2008年12月31日
「 赤いこと 冬野の西の 富士の山 」 子規 明治29年
富士は正月の雰囲気ですが、この句は年末。トイレの大きな日めくりも、机の上の松山子規記念館で買った「俳句日めくり」も最後の一枚。そこにこの句が載っています。
学生時代、埼玉にあった下宿の西向きの窓から、年に数回、晴れた冬の日には富士が見えました。桑畑があって、雑木林があって・・・今はすべて住宅地に変わってしまっていますが、忘れられない情景です。
先日までの暖かさで、ベランダのラベンダーが花を付けました。でも、北風にまた枯れてしまいそう。風の当たらないエアコンの室外機の傍に移しました。30日、夜11時、夜回りの拍子木の音が響いています。「火の用心」の声が聞こえてくる。他方向からも。各自治会がやってはるんですね。故郷では、昔は子供会が7時過ぎに廻って、その後自治会、老人会と時間毎に引き継いでいったように思います。今は少子化もあり、まして安全面からも子どもの出番はないようです。
「でんち」(「ちゃんちゃんこ」の袖無しのようなもの)を着て、懐中電灯を持って、大声を挙げて、小一時間かけて暗い村道を廻った子どもの頃が懐かしい。あの頃の冬は寒かったけれど、引き締まるような空気と澄んだ夜空。オリオン座が綺麗でした。
行く人
ロバート・マリガンさん(米映画監督、83才、心臓疾患)
ハーパー・リーの原作を映画化した「アラバマ物語」で映画史に名を刻みました。身分差別の残る南部の町で社会正義を貫こうとした弁護士(グレゴリー・ペックが名演)は映画のヒーロー、第1位に先日選ばれました。あの主人公の無念の思いは、約半世紀を経て、アフリカ系新大統領の就任で少しは晴らされるのでしょうか。
飯島 愛さん
クリスマスイブから京都へ出かけていて、ニュースを知るのが遅くなったのですが、なぜか深い衝撃がありました。鬱だ、クスリだ、先夜飲んだある友人はエイズだったのだろうと無責任に言い張る・・・死因があれこれ取りざたされていますが、もう、そっと眠らせてあげましょう。充分傷ついて生きてきはったんですから。
それにしても、死後一週間で発見とは痛ましい。家族、恋人、友人は・・・?それがずっと心にかかっています。
24日の授業「賢者の贈り物」はどうでしたか?というご質問いただきました。
100年前のニューヨークの話です。年々難しくなってはきています。話のポイント「時計鎖」と「櫛」が読めない、意味がわからない生徒もいます。そもそも「東方の三賢者」を知らず、当然、クリスマスプレゼントの由来も知らず、ましてクリスマスが何の日が知らない生徒もいます。余計な説明はしたくないけれど、仕方なく懐中時計から鬘(かつら)まで説明しまくって・・・プレゼントのすれ違い、若夫婦の愛の絆の強さは伝えたつもりだけれど、「切ない話だった」という感想もあれば、「難しい話だった」という感想もありました(苦笑)。確かにある面、深い難しい話ではあります。
来年(明日ですが)元旦は1秒だけ日が長いそうです。「うるう秒」が入るためで、「8時59分60秒」が存在し、そのためにあらゆる企業や交通、報道機関も大きな影響を受けるそうです。だれが計算して、どこでそうなったのでしょうね。すごい。
建築物大好き人間。「世界の名建築」の再放送を見ながらこの文を書いています。「ピサの斜塔」って、塔は傾斜していますが、最上階だけは地面に垂直に出来ているのですね。今日、知りました。
建設中に傾斜に気づいたので、バランスを取るために設計を変えたのだそうです。(それでも傾斜は止まらず、基礎再工事がなされたとどこかで読みましたが・・・)ずっと写真を見て感じてきた不自然さのわけが解って、ほっとしました。でもこれは七時間の番組、諦めて今年最後の買い物に出かけます(笑)。
「 きれいな空へ 無限の階段 年つまる 」 横山 衣子
皆さん 今年もおつき合い ありがとうございました。
どうぞ、よいお年をお迎えください。
2008年12月30日
「 穏やかや 菊を包みし 新聞紙 」
例年通り、飲んだくれ、愚行あれこれあった一年ですが、思い起こしてみれば、わずかな善行?もあったようで・・・。そのひとつが、失意の友人の奥さんに贈った花束。
たまたま、同僚が職場に珍しい新種の菊をたくさん貰ってきていたので、思いついて、少し分けて貰い、手近にあった古い新聞紙に包んで友人宅へ届けて、そのまま忘れていました。
ところが当の奥さんがすごく感激して下さったそうで、趣味にしている俳句に詠まれて、所属する句会に投句。それが上記の句だったというわけです。きれいな包装紙より、新聞紙に包まれていたのがよかった、ジーンときました、と伺って、こちらが驚きました。そうなんだ、そういうこともあるのです。
いろいろなことがあって、今年も暮れてゆきます。やっと賀状が仕上がって投函。まる二日、ほぼ家に籠もって、テレビを聴きながら作業していました。
それで初めて「HERO」再放送を見ました。面白い。脚本がいい。セット、キャストの演技がいい。木村拓哉も松たか子も適役好演。今年見たドラマは「篤姫」と「風のガーデン」だけでした。来年はもっとテレビドラマを見ようと思います。
賀状の投函に併せて、「百均」へ買い物にゆく。ところが何を買いに来たのかわからない(笑)。適当にあれこれ買って帰って、やはり違うなあ・・・やっと思いだして再び買いに出る。嫁ハンに笑われる。買い物は年一回増やすフォトスタンドでした。
そういえば、賀状の失敗もいくつか。まずは「来年もよろしく」と書いてしまう。「おめでとうございます」とかくところを「ありがとうございます」と書いてしまう(苦笑)。もう、ますます年を感じる歳末ですが、賀状もこの二,三年が人生のピークだと思います、退職すれば、自然に減ってゆくでしょう。疲れる作業でもありますが、友人、知人の顔を思い出しながら、嫁ハンとあれこれしゃべりながら、筆を走らせるのは楽しい時間でもありました。「来年はもう少し早めに取りかかろう」と毎年の決心をして今年の年末恒例行事もひとつ終わりました。
先週の暖かい日に、初めて早めにやった窓掃除。我ながらよくやったと安心して悦に入っていたら、風が吹いたりして、もう汚れている。ショック。明日、もういちど、やり直します(苦笑)。
上の息子は三日ぶりに帰宅したと思ったら、三時間滞在して出勤。掃除、賀状どころではありません。夕刻、その息子のホテルの年末恒例のファミリーパーティに義母、嫁ハン、非番の下の息子を連れて出かける。千人近い人々が大ホールで飲んで食べてゲームに興じて大騒ぎ。総支配人自らケーキを焼き、餅つきをして大サービス。でも、例年顔を出す息子は会場に来ない。
顔見知りの上司が挨拶に来てくださったので、ちゃんと働いておりますか?実はクビになっていて、ビデオ喫茶ででも時間を過ごしているのでしょうか?と尋ねる。
いえいえ(笑)、忙しい部署なので手を離せないのですよ、と聞いて、安心して、また息子に悪いような気がして、最後まで会場にいないで早々に帰って来てしまいました。忙しい大変だと言っても、まだカレンダー通りきちんと休める私は恵まれている方なのでしょう。下の息子も、元旦から出勤です。
話題の新聞連載、瀬戸内寂聴さんの「奇縁まんだら」も27日で終了しました。最後に採り上げられた「小田仁二郎」さんは、出家前の瀬戸内さんの最後の?愛人。極貧、孤高の前衛作家で、家庭を持ちながら瀬戸内さんと半同棲、彼女の創作を後押しし続けた。その彼が最後に「純文学の作家に大衆小説を書かせて、転ばせるのが趣味」と噂された新潮社の敏腕編集者、斉藤十一氏の薦めによって、エロチシズム溢れる大衆時代小説を書いて大金を得て、その後、喉頭癌に罹るが、自分の原稿も作品もすべて焼き払って逝ったという・・・。
二重生活、子どもの成長、進学問題・・・「文学の為に家族を犠牲にして平然とできるのが本当の芸術家か?」その問いに瀬戸内さんは答えられない。「山月記」にも描かれた作家の悲痛。
ちなみに柴田連三郎さんも、五味康佑さんも斉藤氏によって、見いだされ?純文学から転校して流行作家になったのだそうです・・・。
でも、小田さんは、結果的に瀬戸内寂聴という個性豊かな作家を世に送り出したのです。
2008年12月29日
「 三味線に 千鳥鳴く夜や 先斗町」 子規 明治31年
不思議な符号。先日、南座から伊丹のアイ・ホールへ。帰宅してふと雑誌を開くと阿刀田高さんの短編「カーテンコール」。
主人公は初老の女性。かつて芸大の女学生時代、銀座にホステスのヘルプとして出ていて、その時やさしくしてくれた先輩ホステス、翔子に街中で37年ぶりに出会い、変わらぬその美しさに驚く。翔子は売れない新劇女優でもあった・・・。
人生ですれ違った女性の、それぞれの人生をさらりと描いているが、南座で見た「じんさんばあさん」の37年ぶりの再会、アイ・ホールで感じた演劇人の生活の苦労がだぶって浮かんできました。
私にとって演劇週間ともいえる1週間でした。とどめは友人の主宰する人形劇団の新作の公開リハーサル。午後5時、劇団のスタジオへ。 コーヒーを出してもらって、机もあてがってもらって、舞台正面で見せてもらう。それに応えるには厳しい感想・意見を書くこと。暗い席で、芝居を見ながら、用意した用紙に手探りで気づいた点を書きまくって、カーテンコールの練習の7時頃には3枚のレポートが仕上がっていました。こういうのは商売柄?得意です。
私は招待の礼にワインを渡し、彼はレポートの礼に焼酎をくれる。一時間後に再度リハーサルが始まるそうですが、こちらはそこで失礼。前夜も徹夜に近い状態だったらしい。1月2日から本公演がはじまるとのこと。これにも招待されたけれど、帰省するからと断る。それにしても70近くて、糖尿持ちなのに、無理を重ねる友人の体が心配。握手した手にガーゼの手袋。脳梗塞の後遺症で、右手の温度の感覚が強すぎて、用心とためにしているのだそうです。ちなみに私の手は「めちゃ熱い」のだそうです。
年末年始を飾る花、シクラメンは品種改良を重ねる過程で匂いを失った花だったのだとか。それが小椋圭の「シクラメンのかほり」の大ヒットで、今度は匂いを付けるための改良を始め、最近は匂いのあるシクラメメンが出回っているようです。
「赤いスイトピー」も、歌によってそれまでなかった品種が開発された例なのだそうです。そんなことを賀状を書きながら、テレビを聴いていてしりました。
その賀状書きがほぼ終了。なんとか明日中には投函できそうです。
2008年12月27日(旧暦12月1日)
教え子の出演してる舞台の関西公演を見に伊丹に行ってきました。穏やかな小春日和、あ、旧暦では今日から師走だ。小春(11月)は過ぎました。JR伊丹駅前の日当たりのよいベンチで若い友人と待ち合わせ、そのままそこであらかじめ仕込んでおいた地酒「白雪」を一杯飲んで、すぐそばの劇場へ。
劇団「燐光群」の舞台。坂手洋二さんの新作は「戦争と市民」(この題名はイマイチだなあ)。昨年の「黒点島」で竹下景子さんと一緒に客演していた渡辺美佐子さんを改めて主演に迎え、アンサンブルのいい舞台になっていました。
「アイ・ホール」はこじんまりとして私の席から舞台まで数メートル。黒く丸い大きな木枠が囲んだ八百屋(斜め上がりの舞台)は捕鯨船、それを模したくじら料理屋、捕鯨船の技術を活かして作られた防空壕を表し、短時間の暗転で見事に転換される。「顔見世」で南座のゆったりした大きな舞台を見たすぐ後だったので、これが非常に新鮮でした。
舞台は元、捕鯨で栄えた地方都市「鯨丸」。そこのくじら料理店のおかみヒサコ(渡辺美佐子さん)はたまたま見つかった防空壕で幼い自分に幻影に出会い、空襲の時代、経験を語り継いでゆこうと決意する・・・。
空襲体験を再現する劇団員たちの動きがダイナミックでいい。そもそも渡辺さんの空襲体験談から触発されて生まれたという作品だけに、渡辺さんの演技は演技を越えて、こちらに迫ってくる。とても70過ぎとは思えない声、目の輝き。「受け取ったメッセージは伝えなければならない」というメッセージはきちんと伝わりました。休憩なし2時間半があっという間でした。
ただ、捕鯨を巡る国際情勢、近くに着水する北朝鮮のミサイル、原発に絡む土地買収問題、そして町長選挙・・・もりだくさんのテーマを収斂しきれなかった恨みも・・・鯨問題をもっと明確にして命の問題、空襲、戦争と人の生き方に繋がると、より感動が深まったのではと思います。
教え子のいずかしクンは渡辺さんの「隠し子」ならぬ「隠れ孫」の役でおいしいところ。だんだんたくましくなってきました。これで東京から始まった巡業は打ち上げ。来春はドイツ、オーストリア、フランスへの海外公演に出るそうです。がんばってほしい。
終演後、ロビーで彼にワインを差し入れ、再会を約して別れ、阪急電車で帰り、同行の友人と梅田で痛飲。我ながら元気。でも若い友人は、またそれから京都まで忘年会にと出かけてゆきました。スゴイ!
2008年12月26日
水原 秋櫻子
「 芝居好き 隣てたのし 年忘 」
「 顔見世の噂や 火鉢 拭きながら 」
「
澄む空や 顔見世櫓(やぐら) 上げてより 」
授業を終えて、師走の京へ友人二人と行ってきました。今年の京は暖かいクリスマスを迎えていました。いや、南座の顔見世はすごい熱気。切符を手に入れるのも大変な状況でした。
その理由のひとつは例年以上の豪華な顔ぶれ坂田藤十郎、片岡仁左衛門、坂東玉三郎、中村吉右衛門、市川海老蔵・・・と人気役者が揃いました。「顔見世」とある以上当たり前ですが、三十年近く通ってここのところ普通の歌舞伎公演になってきていました。歌舞伎人気復活もあって、東京の劇場に役者をとられている昨今でした。
狙っていた夜の部(海老蔵の光源氏、玉三郎の六条御息所は見たかった)は取れず、昼の部を見たのですが、なかなかの充実でした。
「藤娘」を踊った藤十郎は七十七才と思えない美しさと動き。目一杯、藤の花房と松を大きく作った舞台で、ふっくら目の藤十郎が可憐な藤の精見えました。そうだ、藤娘は和製ティンカーベルなのです。
眼目の「石切梶原」の吉右衛門は貫禄の演技でしたが、なぜか(演じる家の型にもよるのでしょうが)そのテンポが周りと合わず緊張感がイマイチでした。個人的は前に見た松本幸四郎版の方がよかった。でも愛嬌と声のよさは抜群です。
圧巻はキリの「じいさんばあさん」。森鴎外の短編を脚色した新歌舞伎ですが、これを見るのは三度目。よく演じられる人気狂言です。どちらかというと地味な話なのですが、演者によってこれほど活きるとは・・・。
当代の名コンビ、仁左衛門と玉三郎の円熟した演技を堪能しました。子を授かったばかりの美しく爽やかな若夫婦が、夫が引き起こした交通事故のような殺傷事件から三十七年間離ればなれに過ごし、老人同士として再会する・・・。
匂うような玉三郎の若妻、颯爽とした仁左衛門の若侍が一転、共に見事に老けて、しっかり皺も刻み、足取りまで覚束ない老人となって登場して客席がどよめく。
三十七年目の春、かつて若木だった桜が成長し、見事な花をつけた下での再会。展開は見えているのに、観客のすすり泣きが会場を覆う。三十七年のかけがえのない月日、そのあいだに失った息子、再会の戸惑い、喜び・・・仁左衛門・玉三郎のコンビはユーモアを交えて、人生の不条理と愛の不変を歌い上げます。芝居は役者で活きる。感動の舞台でした。
若手の台頭もうれしい。人気の片岡愛之助が昼の五演目中、三演目でおいしい役をもらい、奮闘していました。その一方で、昼の部では敵役一役の海老蔵は、いつものぎらぎらした若さが感じられませんでした。
夜はたっぷり飲んで、四条のホテルに泊まり翌朝はゆっくり起きる。外は雨模様。地下鉄で北大路へ。ここから雨は雪に変わる。タクシーで「正伝寺」へ。このお寺は初めてでした。石庭に雪がうっすらと積もり、赤い南天、千両の実が鮮やか。借景の比叡山が瞬間顔を見せてくれました。ラッキー。参道には黄色い蝋梅がもう花をつけていました。
雪の中を一時間歩いて、吉野太夫縁の「常照寺」(桜のころはさぞ)、隣の「源光庵」(赤松が見事な禅寺)、そして光悦寺で締めくくり。どこの寺も観光客がほとんどなく、ゆっくり見れました。特に光悦寺はこれまで茶室ばかり目についていい印象がなかったのに、細かい雪が舞う鷹峯(たかがみね)の美しい稜線が正面に見えて、感動ものでした。これがこの寺のポイントだったのだ。
やはり雪という自然の演出はすばらしい。それもあって、今年は例年以上に大満足の京の旅でした。これで来年の冬の来訪を目標にがんばれます。
2008年12月23日
「 金銀の 紙ほどの幸 クリスマス 」 沢木 欣一
最終週、担当している海外文学講読(週2回)では「警官と賛美歌」、明日のイブは「賢者の贈り物」とクリスマスストーリーのつるべ打ち。でも欠席が多いのでは?という不安も・・。先週金曜から勝手に冬休みに突入している生徒が多くいます(苦笑)。
「広瀬香美(こうみ)聴く」と言うのも冬の季語なのですが、今夜初めてテレビでお顔を拝見。
今年の授業もあと2日。学校の区分としても授業料は1月から第4期分となります。それもあって、この日に退学届けを出した生徒がわがクラスにひとり。これで今年度3人目。4月から数日しか登校していなかったのですが、先週から学校に来て貰って、懇談と電話連絡を重ね、転学も検討したのですが、親の納得もあって、本人の希望通り退学へ。真面目ないい子だったのに、学校生活がしんどかったようです。今のバイト先で正規雇用の話があるというのが救いです。それにしても30単位近く持っているのでもったいない。ロッカーを整理して送り出して、しばらくしたら、携帯に「先生お元気で、またできれば時にメール下さい」と入ってちょっとほっとしました。
年末はなにやかやと忙しい。疲れて電車に乗る。アベノで先日、再開発の為に閉店を余儀なくされた居酒屋のマスターを励ます会兼、元常連の忘年会。おいしい鮟鱇鍋をしっかり食べて、元気と気力回復、酒は持ち込んだ愛媛の「梅錦」。焼酎は「森伊蔵」。
幹事なのに、10時で抜けて藤井寺へ。毎年行っているスナック「R」のクリスマスパーティ。宴会のハシゴは数年ぶりです。10時半に着いたのにみんな待っていてくれて、12時半の終電まで大騒ぎ。カラオケで「安奈」を歌うのは年一回のこの時だけ。歌う度に1年って速いと思います。それにしても我ながら元気なこと・・・。
23日の休日は午前は嫁はんとおにぎり、サンドイッチ作り、午後からそれを持って行って、学校で2年前の卒業生(あ、退学者も一名)とクリスマスパーティを兼ねたミニ同窓会。13人参加。みんなそれぞれに頑張っています。それにしても複雑な家庭事情を抱えた者の多いこと。一人暮らしも数名。保護者の再婚で義父、義母や異父、異母兄弟と暮らしている者も多く、赤ちゃんといえる弟妹の面倒をみている者も数名。一人暮らしで、大学を目指し、昼夜のバイトをしている者へは一日数時間しか寝ていないという。それじゃ、大学どころでなく体壊すで、とお説教。
卒業して、ずっと運送会社で荷物運びをしていて、フォークリフトで荷物を運ぶのが好きで、ずっとこれを続けたいと明るく語った子の言葉が救いでした。経済危機の波は若い彼らをもろに襲っています。
全員で持ち寄った500円のクリスマスプレゼントを交換、私はアロマランプが当たりました。いい香りです。
「風のガーデン」の感想への反響をいただきました。いろんな見方があって面白い。昨日の朝刊?で哲学者、木田元さんは「こんな風に死にたい」という題で、このドラマを絶賛。「久しぶりに心洗われるドラマ」「大自然にいだかれ、家族や隣人に見守られながら穏やかに迎えるーわれわれ日本人に理想の死」と書いておられる。
別に「因果応報」や「勧善懲悪」に拘るつもりは毛頭ありませんが、私には、あの「きれいな死」はやはり「古い男のエゴ、身勝手」に思えるのです。確執のあった父には癌ということであっさり許して貰え、本来確執のあるべき娘には偽りの花嫁衣装まで見せて貰え、息子は初めから憎むことも疑うことも出来ないピュアなこころの持ち主という設定。メルヘンとわかってはいても、ストーリーだけが重要ではないとわかってはいても、鼻白んでしまうのです。
警察官である下の息子が殴られて帰ってきました。深夜、担当地区で乱闘騒ぎ、止めに入った息子達警官数名を、ケンカの当事者、そして数百人(!)の野次馬が囲んで殴る蹴る・・・本部、他の交番からの緊急援護を得て、なんとか解散させた・・・公務執行妨害で何人か逮捕されたらしいけれど・・・。
「なんや、それ!!ケンカ始めたヤツもアホな野次馬も全部撃ち殺せ!」と怒りまくって、お父さんよくあることやで、落ち着いて、と息子に窘められたアホな親です。それにしても怒りが治まらない。パトカーの音を聞いて逃げた、数百名のアホ共、出てきて謝れ!(ま、このHPを見ているはずはありませんよねー失礼しました)。
ゆく人
ピーター・フォーク さん。アルツハイマー病を患って居ることが判明。81才。刑事コロンボの名演が目に焼き付いています。
サム・ボトムさん (米俳優 53才、脳腫瘍)
「ラスト・ショー」「ブロンコ・ビリー」「」アウトロー」などの渋い脇役。なんといっても「地獄の黙示録」の空爆と一緒にサーフィンを始める兵士役で印象を残しました。まだ53才。
2008年12月21日
「 三合の酒飲んで 今日 冬至かな 」 永 六輔
なんで3合か一瞬迷いますが、「さ」の韻を踏んでいるのですね。ちょっと普段より多めに飲んでいる雰囲気。明日からもっと寒さは厳しくなるが、日は永くなる。この日は独特のちょっと嬉しい感じがあります。
「 ゆるゆると 湯船に浸かる 冬至かな 」
これは作者を忘れました。こちらは「ゆ」の韻です。もちろん「柚(ゆず)」の言葉が隠されています。近くの銭湯に行こうと思いましたが、冷蔵庫に柚があったので、2個だけですが、家で柚湯にしました。いつもシャワーの息子達にも入るように命令。家族元気で冬を越したいものです。
「柚湯」は血行をよくして、霜焼けやあかぎれに効くということらしいですが、どちらも見なくなりました。2年前に少年院に慰問に行って赤黒く腫れた手を見たのが最後です。暖房がほとんどないらしい。この11月に入院した生徒も、今頃霜焼けを作っているのでしょうか・・・。
あたたかな冬至でした。アルコールを抜く目的もあって、ちょっと早め?の大掃除。嫁ハンが賀状をがんばっている(それでこの数日パソコンは使えず、HPも更新できませんでしたー言い訳半分ー笑)間に、家の内外のガラスを磨き、網戸を洗う。ベランダのてすりや玄関まわりも・・。でも、近年、お掃除便利グッズがいっぱい出てきて、昔に比べたら格段に楽になって、作業は半日で終了しました。
30年以上前、故郷では暮れの掃除で障子を貼り替えるため、障子をどっと家の下の川に運び降ろして、障子紙の張り付いた桟を洗うのが冷たくて大変だったなあ、と思い出しました。でも、その前に思い切って障子を破らせて貰えるのが、子ども心に愉しみでした(笑)。あのころの子どもは真っ赤な頬をして、手にひび割れやあかぎれを作っていたものです。
不景気なのに忘年会が多い今年の不思議。ぱっと騒がにゃやってられない?でも一回あたりの経費が格段に安くなっているのも世相です。
年のせいか大人数の宴会が苦手になってきました。「人疲れ」をしてしまうのです。それで10人前後の小さな会に進んで参加。年内にテニス仲間、スイミング仲間、馴染みの店の常連の集まり・・・あと四つか五つ忘年会あり(笑)。本日はそれに備えて休肝日です。
最近読んだ本
「 早く昔になればいい 」 久世 光彦
最近久世さんに凝っているですが、これはがっかり。中央公論に連載したということもあるのかも知れません。ちょっと文芸っぽく迫りすぎました。少年時代を過ごした町を久々に訪れた中年の主人公が、かつて仲間と輪姦した、気の触れた今は亡い美少女の幻影に引き込まれてゆく。美文が饒舌過ぎて、却って白々しい感じが残るのです。主人公が消滅する結末もすっきりしません。
結末と言えば、話題のドラマ「風のガーデン」。忘年会で見られなくて、ビデオで、これも酔眼で見たので、ええ加減な感想ですが・・・それってないやろう?と思いました。
かつて女性関係で家族を苦しめ、妻を自殺に追いやり、家と故郷を追われた主人公が末期の膵臓癌で帰郷し、多少のの葛藤はあったが、父と和解(なんと父も配慮が足らなかったと息子の謝るのです)、結果的に家族に暖かく迎えられ、安らかに死を迎える・・・。これって身勝手な男の願望に過ぎないのでは?東京での生活を支えてくれた愛人の看護師(伊藤蘭ー好演)にも会わず、医者である父と、偽装結婚で「花嫁の父」もやらせてくれた美しい娘に看取られて・・・甘えるんじゃないよ、と言いたい。
一人で山奥に停まったキャンピングカーの中で孤独に死んでゆくのが本来だろう、私ならそう作る、と勝手に思って、毒づいていると、嫁ハンもめずらしく賛同。
気の利いたセリフ、緒方拳や中井貴一はじめキャストの好演に引きずられて、めずらしくほとんど見たドラマでしたが、最後でがっくりでした。ただ、嫁ハンには主題歌「カンパニュラの恋」を歌うよう薦めています(笑)。
もうひとつ、久々ほとんど見た大河ドラマ「篤姫」。こちらも最後の2回は急ぎすぎて、余韻が乏しかったです。せめて明治の晩年の篤姫の生活をもう少し描いてほしかった。
それにしてもドラマも見なくなって(見る間もなくなって)数十年。2つのドラマを見たのは今年の我が家の事件でした。
2008年12月17日
「 茶の花や 雨に濡れたる 庭の石 」 子規 明治33年
子規の句は、初め頃は頭で作っていたり、作り急いでいるのも感じますが、晩年になるにつれて、自然を凝視し、その境地は透き通ってくるようです。
寒さも増し、天気もころころ変わり、いよいよ冬の気配濃厚です。でも、夕方、雨の中、校庭から二重の虹が見えました。
カナダからきているNET,英語教師ジミーさんがもうすぐクリスマス休暇で帰国されます。オタクは寒いのでしょう、と訊くと、2日前に電話したら外はマイナス30度だと言ってました、ひえー!大丈夫?大丈夫、部屋の中は暖かい。この職員室より暖かい(苦笑)。
詳しく訊くと、ほとんど表には出ないという。なんで?屋内ガレージで車に乗り、暖めて、自動ドアで開閉して外へ出て、これも屋内駐車場の完備した巨大スーパーで買い物をしてそのまま帰る。つまり外気に触れることはないのです。プールその他、屋内のスポーツ施設も同じ。
そうなんだ、北風の吹く外を歩かなければならない大阪の生活の方が寒いというのは納得。でも、なんや、寂しいなあ。虹や夕焼けを見ることはないのでしょうか・・・。
クリスマスは家族で、ニューイヤーは友人達と祝うのだそうです。
なにやかやとあって、ばたばた。やはり師走は最後まで走らんとあかんということのようです。友人のステンドグラス展に行けなかったのが残念。
それでもきっちり遊んでいます。日曜日、友人3人と月一の温泉行きは「入之波(しおのは)温泉」へ。富田林から車で3時間。吉野川上流のダムの畔の一軒宿「山鳩湯」(近年もう一軒出来ているけど)。訪れたのは30年振りです。階段をずっと降りると、豊かな淡黄褐色に濁った炭酸泉。ぬるめで気持ちいい。30分近く露天風呂で3人でしゃべりたおす。静か、そして山の冷気。すぐそこの峠が分水嶺になり、そこから水は新宮へ、太平洋へ流れ始めるのです。そんな山の上にも人が住んでいます。 風呂上がりはビールと山菜の盛り合わせと蕎麦、仕上げは日本酒で。お土産は草餅。
土曜の、二月振りの歯科検診も楽しみでした。最近の歯科医院の充実ぶりはスゴイ。一日2回するという掃除で磨かれた個室の清潔感、凝ったインテリア、音楽、笑顔の対応・・・どれもグレードアップしています。いい気持ちで40分。レントゲンも撮ったので4000円かかりましたが、これで10年余、歯痛とは無縁で過ごせているのですから、投資としてはましだと思っています。
最近印象に残った言葉
塩野七生さん
「そもそも海軍は、海賊退治の為に作られた」
「平和はあまりに重要で、平和主義者の手には任せられない」 苦笑しつつ、ズキンと胸に落ちてくる。
来る人
笑福亭 銀瓶さん(落語家、40才)
鶴瓶さんの弟子。在日韓国人3世。生まれてずっと日本語、母国語は師匠にいわれても学ぼうとしなかった。それが「血と骨」を見て一転、今は韓国語による落語に取り組む。20年かかって、人生の鉱脈にぶち当たったのですね。
2008年12月13日
忙しかった師走第2週の締めは公開授業。個人的に若い先生に見に来てもらったことはあるけれど、参観日でない教師向けのオープンは久しぶりです。
流れの関係で、まだ主役の登場しない、物語の導入部分でしたが、難しい分、却ってやりがいがありました。
「一時間があっという間でした」という感想を異口同音にいただく。これは集中力、持続力に欠ける生徒に迎合して、授業を3つ位のパートに分けて、変化を持たせているからなので、褒め言葉と受け取っていいものか疑問。
「脱線したとこの話が面白かったです」、これも本筋ではない(苦笑)。「生徒がプリントのマチガイを指摘したのがよかった」、これはいつもあるのです。入力ミス、変換ミスをいつもやっているので、指摘した生徒には平常点をやるようにしてるのです(苦笑)。
この年になると、みんな遠慮して厳しい指摘やアドヴァイスをしてくれなくなります。公開授業のようなこういう機会は大事にしたいと思います。
午後に、大事件とは言えないけれど、ややこしい事件がいくつかあって、例によって会議を終えて、友人との宴会に間に合うように飛び出す。しまった、高卒認定試験の受験した顔ぶれの一覧を作ったのに持って帰るの忘れた。昨日結果が発送されたので、そろそろ各自の家に届いて、連絡が入るはずです。
宴会を中座して、香里園の叔父(父の弟)に電話。81才の誕生日だったのです。そろそろ電話があると待っていたんだ、と話し始められて・・・。実は先日の法事の時にな、お前のおやじに説教してしもうたんや。え、なんでですか?酒の飲み方がだらしなくなってな、こぼしたりしよんや、しっかりせえと言うてしもうた。よろしいやん!おやじも年で、説教してくれる人がおらんから、ゆるんでいるんです。どんどん、びしびし言ってやって下さい。
端正に酒を飲むことをモットーとしていた(若いときは正座して飲んでいた)父は可愛がっていた末の弟に諭されてショックだったようです。今朝、家に電話して母に訊くと、そうよ、ありがたいことじゃねえ、もっと言うてもらわんといかん、と笑っていました。
村で上から2番目の年長者になってしまった父。今日は昼から村の会所で老人会の忘年会があるそうです。「飲み過ぎないように言うておいてな」「あなたからは言われたないと言うとるよ」。それはそうでした。
昨夜の宴会でビール、焼酎、日本酒・・・3日ぶりのアルコール摂取、機嫌よく楽しく飲む。家に帰って更にワインを半本空けたらしい。やはり飲み過ぎ。それでいて二日酔いでないからまた困ります。懲りない。ピロリ菌駆除の成果か、中国で買ってきた肝臓にいいという「一葉茶」の効果か・・・。だれも怒ってくれないから自省しています(苦笑)。
穏やかな小春日和の午後、一年ぶりに息子を誘ってテニス。3時間汗をかいて、少し残っていたアルコールも完全に抜け、フィギアスケートのグランプリ大会を楽しんでいる土曜の夜です。
2008年12月11日
「 汽車道の 一段高き 冬田かな 」 子規 明治28年
黒い煤をたっぷり含んだ煙は今なら大気汚染と言われますが、明治当時の、まして澄んだ初冬の空に勢いよく吹き上げられる蒸気機関車の煙は清潔感があります。当時3才のおばあちゃんも、子規と同じように土手を走る汽車を見たでしょうか?
ドラマ「風のガーデン」すべての点で゛よく出来ていますが、やはり末期癌の患者の主人公を初めに持ってきている構成が「あざとい」と感じます。
今日で三日禁酒、体の中のアルコールが抜けてゆく感じはいいものです。
もう満月近い初冬の月。
「ルミナリエ」ならぬ「イエ(家)ナリエ」が町を彩っています。いろんな意見もあるでしょうが、寒い街角で目は愉しませてくれます。今日思い至ったのですが、これって、「クリスマスツリーを飾る楽しみ」の延長なのじゃないでしょうか?
ローマ人の物語 26 塩野七生
政治思想家マキャベリによれば、リーダーには次の三条件が不可欠となる。「力量」、「幸運」、「時代への適合性」・・・賢帝といわれたトライアヌスやハドリアヌスについでピウスもタイプこそ違え、この条件を揃えて持っていた。ネロやカリギュラの後、ローマはいいリーダーに恵まれる。さて、現代の日本は・・・?
麻生さんの支持率が急降下と騒がれていますが、出だしが高すぎただけ。失言、放言に曖昧さ・・・こうなることは大半の人が就任当初からわかっていたはずです。
最近読んだ本
「 はだか嫁 」 蜂谷 涼
この作家も時代小説の新鋭。その美貌と才気を見込まれて、老舗の「献残屋」(献上品の売れ残りを扱う店)の嫁に望まれ、身一つで嫁いできた「おしの」が美しい姑「おりき」に愛され、仕込まれ、またまた美しい将軍の愛妾「お琴の方」のトラブルを解決して、一家の柱となってゆく。
しかし、肝心の夫「運平」は半端な男で、おしのに気圧されて美しくない愛人を作って子どもまで作ってしまう。
とことん裏切られた「おしの」を最後に庇うのは姑の「おりき」。気持ちのいい啖呵を切って、実の息子を家からたたき出す。
おしののある日の装いは「江戸紫の地に紫色で『い』の字を十重ね『し』の字で貫いて描くいとし藤の柄の縮緬・・・」きれいだろうなあ。でも、「女は美しくなければ・・・美人はこころも美しい」と、正面切って何度も強調されると、ちょっと鼻白みます。まあ、そこが時代小説特有の逃げ道も用意してあるのですが・・・。
2008年12月10日
「 白壁に 見失ひけり 帰り花 」 子規 明治25年
この句では、旧家の白壁でしょうが、うちの近所のしろい新築の住宅の前の桜が今、咲いています。まだ、入居者はありません。
通勤途中、自転車に乗って、走りながら読書している高校生(男子)を見かけました。危ないと思うより、その運動神経に感心。
行く人
加藤周一さん ちょうど今、その評論を教材で採り上げているところでした。こころをこめて授業します。
遠藤実さん ミノルフォンが彼の名前に由来するとは知らなかった。代表作、「北国の春」は詞に触発されて、5分で作曲したとか。「高校3年生」は高校進学を断念した悔しさと、実現しなかった高校生活への憧れを歌ったものだったそうです。
2008年12月7日
「山鳩よ」と書き始めて、これってこの間書いたよな、と気づきました(苦笑)。
「 大木の すっくと高し 冬の門 」 子規 明治25年
古市、旧町内に点在する寺社の境内に大銀杏が2本あります。一本は伸びた幹の先を切られて可哀想、というより怒り。日照権や落ち葉問題はあるだろうけれど、もう100年以上もこの地にいてはるんだよ。木の方が優先!もう一本は高く伸びて、たくさんの金色の葉を散らしています。初冬の空に、大木は気持ちよさそうに枝を広げています。
先月に訪れた「みたらい渓谷」の落ち葉を思い出しました。黄色い落ち葉が一斉に渓谷に散って流れてゆく。春のピンクの「花筏」とはひと味違ったダイナミックな光景でした。
同僚から、カンセンセってもちろんオードリー・ヘプバーンのファンですよね?と訊かれて、つい正直に、ウーン、素敵な女優さんですが、ファンかと言われたら迷います。そうですか、実は、写真展の招待券があるのですが・・・あ、行きます、行きます、貰います、というチグハグな問答があって・・・(苦笑)
5日、金曜日の夕刻、忘年会の前に近鉄百貨店のアート館に滑り込む。「ボブ・ウィロビー写真展andオードリー・コレクションン」(10日まで)。ボブ・ウィローはロサンゼルス生まれの写真家。オードリーとは彼女がアメリカに渡って来てから家族ぐるみの付き合いをしてきました。「ローマの休日」「緑の館」「噂の二人」「尼僧物語」「ティファニーで朝食を」「戦争と平和」「シャレード」「マイ・フェア・レディ」・・・すでに有名な写真も多いのですが、110点の中には、家族写真も結構入っています。
若くして世界的大スターになってしまったオードリーは、両親が離婚したこともあって、演劇人、映画スターとしての大成や名声確立より、家族との愛に満ちた穏やかな生活を望み続けたのですが、なかなかそれは叶わなかったのです。そのあたりが、同じヘプバーンでありながら、キャサリン・ヘプバーンと少し違うように思います。
会場の隅にある映像コーナーで、往年の主演映画のダイジェストを上映していて、私より年輩の方々が懐かしそうに観賞されていました。
メモリアルショップで招待券を呉れた同僚に笑顔いっぱいクリアファイルを購入。今度は近くの忘年会会場へ走り込む。
6日の土曜は冷たい冬空。寒風の中、河南町のコートでテニスをしていたら、雪が降ってきました。それでも、夕刻、雲の切れ目から強い日射しが東の山々を照らし出して、紅葉が浮かび上がって美しい光景でした。
7日朝は晴れ上がりました。今年最後の座禅。寒いだろうと、カイロや厚手の靴下を探すのに手間取って、7時前に部屋を飛び出すと、まだ夜が明けきっていない大阪市内の方で赤い光がピカッと輝いて見える。おかしいな焼却炉でもあったかな?とよく見たら、どうも一番高いWTCのビルの最上部ガラス窓に朝日が当たってちょうどこちら側に反射しているようなのです。こういうこともきっと何年かに一度しか見られないの景色なのでしょう。
「見られない景色」と言えば、12月1日の、地球から見た月と金星と木星の大接近、友人の友人のhpによると、これは紀元前2年以来2010年ぶりだったのだそうです。何百億という人を飛び越えて見れたわれわれは本当にラッキーというか、巡り合わせとしかいいようがありません。
重装備で行った座禅は本堂が暖められていて、楽に座れました。こんなんでいいのか!?座禅を終えて、茶を頂きながら、友人でもある住職に聞いた修業時代の話。冬の座禅は朝の4時から(夏は3時から)で、廊下も凍っていて、上手に歩かないと素足が張り付いて、皮膚が剥がれるのだそうです。托鉢でも手足が凍えて、霜焼けとあかぎれで、合掌しても手が合わせられなかった・・・。隣で、寺の跡継ぎの息子さんが頷きながら聞いている。
私はもちろん修行のために座っているわけではありませんが、現在いかに恵まれた、甘やかされた環境にいることか・・・。心引き締めて、明日からのハードな一週間に臨みます。
従兄弟のkくん。届きましたよ。いつもありがとう!忙しそうだけれど、たまには携帯に出てな。体に気を付けて。
うちの息子もハードな勤務で心配です。今日、上の息子に久しぶりにあって、今度いつ帰る?たぶん2,3日先、という会話。その時には医者に行かせようと思っています。前の集団検査で腎臓で引っかかっているはずなのです。
2008年12月4日
「 裏表
きらりきらりと ちる紅葉 」 明治25年 子規
「イ」の韻の連なりがきれいです。学校の中庭の「イロハカエデ」が紅葉の盛りを迎えました。これから散ってゆきます。
年2回の職員バザーをやっています。今回は2日から4日まで。現任校で10回目、前任校から数えたら、もう10数回。収益は姪が亡くなった中国、四川省の小学校へ絵本などを送る経費にしていましたが、大地震でその小学校とも連絡が途絶え、前回から日本UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)協会を通じて、中国支援基金に寄付しています。
今回もたくさん提供していただきました。数千円から数万円の女性ものスーツも500円になるので、嫁ハンも売れ残りの持ち帰るのを楽しみにしています。
近年の特徴はバザーの定番、バスタオルやハンカチなどが少なくなったこと。なんでかなと思ったら、いつも提供していただく同僚から、香典返しが無くなったからですよ、というお答え。そういえば、ここ10年ほどで香典辞退が進んで、満中陰のお返しもなくなってきました。納得。
立派な清水焼きや南部鉄の灰皿が出て、売れないのも近年の傾向。時節柄仕方ないですね。私が買い上げて、馴染みの居酒屋に寄付することにしました。
考査で忙しい中、準備や片づけに手間と時間が取られます。体力的にもしんどくて、そろそろ止め時かなと思っていたのですが、同僚の励ましと協力で、今回は過去最高の売り上げ。止められなくなってきました(微苦笑)。
深夜、録画していた「風のガーデン」を見る。断絶していた父子の再会と和解。緒方拳と中井貴一の演技。ドラマはいよいよ佳境に入ってきました。富良野の夏の情景が美しい。今頃はもう雪に覆われているでしょうが・・・。
最近読んだ作品
「穴惑い」 志川 節子
「小春日和につい遠出してしまった蛇が帰るべき穴が見つからずうろうろさまよう蛇の様子」が表題です。親の放蕩の借金で売られた吉原の遊女上がりで、遊女の「文使い」をし、また遊女の恋文の代筆をして生計を立てている主人公、「お露」。
元の店の旦那、徳兵衛とも深い仲は続いていて、8才の娘もいる。その美しく育った「お咲」を花魁に育てようとする「徳兵衛」の思惑に思わず乗ろうとするお露。折りもおり、徳兵衛の妻が亡くなって、お露は後添いになるチャンスまで得る。その時に、自分たち親子の生きるべき場所に気づくのです。吉原を去るお露の遺す文に余韻あり。
志川 節子さんはこれから期待される時代小説の書き手です。
2008年12月2日
「 山鳩よ みればまはりに 雪が降る 」 高屋 窓秋
山鳩は夫婦愛の強い鳥。切ないイメージ。「いとおしい山鳩は、山越えて、どこの空・・・」。「絶唱」のヒロインは「小雪」でした。
1日(霜月4日)、午後5時40分過ぎ、見事に澄んだ晩秋の空。上弦の月と木星と金星がきれいに並んで「首を傾げた夜空の笑顔」が完成。運良く見ることができました。次回は2012年3月26日だそうです。その夕べが晴れる保証はありません。これが最後かも。
感心したのは、それを見て、即、写真を撮った人、そして、奥様や家族に連絡して、見るようにと指示したという・・・同僚達から今日聞いた話。えらいなあ。自分も昔はそうしたこともあったことを思いだして微苦笑。感動を共にしたい、見せてあげたいと言うのが、文学の根源です。
2日の夕空は晴れていましたが、月の出もずれて、金星、宵の明星だけ月の下方に光って見えて、「福笑い」にもなりませんでした。でも、「秋の夕暮れ」は美しく、見飽きない「夕べの空」でした。
夕空晴れて 秋風吹き
月影落ちて 鈴虫啼く
思えば遠し 故郷の空
ああ わが父母 いかにおわす
最近読んだ本
「ダブルベッド」 勝目 梓
二組の永年の付き合い、そして倦怠期の夫婦がスワッピングしたことで、微妙に生気を取り戻してゆく。しかし、本当に元気になったのは妻の方で、夫の方は微妙に傷ついている。そのへんの描写が面白い。
2008年12月1日
「 行く年や 親に白髪を かくしけり 」 越智 越人(えつじん)
子どもの老いを見て、親は不安にかられる、だから隠す。でも、白髪ならいいですが、私のように薄くなると隠しようがありません(苦笑)。この夏帰った時「あんた、薄くなったねえ」と言われたので、思わず、「みんなが心配掛けてくれるんでね!」と憎まれ口を叩いてしまいました。後悔。
前任校を去るとき、記念にもらったゴムの木が、その時、膝丈だったのに、9年間で3メートルほどに成長。教科準備室の天井近くなってきたので、これからのことも思って、10月に、係と相談して学校の食堂に寄付しました。寂しいけれど、広い食堂で伸び伸び育ってほしい。葉っぱに落書きするやつがいるので、時々点検に行って睨みをきかすようにしています。
それで広くなった準備室に残されたブーゲンビリア。今までゴムの木の陰になっていましたが、これが俄然元気になり、あっという間に天井まで伸びて、今度は垂れ下がり、きれいな白い花を咲かせています。自分ひとり観賞するのがもったいない風情。こうやって次から次ぎへと世代交代(?)が行われてゆくのですね。
帰ってうたたねをしていたら不思議な夢を見ました。
都心の今よりも高層の部屋に住んでいる。向いに更に高いビルがあって、火災が起こったらしく、そこに消防車がやってくる。ものすごい長い梯子車が最上階に掛けられる。風に煽られて、大きく撓んで、消防士が右往左往している。手に汗握る光景がさらに進展。じゃんけんして負けた消防士が飛び降りてゆく。次々とためらいもなく。
遙か下の地上に、墜落死した人を乗せた担架が並んでゆく・・。音が聞こえない分、余計に不気味。高所大好き人間の私が足がすくんで震えている。下半身が腰を中心に痺れてきて、それが全身に広がってゆく。嫁ハンが晩ご飯を呼びに来てくれて、目が覚めてよかった。
最近読んだ作品
「深川紳士」 村松 友み
切れモンの画廊経営者の奥さんの蔭でひっそり生きる主人公矢島明。彼の前に現れる不思議な男、有名レストランのマネージャーにして銀座はおろか下町周辺に通じた粋人、道向健、通称「胡椒亭」。
深川門前仲町の小さな店、「よし佳」を仲立ちとするふたりの交流は、矢島が妻に捨てられた後も、胡椒亭が病に倒れた後も、かすかに繋がってゆくだろうと予感させて終わる幕切れに味わいあり。「よし佳」のもと辰巳芸者であるおかみさんの気っ風も啖呵も気持ちいい。