Kan-Kan の雑記帳


2007年2月27日

 入試の採点、学期末とばたばた忙しい時期ですが、やりくりして後半休暇を貰い、友人の人形劇団、カッパ座の新作の公開リハーサルに駆けつける。

 ずっと名作童話を脚色したものを中心にやってきたのですが、近年新作(「天のたまご」題名イマイチです)に取り組んでいます、その心意気やよし。安定した動員が見込まれる名作と違って、オリジナルは初期の観客の評価が大事。昨年から取り組んで、年末に完成、1月からプレビューを続けて、今日がドレス・リハーサル。

 まず、その作品に懸ける彼(演出・65才)の情熱に圧倒されました。アイデアはもちろん時間も手間も、そして苦労して金もずいぶん掛けている。5つのスクリーンを駆使、黒子やリモコンヘリまで使って、客を飽きさせません。子供相手だからこそ、しっかり丁寧に作る、その姿勢に感動しました。でも、これは彼の体調が悪い事とも無関係ではないかもしれません。病気をいっぱい抱えて、いつ倒れてもおかしくない、その現状がこの鬼気迫る演出に繋がっているのかと思うと複雑な思いもありました。

 一昨日、アカデミー賞の事を書きかけて、うっかり半端のままに送信してしまいました。あのとき作品賞は・・・「バベル」かなあ、と書くつもりだったのですが、蓋をあければ「デパーテッド」でした。前哨戦と言われたゴールデングローブ賞で「バベル」が獲ったのですが、その後揺り返したみたいです。

 また、「硫黄島からの手紙」が無視されたというより、ここのところ一人勝ちの気配だったイーストウッド監督から、いつもその後塵を拝していたスコセッシ監督にアカデミー会員(jハリウッドの俳優、スタッフ、製作者たち)が報いようとしたというのが流れではなかったでしょうか。とにかく、一段落したら映画を映画館で見まくりたい。

 助演男優賞の本命とされたエディ・マーフィが外れて、アラン・アーキンが受賞。アランは私が10代の頃から、個性的な俳優として地道ながら活躍していました。30年余を経て、3度目のノミネートで初受賞。

 その他の賞はほぼ予想通りだったみたいです。でも、エディもこれで復活、助演女優賞を受賞出来なかった菊池凛子さんも評価を高めました。いろいろ言われてもアカデミー賞の功はあるのでしょう。菊池さんのドレスはシャネルの黒の綺麗なラインのものでしたが、個人的にはゴールデン・グローブ賞の時の、ピンクのボンボンドレスの方がよかった! 

2007年2月25日

 23日、入試。今年は作文の採点に当たっていたので、考査当日の昼前から軟禁状態で読み続ける。判読しなければならない文章やワンパターン多し。稚拙でもいい、自分を出してほしい。疲れました。きらっと光るいくつかの文章が救い。おそらく入ってくるだろうその生徒達にいつか巡り会うのが楽しみです。

 北風の強い土曜の午後。2週間振りのテニス。こわごわ臨んだけれど、まあ、なんとかこなせました。足を庇って、慎重に、丁寧にやったから却ってよかったという皮肉。

 夕方から教え子の結婚式でナンバへ。前日、誤情報があり、パーティルームで親族の出ない、女性も少ない砕けた2次会のノリと聞いていたのに、行ってみたらホテル宴会フロアのど真ん中の堂々たるホールで、着飾ったきれいな女性もいっぱい。豪華なシャンデリア。高い雛壇。司会もプロが控えている。焦って、一緒に行った教え子とUターン、ホテルの前の居酒屋でまず一杯。気合いを入れ直し、用意していたスピーチを急遽変更して臨んだけれど、本番はメロメロ。それなのにスピーチのお礼の焼酎(鹿児島・芋)まで用意されていて、新婦から手渡されました。それで、この日も深夜まで大反省。

 それにしても、教え子である43才の新郎は、働き盛り(医療関係)で、人脈も広く、人生の最初の峠にさしかかった風情。堂々として自信に溢れ、高砂の壇上から大声でパーティを仕切っていました。でも、もう「新郎」とは言えない雰囲気。もうちょっとういういしい感じがあってももよかったなあ(苦笑)。ガセネタも彼の仕掛けの一部だったようです。わざわざスーツをブレザーに着替えてきて戸惑っている人もいました。こういう遊びが出来るのも、年をとっていればこそ。

 4才下の奥さまは、小さな赤い薔薇を連ねた髪飾りに、同じ真っ赤な大きな薔薇のブーケ、そして淡いピンクの裾の長いストラップドレス。可愛い。けれど、しっかりしたダンナをさらにしっかり掴んではる感じ。おもしろい家庭になりそう。奥さんは仕事を辞めて、子づくりに励む態勢の様子。

 スピーチがすべったお詫びに新居を襲おうと思っています。

 明日、アカデミー賞授賞式。見ていないけれど、


印象に残った言葉 (2月25日記)

 「沈黙は金曜日」永 六輔 編 から

 「伝統が生き残っていくためには変わらなくっちゃ。だって人が変わってるんだもん。変わらなきゃ残らないよ」

 「機械と道具とどこが違うんだと言われてもねェ。道具のように使いこなせないものを機械というんじゃないでしょうか」

 「看板出さなきゃ仕事が来ないような職人は一人前じゃねェんだって育てられましたけど、看板は出しています」

 使いこなせないのが「機械」か・・・ナルホドなあ。  

2007年2月23日

 入試。疲れた一日でした。監督と作文採点で、頭がボーッとしています。

 これからどうなるんだろう・・・?

 帰りにふらっと寄った馴染みの居酒屋で、生けてあった木瓜の花がきれいでした。


最近知った言葉

 「アンダー・ザ・ローズ」 ・・・ 秘密に 内緒で

 「薔薇曰く 我を守るものは 棘にあらずして 匂い」

 薔薇はやはり、特別な花だと思います。秘密、エロス、企み、女・・・・。

2007年2月22日

 例の考査受験に鉛筆を持ってこなかった生徒。どうしてるかなと彼の受験教室を調べてのぞいたら、いない。また遅刻か、と思ったら、喫煙で捕まって、別室受験しているという。よかった。

 よかった、というのは、これでしっかり受験できて、点が取れるからです。以前は事件を起こすと即、停学に入って、受験も出来ず、それで卒業が消えたなんて例もあり、教師側もハラハラしていたのですが、近年は「定期考査を受験する権利」とやらも謳われ、考査中は停学も凍結、登校させて別室で受験できます。

 事件で厳しく注意され、気合いも入って緊張して受験すれば、点もいいはず。もちろん筆記用具は持参。だらだら受けて欠点を取るより、こんな形で受験して単位を取ってゆくほうがいい。そんな生徒も結構います。皮肉なものです。事件をきっかけに、生活を立て直す生徒もたくさんいるのです。その為の訓告、停学などの懲戒があるのですから。もちろん事件を機会に、学校から遠ざかってしまう生徒もいますが・・・。

 考査は今日で終わり。採点、成績処理をしつつ、明日の入試準備。並行して卒業式の準備も。学校は年で一番慌ただしい時期です。

 何カ国かの受験生、車いすの受験生、帰国生で日本語がまだ不自由な受験生ための時間延長、過年度の生徒のための小論文試験、これらを一気に、一日でやるのです。

 いろいろな形があるのはええことだと思うのですが・・・インフルエンザの受験生もいます。これも「受験する権利」ですね。もちろん別室。他の受験生への配慮はあるのですが、監督の教師は逃げられません。去年は私でした(苦笑)。どうせなら今年も代わってあげたかったけれど、採点の関係でそうもいきません。監督の先生の無事を祈ります。

2007年2月21日

 二日続けてのおだやかな朝。7時直前に朝日が昇りますが、その前の朝焼けが美しい。前の家も居間は東向きだったけれど、マンションなどに遮られて見られなかった東雲の空を、今はマンションから存分に見られます。なんや申し訳ない気分もありますが・・・。

 昨日は珍しく、石川端に薄氷が張り、霜が降りていました。でも、空には今春初めての雲雀の声。美空ひばりとはよく付けた名前です。でも本家?の雲雀には迷惑かも(笑)。裏声を駆使する驕慢な大歌手(個人的には歌はスキ)より、可憐で美しいのが本来のひばりの声です。

 石川と大和川が合流するあたりは水量も増して水深もあり、ちょっと大河の風情。川端に真新しい花束があるのは、ここで遭難した人のためのものか。数年に一度、川遊びの少年などが水死して新聞記事になります。

 昨夕、帰宅中に大和川堤に走りあがってきた青年。手に紐を持っている。そのまま川に向かって走り降りて行きました。その直後、住宅地から猛烈な勢いで走り出して来た大きな犬。堤に登ったものの、どこへ行ったらいいのか分からないらしく、すごい勢いで迷走している。お前、ご主人も分からんのかいな、見かねて、自転車を停め、走っている犬に人間の言葉で「オイ、オイ、ご主人はあそこやろ?」と2,30メートル先の水際でなにかしている青年を指差すと、なんとわかったみたいで、尻尾を振りながら一直線に堤を駆け下りて行きました。

 嗅覚はあかんのに、言葉がわかるなんて・・・あいつには犬としての自覚がないのでしょうか?そういえば、最近、「家族の一員」として可愛がられるあまり、自分を人間と思い込んでいて、犬仲間を恐れる犬が増えていると聞きました。

 今朝は昨日より暖かく、ひばりの声も更に高し。

 時は春、日は朝(あした)

 片岡に露満ちて

 揚げ雲雀名乗り出で・・・

 まさにブラウニングの世界です。数百年経って、人も雲雀も変わっても、情景は変わりません。湿布を外したのでペダルも軽い。いい気分の通勤。

 でも、楽しみの長原の駅近くのベランダのウグイスは鳴いてくれませんでした。これで8分の5。

 今日の考査監督は車椅子の生徒。別室で倍の時間(90分)を掛けるので、こちらもトイレに行ってから臨みます。問題、答案用紙は拡大してA3にしてあるのだけれど、視野が極端に狭いので、プリントに1センチくらい目を近づけて読むので、すぐに問題の箇所を見失う。傍線部2はどこですか?と言われて、ここやで、と指差して教えるのですが、つい答えを言ってしまいそうになる(アブナイ、アブナイー苦笑)。文章全体から使える左手だけで、ゆっくり書くしかないので5倍以上の時間がかかります。90分で全体の3分の一まで行かないくらいです。

 でも、彼はがんばりやで、皆勤、プリント提出も出来る範囲で全部出しているので、平常点は、ばっちりあり、欠点がつくことはありません。

 しかし、今日の監督で、もっと彼の視力や、視野の狭さ、書く速さに応じた問題を作らなければ、と改めて感じました。深く反省。

2007年2月20日

 「松坂屋」について早速親切な友人からメールあり。百貨店のHPより、インターネットで百科事典を引いたらよかったのですね。それに私は「松坂」と「松阪」を混同して使っていました。

 友人に教わったページで「松阪市」引いてみると

 「1889(明治22年) 町制施行。この頃に表記が「松坂」から「松阪」になる。」とありました。

 「大阪」がかつて「大坂」であったように、表記も変わってややこしい。レッドソックスのゴールデンルーキーは「松坂」ですね。

 足の捻挫がだいぶ回復しました。腫れと痛みが引いて、今は内出血が赤紫から青紫に変化、拡散して消えつつある状態。足の甲なのに指のほうまで及んでいます。 紫陽花みたいに美しい足やで、見る?と誘うのにみんな嫌がって逃げる。息子など、臭いおっさんの足なんかいらん、とにべもない。確かに臭い。毎日湿布を換えてくれる整骨院の先生(休日は嫁ハン)に申し訳ないので、浴室で苦しい体勢で屈んで、包帯から出た部分を朝夕洗うことにしています。来週にはテニス復帰予定。

 最近、毎日借金取り立てのような仕事もしています。卒業式まであと20日なのに、授業料や諸費がまだ納まっていません。払ってもらえないと、成績や出席はOKでも、卒業できません。やっと年次全体であと6人まで漕ぎ着けました。でも、まだ保護者に連絡が取れない家も。電話がない、あっても電話を受けてもらえない・・・。4年間で24万円以上溜まっている生徒もいます。必死でバイトして20万貯めました、あと少しという生徒もいます。事務室と相談しながら、なんとかひとりでも多く、卒業式に出してやりたい。

 それにしても、どこが好景気なのでしょうか?わけのわからない格差が知らないうちにどんどん広がってゆきます。

   朝、昼、食事を抜いている生徒もいます。

   昼ごはんをガマンして、ケイタイに耽って何万も使う生徒もいます。

   卒業旅行は彼とサイパンという生徒もいます。

   うちの馬鹿息子もエヴァンゲリオンで4万負けた、3万勝ったと言っています。

 同僚が中庭に落ちていた一円玉3個を拾ってきてくれたので、5月のバザーの収益金に入れようと、貯金箱を作りました。

 同僚が授業(「国語表現」)で生徒に作らせた「いろはカルタ」が面白い。一部を紹介します。

   いーイナバウワーは腰を痛める

   ぬーぬかずけをしてみようかと思うこのごろ

   ほー本気というより精一杯

   わーワクワクした日が思い出せない

   かー母さんは鬼嫁

   ぬーぬるい英語のテスト96

   なー涙もろくなった父

   とー年を取ると出来ないことが増えてくる

   ら−楽でさぼれる仕事がしたい

   らー乱暴な授業内容や、ある意味で

   おーおかんの実年齢、いまだ謎

   みー民主主義の仮面を被る日本

   めー迷路のような人生

   こーこの年でやっと親に心から感謝

   むー向かい風でも、たどり着く

   ゆーゆっくりのどかな人生にも金が要る

   しー自分いったい何したいん?

 めちゃくちゃな生活している者も多いけれど、感性はまだ廃れていない。ちょっと安心しました。

2007年2月19日

 快復を一家で祈っていたのに・・・。東京常盤台(その近くに学生時代住んでいました)の巡査さん。踏切で女性を救おうとして犠牲になられました。美談に納めてしまってはいけないと思うけれど、殺人いじめ賄賂汚職の横行する殺伐とした世の中に鐘をならしたのは事実です。

 今日も、大阪の地下鉄で線路に落ちた女性を救おうと飛び降りた駅員がいました(こちらは二人とも無事)。常磐台の線路に入って、巡査に救われた女性、今日の地下鉄の女性(携帯を使いながらプラットホームを歩いていたそうですが)は今後、人の命の、誠意の重みを背負って生きてゆくべきでしょう。

 今回、息子も悲痛な顔をしていました。私も覚悟をしています。

 阪神、阪急も驚きでしたが、大丸と松坂屋の経営統合もサプライズでした。これで一気に高島屋を抜いて百貨店業界の最大手になります。百貨店業界って僅差で鎬を削っているのですね。ビール業界も銀行もすべてなんでもありの様相です。

 大丸は1717年、呉服屋「大文字屋」として、松坂屋は1611年に「いとう呉服店」として創業。共に大阪、名古屋の老舗だったのですね。「大文字」→「大丸」は解りますが、でも「いとう呉服店」がなぜ「松坂屋」に変わったのか知りたいなあ。HPにも載っていない。歴史ある店なのだから、社名の由来くらい載せてもいいのに・・・。

 名古屋出身の同僚に訊いたら、即、わかりました。「伊勢・松坂の出身だからですよ。」ナルホド。ちなみに「いとう」は「伊藤」で「勢」出身の「原氏」ということだそうです、加賀の藤原が加藤ですね。あれ、伊予の藤原は?

 先週、考査になにも持って来ず、私が鉛筆を貸してやらなかった生徒。今日はシャープペンシルを持って来たそうです。でも、また、遅刻したそうですが・・・。ま、一度にすべてはできません。

 PPM(ピーター・ポール・アンド・マリー)は中高時代に親しんだフォークグループです。悲惨な戦争、虹と共に消えた恋、は今も即、唄えます。そのピーターさんの新曲は「ソング・フォー・メグミ」。悲惨な拉致事件の解決への追い風になってほしいものです。年を加えてゆかれる横田ご夫妻の表情が痛ましい。 

2007年2月18日

 一年の締めくくりの期末考査の採点の楽しみのひとつに、生徒が答案の隅や裏に書いてくれるひとことがあります。もちろん、解答を書き終えて余裕があるか、諦めた(?)生徒の場合ですが・・・。

 その中に、昨年転校してきた女生徒の文章。

 「転校してよかった。私は以前は、教師をはじめ大人全部に対して強い不信感を持っていました。大人はずるい、教師も最後は自己保身に走って逃げる、と思っていました。転校してきて、その考えが変わりました。○○先生や先生からいつも『どうしたん?』と声を掛けて貰って(注:私は声は掛けたけど、どう言っていたか憶えていませんー苦笑)、友達や先生達と一緒に文化フェスティバルに手作り参加して(注:うちの学校はクラス単位の参加でなくグループを作ってのエントリー制です)楽しんでいろいろ活動いるうちに、いつの間にか教師不信がなくなりました。人は信用できるんだと思います。それだけでも本当に転校した甲斐がありました・・・。」

 彼女は、もともと意識の高い子でしたが、責任感が強く、頑張りすぎて、孤立して自分を追い込んでしまうところがあったようです。来月、無事卒業、専門学校に進学します。卒業式準備委員にも立候補してくれて、コサージュなどの段取り、花屋さんとの交渉を任せているのですが、見事な手配振りです。

 いろいろ重たい事もあるけれど、こんなこともあると、うれしくなって、やはり教師という職業はいいなあと思うのです。

 今日は旧正月。春節ですね。昔は「寒餅」と言って、この時期にたくさん餅を搗いたことを憶えています。寒い時期なので餅が長持ちするのですね。年のせいか、旧暦をもっと大事にしたらいいように思います。

 同僚の父上が逝去。通夜に。肝臓癌。74才とか。うちの両親の一回り年下。お若い。帰りに同僚達といつもの居酒屋に。こういう時の酒は「献杯」と言って飲むことを教わりました。


エンターテイメントあれこれ(2月18日記入)

 日本アカデミー賞。今年の候補作をほとんど見ていないので(自称映画ファンが恥ずかしい)なんとも言えませんが、順当な結果と言われているようです。作品賞の「フラガール」は制作が大手ではないので、上映期間も短く、11月に梅田ガーデンシネマへ駆けつけた時は満席でした。アンコール上映を望むところです。中谷美紀さんは主演女優賞にふさわしい装いでした。助演女優賞の蒼井優さんも爽やかでした。でもちゃんとスピーチしてほしい。壇れいさんもきれいでした。


来る人

 「題名のない音楽会」で見た、ミッシェル近藤さん。はじめ女性かと思いました。ピアニスト。堂々たる体躯、濃い化粧、光るドレス、全部の指に重そうな指輪・・・ニューヨーク、ラスベガスで活躍後、ギリシアのオナシス一家の専属ピアニストをやっていたそうです。姿あさとさんと華麗な競艶をしていましたが、演奏は華やかだけれど、ちょっと軽い感じです。

 ところでこの番組って4パーセント位の低い視聴率らしいですが、この長寿番組で出光石油が得た企業イメージは得難いものなのだろうと思います。

2007年2月17日

 期末考査期間中です。近年無気力な生徒が増えてきて、昨日も、ゆっくり考査に遅れてきて、手ぶらで入室して、「鉛筆貸して!」(「下さい」はありません)。貸してやりませんでした。親が怒ってくるかな(苦笑)。

 学校に来ようという気はもちろん、卒業の意欲も感じられません。以前は学校や授業はイヤだけど、卒業だけはしたい、という生徒がかなりいたものですが。親が行け、行ってくれというから来てやっていると公言する者もいます。

 保護者も卒業は諦め、近所や親戚の手前、3年間だけ学校へ行ってくれという方もいます。

 授業料や、(減免の生徒も多いので)税金がもったいない。そのような生徒で奨学金を貰っている生徒も多い。貰っていることを本人が知らない場合もあります。もちろん返還率が悪いのは当然。それが会計を圧迫し、本来貰うべきところに廻ってゆきません。

 勉強したくても出来ない、学校へ行けない人が世界中にはいっぱいいるのに・・・。

 学校に行けない、また文具がない中国の貧しい農村部の小学校に援助しながら、日本で、環境は整っているのに登校しない生徒に電話やメールで「学校に来いよ」と毎日声をかけ続け、鉛筆を貸してやらない自分・・・。

 休日の朝はうれしいものです。今まで9時頃まで朝寝することが多かったですが、最近は年のせいか(前夜の酒のせいか)更に早く目覚める。いつもより早く5時過ぎに起きると、これがまた気分がいい。一日を十分使えるという予感。夜が明けるのを眺めながら、パンを焼き、ジャムは杏、そしてミルクティとリンゴ。朝風呂。それでまだ7時。溜まった新聞も本もゆっくり読める。ビデオも見られる。これから朝寝はやめてこれでゆきます。

2007年2月15日

 貧困は厳しい。おだやかで明るかった少女の相がわずかの間に暗く引きつったものに変わってゆく。母子家庭で苦労してきたのに、お母さんがまた親戚の借金を被ったらしい。進学も諦め、バイトに明け暮れ、学校は半分休み、笑顔が消えて、呼び止めても、忙しいから!と取り付く島もなく早く帰ってしまう。なんともしてあげられないのが辛い。あと少しで卒業なのに、残りの授業料や諸費を払ってもらえなければ、卒業も出来ません。もういちどお母さんと話してみよう。

 捻挫による足の腫れは大分引いてきました。来週はテニス可能かな?患部より脹ら脛とかその周辺が痛みます。きっと無理をした歩き方をしているからでしょう。帰りに行きつけの整骨院に寄って足を揉んでもらう。気持ちいい。ついでに無料で湿布もしてくれる。流石プロ。包帯の巻き方が違って、足首を微妙に固定。歩くのがぐっと楽になりました。

 ビリー・ジョエル(57才)の14年ぶりの新曲は2004年に再婚したケイティ・リーさんへのプレゼントだとか。ちなみに新婦は25才のタレントさん。

 ビリーは前妻のクリスティさんにも歌を捧げています。題名は「アップタウン・ガール」。「高嶺の花」という意味でしょうね。意味深。

 最近、朝食には田舎の伊予柑と、友人から送られて来た林檎、ジョナゴールド、おいしい。柔らかくて癖がない。お茶は「ダッタン蕎麦茶」。香ばしくで、お薦めです。日の出がだんだん早くなってきて、ちょうど6時半頃に居間から見える二上山付近から陽が昇ります。朝風呂と果物と朝陽、それにミスマッチですが朝粥で気合いを入れて出勤しています。

2007年2月14日

 正月も過ぎた、こころ新たにダイエットに励もうと、自転車で通勤、13日はそのまますぐにテニスのレッスンに。汗をかいて更に痩せようといく魂胆。体があたたまった頃に、ゲーム開始、その第1ゲームでハイバックボレー(これ苦手)をしようとして、左後ろへ跳んだら、足下に違和感、転がってきたボールを踏んだのです。グニャと足首が曲がって、そのまま転倒。

 結局テニスは出来ず、寒さに震えながら(湿布をしているから余計に寒い)仲間のプレーを見て、空しく、帰宅。今朝は6時過ぎに同僚に車で迎えにきてもらって出勤。忙しい日だったので、足を引きずりながらばばたばたして、昼ご飯は抜きで、夕刻やっと近くの病院へ。ところが、水曜午後休診の札。

 結局また別の同僚に送ってもらって、自宅近くの病院へ。レントゲンの結果、骨に異常はなし。まだ大きく腫れているので、腫れと痛みが引くまでテニスは禁止だよとイケメンの若い医師が冷たく言い放たれる。2,3日ですよね、と問うと、まあ1,2週間やねと、これも冷たいでも、迫力ある言い方。最後に、運動は体にいいからがんばりなさいねと言われても・・・。春一番に吹かれながら、とぼとぼ歩いて帰る。

 結局ヤケ酒を飲んで、体重がまた増えている様子。もう自棄だ。バレンタインにいただいたチョコ(一応ウチには男3人いるので、ジャニース事務所のトラック3台分とはいいませんが、それなりにー笑ー)を味見しまくる。今年の嫁ハンからのチョコは苺の先にチョコを塗ったもの。八百屋さんで買ったそうです。苺はアマオウ。ちょっと酸っぱい。


奈良へゆくなら(2月14日記)

 追分梅林

 嫁ハンの熱も下がった12日、うららかな空に誘われて、近鉄に乗ってひとりで大和郡山へ。バスで15分。若草団地。生駒東山麓の大きな新興住宅。きれいな邸宅が並んでいる。それぞれ凝った意匠を尽くしていて、見ていて飽きない。清掃も行き届き、空気もいい。でも、やはり不便だよなあ。あ、学園前までも15分だそうですが。

 標識もないので訊きながら、雑木林の中を緩やかに上って10分、追分梅林はすり鉢状の谷間の半円部分。こじんまりしたええ空間。でもまだ早い。白梅が多いようです、梅干し用の梅栽培が主なんでしょう。気の早い観梅客が木々の下で弁当を開いている。谷底でなぜかダチョウを5羽飼っている。

 梅林そばのおばあちゃんの売店が元気で気に入りました。働いているおばあちゃんおじいちゃん4人の平均年齢75才とみました。笑顔がいい。「うるち」のかき餅を買う。300円。バスの待ち時間毎にワンカップの酒を飲んでいい気分。見物を思い切って早めに切り上げ、2時過ぎには帰宅しました。翌日の仕事を思えば、これぐらいがいいいのかも・・・。 

2007年2月11日

  嫁ハンのインフルエンザも回復。やっと起きられました。たまたま家族4人揃っていたので、全快祝い?に昼食に松原市内の焼き肉バイキングヘ。ひとり1500円で、息子たち曰く「死ぬほど」食べて、満足。便利な時代です。それにしても、となりの席の青年、100キロは超す巨漢だったけれど、ひとりで肉を焼いてしっかり食べていた。ウチ以上に元は十分以上とっていったことでしょう。

 1週間、毎夕スーパーに通って久々じっくりいろんな食物を見て、感慨多し。もちろんチラシの安いものを中心に買い物をしますが、少しは贅沢もしたい。そのひとつが豆腐。最近いろんな毛色の変わった?豆腐が出回っているのですね。この数日買ったのは、「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」「実録男前豆腐店マサヒロ」どちらも日本酒に合っておいしかったです。大吟醸は残りあと1合です(苦笑)。

 下の息子は「エバンゲリオン」で1万円負けたそうです。

 ハリー・ポッターの最終巻は「ハリー・ポッターとデスリー・ハローズ(死の聖人)」と発表される。題名にもあるけれど、登場人物が2名死ぬとローリング女史。さて、ハリーは死ぬのか?出版時期は未定だそうです。


行く人来る人(2月11日記)

 脳内出血?脳梗塞?の宮川大助さん、大丈夫かな?快復を祈ります。ずっと気になっている人。彼は賢いと思う。

 「夜回り先生」水谷修さんは今夜もリンパ腫を押して夜の繁華街を廻っているのかしら?残り少ない時間を活かすために、マスコミニは出ず、1対1の対話を続けるそうですが・・・。

 坂本龍一さんと、矢野顕子さんが昨年末離婚。20数年前に互いに略奪婚と言われて、それぞれ離婚して結婚していて、大物ミュージシャンカップルとして共に国際的に活動しつつ、ここ数年はまた仮面夫婦と呼ばれていたのに、今更なんで離婚するの?と思っていました。最近、嫁ハンから聞いた話では、坂本さんの今の愛人の子供が成人したので、とのこと・・・。でも、やはり、今更なんで?

 韓流、華流のスターの日本進出は続きます。中国の男性スター胡兵(フー・ピン)さん。179センチのイケメン。アジア男性で唯一のルイ・ヴィトンのモデルに抜擢されたそうです。日本語のプログも開設されてCD(「青葉城恋歌」!)も発売とのこと。

 勅使川原 三郎さん コンテンポラリー・ダンスの第一人者。世界を舞台に活躍。最近は立教大学の専任教授も兼ねる。最新舞台(新国立劇場)は、「ガラスの牙」。舞台の上に割れたガラスの破片をばらまいて、その上で踊る不安定さ、危うさがポイントらしい。発想は面白いけれど、大変だろうなあ。私よりちょっと若い五十代前半のはず。元気やなあ。

2007年2月10日

 ウグイスの愛聴率は9日現在、60パーセント。 

 嫁ハンがインフルエンザA型に罹って寝込んで、約1週間、ようやく落ち着いてきました。忙しい今、うつされたら困るなあ、と初めに思わずひどいこと言ってしまって、反省。現在は主夫としてがんばっています(?)。

 でも、食事は出来合いのもので済ますことが多し。洗濯は季節柄なかなか乾かないので、家の中は満艦飾。ま、仕方ありません。

 そんなある時、キッチンの流しの下を開けたら、なんと大吟醸が封を切っておいてある。「なんだこれ?」と寝ている嫁ハンに詰め寄る。「あら、だれかさんが料理酒まで飲んでしまって、お酒がなかったから、この間、うどんのダシを取るのに使ったの・・・」。もー、怒り心頭、大吟醸の封を切るという意味がわかっていない!大事に残してあったのに・・・。

 ヤケになって、開いた瓶の酒を飲み始める。アテはスーパーで買ってきた、イクラとチーズとしらす、とりあえず4合飲んでしまいました。大吟醸は開けたらすぐに味が変わってゆきます。まだおいしくてよかった。

 9日、非番の下の息子に、朝、「今日はお母さんの世話頼むで」、と言うと、「僕はエバンゲリオンがあるから」、と冷たい返事。「なんやそれ」「今評判のパチンコの新台」、「お前、お母さんとパチンコとどっちが大事やねん?」と尋ねて、「もちろんパチンコ」という答えがわかっていましたから、最後まで言わさず蹴っ飛ばしてやりました。

 あれやこれやで大騒動。ま、熱が下がったので一安心。うつっていて、発病するならこの週末に願いたいと思っていたのです。


小林秀雄の失踪事件

 若き日の小林秀雄は同棲していた恋人長谷川泰子と転居を繰り返す。だが寝ていてもばたばたハタキをかけるよなこの異様な掃除魔の相手から逃れて、黙って志賀直哉のいる奈良へ逃げて行ってしまう・・・でも道頓堀での泰子のフラメンコ公演にはこっそり顔を見せる・・・ところが偶然来合わせた志賀と鉢合わせ、気まずい事態に・・・。安岡章太郎のエッセイ「カーライルの家」から。

 奈良公園に隣接する高畑の志賀邸は今も残っています。今頃は梅がほころんでいることでしょう。プレイボーイ(?)だったとは聞いていましたが、大家も若い時にはやはりいろいろあったんだ。 

2007年2月8日

 毎朝、迂回してうぐいすを聴きに行くのですが、聴ける確率は今のところ、50パーセントです。それでいいのかも。

 めずらしくすさまじい夢を見て、2時過ぎに目が覚める。忘れないうちに書いておきます。


こんな夢を見た

 車を運転して、信号待ちをしている。幹線道路に出る細い路地。ぼーっとしていて青信号になって後ろからクラクション、発信しようとしたらドーンと物音。

 車が右上から空を飛んできて、左前方の電信柱に串刺しになる。もう一台がその下で大破。クラッシュだ、と思ってブレーキを踏んだら、今度は別の大破してブレーキが利かなくなったらしい車が左折して路地に入ってくる。もう目の前。突然、何人かの黒い略礼服の人たちが飛び出してきて、その前に立って、手で車を押し止めてくれるが、車はじりじり迫ってくる。

 向こうの車の運転手の必死の形相。こちらも必死で後ろの車に指示しながらそろそろ下がる。手が汗ばんでくる。やっと駐車場のような広場に入って一息。たくさんの人が集まって居る中に白無垢の花嫁がいる。新郎もいる。結婚式に車を連ねてやってきた一行が事故に巻き込まれたらしい。みんな、興奮してテンション高く、妙に明るい。

 代表者らしき初老のおじさんが、おれのコース指示が悪かったと言っている。あのホテルはよかったねえと言っているおばあさん。

 あの車の人は?と電柱の上の車を指さして訊くと、あれやから、もうあきません、でも抱いていた猫は無事だったんですよ、との答えを聞いたところで目が覚めました。

 前日、映画「夢十夜」を見たという友人の話(内容は聞かず)が頭にあったのでしょうか。今午前4時。朝刊が届きました。

2007年2月6日

 職場の近くに鶯を飼ってはる家があるという。もう鳴いていて、しかも声が美しいという。早速、聴きに行く。教えて貰った通り、地下鉄の駅から西に3分。居酒屋の角を左に入って、地蔵さんを右に曲がり、3軒目。あった。2階のベランダに鳥籠が見える。1日目は朝早すぎたのか、鳴いていない。

 2日目の今朝。暖かい。8時。朝陽が当たり始めたベランダから気持ちよい声が降ってきました。ご近所の庭の梅もほころんでいる。ここはもう春。これでええんかいな!明朝も行こう!


「沈黙は金曜日」 永六輔編 から

 「和紙というのは何枚にでも剥がれるように出来ています。つまり、1枚を3枚にすることは簡単ですが、そこに良寛が何か書いているとすれば、良寛の本物が3枚になるわけでしょう。紙をすくのも職人、剥がすのも職人」

 なるほど、きれいに剥がせば、値打ちも儲けも3倍、しかも罪にはならない・・・。

 でも、失敗すれば・・・。

2007年2月5日

 サントリーラグビーチーム監督清宮さんに対する微妙な思いを、汲み取って下さった方もあるようです。私の嗅覚がなにかを感じるのですが、その説明はややこしいので、またいずれ。ともかく当面、お手並み拝見とゆきます。

 「サウンド・オブ・ミュージック」 ・・・何度見たわからない傑作ミュージカルですが、そのトラップ・ファミリィの次女マリア(ヒロインである義母と同名、現在92才)の語る家族の物語。5日、10時、NHK総合。

 前半はトラップ一家がアメリカに渡るまで。映画もここまでですね。ドラマは色づけはあるけれど、基本的には事実とほぼ同じ。孤児のマリアがお転婆で修道院に馴染めず、母を亡くしたばかりの7人の子持ちのトラップ男爵家に家庭教師としてギターを持ってやってくる。そして子供達に慕われ、男爵と恋に落ち、結婚するが、ナチスに反発してドイツニ統合された祖国を捨てて、アメリカに亡命してゆく・・・。

 アメリカへはほぼ無一文で辿り着く。一家で歌を歌って生計を立てるが、なかなか受け入れられない。20代で初めて化粧し、地方を回り、なんとか馴染もうとする。リーダーは元気な母親マリア。ナチスから逃れてきたのに、敵性外国人とされ、FBIの捜索を受ける。二人の息子は新しい国への忠誠心を示すため、アメリカ兵としてヨーロッパ戦線に向かい、ドイツ・オーストリア軍と戦う。ここだけ、次女マリアさんが語気を強めて、オーストリアと戦ったのではない、ナチスと戦ったのよ、と断言するのが印象的。

 バーモント州、ストウという町に土地を手に入れ、自分たちで家を建て家族中心に暮らす。それが今ロッジとなっていて世界中から客を集める(行ってみたい)。その敷地内にトラップ大佐、マリアさんの墓がある。

 1965年に映画が大ヒットして世界の注目を集めたとあるけれど、事実はずっと前に一家を描いた映画「菩提樹」があるし、ミュージカル化されて、舞台でまずヒットしたのです。そのあたりを番組は省いてあるのが、ちと不満。

 一家は今も深い絆で結ばれているが、次女マリアさんは、トラップファミリー合唱団が解散した後、人生の後半をパプアニューギニアで宣教師として過ごし、今はバーモントに帰郷している。そのあたり、もっと丁寧に描いてほしかった。

 番組の基調に流れるのやはり名曲「すべての山に登れ」。感動的ですが、マリアさんは最後までドイツ語の民謡を口ずさんでいました、これもよかった。名画に阿ねず、自分の人生を生きている、それは2代のマリアに通じる生き方なのでしょう。

2007年2月4日

 あたたかい立春。富田林スポーツ公園へ。テニスはこれが今年度、最後の試合。自身でもしばらく試合を休もうと思っているので、気合いが入ってました。

 最初は高校生チームが相手。サーブが入って4球でゲームをキープ。6−0で快勝。でも、体がまだ固くて、中途半端なプレーが多し。第2試合の相手は優勝候補。こういう相手だと燃えるのです。0−6で完敗でしたが、めいっぱいプレーして、パッシングショットもいくつか決まり、満足の行く出来でした。

 予定通り(?)、正午に終了。昼食を食べて、いつものコートまだやるという仲間と別れて帰宅。以前のように無理はしません。午後から、ビールとビデオと読書と昼寝と夜に仕事を少し。こういう休日の過ごし方をもっと早くからやるべきだったかな(苦笑)。明日からまたハードな5日間です。

 ゴールデングローブ賞の授賞式の話の続き。今年のヒロインはヘレン・ミレンでした。ベテラン女優が乗ってくるとスゴい。テレビミニ・シリーズでエリザベス1世を演じて、主演女優賞、映画で「クイーン」デエリザベス2世を演じて、主演女優賞、昨年度はあと一本映画に主演しているのです。一気にアカデミー賞の本命に。

 世界的には遅咲きですが、力のある人は徐々に大きな花を咲かせます。イギリスの舞台名優で、007の上司Mを演じてから更に映画で飛躍したジュディ・ディンチもそうでした。

 授賞式の最後の発表は、アーノルド・シュワルツネッガー、カリフォルニア州知事。なんと松葉杖をついて登場、「作品賞はバベル」と読み上げる。でも、元気で、最後は「ターミナイター」の決めゼリフを応用「来年また帰って来るぜ」で締めくくりました。 

2007年2月3日

 久々の雪が舞った2日の夜。アベノでの友人との待ち合わせにちょっと時間があったので、以前から気になっていた店を覗いてみました。フープの裏の小さな店「R・・・」。奈良に同名の有名な店があるけれど、関係ないみたい。

 カウンターだけで7名くらいはいると満員みたい。この日は客はまだいない。40くらいの小柄な主人がひとり。清潔な作り。半月の膳に箸置き。そして箸袋に「最近本を読んでいますか」と書いてある。振り返ると壁際に本箱が並び、文庫本がぎっしり。興味があったけれど、さらっと題名だけ見て、今日は一現なので、さりげなくおとなしく・・・。

 焼酎のお湯割りを飲んで、店を出るときに「猫が好きなん?」と問うと、主人は目を輝かせて「ええ。大好きですが。飼えないので、本でガマンしています」本棚にいくつか猫に関するエッセイがあったのです。

 本は店で読むのではなく、無料貸し出ししているらしい。面白い。また改めて行ってみよう。

 ゴールデングローブ賞の授賞式がやっとNHKで放映されました。コメディ・ミュージカル映画部門で主演女優賞を獲ったメリル・ストリープが貫禄のスピーチ。時間はあるわね、とにっこり笑って、ユーモアを交えた感謝の言葉のあと、いい映画が上映される機会、劇場が少ないと作品名を挙げて提示。すごい共感の拍手をとっていました。

 たくさんの感動のスピーチの中で印象に残ったもの。「人生はどこへ行くかより、どこを通ったかが大切なのだ」


ビデオでガマン

 「フレンチ・カンカン」

 名匠ジャン・ルノワール監督(あの画家のルノワールの息子ですね)の1954年の作品。モンマルトルの「ムーラン・ルージュ」(有名なキャバレー「赤い風車」ですね)が出来るまでのエピソードを虚構を大いに混ぜて、舞台を愛する人々のドラマとして作ってあるのがフランス流。アメリカ映画なら偉大な興行師の伝記物になります。

 経済的に逼迫し、家具も没収され、家も追われて切羽詰っても、飄々と次を狙うたくましく魅力溢れる中年プロデューサ、ダンブラールに名優ジャン・ギャバン。彼を受け入れる友人、愛人たち。税務署の官吏まで彼のマネージャーになってしまう。

 彼に発掘され、スターに引き上げられる踊りの上手な若い洗濯女、ニニにフランソワーズ・アルヌール(溌剌)。随所に歌を散りばめ、ピアフやコラ・ヴォケールなどのシャンソンのステージもさりげなく見せる凝った作り。最後は20分に及ぶ?落としの華やかなカンカン踊り。テクニカラーでいっそう絢爛豪華です。

 その中で女好きの主人公の女性関係や周囲の嫉妬なども、生々しくきっちり描いているのが、流石フランス映画。セクシーです。

 オープニングで気の弱い口笛吹きが、舞台が、「客が怖い」と愚痴るとダンブラールは「おじけると相手はカサにかかって襲い掛かる、手なずけると可愛いもんだよ」と言って送り出す。この口笛吹きは最後のシーンでも見事な演奏を聴かせます。最後は愛憎を超えて登場人物すべて舞台に賭ける。ベテラン女優は若い女優に愛人の座もスターの座も譲る・・・これもなぜかこういうドラマの定番ですね。お約束を踏まえた脚本がウマイ。

 そしてテーマ曲は懐かしいシャンソン「モンマルトルの丘」。(もちろん嫁ハンのレパートリーに入っています)戦争でアメリカに逃れて映画を作っていたルノワールが、母国に帰っての初演出。祖国への、パリへの思いが溢れています。

2007年2月1日

 沖縄で最後の遺骨収集。60年経って、それでも次々見つかる、骨。小さな洞窟で、暗い横穴で。まだ何千もの遺骨が残っているという。名前も遺族ももちろんわからない。でも、今こそ現代医学、科学の力をふるって、DNA鑑定などをすればいいのに・・・。

 今でも帰りを待っている人もいます。そのような人はどんどん亡くなってゆきます。ふるさとの村でも、昨年末、最後の戦争未亡人が亡くなりました。でも、遺骨は還らないまま。村はずれの戦死墓だけが苔むしてゆきます。



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