Kan-Kan の雑記帳



2008年30日 

 まだ腹の調子が完全でないのに、週末にテニスをしてしまいました。それも4時間も。足慣らしに行くからねと連絡、了解を取っておそるおそる出かけたら、メンバーが3人しかいない。なにこれ?そうか、運動会のシーズンなんだ。後のメンバーは子供や孫の応援に出かけているのです。

 というわけで、運動会が終わったメンバーが駆けつけて来るまで、いきなり休みなしにダブルス4連戦。だんだん勘も戻ってきて、ポイントを決めてパートナーとハイタッチすると、カンサン、手に血が!

 2ヶ月休んでやわになっていた手に、いきなりマメが出来て、破けていたのです。そこまでやるか(苦笑)。

 夕食は「ひらまさ」の照り焼き。「ぶり」より脂が少なくさっぱりしておいしい。友人からもらった「すだち」をかけていただく。やはり酒が欲しくなる。結局、腹具合を考えず、焼酎のお湯割りを3杯飲んでしまう(反省)。翌朝はまた茶粥に逆戻り。

 今年の秋は訪れが早い?その分、果物がおいしく感じます。いただいた鳥取の梨もおいしかったし(Mさんありがとう)、週末にいただいたピオーネもおいしかった。昨日、河内長野の山里に実家のあるTさんからいただいた栗、早速、茹でていただく。割ってスプーンでほじくって口に運ぶ。そこでいつも私はこぼしてしまう。でも、ほこほこしておいしい。それにしても、最近の栗って、虫がいないのですね。以前は構えて、用心しながら齧っていました。そして必ず4つにひとつは虫がいたのに・・・。強い農薬の影響でしょうか。

 今日は大分の宇佐市、院内の栗を同僚からいただく。これがまた大きい。今夜も「栗の実煮てます囲炉裏傍」です(里の秋)。

小泉さんが引退とか。よく読んでみると、今度の衆院選に立候補せず、次男に地盤を譲るという話。ただ、政治活動は続け、80歳までがんばるとか。それって中曽根さんみたいに黒幕として発言力を保持してゆくだけじゃん?どこが引退やねん!その構図は彼がぶっつぶすといった自民党の体質そのものではありませんか?

日経新聞の連載小説「望郷の道」が終わってしまいました。毎朝、真っ先に読んでいたのに。主人公の夫婦は台湾での苦労が実って、開発したドロップとキャラメルを引っ提げて、故郷の福岡にやっと帰ってくる。ためらいつつ駅前で自家製の菓子売っていたヒロインの瑠偉が、やっと売り声を出せるようになったところで幕となりましたが、なんとなく続編があるかなという気配も。一緒に生きていた人々が急に遠ざかったようで喪失感を感じています。

福岡に帰った主人公たち、福岡を出て永田町のトップに立った新首相、住み慣れ、愛された福岡を去る王監督。福岡をめぐって人様々です。

最近読んだ本

「ローマ人の物語」22 危機と克服

3代続いた暴政に揺らぐ帝国を支えた「常識人」の新皇帝ヴェスパシアヌスは軍人上がりの苦労人。50代でアフリカ属州の総督になりそれをステップにすると思われた矢先に、詩歌狂いで歌手志望の当時の皇帝ネロのステージの前で居眠りしてしまう・・・。これでキャリアもおしまいと言われたけれど、2年後のユダヤ戦役でネロはヴェスパシアヌスを司令官に抜擢して本人はもちろん周囲を驚かせる。

それから2代の皇帝を経て、ヴェスパシアヌスは50代後半で皇帝に。アホの暴君と言われているネロって案外、人を見る目はあったのかも知れません。ヴェスパシアヌスは機知も飛び抜けた才能もなかったかわり、地道な努力と、不思議な愛嬌をもって元老院と市民達の支持を得、そして優秀なスタッフを育てて、帝国を建て直してゆきます。

「キャッチャー・オン・ザ・目白通り」 石田衣良

人気連作「池袋ウエストゲートパーク」の新作は美容界が舞台、マスコミでも人気のお姉キャラのエステシャン(もちろんモデルは・・・)の阿漕な商法の被害者の為に、心ならずも立ち上がる西1番街に住む庶民派主人公マコト、友人のセレブなにいちゃんタカシ、ふたりは潜入操作して客引きをしつつ、事件の核心のカリスマエステシャンに迫ってゆく・・・。

池袋の下町からフォーシーズンズのレストラン、夜景の名所「千登勢橋」・・・バックに流れるクラシック。ごった煮の魅力と気の利いた文章が小気味よく心に届く。もう少し被害者の側の問題も炙り出せば、もっと深みが出たでしょうが、それは作者の狙いではないのでしょう。あくまでエンタテイメントなのです。

中国への旅 4

 
 書の聖地 蘭亭 
 
 中国人ガイド、陳さんの言葉によると、中国人の敬愛する近代の人物は魯迅、周恩来、ケ小平ら・・・。毛沢東の名前がありません。
なんで?
やはり、文化大革命の後遺症がいまだに残っているのですよ・・・。 
 
 紹興市から12キロ 蘭渚山の麓、東晋時代の書家、王義之が永和9年(353年)に友人達と曲水の宴をひらき、「蘭亭集序」をしたためた風狂の地。高校時代から書道教師からミミタコになるほど聞かされてきた、書のバイブルがここで生まれたという。今回の旅のひとつのポイントでした。昔は蘭が咲き乱れていたというけれど、今はなだらかな山と小さな池とさまざまな種類の竹に囲まれた閑静な地。でも・・・。
 
 超有名な書を刻んだ石碑は見事に真ん中で折られてコンクリートでくっつけてある。文化大革命の時に破壊されたものだそうです。タリバンのバーミアン仏像破壊を非難できません。「曲水の宴」の舞台も、最近やっつけ仕事で造ったようなちゃちなもの。水も流れていますが風情はまったくなし。いくつかのいい石碑もありましたが、目玉のふたつがこれではガッカリです。
 
 感激して写真と撮りまくっている人々のうしろから、例の5人組が「なんやこれ、しょうもない!」と大声でいうのに思わず苦笑してしまいました。思ったことを即、正直に言う人たちです。
 
 どうせなら、この近くにあるという「会稽山」(かいけいざん)まで行ってみたかったけれど、山も見えず、陳サンによると、コース的にもムリということでした。残念。


2008年9月28日
 
 発足して一週間持たないで国交相が辞任。あんな発言を繰り返していたので当然ですが、まだ、謝罪、撤回していない問題発言もあります。もちろん首相の任命責任もありますが、なにより首相自身が放言の宝庫?麻生さんに「放言内閣 」という名前を進呈しましょう。投げ出す前に辞めざるを得なくなる・・・短命の予感(いえ期待)があります。
 
 府知事の放言もどこかで許されている気配。
 
 柔道の石井選手に至っては、マスコミも政治から一転、こぞってもてやはし、煽っている気配も。これはやはり民衆の意識の反映?若い(21才)石井選手はもちろん利用されてもいるのだけれど、持ち上げてそれから一気に落とす・・・マスコミや世論の怖さを知らないわけでもないでしょうが、まだ高揚している今はわからないのでしょうか?高く上がるほど墜ちたら痛いのに・・・。
 
 同じ柔道の内柴選手が石井選手の言動にキレたようですが、同じ大学出身だし、祝賀会などいろんな場で同席することも多かったようです。石井選手が会に遅刻してきて、大口を叩いたこと(「勝てたのは応援のせいでなく自分の力」)に愛想をつかせてブログで決別宣言(なぜかすぐに削除)。挫折を乗り越えてきた内柴選手のその怒りはわかります。
 
 個人的なケンカの場ならともかく、公的な立場、社会的存在を認められた者が発言する以上、一定の節度は保つべきでしょう。「クソ」とか「癌」とか、言葉を選ぶことも出来ない人間はやはり辞めるべき。
 
 まあ、田舎で育って古い教育(本心は古いと思っていませんがー笑)を受けたからかもしれません。私は論争の場でも、相手に対してボロクソには言えません。特に相手が年上であると激昂しても敬語は使います。(却って「慇懃無礼」と言われることもありますがー苦笑)
 
 府知事をはじめ若い人の放言を容認する社会構造と、学校や教師をボロクソにいうモンスターペアレントの存在、大臣の放言は繋がっていると思います。それは国土相がいう「戦後教育」の失敗の結果なのでしょうか。私はもっと基本、個々の家庭や社会の問題にあると思っています。
 
 ゆく人   
 
ポール・ニューマン さん (米俳優、癌、83才)
 
 最初、反逆児を演じて「ジェームス・ディーンの再来」(これは有望新人の売り出し定番文句)と言われたポール・ニューマン。ご本人は名門アクターズ・スタジオに学んで、ブロードウェイでデビューした正統派でした。セクシーだが知性も愛嬌もある役どころ。奥さんのジョアン・ウッドワードもオスカー受賞の名優です。
 
 嫁ハンが大好きだった俳優で、30数年前、付き合い始めた当時、私の好きだったフェイ・ダナウェイと共演した映画を見に行ったのが最初のデートでした。千日前セントラル劇場。さて、なんという映画だったでしょう?
 
 映画低迷の時期を、ニューシネマやパニック映画にも出つつ乗り切り、監督でも実績を積み、映画人として栄光に包まれた人生ではありました。映画界に入った息子を薬物中毒で失ったことが痛恨事ではあったのでしょう。麻薬撲滅はじめさまざまなボランティアやキャンペーンにも顔を出していました
 
 でも、いい俳優とは思っても嫁ハンのようにステキ!とは思えない。これは私が男のせい?私の周囲にも男性でレッドフォードのファンはいても、ニューマンのファンはあまりいないように思います。なんでやろ?
 
 友人から先日亡くなった日野てる子さんの名前は、「日の照る子」の洒落でもあるのですね、という指摘メール。鋭い、その通りですね。ついでに平板ですが、黒木瞳さんは「黒き瞳」なのですね。どちらも綺麗な芸名です。
 
 
 中国の旅 3
 
 ツアーは20人余。この時期に旅行するメンバーゆえにまたユニーク。最大のグループは京都北部、香住からやってきた建設業者のおっさん5人。50代から70代か。めちゃ柄悪く、大声、落花狼藉。初めはどうなることかと思いました。
 
 彼らはリーダーのワゴン車に相乗りし、朝4時に香住を出発。酒を飲みつつ運転交代しつつ、関空に渡る橋の上まで辿り着いたところでエンコ。自動警備アナウンスの「ソコノクルマアブナイカラテッタイシナサイ」の連呼を30分聞いて、頭にきたころにJAF到着。それでも集合時間には遅刻。集まっても、お前の運転が悪い、お前の車がボロいんじゃ、修理代がウン10万やて、ふざけるな!お前払え、と同士討ち、罵りあいに周囲は引きっ放し。
 
 飛行機の中ではさすがに暴れませんでしたが、バスに乗るやいなや、後部座席を独占、大声で席が狭いやの固いやの前にもっと詰めろやの文句言いまくり、ツアーガイドの陳さん(上海出身31才、男性、独身ー若手漫才コンビのなんとかさんに似ている)アシスタント殷さん(黄山の麓出身、女性、21才ー卓球の愛ちゃんに似ている)も不安そうでした。
 
 他のグループはわれわれ酔いどれトリオ、後はリタイアの夫婦旅行らしきカップルが4組、未亡人の高齢の母と子どもの手が放れた娘の2人連れ、それぞれ70代、60代、40代の男性一人旅。今は相部屋という形がないので、一人旅は割高なのだそうです。そしてわれわれ3人旅は部屋にひどいエキストラベッドが入るのに料金は同じ。
 
 バスの中では後ろの不良グループの前にわれわれ3人が座って、一般の人々との緩衝地帯?になるという構図にしました。お陰で随分おもろい目をすることになります。
 
 紹興市の酒造工場で紹興酒もしっかり試飲して、酔いよい気分でバスはさらに郊外の緑の中へ。今回の旅のポイントのふたつ目に向かいます。


2008年9月25日
 
 明日が前期卒業式なのに、例によってまだ授業料が納まっていない卒業予定者があって、今回もチューター(担任)主任さん、管理職、事務室など夜遅くまでばたばた。なんとか式に出してやりたい、出て欲しいと思う学校側の思いは、生徒と保護者にはイマイチ伝わらず、親子で支払いを押しつけ合っている気配も・・・。式に出なければいいんでしょ、とかそういう次元の問題でもない。
 
 入試に通れば、もう学習する権利があると思って入学金も払わない人々。そして堂々と入学式に来る。改札口を強行突破する乗客達、そして、追いすがる駅員に暴力をふるう・・・。
 
 脱税に甘い国として日本は有名だそうです。そのあたりから考え直さなければ・・・。
 
 行く人
 
日野てる子さん  (歌手 肺ガン 63才)
 
 鮮やかなムームーと明るい笑顔。ハワイアンのなだらかなメロディーで唄われた「夏の日の思い出」が懐かしい。今、気づきました。「夏の日の」と「日野」はかけてあったのですね。
 
 喪主は夫、義孝氏とあります。作曲家、編曲家の一ノ瀬義孝氏がご主人だったんだ。でも、63才とはお若い。
 
中国への旅 2
 
 紹興酒
 
 紹興市といえばすぐに浮かぶモノ。校外の工場へ向かう。広い敷地に大きな瓶がずらーっと並んでいるのは壮観。3年モノから味わえるようになり、5年、10年モノが多く出て、50年もので量は瓶の半分に、一番古いのは80年モノで瓶の2割ほどになるとか。運河や池に生い茂る蓮の葉を蓋に、呼吸できるようにうまく封をしているみたい。
 
 酒の匂い、暑さ、人いきれ・・・早速、蚊がやってくる。噛まれた人に、ハイドーゾと「ムヒ」を差し出してあげる。準備がいいですね、こういうことだけリサーチしてきたのです。
 
 日本に出回っている多くのものは台湾産とか、どうも甘くて、口に残る。呑むけれど、そんなに積極的に手を出す方ではありませんでした。工場見学の後のロビーでの試飲で、5年モノと10年モノを二つのグラスにいただいて呑み見比べて、愕然。特に10年モノ。甘いけれど、さらっとして呑みやすく、後口がいい。初日の夜から、コンビニでも手に入りやすい5年モノを一本ずつ空けてゆくという、とんでもない「飲兵衛旅行」が続くことになりました。


2008年9月24日
 
 「 日本の空なり 星と 高提灯 」   夜白雨
 
 今年もこの季節、羽曳野市古市の町中は高提灯の列が並んで美しい。蘇州の赤い三連の提灯の連なる運河を思い出します。あれもきれいだった。それにしても改めて感じる日本の澄んだ秋空の美しさ、青さ。中国にいる間ずっと、煙る街並み、霧とスモッグに太陽も霞んで、青空を望むことがありませんでした。まあ、それもある面、風情があると言えないことはなかったのですが・・・。
 
 昨夕、帰国しました。強行軍というより、連日の中華料理と多量の飲酒(毎日ビール数本、紹興酒2本)に流石の無敵を誇る?胃も音を上げたのでしょう。昨日早朝からの腹痛で、一転してずっとお粥のみの生活となりました。お陰でダイエットできましたが・・・(苦笑)。旅行最終日で、バスと飛行機による移動だけなのが幸いでした。 旅の報告はボチボチと・・・。
 
 安ホテルだったので日本の衛星放送も入らず、新聞も手に入らず、「浦島太郎」の状態で帰って来たところ、なんと自民党総裁選挙は「麻生太郎」の圧勝ではありませんか。下の息子曰く「驚くことはないやろ。出来レースでしょ!」その通りでございます。
 
 息子の心配はそれより阪神球団。巨人が破竹の連勝で追いついたとか・・・これは息子も想定外だったようです。マジック2が点灯した段階で、彼の管轄である道頓堀は特別警戒態勢に入るのだそうです。よかった、阪神優勝はないかも、これで道頓堀は平和だ、と喜んでいるから、何いうてんねん、どうせプレーオフになったら同じ騒ぎになるんやで、と言うと、ヤッパシ・・・と落ち込んでおりました。
 
 久しぶりに使えるウォシュレットの気持ちいいこと。オリンピックを経て、中国のトイレ事情は格段に良くなっていましたが、ウォシュレットのあるようなところへは泊まりませんでした(苦笑)。
 
 旅をすれば、それがどんな小さなものであっても、ちょっぴり自分を見返り、元気がでるものです。今回の旅は永年の憧れの地だったこともあり、個人的には大きな収穫になったように思います。で、気分一新。がんばろうと思うのですが、空腹でお腹に力が入りません(苦笑)。
 
 今日は会議と保護者懇談。明日も懇談。明後日が秋季卒業式。3年半もしくは4年半で卒業する16名を送ります。そして10月から後期が始まります。
 
 
中国への旅 1
 
 「江南の秋」  魯迅の生家からスタート
 
 単位制高校で2期制を取っているので、生徒は前期期末考査を終えて、いわゆる「秋休み」(その分、夏休みが短い)。卒業式までの飛び石連休を使って、友人がおいしいツアーを見つけてくれました。
 
 中学時代から憧れていた江南地方。漢詩「江南の春」は何度口ずさんだことか。姪の事件がらみで四川省へ2度。友人達と一度西安、洛陽、北京などは参りましたが、江南は全く初めて。こころときめく旅立ちでした。
 
 まずは紹興市へ。魯迅の生家と彼が育った家に行く。魯迅は今も国民に深く敬されていて、「故居」の周辺は広く整備されて、古い街並みが再現され、近くの運河にも柳の並木の下、舟が行き来してなんともよい風情。彼の作品に登場する酒屋も残っていて、こちらは改装されて繁昌している様子。生家は豪邸と言ってよく、彼が「楽園」と呼んだ裏庭もそのまま残っています。大きな木が何本もある。
 
 今回の旅で実感したこと。本当に中国の人は木を大事に?している。したがってあちこちに(並木も)大木が多い。日本はすぐに切ってしまう。
 
 魯迅の生家の裏庭で大きな木の下に集まった時に、だれかがこれ何の木?ガイドさんもわからない。友人のひとりが(彼は私が植物に詳しいと思い込んでいるー実は彼が都会育ちで植物を全然知らないだけで、私が田舎育ちで彼よりいくらか余計に知っているくらいなのです)大きな声で「かんさん、コレなんという木?」返答を確信した問いにツアーの一行も期待してこちらをみる・・・うーむ、見たことある木なのに、名前が出てこない。すみません、わかりません。最近、こんなことよくあります。
 
 屋敷は高い塀に囲まれていますが、風を通すために、さまざまな工夫があり、また壁に穿たれた穴がきれいな模様をなしているのも良い感じ。つやつや光る黒檀の家具も重いけれど、デザインに工夫が凝らされていて軽快感あり。
 
 でも、この住み心地のよい家も、魯迅一家は家計の傾きもあって、徐々に一部屋ずつ手放してゆかざるを得なかったのです。買ったのは隣の家の人。魯迅は18歳までこの地で過ごしました。
 
 近所に彼が通った私塾もあり、彼の使った机にはよく遅刻して叱られた魯迅が自戒のために彫りつけたという「早」という字が今も残っているそうですが、暗くて見えませんでした。
 
 帰りのバスの中でもずっと気になっていて、記憶を懸命にアウトプットして、やっと思いだしました。あれは「棗(なつめ)」の木だ!でも、時すでに「遅し」・・・。
 
 それにしても暑い。気温32度。「江南の秋」ならぬ「江南の夏」の旅のスタートでした。


2008年9月17日
 
 「 秋茄子の 紫おもし 親遠し 」 石橋 秀野
 
 やはりこの時期は泉州の秋茄子。日本酒と焼酎にぴったりで、一段と酒量が増えて、どうにも止まりません。
 
 今日が第2回高卒検定の申し込み締め切り、うちのクラスで6名受検のハズ。でも心配。ちゃんと出願したかメールと電話で確認。4人はOK。でもそのうちふたりは今日郵送したという(もっとはよせんかい!)。ひとりは・・・出願しませんでした(理由は言わず、お金のことかも)もうひとりには連絡つかず、心配しつつ家に帰る。
 
 午後7時。締め切りはいつやった?というメールが入る。なに言うてんねん、何度も連絡したやろ?今日やで。今から学校へ持って行っていい?学校へ行っても始まらん、すぐに近くの郵便局の本局へ走れ、7時半に間に合わなかったら、大阪駅前の中央郵便局へ走れ!9時までならいけるはず。
 
 ・・・なんとか間に合ったようです。もう心臓に悪い(苦笑)。でも、慌てて出願して、受検当日に私の受検科目何やった?ときっとまた問い合わせがあるのです。それに備えて、科目を訊いてメモしているこちらもちょっと悲しい。
 
 今朝の朝焼けの美しさ。雲の形がきれいで、目の覚めるような鮮やかな色合いでした。そしてやはり午後は曇天、そして雨。迷走台風が接近しているのですね。
 
 「ビリース・ブート・キャンプ」につづくフィットネス体操(名前を忘れました)が手に入ったというので、さっそく職場で仲間4人でやってみる。30分。今度のは難しい。ラテンの激しいリズムに合わせて踊りながら、腰をくねらす。ビリーズ・・の方がシンプルでやりやすいが、慣れればこちらが楽しいのだろう。
 
 でも、画面でレオタード姿のおねえさんがやっているって言ったやろ?これはスパッツやで。レオタードがあるというとカンセンセが来はると思ったのです・・・。しっかり読まれています。
 
最近はまっているコミック
 
「 あさき夢みし 」  大和和紀
 
 児童図書館から学校に廻ってきたA4版の美しい装丁の本。分厚く重い。部分的にはつまんでいましたが、通して読むのは初めて。全7巻を二日で一気に読んでしまいました。「源氏物語」を見事にビジュアル化、人物の絵には不満もありますが、衣装も風俗も調度も風景も丁寧に描かれて読み応え充分でした。
 
 作者はやはり女性に思い入れがあるのでしょうか?「紫の上」の描き方が丁寧で、彼女の苦悩が説得力を持って迫って来ます。特に源氏が院の依頼を断りきれず、いや、自身のスケベ心と好奇心もあって「女三の宮」を六条院に迎え入れてからの「紫の上」の絶望と「壊れてゆく心」が切なくて、彼女の死のシーンにはうるうる来てしまいました。その後の源氏の深い後悔と悲しみもたっぷりページを使って描かれます。
 
 ラストシーン。源氏が出家して山に籠もった後のある日、山に美しい紫の雲が懸かっていると人々が騒ぐ。「明石の上」(この女性が第2のヒロインの扱い)は六条院からそれを眺め、咄嗟に源氏の死を察知して気を失い倒れる。人々が駆け寄る・・・。鮮やかな幕切れです。
 
 もちろん原作のすばらしさがベースにあるからなのですが、大胆な脚色を入れつつも、きちんとツボを外さない。これはこれで見事な源氏の異本と言えると思います。
 


2008年16日

 明日が高卒検定第2回の申し込み締め切り。今日、願書をもらいに来た生徒、書類、写真、住民票、収入印紙をなんとか揃えて明日提出。散々せっついたのに、なんでもっと早く来れないかなあ。いや、ちゃんと来れないから、この状態(3年目で20単位)なのでしょう。後期からがんばって単位を修得して、高卒検定も取って、なんとか40単位に載せて、卒業年次に這い上がるんやでと励ます。「卒業」が見えれば、がんばることもできるでしょう。

 それにしても、細かい書類の記入、住民票、収入印紙などは彼らにとっていい経験です。これからの人生で避けては通れない事柄。不安そうにしていましたが、大丈夫、区役所や郵便局で訊いたらわかる、わからんかったらメールしなはれと言って送り出す。過保護とその手を離す具合が難しい。

 足の骨折でしばし自動車通勤を認めてもらい、電車通勤を経て、先日から晴れた日は自転車通勤を再開しました。

 ひと月ほどの間に石川サイクリングロードの両側は、背丈ほど繁茂した草に覆われていました。その隙間からグランドが見える。朝6時過ぎからおじさんたちが集まって、まさに「草野球」に興じています。その中に・・・あ、N先生だ!細く引き締まった長身、小さな頭、鷲鼻・・・30数年前、初任校でわれわれのリーダーでした。スポーツ万能で、校内スポーツ大会のソフトボールではいつも4番、キャッチャーでもちろんキャプテン。1試合で2,3本ホームランを打っていました。終わった後はもちろん大宴会、2次会でミスタードーナツに連れて行かれ、フレンチクルーラーを無理やり食べさせられるのだけは困ったなあ。

 仕事も速くて、われわれが年次当初に授業準備していた時に、もう3学期の手配をしてはった。生きる方も急いで、60才で癌であっという間に逝ってしまったけれど・・・バッターのチップしたボールを股間に受けて悶絶し、すぐあとの打席で三塁打、その必死に走る姿がおかしくて気の毒で・・朝靄の向こうのその姿が滲んで見えました。

 「フィールド・オブ・ドリームス」だったのでしょうか。Nさん、お孫さんも奥様も元気でやってはるそうですよ。奥様は今年もホノルルマラソンを走られるそうです。万事に抜かりのないあなたのことですが、しっかり見守ってあげてくださいな。

今日読んだ本

「公立高校の底力」 志水広宏吉  ちくま新書

昨夜メールで転勤した友人にこの本を教えてもらいました。

今日、出勤したら教頭先生の机の上にありました。早速、有断拝借して・・・。

広がる格差社会、不登校、増え続ける外国籍の生徒、モンスターペアレント、家庭暴力、障害児問題・・・多様な問題を抱える現代の教育界。その問題が噴出してくる、またその問題い取り組まざるを得ない学校を取り上げて、教師の取り組み、成果、課題を提示します。教師は楽なんかしていません。それぞれ身を削って必死で流れに棹さしてがんばっています。

苦労をしたとはおっしゃるが、いわゆるトップ校で、どんどん勉強することができた割りに「クソ」発言(これだけでも辞職もの)はじめ、人を傷つける表現を重ねる知事さんにはぜひ読んでほしい本です。

最近 はまっているコミック

「深夜食堂」 

 今回の話の主人公は、常連さんのホストクラブ経営者が連れてきたイケメン。筆談でマスターに冷奴を細かく(ネギはこうこうして、生姜は・・・)注文。そして「おいしい」と書いて返す。聾唖者なのです。

彼にホストが務まるかい?いや、マスター、彼と筆談したら、なんか癒されないか?そういや、そうだ。きっと売れるよ。店の女性客達も、そうよ、そうよ。

思惑は当たって、彼は売れっ子に。そして定期的に店においしい冷奴を食べに来る。

しかし、やがて、六本木の一流店に引き抜かれ、店とは縁が切れるが、あるとき仕事で行き詰まって暴れた彼が暴力を振るった相手は、よりによって深夜食堂にあのおいしい豆腐を入れていた豆腐屋のおっちゃんだった。

最後は、おっちゃんが告訴を取り下げ、彼は保釈され、ホストをやめて豆腐屋に職人として住み込んで働くことになる・・・。お決まりの展開ですが、今回もきれいに着地して読後感がいい。


2008年9月15日
 
  高卒検定第2回の締め切りが迫っているのに、受検したいと言っていたのに、まだ願書も取りに来ない生徒が3名もいます。正規の授業とは関係ないし、学校側も親切で紹介、願書をまとめて取り寄せてやっているだけだから、放っておいてもいいのですが・・。
 
 単位制で半期完結科目が多いうちの学校では、先週末に前期の単位認定会議、卒業判定会議。わがクラスはさんさんたる有様。一単位も取れなかった生徒もいます。12日夜にあちこち電話して、ハッパをかける。
 
 4月以来一度も登校していない生徒宅にも定期連絡。本人は機嫌よく働いている(アルバイト)が、お母さんが息子の高校卒業を諦めきれないで、授業料は納めますから籍をおいてやってくださいという形で半年きました。このままでは、半端なので、高卒検定を考えられてはどうですか、8科目合格すれば、高卒と認められ、専門学校や大学も受けられますよというと、ありがとうございます、息子と相談しますというご返事。親心は切ない。
 
 授業料30万以上溜まって、転学も退学も出来ない生徒は、親御さんがもう面倒を見ないというてはるので、本人が諸費だけ払って、授業料滞納で退学処分になる方法を選ぶとのこと。彼にも高卒検定を薦める。
 
 明日から生徒は「秋休み」ですが、何人か呼び出しています。なんせ昼夜逆転の生活、朝起きられないという生徒がいっぱいなので、来るかどうか心配ですが、とにかくやれることはやっておきたい。
 
 13日は、PTA研修旅行。名神を走っているうちに朝の雨が上がり空模様はええ具合。でも、事故渋滞で信楽はカット。まっすぐ琵琶湖へ。「ミシガン」でランチクルーズというのが今回のメイン。一度乗ってみたかったのです。3階建てで結構大きい船。名前のごとくアメリカ南部の仕様。もう一隻は「ビアンカ」こちらはイタリア風。料理はおいしい。でも飲み食いに夢中になって、景色はあまり見られませんでした(苦笑)。
 
 屋上デッキでのショーはジャズ中心で家族向けの明るくシンプルなもの。でも最後にアメリカの若いおねえちゃんが日本語でしっとり「琵琶湖周遊の歌」を唄うとは思いませんでした。
 
 仕上げは長岡のサントリーのビール工場見学。2年前も行っているので、工場内はざっと見て、目当てはもちろん試飲のみ(笑)。「プレミアム」ひとりジョッキ3杯までとアテがせんべい一袋、時間も20分足らずという制限をどう乗り越えるか、前日から考えていました。でも、昼のバイキングでの飲み過ぎ食べ過ぎが後を引いています。(数時間後のことを考えることが出来ない人間です!)
 
 結果。Nさん、3杯目をおかわりに行ったら、時間一杯ですと言われ、半杯だけ入れてもらったと悔しそう。Oさんは4杯目を貰いにいったら、お客様は4杯目ですね、と断られたと悔しそう。そりゃピンクのシャツに柿色の靴、目立ちすぎ!私?仲の良いお母さんに頼んでキープしておいたので、4杯はゲット。昼を控えておけば6杯はいけたのに残念。
 
 学校で解散。自転車で大和川の堤を走ると、正面に待宵の月が上ってきました。いい一日でした。
 
 14日の名月は曇り空で「月の出」が見れず。でも中天に懸かってからは明け方まで美しい姿を見れました。今年の名月はやや早め。まだ夏の気配強し。やはり10月くらいの方がいいですね。
 
 15日は敬老の日。義母のマンションを訪れてエスカレーターで乗り合わせた小学生の一団(女の子6人)の会話。
 
 さっきの母さんすごいよね。スーパーの前に赤ちゃんを自転車の前のシートに残したまま入店。その間に自転車が倒れて、あかちゃんがどっか打って、ぐったりしているのに、帰ってきて、顔色も変えんとそのまま行ってしもうた。救急車呼んだ方がええのに・・・。心配しとる風も反省しとる風もなかったね。信じられへん!
 
 興奮して口々に話しているが大体上の内容。信じられへんけど、信じなければならない今の世の中。あり得る話です。あかちゃんどうなったやろ?大体、不安定な自転車の前に子どもを残して買い物するか!?小さな荷物でも不安定で自転車は倒れることがあるのに、まして人間です。そういう想像力の欠如が信じられない事件の続発に繋がっているのでしょう。大事なのは、学力テストの点数より、こういう想像力を育てることだと思うのですが・・・。
 
あの子たちにはそんなバカ母にはなって欲しくないものです・・・それにしても赤ちゃんが心配。羽曳野の住民なんでしょうが・・・。
 
最近はまっているコミック
 
「深夜食堂」 安倍 夜郎
 
 繁華街の路地裏にある小さなカウンターだけの店。顔に傷のある気のいいマスターがひとりで対応。常連さんとのやりとりが楽しく切ない。
 
 近所のウナギ屋のおやじさんが死んで、臨終にマスターに壺一杯の秘伝のタレを残す。跡継ぎもいないし、お前が好きだったから・・・。
 マスターは預かったタレをご飯にかけただけの「タレ丼」というメニューを出す。常連達はなんでウナギを乗せないのかと言うが、それをしたら死んだおやじさんに悪いからと奇妙なメニューを貫く。それがおいしくて、評判となり、やがてタレは壺の底をついてくる。みんなが心配した最後の丼はたまたま客が連れてきたアロハシャツの中年の男に当たる。男はそれを食べて涙を流す。20年前に喧嘩別れしていたおやじさんの息子だったのだ。たまたまタレ丼の評判を聞いた知り合いが連絡したらしい。息子は沖縄でスナックをやっているという。
 
 最後の絵は沖縄のスナックらしきところのカウンターで観葉植物の鉢になっている壺のシーン。


2008年9月9日
 
 「 天の海に 雲の波立ち月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ 」 柿本人麻呂
 
 重陽の節句。今週日曜は仲秋の名月。今日の澄んだ夜空も美しい。もう秋本番です。
 
 あべの「end」は今日がオープンでした(笑)。一度聞いた開店日も憶えられない。思えば、北京五輪の8・8・8向こうをはって、9・9・9で勝負したのでしょうか?
 
 「end」に関して一番先に書こうとしたことをずっと忘れていました。「end」の2階?のカレンダー、メモ帖の専門店。すでに完全に来年のモード。店としては当たり前ですが、やはり早いと思う。季節進行が早まっています。USJは11月初旬にハロウィンが終わると、もうクリスマスモードに突入だそうです。
 
 あ、嫁ハンのクリスマスライブ(11月28日、29日)もよろしく(笑)。
 
 月日は流れ、私は残る・・・「ミラボー橋」
 2日前に米朝を聞きに行った友人の話

「もう、、噺はやりません。弟子とのよもやま噺だけです。
今日のお相手の小米朝と吉の丞は、あまり米朝さんにしゃべらせない感じでした」

友人は「米朝が初めて噺で詰まってしまって、ざこばが手を引いて舞台からおりたという
ショッキングな場面に遭遇した」人。

ことし83歳。
 
引き際は難しい。
 
息子の小米朝は父のではなく、父の師匠の大名跡を継ぐのですね。
 
学校に来ていないうちの生徒からメールがあって「明日話にゆきます」

「よっしゃ、待ってるで。ただし、バイクで来んなよ!(笑)」
と送ったら

「すみません、バイクで行くつもりでした(笑)」と返ってきました。

自主退学したいという話でしょうが、授業料が溜まっているので
今は辞めたくても辞められない。転校もできない。
いずれ、登校禁止、授業料滞納による退学処分ということになります。
保護者とは連絡が取れません。
本人もずっと家に帰っていないようです。
 
ちょっとおもろいヤツだったなあ。
 
高卒検定の願書を渡して受検を薦めます。


2008年9月8日
 
 アベノの「end」プレオープン探訪で書き残したこと。
 
 新しい店に行くと、ちょっとした質問を店員さんにしてみる。その対応で、開店準備の完成度がわかります。今回は、探していた「眼鏡拭き紙」はありますか?と一階のカウンターで問う。あちこち電話して訊きまくってはる。4,5分して、すみません、ロフトにはありませんが、2階のメガネショップにあると思います・・・礼を言って、その店に行くと・・・ありませんでした。

帰りにカウンターへ寄って、さっきはありがとう、2階にもありませんでしたと、にこやかに(イヤミですねー笑)挨拶して帰る。次に行ったら、また尋ねてみよう。商品は入っているかな?正式オープンは昨日だったようです。

私は大阪府(トップはもちろん知事)の職員で、教員なので管轄は教育委員会。その知事ハンが公共の電波で教育委員会を「クソ」呼ばわりして、大きな問題にもならない不思議。言われっぱなしの委員会も(別に肩を持つわけではありませんが)情けない!大げんかして失言と騒動の責任を取って、どちらも辞めはったらええのに。

ビバ!タカラヅカ!

「ソロモンの指輪」  「マリポーサの花」   雪組公演

嫁ハンの友人から譲ってもらったプラチナチケットを握り締め、夫婦でいそいそと出かける。車で50分。タカラヅカのええとこはまず劇場周囲の雰囲気。あえて「花の道」から入る。広く華やかなロビー。螺旋階段を上って、2階の「ロンド」でゆっくりパスタ。ロビーの突き当たりに大劇場入り口。すぐ左手のオペラグラスを借りに走る嫁ハンに今日は不要だよと言いつつ、自分もうっかり正面階段を登りかける。この日は左手入り口から入る。一階の前4列という極上の席。

今回の公演はいつものパターンを破って、まず30分余のショーと2時間余りのミュージカルという異例の形。でも、そのミュージカルが今回は見せました。ショーは盛りだくさんすぎて、ちょっと印象散漫。そのあとのミュージカルは・・・。

アウトロー的な生き方を表面では見せながらも、実は世の中の不条理に対し闘争心を燃やす男の生き様と、彼を慕う娘とのラブ・ロマンスを描いた作品。カリブ海を舞台に、サルサをはじめとする陽気で情熱的ながらどこか哀愁を含んだラテン音楽に乗せて展開する、スリリングなサスペンス・ミュージカル。

 南米のとある小国。民主化への革命を成し遂げたものの、親米派の大統領による独裁政権に国民の多くは不満を募らせていた。かつて革命運動の最前線に立ち、現政権支持派として今はクラブを経営するネロも、実はその一人であった。
 ネロにはクラブのオーナーとは別に、もう一つの顔があった。大統領サルディバルの後ろ盾を利用して、非合法ではあるが資金を稼ぎ、病院や学校を建設する事業を起こそうとしていたのだ。事業のパートナーに、プランテーションを独自に運営するイスマヨールを考えたネロは、彼の屋敷を訪ねた。そこで、彼の子供であるセリアとリナレスの姉弟に出会う。ネロはその出会いに運命めいたものを感じる・・・。

タカラヅカにしては固く、政治的内容を含んだ重ためのミュージカル。それをしっかり見せたのは「芝居の雪組」のアンサンブル、そして主演コンビの水 夏希、白羽ゆりのコンビの力です。主役のネロ、水 夏希は3拍子揃った実力ある男役で、この難しい役を魅力的に演じます。「カサブランカ」のハンフリー・ボガード、「武器よさらば」のゲーリー・クーパーの役どころ。

恋より男の友情をしっかり見せて、悲劇ながら余韻の残る幕切れ、もちろん華やかなフィナーレが付くのがタカラヅカのお約束。間近にみるロケット(ラインダンスのことです。ピンクのチュチュの踊り子の可愛いお尻、網タイツのきれいな脚の後ろのシームまでしっかり見えて、おじさんは大感激。2階、3階席では味わえない興奮)やパレードの美しさ。

ただ水夏希も2番手?の彩吹 真央もちょっと地味。3番手?の音月桂が若く美しいのが期待大ですが、公演全体に華やかさに欠けるのも事実。上階席に空席が目立ったのも、タカラヅカとしては珍しい。ちょっと心配です。折角の力作なのに・・・。



2008年9月7日
 
 「鰯雲 人に告ぐべきことならず 」 加藤楸邨
 
 胸に思いは溢れているけれど、言うべき人、言うべき時は、そしていうべき事か・・・今は黙するのみか・・
昭和14年の作というのが、この句に陰影を落とします。
こんなにプログに言いたいことを書きまくれるというのは平和で幸せな時代の証なのでしょう。
 
 アベノのhoopの南側にオープンした「and」へ行って見ました。「ロフト」を始め、おしゃれな雑貨店など数十の店舗が入った大きな商業施設。近鉄百貨店建て替えの間の補強施設なのでしょうか。アベノ再開発の起爆剤のひとつになれるかどうか?周りはラブホテルや駐車場、大きなマンションがあり人の流れがどうなるか、気になります。
 
 府知事は私設秘書に国際児童文学館をビデオで2日間、隠し撮りさせ「民間なら当たり前」と公言、「マンガばかり読んでいる」「入場者を増やそうとする努力が見えない」と切り捨てる。施設の存亡を、個人の目の代用としての一台のカメラの短時間の映像、そんなことで判断してしまっていいのか。財政再建は大事な大仕事ですが、それだけにきちんとしたポリシーが不可欠です。教育や文化を一律に切り捨てる知事のやり方は支持できません。
 
 久々の早朝座禅。骨折から回復中の足がきちんと組めないこともあって、全身に力が入りすぎて、途中まで呼吸するのも苦しかったのです。頭も重くて次第に前に傾いて来る始末。あ、力を抜かなきゃと気づいて、意識して肩を落とすと、ぐっと楽になりました。
 
 忙しい学期末、知らず知らずに肩に力が入ってしまっているのでしょう。もう、いい年なんだから、上手に力を抜く術も身につけなければと思います。
 
最近見た映画
 

「ボーン・アイデンティティー」

 ある嵐の夜、イタリアの漁船が洋上に漂う意識不明の若い男を発見する。引き上げられたその男の背中には弾痕があり、皮下にはマイクロカプセルが埋め込まれ、それにはスイスの銀行の口座番号が印されていた。男はなんとか息を吹き返すが、記憶を失っており、自分の名前も分からない状態だった。数週間後、彼は身元の唯一の手掛かりであるスイスの銀行に向かう。その貸金庫にはジェイソン・ボーン名義を含め6ヵ国のパスポートや大金、そして拳銃が入っていた。やがて暗殺者たちに狙われ始めた彼は、偶然出会ったマリーの協力を得てパリへと向かうのだったが…。  
 
 出色のスパイアクションとは聞いていましたが、見逃していました。激しいアクションに謎をちりばめて、ぐいぐい観客を引きずり込んでゆきます。
細かいカット割り、速いテンポ、自在なカメラワーク、体を張ったアクション、パリに市街から路地まで駆け抜けるカーチェイス、巻き込まれる美女との恋、巨大組織の非情、蘇らぬ記憶・・・アクション映画の面白さが満載。
 
 マット・デイモンが鍛え上げた体と技でスーパーヒーローでない等身大の暗殺者の好演、確かに、これでひと皮もふた皮も剥けました。続編が作られたのも当然。見ようと思います。
 
最近読んだ本
 
「廃墟に乞う」 佐々木 譲
 
 最近人気の警察小説のひとつ。心を病んで休職中(最近このパターン多し)の刑事は、かつて自分が手がけた事件の犯人であった若者の生まれ故郷、夕張郊外の産炭地を訪ねる。犯人を生んだ劣悪な家庭環境に、裁判でも明かされなかった事件の動機を探ろうとする。そこへ、刑務所を出た若者が再び事件を起こしたという連絡が入る。彼はきっとここへ帰ってくるだろう・・・。
 
 時代をリアルに反映してはいるのですが、暗い、結末も救いがない。主人公の職場復帰はまた遠のきそう・・・


2008年6日

 昨日の記事がどこかで消えてしまいました。理由は明快、保存するのを忘れていただけです(苦笑)。別の用事をしていて、帰ってきてディスクを開いたら空白でした。しかし、書いた記事の内容も憶えていないのが哀しい。「最近印象に残った言葉」の村上春樹さんの文章も、書いてすぐ新聞の切抜きを処分してしまったので、もうわかりません。とにかく、「暗いけれど救いのある小説」を書いてゆく。今、すごく長い作品にかかっているという内容でした。

 書きながら記事を思い出しました。むかしの「カモメール」、夏の懸賞つき葉書の抽選・発表が先日あったのです。これは外れ。同じ時期に、この半年?一年?の宝くじの空クジの残り福抽選会(景品は地方の名産など)の結果発表も行われていました。その番号(下4桁)を見て、どこかで見たなあ、と思い、まだ換金していなかった(といっても300円ですが)サマージャンボの外れ券を探し出して見ると、たしか7148か6148という千番違い。惜しい。

 それにしても、人名はもちろん、さっきそこに置いたものもすぐ忘れる昨今なのに、なんでちらっと確認しただけの番号の一部を憶えているのでしょう?人の記憶の不思議さ。頭の中はどうなっているのだろう。もっとうまく実生活に役立つ方向で機能してくれればいいのですが・・・。

 それほど大きな事件でないのに明らかな事実を否認、嘘をつきまくり、教師に悪口雑言、暴言を吐いて、さらに重たい指導になってゆく・・・。人は誰でも過ちを犯し、失敗する。やったことを素直に認めて謝罪すればすぐにすむ話が、やがて進退問題にまで発展する。事後処置の仕方やミスの対応というのは人生勉強の中でも最も大切なものだと思います。

  高卒検定結果通知をきちんと書類で学校提出しなければならない。それで校内での単位修得に加算します。早目に持っておいでといっていても、最終日(昨日)の締め切りぎりぎりになる。それが何人もいる。夕刻は例によって局地的豪雨。雨の中をやってくるのを心配しつつ待つ。締め切り(5時)2分前にずぶ濡れで到着。昨夜遊んで、朝帰りで、そのまま来ようと思ったけれど寝てしまって、今さっき起きたとのこと(もちろんテストは欠席)。それで電話もメールもなかなか繋がらなかったんだ。どうしてそこまで引っ張るのかなあ。


書類を出して、テストもきちんと受けて、その後遊びに行ったらええやんかっ!?その方が安心して遊べるやろ?と言っても、友達に誘われたからと悪びれもしない。未成年の女の子が朝帰りして保護者は心配しないのだろうか?(まあ、たくさんの生徒がそういう状態なので、こちらも驚きもしませんが・・・)。この機会にあれこれ話も説教もしたかったけれど、書類提出と雨が気になってそのまま帰してしまいました。彼女は3年目、これでまだ10単位。

「このペースであと何年かかるねん?

「えーと、2年半」

「ちゃうやろ?」

「だって、1年で30単位取れるやろ?」

「ちゃんと取ったらな。今の君のペースやったら、15年、あと12年かかるで!学校には6年しかおれないんやで」

「ウソー!まじ?あたし30を超えるやん?どうしよう?結婚でけへん!」

改めて懇談することにしました。

最近見たビデオ

 
「ウォルター少年と、夏の休日」
 
孤独な少年と2人のおじいさんがテキサスで過ごす夏
「ウォルター少年と、夏の休日」孤独な少年と2人のおじいさんがテキサスで過ごす夏
 面白い映画かどうかは、見始めて5分もあればわかるもの。でも、それがとびきりの作品かどうかはラストシーンまでわからないこともある。映画専門誌で「スクリーンで見たい脚本No.1」に選ばれたこのハートフルな物語の魅力もしかり。 身勝手な母親に見捨てられるように、親戚の老兄弟に預けられた14歳のウォルター少年。
 
 原題の「SECONDHAND LIONS」が示すとおり、年老いたライオンのように退屈な余生を送っていた老兄弟。この出会いによって、少年は世界への扉を開く勇気を手にし、老ライオンたちはときめきを取り戻す。兄弟の若き日の冒険譚を織りこみながらつづられる男3人の夏は、愛し、愛してくれる人の存在がいかに人生を豊かにするかを浮かびあがらせ、あったかい気持ちにしてくれる。 
 
 何しろ、ヘイリー・ジョエル・オズメント、マイケル・ケイン、ロバート・デュヴァルと名優揃い。なるほど、父親のいない少年が、老いてなおそこらの不良より格段にたくましい兄弟から「本物の男とは」を学んでいくのは、成長物語の定番スタイル。でも、本物の男が秘めた憂いや、母親に顧みられない少年の切なさが、笑いのなかに繊細に浮かびあがるのは、この3人ゆえ。 
 
 だからこそ、冒険譚の昔懐かしいハリウッドの活劇調に、最初は違和感を覚えるのも事実。名優たちの繊細な演技とトーンが違いすぎて、'60年代のテキサスが舞台の成長物語とエキゾティックな冒険物語を同時に見ている気がするのだ。けれども、その冒険譚が思いがけないかたちで生かされるラストは、やはりラストで泣かせた『アイアン・ジャイアント』の脚本家ティム・マッキャンリーズ。好感を抱いていた「いい映画」が、とびきりの一本に変わる瞬間の感動ときたら! それを味わうのも映画好きの醍醐味。 (杉谷伸子) (PREMIERE)
 
 敬愛する友人Tちゃんから貰ったお薦めDVD。正解でした。男遍歴を重ねるアホな母親の元で屈折した少年が、テキサスの大平原の中の農場での気骨ある老人達との生活の中で、社会と人生に目覚め、人を信じること、夢を持つことの大切さを学んでゆく・・・。
 
 老人兄弟の趣味は、午前の農作業の後、午後、ベランダに座って、次々やってくるセールスマン達を銃でからかい撃退すること。でも、たまに買い物をする。原題に連なる「老いたライオン」「旧式双葉飛行機」「豪華クルーザー」・・・。これらがみな最後に活きてくる脚本の巧みさ。
 
 老人の兄の方が、月夜の湖を彷徨うシーンの哀しさ。「ジャスミン」という美しい名前の秘密・・・。
 
 老兄弟の潤沢な資金は噂の通り、銀行強盗の過去がもたらしたものか、老人の弟の方(マイケル・ケイン・・ちょっと英国臭)が語る兄(ロバート・デュバル・・適役)との1914年からのヨーロッパ、アフリカでの冒険とロマンスの成果か?
 
 謎がすべて明かされるエピローグには賛否両論があるようですが、映画は90代の老いた兄弟と違って(同じく?)これで見事に着地したと思います。気持ちよく笑って泣けました。
 
 ヘイリー・ジョエル・オズメントは「シックス・センス」から久々の出演。身長が20センチ以上伸びています。好演。名子役から大人の俳優へうまくジャンプしてほしい。自殺未遂?の柳楽クンは立ち直れるでしょうか・・・。
 


2008年9月4日
 
 1日の夜、早めに休んで夜中に起きたら、深夜ラジオもテレビもなんとなく騒然としている。福田首相の突然の降板でした。いくら「自分を客観的に見ることができる」からといって、やはり投げ出すのは無責任です。記者会見でのものの言い方、対応も国民に対して失礼でした。まあ、結果的にはこれが国民が選んだ(その実感はないが・・・)政治家、トップということになるのでしょうが・・・。それにしても、日本のリーダー選出というより、自民党内の勢力争い、選挙対策人事にしか見えないのは悲しいことです。
 
 橋下さんも府民の多大な支持?をバックにどこまで突っ走るのでしょうか?4年間を全うできるのかな?するのかな?それも不安。
 
 嫁はんと大阪に夕食に出ていたら、仕事明けのはずの下の息子からメール。題は「悲しいお知らせです」。何かあったのかと思いました。
 
 「さっき気が付いたらすごい夕立があったらしく、ベランダの洗濯物が全滅。おまけに雨が降り込んで、リビングはグスタフが通り抜けたフロリダ状態です。眠り姫みたいな息子ですみません」
 
 急いで家に帰ると、フロアはもとろん、プリンターまで水をかぶった様子(パソコンは無事)。でも、爆睡していた息子はそれなりに一生懸命掃除をした跡(洗濯物は風呂場で乾燥をかけている)が見えたので、今回は一応お咎めなしということにしました。
 
 まったく、この夏の局地的スコールのような雨風はすごいですね。日本ももう亜熱帯気候なのでしょう。
 


2008年9月1日
 
 「 二百十日 異国の船の はいりけり 」  子規 (明治29年)
 
 防災の日、そして二百十日。そして、年度末まで210日、これは偶然でしょうか?小川洋子さんの数学に関するエッセイの影響を受けてか(すぐ影響を受ける!)身近な数字がすごく気になります。
 
 昨晩から絶食。朝6時に薬。7時から2時間かけて、2リットルの下剤入りの水溶液の薬を呑む。これがしんどい。ビールならあっという間なのに・・・。トイレに6回通って、午後1時に予約していた病院へ。
 
 大腸検診は期待(不安)を裏切り?あっという間(10分ほど)に終わり。なんやの?カメラでの映像も見せてくれへん。大丈夫です、異常ありませんのひと言。あっけなし。
 
 ベッドで局部麻酔?が醒めるまでちょっと休んで、簡単な説明、(写真3枚見せて貰う)を受けて、今日は仕事とお酒は控えましょうねの言葉を背に、そのまま学校へ。一気に仕事を片づけて、6時過ぎに帰宅、やはりほっとしている自分がいる。祖母や父の血を引いている以上、大腸癌が心配でした。昨夜から我慢していた発泡酒と日本酒と焼酎を飲んで、爆睡してしまう・・・(説明書を読むと、ポリープがあって切除した人はアルコールを控えるようにと書いてありました)。
 
 午前3時に起きて、採点。午後4時半。上の息子が起きて来ました。始発で出勤するそうです。レモンティをいれてやる。慌ただしい菅家の一日がまた始まります。そのことの幸せを思います。
 
 最近読んだ本
 
柳田邦男さんが薦める・・・「やっと名医をつかまえたー脳外科手術までの77日」下田治美(新潮社、文庫もあり)
 
 下田さんは異常な頭の痛みで救急車で病院へ。誤診から始まり、法外な医療費請求、二重人格の医者などに次々振り回されて、開き直り、調べたおして11人の医者を廻って、ついに信頼できる医者と巡り会い、名執刀に浴することが出来た・・・。
 
 そのパワーに敬服。
 
 その中の患者の心得
 
1 病巣第1発見者の医師に盲従するな
2 サードオピニヨンまで求めよ
3 命と引き換えの状況下では紹介者の顔などつぶしてもよい
 
ナルホド!!



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