Kan-Kan の雑記帳


2007年12月31日

「 刀折れ 矢尽きてここに 大晦日 」  古今亭志ん生

 慌ただしい一年でした。特に教育現場荒廃の最前線(?)にいるものとして、言葉の通じない生徒や、モンスターペアレンツの増加には悩まされました。大人、学校不信で、勉強したくない、卒業する気もない、止めて働く気もない生徒、それでよしとし、授業料を払わない、奨学金を返さない、クレームはたっぷりつけてくる保護者達・・・。

 たまたまそういう人々を相手にする立場だったので、余計に疲れたのかもしれません。

 でも、いいこともありました。また、いい仲間や友人に囲まれ、支えられて、ここまで持ったのだと思います。

 飛来している鴨が、餌を貰いすぎて太りすぎ、飛べなくなって帰れない。渡りが遅れて、留鳥のカルガモなどと交雑してしまう。そんな笑えぬ笑い話が近年起こっているのだそうです。

 年末に体調を崩して、ダイエットに成功(苦笑)。でも、かろうじて持ち直して、大晦日午後8時、これから車で帰省します。HPは新年5日から再開します。

 皆様 よいお年を!

2007年12月30日

 28日夜から腹痛に襲われ、一日寝込む。28日に行った友人のスタジオが寒かったのが原因でしょうか?あちらも気を遣ってストーブなどを出してくれたけれど、広いスタジオは冷え込む。それにいただいたコーヒー(胃弱?なもので、好きだけれど、コーヒーはダメ。でもきれいな秘書さんが出してくれたので、思わず飲んでしまった)がこたえたのかな?

 29日、夕刻やっと起きあがったら、足下がフラフラ。わずか一日で足萎えになってしまうとは?がんばって駅前のスパーまで歩いてみる。歳末の売り出し、お飾りや、正月食品が派手に売られている。路地裏の仕出し屋の前で、若い衆(し)が鯛を串刺しにして数十匹焼いている。足早の人々に追い抜かれる。

 30日にかけてやっと賀状を一応仕上げ、朝、ポストに入れてひと安心。友人とモーニング。帰ってまた横になる。もう、大掃除は諦め、無理せず静養。明夜の帰省に備えます。


 ロマンのある話も

 800年以上前に沈没した宋代の交易船が広東省陽江沖で発見され、24日引き上げられた。水深30メートルの海底。船は原型を留め、船内から景徳鎮の磁器など1万点以上の文化財が発見された。最終的には6万点以上あると見られ、価値は1000億ドルから3000億ドルといわれる。東シナ海にも、カリブ海にももっとたくさんの貴重な財宝が眠っていることでしょう。 

2007年12月28日

 パキスタンのブット元首相の暗殺は、予想されたとはいえ、衝撃でした。10月にも集会中にテロがあって139人が亡くなっていたのです。日本ならその時点ですべてが止まってしまうはず。それでも屈せず、活動を続けていたのもすごいけれど、結末も悲惨で救われない。

 彼女の波乱の生涯に視点が行くけれど、インド、パキスタン、イスラム社会との関係はどうなってゆくのでしょう。先が見えません。

 フィギィアスケート日本選手権フリーは男子も女子もすごい試合でした。男子の世界選手権出場枠である3位と4位の差は1点ありませんでした。4位になった25才、中庭選手の悔しさやいかに。女子の中野選手の攻めの滑りにも感動しました。3位に文字通り滑り込む。村主さん、残念。太田選手の滑りがエレガントでした。

 友人である人形劇団Kの座長、F氏から新作のリハーサルに誘われる。午後2時、ワインを持って富田林のスタジオに出かける。300人くらい入れるスタジオの真ん中で本番と同じ衣装での通しのリハーサルを数人で見られる贅沢。礼儀として、めいっぱい遠慮ない批判や意見を綴ったレポートを2枚書いて提出して帰る。お土産に劇団用に作った焼酎を貰う。

 夜8時、お礼のメールを送ったら、返事でまだリハーサルは続いているとのこと。新年から地方公演が始まり、3月から大阪で本公演があるそうです。大人数で舞台を創り上げてゆく熱気に当てられて、興奮、感動、リフレッシュしました。

 年賀状がまだ仕上がりません。ま、いいかっ!

2007年12月27日

 朝から怒り心頭。朝刊の記事。富山の女(35才、名前は公表していない)が「8才の長女をわいせつな行為をすると知りながら知り合いの男に預けた」「くり返し預け、わいせつ行為を黙認する代わりに一回7000円〜1万円を受け取った」。

 新聞の表現はおかしい。「黙認」ではなく明らかに「子どもを売っている」のです。「懲役2年の実刑」 ・・・「甘い!200年くらいでも足らん!」と息巻いて、息子が、また始まったと苦笑いしている。

 私は今日が仕事納め。今年最後の活動をしたクラブ生徒が帰り、夕顔棚の撤去、準備室の掃除をさらっとやって学校をあとにする。そのまま滝谷不動まで走って、22日に来年実施予定の友人に個展の打ち合わせをした会場(O大学の準備室)入り口 に忘れた傘を取りに行く。入り口の傘立てにポツンとひとつ残っていたのでほっとする。気に入りの青い傘だったのです。ゴメンナとつい傘に謝ってしまう。

 昨夜の全日本フィギアスケート選手権、男子ショートプログラムは面白かったです。高橋選手はべつとして、織田信成選手の欠場で他の選手に世界選手権出場のチャンスが見えてきて、それが演技に大きく影響している。プレッシャーで萎縮する者、思い切った勝負に出て成功するする人、転倒する人・・・。若い小塚選手のがんばりも見事でしたが、25才の中庭選手も見事でした。名前は忘れましたが、15才の新鋭も。

 多彩な才能、選手が揃って、人生さながらのドラマを見せてくれました。まだフリーがあります。

 今夜の女子ショートプログラムはどうなるでしょう?

 顔見世の「勧進帳」。現役最多の弁慶である松本幸四郎の演技が流石でした。口跡、形が美しく、華やかでダイナミック。弟の中村吉右衛門も弁慶役者ですが、そちらは重厚。本家のはずの市川団十郎は・・・言わぬが花です(苦笑)。海老蔵はまだ若すぎて荒削り。富樫役の2代目中村錦之介は疲れからか声が割れていましたが、幸四郎に引っ張られて好演。籐十郎の義経はいうべきにもあらずです。

 今の歌舞伎界でこの演目をやるならば、ベストは弁慶、幸四郎、富樫、仁左衛門、義経、玉三郎でしょうか?この配役で一度見たい。

 今まで弁慶と富樫の緊迫したやりとりに注目していましたが、白紙の勧進帳を読み上げる下りでの、上手富樫、中央弁慶、下手義経のそれぞれの微妙な動きがあって、それが「天地人」の形であることを今回初めて知りました。

 また関を無事通過したあとの「延年の舞」の時にちょっと色っぽい(弁慶の唯一女性体験)話をバックの謡いで入れたりして、細かいユーモアの味付けがあることを知ったのも今回の発見でした。

 第3幕の「すしや」(「義経千本桜」から)は菊五郎親子が熱演。菊五郎は「いがみの権太(ごんた)」をリアルに演じ、自身と妻子まで犠牲にしても報われない庶民の悲哀を見せます。お里を演じる菊之助が美しい。

中村富十郎は貫禄。

 第4幕の「二人椀久」は物狂いもの。傾城松山に入れあげて落ちぶれ、松山も亡くして狂った椀屋久兵衛が見た幻想を美しく仁左衛門と孝太郎親子が舞います。でも暗い舞台。孝太郎はうまいけれど華が乏しい。日昼の部の幕切れにしてはさびしい舞台でした。

 でも近年の中では充実した舞台でした。来年も来られるかなあ?見ながら飲んだ酒は「菊水」と「越の初梅」どちらも当たりでした。 

2007年12月26日

 担当している「海外文学講読」という授業(でも、生徒は5名)2007最後の教材は、今年も「賢者の贈り物」。有名なO・ヘンリーのクリスマス・ストーリーです。貧しい若夫婦が自分の宝物を売って、相手へのクリスマスプレゼントを買ったけれど、すれ違ってしまう、というベタな話ですが、年のせいかしみじみと味わえます。特にエピローグの「この愚かな二人こそ賢者だったのだ」、というくだりでじーんと来ます。若いときはストーリーしか読んでいなかったと思いました。

 生徒の反応は「エエ話やなあ」というものもありますが、中に、ヒロインである若妻デラが切って売った髪は伸びるけれど、22才の若い夫、ジミーが売った祖父譲りの金時計はもう買い戻せないだろうというシビアな感想もあって、確かにそうやなあ、よく気が付いたね、と褒めてやる。

 年末の楽しみ、京の師走の大イベント「顔見世」に行ってきました。昔の三人仲間で今年で連続25年になるのかなあ。この時期、3人が病気にも家族んぽ不幸にも当たらず毎年揃ったことが奇跡のようです。

 今年も鴨川に白いゆりかもめが舞って、東山を背景に南座の甍が存在感を示し、出演俳優の名前を記した「招き」が劇場の正面を飾ります。十時半の開演に滑り込む。

 年々地味になってゆく東西歌舞伎俳優の顔合わせですが、今年は俳優の力演もうまく噛み合って、見応えありました。

 幕開けの「将軍江戸を去る」片岡我当の山岡鉄太郎とな、中村梅玉の将軍、ベテランががっぷり組んで見応えはあるのですが、今更なんでこの演目を採り上げたのかわかりません。今、勤王が尊皇かなどという劇中の論議はアナクロニズムでしょう。この二人俳優の扱いは最近軽くて気の毒。

 「勧進帳」ー「旅の衣は鈴掛の・・・」で始まる名曲、数々の名演技で彩られた定番ですが、演者でこれほど変わる舞台もありません。今回、弁慶は松本幸四郎、富樫はこれで襲名披露の中村錦之介(信二郎改め)義経は沢村籐十郎、四天王も好助演で久々見応えある「勧進帳」となりました。この項はまた明日に続きます。

2007年12月24日

 駅前で声を張り上げて「歳末助け合い」募金を募る、少年、少女の声を聞くとちょっと胸が痛みます(まあ、ええ経験とは思うけれど)。募金してあげたいけれど、今はしません。自身の体験から、相手がより必要として、募金がきちんと相手に届く可能性が高いところにお金は出したいと思っているのです。

曾野綾子さんのエッセイ「自分の顔、他人の顔」から

 幼い頃、12月24日は7面鳥を食べてパーティをする日ではなくて、朝から軽い断食をする「犠牲の日」だった。

 それはひとりの惨さんたる生涯を送ることになる人物が、この世に生まれた日だから。

 マリアは許婚者であったヨゼフと一緒に暮らさないうち天使のお告げによって妊娠した。当時も今も、セム族文化の中には強烈に女性の貞潔を重んじる気風がある。彼らはシング・ルマザーを出さないように、処女が性的な交渉を持たないように、社会を挙げて防いでいるのである。・・・マリアの妊娠が判明した。それでも、ヨゼフはマリアを愛していたから、自分の身に覚えのない子どもを、父として引き受けることにした・・・聖家族は、まず、貧しさと不遇の中で出発した。・・・小さなナザレという村でイエスが育つ間、ずっと「あれはヨゼフの子じゃないんだよ。マリアが淫らなことをして生んだ子だよ」と囁くいじめに会い続けてきたことだろう。

 奇跡や伝説は宗教につきものだけれど、それを強調されると自分としては引いてしまいます。でも、クリスマス行事に関しては、プロテスタントよりカトリックの方が美しいと単純に思うミーハーな私です。

 ボリビアの「アンデスのテレサの家」。10人の知的障害を持つ子供達の為の施設に、曾野さんが関わる「海外邦人宣教者活動援助後援会」が、運営費を送っている。そして曾野さんたちは現地を訪れて、お金の使われ方を確認する。木々を渡る風の音が聞こえる施設。静かなのは、子ども達が運動能力も劣っていて、静かに椅子の中にいたのと、ほとんど言葉を発することなく無言だったから。ボリビア人ではなく、3人のコロンビア人とペルー人の修道士が世話をしているというその施設にもクリスマスが訪れているのでしょう。

 あれこれ思い、質素なクリスマスを送ろうと思っておりましたが、友人から「さいぼし」、息子の彼女からモンシュシュの「堂島ロール」が届いてコロッと変節、いそいそワインを飲み始めました。恵まれた国の幸せでノーテンキなクリスマス・・・我ながら節操がありません(苦笑)。皆さん、メリー・クリスマス!

2007年12月23日

 天皇誕生日。30年前の我々の結婚式は4月29日。よく晴れた朝でした。玄関で父が国旗を掲げている。なんで結婚式に国旗を揚げるのと訊いたら、ばか、今日は天皇誕生日じゃ、と叱られました(苦笑)。それは昭和の話。昭和天皇は私の高校時代、四国に行幸されたときに、遠くからお姿拝見したことがあります。

 今の平成天皇も実直なお人柄とお察し申し上げます。ただ今回、記者会見の中で「皆が」とおしゃったのがちょっと気になりました。四国の父が、「孫ら皆が」、と言っても違和感は感じないのですが・・・。

 敬語を遣われないのなら、語尾の「です、ます」も不要です。これらの丁寧語(敬語のひとつ)を遣っておられる(記者会見でも、一般参賀に応えられる時も)以上、「国民、皆」という表現より「国民の皆さん」の方がいいように感じます。

 皇室と国民の距離感って難しいですね。

 前任校の同僚で、車椅子生活になってリハビリをしつつ、絵を描いてはる瀬古多津治さんの個展を、仲間が力を合わせて来夏開催しようということになり、その打ち合わせの第2回会議を22日に行いました。ほぼ、形が出来て、一安心しました。

 授業が終わり、両親の米寿祝いはじめいくつかの懸案事項も一段落して、気が抜けてしまったのか、体が重くて動かなくなりました。めまいもする。それで、折角友人達が日時変更してくれた22日夜の忘年会もドタキャンしてしまいました。こんなことは初めてですが、もう、無理はしない、不義理もしようと開き直って、連絡して謝って、朝まで爆睡してしまいました。26日の忘年会も同じく、こちらは早めに断って、まずは体力、気力の快復に努めます。

 今夜の「M1」はさすがに面白かったですね。生放送。若い芸人さんたちの必死の熱演に、じーんと来ました。ただ、お笑いは演じる方が必死になると、見る方もしんどくなって、これが難しい。

 桂銀淑さん、覚醒剤所持で有罪判決(懲役1年6ヶ月、執行猶予3年)。どんな年末年始を過ごすのでしょう。かつては紅白の常連でした。ファンでした。46才だったんだ。

 「手を打てば ハイと答える 鳥逃げる コイは集まる 猿沢の池」 奈良のお坊さんの説法から。ひとつのことにも反応は様々。

 韓国の新大統領は日本生まれ、少年時代、マッチ売りをしたきびしい境遇から、実業家として大成功、富豪となり、ソウル市長を経て、トップに登り詰める。ドラマチックな人生で世界の注目を集めています。

 新大統領に関する週刊誌の記事ですが、いろいろ下世話な話題も。その中でも、テニスが趣味(私と一緒!)で、ソウル市長時代に、市民コートを週末独占して無料で使っていたという話に目が留まる。真偽はわかりませんが、「ケチなことすんな!自分の家にコートを作れ!」と思ってしまいました。

 でも、嫁ハン曰く「金持ちほどケチなものよ」  なるほど、それは言えるなあ。

 「薔薇よりも 淋しき色に マッチの焔(ほのお)」  金子兜太 

2007年12月22日

 三合(さんごう)の 酒飲んで 今日  冬至かな

なぜ三合なのか?いつもは二合なんだろうか?それとも、酒に合わせて「さ」の韻を踏むため?

 ゆるゆると 湯船に浸かる 冬至かな

 こちらは「ゆ」の韻ですが、「ゆず湯の湯船」という隠し味があります。今夕は銭湯に行こうかなと思っています。

 傍から見れば平凡でしょうが、個人的には激動、多忙の一年でした。特に後半はジェットコースターのような毎日でした。
 私の仕事納めは27日ですが、21日、とにかく授業を終えて、一度帰宅、出直して、夜7時からいつものあべの路地裏の居酒屋で常連の忘年会。大騒ぎ。最初5人だったのに、あちこちの忘年会の流れが加わって、最終的には14名になっていた(らしい)。会計は私がした(らしい)。

 仲間のひとりがスゴイ親戚をいっぱい持っているという話で盛り上がる。あの政治家も、あの社長も・・・でも、一度もそれを利用したことはないと胸を張る。当然やけど、エライ!まあ、利用していれば、ここで酒くらって騒いではおらんわな。

わたしもつられて、「みなさん、カミングアウトします!うちの遠縁にも女優がいます!一応主演クラスでーす」

一同、パニック。「エーツッ!ウッソー!」「信じらんない」「かんさん、ボケが始まったんちゃうの!

わたし「やかましい!よーく、私の顔を見てごらん。面影があるはず。もちいと細面で、肌は白いけど」

一同「余計にわからん!」「そんなきたない女優がおるか!?」

 当然(?)誰も当てられないので、Sやけど、と正解を言うと、余計にパニック。
まあ、父の従兄弟の子どもらしくて、会ったこともないから、みんなにうそだと決めつけられて、本当かどうか自信を失ったのですが、座が盛り上がったことは事実でした。

 11時47分、終電1本前の電車に乗る直前に、友人の病気再発の知らせを聞く。酔いが一度に醒める。

 朝10時、その友人に電話。昨日で仕事の段取りをつけてきたという。開き直って、案外冷静なんだと言われると、却ってこちらが言葉に詰まる。

 今年は友人、そして友人の親御さんの発病や再発の知らせを多く聞いた年でした。明日から陽が長くなります。「一陽来復」来年がよい年でありますように。

2007年12月18日

 戸籍だけ 残る深川 冬鴎(カモメ)  長島 ちよ

 大空襲で10万もの人が死んで・・・。作者は深川の地を離れたけれど、心もまだ残してあるのでしょう。ところで「深川」って、大川の深いところ、江戸の粋と思っていましたが、実は固有名詞、大阪から江戸の新田開発に向かった「深川なんとかざえもんさん」の名前から来ているのです。大江戸博物館で知りました。

 早朝の地下鉄でまどろんでいると、目の前をずごい香水の匂いが過ぎて、傍に座る。朝からゲランの匂いをぷんぷんと撒き散らしって、どんなおばはんや、と薄目を開けて横顔を見ると。雑に厚く塗りたくっている。オマケに毛糸のマフラーの毛玉を取って足下に捨てている。それが舞い上がる。そのマフラーで首を締めてやろうかと思いました。おばはんと思ったけれど、案外若い、20代末か・・・朝帰りかも知れません。近くの席が空いたので、さっさと移りました。女性は案外気にならないかもしれないけれど、電車の中のきつい香水は魅惑、マチガイ、迷惑なものです。おっと、私も加齢臭に気を付けよう。まずは歯磨きですね。

 体調が戻って来たので、忘年会の誘いもどんどん受けることにしました。断ってあった分も、わざわざ日程を変えてくれたりしたので、喜んで参加に。結局例年以上の回数に。節酒の誓いはどこへ行った?

 「花はどこへ行った」ピート・シーガーの名曲は実はロシア民謡に原点があった。ショーロホフの「静かなドン」のコサックの話に触発されて、そのコサックの子守歌を取り入れたものと、先日のNHKの番組で知りました。

 来年のカレンダーを手に入れなければ。やはり天王寺ミオのカレンダーコーナーが充実している。モノクロのパリ、華やかな薔薇のカレンダーに目を付けているのですが、来週まであるかな?

 ミーハーとして興味深いのは映画会社やタカラヅカのもの。スターのランク付けが明らかになります。東宝は長澤まさみが4年連続で表紙を飾る。田中麗奈、水野真紀、常磐貴子・・・「昔はナア、星由里子、団令子、司葉子・・・」と言ったら、誰?それ、と息子。タカラヅカは毎年メンバーが変わって、それこそ諸行無常の世界です。

 そして、今年もあと2週間、再来週の火曜日は元日。早いものですね。

2007年12月16日

 フィギアスケートグランプリ大会、浅田真央ちゃんのフリーでのがんばり、キム選手のミスを引きずらない演技にも感服しました。アメリカの14才、ジャン選手も。みな10代であの精神力はすごい。

 個人的には天才肌の上位者(もちろんすごい努力しているんだろうけれど)より、地味ながらこつこつ成長を続ける努力家タイプの中野友加里選手を応援してしまいます。入賞出来なかったけれど、彼女の演技も見事でした。

 で、男子?ショートプログラムでトップだった高橋選手は銀メダル。ここ一番のジャンプでの思い切り。難しいものです。

 今年の紅白の話題曲?「吾亦紅」(われもこう)「スタートライン」を初めて聴きました。

 「吾亦紅」は久しぶりに帰省して母の墓前に近況報告する初老の男の歌。ちょっとワンパターン、マザコン気味かなと思うけれど、「今は従兄弟が住む懐かしい家に灯りがともる」「来週(?)離婚するんだ」という歌詞が新鮮です。実際に母が急死して気落ちしていた「すぎもとまさし」さんに友人の作詞家・ちあき哲也さんが詞を贈ったのだそうです。すぎもとさんは58才。団塊の世代ですね。

 「スタートライン」は挫折しても、諦めるな、今からでもがんばれるという、シンガーソングライター馬場俊英さんの自伝的思いを込めたメッセージソング。この歌で励まされたという声、反響が大きいようですが、個人的にメッセージソングは苦手です。

 新しい阿倍野歩道橋のデザインがコンペで決定。曲線を多用していて上から「a」に見えるらしい。今の老朽化してぐらぐら揺れるのが解消されるのはいいけれど、歩道橋から西側の眺めはスキでした。新しい歩道橋には屋根が付くそうです。

 「サマルカンド・ブルー」シルクロードの街を彩るイスラム建築に多用された青紫。いつか訪れてみたい。

 瀬戸内寂聴さんが新聞に連載している「奇縁まんだら」は今回、平林たい子。昭和文壇の女帝は夫、小堀氏に裏切られ、離婚。でも元夫の死後、その愛人と子どもの面倒までみていたらしい。彼女が可愛がっていたものは熱帯魚と九官鳥。「魚は裏切らない」。九官鳥の連呼する言葉は「あなたは美しい」「愛しています」。

 建築家、村野藤吾さんがまた脚光を浴びています。個人的にはアコヤ貝をちりばめた波打つ天井が豪華な日生劇場が好きです。ナンバの新歌舞伎座は桃山風?の外観がユニークですが、その内部機構も含めて好きにはなれませんでした。でも、取り壊され、劇場は上本町に移転というはちょっと寂しい。

 今日の読売「編集手帳」が佐世保の銃乱射事件に触れています。

 「死出の旅を選ぶならば、黙って、静かにひとりで去れ。復讐はもはや法の手が及ばない神の手の領域にあるとは知りつつも、犯人を憎む。その蛮行を憎む。はびこる銃を憎む」

 同感ですが、銃をはびこらしたのは人間です。そして、巻き添え?になった女性インストラクターの異性関係まで報道するマスコミにも憎しみを覚えます。

2007年12月15日

 冬山の 一点ひかり 人住めり   石橋辰之助

 「ひかり」は「灯」でしょうか、それとも、冬陽に窓ガラスが反射しているのでしょうか?後者のように思います。

 新聞で「限界集落」という言葉を知りました。「住人の半数以上が65才以上で、やがて集落として機能しなくなることが予想される地域」のことらしい。全国に七千八百余カ所あるという。故郷の村もそのひとつです。

 俳人の宇多喜代子さんの文章からー祖父母から「山は大きな水のかたまり」と教わった。

 山が荒れてゆくと、それはやがて海に、すべての生命体に関わってゆく。子孫の代が心配です。

 文科省が実施した今年度第2回高卒検定の結果が14日一斉発送されました。それに来春の卒業が懸かっている生徒がうちには何人もいます。結果が届いて、電話やメールが入る。

 かなり単位を残していた生徒が、2科目4単位しか取れませんでした、と気落ちした声で電話してきました。彼女はこれで来春の卒業は無理になりました。月曜に相談しよう、とりあえずお姉ちゃんに報告しいや、と言う。おねえちゃん、まだ残業みたいで・・・帰ったきたら言います、と本人。

 母は亡く、今年就職した姉と、認知症の祖母の介護を家でしつつ、バイトで家計を支えている。父はずっと家でブラブラ、娘に甘えている(これが腹が立つ・・・でも、言ってもワカラン!)8月の第1回の試験は受験料がなくて受けられなかった・・来年度の授業料は減免されるだろうとしても、諸費は払えるだろうか?長年、まともな夕食を食べたことがないと言う・・・あ、すみません、書きすぎました、個人情報です、ご放念下さい。でも、これが「豊かな日本」のひとつの現実なのです。

 午前2時。別の生徒からメール。「先生2単位、合格した!ありがとう!これで卒業できる!月曜に報告に行く!」。夏休みに講習して、2回目の挑戦でした。カラオケで盛り上がっているのでしょうか。「オメデトウ」と返したけれど、あれこれ考えて目が冴えてしまいました。

2007年12月14日

 最近、お疲れですねえ、と言われる。それはもう、授業とか、生徒指導とか、事情聴取とか、めいっぱいパワーを出して、元気に振る舞わなければならない時以外は、出来るだけ虚勢を張らない、無理しないようにしているからでしょう。思えば以前は、無闇に、ばたばた明るく振る舞っていたなあ。まあ、年齢相応に、少し落ち着くことにしましょう。

 愛媛県越智郡菊間町だった故郷は今は併合されて今治市になっています。その今治市の広報、11月号が送られて来ました。14ページの立派な冊子で、その13ページ目の囲み記事の「輝くダイヤモンド婚カップル」というちょっとケバいタイトルで紹介されているのがうちの両親。

 市から結婚60年を食事会で祝ってもらったのは今年の夏で、20組ほどの夫婦が出席したらしいけれど、元教師夫妻ということでインタビューしやすいと思われたのでしょうか?9月に2回ほど、市の職員が村まで取材に来たとは聞いていました。

 昭和16年に同じ学校に新任として赴任、すぐ父は出征、終戦、帰国後、また同じ職場で出会う。結婚は昭和22年1月。並んだ写真は腰の曲がった母が父の肩までしかない。白髪の父はいつものようにめいっぱい胸を張って背筋を伸ばしている。

 記事の最後に、「喜びや悲しみを分かち合い、来年はおふたり揃って88才。子どもさんやお孫さんたちが、米寿のお祝いをしてくれるのが一番の楽しみだそうです。」

 プレッシャーです(苦笑)。

 その米寿祝いを大阪でやるべく準備も進めているのですが、宴会宿泊予定の施設には足も運び、何度も電話でやりとりしたのですが、あまりの融通のなさ、対応のええかげんさについに頭に来て、今日キャンセルしてしまいました。料理を相談して決めて注文すると、それは20名以上ですとか(それなら打ち合わせの初めから言うか、パンフレットに書いておけ!)、お祝いの掲示や幕は困ります、壁にも貼らないで、と制限だけうるさい。半公的な施設はサービスがやはりあきまへん。

 ちょっと余計にお金がかかっても、悔いのないように気持ちよくやりたい。あとひと月を切りましたが、なんとかがんばります。両親の米寿祝いが兄弟揃って出来るということだけで、なんと幸運、恵まれた人生であったことか。2年後の卒寿の祝いは、やれても、もう大阪では難しいでしょうから・・・。

 地下鉄あべの駅の入り口に、ここ数年暮らしていたホームレスの男性が昨日からいなくなりました。たくさんあったダンボールもバッグ類もない。再開発の一環でどこかの施設に移されたのでしょうか。それとも・・・。

 テレビで見た、旭川の老夫婦。昼は暖かい駅の構内で過ごし、夜はマイナス10を下回らないと暖房は入れない・・・。いろいろな人生があります。自分たちの30年後も読めません。

 うしろすがたのしぐれてゆくか

 どうしようもないわたしが歩いている    山頭火

2007年12月13日

『 君が手も まじるなるべし 花薄(すすき) 』   向井去来

 「花薄」は穂が出たススキ。ススキの向こうに手を振りながら去ってゆく君の姿。ススキも手も揺れる・・・。

 本とのめぐりあいー引っ越しの時に随分思い切って処分して、もう本は買わない(借りるだけにする)と誓ったはずなのに・・・地下鉄で文庫本を読了してしまい、後ろの本の紹介欄を見ていて、その中の3冊が急に欲しくなり、あべの駅で降りる。ところが古本屋は休み。ユーゴー書店に廻ると、なんと文庫本3冊ともきちんと、それも並んで(!)揃っている。ラッキー!思わずろくに確認もせず、買ってしまい、帰りの近鉄で早速読み始める。

 ところがどっこい、実はそのうちの一冊は以前すでに買って、読んで、図書に寄贈したものでした(苦笑)

 最近、ますます人の名前が出てこない。作家名や俳優名はもちろん、毎日会っている生徒、同僚の名前も出てこない。なんとか誤魔化して凌いでいるけれど、きびしい商売なら商談などで大変なことになるはず。もっと、緊張感を持って、名簿や写真を確認しながら、なんとかがんばらねば、と思っているのですが・・・。アルツハイマー症かなあ?

 浦和レッズとACミランの試合を見ながら・・・。レッズがんばったけれど、やはり力が違います。サッカーの歴史と層の厚さ、世界中から集まる人材の数、質からして違うのでしょう。

 新聞に10才からスペインにサッカー留学している日本の少年の話が載っていました。プロチームの下部組織の一員としてすでにプロ、生活費も学費もすべてチーム持ち。全世界から集まって厳しいセレクションをクリアした少年達は、厳しい練習に明け暮れる。相手にボールを取られてテレ笑い(日本人に多いクセらしい)をすると、すごく叱られるという。、きつい当たりに体中痣だらけ。

 彼は今12才で、家族から離れてスペインの寮で暮らす。人間としての成長や学問は?・・・その是非はともかく、世界のトップで揉まれて、たくましくなってゆくのは事実のようです。怪我や病気に気を付けて欲しいものです。 

2007年12月12日

 2年前に亡くなった義父の誕生日。赤飯を炊いて祝い?ました。亡くなって当面は命日に故人を偲び、やがて誕生日が祝われるようになるのかな?キリストは死んだ日(12月13日?)はイベントはなく、誕生日が祝われます。死に方によるのかな?作家などは命日にイベントが行われますね。あ、ジョン・レノンも命日(12月8日)にイベントがありました。


 最近こころに残った言葉

「いかに親子の中でも互いの算用あいはきっとしたがよい」ー「世間胸算用」井原西鶴
香川の親族3名殺害事件も金銭がらみでした。

「空が大地とひとつに、海が空とひとつに・・・」ー「オール・ツウ・ワン」幻の自衛隊応援歌ー読売新聞「編集手帳」
空と陸、 海と空・・・海上自衛隊と陸上自衛隊は?

「米陸軍の最大の敵はソ連陸軍ではなく米海軍」・・・冷戦時のアメリカのギャグ
 どこの国でも同じなのでしょうか?
 たしかに、故郷でも、漁村と山村は気風がまったく違いました。でも、最近、漁師と農家は仲が接近しているようです。海の豊かさは山に基づくという認識が拡がっています。庶民の方が先を行く・・・。それとも空は別格?

 月曜が怖い「サザエサン症候群」は有名ですが・・・

「Uターン症候群」ー職場が近づくと、冷や汗が出、動悸がして動けない
「朝刊症候群」ーしんどくて朝刊も読めない
「午前3時症候群」ー夜中に目覚めて、いろいろ考えて眠れない
午前3時に起きて、この文章を書いています(苦笑)

2007年12月11日

 木の葉 降りやまず いそぐな いそぐなよ  加藤楸邨

 先日の新聞記事に、三島由紀夫が学習院高等科1年の時に使っていた教科書から、「春の雪」の作品名と、主人公の姓が登場する古い歌謡のメモ書きが見つかったとありました。

 教科書は「東洋史概説」。それに挟まれていた半紙に、「松枝(まつがえ)挿頭(かざし)にさしつれば、春の雪こそ降りかかれ」と書き記していたという。出典の「梁塵秘抄」では「松枝」は「梅枝(うめがえ)」。

 「春の雪」の主人公は清顕(まつがえきよあき)。15才のメモが数十年を経て、作品に昇華する・・・ドラマチックな発見で、こころときめきます。

 三島は「松の緑」に「永遠」を、儚く消える雪に「滅び」を重ねていたという・・・。

 「豊饒の海」を月面のあの虚無の世界と知らなかった、愚鈍な読者です。

 「豊饒の海」の最終巻は「天人五衰」でした。永遠の命と美を持つ天人にも五種類の幽かな衰えが忍び寄るという・・・。

 フランス映画祭で来日中の美女、カトーヌ・ドヌーブ、歌舞伎界の至宝、坂東玉三郎、映画界の女王、岩下志麻さん、この三人が最近ちょっとだけ容色衰えて来ました。盛りを過ぎて、更に臈長けた美しさを醸していた人々にも神は平等に老いをもたらしてゆきます。ちょっと、安心しました。(自分の激しい老化を差し置いて・・・苦笑) 

2007年12月10日

 恒例の職員バザーを終えました。この職場で7回目。忙しい時期に、同僚に支えられて、今回も2万余の収益。中国の小学校へ絵本を、滋賀のサンタナ学園(ブラジル移民に子どもを預かっている無認可組織)に食器や衣類を送りたいと思っています。

 日曜日に足が痛い、しびれる、テニスの後遺症かと思ったら、なんのことはない、土曜日夜、滝谷不動で行われたテニス仲間の忘年会(座敷であった)で長時間、正座していたためと判明。胡座(あぐらー腹を圧迫するようで飲みづらい)より正座の方が楽なのです。でも7時から12時は長すぎました。みんなおもろすぎる。笑いすぎて腹も痛い。私は12時8分の最終電車で帰りましたが、代行サービスのタクシーを呼んでいたメンバーはもっと遅くまで騒いでいたらしい。すごい、パワーに感服。負けました。


 こんな夢を見た

その1

 時代は古いみたい。どこかの大きな家の奥の3畳間に妻(知らない顔)と娘(かわいいがこの子も知らない)と3人で下宿している。私は若い。ふすまを隔てた6畳に私より少し年上の主人と、その妻、両親と子ども二人の6人が同じく下宿している気配。いつのまにやら、ふすまはないも同然、廊下を使わず、両家族行き行きになり、テレビ(古い型)の問題やら、プライバシーやらで、悲喜こもごもの事態に・・・。

 そんな人生を送った可能性もあったのだろうか。

その2

 東北か北海道の山奥のホテルに家族で来ている。断崖に立った大きなリゾートホテルで天井まで窓ガラスで覆われている。外は大嵐。小さな竜巻が何本も立って、目の前を通り過ぎる。私は外交関係の仕事で、その朝まで海外に出張していて、やっとホテルに辿り着き、家族と合流した様子。妻と息子(まだ小さい)と窓の外を眺めている。

 2大政党の集会がホテル内のそれぞれ宴会場で開かれていて、その両方に呼ばれているらしい。微妙な立場。また、スーツに着替えて出かける。海外(東アジア?)での活動の報告を求められるが、それぞれ報告した内容は作り事で、実は内閣府から別の密命を帯びていたらしい。両党の合同会議となり、私の胸には「評議員」の札が。そのコーナーには20名ほどいる。中に昔の同僚(大先輩○先生)の顔が見える。

 窓の外の嵐は続いている。趨勢は与党に傾く。その時私はなぜか立ち上がって、この時点で評議員一同は退出する旨を発言して、驚く人々を後目に先頭で会場を出る。そして泥だらけの山道をロープウエィ乗り場に向かって登ってゆく。Z先生と顔を見合わせ苦笑する。知り合いの誰かが追ってくる・・・。

(○先生はもう80代のはずなのに夢の中では50代。それに私の家族は?こんな人生はなかっただろうなー笑)

2007年12月9日

 前に紹介しました羽曳野商工会館のお別れの会が市民有志の手で本日開かれました。午後に覗いてみました。老朽化、耐震構造にも問題があって、保存はできないそうで、来春取り壊しの予定。

 商工会はすでに移転して、ここ数年、ずっと閉まっていたので、今回、初めて建物の中に足を踏み入れました。木造洋館で以外と狭い。急な階段の手すりの装飾にもレトロな味わい。一階では写真展、二階で古市の芸能、市民楽団の演奏などの催し。戦前の写真では古市東地区はやはり密集した地区で、古市駅舎は平屋、駅西側の白鳥(はくちょう)地域(今はすべて住宅地)はずっと田園地帯で古墳がその中に浮かんでいる・・・。

 一階の入り口に寄せ書きのコーナーがあり市民の惜しむ声が綴られている。

 ドアノブに  明治の冷えや  漱石忌

 誰かの書き付けた句。こんないい句をさっと詠う人がいるから、この町は侮れません。駅の東側の古い地区をどう考えてゆくか、行政だけでなく「市民で考える会」もあるのですが、開発を急ぐより、貴重な町並み保存も検討してゆきたいものです。世界遺産への申請は国内ライバル?が12件。来年夏、正念場を迎えるようです。

 夕方、駅西側のグルメスポット(結構おいしい店があります)の中で行ったことがなかったイタリアンへ。こじんまりした店構えだけれど、ピザがめちゃおいしかったので大満足。家族3人で、パスタ、リゾット、ピザを一つずつ注文して分けて食べるのがうちのやり方です。

 帰りに寄り道して駅前の路地へ。馴染みの店「T」が閉まって、

「貸店舗」の張り紙があるのでショック。10月から忙しくて顔を出していなかった!隣のスナックに飛び込んで事情を訊く。先月の末に止めはったらしい。

 名物ママがいて、女医さん、画家、市役所職員、大工さん・・・多彩な常連さんが出入りして長年繁盛して、それこそ「夜の商工会議所」と呼ばれていたのに・・・。

 嫁ハンのコンサートにも来てくれた気さくなママさんとは、夜中まで話し込んだこともしばしばでした。気っ風のいい人で、やっかいな客に啖呵を切った現場にも何度か居合わせました。閉店するなら電話一本くれたらよかったのに。店じまいの手伝いくらいしたかった。急になにかあったのか心配です。

 今日は漱石忌、そして開高健の命日でもあります。年賀の喪中欠礼が今日も届きました。12月は人の世の有為転変、無常が身に沁みる月です。

2007年12月6日

 信じられないようなトラブルがいっぱい続いていますが、なんとか生きていけるものです。

 朝、あべの橋から地下鉄の駅への狭い路地を急ぎ足で歩いていた時、後ろから駆け足で誰か迫ってくる気配。路地が途切れる直前、追い越すには狭い道だったのでどちらも歩調を緩める、途端にいつも車が通らない前の道を猛スピードで車が通り過ぎて行きました。あの時遅れなかったら、どちらかが事故に遭っていたでしょう。後ろから来て顔も見なかった若い男性も、今頃今朝のことを思い出して胸をなで下ろしているかなあ。小さなことと忘れ去っているかも。人生は小さな幸運や不運の積み重ねなのでしょう。


 板坂 元さんのエッセイから

 明治の元勲、松方正義は蔵相、首相を歴任した多忙の人。ある時、明治天皇から「その方は子どもが何人いるか」と尋ねられ、しばらく暗算、「いずれ、取り調べて報告申し上げます」。正妻満佐子さんの他、愛人が20数人。子どもと孫の数は百数十人にのぼるとか。「伝」には子ども19人となっているが、愛人に生まれた幼い子どもは孫として入籍しているという。(三男の浩次郎が「松方コレクション」の主、13番目の息子の娘がライシャワー駐日大使夫人のハルさん)。

 明治天皇は、その後もたびたび子どもの数を質問して松方をからかったらしい。

 日露戦争の際、広島に大本営が設けられたが、伊藤博文ほか重鎮はみな夜遊びに忙しく「マジメなのは明治天皇だけだ」と噂されたという。


 おおらかというか、ええ加減というか、厳しい身分社会の残っていた時代というか・・・明治は、はるかかなた。いよいよ初ドラマ化される「坂の上の雲」ではどのように描かれるのでしょう。

 昭和30年代が「よき時代」もてはやされていますが、これも微妙。貧しくても明るい未来があったというが、その前に徹底的な破壊、200万を超す死者を出した時代があったのを抜かして考えてはいけないと思うのです。 

2007年12月4日

 近隣の由緒ある建物が次々消えてゆきます。あちこちの印象的なお宅はもちろん、ここ数年でも、道明寺の赤煉瓦のサントリー工場、藤井寺球場、極めつけは古市の「銀屋」(江戸時代の両替商の豪邸、まっすぐ東進してきた竹之内街道もここで迂回している)。建物ウォッチャーとしては寂しいかぎり。

 その竹之内街道と東高野街道の交差点、さしずめ昔の銀座4丁目にあった、「古市商工会館」がこの度取り壊されることになって、今度の日曜にお別れの会がある由。風情のある街並みの趣ある建物が次々壊されて、普通の家になってゆく。オモロナイ!

 立派な新しい会館やホールもいいけれど(使いようがなくて遊んでいる)、貴重な文化財を残す道はないものか?「銀屋」の重厚な舟板塀はもうどこにもない。跡地にはどこにでもあるような建て売り住宅が20軒。

 莫大な金と50年の時間が欲しいなあ。町ことすべて買い込んで、保存して、じっくり町おこしをしたい。村おこしも。

塩野七生さんの文章から

 例えば、イエスは、信ずる者こそ幸いなれ、と言った。私も、信ずることで心の安定を得ることは大事なこととは思うが、なぜ、と問いかける姿勢は捨てることが出来ない、貧しき者こそ幸いなれ、というイエスの優しさはわかるが、「貧しいことは恥ではない。だが、貧しさに安住することは恥である」としてペリクレスの方に同感なのだ。ー「ローマ人の物語」

 共感します。そして塩野さんだから、書けたローマの歴史なのだと思いました。 

2007年12月3日

 週末、黄葉した県境の山々が見事でした。例年より遅かったけれど、その分、色合いは深かったと思います。カエデ等の赤はイマイチでしたが、黄葉は鮮やか。夕陽に映えた葛城、二上、信貴、生駒の山々の美しさは圧巻で、しばし見とれました。

 NHKで秩父の過疎の山村の暮らしに5年間密着したドキュメント「秩父山中 花のあとさき」をやってました。もう、農業が出来なくなった老夫婦が「畑を山に返す」為、自分の農地に花木を植える。その数、一万本。自分たちがいなくなって、村がなくなっても、春に旅人が花咲く山の美しさに足を止めるだろう・・・取材の間に夫を失ったおばあちゃんはまるで詩人のようです。

 こつこつと冬の間の山仕事をこなす老人達。神社も修理して正月を迎える。家々の総領が集まって、社の近くの日だまりで酒を酌み交わす。迎春儀式も簡略化。

 春になって、花々が一斉に咲く。町の三男宅に引き取られていたひとり住まいのおばあちゃんが帰ってくる。でも、なかなか坂を上れない・・・。先を歩く息子との間が開いてゆく。

 もちろん、四国の故郷の村にだぶらせて見てしまいます。同じく過疎の村。老いて病んでゆく親たち。定年近い自分はどう動くか・・・。

 閑話休題。千葉でこのHPを見てくれている従兄弟のKクン。昨日の記事で心配して、母のことを九州の叔母さんに連絡したらアカンよ。すぐ電話が廻って、最後に僕が怒られるんやから。それより、いつも君の携帯、留守電やから、そっちの方が心配です。仕事、忙しいと思うけれど、たまには返信おくれ。そんで、お歳暮はもういいからね。いくら20年前に大阪で学生生活を送って世話になったからといって、もう十分お礼は済んでいるよ。


 俳人の長谷川櫂さんの文章からー

 半年の長旅に誰か一人、お供を連れてゆくとしたら、どんな人がいいだろうか。「奥のほそ道」の旅に出発するとき、芭蕉もそんなことを考えたかもしれない。

 謹言実直な去来では肩が凝りそうだし、蒲柳の質(菅注・病弱のこと)の丈草は白河の関までも、もちそうにない。かといって、才人の其角ではこちらが気疲れしそう。お荷物にもならず、お荷物とも思われず、旅の日程と収支をきちんと管理できる健脚の人。

 白羽の矢が立ったのが曾良だった。芭蕉より五つ若い四十歳。血気にはやるほど若くはなく、世間のしきたりも心得ている。話し相手としてはやや面白みには欠けるが、長い間一緒にいても苦にはならない。何よりも信頼できるまじめな人柄がいい。(中略)

 その忠実な曾良も、さすがの長旅、加賀の山中温泉でおなかをこわしていまい、芭蕉を残して先に旅立つことになる。

 行行(ゆきゆき)て たふれ伏すとも 萩の原

 たとえ、どこかで行き倒れるとしても、今を盛りと咲き乱れる萩の花のもとで死ねるのなら、それも本望です。ここまでの長い道のり、先生のお供をしてきて、その覚悟はできていますというのだ。これも「一物仕立て」(注・ひとつのことを詠む。ふたつのことを組み合わせて詠む「取り合わせ」に対していいます)だが、曾良らしい真情あふれる名吟。

 味のある文章です。優れた弟子をたくさん持った芭蕉です。

そして、でも ・・・ 『この道や 行くひとなしに 秋の暮れ』  と詠うのです。

 野球の日本代表が北京への切符を手に入れる。昨日からいい試合でした。選手達もいい顔していました。羽曳野出身、ダルビッシュ君(息子達の中学の後輩にあたりますが)もこれで少し大人になれるかな?

2007年12月2日

 前に書きました、「3人のダークダックス」の件、調べてみましたら、テナーのパクさんでなく、セカンドテナーのマンガさんが2000年から病気療養しているとありました。もう7年になるのですね。

 ついでにあれこれ見ていたら「ドリカム」の吉田美和さんのご主人、イルカさんのご主人が亡くなっていたことを知りました。

 先日放映されて評判を呼び、即再放送されたNHK特集の「吉永小百合とその母」。お母様は先年、90過ぎで癌で亡くなられたらしいけれど、最後は検診も治療も拒否されて逝かれたとか。長い確執があったと伺っていたけれど、最後は小百合さんが仕切って卒寿のお祝いをして差し上げたそうです。

 来年早々に予定している我が両親の米寿の祝い、無事に行えるか心配になってきました。今夜の電話の反応がいつもより更に曖昧だったのです。耳が遠いこともあるのでしょうが・・・。

 日経新聞連載の人の黄昏を描いたシリーズ。沢村貞子さんは亡くなる半年前、親しかった黒柳徹子さんの「徹子の部屋」(17回出演)に、黒の羽織で出演、帰りの車中で、これで全部終わったねえ、と呟く。その後、ご主人(大橋恭彦氏)の3回忌を済ませて、もういいわ、と食事も摂らなくなって、医者も拒否して亡くなった由。一種の覚悟の自殺かも。87才。自宅で死去。

 今日の記事は、99年に自殺した江藤淳さん。妻を亡くし、自身脳梗塞になり、リハビリして復帰していたが、その日原稿を貰いに行った編集者に、原稿の調子が以前と変わっていないか何度も訊き、自分は江藤淳の抜け殻ではないかと呟いたという、痛ましい。

 どうやって死んでゆくか。後半生の最も大きなテーマです。

 朝青龍の会見がトップニュースになるなんておかしいと思います。

 大相撲の史上最高齢力士、「一ノ矢」が九州場所で引退しました。序2段。46才。最高位は3段目で関取にはなれなかったけれど、相撲を愛し、24年間現役を続けた。琉球大学理学部出身、最後の取り組みは26才下の相手だったそうです。写真で見ると白髪が混じった髷も後退気味。体も酷使したことでしょう。

 今後は高砂部屋のマネージャーになり、元雑誌編集者の女性と結婚予定とか。幸あれかし。



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