2008年4月29日
28日。今日一日すめば明日は休日、一息つける、飲めるぞ、と思って仕事を必死で片づけていたら、5時半過ぎに事件。なんで学校から数十秒のところ、しかも通学路でタバコを喫うかな。帰宅中の教師に見つかって連れてこられる。それから事情聴取、会議。結局帰りはまた9時過ぎに。日本酒を4合飲んで、そのまま爆睡。
全日本柔道選手権、井上選手、準々決勝で敗れる。双方力を尽くしたいい試合でした。でも、国内ルールと国際ルールが違うのって変です。「ジュードー」ではないってことなんでしょうが・・・。棟田の「ささえつり込み足」、鈴木の「小外刈り」一本がきれいに決まる。準決勝で敗れたけれど、棟田のお辞儀がきれいです。優勝した石井選手、インタビューでビービー泣くな!
オリンピックの選手選考がややこしいようです、競技の特殊性があるのでしょうが、先日終わった水泳選手権のように一発勝負で決めればいいのに。水泳の場合は見ていてわかりやすく(標準記録がある)ゴールの瞬間に出場・不出場が決定する。男子フリー200メートルで、かつてスイミングスクールで隣(彼は選手育成コース、私はおじさんコース)を泳いでいた奥村クン(あの頃は小学生、細くて可愛かった)が優勝して、アテネに続いての800リレー出場が決まったのは嬉しかったです。
行楽日和が続きますが、この連休は動かず、ひたすら、休養、雑事と決めました。やっと冬物の整理に手を付ける。厚手のセーターや下着も仕舞い、ニットの帽子やマフラーもビニール袋に防虫剤を入れて直し、クローゼットの奥へ。夏の薄い肌着類に入れ替えたので、衣装ケースが軽くなりました。コート類は割引率の高い日にクリーニング屋さんへ運びます。
テレビを横目に見ながらワインを片手に作業。溜まっていたビデオもぼちぼち見て、本もぱらぱら捲っています。
「武原はん」さんの「雪」の特集が美しい。生涯を通して踊り続けた演目ですが、それそれの年齢に味わいがあります。それにしても、87才での動きがすごい。あの化粧、白一色の着物に負けず、艶やかさと色気があります。藝の力は恐るべし。日本舞踊を見ていると、この武原はんさんと先代の井上八千代さん、ふと舞台では名女優と水谷八重子さんと杉村春子さんを連想してしてしまいます。
これらの人の藝の演目、当たり役を、今すべて女形の「坂東玉三郎」さんが攫っていっているのは、当然というか皮肉というか・・・。
なつかしい大河ドラマ「女太閤記」。若く美しい佐久間良子(ねね)、元気で迫力ある西田敏行(秀吉)。もういないフランキー堺(家康)。時の流れはシビアです。
完成した北京の「国家大劇院」。巨大な輝くドームに劇場が3つ入る。入り口へは周囲に廻らされた人造湖の下を潜って80メートルのアプローチを歩く。日常から非日常の世界へ。うまい構造だなあ。設計はフランス人、アンドリュー氏。出来上がってからドームを叩く雨音が劇場に反射することがわかって、特殊塗装をし直すなんて作業も。
「昭和」を振り返る番組も。昭和44年、沖縄の、戸数44軒の離島の小中学校。そこで働く先生は教員住宅もないので教室で暮らす。現金を扱う習慣のない子供のために、教室で買い物ゲームをする。たったひとりの中学卒業式、その女子生徒は高校進学を諦め、岡山の美容院の住み込みに。就職先まで送ってゆきたい父親と金を心配する母親の対立に先生が仲裁に入る。小さな艀(はしけ)に揺られて沖の連絡船へ向かう生徒。手を振る先生、家族。切れるテープ。この5年後、最後の島民が去って島は無人島になる。先生も本土に帰って、平成10年に亡くなったそうです。
最近読んだ本
「最後の昼餐」 宮脇 檀 仕事を辞めて、料理を趣味に生きる、そのために家を改造する。広いベランダで毎日、緑に包まれて昼餐。贅沢。
「僕のリビングルーム」 三田 誠広 なんや、少し自慢臭が。
「何もなくて豊かな国」 崎山 克彦 フィリピンに小島。でも、金あればこその生活。
「妻の大往生」 永 六輔 癌告知から家族で看取ると決め、周囲に伏せる。でも、すぐに異変に気付いた石井よし子さん、新聞で死亡記事を読むまで気が付かなかった黒柳徹子さん。それぞれでいのでしょう。在宅看護、見送りの難しさ、可能性も示唆されます。葬儀はせず、お別れの会は、黒柳さんの司会、オープニングはもちろん中島ひろ子さん、デューク・エイセスの「夢であいましょう」。
2008年4月27日
走り高跳びの驚異の天才?ジャンパー、トーマスと努力の人、フォルムの対照。NHKスペシャルの二人の特集は人体とスポーツの繋がりの不思議を感じさせられました。身体能力と技術と精神力、難しいものです。
スポーツと政治、経済は20世紀のはじめから、もうとっくに切り離せないところにきていたのでしょう。聖火リレーの騒ぎをしらけた思いで見ています。それに費やす、警備、人件費、時間がもったいない。ところでチョモランマにも聖火は上るのでしたっけ。遙か都会から指示を出してやらす人はいいけれど、現地で行動する人、特にシェルパの人に犠牲が出ませんように。
めずらしく大河ドラマを見続けています。「篤姫」。面白い。細かい矛盾はいっぱいあるけれど、宮崎あおい瑛太、ともさかりえ始め若手の清新な演技と、高橋英樹、松坂慶子(ふたりともどちらかというと昔から一本調子の演技の美男美女でしたが、このドラマではめちゃうまく嵌っていて、いい)樋口可南子(好き!)らベテランの好助演もあって、飽きさせません。
先週の日経新聞「春秋」で、「モンスターペアレントが無くなってきた、この言葉が定着してきて、世論がこちらにないとモンスターペアレントにわかってきたからだ。でも、このムードの揺り返しも気を付けなければならない。クレームをつけられない風潮もこわい・・・」という論旨でした。それはそれでわかるけれど、モンスターペアレントは健在です!無くなってきたなどと、とんでもない。
参考までに、モンスターグランドペアレントを紹介します。
先日職場に届いた速達。ある生徒の祖母と申される方から。新聞広告の裏に赤い字で書き殴ってある。
「授業料の未払いの督促状が配達されたが、届く直前に払い込んだ、何を失礼なことをやってくれる、税金泥棒・・・」と罵詈雑言、最後に「死ね」の文句も・・・。
督促と払い込みの行き違いはどこでもあることで、もし払われた後なら失礼云々の文章も入っているのに・・・。
人数減で仕事も増える中、授業料未払いをいっぱい抱え、しかも減免やら奨学金やらで一生懸命やっている職員にとって堪りません。失礼ながら60年生きておられたら、もう少し常識がほしい。
ちなみに我がグループには3年目の生徒たちがいますが、入学以来一度も授業料を払っていない者が2名います。保護者に20数万円の溜まったお金を払う気配はありません。また、空しい督促を事務中心に続けなければなりません。
ついでに、これも先日の話題でした。「入学金を払わないので、入学式には出さない」という学校の態度はおかしいという新聞の報道姿勢。
なぜ、当たり前のことが通用しないのでしょう。
2008年4月26日
やっと週末に辿り着きました。連日の事件、会議。夜半に帰宅して、食事も摂らずにとにかく寝て、早朝登校して授業準備という1週間でした。
でも、朝6時前後の電車は楽に座れていい。空気もさわやか。ただ大和川沿いを自転車で通勤するときは、景色はいいが、小さな羽虫がいっぱい出てきて飛んでいて、これが目や口に入ります。マスクとサングラスが必携。忘れると悲惨。すべてがうまくゆくものではありません。
金曜の夜も遅くなって、帰りにタイヤの空気が抜ける。置いて帰ろうかとも思ったけれど、まあいいやと押して帰ることにする。2時間ほどかかる。でも、開き直って、コンビニで買ったカップ酒をひっかけつつ、唄いながら土手道を帰る。なぜか、始めは美空ひばり、途中で軍歌・・・万朶の桜か 襟の色 花は吉野に嵐吹く、こんな歌、どこで憶えたのだろう?最後はシューベルト、この選曲はなんやねん。すっかりいい気分で11時に帰宅しました。
久しぶりのHP。前回も酔って、言葉足らずの文章になっていました。「フリー」って今の日本ではお金を払って自由に振舞う意味で用いられているように思います。「フリードリンク」や「食べ放題」の場合です。そこには本来の英語の「タダ」という意味はありません。
もはや日本語になってしまっているようですが、「フリーチケット」や「フリーマーケット」は英国圏の人が聞いたら、どういう意味になるのでしょう。
桜が散って、つつじや藤が一斉に開き始めました。美しい時期です。
伊予への旅 4月編
金曜の夜のフェリーで帰省して、日曜夜のフェリーで帰阪するハードだけれど、中身の濃い旅でした。忙しい4月の初めに帰るのは今までなかったことなので、桜を満喫することができました。土曜の早朝、今治港から実家へ向かう20分余りの山中のドライブ。あちこちの桜が見事に開いていて見飽きません。一本一本が大きく、のびのびと枝を広げて、まさに咲き誇っている。
一休みして、父とみかん山(なぜか「みかん畑」とは言いません)に肥料を撒きに行きました。軽トラックで山道を登り、段々畑の下へ止める。周りは鶯の声。大きな山桜は朝日の中で清清しく光っています。この桜を見るのは父と私と隣の畑のおばさんだけでしょう。3人にしか見られないまま咲いて散ってゆく桜。この一週間後に行った吉野の桜とのなんという違い。本木?はそんなこと思っているよしもありませんが・・・。
庭木が茂ってきていたので、父がやりかけていた選定を思い切ってやってしまう。庭師の資格を取った父は、自分でやりたがりますが、とにかく脚立は危ない。昼飯後、父が寝ている間に一番大きい山桃の木をやってしまう。すっきりしましたが、後で見ると、前の川を挟んだ向かいの道から、母の部屋が丸見えになってしまった。やばいと思ったけれど、通る人も少ないから、ま、いいかっ。
3月に大阪を退職して愛媛の高校に就職した元同僚に連絡。彼女が職場の冷蔵庫に忘れていったカスピ海ヨーグルトを届ける。庭に咲いていた満開に桃の枝も一緒に。喜んでもらえましたが、にぎやかな大阪を離れて、ちょっと寂しそうでした。
翌日、午後、病気療養中の友人を誘って、桜狩のドライブに出かける。「しまなみ海道」。巨大な来島大橋を超えて、最初の島、大島を抜ける。ここも、あちこちの山の桜が美しい。大島と伯方島の間に浮かぶ、「能島」(のしま)という、昔は水軍の本拠地、今は無人島になっている小島が、桜に覆われていて、このシーズンは観光船も出るとの話に長年憧れていて、そこへ渡ろうと思ったのです。
走りながら能島を見ると、桜はあるがそれほどではない。じゃあ、と進路を変更。伯方島まで渡って、友人が透析仲間から聞いたという開山に向かう。伯方島は久しぶりです。高校時代、この島出身で今治市内に下宿していた級友を訪ねて、夏、この海で泳いだなあ。その友人は今、ロンドンで椅子の設計をしているらしい。当時、彼のお父さんが勤めていた役場のそばを通る。ご存命だろうか。
開山公園はしまなみ海道を見越して数十年前に造られたのでしょう、島の北端の半島、熊口(くまごう)という小さな湊の上にある桜の丘でした。伸び盛りのソメイヨシノ数百本(看板には千本と詠っていましたが)が満開で見事。観光バスも乗り付けて人もたくさん、といっても愛媛、吉野の比ではありません。数百人。のどかなものです。それより素晴らしいのは、海と島々。「吹き出し」のようになっている半島なので、330度位の周囲が青い春の海。その向こうに島々とそこを繋ぐ橋が見え隠れする。まさに箱庭のような景色。コンパクトだが絶景。満開の桜が邪魔で海が見えないねえ、などと友人と話す。
もう満腹というくらい桜を満喫したので、友人の体調も考え、早めに帰ろうと車に乗る。「道の駅」で友人に「塩アイスクリーム」(伯方島は塩の産地)をおごってもらう。これが意外とおいしい。
あと少しで我が町というところで、二人ともまた欲が出て、高仙山(こうぜさん)に上る。町の境にある、富士山を細くしたような形の山で、かつて山城があって、落城の悲話も伝わり、今も山頂に社が残っています。
幼なじみがこの山麓の村に嫁ぎ、青年団でがんばって、山道を整備し桜も手入れして、隠れた町の花見スポットになっているという。薄暗い細い山道を慎重運転で上る。今、上から車が降りてきたら、離合は難しいだろう。突然、山道に雉が出てきて、動いてくれない。いらいら。でも美しい羽を友人は喜んで見ている。
山上の城跡の下に着くと、先客の車は一台。若い父と息子。休日の夕暮れ、満開の桜を見に来たのは結局我々を入れて4人だけ。城跡への、整備されてはいるが急勾配の遊歩道を、友人は休みながら登る。この道を整備して、花の時期には花見大会なども主催していた幼なじみは、癌で亡くなり、もう15年が過ぎます。遺児達も巣立ち、ご主人も先年、再婚したと噂に聞きました。
古木の山桜にソメイヨシノが混じって、ここはまた格別の風情。それにこちらは愛媛県の頭部に当たる高縄半島の先端近くなので、眺望のスケールが違います、海も広く、島は霞み、広島も山も見える。夕日が海を染めて沈んでゆく。これまた絶景。
さらに帰りに小さな村の桜山も発見、わずか半日であちこち豪勢な花見をしてしまいました。夕食に間に合わなくて、母は残念そうでしたが、いつも両親相手中心の帰省だったので、久しぶりに友人とたっぷりしゃべれて、これはこれでいい旅でした。
月曜早朝に神戸に着いて、職場に直行(車は近くのパーキングに)という体には厳しいスケジュールでしたが、両親、友人が喜んでくれたし、弟とあまり飲めなかったのも心残りなので、また来月も同じパターンで帰省しようと思っています。
連休中は無理だけれど、5月半ばからJAF会員向けのフェリーの割引(往路3割、復路5割―大きいでしょ!)が始まるのです。5月の四国は一番美しい季節です。
2008年4月20日
「 菜の花や 月は東に 日は西に 」 蕪村
旧暦3月15日の満月が上っています。今は絶対見ることは出来ない景色だけれど、かつて河内平野を覆っていた菜の花畠の夕暮れ、沈む夕日、上る満月の景色を想像します。
「ワッハ上方」の移転縮小、ホールと小演芸場の廃止は文化の切り捨て。同じく、大阪センチュリー交響楽団への補助金全面廃止も。もちろん楽団側の努力も大事だけれど、、これまで育ててきて、いきなり放り出すか?国際児童文学館も蔵書は府立図書館に移して法人としては来年度で廃止。活動は大幅に制限、縮小されます。財政再建は急務だけれど、削るところが違っていると思います。
生活や仕事のサイクルは年単位で揺れるように思います。昨年は平日遅くならないように退勤して、溜まった仕事は土日出勤して落ち着いてやろうというスタイルでした。毎日、疲れすぎないように気を付けていたのです。
今年はなぜか、毎日遅くなっても、仕事を片づけ、土日は出来るだけ出勤すまいと今は思っています。(部活動付き添いは別)また変わるかもしれませんが・・・。
幸い?いつも遅くまで残っている同僚が多い職場なので、寂しさや危険、校舎閉鎖の手間(8時以降は警備の方も帰られるので、残った者が施錠しなければならない)はほとんどないのですが、遅くなるとやはり帰り道での疲労感は特別です。仕事をテキパキ片づける能力が落ちてきていることも確かです。仕事は増え続けています。生徒への家庭連絡も昼間は難しいから、どうしても夜になりやすい。
疲労感というのは個人的また気分的な差が大きいものですが、ストレス解消、減少も考えて、もう少し生活スタイルを探ってみたいと思います。
鈴木 真砂女さんの代表句
「 羅(うすもの)や 人悲します 恋をして 」
「 戒名は 真砂女でよろし 紫木蓮(しもくれん) 」
不倫の恋だったので、恋人の葬儀にも出られなかった真砂女さんは、共通の友人に頼んで、焼き場で骨の一部を拾ってきてもらったらしい。そして、自分の骨を入れるべき骨壺へ。
でも、それって、恋人側の家族から見たら、許せない犯罪行為では?「恋」はそんなことを超えてゆくのでしょうが・・・。今は消えたけれど、話を聞いたときはすごく拘りを感じました。
黛まどかさんは、真砂女さんを慕っている。
「 さくらさくら もらうとすれば のどぼとけ 」 黛 まどか
「のどぼとけ」など、もちろんもらえるはずはありません。無理を承知でこういわなければいられない辛さ、切なさか・・・。
晴れた日曜、混む前に、朝一番で、「通り抜け」に行って来ました。今年最後の花見。八重桜はソメイヨシノや山桜と違って、きっちり化粧した美女の風情。ピンクの濃いものより、薄いものの方がきれいに見えます。個性的なところで「鬱金」のように黄緑の花もステキでした。
昼前にもう帰宅。でも、圧倒的な花の量には疲れました。
「 畳とは 心地よきもの 花疲れ 」 吉田 淳
2008年4月19日
今春、退職したテニス仲間が、先週、靴下を穿こうとしてぎっくり腰になったとか。永年の疲れがこんなかたちで出てくるのでしょうか?
昨春、定年まで3年残して退職した元同僚と阿倍野で飲む。酔って、いままで訊けなかった話をしてしまう。
いつ退職を決意したの?
その前の年、おふくろが死んだ時かなあ?これで一区切りついたと思った。
うん、わかるけど、大学生の娘さんもいたろ?
それはなんとかなると思って、嫁ハンに相談したら、やめてもいいよ、と言ってくれたんだ・・・。
家に帰って、うちの嫁ハンに、うちは親は残っているけれど、息子達も社会人になったし、もういいかな?と水を向けると、まだ、家のローンも残っているし・・・と不承知顔でした(苦笑)。
早蕨(さわらび)の 握り拳を 振り上げて 山の横面(よこつら) 春風ぞ吹く
奈良との国境の山々が柔らかな色に盛り上がっています。一年中で一番美しい時期。若いときはその自然のエネルギーを愛し、それが自分にも力を与えてくれるように思いましたが、最近はそのパワーに圧倒され、気圧(けお)されて、ちょっとしんどいと思うこともあります。年なのでしょうか。
下の息子がめずらしく本を読んでいる。パチンコ関係でもマンガでもなく、法律関係のものらしい(そういやこいつは法学部出身だった)。
どうしたん?熱でもあるんか?
いや、試験が迫っているんや。
え?今年は早いなあ。
うん、サミットの影響らしい。
で、パチンコは?
当分、我慢。
マンガは?
ちゃんとベッドの下に隠してある。
自分が勉強中の時に、隣で兄貴に自分のマンガを読まれたら腹が立つのでということらしい。まるで子供です。こそっと上の息子にチクってやろう。
台湾への旅 6
国立故宮博物館での走り観賞、「翠玉白菜」に次ぐ人気作は「肉形石」。これもなんと「豚の角煮」そっくりの天然石の加工品。思わず笑ったのは、私だけではありませんでした。
あと「彫象牙山水人物小景」、幅8センチ、高さ5センチ足らずの石に、山水画の世界が刻まれている。その細かさ。
とにかく小さなものに精巧な彫刻というものが多い。植物の種に刻まれた小舟。舟の中には人物、テーブル
料理皿も。ドアの開閉もできる!作者はどんな目と技術を持っていたのでしょう?
王義之の書(もちろん模写)の「快雪時晴帖」は見ることができませんでした。
午後3時間見ただけで、疲れ果てたので、明日一日かけてゆっくり見ようということで、早めにタクシーで引き上げる。これがまちがいでした。
2008年4月18日
「 満汐や 橋の下まで 春の海 」 子規 明治28年
新任研修もちょっと一息。街で出会う新入社員らしき若者たちのスーツ姿にも、落ち着きと疲れの気配が感じられます。
沖縄の警官の研修はまず「ハブ退治」から。これって大変だろうなあ。田舎育ちで蛇は見慣れてはいる私だけれど、逆にそれ(蝮)で死んだ人も見てきたので、蛇アレルギーがあります。自分には「ハブ退治」は絶対無理だろうなあ。大阪市内の警察官である下の息子は「酔っぱらい退治」に苦慮しているみたいですが・・・。
「わけのわからん若いもん」より「酔っぱらい」はマシなようですが、それでも、警官に対して、殴りかかる、蹴る暴言を吐く、といった暴行は多いようです。いちいち公務執行妨害に取れない(取っていればきりがない、手続きがめちゃ煩瑣)ので、よほどひどい場合以外は我慢しているようです。
ちなみに息子のランキングによると、対応しやすいのは「ヤクザ」「風俗(主に外国籍の人々)」「「酔っぱらい」」「わけのわからん若いもん」・・・(それ以外の人がいないのが淋しい)の順位。
「ヤクザ」が1位なのはなんで?(「ヤクザ」にだけはならないでくれと言って育ててきたのに・・・。)
「だって、お父さん。ヤクザって敬語も使えるんだよ!すごいやろ?」(それは当たり前やろ!)
息子のランキングは日本語が通じる順番だそうです。
忙しい1週間もやっと後半。でも・・・なんで学校の前の公園でタバコを喫うかな?なんで学校の前を通学は禁止されたオートバイで走るかなあ?
それで停学指導となる。朝7時半過ぎから校門、玄関付近で申し渡しに来る親子に対応。ところが父子家庭なのに父親は来ず、ようわからん女性が来られる。立場をはっきりおっしゃらない。保護者でなければ、申し渡しできません。結局、チューター(担任)が父親に連絡して、自分が都合で行けないから内縁の奥さんを送ったということがわかる。それならそれで、前日の連絡時に説明するか、当日朝、きちんと電話してくるべきでしょう。
大阪再建は教育の活性化から、と橋下知事はおっしゃっているらしい。そう、言いつつ、教職員の給料は10パーセントカットするのですね。
でも、知事が打ち出して猛反発を受けている、大阪市との共催の「水都再生イベント」の凍結は認めます。確かに今までの論議を無視しているかもしれないけれど、一時的な打ち上げ花火的行事で次ぎに続かなければ意味がない。1億円の出費は慎重であるべき。水都再生は大賛成だけれど、永続的なビジョンは必要です。
最近知った言葉の意味
「 free lunch 」
最近、原則無料の社員食堂が増えてきているとか(いいなあ)。無料の昼食をこういうらしい。若い人に人気で、採用活動にも有利に働くらしい。元は外国のバーが客寄せに提供した無料の食事。 free lunch is paying off.「タダメシが効果を上げている」ということか・・・。
もちろん、タダより高いものはない、というのももうひとつの真理。
there ain’t no such thing as a free lunch
ただの食事はないということ。頭文字を取って、TANSTAAFL という。
ロバート・ハインラインの The Moon Is a Harsh Mistress
「月は無慈悲な夜の女王」(かっこいい!)に出てくるそうです。
2008年4月14日
夜9時に、疲れ果てて帰宅すると、珍しく揃った息子二人がもめている。どうやら、下の息子が買ってきた「ジャンプ」を上の息子が読ませてくれ、イヤだ、という騒動らしい。もう、25過ぎた、ええ大人がエネルギーを使うような話か!?情けない。 怒ると早々に部屋に引き上げてゆきました。二人とも、早く家を出さなければ、ほんとの「大人」になれないように思います。
昨日の吉野は夢のようでした。
「 かたはらに 死者ものいふと おもうふまで 夜の山桜 花をこぼせり 」
最後まで吉野を愛し、吉野で過ごした歌人、前登志夫さん。どこで生活しておられたのか、どこを歩いておられたのか、つい探してしまいます。吉野には古代からの人の息づかいがずっと残っているように思います。天武、持統、義経、後醍醐、秀吉、西行、芭蕉・・・もちろん前さんのも。
いつか、夜の満開の吉野山を歩いてみたい。でも、最近は吉野までライトアップの傾向があるようです。
書き漏らしましたが、3月の甥の結婚式の夜、嫁ハンと弟と一緒に「東山花灯路」に行ってみました。清水から円山公園を抜けて青蓮院までの2キロを「灯り」と「花」で演出。京都らしい暗がりをうまく使ってはいるのdせすが、ものすごい人出(この夜は15万人だったとか)と青蓮院のやりすぎたライトアップに鼻白む思いでした。
いくら光の意味づけ(梵字の形になっており、さらに真上に青い一条の光を放つー青不動なんだと)をしても、古都の闇を乱すものと思われました。(しかも青蓮院だけで800円は高い!)ハリウッドのイベントではないのですから。多数の人々(私達を含む)の歩行が見事な楠の古木の根元を痛め、強い光が葉を痛めつける。そろそろ観光商売先行を見直し、夜間公開も考え直す時期だと思います。
近年、キリスト教が取り組んでいるように、仏教もホスピスなどの活動に取り組む時期に来ていると思うのですが・・・。終末や死を考えるのも、宗教の大きな仕事ではないでしょうか。
ずっと前に両親が離別して、母子二人の暮らしをしてきた生徒。母が病死してひとりに。でも父には新しい家庭があって引き取れない。やむなく父が金を出して、アパートにひとり住まい。15才の少女が・・・。これからちゃんとやっていけるのかなあ。
新東京タワーの名称が候補が絞られる。「東京EDOタワー」「東京スカイツリー」「みらいタワー」「ゆめみやぐら」「ライジングイーストタワー」「ライジングタワー」の6つ。わたしなら「ゆめみやぐら」。古いけど。
それにしても、これからの日本はどんな社会になってゆくのでしょう。息子達が老年を迎える頃が想像もつきません。もちろん私はおりませんが・・・。
2008年4月13日
美吉野の桜
「 これはこれは とばかりに 花の吉野山 」
天気が崩れると聞いていましたが、朝は快晴。7時に義母のマンションに迎えに行く。入り口で車に乗ろうとして、あれー入れ歯を忘れた!取ってくるわー、とそのまま走って引き帰す義母。(足が痛いはずなのに・・・)あれー、時間がありませんよー!と叫んだが無駄。そのあと駅まで必死に送り、私は車を置きに帰って駅に駆けつけ、嫁ハン、義母と落ち合い、7時17分の準急に滑り込む。ここまでですでに大汗。先がおもいやられます。乗り遅れたらどうするんですか?入れ歯がなくてはご馳走が食べられないもの・・・。反省していない。
尺土で特急に乗り換える。車窓のさくらがだんだん散り始めから満開に戻ってゆく。そうだ、特急は身近なタイムマシンだったのです。私は萌え始めた緑と桜を肴にワンカップ。ところが義母と嫁ハンはメールに夢中。これこれ景色を見なさい。
吉野駅でバスに乗り換え、中千本でまたマイクロバスに乗り換え、「奥千本」の入り口まで。ここの桜はまだ蕾固し。義母の足を心配して、登りは避け、奥からゆっくり下ってゆこうというプランです。
「上千本」は満開近し。「花矢倉」からの眺めは見事なものでした。見下ろす蔵王堂まで花の雲が連なっている。青空には観光飛行船ツェッペリンが浮いている。義母は初めての景色に感動のてい。でも、下りが続くのも足にくるものです。
満開の「中千本」の旅館で露天風呂(ここからの眺めも)で汗を流し、足をほぐしてから、義母の楽しみ、花見懐石。桜尽くしでした。飲み物は「桜ビール」。そのあと横になってひと眠り。
「 花に来て 芳雲館の 昼餉かな 」 子規
子規の句に唄われた旅館を予約したのは偶然でした。いろいろ調べて、値段、景色、風呂はもちろんですが、部屋を3時間使えるのが魅力だったのです。他の旅館は大広間での昼餉多し。
このあたりから外が暗くなる。「群祥園」の、小さな花びらが可憐なしだれ桜(「天女桜」)を見て、「蔵王堂」に向かう頃から雨。食堂に雨宿りして、桜アイスと熱いゆず湯。雨に煙る桜山も風情あり。
落花盛んの「下千本」ではロープウエイに乗らないで、土産屋をひやかし、花びらを浴びながら歩いて下る。駅前は超ラッシュ。中年の酔っぱらい達の狼藉(倒れている、寝る、吐く)には閉口しました。でも、全体的に気持ちよい一日でした。義母は帰りの電車で柿の葉すし、桜餅も食べて大満足。
義父の死の翌春から始めた義母との吉野桜狩り。今年で3回目でした。来年も元気で行こうね、といって古市駅前でタクシーに乗ってもらう。
それにしても、吉野の桜は木がいい。ほとんど山桜で伸びやかに上に伸びて、幹もきれいに苔むし、遠くからみても美しいが、一本一本がまた味わい深い。
桜はもちろん、桃、れんぎょう、みつまた、白、紫の木蓮、赤白ピンクの椿、躑躅、菫も咲いて、吉野は春爛漫でした。
目も口も耳も(ウグイスがたっぷり啼いてくれました)ご馳走たっぷりいただいて、散財したけれど、心身リフレッシュ。来春めざして明日からまたがんばります。
2008年4月12日
昨夜は酔ってこのHPの文章を書いたので、内容をよく憶えていません(苦笑)。友人にもメールの返信をしたらしい・・。心配して今朝、慌てて開きました。やはり感情に流されているなあ。反省。
その数時間前、夜半に目覚めて、自分がどこにいるのかわからない。枕元のスタンドもない。ふとんもない。天井がやけに高い。寒い・・・。
しばらくして気が付きました。ベッドの手前の床に寝ている。どうやら酔って、いつもの就寝前の習慣であるストレッチ(ええかげんに5分ほど)を始め、「腹筋」に移ったところ(開始後3分ぐらいの時点)でそのまま寝てしまったらしい。酒とメタボが幸いして?風邪は引かなかったようですが、反省。
「 我ながら 心憎くも 肉つきぬ またも病の来ずや ねたみて 」 岡本かの子
うまいもの食って、飲んで、寝て、太って・・・その奢れる境遇、人間を妬んで、また病気が襲ってくるのではないか・・・?身につまされる歌です。
「 ちょうちょ ちょうちょ 菜の葉に とまれ 菜の葉に 飽いたら さくらにとまれ
さくらの花の花から花へ 」
新聞記事で読むまで、ずっと意識していなかったけれど、「菜の葉」であって「菜の花」ではなかったのですね。確かに蝶々は「菜の葉」にとまっている。そして卵を産み付ける。卵はかえり、幼虫は葉を食べる・・・。あらゆる菜、キャベツ、大根などにとっても蝶は天敵なのです。歌のイメージが違ってきました。
ちなみに、この歌の元になった尾張のわらべ唄には「さくら」は出てこず、明治初期の国学者、野村秋足(あきたり)が歌詞にしたとき、「さくら」が詠み込まれた。ただ歌詞は「さくらの花の 栄ゆる御代(みよ)に・・・」だったそうです。国学者、そして時代ですね。
映画「クローバーフィールド」がヒットしているそうです。最初は題名、出演者名もない、頭部がぶっとんだ「自由の女神」と燃えるニューヨークを描いたポスターが貼ってあっただけ。
この情報過多の社会で、却って「秘密と謎」をちらつかせることで好奇心を煽る。映画ファンは競ってインターネットで検索する。情報を小出しにする。うまいやり方です。
どうも、宇宙からの侵略者の話のようですが・・・。こういうのは迷うなあ(苦笑)。
2008年4月11日
慌ただしい一週間を経て、花が散ると共に少し落ち着いてきたのでしょうか。メモ片手にバイクをぎこちなく走らせていた新聞配達の青年(大学生?)も落ち着いて、自信を持って運転配達しています。
鴨達、冬鳥は今年は帰るのが遅くて心配していましたが、やっと旅立った気配。メタボの鴨で飛べないのが最近いると聞きましたが、無事帰りつつあるのかなあ。
これも「北帰行」というのでしょうか?
窓は 夜露に濡れて 都 すでに遠のく
北に 帰る 旅人 ひとり
涙 流れて止まず
夢は 空しく 消えて
今日も 闇をさすらう
さらば 祖国 愛しき人よ
恩愛 我を 去りぬ
今は 黙して 行かむ
何を また 語るべき
遠き思い 儚き 望み
明日は いずこの街か
記憶のままに書いたので、2番、3番は怪しいものですが、口ずさみながら、自分でジーンと来てしまいました。アホですね。
南からこちらに向かっているはずのツバメにはまだお目にかかっていません。
年度当初の恒例、様々な健康診断のひとつ、歯科検診。
これの担当になぜか毎年当たるのですが、楽しみは美しい女医さん。ことしも来てくれてはりましたが、なぜか今年の私の担当(記録係)は男性医師(陰謀か?)。必死に聞き取って記録(虫歯の有無、歯茎の具合などを、記号で記入)して、例年より早く終わったのに、女医さんとお話しする時間もありませんでした。残念。またお会いできるでしょうか?
今年は昨年より新入生の生徒の歯の具合がよかったようです。これはなんで?倍率が昨年より高かったことと比例するのでしょうか?
昨年は口を開けたら、何人か口中にガムがあったと、驚いてはったけれど、今年はなかったようです(苦笑)。
昨日の生活指導の重い事件を打開の方向に導いたのは、生徒指導のチーフたちの熱心な語りかけと、一時腰が引けていた母親の涙だったように思います。もちろん人間は一夕には変われない。これからの長い指導(停学)が大変です。
うちのグループにも両親のいない(死別、離別を含め)生徒が何人かいます。彼らは、私のように、87才のまだ元気な両親(孫に小遣いをやりたくて、うずうずしている)を持つ「幸せ人間」には、理解できないような深い諦観の中にあるように思います。いろいろ話もするのだけれど、どこかで醒めている。来年20才になると、「施設」は出なければいけないのに、具体的な方策を立てようともしない。どうほぐしてゆけばいいのだろう。
今日もばたばたして、やっと落ち着いたのが6時過ぎ、やっと来週の授業の準備を始めていると、近くの教頭机でベルが鳴る、これは外線から音。「取るな!」、と言ったのが遅くて、通りかかった同僚が受話器を挙げてしまう・・・。
「ハイ、職員室です」(違うやろ?)
「ハイ、ハイ、スミマセン、それで・・・」(想像はつく)
近所のスーパーでうちの生徒が多人数でタバコを喫っているという市民?からの通報。仕方ない。耳を澄ませていた若い生活指導の同僚2人が、僕らが行きますと飛び出そうとする。ちょっと待って、と言ったがもう動いている。しゃあない、俺も行くわ、とペンはそのまま、メモ用紙を掴んで、職員室の近くに停めてあった自転車に飛び乗り、ふたりの後を追う。
これが大変、スキーとサッカーの専門家はめちゃ速い、必死で走ること5分。勝手知ったるくだんのスーパーの連絡された場所に辿り着く。追いつく。
でも、だれもいない。ガセネタか、生徒のいたずらか?まあ、教師が必死で駆けつけていることをどこかで見ている生徒も含め、市民の方々も見てくれたのだからいいかとする。
息を切らして帰って、心配して待っていた同僚たちに報告して、授業準備作業を再開。8時過ぎに終了。自転車でゆっくり大和川の土手を走る。見上げたら「昴」が見えました。
家に帰って実に喉が渇いていることを実感、発砲酒を2本。
友人が忘れていったタバコをベランダで喫う。
雨上がりの、街の灯、春の夜空が美しい。
好きな唱歌「冬の星座」の2番の歌詞に
「オリオン舞い立ち 昴はさざめく
無窮を指さす 北斗の針よ」
とありました。「さざめく」という表現が至極です。
清少納言も枕草子で「ほしはすばる」と言い切っていますが、むべなるかな。
冬ではなく、春の夜空、母子寮の上にすばるが輝いているという俳句がありましたが誰の句かも忘れました。
暖かい、柔らかい、手を繋ぎ合うような星団(プレアデス星団ー昴)のたたずまいは、冬より春の夜空がふさわしいと思います。
明日は休日。限られた時間を上手に使おう。
2008年4月10日
年度初めは、分掌、クラスグループの立ち上げ、授業の準備、健康診断で忙殺されるのが普通ですが、今年は(も)生徒指導に振り回されて、大事なことがすべて後回しに・・・。
素直に事実や非を認めれば、10分で終わることが、偽証や感情の高低に振り回されて、5時間、6時間かかってしまいます。該当生徒もこちらが「警察」でないことを見越して、その隙を衝いてくる・・・。
夜7時8時を過ぎても、疲れ切った表情で明日の準備に励む同僚たち。橋下さんはそれを知ってはるんだろうか?給料10パーセントカットは、我が家ももちろんだけれど(まだ子供が社会人になってるからまし)育ち盛りの子供を抱えた同僚にとっては大打撃です。働く意欲、教師も目指す人々の士気の減退にも繋がります。
府財政の建て直しは府政の大きな課題。府民ももちろん大きな責任を負うべきだけれど、安易に職員の賃金カットに飛びつくのは、長い目でみてそれでいいのか?国の、自治体の基本は人、その教育です。それをなおざりにしていっては、またおおきなツケが回って来ると思います。
友人から送られてきた、京都丸山公園の「枝垂れ桜」の写真葉書を見て驚きました。東山魁夷の名作「花明かり」のモデルにもなった名桜(正確には2代目)ですが、「病んだ老女」のような風情。美しく咲いてはいるが、勢いと張り、艶がない。
たくさんの人に周囲を踏み固められ、ライトアップされて、疲れ切っているのかな。故郷の山奥の山桜を見てきたからかも知れません。
2008年4月9日
「桜蕊(さくらしべ) 降る 一生が 見えてきて 」 岡本 眸
「しべ」は雄しべ、雌しべの「しべ」です。花弁が散った後、しばらくして一斉に舞い落ちる。春の季語になっているそうです。華やかな開花、落花のあとの葉桜までの変化にも、時、人生の移ろいを感じます。
夜来の雨に大阪の平地の桜は終わりのようですね。もちろん、八重桜はこれからです。「通り抜け」は来週。
今年度、私の担当グループは入学3年目だが、来春卒業の見込みがない(現時点で取得単位が少ないー2年間でゼロ、もしくは数単位という者もいます)中間年次という、変則メンバー18名。それだけに、なかなか揃わない。学校に来ない。(籍だけ置かせてくれという生徒、保護者もいますが・・・それは別の話)。
7日から電話を掛けまくって、登校を促し、ぼちぼち出てきましたが、まだ顔も見ていない(知らない)生徒が4人います。明日は来るかな?
目一杯単位を取って、高卒検定も受けて、中間年次から卒業したやつもおるで、とハッパをかけて、ちょっとやる気を出し始めた生徒もいます。根気よく、諦めず・・・揺り動かしてゆかねば・・・。
でも、片方で生徒指導事件が続発。生活指導部員としては振り回されてしまいます。いまこそ、一年間を見越して、じっくり授業準備に取り組みたい時期なのに・・・。めまぐるしい動きになかなかついて行けない自分の心身の衰えが恨めしい。
2008年4月8日
「 傘(からかさ)に 落つる桜の 雫かな 」
子規 明治23年
春爛漫の四国から昨日朝、帰って来ました。フェリーから直行して7時前には着いたのですが、職場にはもう出勤している同僚がいて、仕事を始めている。愛媛の高校は8日が入学式とかで、まだ休みモードでしたが(始まったらスゴイのだろう)、大阪は今もうフル回転状態。特に、うちのように複雑な機構の組織は動き出す前に力が要ります。
昨日は生徒が3月に行った科目登録の調整、抽選とそのあとの再登録、これで受講者と科目人数が決まる。今日から授業です。カリキュラム担当者は土日もなかった様子です。もちろん花見も・・・。ごめんね。○○さん。お土産の、伯方の塩を使った「しお餅」食べてね。
ローマ人の物語
実に慎重に帝政への足固めをしてゆくアウグストゥス。外交面でも、出来るだけ武力を使わないで、東方を抑えてゆく。当時は西ヨーロッパより東の国々の方がはるかに富んでいたのです。
エジプトの統治にあたって・・・
「価値観に中に共有不可能なものがあっても、もしもそれを認めたほうが統治上得策ならば認めるのが、ローマ人の考え方であったのだ。神とされているファラオの支配の歴史が長かったエジプトでは、市民の共同体である国家ローマに支配されるよりも、父カエサルが神格化されたために『神の子』になっているアウグストゥスが治めるほうが、摩擦もより少なくて済むのである・・・」
こうして内外の安定が見えてきた紀元前20年前後のローマでは、婚期の遅れ、結婚しない若者の増加、そして少子化の問題が起こる。みんな「平和」を享受しようとし、快楽追求に走るのです。これって、現代日本に通じる現象ですね。
2008年4月7日
「 散る桜 残る桜も 散る桜 」
今朝、帰って来ました。ばたばたしていたので、詳しい話は後日に。
桜が散り急いでいます。今日、一日校舎の中庭を小さな蝶のように、雨の中舞い続けていました。
明日に備えて休みます。
最近知った言葉
「フェド・スピ−ク」
曖昧な表現ーそれは日米を問わず、政治家、高官の必要な技術らしい。日経の人気コラム「私の履歴書」から、米連邦準備委員会(FRB)の前議長、グリーンスパン氏は身に付いたあいまいな表現で、奥さんが「3回目のプロポーズで初めて意味がわかった」。でもそれはマチガイで「実際には5回目だった」という冗談。
「引き締め方向の非対称的政策運営方針を検討する」は「必要なら金利を上げてもいい」ということらしい。英語で先の表現をされて理解できる日本人はいるのでしょうか?これをフェド・スピーク(FRB的話法)というらしい。
でも、日本の官僚や政治家の言い回しもこれに近いですね。
2008年4月3日
『 半日は 空に遊ぶや 舞雲雀 』 子規 明治23年
百年以上前の伊予の空にも雲雀が唄っていたのですね。何十代前の先祖だろう。
東京歌舞伎座、4月公演は、「勧進帳」 なんと片岡仁左衛門の弁慶に中村勘三郎の富樫、そして坂東玉三郎の義経。富樫が似合う仁左衛門が弁慶を演じるのは珍しい。こういう顔合わせはめったにありません。見に行きたいなあ。
朝から晩までめまぐるしく会議等があって、くたくたになって夕方7時。阿倍野で友人二人と落ち合う。すでに退職している二人は、先日インドへ旅行に行ってきたのです、その土産と土産話。
ひとりはセミプロのカメラマンなので、その写真を見ながら話を聞く。エロチックな彫刻群、まばゆく輝く憧れのタージ・マハール、ガンジスの朝陽、子ども達の輝く瞳・・・いつか行けるかなあ。
明日もあるので、飲み足らない二人を無理矢理引きずって帰る。
明日の夜から、帰省します。HPは月曜に再開します。
2008年4月2日
「 吾は寝む 君高楼の 花に酔へ 」 (子規 明治28年)
このひと月の間に出席したいくつかのパーティでのこぼれ話。
同僚の結婚祝賀会。最後に花嫁のブーケトス。元同僚の20代後半の美女。私ワタシ欲しい!と叫んで一番いい場所をとる。みんなも気を遣って場を譲る。余裕で花束をゲットして、笑顔で大声で、ワタシ、ブーケ、ゲット4個目なんです!みんな大笑い。大阪のおばちゃんの正道を歩んでいます。こういうキャラ、好きだなあ。
通っているテニススクールの25周年パーティ。最後に、主役たる「支配人」の謝辞。壇上に上るとき、我々が事前にちょっかいを出して、やれやれといっていたどおりに、ステージ手前でこける。えらい!明るい大笑いの会場。
パーティではありませんが、31日、転勤される先生の最後の日。荷物のある方は私が送ります、と自動車通勤の先生が送ってくれる・・・交通事情などで、自動車で通勤される方は校内駐車が認められていないので、月一万数千円を払って近所のパーキングを借りてはる・・・駐車場へ車を取りに行っている間、桜の下で写真を撮って別れを惜しむ。車がやってくる。
別れを惜しむ人々。みんなじーんとしてきた頃に、車のドアを見ると「駐車料金を払って下さい」という貼り紙が・・・。みんな涙が出るほど笑いました。
涙と笑いは紙一重。これが人生の面白さ。
職員会議で重い議論になっても、きちんとユーモアを忘れない(ウケを取るーつっこみが入る)発言者が多い。私は地方出身で(?)こういう技は苦手ですが、これはやはり大阪の文化の懐の深さではないでしょうか。いつも、いいなあ、大阪へ来てよかったと思う点です。東京は変に真面目で、こうはいかないみたいです。
新学期に備えて、新しい担当グループの生徒を確認。いろいろ聞いているうちに、切なくなる。
10代でもう両親がいない生徒の深い哀しさ、虚しさを自分は受け止められるのだろうか。
満開近い桜の下で、新転任の先生を迎えて教科で昼食会。お茶も。和やかで、きれいで・・・きっと、忘れられないでしょう。そして4日からまた戦いが始まります。
2008年4月1日
昨日まで年度末でばたばたしていましたが、今日からもう新学期。新しいメンバーを迎えて、職場も昨日までの惜別モード、ウエットな雰囲気から一晩でムードが変わり、ドライな戦闘モード?になっています。この雰囲気も好きです。4日が入学式。
でも、年度初めの慌しさの中で、ふっと、どこそこへ行った誰それは、今どうしているだろうと思ってしまいます。新しい職場で緊張しているだろうなあ。そして、退職した友人3人はどんな感覚でこの朝を迎えているだろう。
北京五輪の採火式の生中継が実は数分ずらされていて、トラブルは放映されず、なかったこととして、五輪は順調に仕上がっているというイメージを国民に植え付けているという。かつて小説で読んだのと同じストーリーが現実で起きている。
でも、侮れないのがインターネット。中国奥地に旅した友人によると、車でやっと辿り着く小さな村にもネットカフェがありましたよ、とのこと。テレビや新聞で情報規制をしても、電波は世界中をカバーしてしまう。その時、国政の矛盾に気づくか、気づいて、どう民衆は動くか。漢民族とそれ以外の少数民族の問題もあるでしょう。黄砂も、汚れた空気もすぐに渡ってくる隣国なのです。チベット、北朝鮮、台湾と、それぞれ重い問題を含んでこれからの数十年がどうなってゆくか・・・不安が募ります。
疲れたけれど、あえて夜のテニスに出かける。こんな日に限って好調。いわゆる「スイッチが入った状態」になって、難しい厳しいボールを次々拾うことが出来る。メンバーはびっくり。20年もやっていれば、そんな日も幾たびかはあります。汗まみれになって満足して帰宅。明日からまたがんばります。
ローマ人の物語
人気と支持は違う・・・どこかの知事は勘違いしていないかな?
18歳の若さでカエサルの後継者に指名され、カエサル暗殺後15年、若さを活かして、そして若さに似合わず慎重に、巧妙にオクタヴィアヌスは「帝政」への布石を打ってゆく。
もちろん人気と支持の違いもわきまえていた。
うるさい元老院に対決しないよう、共和制への復帰を宣言して喜ばせ、「アウグストゥス」の尊称を得、多くの人の目を誤魔化しながら、実質的な第1人者の地位を不動のものとしてゆく・・・。
でも、あの当時のローマには世界最高の知性が揃っていて、それが見事にひとりの男に踊らされてゆく・・・不思議なものです。今の世もそういう点はありますね。
なぜ、カエサルに出来なくて、アウグストゥスに出来たのか?それはカエサル暗殺の教訓が大きかった。「死んだらおしまいよ」と銘じていた。だから戦争も下手、不安定な立場、虚弱な体質であったのに、用心と療養を重ねながら、長期政権を維持してゆけた。
体力はもちろん、演説も文章もカエサルにはかなわないことを自覚していた。勝負しひょうとか超えようとか、初めから考えない。
そしてカエサルの名言「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」ということがわかっていた。
ただ、カエサルは力があって、人に「見えていない現実」を見せようとすることもあったが、出来たが、アウグストゥスは、人には「見たい現実」だけ見せておき、自分はしっかり「見たくない現実」を直視しながら、目標に近づくことができた・・・。
天才の後を継いだ天才でない人物が、天才が到達できなかった目標に達する・・・。人間の世の面白さです。