の歌」ー昭和36年から46年まで葉書は7円でしたー金曜日の読者の投稿、朗読の時間は人気でした。今も(?)人気です。
埼玉県、狭山市の小熊さんの投書
母が亡くなって 3年が過ぎる
倒れた年の春 梅の木に花が咲かなかった
そして 母は亡くなった
母がひとりで守った田舎の家
役目を終えたように老木も枯れてしまった
最後の母の味となる梅干し漬けも残りわずか
ありがとう お母さん
ありがとう 梅の老木
短く朴訥で荒削りな文章が、遠藤泰子さんの朗読で新しい命を得ます。
2006年9月10日
朝5時。東の空、山の端少し上に南北に雲が広く流れて、理想的な条件と思って待っていたら、見事な朝焼けになりました。
始発で上の息子が出勤してゆく。大きな声で「よい一日を!」と言い残して。こいつはよく口が回る(苦笑)。6時過ぎに下の息子がぼそっと「行ってきます」・・・同じ育て方をしたはずなのに、全然違うふたり。苦笑いをしつつ見送る私だけ休日の朝。
9時、全米オープン決勝。開始前のセレモニーは9.11を意識した演出。歌は「ゴッド・ブレス・アメリカ」。イラク戦争の正当性が論議される中でむかえる11日。ブッシュ政権はどうでる、どうなるのでしょう?エナンとシャラポワ登場。ナイトセッションなので、シャラポワは例の黒いコスチューム。ハードな打ち合いが始まりました。でも、こちらもテニスの試合があるので最後まで見られないでしょう。
いつもの阿倍野の路地裏のなじみの店。嫁ハンのディナーライブに来てくれた常連さんに挨拶。先述のZさんが、歌、よかったわ、それに奥さんの背中がキレイ、キスしたかった(!?)と言ってくださる。そういうとこ、よく見てはるんだ。尤もバレエを見に行っても、男性舞踏手の股間が気になって・・・という人やからなあ(笑)。80近くても、その色気が若さの秘訣なのかも知れません。エメラルドの値段はこの夜は教えてくれませんでした(笑)。
ある番組の投書から。孫が遊びに来て、あ、蛙が鳴いている、と言ったら、5才のお孫さんが、違うよおばあちゃん、蛙は喜んでいるんだよ、と答えた・・・。こんな話を読むと、早く孫が欲しいと思います。
元同僚と飲む。彼の愚痴。学校斡旋で就職した卒業生。現場でここは危ないから絶対通るなと言われていたところを通っていて、駆けつけた上司に叩かれた、それで親が次の日、会社に怒鳴り込んできた・・・。上司も会社も唖然。命の懸かっている現場、本来なら、よう怒ってくれました、とお礼に行って、ちくったバカ息子を改めてしばきたおすところだと思うのですが・・・。今の時代には通用しないのかも。もうあの会社から求人もらえないやろなあ、という友人に同情したことでした。
2006年9月6日
皇室に久しぶりに男児誕生。それをなんでこんなに騒ぐのだろう?皇室があってもなくてもいいし、もし存続するならば、天皇は男でも女でもいい。そもそも民主主義の時代になぜ差別化を図るのか?でも、人間は(庶民はーこの言葉も変)ハイソサエティを認め、憧れ、そのての話が好きなのですねー。その反動もあるのに・・・。
ミーハーの割に皇室関係は年中行事とファッション以外興味なし、ダイアナさんの事件の時も気持ちは動かなかったよ、と言っていると、息子が、じゃあ、お父さんの部屋にあった「ヨーロッパ名家と令嬢物語(深窓の名花が引き起こした衝撃のスキャンダル)」という本はなに?と突っ込んでくる。あれー、ここはどこ?と、誤魔化していると、「要するに上品ぶった人の下世話なスキャンダルが好きなんだね」と喝破される。その通りです・・・(苦笑)。
久しぶりの雨。朝の往路はもったけれど、午後の復路はきっちり降ってきました。でも、思い切ってサイクリングで帰る。荷物をビニールでしっかり包装。服は濡れてもいいハーフパンツとTシャツ。気温が結構高いので雨も気持ちいい。雨の中を走るなんて何十年振りだろう。
高校時代「個人教授」というフランス映画が大ヒットしました。3回見に行った。ラストシーン、年上の美女、ナタリー・ドロン(アラン・ドロンの当時の嫁ハン)に振られた高校生の主人公、ルノー・ベルレーがパリの街を雨の中、泣きながらオートバイで走る・・・主題歌(今でも歌える!)が被さる・・・FIN。
まあ、そんなええもんじゃないけれど、雨の大和川堤を、雷を気にしながら自転車でぶっ飛ばす。ちょっと怖かった。35分で帰宅。
ルノー・ベルレーはあの映画で人気爆発。その後イタリアの名匠ビスコンティの「地獄に墜ちた勇者たち」にも端役出演して将来が期待されたけれど、しょうもない日本映画に客演したりしているうちに消えてしまいました。フランス俳優にしては真面目なイメージが邪魔したのかもしれません。そういえば、ナタリー・ドロンもどこへ行ったのやら・・・。
2006年9月5日
20メートル下の草むらの鈴虫の声がすぐそばで鳴いているように聞こえてきます。よく響くものです。気持ちいい。でも、マンション側を走る電車の通過音はかなり喧しい。大分慣れましたが、やはり早朝、目が開きます。あ、そろそろ風鈴を仕舞わなければ。
行く空の雲が一気に秋になりました。今夜の月もきれいでした。中秋名月は来月6日です。今夜は13夜。(本当の「十三夜」は再来月ですが)
2日のライブの嫁ハンのドレスは「リツコシラハマ」でした。今日、読売新聞を見たら、東京コレクションのオープニングが彼女と紹介されていました。げー!そんなブランド品、買っていたのか!俄然、腹が立って来ました(苦笑)。
でも、ライブに来てくださるお客様の凝った装いがいつも楽しみです。今回も目の保養をさせてもらいました。私の隣に座られた奥さんの硝子のトンボのアクセサリーがアルマーニ。シャネルのドレスもあったなあ。75才の義母までバーバリーのスーツで勝負をかけてました(困ったものだ)。忘れものがアルアーニの眼鏡ケース。どなたかお心当たりはありませんか?
見てそれとわかるブランド品もいいけれど、やはり自分にあったお洒落を上手に楽しまれている方に心惹かれます。
お客さまの最高齢が約80才のZさん。ご存じ阿倍野の路地裏の店「S」の常連さん。私は「阿倍野の森光子」と呼んでいる。お元気で、わざわざ、喜志までお越し下さいました。その装い。レースを使ったシックな上着に金のネックレスと指からはみ出そうなエメラルドの指輪。ミーハーとしてその値段を探索中。結果報告をお楽しみに。
2006年9月2日
嫁ハンのライブ、盛況裡に終了。たくさんのあたたかい拍手をいただいて、裏方も感激。ディナーショーは料理とライブのバランスがポイント(もちろんライブにより比重がありますが)。その点、今回はうまくいったように思います。
打ち上げで夜中まで痛飲。5時半、あ、荷物、車に置きっぱなしや、と思って、飛び起きたら、あら、不思議、花束や荷物がちゃんと部屋に納まっている。夜中に小人さんたちが出てきてやってくれたのかと思ったら、やはり自分がやったことでした(笑)。
気付けに焼酎を一杯煽って(内緒)、6時半に迎えに来てくれた友人の車で朝の座禅会に行く。周りの人はさぞ匂ったことでしょう(苦笑)。ごめんね。でも、私は不思議に気持ちよく座れました(笑)。
雑誌の記事で気になった言葉ー「死後事務委任契約」ー自分の身にもしものことがあったら、遺体の処理から葬儀の段取り、住まいの返還、所持品の処理・・・一切を引き受けて貰う契約・・・NPO法人「りすシステム」で約50万。いろいろ見方はあるだろうけれど、私は安いと思う。一人暮らしの老人がますます増えることを思えば、考えておくべきことと思います。
「任意後見契約」に関する法律が6年前に出来て、このような仕事が家族のものでなく「外注」されるようになる・・自分の判断能力が落ちた時(もうすでに落ちてきている!)に備えて、いろいろ考えるべきことはあると思います。でも、契約がきちんと履行されるか、されているか、確認するシステムも同時に必要ですね。
2006年9月1日
オリンピック国内候補地、東京に決定。・・・やっぱし福岡に勝たせてあげたかったなあ。慎太郎さん嫌いやし、街としての東京は好きだけれど、首都の奢りを感じる。ま、そんなに無理して大イベントを仕組む必要もありません。経済効果を狙うのもあざとい。やらんでもえけど、やるならやったことのない国や都市を優先したらいいのに・・・。
レリアンのCFの天海裕希さん、かっこいい。でも、もっときれいに撮れるのに・・・。
シャラポワの話題の新ウエア。あの黒の胸元が光っているワンピースは、オードリー・ヘプバーンをイメージしているのだという、本人の弁。
授業が始まって2週間。やっとペースが出てきたと思ったら、来週から前期期末考査。世間では2学期が始まったばかり。今頃宿題を集めて点検していましたーかつての季節感がまだ取れません。
いよいよ明日、嫁ハンのディナーライブ。席表も出来て、なんとか幕は開けられそうです。
鳥取への旅 9
「投入堂」見学を済ませてまだ11時前。車で20分ほどの三朝温泉へ。清流沿いの細長い温泉町。小さな店や古い宿が続く旧温泉街とその対岸の新しい大きなホテル群とに分かれるわかりやすい町。でも夜の方が風情があるのでしょう。狭く短い旧市街にヌードホールが2軒もあってええ感じ。でも、訪れたのは白昼。まだどこも開いていません。
目的は町の中心の橋の下の公共浴場(無料)。橋横から石段を下りた河原にあり、橋側に簡単な葦簀の目隠しがあるけれど、どこからでも丸見え。でもそんなことを気にするおじさんたちではありません。友人Sと二人で、ためらっていた若者数人をよそ目にさっさと脱いで、誰もいない露天風呂にチャポン!手足を思い切り伸ばしていると、つるつるした泉質が山登りで緊張していた筋肉をみるみる解(ほぐ)してくれる。遠慮しつつ写真を撮っていた友人Yも釣られて入ってくる。明るい日差し。側には豊かな流れ。
5分ほど浸かっていると、投入堂で一緒だった二十代後半とおぼしき女性が二人入って来ました。でも水着を着ている。注意書きに「水着禁止」と書いてあるのに・・・。ま、いいか!許してやろう。にこやかに対応する。でも、こういう状況だから、こちらは強気なんで、他の場所ならこちらが軽犯罪に問われます。ほんまに時と場所によるんですねえ。
我々に釣られて他の観光客も入り始めたので退散。後で聴くと、女性は深夜に入りに来はるんだそうです。繁華街の側だから街灯もあるし、安全なのでしょう。
Sと私の入浴シーンをデジカメで撮っていた友人Yに質問。それって修正などできるの?できますよ、もちろん。じゃあ、僕の上半身を叶美香さんにすげ替えることも出来る?出来ないことないけれど、どうするんですか?それをSの奥さんに送りつけるのさ、あそこの夫婦、全然波風が立たないからオモロナイ、ちょっと揺さぶってやろうや!そんなしょうもないこと考えるのかんさんだけですよ、お断りします・・・振られてしまった。いいアイデアと思ったのに・・・。
夜の三朝温泉は次回の楽しみにして、一旦、東郷温泉に引き返します。