2009年11月29日
「 ラ・フランス 食ふより形 楽しみて 」 新聞俳壇より 鹿嶋市 立原さん
確かにきれいな形です。でも、みずみずしくて味もいい。食うべし。
昨日来た甥、じゃない老い
カンセンセ、トイレに眼鏡とグループニュースがありました。(あれー、探していたんです。アリガトウ!)
カンセンセ、印刷室に試験問題の原稿が残っていました。(ギョエーッ、刷り直した時に忘れたんだ。すみません!)
朝からこんなに人気?でどうしよう?困ったものです(苦笑)。
きれいな朝焼けが続きました。それを眺めつつ朝食。日の出と共に出勤。日が短くなるのはいやだけど、この朝のひとときはこの時期ならではのいい気分です。
休日の夕方、エレベーターで一緒になった親子。幼稚園くらいの、それぞれ眠り込んだ女の子二人を夫婦が抱いている。特に上のお姉ちゃんを抱いた父親は重そう。もう、勘弁してくれ、とぼやいている父親に、今の内ですよ、甘えてくれるのも、抱けるのも、と声かけると、そうですかねえ、と気弱そうに苦笑いしていました。今にわかりますよ。
28日は嫁ハンのソロ・ライブ。おひとりだけ、前日、間違って行ってしまった方がいたけど、無事、全員集合。盛り上がりました。温かい聴衆、よく動くスタッフに恵まれ、嫁ハンもがんばる。楽屋裏は結構大変でしたが、3年目なので、精算・後片付けも30分余りで終了。それでも10時を過ぎていました。
音響・照明の方々が翌日の仕事の関係でそのまま引き揚げたので、ピアニストに私も初めて加わって、うちの近所の行きつけの居酒屋で打ち上げ。これが午前1時まで。
始めはライブの反省などだったのに、途中からピアニストのTさん(東京へもよく行っている)による芸能界ウラ話で盛り上がる。工○しずかさんと中○みゆきさんが愛人関係だった・・えーっと私と嫁ハンと女将がのけぞる。工○さんの旦那はあの○○・・・。やるなあ。大○真央さんと黒○ひとみさん、花○まりさんと和○ようかさん・・・うーむ。みんな悶絶。眉につば付けながらも、あまりのリアルな話に思わずのめり込む(笑)。
たくさんいただいたお花の香りと色でむせかえる部屋で朝食。嫁ハンは京都のライブに出演の為、出発。私は昨夕、ライブ来てくれた友人、知人にお礼のメールや手紙書き。花束も小分けして、近所の友人、飲み屋に配る。晴れていた空が、午後翳ってきて、やがて小雨に変わりました。いよいよ冬の気配です。
後は考査と、成績処理と、「顔見世」です。
最近読んだ本
「魔法使いハウルと火の悪魔」 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
アニメ化されて話題を呼びました。架空の国、インガリーに住む少女ソフィーは魔女に魔法を掛けられて90才の老女にされてしまい、悪名高い魔法使いハウアルの住む動く城に家政婦?として住み込むことになる。
イギリス独特の風習やお約束、ファンタジー小説の伝統、魔法使いの言い伝えに詳しくない私にはちょっと飛躍に感じる部分もありました(たとえば「長女は必ず失敗する・・・成功するのは末娘」)が、結構楽しめました。でも「火の悪魔」カルシファーの描写や、ハウルとソフィーの恋愛心理描写には不足感を覚えました。それにしても、これを映像化した宮崎監督はじめジプリのスタッフはやはりすごいと思わされました。
2009年11月26日
今日来た甥、でなくて老い
考査問題が仕上がり、訂正を加え、いよいよ印刷。問題は紙を節約して表裏に印刷するのですが、封入の段階で途中のクラス分からウラが白紙であることに気づく。230枚印刷するところを、間違って130枚にセットしたらしい。誰が?もちろん私。封筒から問題用紙を全部出して、点検して、白紙分のウラに印刷し直す。半時間のロス。こういうことがあるから、点検はいくらしてもしすぎることはない。老いとはそういうリスクを背負ってゆくものなのでしょう。
青い薔薇のマルス
人気劇画の舞台化で、タカラヅカでかつて雪組で上演。麻美れいさんの青い軍服姿が美しかった。ブルー・ローズ・・・「青い薔薇」は不可能、ありえないこと。それをサントリーが開発して商品化、この秋売り出し。で、今夜というか、今年の日仏協会の「ボジョレー・ヌーボーの会」の景品がこれでした。
昨年はハイアット・リージェンシーでしたが、ことしは天神橋南詰めの「ル・ポンド・シェル」。上の息子の言わせれば、大阪で超のつくフレンチの店で、ミシュランにも載っているらしい。私は友人から貰ったミラノ製のネクタイ、嫁ハンはスワロフスキーのイヤリングをつけて、ちょっと気合を入れて乗り込みました。
7時からの開始ですが、6時過ぎからのアペリチフで盛り上がり、定員100名でしたが、みんな呑む呑む、本番でも食べる食べる(さすがにおいしい、肉もウマイ)、途中でワインが無くなってしまうしまつ。これは主催者側の計算ミス。嫁ハンの知り合いが途中で倒れて、救急車を呼ぶ一幕もあって、ちょっと後味のわるい結末でした。でも、満腹。ワインもおいしかったです。サービスも店の雰囲気も○。ワインがもっとあればなあ・・・。
で、抽選で青い薔薇は嫁ハンがゲット。今、夜勤で留守の下の息子の部屋で香っています。青いというより紫がかっている感じ。パンジーの遺伝子を組み込んであるのですね。花言葉は「夢は叶う」。
2009年11月25日
「ジーザスと見まごふ野路の案山子かな」 松本幸四郎
ミュージカルもこなす歌舞伎役者。この家(高麗屋)は特に俳句に堪能です。
先代吉右衛門の句「雪の日や 雪のせりふを 口ずさむ 」これもいい。
「まねき上げ」 今日の冬の一大イベント。「顔見世」の看板が上がりました。興業は11月30日から。私たちは2日のチケットをゲット。「まねき」の名前の位置で役者の立場がわかる。楽しみです。
今日来る「甥」でなくて「老い」
夕方、帰ろうとしてコートが無いのに気づく。焦って探し回って、見つからない。仕方なくジャージーのまま帰ったら、自分の部屋にある。朝、暖かかったからコートを羽織らず出てきたらしい。愕然。
近所のコンビニから生徒が駐車場でたむろしていて困ると苦情、で、出動。タバコなどは喫っていなかったので、移動させて終わる。周囲の迷惑も考えない生徒も問題だけれど、注意もしてくれないで通報だけする店にも「?」。もう「社会教育」なんて死語になっているのでしょう。
今日の海外文学講読の授業でポーの「黒猫」をやる。酒で人格が変わり、愛憎にまみれて愛猫プルートゥの目をペーパーナイフで抉ってしまう主人公の心理の読解はなかなか難しかったようです。でも、怖い話をするからね、という宣伝が効いて出席率はよかったです(苦笑)。
2009年11月24日
阿倍野橋駅のプラットホームで、ふらつくなあ、おかしいなあと思ったら、老眼鏡を掛けたまま歩いていました(苦笑)。
考査問題をコピー、基本解答を作ってパートナー達に配って点検してもらう。やはり自分独りでは見落としがある。解答欄や設問の番号にいくつかミスを発見してもらって感謝。以前は考査直前まで引っ張り問題作製、ミスの無いよう極力自分でチェックもやり終えようと思っていましたが、最近はどうせミスがあるからと、早めに作って、みんなに見てもらってと、気楽に構えられるようになりました。これは年の功?開き直り?
久しぶりに古文を担当しています。伊勢物語の「芥川」の部分をする。「伊勢」は大好きです。主人公の男が、やっと盗み出した高貴な姫をあっさり鬼に喰われてしまう・・・。地団駄を踏み、転げ回って嘆き悲しみ、歌う。
白玉か なにぞと人の 問ひし時 露と答えて 消えなましものを
駆け落ちの切羽詰まった状況なのに、道端の露を初めて見て、あれは真珠?それともなあに?とあどけなく問う姫に応えてやれなかった男の深い悔い・・・
何度やっても、ええなあ、ええ歌やなあ、と思わず教壇で感嘆。
センセ、昔の人って、そんな大変な時に歌なんか歌うん?と元気なM(小2からタバコを喫っているというなかなかの強者)
そうやなあ、やっぱり感動したり、大変な目に遭ったりしたら、みんなもすぐ携帯で写真撮って、コメント付けて友達やらに送信したりするやろ?そんなもんやで、当時の歌は。
じゃあ、すぐ歌を作れるんだ。センセ、作って。私のことでええわ。
ほうか。しゃあないなあ、と黒板に枠を作って、即席の狂歌をー
「 Mさんは 元気がよくて、可愛いが もちいとまともに 生きてみなはれ 」
みんな大笑い。本人も苦笑い。
センセ、それは認める。でも、今いちばん笑うたSのことも歌うてやって!
S、ええんか?ええよー。で、また枠を作ってー
「 Sくんは きちんと出席しなければ 3年卒業 まじあぶないで 」
Mが大笑い。
やっぱし、昔の人はすぐ歌を作れるんや?
なんや、おれは昔いうても昭和生まれやで。
昭和いうたら昔やん?アタシ平成の前は全然知らんもん!
あ、あんたやな?中間考査で枕草子の時代を「昭和」と答えてあったんは!?
あ、ばれた!?お前アホやな、江戸時代やろ?とツッこむ周囲。おいおい・・・。
古典の授業を中断、しばし、小学校の社会の時間に移行、歴史の勉強。
Mが今年度4度目の生活指導に引っかかったのはその日の午後でした。
2009年11月23日
「有明や 浅間の霧が 膳を這う 」 これも作者をスコーンと失念。一茶?
早立ちの旅籠の朝食の席に、朝霧が流れ込んでくる・・・爽やかで、美しい秋の句。
ただ一面に 立ち込めた 牧場の朝の 霧の海・・・
昨夜遅く、雨が上がり、晴れ上がり、風は無く、一気に冷え込んで・・・十数メートル先も見えない幻想的な「白い闇」の出現です。嫁ハンはラピュタみたい、と喜んでいました。6時過ぎ、夜勤の息子が帰ってくる。霧も見ないで寝てしまう。朝日が昇ると、あっという間に霧が晴れ始め、雨と違って金剛や二上山の頂から先に姿を見せ始める。またしばらく霧が立ち込め、やがてゆっくり青空が広がる。いい天気になりました。
晴天をよそに考査問題作り。考査は金曜日から。昼前に仕上がったデータをうっかり消してしまい、またやり直し。夕方4時ほぼ仕上がり。窓の外に夕陽に染まり照る山紅葉の二上山。車に飛び乗って走って5時前にはもう山の岩場にかかっていました。登り口は薄暗かったけれど、上がるに連れて夕陽が見えはじめ、それに追い立てられるように登ってゆく。人々は下山中。「馬の背」に着いた頃は丁度日没。誰もいない広場でオレンジ色の空の赤い夕陽を見送って、急いで下りる。紅葉はほとんど終わっていましたが、秋錆びていい風情の山道でした。、帰宅したら5時40分。歩数も3000歩ほど。私にとって、手軽で美しくて登りやすい、いい山です。
山麓のグリーンロードを走っていると、南河内平野は既に夕霧に包まれ始めていました。
今朝の新聞の山崎正和さんの文章に共鳴。大学生の基礎学力の低下、工学部で分数が出来ず、文化系で常用漢字が書けない・・・義務教育の完了さえ果たされていない一方で、学歴を高くしようとする趨勢はさらに強まる。
公立高校の授業料無料化(私学への補助も含め)はこれに拍車をかける。意欲と努力を要した進学が、いつの間にか社会の惰性になっているー勉強したいからでなく、みんながゆくから高校へ進む。義務教育には落第など学力を確認する関所はなく、学校へ行かなくても卒業でき、どんな成績でも選びさえしなければ、どこかに入れる。起こったことは、人生のモラトリアムの長期化、得意な科目がなく、とくに「出来ること」もなく、したがって「何をしたいかわからない」。
人間はなにか出来ることがあって、初めてしたいことがみつかる。学力不足は目的意識の喪失に繋がる・・・基本は「読み、書き、算術」まったく。その通り!!!
最近読んだ本
「夕しぐれ」 杉本 章子
深川では、置屋のことを子供屋といい、女郎を子供という。子供には二通りあって、女郎屋に抱えられているのが伏玉(ふせだま)、子供屋に抱えられていて料理茶屋や船宿で客をとる妓を呼び出しという・・・江戸の風習も深い・・・もと花魁で、引かされて、その旦那を亡くし、今は気楽に子供屋のおかみをしている「おけい」が若い愛人を殺した・・・何故?おけいは愛人の心変わりを言うが、恵まれた彼女が今更・・・そこには微妙な女心が潜んでいた。ちょっと重い後味です。でも微妙に深い。
2009年11月22日
「 我一語 彼一語 秋深みかも」
作者を失念しました。親しい仲だからこそ言葉が途切れても安心、ということありますね。ぼつりぽつり語り合うのもいい。
スーパーへ買い物に行ったら、駐車場近くの広場に人だかりが・・・。そんなのを見逃す我々夫婦ではない。覗いてみたら、近くの作業所のバザー。ほとんど婦人服ばかりだけど、一点100円というのがいい。中にはブランド品も交じっている。結局ブレザーなど4点、嫁ハンが買い上げ。さっそく着ています。私も近年着ている服はほとんどユニクロとバザー。文房具などもほとんど百均。その分、どこかで粗末にしていないか?使い捨て、無くなっても、汚してもいいや、みたいな感覚が染み付いてくるのが怖いと思います。自戒しよう。
と、言いつつ、自分が主宰する職員バザーは来週に迫ってきました。帰省して発掘してきたウイスキーや母が整理している小物を出すつもり。琵琶湖湖北の実家に住む人がいなくなったという同僚も、先日、もう使うこともないからと、食器などを運んで来て提供してくれました。立派なもの。でも、たしかに、家で冠婚葬祭で大人数を呼んで宴会ということを,もうすることはないでしょう。
雨の日曜の午後。来週の嫁ハンのライブの最終打ち合わせに付き合って、太子町の「サントル・ドゥ・ビラージュ」ヘ。ここの高島パティシエが近年続いて洋菓子の賞を受けて、一層注目されていますが、もともとパンやパスタがおいしい店。ペア・ランチ、2700円でセット(スープ・サラダ・パスタ・ピザ・デザート。ドリンク付き)はお得感。
28日のディナーライブはあと残席10程。よろしければ・・・。
考査問題がなんとか形がついて、夜は松原の友人宅でホームパ−ティ。おいしい蠣をいただく。酒は「黒霧島」と「四万十川」。
問題明日には仕上げよう。
最近読んだ作品
「いとま申して」 北村 薫
直木賞受賞第1作。「からたちの垣根はなつかしい」。「私」の回想。生前に私に辞世を残した変わった父。教員だった父の日記から、その不思議な生涯に迫ってゆく。これからの展開が期待されます。日記の中で父の友がいう「芸術家は寄生虫だ」。父は意義を唱える「おれは人生を輝かす花だと思うが」・・・大正13年の2月の記述です。
2009年11月20日
「 シャンソンに 名曲のあり 落ち葉掃く 」
新聞俳壇から 新城市 山口さん
「枯葉」のことを歌っているのでしょうね。イヴ・モンタンよりも、コラ・ヴォケールの歌がいい。わたしは「枯葉」へのオマージュとしての「枯葉に寄せて」(原題「プレヴェールに捧ぐ」)が好きです。
田 英夫さんも亡くなられたのですね。気鋭のキャスター、論客でした。政治家としてどうだったのか・・・。年月の過ぎゆくのを感じます。
「新日本紀行」「日曜名作座」のテーマソングを聴くとジーンと胸を締め付けられます。日本人の琴線に触れるメロディなのかもしれません。
森繁久弥さんが亡くなって、この一週間はNHKラジオの深夜放送はその追悼番組として「日曜名作座」のリバイバル放送。昨夜はその最終回で藤沢周平の作品。最晩年の作品で口跡も怪しいですが、加藤道子さんとの二人芝居の息はぴったり。さすがに引き込まれました。古関祐二さんの音楽もすばらしい。古関さん亡き後は池辺晋一郎さん。
巡り会った古い友人に誘われて、近所のカフェに行きました。2ヶ月に一度、ここは「歌声喫茶」に変身。40年前に行った新宿の「カチューシャ」や「灯」を想い出して歌いました。最近、歌声喫茶が復活しているのですね。思いがけない知り合いがいろいろいて、驚きました。また、新しい人間関係が始まります。
最近読んだ本
「わたし三昧」 落合恵子
尾崎翠について
明治生まれ。鳥取出身の作家。日本女子大に在学中、作品を発表したことから退学になる。35歳で頭痛薬の中毒で故郷に連れ戻され、その後行方不明、友人の林芙美子の漏らした「亡くなった」という言葉が一人歩きしていたが、72歳の時、本の再録がきっかけで鳥取で生きていることがわかった。しかし刊行の前に死去。
彼女の存在、知りませんでした。残された詩もいい。近年再評価。35才以後の人生が気になります。それにしても、林芙美子の発言は不用意?です。
2009年11月19日
「 寒くないかい 寂しくないかい 歌壇でしか 会えぬあなたの しばしの不在 」
朝日歌壇から 横浜市 井村さん
もう3週間余り、投稿がないという(選ばれないのではなかったんだ)、ホームレス公田耕一さんを案ずるこの歌(毎週この内容の歌が数十通届くらしい)が3席に選ばれています。たくさんの人が心配してはるんだ。アメリカの刑務所の郷隼人さんも気になります。
うっかりペットボトル2本を持って出勤する(いつもは1本)。わずか500oリットル2本が重い。普段腹周りにたっぷり重りを付けていいるのに・・・。改めて反省。明日は同僚とやっているダイエット競争の月1回の計量日。これがせめてもの防波堤になっています。やはり10キロは落とすべし。がんばろう。
最近印象に残った言葉
友人から教わった言葉、紅葉は「もみづ」という古語から来ている。そういえば高校時代に池田先生にそう教わったわー。ダ行上二段の動詞。万葉の歌人は、秋の山に向かって「もみぢよ!」(紅葉せよ!)と叫んだりしたのでしょうか?額田王なんて似合うでしょうね。
文藝春秋編集長だった池島信平さんの言葉
「人生ってものは、敵が千人で味方が千人なんです。敵の千人が減ることは絶対にない。とすれば、味方の千人が減らないようにするしかないのです。よほど嫌ならともかく、我慢できることだったらウンと言うのです」
人生の残り時間は減ってきているのに、我慢することが出来なくなってきています(苦笑)。
最近読んだ本
「わたし三昧」 落合恵子
カレン・カーペンターの死について述べたレイ・コールマン(『メロディメーカー』の元編集長)の言葉
「ダイエットヘの行き過ぎた執着だろうか?注目を集めたいと願う心か?管理について何か言いたいという欲求か?母親に『より優れている』として扱われる兄と同等の注目を浴びたいという平等意識か?」
カレンさん、本当に惜しい人でした。閑話休題、最近、大阪で弘田美枝子さんのライブを聴いたという人の話。整形のやりすぎで、細くて、表情がなく、口の動きも不自然だったとか。健康的で歌のうまい人だったのに・・・。美しくありたい気持ちはわかりますが、歌唱力もあるのに、そこまでビジュアルに拘るかなあ。これは男の想像を超える世界なのかもしれません。
2009年11月18日
「 あなたなる 夜雨の葛の あなたかな 」 芝 不器男
好きな句です。舞台は仙台。あるかかなたの夜雨の葛の山野、そしてさらにさらに彼方に、作者の故郷の愛媛の山野がある。イメージが時空を超えてゆく。望郷の思いは更に。
最近の失敗。昨日朝、地下鉄で本を読んでいて、八尾南まで乗り過ごしてしまいました。これは一年ぶり。
最近よかったこと。無愛想な地下鉄阿部野橋の駅員さんが、半年かかってやっと挨拶を返してくれるようになった。半分諦めて,こちらもいい加減に挨拶していたのですが、きちんと顔を見て声を掛け続けるのがポイントでした。いい気持ち(ちょっとしつこかった?)。
故郷の家のことが気になります。この秋は蜘蛛が異常発生。庭木や前栽に目一杯張りまくっています。蜘蛛は嫌いじゃないし、きれいに張った巣は芸術的だとも思うけれど、今年はひどすぎました。高い石垣の上のわが家は蜘蛛の巣に包囲されている。両親がいくら払ってもすぐ張ってしまうのだそうです。
「母さん、これでは『蜘蛛の巣城』ではないかいな?」
「じゃ、わたしは主殺しをそそのかすマクベス夫人かいね?」ご機嫌斜めの母。
「いや、その、マクベス夫人って山田五十鈴さんはじめ、美人の演技派女優が演ることになっているんやで」と誤魔化して、毎朝せっせと長い竹箒で家の周囲の巣を払いまくっていたのです。
でも、もう帰省から9日。また巣がいっぱい張られていることでしょう。
こんなことを書くと、自慢めいて聞こえて、田舎に広い家と庭があっていいねえ、と言われる方もあるのですが、都会ならともかく、限界集落の中で、それを維持することはめちゃ大変なことでもあるのです。それに、幸せなことに?われわれの村はほとんど同じような規模の家の集まりなのです(のどかで温暖な伊豫なればこそ)。したがって、田畑、家屋維持の悩みも同じわけですが・・・(苦笑)。
「わたし三昧」 落合恵子
古今の著名女性の言葉を引き合いに、その生き方、もちろんジェンダーに言及しつつ話は進む。
今度はキャサリン・ヘプバーンと同世代で、かつ、対照的な女性ー。
マリリン・モンローの言葉から
成功した後「もう、これで嫌な男と寝なくていのね」(本当はもっと露骨な表現)
「みんなわたしに会いたがるわ。そんな今でも、だれも見向きもしなかった頃を憶えているの。小さな下働きのノーマ・ジーン。今、私を求めてくる人たちにひどいことをすると、奇妙に満たされた気分になるの」
「・・・どうか私を笑いものにしないで。私は土台のない建築物の持ち主みたいだけど、今土台を作っているのよ」
頭の薄いブロンド美女の役割を演じさせられアイドルになって、でも、焦ってアクターズ・スタジオで必死で演技を磨こうとする、だが世間は彼女に演技力など求めない、そして、壊れてゆく・・・痛ましい。
2009年11月17日
「見上げても 登りてみても 空の中に 伯耆の国を 統(す)べる大山 」
新聞歌壇から 相生市 後藤さん
本当にいい山でした。報告さぼっています。すみません。
もうひとつ報告洩れ。檀家の老婦人が亡くなり、残されて、飼い主を探していた子猫。やはり見つからず、結局、お寺が引き取ることになりました。でも、すでに14匹いるとか。ねこの世界にもいろいろあるらしく、うまく馴染めるか友人は心配しています。まさに「キャッツ」の世界ですね。案外、ジェリクル・キャッツニなったりして・・・。
まだ、報告洩れがあるようで不安。また、ご指摘ください。
自分死後の、ペットや観葉植物など気を付けなければいけませんね。ある友人は、お父さんの残したすごい盆栽(数百万の値打ちだったとか)を半年ですべて枯らしたそうです。
文化フェスティバルで思ったこと。屋外のステージで2時間余りの公演あり。職員バンド(校長も参加)生徒のダンスやバンド演奏・・・結構盛り上がったのですが。リハーサルからクレーム、クレーム。近隣の住民の方ですが、そのエキセントリックな様に辟易。確かにご迷惑はわかります(一応、貼り紙やチラシは入れて廻っています)が、年に一度の数時間くらい見逃してくれてもいいとおもうのですが・・・。
クレームは頭越しに教育委員会や警察にも行っていました。一生懸命準備しているスタッフがその対応に追われているのは気の毒(私もそのひとりですが・・・)。
故郷の母のことがしきりに気になります。でも、思い出せば、身辺整理を始めたといっても、ほとんど処分はせず、まとめたり、移動したりしているだけでした。これは衰え?それともまだ頑張る気?来月早めに帰省しよとうと思います。
あ、近々の嫁ハンのディナーライブも紹介させてください。こんどは地元、家の近くです。
11月28日(土) ディナー 17時30分から
ライブ 19時から
南河内郡太子町307
お食事「サントル・ドゥ・ヴィラージュ」 п@0721−98−5865
ライブ「蘭」
ディナー付き 8,500円 ライブのみ 4,000円 です。
お問い合わせ、お申し込みは、このHPの返信メールでもいいですが
嫁ハンの電話 072−946−1414
携帯 090−3705−3723 までよろしくおねがいます。
ワンウーマンライブでたっぷり唱います。私もアッシー君に駆り出されそう・・・(苦笑)。
函館の市場の兄ちゃんの言葉
「イカは釣りたてより、あえて1時間冷蔵庫に寝かしたほうがおいしい」ー知らなかった!
最近読んだ本
「わたし三昧」 落合恵子
キャサリン・ヘプバーンが母から受けた教え
「屈服してはいけない。『自立』することが唯一の解決。女は男と同じ価値を持っている。前へ進め。みずからの道を切り開け」
1920年代に親からこんなことを教わった女性は幸せです。
彼女自身の言葉
「どんな人間の中にも、引き出されて使われるのを待っている素質がある」
2009年11月16日(月)
「 声までも 紅葉に染まり 戻りけり 」 新聞俳壇 旭川市 大塚さん
昨日、義母は信貴山に吟行に出掛け、見事だったと申しておりました。
近畿は見頃ですが、これは2週間前の投句。今頃、旭川はもう吹雪でしょう。明日は一気に寒波が来そう。
土曜は朝から荒れ模様。元同僚のお嬢さんの結婚式だったので気になっていました。嫁ハンのライブも午後あって(お疲れ気味の私はパス)「今までワタシのライブで雨が降ったコトがない」と豪語する嫁ハンの言葉を疑っていたら、午後からきっちり晴れる。よかったよかった。でも「花嫁の父」は時雨れていたことでしょう。
2ヶ月振りに歯科の定期検診へ。いつもの医院なのに行き過ぎそうになる。あれ?隣の豪邸がすっかり無くなっているのです。大きな2本の桜の木の枝が道を覆っていたのに・・・。300坪くらいの更地になっていて、おそらくマンションでも建つのしょう。歯医者通いの楽しみがひとつ減りました。次回は2月の中旬。「よいお年を」と挨拶して気づき、帰りに百均で来年のカレンダーを買って帰り、ハサミで裁いて自分仕用の一年カレンダーに仕上げ、診察日を書き込む。これで来年の予定2つ。もう鬼も笑いません。
夕方、友人と太子温泉の露天風呂で落ち合う。目の前の木立がライトアップされているのが余計。湯上がり蒜山ヨーグルトとアイスクリーム。贅沢ついでに車を飛ばして河南町に3月に出来たイタリアンへ。ちょっと冷えた体に「鍋スパゲッティ」がおいしい。これはお薦めです。二人ともストレス満載だったので、喋って食べて(ノンアルコールビール2本)、しっかり気分転換できました。
日曜10時、「顔見世」の前半分のチケット発売日。インターネットと電話2台で掛けまくって、午後になってやっとチケット3枚ゲット。今年は片岡仁左衛門の助六に、玉三郎の揚巻という豪華な舞台なので、より盛り上がっているようです。それにしても、実際は「松竹友の会」の先行予約(1日早い)で、ほとんど抑えられているようなのです。悔しいけれど、ここで怒っても始まらない、いっそ「松竹友の会」(年会費2千円余)に入っては?という嫁ハンの意見に揺れています。
最近心に残った言葉
「若者の悲しみと老人の悲しみの違いは、こうだ。若者の重荷は誰かと分かち持てばそれだけ軽なるが、老人はどんなに人に分け与えても、同じ悲しみが残るのだ」ーO・ヘンリー「伯爵と結婚式の客」より
最近読んだ本
「美の旅人」 伊集院 静
フランス美術館巡りをして、好きな作品について語るという、うらやましい企画本。私も気になっていた作品、「浴槽のふたりの貴婦人」に触れているのがうれしい。赤い布地のカーテンの囲まれた浴槽に立つふたりの上半身裸の美女。左の女女性は左手で右の女性の乳首を掴み、右の女性は左手に指輪を掴む・・・。
フンテーヌブロー派の名作と言われていますが、謎に満ちている。右の女性はアンリ世のの愛人、ガブリエル・デストレと言われ、乳首を強調するのは妊娠を表しているといのですが・・・。面白い。
「私は百歳」 小林清子
「ここ一ヶ月近く大切なものがなくなる。大事な大事な老眼鏡が紛失した。私が大切にどこかに仕舞い込むのであろうか。物忘れのひどくなった私なので人を疑うことはできまいと思いつつも、そちらの方へも心が動く」
「ある会費をいつか払ったので、その領収書があるはずと探し始めた。そのうち探しているものが何かわからなくなった。それでも探し出せばわかるとなおも探したが、余計わからなくなった。本当にわからなくなったのはこれが初めてのような気がする」
作者は元女医さん。老いてゆく自分をきちんと記録してはります。わかっていても、人を疑ってしまうのが切ない。歳を取るのが怖くなりました。
ゆく人
大浦みずきさん(元タカラヅカ花組トップスター、肺癌、53才)
肺癌で治療中とは聞いていました。でも、こんなに早いとは・・・。トップお披露目公演もサヨナラ公演も見ました。嫁ハンが大ファン。歴代トップの中でもダンスでは群を抜いていました。軽やかで品があって。
彼女がトップの時は「ダンスの花組」の絶頂期。二番手に安寿ミラ、3番手に真矢ミキその他愛華ミレ(彼女だけはずっと花組)、紫吹じゅん、真琴つばさ、・・と後に他の組に移籍してトップスターになった若手スターがそれこそきら星のごとく集まっていて壮観でした。それら後輩の力を引き揚げたのも大浦みずき(なつめさん)のカリスマ性でした。
10年程前に東京日生劇場(「ガイズ・アンド・ドールズ」ノブロードウエィキャストの公演)のロビーでお見かけして、失礼ながら声掛けて、嫁ハンのためにサインをいただいたことがあります。
退団後はミュージカルで活躍してはりました・・・でも、すばらしい舞台をいくつか残して美しいイメージのまま消えるのも、これはこれで幸せな在り方かも。ベルバラのフェルゼン編のフィナーレの圧倒的存在感、「ジャンクション25」「ザ・フラッシュ」のきれのいいダンス、忘れません。
ただひとつの瞳、ただひとつの声、ただひとつの魂と
私の命は結ばれたのだ・・・
振り向けば心の荒野に やさしく微笑む愛の面影
振り向けば心の荒野に やさしく微笑む愛の面影
(フェルゼン編の大浦みずきさんの為のオリジナル曲から)
2009年11月14日
「 不夜城の 空に流星 ひとつなし 」 新聞俳壇から 東京都 青柳さん
都会の空のしらじらしさ。偶に故郷の夜空を見ると、美しいというより恐怖に駆られることがあります。
またまた慌ただしい一週間でした。あちこちからご心配いただいているので、なんとか更新をしなければ。
その前に人の心配も。お問い合わせがあった、馬に腕を噛まれた友人の具合ですが、芳しくないようで、やはり膿んで腫れて、完治に半年くらいかかるとか。幼いとき左腕を飼い馬に噛まれた私も、長い間傷跡が残っていた記憶があります。友人はそれでもカヌーをし、休日は登山部員を連れて山に登り、嫁ハンのライブにも顔を出してくれて・・・めちゃ元気なやつではあります。皆様も馬にご注意。
故郷では農耕馬はほとんど姿を消し、秋祭りの(「お供馬」という行事で少年が馬に乗って長い参道を駆け上がる・・NHKニュースでも毎年全国放送されます)為にボランティアで飼っている農家が数十軒のみ。
でも、近くの野間地区に日本の古来種「野間馬」(のまうまーちいさくて可愛い)の保存のための飼育牧場があり、故郷の人々にとって今でも馬は身近な動物です。
その馬の美しい目をアイスピックで突いた少年を描いた演劇「エクウス」。30年前に青年俳優市村正親さんの熱演で今は無きサンケイホールで見ました。馬の役も新人、滝田榮さんでした。
昨年からウエストエンド、ブロードウェイで再演された「エクウス」の主役、ダニエル・ラドクリフ君に大麻吸引容疑、
彼がシリーズ通して主演して最終作を残している「ハリー・ポッター」はどうなるのでしょう?
市村容疑者逮捕。その数日前に南港のあのフェリー乗り場の待合室にいた私。惜しいことをした。逮捕劇を見たかったなあ。でも、息子によると、千葉県警が威信をかけて大挙来阪、府警の出番はあまりなかったそうです。そういえば、強引ともいえる深夜の新幹線による逮捕当日の護送でした。
ゆく人
森繁久弥さん死去。96才老衰。奥様、御長男、そして、加藤大介、三木のり平、山茶花究、加藤道子すでになし。長寿はめでたいことなのでしょうが、それは長寿が珍しかった時代の話なのでしょうか。長寿が当たり前になり、100才以上が数万人いる現代。老齢を生きることの、死ぬことの難しさ。
大阪の匂いはしないけれど、大阪出身。でも、やはり代表作「夫婦善哉」の大阪弁の見事さは訓練以前のものがあったのでしょう。喜劇人としてあちゃらか演技もするがシリアスな性格俳優でもあることができる。その道を切り開き、伴淳三郎や藤田まことが後に続きました。
あの唄い方は好きではありませんでした。「屋根の上のバイオリン弾き」も、ユダヤの哀しみより、ぐっと家族の物語に引きつけて描いています。主題歌の「サンライズ・サンセット」は好きでした。
インフルエンザで延期になった文化フェスティバル。いろいろあって、複雑な思いもありますが、私は24Hマラソンと模擬店バザーに関わって、普段だらだらしていた生徒もよく動いて、それなりの達成感がありました。
忙しい間を縫って、17日の夕刻、奈良国立博物館の第61回「正倉院展」へ。閉館間際、急な雨という好条件?に恵まれ、今までになくゆっくり拝観できました。琵琶、螺鈿をちりばめた鏡の美しさ。木工作品の端正さと品。光明皇后の真筆もスゴイ。でも、今年、心に残ったのは拝観者の顔顔。クラブ帰りの高校生も含めて、知的好奇心に溢れている。こんな世界もあるんだ。まだ、日本は大丈夫・・・?
最近読んだ本
「六番目の小夜子」 恩田 陸
上の息子の残していった本の中から発見。
「恩田陸、伝説のデビュー作」と言われるのは92年ノファンタジーノベル大賞の候補になり酷評されて落選、でも文庫になり、すぐに絶版に生った故と、作者自身の後書きで知りました。
大幅加筆して2000年に復活したのは、根強いファンの口コミのたまもの。
確かに固くて、展開も結末も甘いけれど、ここには今人気の恩田作品のエッセンスすべてが入っています。
地方都市の進学高校を舞台に、青春のきらめき危うさがユーモアを交えて描かれるホラー。高校に十数年に渡って語り継がれるゲーム、それは「サヨコ」と呼ばれる生徒が見えない手で選ばれることで続いてくる。そして今年、謎の美しい転校生「沙世子」が現れて・・・。そのクライマックスは学園祭で行われる不思議な演劇・・・。
受賞しなかったのも絶版になったのもわかります。でも恩田ファンにはたまらなく貴重なものでしょう。
2009年11月9日
「行く我に とどまる汝に 秋二つ 」 正岡子規
東京へ行く愛媛生まれの子規、愛媛にとどまる東京生まれの漱石。二つの人生が交叉した明治の松山の秋。
源氏物語の異本?の一部発見の知らせを背に帰省。愛媛ではじっくり新聞を(もちろん本も)読む時間はなく、ちらっと見た愛媛新聞の一面に山頭火の大量遺品発見とあったのですが、句まで憶えられませんでした。たしかうどんを食べて母を思うというような句でしたっけ。新聞の3面の下に大きく釣り情報があるのも四国ならではです。
思い立っての急な帰省。でも母曰く「絶妙のタイミング」だったようで、好天にも恵まれ、庭仕事、柿、スダチ、檸檬の収穫、親戚のおばさんの見舞い、墓参りなど盛りだくさんの週末でした。友人Nにも彼の透析の合間を縫って、2度会いました。小学校の同級生、Hくんの肝臓癌で亡くなったというニュースはショックでした。奥さんも先年亡くなられていたとか。子どもさんは?
母は会うたびに足が悪くなっていて、今回の親戚の見舞いも車椅子を利用してやっとでした。
これまで一緒に行っていた楽しみの買い物も私ひとりで。でも、隣町のスーパーもすっかり手の内に入ってきました。
そこの側にあるホームセンターで母に頼まれた整理棚やケースを購入。この秋から身辺整理を始めていて、書類や衣類をまとめているようです。でもなかなか処分が進まないようで、まだ母の部屋の半分くらい。この分ならあと4,5年かかりそうです(笑)。
父も止めていた(止められていた)日本酒をまた始めていて、少し太っている。顔色はいい。ええことなんか、どうか?とって置きの梅錦で父子で乾杯。
まあ賑やかに動いて、渇を入れたつもりですが、これから冬に向かう山里は寂しい。心配は尽きません。いつも家の下の橋まで見送ってくれる母が、足が進まなくて、門で別れました。
丸一日間は樹上で剪定をしていたので、今日は足のあちこちが突っ張って、痛くてたまりません。普段使わない筋肉を使ったのでしょう。山の頂から紅葉が始まっていました。見る人も少ないけれど。これからが見頃です。帰阪のフェリーは京都紅葉ツアーのバス客が大勢乗っていて賑やかでした。
こちらへ帰ると、ニュースは島根県の女子大生の切断遺体発見やら、整形して逃亡の殺人犯やら、アメリカの銃乱射やら、保険金殺人やらなんと暗いニュースばかり。あ、松井のMVP、巨人の日本一もありました。原監督は運も強い人ですね。
実家を出る直前に今釣れたからと魚をどっと放り込んでくれた父の友人。そのまま氷を詰めて運んで来て、嫁ハンに捌いてもらいました(私は全然ダメ)。魚は鰤(ぶり)一匹と小鰺(あこじ)30匹。今夜は父にもらった日本酒でひとり乾杯です。
2009年11月5日
依稀たる暮色 月は草を離れ
錯落たる秋声 風は林に在り
眼耳双つながら忘れて身も亦た失い
空中に独り唱う 白雲の吟
生涯に二百六作った漱石の漢詩の最後の作品の最後の部分。これを唱って二日後に死の床に就きました。
人の問いかけに応えてくれるのは、自然だけなのかもしれません。その中に身を委ねてゆくのが本来の在り方なのでしょうが・・・。
やはり晴れた文化の日。友人は早朝から曽爾高原へ薄を見に行くとか。私は午前はゆっくりして、午後から大阪市内へ。友人の彫刻家、堀さんの靫公園での展示の最終日。木漏れ日の中に横たわった白い像は安らぎを感じさせるできばえ。最近の彼の作品、安定している。その近くもH氏の作品は美しくまとまっているが元気なし。ご病気と聞いたけれど・・・。
バラ園に廻る。今年は白い薔薇が美しい。テニスコートのおっちゃん、おばちゃんのプレーを少し眺める。みんなウマイ!運動しなくっちゃ、と思い直し、地下鉄を捨てて、上六まで歩く。約一万歩。いくつかの通りを抜け、松屋町、高津の宮周辺の古い街並み、空堀商店街・・・ハイハイタウンにたどり着いて、地下の立ち飲みでぬる燗二杯呑んで、谷九のギャラリー「SOHO」へ。堀さんが迎えてくれる。彼と仲間のグループ展のオープニングパーティです。
「浮遊」がテーマでそれぞれの個性が生かされた展示の仕方。堀さんの小品を天井から吊ったアイデアがいい。シタールとサックスの演奏が小一時間。気持ちよく寝てました(苦笑)。ビールとワインをいただいて、歓談して、二次会は失礼してさっと帰る。私も年取ったものです(苦笑)。
インフルエンザの大波がとうとう我が校にも押し寄せて、昨日から休校に。連絡やら、伸びた講演会や文化祭の段取りやらでてんやわんやでしたが、やっと一段落。思い切ってこれから帰省します。八十九才の両親が待ってくれています。来週末に帰るつもりでしたが、前倒しにしました。
愛媛では昔は「行ってきます」と言わないで、「行って帰ってきます」と言いました。正確な表現ですね(笑)。外界は、世間は戦場。無事の帰還を誓ったのでしょう。まして旅は・・・。
月曜朝に帰阪の予定です。10時半のフェリーの2等寝台が取れました。では、行って帰ってきます。
最近読んだ本
「風景は涙にゆすれ」 井上 ひさし
この人の広く深い好奇心。ものすごい読書量。江戸の戯作から宮沢賢治(これは作者と同郷)、龍之介、清張、北杜夫まで語って、その人を捕らえつつ自分を語り、人間の強く、また弱く深い部分まで迫る。まさに言葉の錬金術師です。この人の視点は基本的に温かい。直木賞の選評も、批評しながら育ててゆこう、いいとこを見つけて褒めて、伸ばしてやろうという目を感じます。
2009年11月1日
「病む母へ 三味線草を 押し花として お見舞いの カードを贈らむ 」
朝日歌壇から アメリカ 郷 隼人 さん
見舞いにも、慰めの花も贈れない終身刑の身の作者。高齢の母も、息子も切ない。
それにしても、ホームレスの公田さん、この数週間採用歌なし。心配。
昨日の美しい黄葉が夢のようです。日曜は早朝座禅、そして、午後からきっちり雨になりました。
小さなコトを思い出す。昨日の天の川温泉。透き通ってつるつるした泉質。その為か斜めに差し込んで来る日射しに、露天風呂の湯の表面に浮いた垢がよく見える。掛け流しなので湯は浴槽の端から落ちてゆくのですが、次々自分たちの体からまた舞い上がってくる、それをみんなで手で押し流してゆく。明るい露天風呂ならではの光景で、不潔感は感じませんでした。
今日読んだ本
「 終の住処 」 磯崎 憲一郎
第141回芥川賞受賞作。会社員の男の数十年を時間を自在に操りながら描く。何ヶ月も続く満月、そして夕日が彩り。夕日を見ながら猛烈な睡魔に襲われる主人公。
「年を取るにつれて夕日を見るのが好きになることと、同じ夕日の時間に眠くなることとは、比例して強まっていくようだったが、それは恐らく、遙かな向こうからゆっくりと近づいてくる死とも無関係ではないように思われた」
結婚当初からぎくしゃくしてしている主人公夫婦。子どもが出来てちょっと落ち着くが、ある日を境に口をきかなくなる。
「次に妻が彼と話したのは、それから11年後だった」
時間の不可逆性を丁寧に描いているのです。それだけ過去を肯定できる人生、人間はある面すごく幸せだろうと思われます。前ばっかりみている(後ろを見る余裕がない)私にはちょっとうらやましい気もします。
作者は44才、三井物産次長。早稲田のボート部出身、いい意味での健康的なエリート臭があります。
正直、思い入れは出来ませんでしたが、小説の試みとしては面白い。選評も面白く読みましたが、全体的にきつい。他の候補作に対して「飽きちゃった」「説得力ゼロ」(山田詠美さん)など言いたい放題。きらいなおっちゃんですが石原慎太郎氏の受賞作についての「題名がいかにも安易」には賛成、「結婚という人間の人生のある意味での虚構のむなしさとアンニュイを描いている」という点には半分賛成。