2008年1月31日
近鉄百貨店あべの、7階で「大江戸展」、東京時代にゆきそびれていた、上野「藪蕎麦」が出店しているので、帰りに寄ってみる。10分ほど並んで相席で。せいろう、735円。辛目のつゆがおいしい。銅鈷で出てくる蕎麦湯がうれしい。 31日からたしか来週いっぱいです。
映画「情婦」
私の最も敬愛する監督、ビリー・ワイルダーの1957年の作品。もとろん封切時は見ていませんが、中学時代にリバイバルで見て感動した記憶があります。
「海外文学講読」の授業でアガサ・クリスティの「検察側の証人」(この題名に意味あり。映画の原題もこれ。邦題にも意味あり)を4時間(200分)かけてやりました(普通の作品は2時間)。今までで一番長い作品だったのですが、反応がよかったので、映画化されている話をしたら是非みたいというので、DVDを借りてきて2回に分けて上映しました。
生徒には白黒の画面が新鮮だったみたいです。見やすい、キレイと好評。
金持ちの老婦人殺害の容疑者、ヴォールの弁護を引き受けることになった弁護士メイハーンは、決定的に状況不利な中で、ヴォール曰く「献身的な妻」ロメインの不可解な行動に振り舞わされる。ロメインの証言のみが容疑者のアリバイを証明する。しかし、弁護側としては愛する妻の証言は弱い。裁判当日、「検察側の証人」として出廷したのは・・・。
短編を2時間余の映画に脚色しているので、人物像をかなり膨らませてあります。原作では単なる狂言回しだった弁護士が、老練の貴族の法廷弁護士で、心臓病で退院したばかりという設定。演じる名優、チャールズ・ロートンがめちゃうまい。原作にはない付き添い看護婦や執事の脇役もうまく作られています。
主人公ふたりには当時の大スター、タイロン・パワー(「愛情物語」でブレイク)とマレーネ・ディートリッヒ。伝説の女優、ディートリッヒの歌もあり、当時保険が100万ドル掛けられていた脚も効果的に見せます。
最後に原作とは別に、アガサ・クリスティ自身が仕掛けたもうひとつのどんでん返しが入って、ほろ苦いけれど後味のよい仕上がり。ワイルダー監督の腕が冴えます。
舞台化もされていて、日本ではずっと前に、ロメイン役を岸恵子さんで、2002年に近鉄劇場でタカラヅカを辞めたばかりのトップスター、安寿ミラさんで上演されました。
未見の方は絶対オススメの映画です。生徒の感想は、映画がよい、原作の方がいいというのが半々。これもクリスティ作品のレベルの高さ、魅力なのでしょう。
2008年1月28日
「共生社会」の授業で今度は目の不自由な体験を。アイマスクをして、白杖をついて、校内を廻る。生徒10名(本来30名)、教師2名。もちろん私も生徒とペアを組んでやってみる。
点字ブロックを探りながらでも歩くのが結構おそろしい。足下もだけれど、顔や頭にものが当たりそうで不安。こちら側に開いたドアなど危険。
貴重な体験でした。少し慣れて、時間も余ったので、よっしゃあ、俺がひとりであの旗の掲揚台まで行って来ると宣言。センセー。大丈夫?任せなさい!
後ろの方から生徒達が指示してくれる、センセー、そこ段差あるで、アホ、段じゃわからんじゃろ、上がる段じゃ、段の高さはなんぼじゃ、などと、普段無気力なやつらが結構声を出してくれる。シメシメ。空(くう)を手で探りつつ、白杖で思い切り探って、5分ほどで生還。拍手をもらう。
目が見えないと、聴覚や嗅覚が研ぎ澄まされてきます。換気扇の音、旗の靡く音、排水溝の匂い。あちこちの人の話し声とその遠近感。
普段知っている空間だから見当もつきますが、初めて行くところは絶対不安です。よくひとりで歩いてはる目の不自由な方は、必要があるとはいえ勇敢なんだと感嘆。プラットホームなんて本当に怖いだろうと思います。エスカレーター、エレベーターなんてどうするんだろう?まだ点字がないところも結構あります。
若い同僚が、「カンセンセー、センベロへ行きませんか?」「何、センベロって?」「千円でべろべろに酔える店です!」「行く行く!オモロそうやん!」
帰路を遙かずれて、天神橋筋まで、案内された路地裏の立ち呑みの店は、なんと禁煙。でも、広くて明るくて、確かに安い!軽快に働いているおばちゃんたちの笑顔がいい。調子に乗って3時間飲み続ける。もちろんベロベロ。でも、なぜか四千円でした(苦笑)。
2008年1月27日
今年最後の新年会は友人宅で賑やかに開催。6人で10リットルのビール樽と新潟の銘酒1本を用意。でも、これで足らなかったのですから・・・モチロン、帰宅後は意識不明。
ぼんやり頭で、綺麗な朝焼けを見て、朝一番で投票に行く。帰宅すると嫁ハンが急ぎ出かけるところ。いつもぎりぎりになるので心配。今日は宝塚のホテルでライブ。ピンクのスーツで玄関を出てゆく後姿に春らしい装いやなと声を掛けてふと見ると、スカートの後ろのジッパーが開いている。慌てて追いかけて注意する。私もたまにやりますが、まったく慌て者なんだから。
部屋に帰ると、さっき遅れて投票に出かけた息子から電話。お父さん市役所で投票やってないねん、なに言うてんねん、投票は○○小学校やで、君はいつも不在者投票しているから、勘違いしたんやろ?、ああそうか・・・。
まったく、粗忽者ばかりの家族です。
雪が降り始めたので、早めに洗濯物を入れて、全豪オープンを気にしつつ、NHKの「世界の名建築」を見る。建物ワォッチャーとしては見逃せない。各国の建物に交じっても、やはり日本薬師寺の東塔は美しい。2年前に行った鳥取の投入堂も入っていました。中でフランスの「シュバルの理想宮」が印象的。
20世紀初頭の一郵便配達夫が毎日32キロを歩いて郵便を届ける。歩きつつ想像を脹らませる。40代のある日、石に躓いて、その石を拾い、自分のやりたいことに気付く。毎日石を拾い、給料の半分を使ってコンクリートを買い、自分の敷地に想像通りの家を30年かかって創り上げる。
奇怪な形をした迷宮のような作り。あちこちに拾った石や、甥に送ってもらったという貝殻が貼り付けてある。一度見たら夢に見そう。いいなあ。彼は自分の墓場にしたかったようだけれど、死後それは許されず、文化財に。それは仕方ない。
全豪オープンテニス男子はジョコビッチ(セルビア)の優勝。私はツォンガを応援していたので残念。ジョコビッチはサーブでじらしたり(と見えた)、プレーがうまくいかないとボールに当たったりして、気に入らん。マナーの点ではツォンガの方がよかったと思いました。
2008年1月26日
晴れ渡った気持ちの良い朝。「晴れた日には永遠が見える」というミュージカルがありました。映画化されて主演はバーブラ・ストライサンドでした。「明けの明星」が消えた輝く澄んだ東の空の向こうには何かがあるように思います。
正月3が日に酒をほとんど飲まなかったので、その埋め合わせに(?)朝日を浴びながら薄い焼酎のお湯割りを一杯いただこう。いそいそ湯を沸かす。これで今日は車を運転しないぞ、出来ないぞ。明日の授業の準備も終わっている。予定は午後からの今年最後の新年会だけ、うれしいな。それまでに一週分の新聞を読み返そう。図書館に返す本の期限も迫っているから急いで読もう。○○さんに手紙書かなきゃ、朝風呂にも入りたい。結局、また忙しい休日の朝になりそうです。
とりあえず飲んでからと思ってカウンターを見ると、酒が無い!!ナイ、ナイ、どこや!と騒いでいると、嫁ハンが、あれ、飲み残した水と思って捨てて、グラスも洗ったよ。もう、油断もスキもない。
全豪オープンテニス準決勝でフェデラーが負けて、テニスファンは大騒ぎですが、彼は今大会不調だったし、驚くことではありません。負けたというより、ジョコビッチ(20才)がすばらしいテニスをして王者をうち破った試合でした。前日、ナダルを破ったツォンガと同じ流れ。新しい勢力が伸びてきているだけなんですね。
どこでも世代交代が進みます。我々の世界も同じ。勝負の世界とは色あいは違いますが、やはり若い世代が伸びてきて、それに仕事を依託してゆくのが当然のこと。いつまでも自分がやるんだ、やらなければ、などと言ってポストにしがみついたりしていてはいけないと思います。
推理小説ファン、江戸ファン(私もそのひとり)が固唾を飲んで、期待、心配する中で「御宿かわせみ」(オール読物連載)が再開されて一年余。幕末の江戸、大川端を舞台にした短編のはずが、大人気で長期シリーズ化、主人公が結婚、子どもが出来て、だんだん成長し、時代と合わなくなってしまった(幕末は永遠には続かないー苦笑)苦肉の策とはいえ、休載後の明治編は、主人公達の横死(畝源三郎)、行方不明(神林東吾)という衝撃の幕開けでした。
源三郎の死にまつわる謎が一年がかりで昨秋に解け、いよいよ東吾の行方が、と気を揉むのですが、ドラマは東吾の息子(麻太郎、表向きは東吾の兄、通之進の養子)を中心に新世代で安定して進行しています。明治初期の「東京」もイキイキと描かれ魅力的ですが、古いファンとしては陰に廻ってほとんど登場しないヒロイン「るい」さんが心配です。まあ、これも世代交代の一例ではあるのでしょうが・・・。
2008年1月25日
机の上に「57,1500」の自分の字の走り書き。しばし眺めて・・・あ、そうだ、57日かかって、1500キロ歩いて南極点に到達した日本女性の話だったんだ。南極点からの中継で、毎日のキャンプ設営は大変で、ベースキャンプのあるエベレスト登山の方が気分的に楽だったと述べていました。
いよいよ寒さが本格的に。校門や廊下の立ち番はしばれる。それでも、監視の目を盗んで、喫煙、喧嘩、いろいろやってくれます。
それにしても、携帯などを通じて未知の人も巻き込んで錯綜する人間関係のトラブル。身近な関係でさえきちんと結べないのに・・。便利な道具は危険な道具。もう、暗澹たる思いに駆られます。
畠山被告に死刑求刑。迷走する彼女の言動からは、心が読めません。
ノンフィクション「刑場に消ゆ」 矢貢隆 さん を紹介する新聞記事から
刑務所で1500冊もの点訳奉仕をした死刑囚がいたそうです。強盗殺人を犯したが深く悔い、13年間、罪をあがなうように打ち込んだ。執行の日、刑務官達は緊張でこわばって動けない。静かに「行きましょう」と促したのは、囚人自身だった・・・。そんな人もいたんだ。
2008年1月24日
全豪オープンテニス女子準決勝はイバニセビッチの大逆転。第2セット0−2まで8ゲーム、ハンチュコバに連取されていましたが、ドロップボレーの判定にチャレンジ(ビデオ判定を申し込む)して覆し、1−2としてからムードが一変、盛り返しました。決勝では好調のシャラポワと対決します。
男子はやっとアフリカ系の選手が台頭してきました。準々決勝でフェデラーに敗退したけれど、ブレイク選手、かっこよかった。そして今日の準決勝でナダルに完勝したツォンガ(フランス)選手。そのパワーとセンスはすばらしい。
女子も一時ビーナス姉妹の時代がありましたが、男子もその日が近づいているようです。あと、水泳の世界、スキーやフィギアスケートの世界にも、もっと進出してほしいです。
年若い同僚(うちの息子と一緒の年齢―しっかりしている!)が貸してくれたDVD。
「春が来れば」
韓国映画の佳作。腕と気はいいが冴えない中年のトランペット吹きが、彼女に振られ、口うるさい母親にも辟易して、ソウルから雪の降る北国の炭鉱町の中学校の吹奏楽部の雇われ顧問としてやってくる。
斜陽の町、貧しいが人懐っこい生徒、主人公に心を寄せる薬局のかわいい店員、その店員に恋する素朴な若者、そして迫る吹奏楽コンクール・・・。
そうです。これは幾百繰り返されたパターンなのです。石坂洋二郎の小説の世界、ウーピー・ゴールドバークの「天使のラブソング」、ライザ・ミネリの「ステッピング・アウト」、メリル・ストリープの題名忘れたバイオリン演奏の話・・・。邦画の「フラガール」もこの系統。
そしてこのジャンルの映画の金字塔であるイギリス映画「ブラス」へのオマージュであることがこの映画制作の大きな柱と思われます。
「お約束」を守りつつ、映画はあえて淡々と主人公の日常を綴ります。彼がその町で、人々に、生徒たちに逆に癒され、快復してゆく過程も無理がありません。地味な俳優陣も好演、脇役に名優が揃っているね、と韓国ドラマ通の嫁ハンの話。
その種の映画はストーリーを隠す必要がありません。最後にソウルに帰った主人公が桜の花吹雪の下で、かつての恋人に携帯電話するシーンも美しい。
惜しむらくは「山葵」(ワサビ)が利いていないこと。こういうファンタジーはちょっとだけ定石を外して、その国、その時代のリアリティを織り込むところがポイントだと思うのです。
でも、気楽に焼酎のお湯割り4杯で見終えました。本来は映画館で見るべきですが、こういう映画のこういう楽しみ方もあっていい。
原題は「スプリング・タイム」です。
2008年1月23日
ハリウッドの若手スタ−、ヒース・レッジャー(テレビではレジャーと表記していました)の急死はショックです。人気もありましたが、演技派で今後が期待される人材でした。薬物使用と言われていますが・・・リバー・フェニックスもそうでした。
2008年1月22日
亡き犬が 我と遊べり 冬の夢 一栄
故郷の友人から長い便りが来ました。その末尾にあった彼の句です。「一栄」は彼の号。無断転用。前にこの欄で紹介した長年病気療養中の友、もう40年以上の交遊です。彼は捨て犬、捨て猫をいつも拾ってきて、飼い続けています。交通事故などに遭って、足などあちこち不自由な犬猫も多い。しつけも悪くて、わたしも咬まれたことがあります(苦笑)。
正月に奥道後のホテルの嫁ハンのライブに来てくれた時の感想などが書かれていて、その中でいろんな歌を引用している。それが「セイリング」「インポッシブル・ドリーム」「トライ・ツゥ・リメンバー」それぞれ思い入れのある歌ばかり。彼とはそんな話したことなかったのに・・・。
読みながらうれしいような、不思議なような気持ちに包まれました。
読み終えて、やはり2月の3連休に帰ろうと思いました。
塩野七生「ローマ人の物語」8から
いよいよユリウス・カエサルの章へ。
イタリアの普通高校で使われている、歴史の教科書
「指導者に求められる資質は、次の五つである。知性。説得力。肉体上の耐久力。自己制御の能力。持続する意思。カエサルだけが、このすべてを持っていた」
塩野さんの本文からー「生涯を通じて彼を特徴づけたことのひとつは、絶望的な状態になっても機嫌のよさを失わなかった点であった。楽天的でいられたのも、ゆるぎない自信があったからだ。そして、男に最初に自負心をもたせてくれるものは、母親が彼に注ぐ愛情である。幼児に母の愛情に恵まれて育てば、人は自然に、自信に裏づけされたバランス感覚も会得する。そして、過去に捕らわれずに未来に目を向ける積極性も、知らず知らずのうちに身につけてくる。」
なるほど!
2008年1月21日
昨夜からの雪に朝の近鉄は遅延が続く。吉野方面からやってきた急行は屋根に雪を乗っけている。上野駅や大阪駅で、北国から来た列車が重い雪を積んでたのを思い出す。ふるさとを北に持つ人はきっと切ない思いに駆られる情景でしょうね。
でも・・・湖北の故郷に家を置いてきた友人の話。無人の家だから(室温がないので屋根に雪がより積もる)、余計にまめに帰って雪下ろしをしなければならないそうです。なるほど。大変やろうなあ。
塩野七生「ローマ人の物語」から
英雄として、改革者として「幸運な一生」を終えたスッラだったが、彼の死後わずか8年で彼の作ったシステムはことごとく崩壊する。それも身内の手によって・・・。
塩野さんは書く。「リーダーに求められる資質のすべてを持っていたスッラだったが、先見性だけは持っていなかったのだろう」
私は思う。グラックス兄弟のようにローマ共和制の先が見えすぎても、その政策が当時の人々に受け入れられず、悲劇を生んだが、先見性がないのはリーダーとして淋しいことではないのかな。先見性を現実の施策にどう生かすかが大切なのではないか、改革を急ぎすぎず、でも、周囲とあわせて、それを引き継いでゆく後継者を育成すること・・・それがリーダーの大きな「資質」と思うのですが・・・。
2008年1月20日
今、見たインターネットの今日のニュースから
『広辞苑の「芦屋」の項に「在原行平(ありわらのゆきひら)の伝説の舞台」などと誤った記述のあることが分かった。岩波書店(東京都)は「外部から指摘を受けて発覚した」と説明しており、修正を検討する。
広辞苑は今月、10年ぶりに改訂され、第6版が出版された。この中で「芦屋」を「兵庫県南東部の市」としたうえで、「在原行平と松風・村雨の伝説などの舞台」とした。
ところが、行平に愛された姉妹を描いた能「松風」の舞台は、芦屋ではなく須磨(神戸市須磨区)。芦屋にゆかりがあるとされる行平の弟・業平(なりひら)と混同したとみられる。誤表記は1955年の初版から続いていたという。』
なるほど。「松風」の舞台は須磨と広く知られていますが、辞書で「松風」は引いても「芦屋」を引くことはあまりありせんものね。多くの人が気付かなかったのも無理はない。でも「須磨」の項はどうなっていたのでしょう。引いてみよう。
この前に読んだ新聞に、売れ筋野菜ランキング一位に「バラフ」とありました。なにそれ?調べてみたら別名「クルスタルリーフ」。表面にプチプチしたきらきら光る結晶のようなものがある、不思議な塩味もする野菜らしい。食べてみよう。
年末に先輩からいただいた野菜。家庭菜園で作られた「連山」というもの。お釈迦さんの頭のような(?)ちいさな小山がいっぱいある薄緑の塊。カリフラワーとブロッコリーを掛け合わせたもので、ゆがいて、塩味をつけていただく。Z先生、おいしかったです。いろんなあたらしい食べものがどんどん出てきて楽しみです。
予定のない休日の朝はうれしい。早く起きて、休みであることを確認、再びベッドでゆっくり本を読む。このときに読むのは必ず田辺聖子さん。ほろりとして、体の力が抜けてゆく。
朝食のデザートはちょっと贅沢に、イチゴ「甘王」とリンゴ「王林」。リンゴはあまり食べないのですが、ホント「王林」はおいしいと思うのです。
山間部は雪らしくて靄の中、平野部もちょっと期待(もとろん雪見酒を)しましたが、残念、一日雨でした。
故郷四国も山は雪。夜になっても村には霙が降り続いているそうです。
2008年1月19日
全豪オープンテニスも4回戦へ。フェデラーは大苦戦。ロディックは午前2時までかかった接戦を落とし、ビーナス・ウイリアムズもインドの若い選手、ミルザにてこずっています。どの世界にもつぎつぎ若手が台頭して、世代交代が進む。70代の首相が舵を取る日本の政治の世界はどうなってゆくのでしょう。
教師ひとり、テニス部の生徒6人しかいない土曜の学校。仕事が進み、時間の余裕ができたので、生徒と久しぶりにプレーをする。楽しい。6時半に帰宅、ゆっくりくつろいで、ワインを飲みつつ全豪オープンが見られる幸せ。欲を言えばきりがありません。自分のいる立場をきちんと弁え、謙虚であらねばと思います。
「 ろう梅の 一枝初心の 香りあり
」 村越化石(むらこしかせき)
道明寺天満宮の「ろう梅」はもう満開に近かったです。まんさく、菜の花・・・春に先駆けて咲く花に黄色い色が多いのはなぜでしょう?作者は大正11年の生まれ、ハンセン氏病と戦いながら、俳句を詠んで60年余。それでも「初心」を常に念頭に置いているのでしょう。
旭川で昨日、零下33.3度を記録。「ダイヤモンドダスト」、その中央に「サンピラー(光の柱)」、美瑛川には水蒸気が氷結して花びらの形の成長した「フロストフラワー」。写真で見ても美しい。見たいなあ。でも、やはり寒がりの私には、零下33度などとても怖くて、チャンスはあっても見に行く勇気はありません(苦笑)。
2008年1月18日
朝の通勤電車。あべの行き急行の先頭車両には乗らないようにしています。事故の心配よりも、乗っている人々のやる気?焦り?のモードが、ちょっと朝からはしんどい。プラットホームに着くやいなや、改札口に向かって突進、駆け出す人たち。そこまで急がなくてええやろ、と思いますが・・・。2両目に乗っています。
暖かくなるまで、電車通勤を続けますが、30分くらいの幅でいろいろやってみて、やっと、この電車、この車両に乗ろう、この通路を行こうと定まってきました。通勤形態の固定を謀る人と、あえていろいろ変化を持たせる人とあるようですね。性格や年齢的なこともあるでしょうが、今は固定化路線を歩んでいます。
地下鉄あべの一番出口のホームレスの人、また戻ってきて、どうも市当局と追いかけっこをしている模様。これからますます寒くなるのに、どうなるのでしょう?
いつもオー・ヘンリーの「警官と賛美歌」を思い出します。
主人公であるホームレスの青年、はマジソン・スクエア・ガーデンのベンチで冬を越すのが大変なので、今年も「ジャック・フロスト」(霜のこと)がやってきた日、ニューヨークを彷徨いつつ、軽犯罪を犯して、沖の島の刑務所に3ヶ月行こうとするが、これがなぜかすべてうまく行かない。諦めて、夜半にねぐらに帰ろうとしたら、古い教会から賛美歌が流れてきて、その美しい音楽に打たれ、更正を誓うのですが、次の瞬間・・・。
「 ローマ人の物語」7から
紀元前80年、ローマを牛耳っていた独裁官スッラは58才で引退する。35才下の5度目の妻を連れてナポリ西の質素な別荘で隠居生活に入る。
独身の最高権力者と若い離婚女の出会いは・・・剣闘士の試合を見物中のスッラの席の背後を通った女が、彼の肩に触れ、長衣(トーガ)から糸切れを抜き取ってゆく・・・。さすがのスッラも驚いて、思わずその女の見つめた。自席に戻った女は、席も立たずに、スッラを見返して
「おかしな振る舞いとお思いになってはいけませんわ。わたしだって、あなたが恵まれ続けた幸運にほんの少しにしてもあやかりたいと願ってやったことですもの」
映画「ニューヨーク物語」に、まったく同じシュチュエーションの場面があるそうです。成功した画家の展覧会の受付でのシーンになっているそうですが、有名な話なんでしょうね。
塩野さんに言わせれば、この女性(ヴァレリア)の言動くらい、自信に溢れた成功した大物を、若さ以外はなにものも持たない女が「引っかける」のに有効な方法はない、のだそうです。
スッラは自分も書いているけれど、激動の時代を無事に生き抜いて、しかも改革をも成し遂げた 「幸運に恵まれた者」(フェリックス)。公生活と私生活をはっきり分けて、公的には厳正、私的には冗談好きで、バカ騒ぎも辞さないローマ人。食卓に連なったのは、政治家や将軍ではなく、喜劇役者や作家たち・・それがよかったのかな。
引退後1年で死去。死の2日前に血を吐いて、急いで書いた遺書には、ヴァレリアとの間に出来た未成年の双子と、まだお腹の中にいる子どもの将来を案じているだけ。後継者の指名もしなかった。
それまでのローマ史上最大の国葬が行われる。
墓碑銘には以前から本人が考えていたという
「味方にとっては、スッラ以上に良きことをした者はなく、敵にとっては、スッラ以上に悪しきことをした者はなし」
おもろいおっさん。思わず笑ってしまいます。やはり、ラッキーマン。スッラの前の代の英雄、マリウスのように、死後評価が激変、墓が暴かれ、遺灰がテヴェレ河に撒かれるということもなかったのですから。
2008年1月17日
全豪オ−プンが真夏のメルボルンで開かれています。いつの間にやら2回戦に。早くもシャラポワVSダベンポートとか、サフィンVSバグダディスという好カードが展開。
193センチのサフィン(27才)は最初から200キロ台のサーブを連発、スライスサーブでも205キロ。183しかない(?)バクダディス(22才)はその強打を巧打で返して翻弄。今、セットカウント2−0でバクダディスがリードしています。
「ローマ人の物語」続き
紀元前133年、ローマはグラックス兄弟の時代。名門に生まれ、能力、人望に容姿まで揃って、将来を嘱望された兄弟。
兄のティベリウスに惚れ込んだ元老院の第一人者クラウディアスが、自分の娘のクラウディアの婿にと話を進める。ある日、家に帰って、「クラウディアの婚約を決めてきたよ」と報告したクラウディアスに、何も聞かされていなかった妻が怒って言う。
「なんですねえ、そんなに急いで。ティベリウス・グラックスが相手というわけでもないでしょうに・・」
妻の機嫌がただちに直ったのはいうまでもない。ーーー微笑ましいエピソードです。
しかし、聡明故に、時代の先が見え、名門故に正攻法でしか進めなかった理想主義の兄弟は、兄は実働7ヶ月、弟は2年で非業の死を遂げる。裏には元老院の暗躍が。
それでも、2人の死は無駄ではなかった。策略で2人を葬ったローマは兄弟の死後数十年後に兄弟の提案した道を歩き始めるのだ。
寒牡丹の季節です。
「 脊山より 今かも飛雪 寒牡丹 」 皆吉爽(みなよしそう)
当麻の石光寺ですね。
「 この恋の 行く末知らず 寒牡丹 」 黒田杏子(ももこ)
2008年1月15日
寒い朝。小さな水たまりに氷が張っていました。
そして今日は小正月、義母が赤飯を炊いてくれました。ほんとは厄払いに小豆粥を作るのだそうです。
年末年始と体調がイマイチだったので、本は短くて、癒し系と叱咤激励されるものを適当に・・・。
曾野綾子 「それぞれの山頂物語」 「中年以後」
田辺聖子 「楽老抄」 「猫も杓子も」 「花はらはら人ちりぢり」
ポー小説全集
そして合間を縫って、塩野七生「ローマ人の物語」を。
ただいま第6巻。
紀元前147年。700年続いたアフリカの強大都市国家カルタゴがローマによって滅んでゆく。街も神殿も完璧に破壊され、ならされ、その上に塩が撒かれる。
繁栄を極めた都市が目の下で瓦礫と化すのを見守りながら、ローマの名将、スキピオ・エミリアヌスはホメロスの叙事詩のトロイの一節を口ずさみつつ、涙を流す・・・。それはいつかやってくる我がローマの崩壊を思っての哀感なのでしょうか。
めくるめく地中海の都市国家の栄華と衰亡、魅力的な人物の出入り・・・目が離せません。ゆっくり読んでゆきたい。この時、スキピオの傍にも、新しい時代を開く16才のティペリウス・グラックスが控えていたはずなのです。
ページをめくりながら、冬の夜は、酒は伏見の「桃の滴(しずく)」を。おいしい。
2008年1月13日
手前味噌の話で申し訳ありませんが、米寿祝いの落ち穂拾いを。
愛媛、京都、その他と各地から親族を集めてのパーティは大変だったろう、と兄弟、親戚から労ってもらいました。それに対して、なに、何百人も連れて修学旅行へ行ったことを思えば楽なもん、それに日々の仕事と比べたら気楽で楽しい作業だったよ、と応えたら笑われました。
この際に、両親の高齢もあり、たくさんの未整理の記録やアルバムをまとめ、我が家の歴史を息子達に伝えたいという気持ちもありました。
パワーポイントで、初めて曾曾祖母、曾祖父母に当たる人を見て、「ご先祖や!」、祖父(私にとって父)の軍隊生活の写真に驚きの声、密柑山で働く姿や、昔の学校生活、運動会や卒業式などは新鮮に映ったようです。もちろん、自分たちの成長の歴史も見られます。叔父達にとっても懐かしい写真だったようで、パーティ後にCDで配ったら喜ばれました。パソコンに弱い私にとっては、息子もですが、甥(小学校教諭)の強力な尽力はありがたかったです。
会の進行は上の息子に、挨拶は義兄に頼んだのですが、義兄が最後の挨拶を振ってくれたので、長生きしてくれている両親への感謝と、傍でみてくれている弟夫婦への感謝を手短に述べました。
父は今回は立場上、口も金も出せないので、表面泰然とはしていても、内心そわそわしているのがほの見える。どう出るかと思っていたら、会場で宴がくだけてきたころ、孫、甥たちに寄っていって、お小遣いと称して、祝儀袋を渡そうとする。おじいちゃん、それは話が違う、おやじに怒られる、僕らもう大人やで、と逃げ回る孫を押さえつけて、ふところへねじ込んでいました。まったくもう。レストランへもチップを用意して来ていたので、これは息子と相談して(サービス料は払っているので)、菓子折に代える。結局、我々が遣ったものと同額以上あちこちに遣ったみたいです(苦笑)。13日も朝からご機嫌。朝風呂上がりにビール。我が家に来ても昼から日本酒。私がお相伴しなかったのが、さびしそうでしたが、これは固辞。米寿にしてはホント元気。
母が一番心配でした。車椅子をいやがっていたのですが、田辺聖子さんも、講演旅行などでは車椅子を使ってはるし、その方が周りも楽なんやで、と説得。実際、松山空港からもANNAのきめ細かいサービスもあってスムーズに運びました。宴会場のホテルももちろん。
ところが、宿泊のホテル。午後9時過ぎに着いて部屋に入って車椅子を降りたら、トイレを兼ねたバスルームへの段差(20センチくらい)が大きすぎて行くことができないことがわかる。すぐにフロントへ行き、段差を修正する踏み台はありませんかと相談する。ところが、そんなのありません、もっと早く言って下さいとの返答。ここで、私がキレる。(普段、キレたらあかんと言い続けているのに、すみません)。
チェックインが遅くて(9時です。事前に連絡もしている)、申し出るのが遅いとは何事ですか!体の不自由な者は早い時間に来て、部屋をチェックして改善を御願いせよと言うのですかっ!
むこうもひるんで、フロントにあったプラスチックの書類入れを持ってきて、これを裏返して使ってくれという、部屋に持って帰ってみるとまだ足りないので、もう一度言いに行くと、奥からもう少し高めのものを持ってくる、これも間に合わず、結局予備の毛布を重ねて段差を作って対応。その間、いかかでしたかの問い合わせも、部屋係の動きも全くなし。母はなんとかトイレに行くことができました。
翌日、「スポーツ障害に関する桑田投手の講演会」があるとかで、ホテルも忙しかったのも知れませんね。でも、この対応はいけません。母は私がクレームをつける度にはらはらして、いやがって止めるのです(泊めてもらっているのだから、こちらが我慢すればいいという古い論)が、きちん宿泊費を払っているんだから、と私はおさまりません。あえて名前を出します。これが共済大阪の宿「アウィーナ大阪」です。安いから私はまた使いますが(苦笑)、両親は二度と泊めません。
ま、いろいろありましたが、一段落して、今度は両親に贈ったケイタイの心配。一番簡単な機種にしたのですが、なかなか使いこなすのは大変なようです。便利と不便は背中合わせ。気を付けたいと思います。
2008年1月13日
12日、伊丹から京都へ向かう高速道路(名神)が渋滞との連絡。京都でも、雨で足下が悪く、母は姪のお墓まで辿り着けなかった模様(父と弟夫婦は墓参)。残念。出鼻が挫かれて心配。
私は、1時間半余裕を持たせて家を出たのに、こちらは阪神高速の事故渋滞に巻き込まれる。動かない。はじめパニクったけれど、開き直る。ケイタイで息子達に連絡。もう、段取りはすべて終わっているのです。なんとかなるはず。遅れたら始めてくれ。雨が上がってきました。
それでも、平野で高速を降りて、市内をジグザグに走って、なんとか宿泊予定のホテルに到着。車を置いて、車椅子を預け、地下鉄に乗り換え、4時半に会場のホテルに滑り込む。上の息子と甥はすでに、リハーサル完了。姉夫婦、両親、弟夫婦、叔父夫婦も相次いで到着。5時5分前に開宴。
3時間の米寿祝いの宴会は上の息子の司会で滞りなく和やかに進行。特に最後のパワーポイントによる「二人の歩み」(12分)の上映は大好評でした。甥に感謝。息子のホテルもすごく心配りをしてくれて感激。料理長の挨拶や目の前での盛りつけ、電気が消えたかと思うと蝋燭を点したケーキサービス。息子も知らなかったいうサプライズの演出はさすが。若いスタッフの笑顔とこまやかな対応にも母は感動していました。
快い疲れと脱力感。散会後、息子達は従兄弟同士で梅田で飲むという。それもよし、適当にやりなはれ、と我々(両親、弟夫婦、ウチの夫婦)はタクシーで宿泊ホテルに向かう。部屋に落ち着いて、弟と二人、改めてバーで乾杯。
今日は、父の希望で、四天王寺さんを拝観後、高速で我が家に。天気情報では50パーセントの雨だったのに晴れ上がる気配。家で昼食後、父は息子のベッドで昼寝、私は弟と野中寺(やちゅうじ)の山茶花、道明寺天満宮の梅を見に行く。山茶花は散り際。梅は一分咲き。女性陣はウチでおしゃべりに夢中。
3時半に家を出て高速で関空へ。夕陽が眩しい。車椅子をANNAのものに乗り換えさせもらって、搭乗口まで送る。8時に無事、家に着いたと弟から電話。これまでの清算をして、姉と弟へメールで送信。後は写真を仕上げ、パワーポイントをビデオに換えて、両親に送ったらすべて完了です。
両親の米寿を祝える幸せ。元気で長寿でいてくれたことに感謝しています。それにしても、不思議な達成感、そして虚脱感に襲われています。今日まで体がもってよかった。
2008年1月12日
朝9時45分。そろそろ伊丹に両親、弟が着いた時分。義兄が迎えに行ってくれています。友人の書家、山本添山が宴の看板を書いてくれて、今、届けてくれました。いい字です。
伊丹では空港で車椅子を借用。義兄は伏見区役所で無料レンタルの車椅子を借りてくれた由。まず、京都の姉宅に落ち着き、姪の墓参りなどした後で、大阪に向い、午後5時に会場である息子のホテルで落ち合います。
巡り合わせってあるのでしょうか?昨日の「共生社会」の授業はたまたま「車椅子実習」でした。9人ほどの生徒と一緒に校内を車椅子で廻る。中庭のレンガの道が通りにくい。小さな路面の変化が走行の負担になり、腕に力が入ります。それに水はけの為、通路の真ん中がほんの少し高くなっているので、車椅子が左右に流されて直進できない。見た目はきれいで、今まで好きな通路でしたが、違った見方をしなければと思いました。
食堂前の自動販売機のボタンに手が届かない。頭の中ではわかっていたつもりでも、実際、長時間乗ってみると、いろんな発見があるものです。今日に備えても、いい経験になりました。
その前夜、あべのの友人の事務所に寄ると、ちょうどいいところへ来たね、かんさん、お母様が来はるっていってたね、車椅子を貰って、と言われる。年末に友人のお母様が93才で亡くなられて、不要になったところだったのです。恐縮しつつ、そのまま貰って、押して帰る。羽曳野市役所で借りるつもりだったのに・・・。
こんなにトントンとコトが運んでいいのでしょうか?だれかが後押ししてくれているように思います。花束も仕上がり、記念品も包装が済んで、これから会場に向かいます。雨が上がりますように・・・。
2008年1月10日
校内のみならず、校外でいろいろ問題を起こす生徒もおります。喫煙、コンビニ周辺、近辺のマンションや府営住宅のロビーでたむろ、食べ散らかし・・・苦情が毎日押し寄せます。
その対策に、生徒指導部のメンバー(私もそのひとり)で授業の空き時間に学校周辺を巡回しています。同僚とペアを組んで、自転車で。気候のよい季節ならいいけれど、今は寒い。
昨日は、付近の私営駐車場やコンビニ廻り、ポリ袋を持って行って、ゴミや吸い殻を拾う。誰のやったものかはわからないけれど、やっていることが、付近の住民の方々へのアピールにもなります。
学校から数分のコンビニの前で、体操服を着て、単車に乗っている生徒を発見。大声を掛けて止めて、注意。学校へ連れ帰る。「単車登校」で停学指導になります。本人は一旦家に帰ったなどと言っているが、体操服で午後1時に学校の傍を単車で走る神経がまずおかしい。それこそ、入学以来、ずっと警告し、注意しているのに・・・・。
でも、まだ素直についてきてよかった。注意を振り切って逃げたり(その際の事故がこわい)、教師につっかって怪我をさせたりする生徒もいるのですから・・・。
ところで1昨日の福岡の飲酒運転の判決。まだ怒りが収まりません。
お父さんならどうするの?と息子。
お父さんなら・・・?自分の息子が当て逃げして、罪もない幼い子どもが3人も死んだら・・・「息子を死刑にしてください」と言う!逃げて、罪を被ってくれるように友人に頼んだり、水を飲んで誤魔化したりする前に、海に飛び込んでひとりでも救って、自分が溺れ死んだらよかったんや!
ええっ!
もちろん、お父さんも死ぬ!財産全部処分して、遺族に渡して、それでも3人の命は償えないから、せめて自分が死ぬ!
もー、相変わらず過激やなあ。お酒もほどほどにしいや!
200年1月8日
年末から悩まされてきた腹痛はウィルス性腸炎だった?模様。同じような症状になった義母が病院に行って、そう診断された由。ものすごい患者数で、かなり流行っているんですって。
なまじ頑丈なので比較的軽い症状だったのでしょう。義母は点滴を受けているようです。やはり、私がうつしたのでしょうか(苦笑)?
それにしてもお陰で頭痛とめまいはどこかへ行ってしまいました。
たんぽぽが咲いたと京都の便り。例年より2ヶ月早いとか・・・。なにそれ?菜の花もちらちら咲いています。
飲酒運転で子ども3人殺して、業務上過失致死傷罪で懲役7年余の判決。法律上はそうなるのかもしれませんが、感情的に許せません。遺族の気持ちを思うと、とても納得ゆきません。危険運転致死傷罪(最高刑20年)を適応すべきだと思います。今林被告の事件後の言動を見ても、実質5年で出所したあと、一生かけて、身を粉にして償いをするとは思えないのです。まず、20年(それでも短いと思う)の時間を差し出すべきだと思います。
2008年最初の授業は入学年次の基礎クラス。15名中出席1名。寒かったから?気合い入れて準備していったのに・・・。世界には教育受けたくても受けれない子どもがいっぱいいるのに。勉強しないまま半端に社会に出てゆく若者の増加、そして一方、受験勉強だけして、常識のない若者達がどんどん大学へ行って遊び倒す・・・格差社会は進行し、民主主義など更に形骸化してゆく気配(もともとええ加減でしたけど)。底辺だけ見て悲観的になっているのかも知れませんが・・・。最近、ホテルマンの息子より、警察官の息子と話が合う自分にため息が出ます(苦笑)。
2008年1月6日
「冬帽を 目深にこの世 遠ざける」 中村明子
やっと年賀状の返事を書き終え、少し運動をして、いよいよ明日、出陣。体調も不思議に快復。なんとかなるものです。寒かったけれど、きれいに澄んだ冬空、夕陽も静かに速やかに沈んで、淋しそうでした。
今年いただいた賀状で心に残ったもの。団塊の世代で定年退職が始まり、1昨年退職され、マンションに引っ越しされた先輩が、来月そのマンションも引き払って故郷に帰られるとのこと。「故郷土佐で老後を考えます」という添え書きがありました。
故郷の家のこと、親のこと・・・やはりいろいろ考えます。
やっぱり京都
海住山寺(かいじゅうせんじ)
ずっと憧れていたけれど、機会がありませんでした。山城の盆地の北の丘に立つ五重塔を持つ古刹。天平七年(735年建立)。
訪れたのは年末の小春日和の一日。JRの加茂駅からタクシーで10分あまり。かなり山の上です。国宝の五重塔は思ったより小さく、重文の十一面観音も同じく。麓から塔が眺められるというイメージは少し崩れました。でも南天寺と呼ばれるくらい周囲に南天が多く、寺に至る道も素朴で赴き深し。
本坊は非公開(十月末のみ公開)で残念。でも境内から、瓶原(みかのはら)が望める。暖かい日射しの中で持参の日本酒をちびちび。
「みかのはら 湧きて流るる いずみ川 いつみきとてか 恋しかるらむ」
百人一首で知られていますが、どこに「いずみ川」があるんですか?と問うと、あの木津川のことですよと教えられる。そうか、広くはないけど、東北西になだらかな山々、南に木津川を持つ都の基本パターンともいえる好ポジションを持った地なのだとナットク。来てみなければわかりません。
帰りに寺の麓の平地に残る恭仁京(くにきょう)の跡に寄る。恭仁京は平城京の後、聖武天皇の命でこの地に造営を始めたが、途中で、都はまた紫香楽(しがらき)に遷され造営中止。そのあとに山城国分寺が造られた。今は立派な礎石が田畑の中に残っているばかり。
それにしても、風光明媚のわりに観光客の少ない気持ちのいいとこでした。タクシーの運転手が口を揃えて、住みやすいとこだというのもわかります(でも商売は?)。加茂からはJRの快速で天王寺まで50分。ニュータウンがぼちぼち造成されているようです。
2008年1月5日
霧時雨 富士を見ぬ日ぞ おもしろき 芭蕉
大晦日、「紅白歌合戦」は、古市に開店したばかりの蕎麦屋と、神戸に向かう自動車の中のラジオと、今治に向かうフェリーのロビーのテレビできれぎれに聞き、見しました。テレビの前に陣取って酒を飲みつつ見ていた例年と異なり、却って新鮮で面白かったように思いました。構成も凝っていたようです。それぞれの歌手の熱唱も。
年末からの体調不良が続き、正月はほとんど実家に籠もって酒も飲まず、親親戚を心配させました。でも、お陰で来週行う米寿祝いの宴で上映する両親の歩みを綴ったパワーポイントの映像を、京都から駆けつけた甥の協力でなんとか仕上げました。これで安心。
楽しみにしていたニューイヤーコンサートも劇場中継も見逃しましたが、箱根駅伝は作業しながらちらちら見ました。例年にもましてドラマチックな展開。リタイアも3校。
でも、巧妙に仕組まれた劇場の中で行われている演劇のようでちょっとしらけました。「紅白」とは違った次元のはずなのに、同じような匂いがします。盛り上げに工夫が凝らされ、市民は集まり、関東の大学の陸上選手育成のはずだった行事は全国区、新年の風物詩、視聴率を稼げる番組となり、二十歳前後の有望選手はそれに向けて全国から集められ、調整し、プレッシャーの中、母校の名誉とやらのために走る、走らされる。箱根で燃え尽き、その後選手として続かない陸上選手が多いと聞きます。もちろん、それを超えてゆく少数のスター選手はいるのですが・・・。
嫁ハンは松山奥道後のホテルで1日、2日のライブ。私の中高の友人が駆けつけてくれて、ちょっとした同窓会になりました。
5日のドラマ「鹿鳴館」。期待して見たのですが、脚色しすぎで、原作や舞台の香りが消えていました。
なにがオリジナルで何が本物なのか、わからない時代です。「偽」の世相はなお五里霧中、混迷を深めてゆくのかもしれません。貴重な平和な状況であるはずの今の日本、どこがおかしいのでしょう?
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