Kan-Kan の雑記帳



2008年5月31日
 
 先週末からの帰省、月曜朝に帰阪して出勤。中間考査前の追い込み。続く事件。さすがにハードな一週間で、HPの更新も出来ませんでした。なんとか必死に辿り着いた金曜の夜、友人達と馴染みの酒場で一杯。
 
 そして、迎えた休日の朝、なんとも気持ちがいいものです。短時間の解放感ではありますが・・・。
 
 しんどいことも多いけれど、いろいろストレスもあって、それを誤魔化し、超えながら生きてゆくところに楽しみもあるのでしょう。それにしても、倒れるかどうかの、ぎりぎりの綱渡りですが(苦笑)。
 
 車椅子で趣味の絵を描きながらリハビリを続けている友人の個展の実行委員会。開催まであと2ヶ月余りとなりいよいよダイレクトメールの発送の段階に。それにしても、ボランティアでいろいろな人が集まって行動するのは難しい。
 
 忙しい中で、また職場で中国の小学校に絵本を送るためのバザー(現任校で8回目)をやります。しんどいけれど、応援してくれる人が、、励ましてくれる人がたくさんいらっしゃるからやってゆけます。
 
 でも、ミャンマーのサイクロンや中国の震災の被害の大きさには茫然とするばかり。支援が軌道に乗ったなどと今頃言っても遅いわ、と思いつつ、大事なのはこれからとも思います。もちろん、絵本どころでなく、対象の小学校の無事さえ確認できていない有様、SAL便もあてに出来ない状況ですから、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)を通しての、ミャンマー、中国へのテント送付などへの募金をしようと思っています。
 
 それにしても、一人っ子を学校へ送り出し、そこで生き埋めで失った親の悲しみは想像に余ります。
 
 テレビから「ウイ・シャル・オーバーカム」の歌が流れてきます。ドラマの挿入歌らしい。なつかしい。天災、環境破壊、高齢化社会、財政危機、賃金カットも定年も迫ってきます。われわれも厳しい現実を超えてゆけるのでしょうか?
 
 先日自殺した元TBSのアナウンサーのプログを拝見したけれど、その前日までの記述で、そこまで追いつめられていたとは読み切れませんでした。支援要請はもちろん、危険信号を出すこと、受け止めることも大事なことだと思います。

2008年5月22日
 
 近所のタバコ屋の前の「」月下美人」が咲きました。普通は白ですが、こちらは臙脂の濃いような紅。美しい。ご主人を褒めると、放っておいたのですよ、と笑ってはる。
 
 準備室で10年育てている「月下美人」がまだ咲きません。もう天井に届くほど伸びているのに・・・。生物科の植物に詳しい同僚に訊くと、大事にしすぎたらダメ、適度に痛めて、危機感を持たせることが大事なんだよ・・・。うーむ。素人にそのさじ加減は難しい。人間も同じなのでしょうが・・。
 
 ミャンマーのサイクロンに続いての中国四川省の大地震。絵本を送り続けてきた楽山市の小学校はどうなったのでしょう。情報はありません。とにかく、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)を通して、テントなどを送るための募金をしようと思います。めちゃ忙しいけれど、来月初めに職員バザーをします。
 
 またまた、ハードな一週間でした。今夜も帰宅は10時過ぎ。でも、なりふり構わず、目の前の仕事から片づけてゆくしかないので、却って悩む暇もありません。
 
 明日の夜から帰省します。「限界集落」で首を長くして両親が待っています。
 

2008年16日  

 「5・15事件」が回顧されることが近年少なくなりました。中国の大地震のニュースでミャンマーのサイクロン被害ももう忘れられてゆきつつあります。災害は遭ったあとの対処が大事。支援する気持ちがあっても支援体制が整わないと、動きません。

 京都の女子高校生殺害事件で、名古屋の女子高校生殺人事件も薄れつつあるように感じます。移ろいやすきは人の心。

 毎日事件で振り回され、疲れ果てた週末、とどめの事件で帰宅は深夜に。でも、こういうときは例のアドレナリンが出ているのか妙に元気でハイな状態なのです。きっと明日くらいにどっとくるのでしょう。でも、あさって日曜が授業参観で出勤。来週末の帰省まで体が持つかな?(苦笑)


ビデオでガマン

「リトル・ミス・サンシャイン」  2006年アメリカ

 “リトル・ミス・サンシャイン”とは、ちびっ子向けのミスコンのこと。フォーヴァー家の娘・オリーヴちゃんが、この地方予選を繰り上げで突破。決勝に進めることに。ちょいとおデブな眼鏡っ子にもかかわらず、ミスコンの女王に憧れるオリーヴは驚喜乱舞。一家は総出で、アリゾナからコンテスト会場のカリフォルニアへと向かうことになる。のだけれど……。この一家の面々が変わり者ぞろいなのだ。ワーキングマザーとして一家を支えるママの苦労をよそに、常に勝者であれ!と独自の成功論を振りかざし、見込み薄の出版に懸けるパパ。ヘロイン中毒で老人ホームを追い出されたぶっ飛びグランパ(じいちゃん)に、自殺未遂をおこしたゲイの伯父。そしてニーチェにかぶれて、沈黙の誓いを実行している空軍パイロット志望の兄。 言ってしまえば、バラバラな一家の絆再生を描くロードムービーなのだが、ユーモアと皮肉を織り交ぜながら、あくまでも温かな語り口で進む脚本と、俳優たちの巧みさに、一家全員を好きにならずにいられない。コンテストでオリーヴが披露するグランパ直伝のダンスも最高。声を出して笑いながら、こみ上げる感情に涙した。愛すべき小品。オススメ!(望月ふみ)(PREMIERE

この映画評に同感。とにかく、脚本がうまい。車のトラブル、変な警官、道の間違い・・ロードムービーの「お約束」をきっちり守りつつ、その上で、甘い結末で誤魔化さず、ほろ苦いながらも、希望を持たせる終わり方が見事。

唯一の僅瑕は、オリーヴが披露するダンスを家族が知らなかったという設定。演出の流れで、最期まで観客に隠すのは分かるけれど、全国大会に出る娘の踊りを両親も知らないというのはちょっと首を傾げます。まあ、達者な子役の演技(アカデミー助演女優賞候補)に見とれていて、後で気がついたのですが・・・。


2008年5月14日
 
 朝4時前に、たったったっと足音。最初の朝刊の配達です。早朝のマンションの廊下を走るなと思うけれど、軽くてリズミカルで耳障りではない。若い男の子かな、私ならドタバタ、いやどすんどすんとなって顰蹙を買うところでしょう。
 
 4時50分、一番電車に乗る上の息子が出かけます。私は授業準備、嫁ハンは楽譜を書いている。東の空が紅から白に変わる。もうすぐ日の出。下の息子がそろそろ起きて来ます。朝5時にやっと全員揃う、なんちゅう不規則な生活の家族や。
 
 新聞の投句、そして掲載歌。母の日を終えて、母を詠うものが多いようです。
 
「 母の日の 母叱りたる われは夜叉 」
 
「 十年余 夫の介護に明け暮れて 看取ることなく 母を逝かしむ 」
 
お名前も忘れましたが、それぞれ人生が迫ってきます。

2008年5月12日
 
 「春夏を ふらふらまたぐ 藤の花」 (江戸川柳)
 
 今夕も事件で遅くなる。本来の仕事、授業準備はすベて後回し。やっとそれに取りかかり、最近学校に来ていない生徒に電話、12件したらもう8時過ぎ。家に帰ると、キムタクの話題の新番組のラストシーン。主題歌はマドンナなのですね。
 
 サイクリング通勤のマイナスポイント。この時期の小さい虫の群。そして朝は、土手に出てきたミミズを踏まないようにと下ばかり見ていたら、周囲はマメ科の紫の花と白爪草の白の絨毯。綺麗な景色を見逃していました。
 
 空をツバメが低空飛行。いつの間に来たのか巣作りを始めています。
 
 ラベンダーを一株買ってきて、ドアの前に移植。伸びてきました。毎朝、茎をすっと撫で上げて、爽やかな香りで目を覚ましています。
 
 日曜の夕刻、朝顔と夕顔の苗を買う。これで職場の南の窓に緑と花の簾を造ろうと思っています。
 
 「恋で落ちぶれ 暮らそうとままよ 下がりながらも 藤は咲く 
 
これも俗謡。身分を捨てて恋に生きた無名の作者。好き。
 
母の日異聞
 
「 都合よく 記憶失う 母元気 」   読売川柳から
 
息子達の嫁ハンに贈ったカーネーションを改めて見ると、下の息子は例のキキ付き。上の息子は紫のものでした。
 
「 何かあったか 子の口笛の 淋しい日 」 
 
 これは現代川柳  いつも親は子の様子を気に掛けているものです。母に電話するときはかすかに緊張します。こちらの声、調子も敏感に感じ、心配してしてしまうのです。
 
 好きな映画監督ビリー・ワイルダーは、若いとき貧しくて、栄養失調になったとき、母が訪ねてくるので、きついシャツを着て、首を絞めて、顔色を紅潮させて誤魔化したそうです。

2008年5月11日
 
 母の日。朝一番に四国の母に電話したら、24日に帰ってくるんだね、としっかり憶えている。
 
帰ってきたらあれとこれをやってほしい・・・
わかったわかった、箇条書きにしておいてな。
(その後)、この前、寺の下の誰それさんが死んでね・・・
(その話は前に聞いたけれど・・・苦笑)。
 
 でも、元気そうで安心。
 
 9時半、義母と嫁ハンを連れて、長居公園へ。薔薇園で満開の花を見て、植物園で開催中の彫刻展で友人、堀信二の作品鑑賞。
 
 11時半、天王寺のホテルのランチバイキングに滑り込む。満員。カウンター席を予約しておいてよかった。雨が上がって市内の眺望がすばらしい。ビール一杯800円は高いが、飲み放題1400円は安い。もちろん後者で、充分取り返す。満腹で晩ご飯はパス。
 
 仙台市主催の昨年の「晩翠わかば賞」(小学生対象の詩のコンクール)の佳作。青森県八戸市の西山拓海(たくみ)くんの「お母さん」。
 
おかあさんは どこでもふわふわ
ほっぺは ぷにょぷにょ
ふくらはぎは ぽよぽよ
ふとももは ぼよよん
うでは もちもち
おなかはこびとさんが トランポリンしたら
とおくへとんでゆくくらい はずんでいる
おかあさんは とってもやわらかい
ぼくがさわったら あたたかい気持ちいい
ベッドになってくれる
 
拓海くんはこの春、この「お母さん」に自宅で電気コードで絞め殺されました。
 
 授業でなにも説明しないでこの詩を読ませて、後で事情を説明し感想を書かせました。親子の濃密なふれあいと愛を感じる詩と現実のギャップ。涙ぐんでいる生徒もいました。
 
 ただひとり、「こんなひどいこと書かれたら、腹も立つし、殺したくもなるわ」と書いた生徒がいました。いろいろな感覚があるものです。その子は、その後学校に来ていないみたいで、心配しています。
 
 息子の母の日プレゼントは嫁ハンの好きなキキの人形付きのカーネーション。嫁ハンは喜んでいたが、まさかこれだけではないやろ?ケーキは?と問うと、ごめん、今月パチンコで負けてピンチやねん、許して、とのこと。困ったやっちゃ。
 
台湾への旅 7
 
 昨秋から引っ張ってきたこのシリーズ。もうきりをつけなければ。これで最終回。
 
 要するに一番楽しみにしていた2日目の故宮博物院見学が、台風のためパーになってしまったという情けない話です。せめて前日に2時間でも見ておいてよかったですが、やはり悔しい。
 
 通過すると思っていたヘクトパスカル900台前半の超大型台風が台北の手前で小さく一回転。動きません。台北市内はずっと1日暴風圏。ホテルの窓を下から激しい風雨が打ち上げてきて、窓が震えます。入浴中に停電があって驚きました。停電なんて何十年ぶりの経験でしょう。でも、ちょっとワクワク。
 
 ホテルの玄関にも雨戸(!)が廻らされ、厳戒態勢。小さく開けられた通行用の木戸から、ベルボーイさんにすぐ帰りますと言って飛び出す私。短パンにTシャツという濡れていいスタイルで、向かう先は10メートル隣のコンビニ。
 
 看板や風に折れた街路樹の枝などがばんばん飛んでくるので、めちゃ危ない。なぜ、こんな無理をするか。 
目的の博物院(年中無休のはず)が閉館と確認した時点でみんなヤケになり、飲ん兵衛ばかりなので、もう飲むしかないとなる。とすれば誰が調達に行くか?こういう時はいつも私です(笑)。
 
 コンビニでビール(台湾ビール一種類だけ)と日本酒(いろいろあります)とアテをしこたま買い込んで、部屋で宴会。そとはずっと嵐。例の丘の上の赤いグランドホテル(「千と千尋の神隠し」の大銭湯のモデルと云われる名門ホテル)が霞んで見える。結局買い出しに3回行きました(苦笑)。
 
 テレビはすべて台風情報。リポーターが現場から伝える形は日本と同じ。この時期に上陸するのは60年ぶりとかで戸惑いと不安が見られます。ただ画面がスタジオに戻るとキャスターが画面の中央でしゃべるため。うしろの台風の動きや地図が見えない。こらあ、どけー、などと叫び続けたけれど、どのチャンネルも同じパターン映像でした。視聴者から苦情はないのかしら。川の氾濫もあったようですが「死者ひとり」というのはこの規模の台風の直撃を受けた割には少ない被害だったようです。
 
 最終日も台風の余波で見るべきところはすべて閉館。市立美術館も、現在はまだ世界一の高層ビル「台北101」(登ってみたかった!)も閉館。孔子廟も行ったけれど、掃除中とかで入れず、結局、足裏マッサージとおいしいと云われる店を梯子して帰ってきました。もっと屋台や路地裏探検もしたかったけれど、仕方ありません。
 
 帰りの空港もまた、アイドルグループの出国と鉢合わせ。ものすごい数の女性達の嬌声に送られて?ロビーに入る。台風の翌日なのに・・・平和なんでしょうね。改めて見るとすごく広いロビーで、土産物店の充実振りには驚きました。
 
 今、台湾は写真撮影、占い、グルメ、エステで日本の若い女性に人気が高いそうですが、私はもう行くことはないと思います。他に行きたい国がいっぱいあります。それにやはり自然は豊かですが、「歴史」の面で浅いところがある(故宮博物院の中味は本来は中国のもの)と思いました。人々は親切で、土産物売り場などでも中国のような押しつけがましさは感じませんでした。
 
 今、国の話題は「国連加盟」問題のようで、あちこちにスローガンが掲げられています。国際的にも微妙な位置にあるこの国。アメリカにおけるキューバのような地位関係でしょうか?豊かな自然資源があっても中国に支配されてこなかったのは、中国が西(ヨーロッパ)や南(インド)を向いていたからでしょうか。
 
 日経の連載小説「望郷の道」(北方謙三)は100年近く前の台湾が舞台。毎朝楽しみにしています。

2008年5月10日
 
肌寒い休日。先週暑かったので、冬物と一緒に春のカーディガンなども仕舞ってしまいました。くそー。
 
シャツを2枚重ね着して、防寒。それで思い立ってユニクロへ出かける。
 
無知な私はベルトにサイズがあることを知らなかったのです。ジーンズの為に何も考えずに買った幅広のベルト。前で留めるとほとんど遊びがないことが最近気になってきました。 ちゃんと、ロングサイズというのを売っていました。締めてみるとやはり具合がいい。もっと早く気付くべきでした。でも、メタボにも注意しなければ。
 
 ついでに20年ぶりにタンクトップを買う。今年の夏はダイエットとストレッチをして「若造り」で迫る(誰に?)つもりです。(息子が「ムリ!」と一言残して、自分の部屋に消えて行きました)
 
 「闘牛士は、競技の3日前から絶食するのよ。布をぐるぐるとしっかりお腹にまいて登場するの。角でお腹をさされても、腸が破れて出ないためなのよ」
 
 石井好子さんのエッセイから。彼女がパリで仲良しだったフラメンコの踊り手、カルメンの恋人は闘牛士だったのだそうです。それにしても3日も絶食してあの軽やかな動きができるのでしょうか?写真で見る闘牛士のウエストが信じられないくらい細いのはその為だったのか!
 
 最近読んだ本
 
「スリリングな女たち」 森川みどり  
 
 サスペンス映画のヒロインを描く。蠱惑の美女にメロメロにされてみたいのは男の永遠の願望です。
 
「わが心に歌えば」 久世 光彦
 
 なつかしい映画をそれを彩った歌と共に語る。雑誌にこのエッセイを連載中に亡くなりました。ほんとに映画が好きな人でした。
 
「明日はじめる恋のために」 唯川 恵 
 
 恋愛映画の評論ですが、それを超えて恋愛論、人生論として面白い。いくつかは授業で使わせてもらおうと思っています。
 
「さよならは云わない」 石井好子  
 
 日本シャンソン協会会長。80代で元気に歌っておられる。今日も嫁ハンは聴きに行ってます。全国大会で歌唱賞を嫁ハンに下さり、褒めてくださった。今も、毎日ボイストレーニングに励んではるという。水泳でマスターズ優勝も。金にならないシャンソンの世界でここまでやってこれたのも、本人の努力はもちろんながら、金持ちで大臣だった父親の、物心、人脈にわたる援助が大きかったことを改めて感じ、考えさせられました。
 
「歌舞伎の知恵」 山川静夫   
 
 歌舞伎はどう生きてゆくか?女形の存在、育成がポイントという点に共感。

2008年5月8日
 
「 藤の花  雲の梯(かけはし) かかる也 」  蕪村
 
 「梯」には「梯子」と「架け橋」の意味があって、この句は後の意味で解釈されているようですが、どちらでもいいと思います。「紫の雲」は、「極楽浄土からのお迎えの雲」でもありますね。死ぬときは、やはり春か初夏がいいなと思います。
 
 夕暮れのときは よいとき
 かぎりなく やさしいひととき  (堀口大学)
 
 「ケアール ア セット 」 。 「5時から7時」。早引きした夫は、急ぎ足で恋人のもとを訪れ、そして素知らぬ顔で8時の夕食前に家に帰る。「不倫の時間」。先日読んだ、石井好子さんのエッセイにありました、
 
こんな夢を見た
 
 今度は尾根道を外れ、谷へ下りている(さらに危ない)。みぞれ混じりの寒風が下から吹き上げてきて、面(おもて)を撃つ。顔が痛い。谷底は霞んで見えない。
 
 夢で顔の痛みを感じるのは初めて。朝のサイクリング登校で日焼けしたのかな?
 

2008年5月7日
 
「 行く春や  重たき琵琶の 抱きごころ 」  蕪村
 
 午前4時、どこかで鶏が啼き、山際が少し明るい。もう夜明けの気配です。「夏の夜は、まだ宵ながら明けるぬるを・・・」
 
 太陽が地球を回ってくる(やはり自転より、そう思ったほうがわかりやすい)のも早いものですねえ。夏はやはり余計にそう感じます。
 
 ホテルマンの上の息子はシフトが変わって、終電に乗れないことが多くなったようです。タクシーで帰ってきたこともあるけれど、最近はネットカフェで夜を明かして、始発で帰宅して、一眠りしてまた出勤してゆく。傍から見ていてハードな生活だと思います。
 
 ホテルにも仮眠室があるんやから、それを使えばいいのに・・・と言うと、でも、お父さん、ホテルって24時間営業やろ、隣で同僚が働いていると思ったら、なんや気になって、熟睡出来へんねん・・・。
 
 そんなことに気を遣っておって、どうするねん。もっと神経太う持て。大体、ネットカフェ代がもったいないやろ?
 
 ネットカフェ難民という言葉もあります。一度行ってみたい。息子によるとさまざなまタイプがあるらしいのですが・・・。
 
 私も夜中に起き出してやっていた仕事が一段落、息子が帰宅する前に、一眠りしておきます。
 

2008年5月6日
 
「 行く春や やぶれかぶれの 迎え酒 」  子規 明治34年
 
 連休終わり。好天に恵まれましたが、子供も大きくなり、義母も機嫌よく出歩いてはるので、昔のように、みんなで出かけなければ、という強迫観念に苛まれることなく、ゆったりと過ごせました。なにより、近年、自分自身が、この美しい季節を貪り尽くさなければという内なる意識から、解き放たれてきたと言えます。体力の衰えも、もちろんありあますが・・・。
 
 それは闘病中の友人達のこともあります。病室で天井を見ている彼らを思うにつけ、家にいて近所をうろうろするだけで緑を満喫出来る今の境遇で自足、それに感謝しなければと思うのです。今日も部屋から新緑に覆われた古墳の向こうにきれいな夕陽が沈むのが見えました。
 
 丁度ラジオで、日の出や日没を見たことがない小学生が4割以上いるという調査結果が語られていました。木に登ったことがない子も、昆虫を触ったことがない生徒もほぼ同じほどいるとか。この連休、あれだけたくさんの家族が、人々が動いているのに、そういった体験はしない、させないのでしょうか・・・。
 
 こんな夢を見た
 
 夢の中にだけ出てくる友人の山荘(実際にはそんなものはありません)。北アルプスあたりか。細長い造りで山の傾斜に沿って階段状になっている。何か事情があって、何人かで裏口から出て山を越えて行くことになる。一列になって険しい山道を登る。私が先頭。足下だけを見て歩く。
 
 やっと尾根まで登って、景色は一変。幅30センチくらいの狭い山道が数十メートル続く。その先はまた高い尖った雪の山に続く九十九折り。目の前の細道の両側は深い絶壁。あちちの岩棚に雪が残っている。
 
 ところが、不思議なことに、ジェットコースター始め絶叫マシーン大好き、高いとこ大好き人間のはずの私なのに、足がすくんで、動けない。手摺りもあるのに、立つことさえも出来ない。うしろのメンバーがいらいらしている。焦っているうちに目が覚めました。
 
 高いところが好きになる(平気になる)前の、小学生低学年の記憶が残っていたのでしょうか?高い木の上や、梯子の上で、下を見て震えた原体験が残っていたのかも知れません。高いとこ好きだなんて言ってかっこつけているだけで、本性は今でもめちゃ怖がりだということなのでしょうね。
 
 それにしても、あの別荘へは今度いつ行けるのでしょうか?
 

2008年5月4日
 
 駐車場に立って見上げると、ベランダに鯉のぼりが14ほど。200戸余りのわがマンション、幼い男児がいる確率はかなり高い方ではないでしょうか?4月の初めからもう上げている家もありました。きっとうれしくてたまらなかったのでしょう。子供達の動きは可愛い。育てるのはもちろん大変ですが、連休、うれしそうに親にぶら下がってお出かけする姿を見ると、孫が欲しいなあ、あちこち連れていってやるのに、なんて思います。
 
「 山笑ふ ふふふふふふと 麓まで 」  橋本淳子
 
 北西南と古墳に囲まれた我がマンション。一番近いのが南側にある安閑(あんかん)天皇陵。目の前に黄緑の塊が一段と盛り上がって、目に鮮やかです。森は風を受けて様々な動きを見せます。「森が動く」と言ったのはマクベスの話でしたが(あれは兵士による人為的な偽装でした)、本当に誰かが操っているかのようなめまぐるしさです。が、木によって、枝によってアンバランスな動きもあります。微妙な地形、木の形、風の流れがあるのでしょう。風に煽られる葉、動かない葉、散りそびれて今頃散ってゆく葉・・幾百万の葉が生きています、死んでゆきます。「城之崎にて」の「木の葉」もそうだったのかも知れません。人もそうして「風に吹かれて」ゆくのでしょう。
 
 今の職場は単位制という特殊な形態。個人を縛る制服もなく、頭髪も自由、クラスもなく、個々に独自の時間割を作る、私個人としてはいい形だと思っています。また、本当に優秀ないい同僚が多くいて、みんなで必死にがんばっています。でも、それがなかなか生徒や保護者や世間に伝わらない。そのもどかしさ。
 
 きちんと授業に出席している生徒はもちろんいますが、授業に出ず、近所をうろうろして公園などで騒いで迷惑を掛ける生徒もいます。通報があって駆けつける。ところが、実は本校生でなかったりする。制服がないから区別もつきません。とにかく散らして帰ってくるとまた電話。そんな日々にみんな疲れてゆきます。でも必死でがんばっています。
 
 こちらをあざ笑うように、校内喫煙を繰り返す数名の男子。先日は4階の廊下の隅に小便をやりちらしている。コーラなどを撒いている時も。トイレットペーパーと雑巾で掃除しながら、この時間に教材研究が出来ればと思います。
 
 教師って空き時間があっていいですね、とよく言われます。でも、ちなみに直近の5月2日金曜日は、授業が一番少ない日で、朝いちの100分の授業が一こまだけ。でも、その後に45分の食堂当番、昼休み後半に校門の立ち番25分、そのあと校外巡回(自転車で近辺を廻る)が45分、その後、再び休憩時間に食堂当番、その後、生活指導室の当番100分。その後に会議が二つ。その後に片づけと次週の準備をして、生徒の家に電話などしていたら午後8時でした。朝7時半から12時間半、職場にいたことになります。
 
 空き時間は一限後の45分と、昼休み前半の20分。その時間におにぎりを食べながら授業の整理とプリント作製など準備。これでましな時程なのです。同僚と私的な会話を交わす時間もありません。もちろん自分の要領の悪さ、年々落ちてくる体力、気力の問題も大きいのですが、立ち止まって自分を、作ったプリントを見直す時間すらないのが口惜しい状況です。2日も出来上がったプリントにつまらないミスがあって、落ち込んでしまいました。
 
 そんな夕方・・・。
 
 午後6時半、指導要録の訂正をしていると、後ろに生徒らしき気配。急いで書類を閉じて振り返ろうとすると、手が肩に伸びてきて「センセー、疲れてるみたい、肩揉んだろか?」と女生徒の声。いつもならもちろんぱっと固辞するところ(セクハラと言われてしまいます)ですが、その手があまりにスムーズに肩に入ってきたので思わずそのままにしてしまいました。
 
「メチャ、うまいなあ。どこで習ったん?」
「そうやろ?昔から、おじいちゃんの肩揉んできたねん。年季入っとるで」
「おじいちゃん、おいくつ?」
「60才」
 
そうか、私とたいして違わない。おじいちゃんの感覚なら、ちょっと甘えていいかと、数分揉んでもらって礼を言って帰す。いいこともあります。
 
午後6時45分、教頭先生がクレーマーと電話で対応している。長い電話。気の毒。
 
午後7時。職員室外に、オートバイの音。飛び出して見ると、昨年秋に退学した顔見知りの生徒。諸費返金の書類を貰いに来たと言う。チューター(担任)がいないけれど、たまたま担当者が残っておられて無事に手渡してもらう。
 
連絡して、もっと早く来れなかったん?
今、仕事変わって出られなくて・・・。検査係りと聞いて転職したのに、実はきつい労働で・・。
家は出たん?うん、今はひとり暮らし。気楽やけど、メシが大変で。
 
父子家庭でしたが、父が彼を祖父に預けて再婚してしまいました。祖父と折り合いが悪くなって、事件を起こす度に祖父に呼び出された父に手ひどく殴られ・・・そんな事情を聞いたことがあります。
 
 彼とは二年前、「社会見学」の養護老人ホームグループで一緒でした。口が利けない高齢のおじいさんのベッドのそばで、おじいさの手をさすってあげていた彼の姿を憶えています。おじいさんは泣いていました。やさしいところがある子でした。
 
 その話をすると、そのおじいちゃん憶えている、何度か会いに行きたいと思ったんやけど、行ってもいいかなあと言う。
 
 居残っていた女性同僚に、簡単なレシピを教わって、メモして帰って行きました。今頃ひとりで料理しているのでしょうか?彼のこれからの人生を思います。



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