Kan-Kan の雑記帳



2008年7月31日
 
 「 親戚が 集まってゐる 夏座敷 」  新聞俳壇の投稿句 名取市 里村さん
 
 建具を外し、開けはなった夏仕様の座敷。祝い事か不幸か・・・人事は雑多、自然は清涼。
 
 某真夏日、午後、夕刻、講習の合間に若手教師中心(私も!)に体育館に集合。14,5人。秋のスポーツ大会の事前講習と称して、バドミントン、バレー大会。バドミントンは総当たりのシングルで私は3勝4敗。バレーは生徒の部員も入れて5セット。汗びっしょり、ふらふらになる。私だけプールでシャワーを浴びてから500メートル泳いでクールダウン。
 
 一度解散、夜にアベノのビアガーデンに再集合。その日はプレミアムデー。3300円で発泡酒でない高級ビール飲み放題、たっぷり騒いで飲んで大発散の一夜した。こんな暑気払いも無くっちゃね。
 
 最近観た芝居

「 ローゼ・ベルント(Rose Bernd) 」

6年前の教え子の嚴樫(いずかし)佑介くんが所属する、劇団「燐光群」の公演。東京の調布市せんかわ劇場で立ち上げて、関西公演は尼崎ピッコロシアターであったので行ってきました。

今回はノーベル文学賞(1912年)のゲアハルト・ハウプトマンの代表作を坂手洋二さんが演出。日本初演です。100年前のドイツの地方都市の悲劇を現代風味付けをして、今回はオーソドックスに描いているのですが・・・。

幕開き、ダンボールの高い壁の向こうから作業のホッチキスの音が聞こえ、登場人物がその壁を壊して片づけて、食品工場で残業中のヒロインが現れてくるというのは鮮やかな滑り出しです。客演の占部房子さん(「ほんまもん」や「風林火山」に出ていたらしい)は美しい容姿で、清純なイメージと肉欲の間で引き裂かれるタイタルロールのヒロインを熱演しています。

偽装問題、遣い廻しなどをうまく取り込んでいるものの、やはり100年前の作品はテーマ的に古い。「不倫」や「二股愛」などはもう大騒ぎする問題でもありません。親のために、心染まぬ結婚をして家を支えようとする娘のありかたも・・・。もちろん現代にもあるでしょうが、それを訴えたいなら、思い切って時代設定を改めるべきでした。

嚴樫くんは今回もヒロインを案じる純粋な弟役。好青年すぎて役柄が絞られています。もっと思い切って、アクの強い役や変質者役(「サイコ」の主人公の青年のような)をやらせてもらいなよ、と感想メールを送る。ありがとうございます、そうします、と返信。いい子役だった(昔「王女メディア」で平幹二郎演じるメディアに殺される子供を演じていた・・・それを道頓堀、朝日座で観た若い日の私)のです。大人の役者に脱皮するのはなかなか難しいのでしょう。

それにしても、舞台を観ながらつい連想。なぜ、「山本モナ」さんの一夜の情事がこんな大騒ぎになっているのだろう。あれって、現代においては極めて個人的な問題ではないのですか?100年経っても人の意識は変わっていないとこもあるということなのかなあ・・・。それとも情報化社会の生け贄・・・?

最近観た映画

「崖の上のポニョ」

話題作はまた美しいファンタジーでした。今回は「海」。滑り出しの海のシーンから、大時化のシーンまですばらしい映像で見せます。あまり気持ちよいので途中で眠ってしまいました(笑)。

人物造型も魅力的で、声優も山口智子さんや天海祐希さんら相変わらず見事なキャスティング。でも、魚ポニョが人間に憧れるようになった過程が描かれず(本来なら、海から崖の上の素敵な家庭を見上げて・・・というシーンがあってしかるべき)、なぜか魚のポニョの両親が元人間と海の妖精で、それは何故なのか、最後まで明かされず、そして「人間」になることが「幸せ」なのかどうか・・・「細部こだわり人間」の私としては首をかしげる部分も多し。

でも、素直にこの見事な映像に酔っていればいいのでしょう(最後のエンドクレジットもきれいで凝っています)。「人魚姫」がモチーフなのでしょうが、こちらはハッピーエンドに強引に持ってゆくところに宮崎駿さんのこだわりがあるのでしょう。


2008年7月29日
 
 「 全滅の 広島の友 原爆忌 」   新聞の俳壇 投稿句から 武蔵野市 高橋さん
 
 旧広島第一県女の一年生は、たまたま当日、体調を崩して学校を休んだ高橋さんを除いて、全員亡くなったという。高橋さんは一人で後年、遺稿集を完成させたそうです。一日の欠席が人生を変える。その後どんな経路をたどって武蔵野市におられるのでしょう。
 
 ミュージカル映画にもなった「サウンド・オブ・ミュージック」(何度観てもいい!元は映画「菩提樹」)の舞台、ザルツブルグ。映画の主人公達のモデル、トラップ一家(ご存じのごとく、ナチスの迫害を逃れてアメリカに亡命、トラップ・ファミリー合唱団として成功)の旧邸宅が、ホテルに改築されこの秋「ビラ・トラップ」としてオープンとのこと。世界中からファンが押し寄せることでしょう。行ってみたい。
 
 ちなみにこのホテル、今月25日にメディアに公開され、トラップ家の次女、マリアさん(映画でジュリー・アンドリュースが演じたお義母さんと同じ名前)93才(生きてはったんだ!)が、アメリカ、バーモントから70年ぶりに来訪、かつて家族でコーラスを楽しんだ庭を歩き、宿泊したそうです。
 
 6月に肺ガンで亡くなった、氷室冴子さん。享年51才。2年前の春に、すでに友人の菊地秀行さんに葬儀委員長を依頼、墓も戒名も葬儀費用も、斎場で流す自分の人生を紹介するスライド映像まで準備してはったそうです・・・。
 
 28日夕刻の雷雨としそれに伴う、交通大停滞。雷は我が家の南、200メートルの変電所を直撃、煙が上がり、消防車が駆けつけ、電車はすべて止まり、代行バスが出される大騒ぎになったらしい。仕事明けの下の息子は家の窓からそれを観ていたらしい。
 
その夜遅く・・・。
 
 残念、おれも家におればよかった。落雷なんてめったに観られない光景やのに・・・。
 お父さんは?
 梅田の百貨店からアベノの居酒屋に廻って、約束した奈良からの友達が来ないから心配しつつ飲んでおった。遅くまで飲んだから、混雑にも巻き込まれず、代行バスにも乗り損ねたしなあ。
 なんや、お父さん、事件や騒動が起こると、嬉しそうやね。その場におらんかったら、悔しがるし、普通の人と逆やで!
 
 そんなことはない、お父さんは常に世界の平和と安全を祈っているんだ、と言いつつ、「対岸の火事は大きいほどいいと言うからなあ」等と言って警察官の息子の顰蹙を買う。ミーハーで、お祭りや騒ぎが好きな私は、昔から「菅家の突然変異」と言われていたことを思い出しました。その遺伝子は下の息子にはまだ見えず、上の息子には確実に伝わっているようです(苦笑)。
 
 その荒天の夕方は、梅田の百貨店、阪急のイベントホール「ミューズ」で開かれていた「矢澤金太郎の家具と異素材アート展」に出かけておりました。異素材はレザーワークと吹きガラスとステンドグラス。
 
 矢澤さんの木工家具は昔から憧れていました。76年、フランスでガルニエに師事したあと帰国、賞も多く貰うけれど、90年から公募展出品を止めて、宮崎で製作に没頭しておられるようです、重厚で、すっきりした美しい机、ベッド、引き出し、衣装ダンス、鏡台・・・。ほしいけれど、値段はもちろん、購入して据えるには、それに似合う部屋がまず必要です(苦笑)。
 
 西山亮さんの吹きガラスも素敵ですが、うちにはデストロイヤーがいるので(内緒!)、高級ガラス食器は禁物。ため息をついて眺めるのみ。
 
 河野甲さんのレザークラフトは好きです。しなやかで、一見革とは思えない繊細な造形。以前近所のギャラリーで、背中にとんぼのような透き通った羽根を付けた細身のエンジェルを見つけ、欲しいと思い、購入しようとして、最後の最後で諦めたこと、今でも悔やんでいます。あのとき5万円だった。今なら数倍するでしょう。河野さんは同郷でもあるのです。今は京都在住とのこと。
 
 このベテラン3人に伍して、ひけを取らず、光彩を放っていたのが、若手の女性アーチスト、以前からこのHPでも取り上げていたステンドグラスの末友章子さん。はじめて作品を拝見してファンになってから足かけ5年になるでしょうか。着実に技術を、芸術性を、高めておられると思いました。今回はいつものモノクロトーン主体の作品に加えて、オレンジや赤を効果的に使ったものも登場(特に地球儀のような弓形の支柱の付けられた丸いランプは素敵でした)、さまざまな色、形、材質のガラスを駆使して、より華やかで、かつ上品な作品群。百貨店の展示の都合上?、照明が少し明るすぎるのがステングラス展示にはちょっと気の毒でしたが、この展示を機会にさらに飛躍されることでしょう。
 
 四人はお仲間というのでなく、プロデュースされる方があったようですが、自分が気にしていた、年齢もジャンルも違う作家四人が偶然一同に揃って拝見できるなんて、偶然でしょうが、縁を感じました。
 

2008年7月27日
 
 「 風にページめくらせ 海をみている 本よむ人・・・(詩の一節から)  」     長谷川四郎
 
 夏の甲子園大会、地方大会の最後の試合は南大阪大会。PL学園対近大付属は二転三転の大接戦の結果、延長で近大付属に。思わず最後まで観てしまいました。15年ぶりというのは、選手達はおろか関係者も入れ替わって、初出場みたいなものですね。それにしても、公立の羽曳野高校(わが家から見えます)、準決勝までがんばりました。監督もいなかったのに・・・。
 
 グラウンドに巻き上がる砂煙、強い風、照りつける日射し・・・バッターがバンドの格好をしただけで、ピッチャーはマウンドから走り下りる、また上る、それが繰り返される・・・それだけで、今の私なら消耗してクラクラ目眩を起こすことでしょう(苦笑)。
 
 友人は今朝、4時半に起きて、5時から家族で和歌山・御坊に海水浴に行ったとか。小さい子がいるなら仕方ないなあ。20年前を思い出します。いつか孫を連れてゆくことがあるのかも。でも、大変だろうなあ。友人は日焼けした肩、背中が痛いようです。
 
 友人のお母さんの納骨で泉南へ。岬町の丘の上の墓地公園は眼下に青い海とそこに浮かぶ関空を望み、緑溢れるいいところ。芝生が敷きつめられ、同じ形の低い台形の墓石は日本風でなく、まるでアーリントン墓地みたい(行ったことないけれど)。友人はお父さん、お姉さんに続いてお母さんを亡くし、今はひとり暮らし。親戚も遠く、少ないので、古い友人3名が付き合ったわけです。なぜか、近年、肉親縁の薄くなった友人が多いみたい。少子化と年齢のせいでしょうか。炎天下の下、読経も短めで、石室に骨をお納めして、マイクロバスでお寄り駅まで。ナンバまで引き返し、「はり重」でスキヤキをいただく。当の友人は明るく、しっかりしていますが、これからもいろいろあるだろうなあ。友人として力にならなければ。でも、かんちゃん、将来一緒に、グループホームに入ろうよ、と誘われているのですが、酒、タバコ、マージャンすべて嗜む友人に就いて行けるかどうか不安です(苦笑)。
 
 夏のいただきもの。「叶匠壽庵」(かのうしょうじゅあん)の楽しみはその意匠。夏の和菓子は涼感、涼味が命。この夏は、箱は青緑、水引は茶色の細竹をあしらった横線に滲んだ緑の色の蔓が這い、一輪の紺の朝顔とつぼみ。中味は薄紅のゼリー「標野」(シメノ)と羊羹「一壺天」(イッコテン)。眺めているだけで、満腹。私は枝豆をアテに発泡酒を飲んでいます(笑)。
 
 
最近 心にのこった言葉
 
 早坂暁さん
 
 「たとえば碁の世界では、闘いを終えた棋士は必ず敗着(負けを決めた一手)を確かめる。そうした棋士は二度と同じ敗着の手は打たないといいます。それを思うと、太平洋戦争は素人のザル碁に似ています。きちんとした敗着の検証がない。日本人300万人が亡くなり、アジアで2千万を超える人を殺したというのに。また同じ敗着を打たなければいいが、との思いはぬぐえません」
 
 また、八月がやってきます。「終戦」という曖昧な表現に象徴される検証の甘さを、改めて感じます。先週倒れて、まだ意識の戻らない、鹿児島の親戚のおばさんは、戦後満州から引き揚げて来た人でした。元、家庭科教師。いつも元気で明るく、自分では過去は語らなかったけれど、引き揚げの途中で幼子を失ったことを母から聞かされました。

2008年7月25日
 
  経済的には豊かではありませんが、到来物だけはいっぱいある我が家です(すみません、自慢がはいってます)。昔、うちによく遊びに来ていた面々、たとえば、従兄弟のKクンからビール(発泡酒ではないー息子たち歓喜)、後輩のYくんから御前酒(岡山の銘酒です)。ありがとうね。電話しても出ないから、ここでお礼を。仕事熱心もいいけれど、そろそろ結婚しいや。
 もうええかげんにやめて、と言ってやってもずっと送ってくれる。うれしいけれど、ちょっと心に重くなって来ている。もう投資(もちろんそんな気はなかったけれど)をはるかに超えるものを返してもらっている・・・。
 
 そんな思いをこぼすと、嫁ハンが、あなただって、仲人さんに30年も盆暮れの届け物をしているじゃない。
 あれはね、実は、六千円の酒を送って、そのあと、一緒に飲みに行って、一万以上の酒を奢ってもらっているんだよ・・・。
 
 人生のお金の帳尻は計ることはできないけれど、どこかですっきりさせておきたいものです。それが、ボランティアへ駆り立てられるひとつの契機になっているのかも知れません。恵まれすぎ、貰いすぎも不安なものです(これも自慢が入っているか、いかん、いかん)。
 
 昨日の夕食時のビール(一本だけKくんの、あとは発砲酒)のアテは、友人が自分の畠で作った胡瓜、モロミも添えて持って来てくれました。別の友人から泉州の水茄子、この青紫の美しさ・・・。ますます進みます。
 
 ぽーにょ、ぽにょぽにょ、さかなのこ・・・歌い始めると止まらない。不思議に体に馴染むメロディ。十数年前にショーコー、ショーコーと思わず歌っていたことを思い出す。げに、歌の力は怖ろしい。
 
最近読んだ本
 
 「風の帰る場所」 宮崎 駿へのインタビュー集
 
 超多忙の作家は映画を観る暇もない。ビデオやテレビ放映されるものをちらっと覗くだけ。しかし、5分間観ただけで、その映画の「本気さ」がわかるという。その画面の持つ、緊張感といったものでしょうか。それを嗅ぎ取る作家の感覚ももちろん鋭い。
 
 こだわりつづけること、それを継続できること。妥協しないパワー。変人と言われつつ、映像の世界でそれを貫いてきた自信と、映像への情熱と冷静な判断。野茂投手を「蝶を追っていつのまにか山頂に登ってしまった少年」と評した人がいましたが、宮崎さんには「蝶を追って、果てしない深い森に分け入って行く少年」の面影を感じます。

2008年7月24日
 
「 囀りを こぼさじと抱く 大樹かな 」     星野立子
 
 気分良く夜更かししていたら、突然地震警報、続いて地震速報。深夜番組はうち切られて、特別報道番組に。しかし、いきなり津波に注意と言われて、あの時間に山に向かって逃げた海岸近くの人は何人いただろう?そして、そのすぐ後にあった津波の心配はありませんという報道を聞けたかどうか?岩手県は広い。今のところ震度の割に大きな被害報告がないのは、集計の問題もあるのかもしれません。
 
 特別報道番組で盛岡のアナウンサーが、私は自宅で寝ておりました、地震で飛んで来ました、と語っていたのは、局の近くに住んでいたのですね。名前も知らない市の役所の当直員が電話インタビューで、寝る支度をしている時に揺れました、状況はこうこうで・・・と冷静に語っていました。もし、地震がなければ、あの町の名前も、彼の名前も声も知らずに終わっていたことでしょう。人ってこういう時に広く知られたり、別の人生が開かれる場合もあるのでしょうか。
 
 今日も夏の朝。私が夏期特別休暇で出勤するのを驚き、訝しがるのは下の息子。上の息子は、そんなのだれでも、どこでもやっているよ、と平然。公務員と企業の違いでしょうか?
 
 今日ものどかに出勤、退勤。仕事がはかどる。でも、気になるのは、休みなのにたまに姿を見せるひとりの生徒のこと。どうも、動きが、表情が尋常ではない。詳しいことは申せませんが、家族のないその生徒の深い孤独に今は寄り添ってやることもできていません。明日は来ないというので、私は安心して?休めますが、どこかで踏み込んで訊いてやりたい。でも、それが出来るだろうか・・・。
 
 今日も灼熱の舗道。遮断機が下りた踏切の前でうずくまっている中年の女性がいる。気になって急ぎ足で近寄ってみると、探っていた手提げカバンの中から、お茶のペットボトルを出して飲み始めた。ややこしい格好せんといて!でも、ひと安心。
 
 渡辺えり子とすまけいの対談から
 
 すま  一人芝居っていうのは嫌いなのよ。落語は好きだけれど、落語が描く世界って、一人芝居の世界じゃないですからね。才能のある人は、すばらしい一人芝居をなさったりしますけど、一人でなんでもできてすごいですねえ、とはおもうけれど、それだけのもんですよ。特に、真面目な人間の書いたものだと、お前の日記なんて観たくねえ、家帰って一人で泣いてろって言いたくなっちゃう。
 芝居っていうのは「関係」ですからね。戯曲もそうだし、稽古もそうだけど、関係を作っていくことが、芝居のいちばん面白いところです。ひとりでやって何が楽しいんだろうと思っちゃいますね。
 
 芝居は「関係」という言葉に引かれました。その通りだと思う。生まれ変わったら、映画もいいけれど、演劇関係の仕事をしたい。

2008年7月23日
 
 「 昼寝さめて 腕(かいな)さするや たたみの目 」  子規 (明治31年)
 
  故郷に帰って、よく味わう感覚。100年経っても変わらないものなのですね。夏の昼下がりです。
 
 朝、母から電話。鹿児島のEおばさん(88才、母の従姉妹ー事情があって、我が家とは非常に近しい間柄でした)が倒れて、あぶないという。でも、高齢の両親にはすぐに見舞いに行くこともできない、第一相手の意識がないというのだから、見舞いにいってもなあ。万が一のことも含めて、お前が代わりに行ってくれたらねえ。ちょっと待ってな。あれこれあるから、もう少し様子をみて、対応しようねと言って切る。
 
 今日から正式な?夏休み。我々には特別夏期休暇10半日(5日間)があります。それを出して、今日は出勤。呆れる息子と嫁ハン、同僚たち。もったいないじゃない。折角の休みを・・・。
 
 そう、でも、これいいのです。この気楽な感じはなんともいえない。ゆっくりめに出勤して(タイムカードとも無縁)、集中して仕事を片づけ、ごきげんよう(うちは学習院か?)と早めに午後3時頃、退出。照りつける日射しの下を帰って来ている時に、ソレがやってきました。
 
 「愛のコンチェルト」というピアノ曲が流れていました。熱い舗道の上に、過ぎていった人々が、祖父母が、姪が、K先生、S先生、I先生,
M先生・・・次々と浮かんできて、涙がどーっと溢れてきました。
 
 これって10年に一度くらい襲ってくる、クリーニング作業なのでしょうか?
 
 泣いたらすっきりして、薬局に寄って「ムヒ」を買い、コーナンで新聞紙入れを買い、生協にアテを買いに入ったら、正面にあった「黒松剣菱」900oリットルと顔が会ってしまう。この味の、このサイズが欲しかったのだ!
 
 夕陽を眺めながら、ロックで3杯。そのまま眠ってしまって、起きたら「竹のシーツの目」が頬に出来ていました(苦笑)。いい夏休みです。
 
 最近読んだ本
 
 「芝居語り」 渡辺 えり子
 
 対談相手が、三國連太郎、加藤治子、美輪明宏、長岡輝子、市原悦子、吉田日出子、白石加代子、すまけい・・・ものすごい顔ぶれです。大胆なつっこみ。でも相手は一筋縄でいかない面々。おもしろいやりとりです。私も大好きな吉田日出子さん(なつかしい西麻布の「自由劇場」、よかった。「上海バンスキング」は生涯好きな舞台のべスト5に入ります)とのトークで、「舞台上で、あくびやおならが出来るようになりたい」という言葉を引き出したのがすごいと思います

2008年7月22日
 
 「 晴天や 起きぬうちから 蝉の声 」  子規(明治21年)
 
 南と西にある古墳の森から、蝉の声が沸き上がってきます。今朝はめずらしくいい風も吹いていました。
 
 たっぷり3日間、休養充分なので朝から元気。早めに出勤。蝉時雨の下を自転車で快調に走り抜ける。今日は職員健康検診、秋の行事準備と講習。バリウムを飲むのが一年ぶりとは思えません。ついこの間のことみたい。
 
 嫁ハンの秋の地元でのライブも昨年やったと思っていたら、2年ぶりなのです。11月29日(土)富田林の「サントロ・ドゥ・ビラージュ」でのワンマンライブ。午後5時半から食事とコンサート、よろしければお越し下さい。一昨年は多くの方に来ていただいて盛り上がり、楽しい会になりました。
 
喉頭癌を克服して復帰していた忌野清志郎さん。腸骨への移転が見つかってこの夏のライブは中止。「このくらいのことは覚悟していたので、ぜんぜん、ヘコんでないから」。2年前は「新しいブルースを楽しむように」闘病中と言っていたが、今度は「ブルースはまだまだ続いているということだ」
彼らしく、軽いフットワークで病を超えてくれればいいが・・・。
 
 母校は愛媛県大会、準々決勝で敗れたそうです。友人のダンナさんが顧問というご縁が生まれて、今年はめずらしく応援していたのですが、それが却って悪かったかな(苦笑)。もう、秋の四国大会、来春のセンバツに向けたチーム作りが始まっています。
 
 16日の神奈川県大会2回戦で勝った県立川和高校の先発、石田翔太クンのお父さんは、試合前日、15日に亡くなった石田文樹さん。横浜ベイスターズの現役打撃投手。1984年の甲子園優勝投手、取手二高のエース。清原、桑田に勝った男です。41才。父は息子に野球を勧めたことはなかったという。
 
 仕事がスムースに片づいて、早めに帰宅。そろそろ来月の元同僚の個展の準備も追い込みです。あちこちへ連絡、友人のつてで新聞社も2社取り上げてくれるそうです。同窓会や部員、元PTAのメンバーも協力してくれています。開幕は8月1日。PL花火大会と重なるのが心配。


2008年7月21日
 
「 貸してごらん 峯雲はかう 崩すもの 」

「 短夜の どこをほっつき 歩く会 」     中原道夫

 大胆で 突き放した歌いっぷりがいい。ほっつき歩く「会」なんて、勝手に命名しておもしろがっているところがいい。帰ってこないだれかを心配もしているんでしょうが・・・。

 連休3日目。昼からビールを飲んで運転出来ないから、自転車で?市立図書館へ。たくさんの人が涼みに?きている。いつもの通り、5冊借りて、久々に炎天下の「我が町」を彷徨う。

 馴染みの店が次々消えて行っている。

前に住んでいた家の近くのケーキ屋さん。上の息子同士が同級生だったので、PTAもご一緒だった。陸上でがんばってはったよな、あの子。小さいけれど、おいしくて安いケーキが売り物で、富田林からも買いにきてはったのに・・・。「30年のご愛顧感謝」貼り紙がありました。どlこかに移られたのだろうか?後ろの家に人の気配なし。

 昔、と言っても10年前くらいに、通っていた理髪店。偶然、義父も通っていました。夫婦でやってはって、奥さんはきれいで手が冷たい人だった。「60年ありがとうございました。諸般の事情で苦渋の選択をいたしました。永年のご愛顧、感謝いたします」そうか、私が生まれる前から、この住宅地が整備される前から、親子2代でやってはったんだ。どんな事情があったのだろう?こちらはまだ店の裏のお家に住んではる感じでした。

 「 盃よ 我が手に触るる 汝(なれ)もまた 宿世(すくせ)の縁(えにし) 浅からめやも 」  吉川 英治

この世で、触れあった人が、また遠くなって行きます。寂しい。それが宿世のはかない縁とは思いつつ・・・。

 「 野茂の尻 こちらむくとき 突き出せる 量塊(りょうかい)の偉(い)は 息のむまでぞ 」 小池 光

 昔、今はない藤井寺球場(跡地に私立小学校の建設工事中)のライトスタンドで、野茂のピッチングを観ました。西武の清原選手と対決し、場外ホームランを打たれましたが、淡々としていました。それを連れて行った息子達が全然憶えていないのが悔しい(苦笑)。

 大投手なのに、傲慢さを感じさせない(そこがイチローと違う)のがかっこよかった。結婚するまで、球場裏の寮に住んで、短パンに自転車で藤井寺市内を走ってはりました。奥さんがアマ時代の相手チームの応援リーダーというのがいいですね。「悔いが残る」という引退の言葉も、正直で好きです。

 人間、職業人の引退時期って難しい。スポーツ選手には、はっきりしたもの(球速とか、脚力とか、勝てない・・・)がまだあるのでしょうが・・・。定年以外に3種類のパターンがあるのかな。

1、絶頂期に辞める

2,自分で心身の限界を感じた時、辞める

3,とことん、怪我をするか、体が動かなくなるまで、客が来なくても、勝てなくても、周りが引退を勧めても粘ってゆく

 もちろん「諸般の事情」がそれぞれあるだろうけれど・・・プロとしてはどうなのだろう?個人的には今の仕事は好きだけれど、「天職」と言う言葉にかこつけたり、それに酔わないように、すがりつかないように、自分の引き際を考えたいと思っています。

ハサミが思うように動かなかったり、自分のケーキが作れなかったら、自分の授業が出来なくなったら・・・。

でも、すがりついてこそ、強い執着があってこそのプロ根性なのでしょうか?

最近読んだ本

「初めもなく終わりもなく」 大庭みな子    

古典に深い造詣を持ってはる。特に源氏物語。光源氏が好きでないというのがいい。

「向田邦子暮らしの楽しみ」 向田邦子 向田和子 

生き急いだ人。その趣味をひたすら追求する貪欲さがいっそ気持ちいい。

「歌舞伎漫筆」 山川 静夫       

なぜ、先代勘三郎にこだわるのか、少し見えてきました。

「ビバ・ミュージカル」 扇田 昭彦    

 目からウロコ。ずっと疑問でした。なぜ「マイ・フェア・レディ」のイライザが後半生気を失ってゆくのか?庶民が貴族階級に取り込まれてしまうからなのですね。バーナード・ショーの原作「ピグマリオン」ではイライザは最後にヒギンス教授を捨てるのに、ミュージカルではイライザがヒギンズの元に帰ってきて?ハッピーエンドにしてしまう。それでは、ドラマとしてまとまっても、原作の階級社会への風刺にならない。観客としてはもうひとつすっきりしなかった訳だ。

 その反対の「ミー・アンド・マイガール」では、下町で育った貴族の御曹司が最後まで下町言葉を捨てない。下町娘との恋を貫くーだから、カタルシスがある・・・。

 でも、地位は捨てないのだから、こちらも結局、階級批判にはならない・・・大衆は結局、セレブが上流階級が好きなのでしょう。ロンドンでミュージカルとして成功するには、いろいろ諸事情があるのですね。


2008年7月20日
 
「 蟻の道 雲の峰まで 続きけむ 」
 
 2期制なので18日まで授業。終業式はなくて、そのまま、夏休みに突入、8月21日から授業、そして期末考査へと続きます。それにしても、最後までばたばたとして、本当にやっと夏休みになだれ込んだという感じ。最終日まで、生活指導もあれこれありました。HRグループも、前期末を控えているのに、出席日数が足らなくなった生徒や、8月初旬の高卒検定の受検科目がわからなくなった生徒やらが入り乱れて、18日夕刻まで喧噪の時間が続きました。
 
 この春再開、同僚と競っている、月一の体重測定、ダイエット競争も18日の朝が計量日、朝7時、朝食抜きで集合、4人全員がなんとかぎりぎり無事ノルマをクリアーしていました(クリアーできなかった者がクリアーした者に罰金を払うシステムです)。その解放感もあって、18日、花金の夜はアベノで痛飲。例によって意識不明で帰宅。翌朝はもちろん二日酔いでしたが、今日明日、差し迫った仕事がないという、なんとも言えない解き放たれた気分で気持ちよく目覚め、生活は一気に夏休みモードに突入しました。
 
 尼ヶ崎へ教え子の所属している劇団の公演を観に出かける。これは重たく面白い芝居だったので、また日を改めて紹介させていただきます。
 
 友人の彫刻家、堀信二、播間公次さんが出品している「関西美術展」を大阪市立美術館に観に行く。両人とも力の入った作品で、堀さんの大胆なポーズ、播間さんの新しい色遣い、新鮮でした。それ以外は閉館間際に走って観たのですが、篆刻や日本画、洋画、それぞれインパクトのある作品は自然と足を停めさせます。そして、しばらく見入って、パワーをもらいました。
 
 19日夕刻は、芦屋サマーカーニバルの花火大会。今年は30回記念とかで6千発の花火が上がるという。海賊船から観るというツアーに申し込んで、古市まで迎えに来たバスで出発。あちこちで参加者を拾って、神戸まで往復1時間半、ハーバーランドから船(200人、満席)で1時間(神戸空港、六甲アイランドの世界最大コンテナ船ー全長400メートルが見応えあり)、そして芦屋沖400メートルに停留して1時間の花火観賞。
 
 PL花火を見慣れた目には地味ですが、海から眺める海岸の花火は新鮮でした。打ち上げるしゅるしゅるという音、海に散る火花、水面に映る花火、沈む夕陽、上ってくる十七夜の月、六甲、神戸の夜景、バスから飲み続けのビールと船の揺れと汐風に快く酔って、嫁ハンと夏の宵を満喫。ただし帰宅は11時半。早朝勤務のため、終電で出かける長男と、駅前ですれ違いました。
 
 連休2日目。昼食に寿司が食べたいという嫁ハンと義母を回転寿司に連れてゆく。結構あたらしいネタも出来ていて、おいしくいただく。ビールが飲めないのが残念。そのまま、深い緑の南河内グリーンロードを走って、葡萄農園の産地直売所へ。デラウエアと出だしのピオーネがおいしい。スイカも買う。待ちかねている「翡翠」(ひすい)はまだらしい。「道の駅」に足を伸ばすと、その「翡翠」がもう出ている。さっそく、試食したら、まだすっぱかったので、来月まで我慢することにする。 空は晴れ渡り、ものすごい日射し。昔はあの中でスポーツをやっていたなんて、まして海岸で甲羅干ししていたなんて、信じられない。
 
家に帰って、即、ビール(マチガイです発泡酒)を2本飲み、ワインを開け、昼寝しつつ録り溜めたビデオを観る。極楽。
 
今年の第46回パリ祭、東京のNHKホールでのシャンソン公演はイマイチ。みんなドレスはすばらしいのに、歌は乗れていない。嫁ハンの師匠、堀内環さんが「ハンブルグ」熱唱。懐かしい芦野宏さんの「ラ・メール」(「海」ですね)、戸川昌子さんは「マンマ」、石井好子さんは「かもめ」・・・でも、若い人に、もっとがんばってほしい。みんなベテランの前で萎縮している感じ。特別ゲストのキム・ヨンジャさんがきれいなフランス語で「黒い鷲」を歌い上げたのがよかった。司会は永六輔さんと遠藤泰子さん。
 
 夕方、目覚めてシャワー。わずか3日間で一月分のダイエットは台無し。3キロ、リバウンドしておりました(苦笑)。でも、もう夏休みは満喫、明日から九月でもええわ、とため息をつく、生き急ぎ、貧乏性の私の充実した連休でした

2008年7月15日
 
「 くらがりへ 祇園囃子を 抜けにけり 」 黒田 杏子
 
 コンコン チキチン コンチキチン・・・山鉾、浴衣、団扇、鱧料理、ビール・・・いよいよ祇園祭りもクライマックス。歴史と趣がある祭りです。提灯の華やかさと、路地の薄暗さ、家々の飾り、やはり宵宮に行ってみたいなあ。いつも忙しい時期で、なかなか行けません。退職したら一泊旅行で行きたい。
 
 平野区、杭全神社の夏祭りが先週末にあって、生徒は月曜は大分死んでおりました。何時に帰ったんや?朝の4時。私は3時。もーまったく!休まないで、来ているだけマシでしょうか。もちろん、たくさん休んでいましたが・・・(苦笑)。
 
 天神祭が25日に控えています。うっかり忘れていて、友人達と堺で宴会を企画してしまいました。20人、集まっているのですが、申し訳ないような気分。昨年の天神祭りの花火、きれいでした。
 
 四国の夏祭りはまた風情が違います。先日あった浅草の四万六千(しまんろくせん)が、田舎の村では、盆踊りの幕開け。7月末に夏越しの祭り、そして8月7日が月遅れの「七夕祭り」です。仙台のような観光向けの派手さはありませんが、町の軒にずらりと笹飾りが並んでそれはきれいです。今年は久しぶりに見られそうです。
 
 

2008年7月13日
 
「 卓上に 鋏(はさみ)残して 薔薇匂ふ 」  新聞投稿句より 山形市 大滝さん
 
もう、薔薇はどこかに運ばれて行って、飾られた後です。でも、今は見えないその薔薇がこの句の主役です。
 
最近知った言葉 「スカイプ飲み」
 
 「スカイプ」などインターネットを通じて無料でビデオ通話できるシステムを使って、自宅で恋人や友人達とゆっくり飲むことなのですって・・・。帰りの電車も気にしなくていい・・・便利なようでですが、やはりなんや味気ない。「チャット」もちょっとやってみたけれど、じれったくてすぐ止めました。
 
 やはり酒は酌み交わすべき。
 
 親しい友から誘いがあって、半年ぶりに藤井寺のスナック「R」へ。常連さんの顔ぶれも変わってきていて、隣に座られた方が、先生でしょ?噂に聞いてます。美術ですね?え?なんでわかります?それくらい簡単です。その髪型(ちょんまげ)でわかります。そうか、さすが鋭いですねなどと、たわいないことを言い合っていると、隣でウイスキーをがぶ飲みしていた友人は、またかんさんがええ加減な出任せで応えていると言いたげに苦笑い。
 
 それで、とうとう「R」では、私は美術教師ということになりました(笑)。憧れの教科だったのでうれしい。
 
 久しぶりの友人との話は、まず家族の近況から。お父さん(もう10年近くご病気だった)、お具合は?それが、実は、先々月に・・・。えーっ!なんで連絡してくれなかったん!?いや、母の時は来てもらったけれど、父の時はひっそりやろうと決めていたんだ。会葬もお断りして、家族だけで見送ったんで・・・。そうだったんだ。でも、彼はほとんど毎日、中河内の学校から、泉州の病院まで通って、本当によく世話をして差し上げてました。今でもまだ父から携帯に電話が入ってくるような気がすると言う。ごくろうさまでした、と心から労う。
 
 ウチに帰って、嫁はんに家族葬の話をすると、だって3年前のうち(義父)の時もそうしたじゃない!あ、そうだった。最近はこのような形が増えているのですね。故人の意向、それぞれの家の事情や遺族の心情に応じた形でやればいい、従来の形にこだわることはないのでしょう。
 
 でも、それはある程度の「都会」ならではの話。田舎ではそうはゆきません。家族葬はよほどの事情がなければ理解されません。
 それでも故郷の村でも、家から葬儀を出すことはなくなり、葬儀は今治市内の葬儀場で行うことがほとんどになってきました。父は以前、葬儀は家から出して欲しいと言ったことがありました。両親が、まだ元気な間にきちんと話を詰めておく必要があるのかもしれません。
 
 久々の藤井寺の夜でした。酒もおいしかった。友との語らいもいろいろ出来て、こころ癒されました。でも、以前のように午前1時過ぎの看板までねばるようなことはせず、まだ飲んでいる彼を置いて、真っ直ぐに?帰って来ました。
 
 ゆく人
 
佐々木 久子さん(随筆家 78歳)
 
 彼女が30年編集長を務めていた雑誌「酒」(1997年休刊)を1980年代にずっと定期購読していました。薄い割には価格は高かった印象があります。でも、結構有名作家も寄稿していました。彼女の人脈でしょう。広島カープの大ファンで姉御肌で。でも、ちょっと古いタイプの酒飲み。日本酒の衰退と共に発行部数も減っていったようで・・・。日本酒の復興がちょっと見える昨今。あのような雑誌がまた現れてもいいなあ。
 
シド・チャリシーさん(米ミュージカルスター 切り抜きを無くして享年不明です。80過ぎか?)
 
 あこがれのスターでした。ミュージカルの全盛期の名ダンサー。「バンドワゴン」でフレッド・アステアと踊ったセントラルパークでのロマンチックなダンスシーン。白いプリーツスカート姿がキレイでした。「雨に唄えば」で幻想シーンに登場、ショートカットに緑のセクシーなドレスで踊りまくって、ヒロインのデビー・レイノルズより強烈な印象を残しました。どちらもアメリカ映画の名シーンのひとつです。長身で、すばらしい脚線美。きれのいいダンス。驚くべしは何年か前のアカデミー賞の授賞式でその脚を見せていたこと。懐かしいスターが次々去ってゆきます。

2008年7月12日
 
 「 実桜は 苦し苦きを もうひとつ 」 新聞の投句より 昭島市 山本さん
 
 選者は苦みに人生を重ねて読む。評に「いつのまにか苦みが平気な女になっている」。
 平気というより、それを味わえる人生の余裕だと思います。
 
 朝4時すぎ、枕元のラジオをつけると、ちょっとけだるいドンドコ、ドンドコ、ドンドコドンというリズムが流れて来ました。
 
冒頭のメロディにパーリーシェルスという歌詞が浮かぶ、懐かしい「真珠貝の歌」です。ついでに日本語の訳詞も。
 
白い浜辺に残した真珠貝、君に流した涙を伝えてよ・・・・
 
ハワイオアフ島の民謡が原曲と聞いたように思います。ついでに最初のリズムは南の島の定番となり、タカラヅカの名作「南の哀愁」もモスラのインファント島?でも同じようなリズムが流れていました。
 
 5時に始発で試験場に行く下の息子を見送り、二度寝。気持ちいい。休日の朝の醍醐味です。
 
 金曜に、先日書いた卒業年次生の進学用個人講習をはじめる。空いている教室を使って一対一の授業。全く基礎からですが、本人がやる気があるので、砂が水を吸収するように入ってゆく。助詞ってなんですか?已然形って?次々初歩的質問が飛んでくる。まてまて、順番に説明するからな。
 
 2年半分を半年でやろうという冒険ですが、どこまでやれるかやってみようと思います。こちらの知識の総整理にもなりそう。でも、試験に間に合うように、常道でなく、助動詞中心にやろうと思います。古典の深みにまではもちろん行けないだろうけれど、単位制で必履修科目の「国語総合」以外の国語科目に触れない生徒もいるのです。彼が古典に触れるチャンスになることはいいと思います。
 
 四国の父の体調がよくないようで、心配しています。(あ、従兄弟のKくん、九州のおかあさんー私の叔母ーにまだ連絡したらあかんよ)

2008年7月10日
 
 「 なにとなう わたくしはただ ねむたくて ねむたくて聞く 軒の雨だれ 」  永井陽子
 
雨の日の独特のけだるさ。
 
眠いけれど 今日は妙に元気にがんばれました。ああすればよかった
こういえばよかった、と思うことは、いろいろありますが、
後ろを振り向きすぎることなく、残り少ない人生の前を見ていたいと思います。
 
人間はしんどい時期でもあるけれど、植物には恵みの雨の季節。
 
 職員室の前の作っていた胡瓜がやっと最初の実を付けました。
早速、摘んで帰って、もろきゅうでいただく。
自分で作ったものは格別の味ですが、市販のものに比べれば
やはり、水っぽい。肥料の関係かな?
これから成ったものは同僚や、予約の生徒に配るつもりです。
でも、一緒に植えた夕顔が元気ないなあ。心配。
 
印象に残った言葉
 
「 夜を歩み通す時の 助けとなるものは 橋でも翼でもない。友の足音だ。 」 ベンジャミン
 
最近読んだ本
 
「タカラヅカ 妖精たちの舞台ウラ 」  岸 香織
 
 春日野八千代さんとならぶ?タカラヅカの顔、岸さんは一昨年、退団してたのですね。なんと40数年の在団。雪組から専科ですが、彼女の語るスターたちの素顔が面白い。
 
 とにかく気配りするのがトップの仕事。絶対、性格がよくて、パワーがなければ、トップは勤まらない。
 
 スターになれる人は、なりふり構わず努力する。若いとき(ここがポイント)自分よりうまい人にくっついて、追いかけて教えを乞う。迷惑がられても、おしかける。人前で踊りだすのも平気。自分をさらけだして、アドヴァイスをもらい、寸暇を惜しみ、練習し、ちょっとでも向上することを目指す。
 
 みんなが髪を強くひっつめているのも、眠気覚ましの意味もあるのだそうです。そうだったのか?わたしももう少し強くひっつめてみます。たしかに生え際が痛い(苦笑)。
 

2008年7月9日
 
「 いつもなにか 探しているようだな 雲雀 」  渥美清
 
 先日発見された、渥美清の遺稿の中から。
 
 近鉄電車の吊り広告に、京都の宣伝。磨き抜かれた黒光りする床に庭の緑が映っている。たしか「床緑」(ゆかみどり)と云うのだとテレビで聴いたことがあります。京都の夏ならではの風情ですね。
 
 深刻な顔をして、現代文を教えている生徒が相談に来る。共通一次を受けたいけれど、漢文と古文が全然わかりません。特訓してくれませんか・・・今から間に合うとは思えないけれど、頼まれたらいやとはいえない性分。ふたりの空き時間を調べて、とりあえず明後日の金曜からやり始めることにしました。私も漢文は久しぶり。ちょっと楽しみです。
 
 テレビで中国の桃源郷シリーズが始まる、第一回は「バーメイ村」。中国南東部の山間部、少数民族の村。家は100軒あまり、人口数百人の村へは、高い山を貫く980メートルの深く長い洞窟を流れる川を舟で遡るのみ。霧の立ちこめる洞窟を抜けると別世界。緑滴る世界はたくさんの水車が回る川を中心する自給自足の世界。電気が通じたのは数年前だとか。鶏が鳴き、牛が田を耕し、まさしく「桃源郷」です。少人数ながら数千年の歴史を持ち、独特の文化と風習を守っている。
 
 もちろん無医村ですが、「裸足の医者」「草医」とよばれる無免許の漢方医がいて、赤ちゃんもとりあげ、山野の薬草を煎じて村人の健康を守る。
 
 番組の案内役は38才の元村長。「歌垣」(古代の合コンですね)で結ばれた奥さんとの間に息子ふたりがいるが、どちらも都会に出てしまっている(子供は小学校5年生から町の学校へ)。帰、世界から客は来るでしょうが、あの雰囲気は一気に失われるでしょう。
 
 よその心配ばかりしてもいられません。故郷の村も心配です。今年の村総代を勤めている弟の体も心配です。膝を痛めているのに病院も行かず(行けず)、足を引きずっているらしい。早く8月になってほしい。帰りなむ、いざ。
 
 

2008年7月8日
 
 5日、羽曳野で初蝉、今日大阪市内で初蝉を聴きました。
 
 先々週に届けられた、山形のサクランボ「佐藤錦」。果物の宝石とはこれ。美しい!おいしい!毎年送ってくださるNさん、一家4人狂喜乱舞しました。ありがとうございました!
 
 今週届いた、奈良の桃。これも美しい!おいしい!Aさん、ありがとうございます!あの果汁がなんとも言えません。
 
 学校のプールの傍にひっそり生えている山桃も今が食べ頃。校内巡回のついでに摘んで職員室で配る。甘くておいしい。
 
 羽曳野の名産、葡萄もこれからがシーズン。今はデラウエアがピークですが、お後が次々控えています。
 
 旬のおいしいものをいただける喜び。
 
 ここ数年、リンパ腺癌と闘っている友人は、少し回復して、先日、無菌室の個室から無菌病棟の大部屋へ。もう、3ヶ月、点滴のみで、口から物を食べていないそうです。奥さんに電話したら、「来年冬に菅さんと飲むことを目標にがんばっています」。「来年冬」という言葉に絶句してしましました。細菌を持ち込まないため、本も読めない生活。酒と本が無い生活なんて・・・。よく耐えていると思います。申し訳なくて、今日は禁酒日にしました。
 
 前任校の教え子が谷町6丁目のカフェギャラリー「ひなた」で開催しているふたり展を覗きに行く。町屋を改造した、今はやりのレトロでおしゃれな空間。テーマは「夏祭り」。まだ若いのに、なつかしい昭和の夏の夜の風情が、絵はがき、イラスト、袋物、カバンなどに描かれていて楽しい。
 
 帰りに空堀商店街を通っていて、路地にあった看板「世界一おいしい立ち飲み」に引っかかる。ビールの小瓶、あて、「片野桜」のぬる燗をいただいて800円。いい気持ちになる、空堀っていろんな店があっておもしろいとこですね、ゆっくり歩いてみたい。
 

2008年7月6日
 
 「 燕の子 まわれ右して 飛ばす糞(ふん) 」 今朝の 新聞の投稿句 福岡の古賀さん
 
 先日の朝、出勤前の息子が、お父さん雨が近いかな?見て。よっしゃ、ちょっと待ってな、とベランダに出て、西の空は暗いが、ツバメがまだ高いとこ飛んでるからもう少し天気は持つで、と言うと、新聞の天気欄見て、とゆうたのに、原始的やなあと笑う。原始的でどこが悪い!?田舎育ちのおやじの予想と、新聞の「大阪府降水確率60パーセント」とどちらが確実か、わかったものではありません。
 
 先週も相変わらずハードな一週間でした。でも月曜の夕陽がきれいだったので、気分的に明るく過ごせた気がします。本日、日曜の夕陽も鮮やかでした。明日からまた戦場です。
 
 昨日、土曜は、昼は友人の個展の準備委員会。個展は来月1日から。いよいよ迫ってきました。
 
 瀬古多津治個展  
 
   ・日時      2008年 8月1日(金)〜8月10日(日) 4日は休館
            午前10時から午後6時 最終日は午後5時まで

   ・場所      河内長野市長野町9−13  『カフェギャラリーほたる』

            河内長野駅より徒歩5分  п@0721−52−2613

 よろしかったら、是非お運びください。私は9日の午前、10日全日が当番で、ギャラリーにおります。

 
 夕方は河内長野で年に一度の、前任校のPTAの仕事でご一緒した保護者の方々との懇親会。転勤した時にやっていただいた送別会が発端で、これで9回目。14名参加。ものすごい盛り上がりで大騒ぎ。元気をもらいました。いわゆる「モンスターペアレント」の対極にある方々。子供が卒業した今も、学校のことを思い、教育界を憂い、それぞれが悩みを持ちつつ、いたわり合い、励まし合い・・・本当にいい仲間です。みなさん、仕事もこなしつつ、親御さんの介護、そしてボランティア活動もこなしておられる方が多い。瀬古さんの個展の動員も、もちろんご協力願えるそうです。
 
 わいわい言っていると、隅の席から、29日からHPが更新されておりませんよ!と厳しいご指摘の声が飛んできました。見てくれてはったんだ。Yさん、もちいと、まめに更新します。すみません。今後ともよろしく、また、あなたのお好きな日本酒をご一緒しましょうね。
 
 夕刻、河内長野市内を宴会会場に向かって歩いていると、何人かの知り合いから声を掛けられる。道路の向こうから29才?の卒業生とそのお母さん、5年前に結婚してもう子供が3人だそうです。お母さんはたくましい息子にいっぱい買い物帰りらしい荷物を持ってもらって嬉しそう。
 
 昨年、結婚した教え子夫婦が車から声を掛けてくれる。あれ、君ら住まいは橋本やろ?はい、今日が入籍記念日で河内長野へ食事に来たのです。kちらも幸せそう。お子さんはまだみたいだけれど、これは訊いてはいけません。
 
 13年間、通った街は、近くに迫る山々の眺め、石川の流れ、家々のたたずまい、路地の風情、飲み屋の看板もなつかしい。藤井寺、古市に続く第4の故郷と思っています。
 



雑記帳バックナンバー表へ