Kan-Kan の雑記帳


2007年11月28日

 創立記念日でお休み。うれしい。同僚達と奈良へテニスに。ある町の浄化センターにあるコートを借りて、なんと5人で8時間テニス。

 最後は脚がもつれて、ふらふら。でも、黄葉も見事で、一日楽しめました。それでコート使用料2400円は安い!ひとり500円です。

 最近のギネスブックの話題。世界最長のウエディングドレスのトレーン(すそ)、200.8メートル。中国河東省での結婚式、新郎の呉さんが5年がかりで準備したもの。トレーンベアラー(裾を持つ人)もう数十人とか。

 結婚式よりそのあとの生活を大事にしなさい、と思うけれど、結婚式が仕事に繋がっている人もいるのでしょう。それにしても、どうやってバージロードを歩いただろう?

 淡い藤色の波打つ花びら・・・「ブラジルの皇后」と呼ばれる「ブルーアマリリス」が滋賀県の植物園で開いたそうです。種から開花まで20年。次の開花は数十年後。研究者でさえ一生に一度見られたら幸運と言われているそうです。見たい。

 ロンドンでは物理学者のファラデーが1825年に始めた「金曜講座」が180年以上続いているとか。時代を代表する科学者が自分の専門とする分野について、一般の人にわかりやすく話をする。ここで講演出来るのは名誉で、科学者は正装して王立研究所で夜9時にピタリと登場、1時間きっかりで話を終えてさっと退場するという。こんな講演を聴く機会を持てるロンドン市民がうらやましい。

 香川の祖母、孫姉妹行方不明事件が急転直下の解決。号外も出たらしい。

 亡くなった姉妹の両親の気持ちも思うけれど、最近はもっと上の世代、この場合はまだ存命の曾祖父母にあたる人のお気持ちを思います。4月に娘を亡くし、その娘の夫(婿ー義理の息子)に今回、もうひとりの娘と、ひい孫二人を殺される。まだ不明な点もありますが、インタビューに何も答えられない(当然、訊くほうが無茶)老いた姿に、長生きすることの是非すら思います。辛いやろうなあ。 

2007年11月27日

 香川の祖母、孫娘2人、行方不明事件に新展開。祖母の義弟(妹の夫)が逮捕。死体を山に捨てたと・・・。最悪の結果。でも、身内の犯行ではないかとの思いがずっとありました。

 ものすごいいそがしい一日でした。でも、大変だけれど、生きている実感も。生命の危機にさらされないで、生きて生活していられる。幸せなことです。

 25日、談山神社へ行きました。奈良で指折りの紅葉の名所もこの夏の猛暑の影響とかで萎びた楓が多い。それでも、修復された十三重の塔や、伽藍の山のバランスは見事。

 中臣鎌足の墓まで歩いて登って奈良盆地を眺め、門前のホテルで風呂に入り、ベランダがら酒を飲みつつ夕日に照らされた神社を眺めて満足。

 帰りは歩いて峠を越え、下って、飛鳥、石舞台まで。飛鳥の村の佇まいもうれしい、京都とは違ったおだやかな営みと、趣があります、土産は飛鳥産の地酒「右近の橘」。橿原神宮の駅前でちょっと飲んだけれど「点と線」の第二夜が控えていたので、早めに解散。

 でも前編はよかったのに後編は最後はイマイチでした。もっと、思い切った脚色があっていい。キャストが豪華で熱演でした。

2007年11月24日

 旧暦10月15日。雲ひとつ無い朝焼けの空、南に下がってきた太陽は先週二上山の雄岳からだったのに今朝は南側の雌岳から昇ってきました。

 澄んだ秋空、午後からすこし霧がかかる、夕焼け、そしてまだ青い空に15夜の白い月が昇る。記憶に残る美しい秋の一日でした。

「冬銀河 この子と巡り会う 不思議」

「小春日や 吉永小百合が 村に来た」

 ふと聞いた朝のNHKテレビの俳句の番組で採り上げられていた投稿俳句です。心に残りました。いい句ですね。

 「小さい秋見つけた」はサトウハチロー作詩の名曲童謡ですが、ずっと初秋の気配を捉えた歌と思っていました。「みんなの歌」での扱いもそうでした。美しい影絵の画面も憶えています。

 でも「ハゼの葉赤くて入り日色」「呼んでる口笛 百舌の声」はやはり晩秋の風情。きちんとそこを読んで、指摘した人がいて、生前のハチローも「あれは秋の小さな断片を拾ったものだ」と認めていたそうです。なるほど。

 以前述べた「りんどう峠」の「こむらさき」を「小紫」と思い込んでいた(実は「濃紫」)、そんな思いこみはまだまだありそうです。怖いような、はやく知りたいような変な気分です。


10月末の帰省報告4(最終話)

 早めに書かないと、次の帰省が来てしまいます。

 帰省の楽しみは中学以来の友人Nに会うこと。ずっと数十年闘病生活を続けてきて、この夏も大きな手術をしたばかり。身長は私と変わらず、体重は半分の40キロ。でも、口は達者。

 まだ体力は回復しきっていないけれど、散歩は始めた様子。いつも彼の家に行ってしゃべるのですが、気分を変えて、今回は隣町北条にある聖カタリナ大学の文化祭に私の車で出かける。この大学は実家の2軒下手の空き家に住んでいるカナダ人講師、リンダさんの勤務校でもあります。

 私がいたころは女子短大だったけれど、数年前から4年生大学になり、福祉や介護の学科を設けている。男子学生もいて、みんなきびきびと車の誘導、案内などしてくれる。狙いは午後から行われるパイプ・オルガンの演奏会。ここには聖カタリナホールという礼拝堂に四国一と称されるオルガンがあるのです。晴れた空になだらかな稜線の高縄山が美しい。その前に三画屋根のホールが映える。

 ホールが予想以上に立派なのに驚く。広い。2列のシャンデリアも清楚ながら荘厳な趣き。2階の正面に座る。演奏者は吉田仁美さん。エリザベート音楽大学を卒業して、国際的に活躍してはる。バッハからデュプレまで元気に華やかに弾きこなす。音がゆるやかにふくらんで、ホール内を駆けめぐる。足でもメロディを弾いているんだ。全身運動。友人も嬉しそうに聴いている。長い闘病生活もあってか、彼は音楽に造詣が深いのです。この演奏会に気付いて誘ってくれのたのも彼でした。

 帰省して、それこそ分刻みの動きをしていたので、彼と共有したこの数時間はとても貴重で心和むものでした。今も隔日に透析を受けている彼に、ここ数ヶ月、このHPをコピーして送っています。私など敵わないすごい読書家なのに、結構喜んで読んでくれているみたいで嬉しいです。きっと下世話な話が新鮮なのでしょう。

 正月の帰省も忙しそうですが、彼との時間は特別。なんとしても時間を作るつもりです。

2007年11月23日

 今日は小雪(しょうせつ)。どうしても「こゆき」と読んでしまいます。映画「3丁目の夕日」でヒロインを演じている女優さんですね。大柄だけれど。今公開中の続編も好評です。見たいなあ。また、泣くだろうけれど。

 ところで、北日本は大雪とか。このまま一気に冬に突入なのでしょうか?

 寒い冬はキライですが、空気が澄んで、山、町並みの眺めが美しい。大阪市内のビル群の眺望も冬が一番ですが、数年後には近鉄百貨店のビルがその真ん中に聳えるのでしょうね。それまで生きていられるかな。近鉄百貨店の包装紙が変わり、そのビルが描かれています。


 こんな夢を見た

 数十年前の知り合い。名前すら思い出せない。いつの間にか賀状の交換も途絶え、私も何度か引っ越して、連絡のすべもない。共通の知人もいない。

 そんな彼に、街中で出会った。もちろんもう初老だが、面影ははっきり残っている。女性連れ。奥さんだと紹介される。喫茶店に入る。そして、彼だけ何も注文せず、ミルクティを飲んでいる私に、実は僕はもう死んでいるんだ、と言って、数年前に亡くなるまでの人生を事細かく話し出す。奥さんも頷きながら聞いている。たまに口を挟んで補足される。どうやら彼の姿が見えるのは私と奥さんだけらしい。

 そのまま、店の前で別れました。梅田あたりらしい街並みを遠ざかってゆく二人の姿を茫然と見送りながら(「じゃあ、お元気で」とも言えません)、取り立ててドラマチックでもなかったけれど、彼の人生はあの通りだったのだろうな、と思っている自分がいました。

 目が覚めて、きっと本当に彼は死んだのだろうと思いました。でも、それを確かめる術はありません。

 今年のボジョレ・ヌーヴォーの会。予約していたし、体調もましになったので、嫁ハンと出かけました。昨年より人は少ないけれど、女性陣のドレスは今年の方が華やか。料理もグレードアップ。でも、私は遅れて、駆けつけて一気に飲み過ぎたので(もちろん飲み放題)ワインも料理も味があまりわかりませんでした(苦笑)。

 アトラクションで歌ったのは関西在住のシャンソン歌手、Mさん。嫁ハンの先輩(大学も)ですが、病み上がりのせいか元気なし。さみしく終わってステージを降りてゆくので、思わず「アンコール!」と叫んで拍手してしまいました。嬉しそうに引き返してきて「パリ野郎」を歌ってはりましたが・・・。

 恒例の抽選会、友人が今年も当選してワイン一本もらう。彼はここ5年で4回当たっている。私は一回だけ。くじ運の強いヤツっていますね。テニス仲間である彼はじゃんけん(ゲーム前のトスなど)でもいつも必ずといってもいいほど勝ちます。年末ジャンボを買わそう。

 それにしても寂しかったのはハイアット・リージェンシー・大阪。素敵なホテルなのに閑散としている。週末の夜なのに。

 やはり、WTCに市庁舎が移って来た方がいいんだろうな。でも、それには莫大な費用がかかるはず。さて、平松さん、どうなさるかな?

 秋晴れの勤労感謝の日。富田林、川西グランドのバザーに初めて行ってみました。これがすごい人出。周囲は大渋滞。農産物から工芸品、フリーマーケット、子ども向けアトラクション、会場周回ミニ電車。ちょっとしたテーマパークなみ。

 知り合いのバザーで焼きそば250円を頬張り、頼まれていた教え子のブースを覗く。滝谷で電気工事、内装工事などを請け負う事務所を細々とひとりでやっています。

 「さくら」で行ったのですが、あれだけの人出なのに、30分ぐらいいてもひとりもブースに来ない。やはり色気がないのと、装飾に問題があるんやで、とあれこれ注文を付ける。でも、看板見てもらって意味があるんです、とめげない頑固なヤツ。ま、ひとりでやるのが性にあっている人間もいますよね。ガンバレ、と言って帰ってきましたが経営は厳しいみたいです。今の時代、実直さだけではなかなか生きてゆけません。

2007年11月21日

 短い秋がもう過ぎて、一気に冬の気配です。今日から教室に暖房が入りました。

 年末の帰省のキップ。フェリーはすでに2等の一部以外はすでに売り切れていました。2等寝台を狙っていたのですが、日程が決まらなかったのだから仕方がない。まあ、2008年は坂出沖、瀬戸大橋あたりで、デッキかロビーで、シャンペンでも飲みながら迎えることにしましょう。そこまで辿り着けたらの話ですが・・・。

 喪中欠礼の葉書が5通。もう、そんな季節です。


 行く人

稲尾 和久さん(悪性腫瘍、70才)

 西鉄黄金時代の柱。日本シリーズ4連投。第5戦でサヨナラ本塁打。61年に年間42勝。

 ダブルヘッダーで先発、救援して一日2勝の記録も。「つらくはなかった。また俺に稼がせてくれるのかと思った・・・」酷使にも仕事があることを喜び、ほくほく顔でマウンドへ。

 日本人がバカになりきれた時代。その空気はいまグラウンドのどこにもない。(日経新聞、篠山正幸氏)

 栄光に包まれた選手時代。そして厳しい批判にさらされた監督時代。

 でも「サイチャン」と称された、柔和な表情はずっと変わりませんでした。

 西鉄は形を変えて九州を離れ、ライバルだった南海がダイエーとなって福岡に腰を据える。数十年の間に、なんという世の有為転変なのでしょう。 

2007年11月20日

 伊吹山に初雪、奈良も初霜。一気に冬がやって来そうです。木枯らしに吹かれてのサイクリング通勤が響いたのか、左偏頭痛と耳の痛み、めまいに襲われてしまいました。

 ふらふらで帰宅、夜のテニスレッスンを休んで、早く寝るぞ、と宣言して、食卓を見たら・・・今夕届いたという香住旅行中の友人(すでにリタイア)が送ってくれた「蟹」、「至高の木綿」豆腐、同僚から貰った「韓国海苔」、「茶碗蒸し」、これで黙って寝られるかい!?

 結局、節酒の誓いも破り、発泡酒、日本酒、ウィスキーの梯子。すっかり気持ちよくなって気分は上々。でも頭はまだ痛む。嫁ハンが医者に行けとうるさいけれど、今は休めないんです。

 香川の祖母と幼女2人の行方不明事件。まだ解決の兆しなし。住宅地で、朝7時台に大量の血を流した3人がどうやって家から消えた?

 テレビを点けたら、ダークダックスが「灯」を歌っている。やはり、まだ3人だ、そうだ、テナーの「パクさん」が抜けているんだとやっと認識。どうしてはるんだろう?ご病気かな?

 16日の読売朝刊から。世界遺産に登録運動中の応神天皇陵。家からすぐ見下ろすことが出来るのですが、その東側で二重目の周濠が発掘されたとのこと。応神陵以前からあった、二ツ塚古墳を避けて東側に膨らんだ変則的な造りと判明。と、いうことは二ツ塚の埋葬者は大物?

 ちなみに全長は仁徳陵を下回るけれど、体積は応神陵が日本一なんです。(自慢してどうする?)

2007年11月19日

 昨日の記事の続き。「さるかに合戦」なんて話を、教え子達とあれこれしゃべりながら、久しぶりに思い出しました。いろんなパターンがあるようですが、猿が青く固い柿を投げつけて蟹さんを殺す(最近は大怪我に留まっているらしい)シーンは生々しく蘇りました。牛糞やら卵やらのシーンはあまり記憶にありません。臼は憶えています。

 もちろん、いくら猿の着ぐるみを着ていたからといって、教え子の柿山で青柿の投げ合いなんかしませんでしたからからご安心を。

 記憶は揺れます。先週書いた「たき火」の2番の歌詞も「さざんか、さざんか咲いた道」と憶えていました。正しくは「咲いている」だったのですね。

 昨日のメンバーのひとり、インテイリア関係の仕事をしているヤツは夜8時から、ナンバパークスでクリスマスの飾り付けの仕事がありますと言いつつ、6時過ぎまで騒いでいました。今日は甲賀の方で仕事とか。

 若い人の体力は本当にすごいと思う。もう、私は本当に無理がききません。去るべき時が近づいています。

 1977年に放映された「ビッグ・ショー雪村いずみ」がBSで再放送。この時彼女40才。「オー・マイ・パパ」が3曲目に歌われたのでマズイと思ったらやはり「約束」。母の死を歌う長い曲の最後の部分、「明くる年のあの戦争で、パパが死んだと聞いた時に、僕はその時、約束守った」のところでやはり泣いてしまいました。

 ラストソングは懐かしい「遙かなる山の呼び声」。故郷の山が、そして映画「シェーン」のラストシーンが浮かびます。昔はかっこよく去って行ったと見えたシェーンが、近年の研究で暗い画面が解析され、彼が傷ついて、山の墓地に向かっているんだとの解釈もあって、余計に胸にしみます。

 シェーンを演じた、アラン・ラッドはずっと前に、黒づくめの悪役、ジャック・パランスは数年前、「シェーン!カムバック!」と叫んだ少年子役も先日亡くなりました。月日は容赦なく流れ去ります。

 180年前、11月19日に65才で亡くなったのが小林一茶。今日は一茶忌。
 帰郷し、妻帯したが、もうけた子ども四人にすべて先立たれ、やすらぎのない晩年でした。いや一生でした。

 「六十年 踊る夜もなく 過ごしけり」 一茶

 「カフカ去れ 一茶は来たれ おでん酒」  加藤 楸邨

2007年11月18日

 年に一度の、教え子達との柿狩り。前任校で最初に担任を持った生徒達10名程(今年度で36才)で、年2、3回くらい集まって、「勉強会」と称して飲んで騒いでいます。近年の秋は、和歌山県橋本で跡継ぎのいない親戚の農家(米作と柿栽培が中心)を継いだメンバーがいて、そこで柿狩りと宴会と私のミニ授業というパターンです。

 9時に河内長野の幹事役の教え子宅に着くと、メンバーが猿の着ぐるみを着ている。あれ、今回の趣旨に仮装パーティとあったかな?と訝りつつ、考えてはっと膝を打つ。

 そうか、猿蟹合戦なんだ。36才にもなって、お茶目な奴らです。そのままの格好で車で橋本市郊外、紀ノ川沿いの会場のメンバー宅へ。玄関を開けた新婚の奥さんが目を丸くして大笑い。つかみは成功です。

 そのまま柿山へ。今年の出来は夏の暑さもあってイマイチらしけれど、きれいに色づいた大振りな物を駕籠に穫りまくる。昨年の教訓で、柿はみかんよりデリケートな果実をわかっていたので、今年は軍手をして慎重に。みんなワイワイ言っているのに、私は寡黙になってひたすら柿を穫る。センセー、楽しんで下さいよ!ごめん、つい畑に来ると作業モードに入ってムキになってしまうんよ・・・。みんな苦笑い。体に染み付いたものはなかなか消えません。

 午後は広い座敷で、主人が冷存(?)していた高級ワインと昨夜から煮込んでくれたおでんと、新妻手作りの様々なアテで大騒ぎ。笑いすぎて腹が痛くなりました。ミニ授業での反応もすごくいい。高校当時は授業が苦手だったメンバー達なのに(苦笑)。

 それにしてもそれぞれの舞台で仕事に遊びに大忙しの36才のメンバー達。世間を社会を人間を実によく知っている。勉強している。政治から芸能ネタ、下ネタまでいろいろ教えてもらう。

 中堅として若手社員への指導の仕方など、なるほどと思うこと多し。「わかった?」と訊くことは控える。相手はわかっていなくても、「はい」とこたえてしまうことがある。「わからなかったら、訊きにおいで」と言って切り上げるんです。ナットク。

 唯一の女性だったメンバーは、今春国際結婚してスペインへ行ってしまいました。残った男達のほとんどが独身なのが心配ですが、まあ今が一番気楽でいいのでしょう。

 農家を継いだメンバー。昨今、農業を取り巻く状況も厳しいですが、近隣の少ない若手後継者を集めて頑張っている様子。明日も冬の近づく柿山でひとり(奥さんはJA勤務)がんばっている彼の姿を思い浮かべつつ、私もまたがんばろうと思いました。

 橋本を出る頃は時雨が降り始めていました。また、来年も来れるかなあ。その頃には家族が増えているかもしれません。

 オシムさんが倒れて心配される病状。高齢にはジャパンの監督は激務だったのでしょうか?大阪市長選の結果はどうなるか?若い人が選ばれるかな? 

2007年11月15日 その2

 14日、蓬莱山を下って、JR蓬莱の駅に歩きながら、道ばたに咲いていた山茶花を見て
「さざんか、さざんか咲いた道」と歌うと、「あ、それ『垣根の垣根の』じゃありません?」と嬉しいツッコミが入る。
そう、それが一番の歌詞、さざんかの部分は二番です。「北風ピープー吹いている」を「ピューピュー」と憶えていた人もいて納得して、大笑い。
もちろんそんな歌は知りませんという若い人が多かったのは、当然のことながら、残念な事実です(笑)。

 気になって調べたら、三番もあったのですね。昭和16年に発表され、軍に放送を禁止されて、戦後普及した歌だそうです。
「しもやけおててが もうかゆい」なんて意味が今の人にわかるかな?
ちなみに題は「たき火」です。「山茶花」と思い込んでいる人が結構いました。それぐらいこの歌のこの花は印象的ってことですね。

 あの琵琶湖に向かう坂道ですれ違って、こんにちわ、と挨拶してくれた気持ちいい坊主頭の中学生はどうしているかな?きっと明日の予習をしているんだろうなあ。

(3) 木枯らし木枯らし 寒い道
  たき火だたき火だ 落葉たき
  あたろうか あたろうよ
  相談しながら 歩いてる


 古い歌ついでに、今朝の新聞からー。

横田めぐみさんが小学校の卒業式にコーラスで歌ったという「流浪の民」

「ブナの森の葉隠れに・・・
可愛(めぐ)し乙女 舞い出(い)でつ・・・
慣れし故郷を 放たれて 夢に楽土 求めたり・・・」

美しい歌詞、メロディが、なんという皮肉な言葉に響くのでしょう。今日でめぐみさんが拉致されて30年です。

青森で初雪。津軽海峡は冬景色でしょう。やっと冬物を出しました。

2007年11月15日 その1

 12日「伊丹」の記事で、あの町が震災で大きな被害を受けて、今、復興しつつあるのだということを、書き記すの忘れていました。

 13日「内野聖陽さん」の引用記事に、コメントを入れませんでした。大河ドラマもあまり見ていないので、無責任には言えませんが、彼の演技の評判はいいようです。ただ、大河ドラマの主役は役者として大きなポイントではありますが、彼の場合はもっと、舞台人、演劇人としての成功、大成を目指しているように思います。

 ただ、そんな風にひたむきに、ある面、我が儘に生きられる人は非常に少ない。大石さんが書いておられるように、うらやましくもあり、まぶしくもある。ただ、人間、人に気を遣うだけんでなく、自分の人生の為に、自分の将来の夢の為だけに生きる時期も必要ではないかと、あの大石さんの文章を読んで思った次第です。

 14日は、文化フェスティバルの代休。職場の仲間13人と、湖西の蓬莱山に登る。
秋晴れに恵まれて、琵琶湖を含む湖西の雄大なパノラマ、麓の紅葉から山上の落葉後の晩秋の気配まで、堪能しました。澄んだ秋の空気を胸一杯吸い込んで、リフレッシュ。また、ちょっと、がんばれそうに思います。

 それにしても、蓬莱山から小女郎が池までの尾根伝いのハイキングコースの美しさ。琵琶湖が目の下。彼方に伊吹山から近江富士、琵琶湖大橋から大津市街まで見晴るかすことができる。そして、比叡山と愛宕山の間に京都市街が霞んでいる。こういう位置関係(京都の真北近くにある)だったんだと改めて確認。

 熊笹の広大な原が逆光にきらきら光って、こんな美しい景色を見たのは久しぶり。元気で山歩きができる幸せ。でも、きっと明後日くらいに足が痛むのでしょう(苦笑)。

2007年11月13日

 羽曳野市、ホールM(パイプオルガンもある贅沢なホール)でオール・ショパンの夕べ。ロシア出身の若手ピアニスト、スタニフラス・ジェビッツキのピアノ・リサイタル。3,500円。

 初めの前奏曲6曲は固かったけれど、人気曲「幻想即興曲」あたりから乗ってきて、スケルッオ第1番で見事な演奏。後半の繊細、巧緻な練習曲10曲を華やかに弾きこなして魅せました。1887年ロシア生まれ、まだ20才。カーネギーホールでのリサイタルも経験し、今が上げ潮。ちょっと荒いとこもあるけれど、若さと勢い、それにすごいテクニック。その技術に心が付いて行くか?素人考えですが、彼が大ピアニストになるか、中堅どころで終わるか、今が大事な時期と見ました。

 公演後もCDにサインをもらう列がロビーにできている。一番の敵は人気(女性?)でしょう。白い肌、長身、ブロンドの長髪を翻して・・・そのスタイルより、その白く長い大きな手に、将来性を見ました。

 同行の友人は2日前に、シンフォニーホールでブーニンの演奏を聴いた由。病気をして一気に老けていたそうです。天才肌の演奏家が20代をどう乗り切るか、難しいところです。でも、ジェビッキ、応援しよう。

2007年11月12日

 お受験シーズン近し。近所の道ばたでの母娘の会話。幼稚園受験の練習かな?

「お母さんのお名前は?」

「ハイ、ママです!」

思わず笑ってしまいました。若い母親も笑っている。明るくて元気のいいのが一番。もう、私が検査官なら花マルを上げたい!でも、本番では×になるんやろなあ。

 両親の米寿祝いがちょうど2ヶ月後に迫ってきました。先日の帰省の時に相談して大阪でやることになりました。今日は航空チケットの発売日。四国の両親と弟夫婦の往復券がなんとか取れました。シニア割引、特割、旅割を使いました。経費で詰めれるところは詰めて、宴会でぱっとやりたいと思っています。


人気脚本家、大石静さんのエッセイから。

 「風林火山」の主役、内野聖陽さんについて触れている。10年前「ふたりっ子」のヒロインの相手役に無名の彼を強く推薦したのは大石さんだった。いわば恩人。

 「それ以後一度も一緒に仕事をしていない。コマーシャルをはじめ金になる仕事はいくらあっても、納得できる仕事しかしないという徹底したビジョンを持っていて、大石さんが自分の作品に出演をなんど依頼しても断られたという。

 ほんとに生意気な人ね、と嫌みをいっても、動じることもなく、こちらも腹が立たなかったのは、彼の腹の括り具合が見事だったから。

 私は生きるために、あらゆる妥協の中で仕事をしている。そういう意味でもかれの妥協のない仕事ぶりは、実にまぶしくうらやましかった。

 突き抜ける人は違うね。多くを諦めながら生きている私たちはなんだろうね。」

 内野さんの奥さんは元タカラヅカの一路真輝さん。去年出来ちゃった結婚、あかちゃんが生まれて先日披露宴。今最も光っている役者さんです。 

2007年11月11日

 教え子の所属する劇団公演「ワールド・トレード・センター」が伊丹のアイ・ホールでありました。劇団「燐光群」創立25周年記念公演。

  2001年9月11日の一日をニューヨークのマンハッタン北部(トレードセンターは南端)にある日本人向け情報誌紙の編集部を舞台に描く。観点は面白く、例によって休憩なしの2時間ニンストップの舞台はスピーディで飽きさせない。

 今回は舞台が舞台なのでゲストにエド・バサロ(「宇宙戦争」やTV「SEXANNDO THE CITY」など)を迎え、字幕を使って臨場感を高めているが、やはり安全圏のビルから眺める外国人の視点が気になり、隔靴掻痒の感は拭えません。

 異常事態の中の人間ドラマなのですが、短い時間で描き分けるのが大変。でもいつも素敵な中山マリさん、しぶい大西洋さんはじめアンサンブルはばっちり。作・演出の坂手洋二さん、今回はオーソドックスなアプローチでした。

 教え子のいずかしクンも役がだんだん大きくなってきています。これから岡山、九州、金沢、名古屋と廻るようです。がんばれ!伊丹の町のことは別項で。


 柳家 小三治さんのインタビュー記事から

落語は笑わせるもんじゃない 笑ってしまうものだ

どうやったら面白くできるの?面白くやろうとしないことだよー志ん朝とその父の会話

高校3年生最後の大会が終わってゆきます。サッカー、ラグビー・・・決勝は正月に。

「肩を落とし 去りゆく選手を見守りぬ 我が精神の 遠景として」    島田修二


大阪ええとこ     伊丹

酒処、田辺聖子さんの地元、一度行きたいと思いつつ、機会がありませんでした。

 行ってよかった。まだ作りつつある感じですが、町を古さを活かしながら再生させてゆこうとする意欲がうまく回っている感じ。歩きやすく、まだ風情も残してある。「白雪」「老松」の蔵は健在。酒ショップもある(試飲がないのが大減点だけれど)。ワンカップを4本購入。

 文化財の旧家2軒を拝観、広場でのクラフトバザーの覗いて、いにしえに栄えた宮も前商店街を北へ歩き,「猪名野神社」に参り(七五三で賑やか)、アイホールへ向かう途中で一天俄にかき曇り、ばらばらという轟音と共に霰が降って来ました。

 「白雪ブルワリービレッジ長寿蔵」に逃げ込み、2階の誰もいない図書コーナー(すべて酒に関する本のみ置いてある)でカップ酒を啜りつつ、読書。

 好きな山中鹿之助の子孫がここに流れてきて、酒造りを始めたって本当かな。鴻池という池もあり、ここがあの財閥の発祥の地とか。本当に史跡がいっぱい。

 市立美術館の隣にあるユニークなギャラリー「柿衛(かきもり)文庫」で企画展「鳥の歳時記」を見る。短かったけれど、中身の濃い小旅行でした。霰は短時間で上がり、帰りの電車からはきれいな夕焼けが望めました。また行きたい町です。

2007年11月10日

 今日は現任校の文化フェスティバルでした。単位制なのでクラス単位の参加はなく、あくまでも恣意的なグループ参加なので、他校の文化祭とは違った味わいです。

 昨日午後1時から24時間マラソン開始。襷をかけて、タッチして交代で延々24時間走り続けます。午後6時から朝6時過ぎまで、夜間は教員やOBが走ります。私は3年前までは早朝走ったけれど、ここ数年は応援団にまわって、夜食や朝食の支度、炊き出し担当をしています。熱々のおにぎりをにぎって、手が痛い。

 夜10時過ぎに雨が降ってきて、グランドから体育館に場所を移して走り続け、朝からまたグランドで。走ったメンバーが少しずつ募金して、ネパールの小学校建設費用にカンパします。本日午後1時のゴール、最後の一周は数十人が走り込んで盛り上がりました。

 朝方雨上がり、晴天。文化祭はこじんまりとしているけれど、他校にないユニークな点もあります。まず、模擬店のメニューの幅広さ。日本はもちろんですが、中国、韓国、台湾、ベトナム、タイ、フィリピン、ブラジル、ペルー、それぞれの出身生徒や保護者、講師の手作りのお国料理は味わい深い。それを少しずつ、50円から100円で食べられるのは年一回の大きな楽しみ。今年は、辛かったけれど、ペルーの雑炊とタイのグリーンカレーがおいしかったです。

 展示は少なく、生徒が熱心に取り組むダンスパフォーマンスが見ものなのですが、特に感動したのは車椅子ダンスです。

 在籍している3人の車椅子の生徒を入れて、その生徒を特に強調するのではなく、10数名の中に見事に活かしてすばらしいダンスを披露しました。指導、振り付けはまだ若い今年2年目の女子教諭。私と同郷で、学生時代からダンスで活躍していた人。ご自身の動きもすばらしい。一緒に踊っている若い男性教諭も愛媛大出身。愛媛県人として誇らしい。あと二人若い先生が車椅子の補助をしながら一緒に踊る。あの忙しい最中、何時の間に練習したんだろう?明るい笑顔と気持ちの良い動きを

 見ながらうるうる来てしまいました。あとで本人達に訊くと、わたし達も○○ちゃん、△△クンの踊っている姿と笑顔を見て泣きそうになるのを我慢して踊っていたんです・・・。

 でも、悲壮感のないのびやかなパフォーマンスでした。他校には少ない若手の彼らがいるから、これからもうちの学校は大丈夫、と思いました。でも、近年の教育委員会の方針で新任教諭は4年程で転勤していってしまうのです。

 心配していた来訪者や近隣とのトラブルもなく、フェスティバル無事終了。この為の年一回の学校宿泊は合宿気分でおもしろいけれど、やはり体力がついていきません(苦笑)。今日は早めに休みます。 

2007年11月8日

 昨日は美しい夕焼けを見ることもなく(後で友人から聞きました)、仕事に、いや、授業や、担任業務ではなく、生活指導の事件に追われていました。35年を越える教師生活の校務分掌、ほとんどを生活指導で過ごしてきましたが、近年の生徒の質の変化になかなかついて行けません。親の変化にも。

 浅田次郎の「椿山課長の7日間」。新聞連載も好評でしたが、映画もなかなかの出来です。死後4日目に姿を変えて現世に戻り、初七日まで3日間過ごすことが出来る。やり手課長の西田敏行が美女伊東美咲に変身するギャップがいい。

 取り戻しようのない人生の意味がさらりと描かれます。


 最近知った言葉

 マーク・ジェイコブという ニューヨークのデザイナー が評判なんだそうです。今年の秋・冬物のショ−が2時間遅れて、大顰蹙。大問題になって、それで彼がマスコミに露出すればするほど、そのドレスは売れるという現象。

「スクセ・ド・スカンダル」・・・  (スキャンダルによる成功) 亀田兄弟も、あれだけ露出して叩かれたら、それなりの大成功。次回の兄弟誰の試合でもまた高視聴率が取れて、TBSはほくそ笑むという構図ですね。

「スクセ・デスティーム」・・・ (批評家内成功 )  批評家に絶賛されても、ヒット、売り上げに繋がらなければ、次がない。それで消えていった若い才能がいっぱいあります。

「スクセ・フ」・・・・   (バカ売れ) 力に運も付き添っているのでしょう。どんなことしても当たる、売れしてしまう。松坂投手もジャニーズ事務所もそうなのかなあ。

2007年11月7日

 小沢さんは予想通り辞意撤回。民主党も舐められたものです。

 どんなに話しても、理解してもらえないことがある。理解出来ない人がいる。当たり前のことですが、そんなことが身にしみる毎日です。

 疲れ果てていたのに、宮部みゆきさん原作のドラマ「長い長い殺人」を見てしまう。よく出来ています。劇場犯罪をそれに関与した人物の持ち物(財布、ハンドバック・・・)が語るという奇抜な構成。警察が真犯人に辿り着く前に終わる結末も余韻あり。でも、やはりドラマの世界くらいびしっと犯人を挙げて終わってほしいと思ってしまいました。


 帰省報告 3

 実家の庭の木々は剪定されていました。この夏、帰省できなかったのに。誰がやってくれたん?お父さんよ。もー、脚立に乗って?アブナイやん。うん、どんなに反対して、心配したことか。実際、何度が落ちたのよ。でも、貴方に言うと心配するし、また貴方がHPとやらに書いて、それを読んだ親戚から電話が入るし・・・。

 それは知らなかった。

 みかん山へ「早生」を穫りにゆく。山道が細く狭く、軽トラックでもあぶない。みかん畑は少しずつ崩れつつある。滑る長靴で足場を確認しながら登る。枯れかけた木の小さな蜜柑の方がおいしいと父が教えてくれる。

 葡萄畑の防護網を外す。カラス、狸、猪からなんとか守って、今年も出荷こそしないけれど、子や孫、親戚、近所、知人にたっぷり配るだけ取れました。でも、蔓が絡まった網を外すのは大変な作業。腰と首と手首がしばらく痛みました。

2007年11月6日

 ズワイガニ解禁。いよいよ冬も近いのですが、まだ半袖です。寒い。今週中には衣替えしよう。

 小沢さんのええ加減さ。2大政党が必要だ(それはそれでわかる)と行動して、積極的に対立路線を進めておいて、いきなりの大連立だと?それを政治手腕というのか?深慮遠謀というのか?単に自分の政治的野心を実現しようとしているだけと思います。裏切り行為です。きちんと辞めるべき。いや、民主党は首を切るべき。保留なんかするんじゃないよ、と思います。

 それにしても、加古川の女児殺害事件の報道が止まりました。忘れたのか、それとも捜査が進展して、最終段階に入って報道を規制しているのか?後者ならいいけど、前者なら問題。朝青龍や亀田なんかどうでもいい、税金どんどんつぎ込んでもいい、ローラー作戦も高額の報奨金も使い、犯人逮捕に日本警察も、国民も全力を挙げるべきです。

 4日の日曜は早朝座禅から。久しぶりだったので、腰が痛い。寺の北側は整地が進んでいるらしく、木々が取り払われてぱっと明るくなり、白いテントの先が見える。あ、やっぱし、発掘調査しているんだと思って伺うと、座禅のあと案内してくれる。白いラインでしるしを付けてある。鎌倉時代のこの地にあったらしい寺の跡らしいという。残念、あと千年は古いものが出たはずなのに。もっと掘ったらいろいろ出るよと言いたかったが我慢。近日中に埋め戻されて、分譲住宅と墓地になるそうです。

 午前、テニスをして、午後3時から大阪狭山市「さやかホール」のレストランで開かれた「大人のピアノコンサート」へ。テニス教室の大人の部の発表会。ショパン、ラフマニノフから谷村新二まで、決してウマイとは言えないけれど、それぞれ必死に取り組む姿が感動的でした。誤魔化して弾くより、初老の紳士がつかえながら、途切れながら弾く「いい日旅立ち」なんていい。

 テニス仲間の友人は高橋真梨子の「フォー・ユー」を暗譜で。闘病中の彼女に捧げる曲。彼女も客席でじっと耳を傾けている。じんと来ました。 

2007年11月3日

 やはり晴れました。晴れの特異日の文化の日。でも昨日の正倉院のツケがあります。休日出勤して朝8時半から午後5時までみっちりお仕事。日射しや、流れ込む風にも、戸外の爽やかさが感じられるだけに、昔なら我慢出来ずにテニスコートに飛び出したことでしょう。

 でも、もうそんな年ではありません。まず懸案の仕事を片づけなければ気分的に落ち着けない。昼はカップ麺を啜りながら、ひたすらデスクワーク。夕方5時過ぎにやっと終わって飛び出したけれど、夕焼けには間に合いませんでした。西の空の色は美しかったけれど、雲がもっとあったら、より綺麗な残照が残ったでしょうに。

 帰宅した時、首はガクガク、目はショボショボ、ベッドで30分眠って居る間に、うどんすきが出来ていました。四国から持って帰ってきた野菜をたっぷり入れて、ふうふう吹きながらいただく。いよいよ鍋の季節の到来です。でも、お酒は今宵も我慢。けっこう持っているでしょう?

 褒めて貰えると思っていた節酒なのにめちゃ評判が悪い。先日仲間が開いてくれた誕生祝いのパーティの席で節酒を「カミングアウト」したのですが、ブーイングの嵐。無理したら却って体に悪い、ストレスが溜まるはず、かんさんはやはり飲んだくれて、騒ぎまくっているのが一番なんですって。

 長年積み重ねてきたイメージを壊すのは大変です、でも、今に見ておれよ(笑)。

 職場に似顔絵描きの名人がいて、先日私の絵を描いて見せに来てくれたのですが、思わず笑ってしまいました。特徴をよく捉えてはる。構図はもちろん居酒屋のカウンターで日本酒を杯を舐めているもの。銘柄は我が愛媛の銘酒「梅錦」。

 ところが、絵の中の私はまだ髭を生やしている。もう半年前に剃ったよ、と言うと、あ、そうでした、という答え。毎日顔を合わせているのに・・・おもしろい。人間って一度イメージが固まったら、いちいち相手を見ないで、イメージ通りの相手がいると思い込んでいるものなのですね。

 髭に関わらず、髪型、めがね、ファッションもそうです。ピンクの服が動いていたからあの人がいたのだろうなんて思います。

 アガサ・クリスティの短編「血に染まった敷石」は女性のファッションがトリックになっていました。

 明日も秋日和みたいです。今日の分も動きます。


帰省3

 10月27日、土曜の朝5時半に今治港着。その寸前まで大浴場でひとり朝風呂に浸かっていました。家に着いたのが6時10分。朝食を済ませてひと眠りして、近所に挨拶回り。

 「上隣(カミドナリ)」(二人)の小母さんがささやかなお土産を涙ぐんで喜んでくれる。「上(ウエ)」の一家(二人)はもう畑に行ったみたいなので、開けっ放しの玄関の上がりがまちに土産を置いておく。「新家(シンヤ)」のひとり住まいの小母さんは、病気になられて、息子さんが迎えに来て大阪へ行ったきり。今、家は無人。(「」の呼び名が屋号です。ウチは「隠居」)

 となりあう5軒9人の平均年齢は70を超えています。集落全体も同じようなもの。これからどうなるのだろう。それでも、27日夜は「お荒神(こうじん)さん」のお祀りでみんな集会場に集まって飲むと弟が言っていました。山間の村だけに、きちんと伝統行事はまだ残されているようです。

2007年11月2日

 夕刻、2時間休暇を取って、職場を飛び出し(先週もこれでしたー職場のみなさん、ごめん)近鉄で奈良へ。

国立博物館の「第59回正倉院展」。

 久しぶりです。4時過ぎに滑り込む。すごい人出。それでも、会場内でなんとか嫁ハンと落ち合う。

 今回は在庫9000点の中から70点。初展陳もいくつか。


 今回の呼び物、「紫檀金鈿柄香炉」はもちろん美しいけれど、様々な箱類や楽器、いまだに残っている布、衣類など、色まで鮮やか。

 月日は流れ、私は残る・・・はアポリネールですが、人々は消え去って、モノが残っているのです。「調」として筑波や佐渡など国内から来たのもあるけれど、はるばるシルクロードを越えてきたもの、その影響を受けたモノも多い。その距離と時間と旅の困難さ。破壊や略奪のスケールが桁違いの大陸を通過して、海を越え、島国の山の彼方の盆地の倉に巧みに温存されて1200年を超える・・・傍で大仏が焼け落ちても、七重の塔が倒れても・・・地震や戦禍を越えて。そのことに改めて素直に感動しました。

 60万点を中国北京から運び込み、2万点を展示している台北の故宮博物院。それもすごかったけれど、作為的に無理矢理一気に移送してきて誇示している感覚が強くて、少し抵抗ガありました。

 「吹き寄せられる」と言っては語弊があるかもしれないけれど、東洋の端の島国に伝えられ、そこで育った文化と歴史とその遺産をしみじみ思います。若いとき見たときと想いの深さが違うように感じるのは、年を取ったせいと共に、この年月の間に、北京やソウル、台北を見てきたこともあるのかも知れません。

 本当に日本には奇跡のようにモノが残っているのです。そのことをもっと意識して、残すべきモノは残さなくては・・・。

 博物館の東出口から退出して見上げると、奈良盆地の空は一面の鱗雲。みごとな夕焼けでした。



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