2008年6月29日
「 をやまんと すれども雨の 足繁く 又も踏み込む 恋のぬかるみ 」
作者を忘れました。四方赤方だったかな。わかっていても、足をとられるのですね。新聞連載小説「望郷の道」の主人公も見事な妻がありながら、彼に心を寄せる飲み屋の女性に絡め取られてゆきます。心配。
阿倍野再開発で立ち退きを迫られて最後に残った行きつけの店「S」。週末に飲んだくれて、意識不明。例によって運び込んだバザーの残りの品々を、常連さんが売りさばいてくれていたみたい。
売り上げが二千円を超えていました。もう少し粘って、あと千円か二千円上積みしてミャンマーと中国へ追加で送りたいと思っています。今回のバザーも結局、売り上げ2万円をクリアー。知事に締め付けられ、給料カットのせちがらい大阪府の中でも、まだ人々の善意は生きています。
故郷の母に電話。随分ひさしぶりだね、と言われて驚く。二,三日前に電話したやろ?いや、先週の日曜以来だよ。そうか、四国とこちらと流れる時間の速さが違っているのです。八月の初めに帰るつもりです。母はずっと先だと嘆きますが、私には来週の予定のように思えます。
トニー賞の授賞式をテレビで見る。ブロードウェイの演劇・ミュージカルの最高権威の賞。映画のアカデミー賞と異なり、いわゆる美男美女達ではないが、出演者の面構えがすばらしい。若い人もベテランも個性と自信に溢れている。自分はあのような表情が出来ているだろうか・・・。ひとつのものごとに集中して力(能力、アイデア、財力・・・)を合わせて作品を作ってゆく。「舞台」はやはり映画以上の魅力ある場です。
今年の演劇部門はシカゴの地方劇団が立ち上げてブロードウェイに進出した「八月・オセージ郡」が作品賞を獲得。アメリカン・ドリームは健在です。 プレゼンターにライザ・ミネリ、マリサ・トメー、リリー・トムリン、グレン・グロース・・スターが煌めきますが、司会は今年はウーピー・ゴールドバーグ。「メリー・ポピンズ」に扮して空を飛ぶやら、「オペラ座の怪人」のヒロインに扮するやら、弾けまくって、一層賑やかなことでした。
紆余曲折の末、やっと話(生徒本人は辞めたい、親は続けさせたい)がついて、退学の方向に話がまとまったのに、結局授業料の問題で辞めることが出来ない。払うと言ってはったのに・・・。授業料減免の手続きもせず・・・。そういう生徒がクラスに現在3人。なかなかです。それにしても、本人達。勉強のチャンスを自ら閉ざしてしまう、人生の間口も狭くしてしまう、つくづくもったいないとは思います。
授業で担当している生徒で、きちんと来ているけれど、地味で目立たず、オタクを自認して男ばかりで固まっているメンバー(五人)が、どういう風の吹き回しか準備室に話に来たいという。折角だから、会議の合間を縫って付き合う。毎日作っているヨーグルトを振る舞ってやる。みんな大喜び。アニメやゲームに嵌って、やや偏っているが、結構好奇心旺盛で、本も読み、映画も見ている者もいて、よくしゃべり、笑い、久しぶりに生徒との楽しいひととき。事件に追われて指導会議に明け暮れる日々の中で一服の清涼剤でした。こんなこともなくっちゃ。
2008年6月28日
反響をいただいたので、先週の記事の補足から。
「あじさいの歌」は石坂陽次郎の残した佳品。かつてテレビドラマ化され
鎌倉が舞台でした。この季節、鎌倉は時に美しい。そういえば、北鎌倉に「あじさい寺」(明月院?)がありました。
でも、そこでは紫陽花が立派過ぎて(人の背丈より高いー「紫陽花の林」といった風情)、ちょっとイメージが違いました。やはり庭の片隅に、雨に打たれ、ひっそり咲いているのが似合う花です。それにしても40年近く前のこと、誰と一緒に見に行ったのだろう・・・どうしても思い出せません。
今、「あじさいの唄」と言えば、「ビッグコミックオリジナル」連載中の森栗丸(もりくりまる)さんのマンガ。
元気に目覚めた栗之助に、父子はふわふわに戻った毛を撫でて狂喜。
犬の栗之助は、夢で「母上」に出会ったことを必死で訴えるのですが、それが伝わらないもどかしさが切ない・・・。
演目は「天鼓」(てんこ)。 月日は流れ、鳴らない鼓にいらだつ帝は、天鼓の父、王伯を召して拍たせようとする。しぶしぶ応じた王伯が鼓に向かうと・・・。
鼓は鳴るのです。感銘を受けた帝は呂水の畔で天鼓の慰霊祭を行う。そして能のお約束、天鼓の霊が現れ、帝の善政(自らの処刑も含めて?)を称えて、喜びの舞を舞うのです。
本筋から離れますが、私は、王伯の「生きてある身は久方の、生きてある身は久方の、天の鼓を打たうよ」の言葉に、自分の仕事を重ねて、こころ打たれました。生きている以上、自分でできることをやるしかないのかも知れません。
シャープの吉永小百合さんのCFでも話題の東山魁夷の 「緑響く」(今、偶々、我が家のトイレに貼っています)他の白馬シリーズ。なぜ風景画家が取って付けたように描いたのだろうとずっと疑問でした。
音楽にも造詣が深かった画家が、ある日、以前自分が描いたスケッチを眺めながら、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番の第2楽章を聴いていると、突然一頭の白馬が針葉樹が茂る湖畔に現れ、画面を右から左に横切って消えたのだそうです。これは他の絵にも現れ、それが以前の作品の再制作になり、連作「白い馬の見える風景」18点になったのだとか・・・。ふーむ。
佐々木徹氏によると、それは当時、唐招提寺障壁画という一大事業を控え「これまでの遍歴を貫く命の確認と、これからの精進を期する覚悟の表現ー描くことは祈りと語っていた画家の祈りが白い馬に姿になった」という分析です。
納得させられますが、現れたのは、なぜ白い馬だったのか?白鳥でも白鹿でもなく・・・美的で普遍的であるということ?それとも馬と画家との間にどこかで深い関わりがあったのでしょうか?それともミューズからの啓示?
画家には失礼ながらトイレでいろいろ考えてしまいます。
2008年6月22日
職員バザーの売り上げは、今回は17000余円。今回は個人支援は止めて、取り急ぎ郵便局でUNHCRへ振り込み。一日でも早くテントが現地に届けばいいのですが・・・。富田林市が成都市に贈ったテントにはちゃんと礼状が届いたそうですが、個人支援は難しい状況と思います。楽山市内の小学校はどうなっているのでしょう。連絡の取りようもありません。
バサーで売れ残った品は、アベノの行きつけの居酒屋で常連さんたちが売りさばいてくれています。いつもながらに感謝。
「あじさいの歌」は石坂陽次郎の残した佳品。かつてテレビドラマ化され、ういういしかった内藤洋子さんが主演、実の母役に山田五十鈴さんという配役でした。ひっそりと健気に生きる美しいヒロイン像が懐かしい。石坂陽次郎の作品はもう本屋の棚になく、内藤洋子さんもおばあちゃん、山田五十鈴さんは病で引退同然。40年余の月日の流れは冷厳です。
今、「あじさいの唄」と言えば、「ビッグコミックオリジナル」連載中の森栗丸(もりくりまる)さんのマンガ。6月20日号で372話。「柔毛」(にこげ)。ずぼらな浪人の「父上」と一人息子の「栗太郎」、その愛犬の「栗之助」の物語。今回は・・・カラスから横取りした腐った魚に当たった栗之助が、生死の境を彷徨う。父子はいがみあいながらも必死に看病する。やわらかな毛もバサバサになってゆく。小舟に乗った「栗之助」の目に白いあじさいの咲く岸辺と、そこに佇む数年前に亡くなっている美しい「母上」が映る。母上は栗之助の柔毛を撫でて、岸に下りようとする栗之助に「栗ちゃん(栗太郎)がもっと大きくなるまでそばにいてあげて」と言って、あじさいの花を持たせて、舟をトンとついて押し出す・・・。
元気に目覚めた栗之助に父子は、ふわふわに戻った毛を撫でて狂喜。そして栗太郎は庭の隅に白いあじさいの花を見つける。
最近、白いあじさいが人気のようです。新聞によると、日本の品種で「白扇」(はくせん)、外来種で「アナベル」や「カシワバアジサイ」が普及しつつあるとか。
21日、夕べ、若い同僚に誘われて、西田辺の「山中能舞台」の「ろうそく能」へ出かける。西田辺に能舞台があったなんて知りませんでした。
地下鉄の駅から3分。イタリアンやダイビングスクールがあるおしゃれな通りからちょっと入った住宅地の鉄筋3階建て住宅(豪邸)の3階部分。舞台と同じほどの広さの客席(200人くらい?)は満席。16度に設定されたクーラーも感じない熱気。アットホームな雰囲気。
演目は「天鼓」(てんこ)。中国後漢の時代。天から鼓が落ちてくる夢を見て身ごもり授かった息子、天鼓。その後、実際に天から鼓が落ちてきて、天鼓はこれを見事に響かせる。それを聞きつけた帝が内裏に召したけれど、天鼓は鼓を取り上げられるのをいやがって、山に隠れる、しかし探し出され、天鼓は呂水に沈められ、鼓は帝に納められるがその後、だれが叩いても鳴ることはなかった・・・。
月日は流れ、鳴らない鼓にいらだつ帝は、天鼓の父、王伯を召して拍たせようとする。しぶしぶ応じた王伯が鼓に向かうと・・・。
ろうそくの灯りの下での能は、その灯の揺らぎもあって味わいはありました。ただ、折角の老親の嘆きや惑いを能面ならではの表現で味わうことが出来なかったのと、あの見事な衣装の色目が解らなかったのが残念でした。
それにしても、名優の全身を使っての演技もさることながら、文楽の人形や能の面がちょっとした顔の角度や動きで深い感情を表現し切ることに不思議な感覚を覚えます。
終わったあとの焼鳥屋での歓談も楽しかったです。私以外の同僚4人は20代。舞台の出演者も後シテの山中さん(この能舞台の後継者?)はじめ若い人がそろい、客席の平均年齢も思ったよりはるかに若い感じ。外国の方も多い。大袈裟ながら、この分なら、日本の文化継承も大丈夫なんて思ってしまいました。
2008年6月15日
「 一日に つづく一日 梅雨長し 」 素十
長さ1キロ、幅1キロの土砂崩れ・・・そのものすごい規模に茫然とします。人生の後半戦、楽しみの温泉、山菜取り、釣りに行って惨事に遭うなんて・・・。もちろん仕事中だった工事の作業員もお気の毒です。
なぜか「14日」という日が好きです。いや「14」という数字が好きです。沢村投手の背番号?パリ祭、7月14日?待宵、8月14夜?我がファミリーには15日生まれが我々夫婦を含んで6人(息子、母、義母、弟)いるのですが、当日より、満月より一日前がいいのかもしれません。いや、やっと月半分終わったという感じがあるのかも。
コーヒーの香りと味は好きですが、時にお腹を通すので、普段は口にしません。でも、朝、職員室に漂うあの香りは、いつもいいなあと思います。
同僚がお金を出し合って、豆を買っているようですが、買いに行く人によって豆が違い、香りも違うようです。
先週の新聞に幻のコーヒー豆「ブルボンポワントゥ」が紹介されていました。マダガスカル島の東800キロ(!)のインド洋に浮かぶレユニオン島(当時のブルボン島)で採れる豆で、カフェインが通常の豆の半分で甘みが強いそうです。天災で19世紀に生産が途絶えていたのを昨年、栽培収穫に成功したのだそうです。価格は100グラム、7350円。高いけれど一度啜ってみたい。もちろん休日に。
最近、日曜はまるまる安息日にしています。今日は友人とモーニング、しゃべりたおして、気が付いたら2時間余りも過ごしていました。それから職場に向かうという友人と別れて帰宅して、発泡酒を飲んで読書とビデオと昼寝。贅沢したらばちがあたるかも。でも、これで来週一週間がんばれます。
ビデオは疲れないものを選ぶ。「ミラノ秋冬コレクション」(限りなく手の込んだ黒いレースが美しい)「ベルサイユのバラー宙組」(やはりフェルゼンとアントワネット編が一番まとまっています。オスカルはゲストで雪組の朝海ひかる・・・美しい)「有頂天ホテル」(群衆劇としてよくできているが、最後の代議士ホテル脱出のシーンの盛り上げがイマイチで失速、残念)
「父の日」を忘れていました。故郷に電話すると、父は雨の中、枇杷を穫っているとか。元気なのはいいけれど、怪我が心配です。声だけのプレゼント。弟も膝を痛めている由。でも、稗の予防剤の散布、消防団と忙しい様子。のほほんと過ごしている自分が申し訳ない。
我が家は息子が「発泡酒」でなく「ビール」を買ってきました。あと芋焼酎「かめ蔵」と、大判焼き「御座候」を。取り合わせはイマイチだけど、粒あんが好きなので、全部まとめていただく。ちょっと腹具合が心配です。
2008年6月14日
「 ふるさとは 川の匂ひの 梅雨入(ついり)哉 」 間村 俊一
この川は作者の故郷、兵庫の揖保川でしょう。それは大河。私の場合は家の前の小さな川。でも梅雨時は水量が増えて、独特の匂いがあります。蛙の声。蛍の光。卯の花・・・。
岩手、宮城の地震の速報が続きます。でも、東北の広い山間部をたくさんのヘリが飛び交って、被害をつぶさに検証してゆく。より広く、より険しい中国の被災地ではどうだったのだろう?
秋葉原の7人殺害、犯人の男が携帯サイトの掲示板に残した悩み、「誰かが見て、自分を止めてほしかった・・・」。もう、なんとも言いようがありません。わかりません。職場への不満や怒りが、なぜ、無関係の人々に向けられたのかも・・・。そして犯人の両親を引っ張り出して、テレビカメラの前で謝罪させた者のありかたも・・・。
東京新タワーの名称は「東京スカイツリー」に決定。610メートルの日本一の建造物は2012年に完成予定。
やっと辿り着いた週末。おいしいいくつかの誘いも、「給料前だからごめん、また誘ってね」と断る。以前は無理したり、口実を設けたりしたけれど、最近は正直に言うことにしています。5月から6月は歓送迎会が続いて出費も多かったのです。ぼちぼち末永く、無理せず、いい仲間と楽しみたいと思います。
来週から保護者懇談。でも、なかなか連絡がとれません。あと4軒、連絡を取り続け、土曜の朝も電話をし続けたけれど、連絡が通じたのがやっと2軒。いろいろ事情もあるのでしょうが、受話器を上げて、こちらが名乗るのを聞いて、何も言わないで切るのは不自然、失礼です。
テニスの帰り、石川の畔をゆっくり走る。合歓の木がうすいピンクの花をつけていました。
ローマ人の物語
通勤の電車で読んで半年、やっと父から借りた20巻を読み終えました。塩野さん独自の見方があるとはいえ、お陰で永年の疑問、ローマ帝国の元老院と皇帝の微妙な関係がやっと少し見えてきました。
ローマ帝国の皇帝って、他国の王や帝と違って、今のアメリカ合衆国の大統領に近い在り方だったのですね。それにしても拡大を続けるローマを統治するのは数百人の選ばれたメンバーによる共和制より、独裁の方がやりやすい、その道をつけたのがカエサルであり、実践したのが初代皇帝アウグストゥスであり、それを整備したのが2代ティベリウス、3代カリグラや5代ネロが失政をしたけれど、「暗殺」と言う名の軌道修正を経て、「パクス・ロマーナ」(ローマによる平和)が奇跡のように続く・・・。
塩野さんは書くー「反体制は、ただ単に反対するだけでは自己消滅してしまう。自ら消滅しないで反体制でありつづけるには、現体制にとって代わりうる新体制を提案しなければならない。これをやってこそ、反体制として積極的な意味を持つことが出来るからである。しかし、ローマが帝政下で平和と繁栄を享受していた時代に生きた反体制は、それを提示することが出来なかった・・・では代わりうる新体制を提示できない場合、知的な反体制人は、どこに自らの道を求めるのか・・・?」
批判・・・安易な、批判の為の批判、スキャンダル作製に走る・・・それは現代にも日本にも、まさに、私の周囲にもあることのように思います。
父の持っている分は読み終えたけれど、この話はまだまだ続きます。
2008年6月8日
「 少しずつ 紫ちがひ 花菖蒲 」 下田実花
秋葉原の通り魔。「世の中、いやになったから、死にたかった。誰でもいいから、殺したかった・・・」またかッ!死にたかったら、人に迷惑かけないで、硫化水素以外の方法で死んでくれ。
でも、加害者が特殊なのではなく、これはどこでも起こり得ること、誰の心にも潜む闇ではあるのでしょう。それがいきなり日常、白昼の元に現れる怖さ。すべての制御装置(宗教、道徳、倫理観、常識、良心・・・)が怪しくなってきているように思います。
自分は決してキレないか?人を傷つけてしまわないか?決して大丈夫などと思わないで自問しつつ、自分と周囲を見続けなければと思います。
秋葉原の事件も夜まで知らず、田植えに奔走している故郷の父や弟に申し訳ないと思いつつ、おだやかな休日一日をいただきました。
駒ヶ谷で始まった、葡萄農園の即売所に出かけ、おいしいデラウエアを買い、藤井寺の知人の書展に出かける。昼はカレーウドン。読書。昼寝。夕方、明石の蛸でビール。テレビで「東京オリンピック」(アベベの、円谷、君原の走りを見ました。円谷の遺書を思い出しました)「戦場のピアニスト」(人と人が巡り会い、救い、また救われない
その重さ、不可思議さ)そして「篤姫」(まだまだ面白い)、全仏オープン男子決勝(フェデラーはナダルを止められるか?)。
心身リフレッシュ出来ました。また、1週間、、キレないでがんばれそうです。
2008年6月7日
甲子園で勝った時より、甲子園出場が決まった時の方が嬉しいと言われますが・・・。
男女バレーのもつれ込んだオリンピック出場権を賭けた戦いは、盛り上がり、視聴率も高いようです。先に出場を決めた女子に続いて、男子の部。大手をかけた対アルゼンチン戦、第5セット、ジュースの末の勝利でした。16年ぶりなのですね。
38才のベテラン荻野のスパイクで決まったのもよかったです。女子が最後にフェイントで決めたのと対称的。女子は笑顔、男子が涙だったのも・・・。植田監督の「ここにいない選手にもお礼を言いたい」とのコメントもいい。
それにしても、やはり頑張ってほしいのはスーパーエースの山本。最後の最後でミスをして、マッチポイントでトスを挙げてもらえませんでした。最後はエースと心中する気で、エースもその覚悟で、と思うのは、中高でバレー部だった、そしてミュンヘン大会で熱狂した古くからのバレーファンのこだわりでしょうか?
仕事の忙しさと肘の痛みで遠ざかっていたテニスにひと月振りに復帰。肘の違和感と痛みは残っていますが、サーブを打てるようにまでは快復しておりました。たっぷり汗を流して、久々の爽快感を味わう。やはり忙しくても、こういう無心に体を動かす時間は、自分にとって必要だなあと感じました。
「 酒止めようか どの本能と 遊ぼうか 」 金子兜太
ご存じのように、酒も宴会も好き。でも、最近、パーティなどの会場にいても、無性にひとりになりたくなる。ちょっと、席を外して、外や、ソファーでひと息入れで、ぼーっとするのが好き。「人疲れ」するのかも知れません。これも年のせいかも。でも、場にいるときは、酒量は落ちず、テンション高く、わいわい騒いでいるのは変わらないそうですが・・・内面は少し変わりつつあります(苦笑)。
それでも日本の気軽な組織内宴会と違って、もっとシビアな海外の「オフィスパーティ」、会社主催の親睦会。そこでの失態で職を失うこともあるとか。そこでいろんな指南書が出ています。
その中の「エクシット・ストラテジー」。優雅に退席するための撤退作戦。去り際に言ってはならない三大言い訳は・・・@「バーに行きます」(アルコール依存症に思われる)A「トイレに行きます」(イメージが損なわれる)B「人と会う約束があります」(この場より大事なことがあるんだね)
ふーん。それぞれ、いろいろあるんだ。
先日書いた「物原」は「ものはら」と呼ぶのが正しいそうです。「ぶつげん」とルビが振ってあったので、そのまま書いたのですが、陶芸などにも詳しい友人から指摘をもらいました。辞書には載っていませんでしたが、たしかに「ものはら」の方が語感もいいし、言葉としての意味が伝わります。
17代目 市村羽左衛門の言葉から
「本気で力を入れて引っ張ることはだれでもできるけれど、実際には力を入れないで、演技で力を入れているように見せるのは大変なんですかねえ。近頃、若い人と一緒に芝居をやると、本気で力を入れて押したり引いたりするので疲れて仕方がない」
演技は一種のウソであり、ウソをまことに見せる技術を身につけることが大事なのですね。
ミュージカル「ラマンチャの男」からセルバンテスのセリフ
「事実は真実の敵だ」
「一番の狂気は、人生をあるがままに見て、そうあるべき姿で見ないことだ」
どんなみじめな状態であっても、その人間のウチには、ありうべきドン・キホーテとドルシネア姫が生きている。 生きているハズ。
深い言葉。このセリフが吐かれると、客席が深く大きくざわめくと言われます。
2008年6月3日
テニスエルボーと仕事に忙殺されていたのとで、一ヶ月テニスから遠ざかっていました。エルボーには休養が一番。久しぶりのテニスは疲れたけれど、気持ちのいい汗をかくことが出来ました。こういう体をひたすら動かす時間も大事と思います。
いつのまにやら、全仏オープンテニスもベスト8に。大会前にエナンの突然の引退宣言。そして第1シードのシャラポワの敗退。男女とも若い選手が次々伸びてきていて、世代交代が進んでいることを感じます。息子より若い選手がいっぱいいるのです。驚き。
で、古き良き?時代の話をあえてします。
バザーの品物を整理していて思い出しました。
ウィンザー公夫人秘蔵のサファイアのペンダントが先月、ジェノバでザザビーズの競売に懸かったという話。206.82カラット!縁取りはダイヤモンド。カルティエで作られて、価格はおそらく一億五千万前後とか。
ウィンザー公は元、英国王、エドワード八世。離婚歴のある米国女性、シンプソン夫人と結婚するために王位を捨てた人。「王冠を賭けた恋」の主人公達ですが、結婚後パリ郊外で暮らしました。二人の死後、近年その遺品がつぎつぎオークションに掛けられているのには、なにかわけがあるのでしょうか?ペンダントの行方も興味があります。
三十年以上前、今治からのフェリーで乗り合わせた老紳士から、昔、海軍にいて、軍艦に乗って、エドワード八世の即位式に出席する皇族のどなたかを積んでイギリスまで行ったという話を聞きました。もちろん一兵卒で式には出なかったけれど当時のロンドンの話など、興味深く伺った思い出があります。即位式は1936年のはずですから、もう七十年以上も前の話です。あの、今治郊外で暮らしておられると言っていた老紳士も、もちろん今はもういらっしゃらないことでしょう。
6月2日
はつなつのかぜとなりたや
かのひとのまえにはだかり
かのひとのうしろよりふく
はつなつの
はつなつの
かぜになりたや
川上澄生(版画家)
料理家、西部るみさんのエッセイから、酒を飲む上でのルール
1.飲んだら、怒らない
2.泣かない
3.からまない
4.吐かない
5.眠らない
そんなの当たり前でっしゃろ!でも、最近、飲んで、ええ話を聞いたり、いい歌を聴いたりしたらすぐ泣くなあ・・・反省。
映画「セックス・アンド・ザ・シティ」、テレビから映画へ。この夏公開。あの面白さはテレビならでは、と思うのですが・・・。主演のサラ・ジェシカ・パーカーの良さがイマイチよくわからないのですが・・・とにかく公開されたNYでは大評判とか。
でも、このドラマのお陰で。カクテル「コスモポリタン」(ウォッカとグレープフルーツジュース)、婦人靴「マロノ・ブラニク」が定着したようです。
でも、一足600ドルは高すぎる!
「物原」(ぶつげん)ー割り捨てた陶器の山 良い作品が出来ないと、割って捨ててしまう。それくらいの作品、商品に対するこだわりがあるのか・・・。
バーナード・ショーの言葉
「好きな物を手に入れることが肝心だ。さもしないと、手に入った物を無理にさせられる羽目になる」
バザーをしながら、思い入れの品々を扱いながら、いろいろ思います。
2008年6月1日
「口軽き 吾を悔ゆるや 豆の花」 徳川無声
戦時中の言論統制の時代への抵抗の句でもあったのでしょう。号は「夢諦軒」。夢を諦める、そして「無定見」の悲しい洒落なのでしょう。 そんな時代が来て欲しくはありませんが・・・。
梅雨入りも秒読みのようですが、今日は初夏のまばゆい日射しでした。仕事と、テニスエルボーもあって、テニスから離れてひと月。今日もみんなコートで走り回っているやろなあと思いつつ、来週に備えて休養、充電の一日でした。
友人の禅寺も忙しく、今日が結局、今年初めてのきちんとした早朝座禅でした。半年の間に、隣にあった木が生い茂って森閑としていた無人屋敷は墓地と新築建て売り住宅と化し、本堂も陽が入ってぐっと明るくなりました。由緒ある禅寺もあとは本堂の改修を残すのみ。格式と風情を残しつつ着実に存続を図る・・・難しい作業に取り組む友人です。それも息子さんがきちんと跡を取ることが決まっているからこそですが・・・。
今朝もまず親子で読経。若々しい声、それが終わって座禅に移るときの息子さんのきびきびとた動き。木魚の位置からまっすぐ歩いて畳の上で90度方向転換、座布団に向かう・・・そういう歩き方をするんだ。
親子3代の早朝のお勤めを聞かせていただいてきました。読経しているお二人の姿に4年前に亡くなった先代の後ろ姿が重なります。座禅の後、境内にある先代のお墓参りをさせていただきました。
久しぶりの座禅で足腰が痛かったけれど、やはり気持ちいいものです。悟りの境地にはほど遠いですが・・・。
後部座席もシートベルトを、タバコの自動販売機ではカードを。それはそれでいいことなのだろうけれど、ある面窮屈になってゆく世の中です。学校も全面禁煙。愛煙家の同僚は苦慮しています。そして生活指導の我々は生徒の校内喫煙を防ぐために、立ち番と巡回に励んでいます。
30年振りにタバコを買いました。天の邪鬼の私には今、喫煙が快感。夕食後、ベランダに出て夜景を眺めながら一服する気持ちよさ。折角住んでいる高層階、老眼と乱視のお陰で?ネオンも二重に見えて一段と美しいのです。
30年来のもう一つのタブー、「休日は午前中は飲まない」というマイルールもあっさり撤廃。朝のきれいな光の中で、友人のイタリア土産のワインを開ける。しっかりした味わい。ベランダに植えたラベンダーの香りが漂ってきます。これぞ人生の楽しみ。残り時間の多くない人生、もっと気楽に生きたいと思ってきました。
今、再脚光を浴びている高畑淳子さんの読売新聞のエッセイ、5回連続の最終稿ーこれまでさんざん、酒の上の失敗の綴ってきましたが・・・
「これほど失敗し、痛い思いをしながらも、酒が何かを緩めてくれる瞬間は、味覚を超えた魅力がある。舞台に立っていて、ごく稀に訪れるあの心地よい瞬間・・・何かの力に誘われ、演じることの鎧がすべて剥ぎ取られるあの瞬間に、酒は似ている・・・」
よーく、わかります。高畑さんと飲みたい。大変だろうけれど(笑)。
行く人
シドニー・ポラックさん (米映画俳優、監督、癌、73才)
多彩で安心できる製作活動。いわゆる「ニュー・シネマ」派だったのに、きちんと商業ペースにも乗る上質の作品を作り続けました。
俳優を兼ねただけに俳優を活かすのがうまく、「ひとりぼっちの青春」のジェーン・フォンダ、マイケル・ザザーランド、「追憶」のバーブラ・ストライサンド、そして無名時代からの盟友、ロバート・レッドフォード。見事な演技を引き出しました。
アカデミー賞の作品、監督賞を獲った「愛と哀しみの果て」(85年)は私は個人的にはイマイチでしたが、「トッツイー」は佳作。今年オスカー候補に上がった「フィクサー」、近日公開の「近距離恋愛」にも出演していました。製作にも噛んで、最後まで映画人としてまっとうした人生、見事だったと思います。
「ザ・ヤクザ」(74年)の撮影で来日。日本食ファンだったそうです。