Kan-Kan の雑記帳



2009年3月31日
 
  「 春の鳥 な鳴きそ鳴きそ あかあかと 外の面の草に 日の入る夕 」   北原白秋
 
 「な・・・そ」は古典文法の定番「禁止の構文」です。「鳴くなよ」と鳥(おそらく鶯)に呼びかけています。私も泣きたくなる・・・「春愁」ですね。万葉集の家持の同じ着想の歌に対するオマージュでもあります。

 すでに新番組が始まったところもありますが、次々去ってゆくキャスターやレギュラーメンバーの挨拶にもこころ動きます。笑顔、涙・・・ラジオのお天気キャスターで、4月から丹波でイタリアンレストランのホール係に転進するという人もいました。それぞれの人生を生きるために、それぞれの場所に散ってゆきます。

 テレビ・ラジオでこれですから、まして苦楽を共にした職場の仲間との別れは切なくつらい。定年退職の人、早期退職して親の介護に当たる方、他校へ転勤してゆく人、片付け、引越し、挨拶、そして送別の宴・・・こころさわぐ日々が続きましたが、今日で一区切りです。

わたしも昨日で生徒の出入りを確認して指導要録に最終記入。20年度は終わり。今日はゆっくり新学期の教材準備と4月半ばの避難訓練の書類作りをしました。明日から新しく新転任の方々を迎えて、会議も目白押し、また忙しい日々が始まります。

このところ由緒ある建物の不審火が多い。今度は京都「白沙村荘」の茶室が焼けました。

5年ほど前に友人達と訪れた時の話。庭を眺めながらわいわい言っていると、後ろから声を掛けられる、うるさかったかな、ごめんなさい、と振り会えると。京都テレビの撮影クルーです、モデルになって下さいと言われる。もちろんOKよん、と応えると、前からでなく庭を眺める後ろ姿の撮影でした(笑)。

相次ぐ火事は不気味だし、こわいなあ。古い木造建築は簡単に消えてしまいます。急ぎ対策を・・・。

最近読んだ本

「雁と雁の子」  父ー水上勉との日々  窪島 誠一郎

父、水上勉からの視点の文章は読みましたが、息子からの文章は始めて。窪島さんは水上勉22才の時の、同棲相手との間に生まれた息子。病気と貧困の中で養子にやられ、その後の大空襲で消息が途絶える。戦後30余年。息子は思春期から自分の父親を捜し始め、20年目に探し当てた相手が有名作家だった(当時村上氏58才、2度の結婚で娘ふたりあり、二人目の娘さんは生まれながらの重度の障害者というのはよく知られた話です)・・・その驚き、戸惑いはその後の27年間を覆い、養父母、実母、水上勉の死を経て、改めて思いをやや客観的に綴り出す。

出会った時、窪島さんはすでに結婚して家庭を持ち、画廊経営者として、小劇場オーナーとして活躍していた。住まいは偶然、水上家の近所。窪島さんの幼い娘さんが道に迷って、水上邸に迷い込んで、お手伝いさんが送って来てくれたこともあったらしい。

雑誌「芸術新潮」で表裏のページでエッセイを書いたこともあったとか。なんという巡り合わせ。

探されたのではなくて、探し当てたという「後ろめたさ」、劇的な対面後、名乗り出てきた実母に対する冷たさ、養父母への感謝と屈折した思い・・・そして窪島さんが作った戦没画学生の遺作を集めた「無言館」が、逆に水上さんを刺激して「若州一滴文庫」を作ってゆく。その父子の思いと微妙な距離を置いた交流。

なんとドラマチックな半生。63才、これから初めて自立の道を行くという気持ち、わかるように思いますが、とにかくすごい。

2009年3月30日
 
 「 桜ほど 酒喰(くら)う樹は なかりけり 」  雪腸
 
 花見は好き(もちろん日本酒付き)ですが、落花狼藉の大騒ぎはきらい。特にカラオケ、バーベキューは止めて欲しいと思っています。
 
 先日書いた件、結局こちらから今朝、また電話して、やっと退学届けを持ってきました。年度末に間に合いました。3時に来ると言ったけれど、4時に。もう怒りもなく、これからの人生どうするのだろうと、心配しつつ、おせっかいながら高卒検定の資料を渡し、桜咲く玄関まで見送りました。
 
 授業料を払えないで、退学も出来ないで年度を超える者が2名います。新学期になると、また授業料が加わってゆきます。月、約一万円ですが・・・。
 
WBC騒動遺聞
 
甲子園で観客がワンセグで日韓戦の模様を聞いていた話は書きましたが、今度はテニス仲間の話。
 
 決勝が親戚のお葬式にぶつかってしまった、ところが、告別式の会場でもみんな俯いてケイタイを見ている。更に斎場に向かうマイクロバスの中でイチローが決勝打を打った時は拍手が起こったのだって・・・まったく、もう・・・。亡くなった方が87才と伺ってちょっとだけ安心?しましたが(苦笑)。
 
懐かしい番組
 
 12才、中一の時、毎週NHKで放映される「アンディ・ウイリアムズ・ショー」が楽しみで親に隠れて見ていました(変なやつ)。それがこの春から再放送。ひたすら懐かしい。ちょっと不器用だけど、一生懸命歌って踊って大活躍,そのひたむきさと人柄で当時ファンが多かったのです。私が生まれて初めて買ったレコードも彼のものでした。
 
 ゲストも豪華。サミー・デービス・ジュニア、ダニー・ケイ、ベティ・グレイブル・・・白いロッキングチェアを使って歌い踊るシーンがあったのだけれど、これは当時の大統領だったケネディが流行らせたものだそうです。ケネディは戦傷で背中を痛めていて、その痛みを誤魔化すため揺り椅子を使っていたのだそうです。
 
 準レギュラーだったニュー・クリスティ・ミンストレルズのコーラスをバックに歌う場面、客席内に作られた赤い絨毯を敷いたミニステージで高いスツールに座ってリクエストに応えて歌うコーナーが好きでした。半世紀近く前なのによく憶えているものです。昨夜のおかずの記憶も怪しいのに・・・(苦笑)。

2009年3月29日
 
 「 去りかねて まだ二千羽の 鶴残る 」 暉峻 桐雨
 
 出水市に飛来した鶴です。どんどん北へ帰って行きますが、去りかねているように見える鶴の一群も・・・。人事の季節に読むとまた別の味わいがあります。
 
 死期を踏まえての句と読むと、また別の意味合いも・・・。
 
 花冷えが続きます。
 
早朝、前回「死ぬほど寒かった」という張り込みに出かける下の息子にーーー
 
この前の衣装は?
 
作業服。コーナンで買った。 
 
腹巻き持ってくか?
 
いらん、バカボンのパパちゃうで!
 
背中に貼る、カイロは?
 
いらん、一箇所暖めると、他の箇所が余計寒く感じるねん。
 
ほーか。なら、足裏専用カイロは?
 
いろいろ繰り出してくるなあ。それイタダキ!
 
今度いつ帰る?
 
たぶん、二,三日先、と言って、飛び出して行きました。
 
心配は尽きませんが、仕方ありません。
 
最近読んだ本
 
 「日暮らし」(上)(中)(下) 宮部みゆき
 
 江戸深川のお気楽同心、平四郎と、超美形の甥っ子、弓之助が繰り広げる捕物帖。小さな事件、短編をつなぎ合わせて、やがて大店の秘密、複雑な家族を巡る殺人事件への発展とその真相への接近を丁寧に描きます。
 
 でも、長編ミステリーですが、犯人探しが眼目ではありません、事実、犯人の目星はわたしにも途中でつきました。むしろ、たくさんの登場人物を自在に動かすことによって、人間というもの、現代にも通ずる格差社会の現実を描くことにあったのでしょう。
 
 宮部ワールドの魅力は人物造型の深さ、確かさ。完全懲悪ではなく、どんな人間のこころにも潜む悪や、ふとした弾みで起こる犯罪。それからの復活、癒しがこの作品のテーマでしょう。
 
 夢を見ることは大事だが、「本当の幸福はファンダジーの中には存在しない」、その日その日の凡庸な生活の中にある幸福をしっかり見つめようという作者のあたたかな視線が感じられる佳作です。
 
行く人
 
遠藤 幸雄 さん  (元体操選手 食道癌 72才)
 
  1964年、東京オリンピックの個人総合優勝。それまで体操競技はソ連(現ロシア)の天下だったのです。鞍馬での失敗ははらはらしました。でも美しい演技で、現在のニッポン体操の基礎を作りました。
 
 幼いときに両親を失い、中高と保育院で育ち、周囲の援助で東京教育大(現筑波大)に進学したのだそうです。そんな苦労は感じさせない、穏やかな表情の方でした。
 
 1962年の世界選手権で銀メダル、そのとき女子で同じく銀だったチャスラフスカ(当時チェコスロバキア、いまはチェコ)と2年後の東京オリンピックでの再会と金獲得を誓い合い、それから文通を続けていたと新聞の追悼記事で知りました。
 
藤間 紫 さん ( 舞踊家 女優  85才 )
 
 藤間勘十郎の弟子で奥さんになり、離婚の後、16才下の市川猿之助と再婚。猿之助は浜木綿子(ふたりの息子は、今や名優、香川照之さん)と別れての結婚でした。あれは驚いたなあ。浜木綿子さんの悔しさや如何に。でも、このお二人の女優さん似ている。
 
 プロデューサーとしても女優としても、すごいパワーを持ってはったと思います。猿之助のスーパー歌舞伎も彼女の存在あればこそでした。合掌。
 

2009年3月28日
 
 「 だまされて 来てまことなり 初桜 」 芭蕉
 
 昔見た歌舞伎の舞台で、桜の土手の端にちらっと句碑が見えて、半分しか読めない。気になって調べた記憶があります。いよいよ咲くと思ったら昨日今日の「花冷え」。静心ない季節の到来です。
 
  そして、いよいよ年度末。我がクラスの方向が定まらなかった4名も、なんとか決着がつきそうです。退学したいといいつつ、保護者が認めなかった生徒のひとりも、とうとう保護者が折れました。
 
 3年間で300日を超す欠席。なんとか籍を置いておけば、いつか登校する気になるかもしれない、と願う親の気持ちはよくわかります。でも、その気持ちが子供にはわからない、なんで、やめさせてくれへんねん、と拗ねている。
 
 急がすわけではありませんが、4月に繰り越すと、新たな学年・クラスグループに属し、授業料も払ってもらわなければならない。退学届けが出ない以上、便宜的にクラスに入れて名簿を作り、届けが出る削除できる方向で、届けをしなければなりません。
 
 で、やっと届けを出しますと聞いてからもう数週間。例によって行きますと言いつつ、来ない。催促するのも辛くなりました。そして、あと2日。31日に間に合うだろうか。
 
 28日、午後から年休取って甲子園に母校の応援に行こうかと思ったけれど、はやり心配で止めて(試合結果は大敗ー苦笑)学校待機。転学希望の生徒の受験校の合格発表だったのです。午後1時5分、受かってたよ、というメール。ちゃんと見にいってたんだ。早速、預かっていた転退学届けの退の字を消して提出。指導要録を再度引っ張り出して、追記。ちょっと気分が明るくなる。「めちゃうれしい、ありがとう」というメールが改めて届く。
 
 夕刻、他グループだけれど、生活指導で関わっていた生徒の家にチューター(担任)と一緒に家庭訪問。母ひとり子ひとりの家庭、もう息子は病弱の母の言うことを聞かず、ふらふらして学校にも来ない、短いバイトして遊んで、金が無くなったら家に帰る生活。家族が他になく、向き合うしかない関係、しんどいだろうなあ。もう一年、籍だけでも置いてくださいといわれる。生活保護の家庭に支給される授業料(月1万余りですが)が生活費に欠かせないものになっているのでしょう。
 
 2週間前に転勤になった次男。勤務場所、形態も変わり、早朝から出勤。なんでや?早く行って、若い人と話をして職場に馴染みたいから・・・そんなことを考える歳になったんだ。
 
 やっと慣れ始めた頃、急に捜査本部に出向、張り込みやら、現場検証やらで、昨夜も一睡も出来なかったらしい。午後10時過ぎ、ハイな状態で帰ってきて、ひとしきりしゃべって、ばたんと寝てしまう。好きなマンガも読まず、タバコとガムが増えているらしい。なんでや?身体に悪いやろが?お父さん、そうしないと落ちて(眠って)しまうんや・・・なるほど。
 
 明日も朝から現場らしい。交番勤務と違って、事件が解決するまで何ヶ月でも休みなし。一段落したらまとめて休むのだって・・・。いつになるのでしょう。
 
 小説やドラマでしか知らなかった世界なので、ミーハーな親父(私)は興味津々であれこれ訊く。なるほどというエピソードや笑ってしまう失敗談がいっぱいあるのですが、それを書くと叱られるので・・・スミマセン(苦笑)。とにかく新入りなんだから、プライドを捨てて何でも訊くんやで、とアドヴァイスにならない独り言をぼそっとつぶやいておきました。
 
 同僚、友人も次々転勤、退職・・・心騒ぐ年度末です。ついアルコール摂取量が増えて反省続き。週末は誘いを謝絶して新学期に備えて自重します。
 
 最近見た映画(ビデオでガマン)
 
「歓喜の歌」(2007年)

解説: 人気落語家、立川志の輔の同名落語を、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』の松岡錠司監督が映画化したヒューマンドラマ。大晦日の市民ホールを舞台に、紛らわしい名前のママさんコーラスグループをダブルブッキングしてしまったことから起こる騒動を描く。“事なかれ主義”の主人公に実力派の小林薫がふんするほか、本作が6年ぶりの映画出演となる安田成美、“日本の歌唱”の第一人者、由紀さおりらが出演。クライマックスの大合唱シーンは圧巻。(シネマトゥデイ)

あらすじ: 文化会館で働く飯塚主任(小林薫)は、似た名前の2つのコーラスグループを聞き違え、大晦日のコンサートホールをダブルブッキングしてしまう

 映画版を先に見て、オリジナルの立川志の輔の落語を続けて見たのですが、微妙に?(笑)楽しめました。仕上がって、定評ある創作落語を映画版としてどう崩すか、難しく面白い作業です。でも、うまくいっているのは登場人物の振り分け(主要人物である食堂の女主人の苦労をバイトの男子学生でなく娘に語らせる)など一部で、小林薫、由紀さおりらの力演はありますが、ご都合主義の荒い造りが目立ちました。
 
 徹夜でボランティが作ったはずの客席が映らなかったり、クライマックスの「歓喜の歌」のバックに、いないはずのオーケストラの演奏が流れたり、ありゃと思うシーンがいっぱい。まあ、それもコメディとしてみればいいのでしょうか(苦笑)。
 
 落語版は流石の志の輔の語りで引き込みます。地方公演でのええ加減な公民館員の対応がきっかけになったということで、映画版よりはるかに皮肉が効き、毒もあります。でも、オチはイマイチ。
 
 疑問というか、いちゃもん三つ
 
1 そもそもママさんコーラスグループがふたつ大晦日に演奏会を開くでしょうか?大晦日は主婦も最も忙しい時期。パートの場合も休めま せん。友人、家族ら客も集まりません。12月の定番「歓喜の歌」もプロの演奏会でも最近は大晦日は少ない状況です。設定そのものに無理があります。
 
2 主婦たちの生活の描き方、「趣味で家族に経済的負担を掛けたくないから、一生懸命パートに出ている」というのが強調、繰り返されるけれど、どうかな?いろんな家庭、パ−トの状況があるけれど、基本的に、趣味の為でなく家計の為というのがホントのとこじゃないのでしょうか?
 
3 オチに拘りますが、コーラスの一員であれだけ仕事熱心だった食堂兼仕立て直し屋の藤田弓子さん映じる人物は、最後に客に迷惑を掛けてしまう。それがこちらの胸に引っかかってしまうのです、きれいに落ちないと後味がイマイチです。
 
2009年3月24日
 
「 地雷なき 大地なりけり 草萌ゆる 」 新聞俳壇から 別府市 河野さん
 
 あたたかな春の陽気、大阪でもいよいよ桜開花。その中で話題豊富な一日でした。
 
 WCBの決勝は、野球に詳しくない私も興奮させられました。延長10回表、2アウト1,2塁での攻め。バッターボックスにはイチロー。1塁ランナーがいるから一塁手はベースに付きたいが、バッターは左打者のイチロー。点をやりたくないので、1,2塁間を空けすぎぬよう少し塁から離れる。その隙を衝いて岩村が盗塁。ランナーを2,3塁にして1点より2点を狙いにいったのです。
 
 一塁が空く。ここで敬遠もあったのですね。調子を上げ気味とはいえ、今大会基本的に不振のイチロー。韓国ベンチは勝負を選びました。1,2塁間もきっちり詰めて。ところがそこはイチロー、粘りに粘って、センター前に持ってゆく。2点タイムリーで勝負あり。手に汗握る好ゲームでした。やはり野球は深い。面白いなあ。
 
 前日の観客席に歌舞伎の勘三郎がいたのも面白い。声援しすぎて声が出ないと苦笑。これこれ、役者は声が命やで。でも、金比羅歌舞伎があるのにアメリカまで応援に駆けつける。そこが、勘三郎のええとこかも。
 
 甲子園に応援に行った友人(PL側と西条側)からメールあり。息詰まる投手戦でしたが、どちらかというと地味な展開。ワーッと大歓声が挙がったのは、ジャパン優勝の瞬間。みんなワンセグでWCBの試合を同時に見ていたのです(苦笑)。
 
 秘書が逮捕されても、小沢さん続投宣言。自分のことをさておいて、陰謀だとかなんだとか(それもあるかも知れないが)、地検の悪口を言えば言うほど、自分の値打ちが落ちるのに・・・。そのトップにものも言えない民主党も情けない。
 
 マスコミが走り回っている隙間に?陣内クンの離婚来記者会見。この時期を選んだのはエライ?。でも、浮気を認め、DVは否定。あれだけ注目されて結婚してなんで浮気するかなあ?絶対バレるのに・・・。「誘惑された」という言い訳も情けない。陣内クンも値打ちを下げました。
 
 学期末の整理と、来年度の準備をしながら、節目節目の大事な時に、誠実に、丁寧に仕事して、丁寧に人と接してゆかなければと思ったことでした。
 

2009年3月23日
 
 「 アルプスの 濡身(ぬれみ)輝く 桃の花 」  矢島 渚男 
 
  21日、アルプススタンドの応援席で前に陣取った母校の後輩の高校生の集団(希望者参加ですが500人以上いました)を見て異様な感じがしました。なんでやろ?ああそうか、みんな髪が黒い。黒い学生服、黒いセーラー服・・・固い、重い!40年前にタイムスリップしたようでした。めざとい友人が、あ、スカートが短いやつがふたりいる、指導しようと冗談をいう。
 
そして、また、友人が、あ、茶髪発見と叫んだ方を見たら、ビールの場内売り子さんでした(笑)。
 
 明日はもう一校の愛媛勢登場。こちらはさらにすごい。1,2年生は全員参加。これって全校行事で担任引率。その入れ込み方は大阪の高校では考えられません。21日に来ていた元同僚はもちろんまたやって来ます。
 
 校門で待つことしばし、転学希望の生徒がやっとやってきました。10時半。あ、先生、待っててくれたん?はよ、書類出せ、時間ないやろ?受験先の受付は今日が最終日、3時までです。急いで3種類の書類を仕上げて12時、確認して渡して、はよ行けよ。ありがとう、昼飯にラーメン食べてから行く。何言うてんねん!何かあったらどうするねん!
 
 最後やから、もういちどだけ、言うで。時間と約束は守れよ!
 
 でも、きっと一生、彼女はこの調子で時間、期限ぎりぎりの生活を送ってゆくのでしょう・・・。
 
 夜、8時、5回目の家庭訪問でやっと不登校の生徒本人をゲット。携帯も、家の電話も通じない家庭です。元気そうだったので安心。お母さんは風呂に入っているとかで姿を見せず。でも、退学の方向を確認出来たので収穫。3年間溜まった授業料は払わぬままに除籍(退学)という方向になります。それにも保護者の承認が必要なのです。
 
 昨今、授業料を払っていない生徒を卒業式に出す、出さないで可哀想だ、人権問題だとのマスコミの論調で、高校側は腰が引けています。授業料に関しては保護者の責任が主だから、生徒は確かに可哀想。式には出してやればいいと思います。ただ、払わなくて卒業していいのかというのは別の問題。借金したり、必死で働いて授業料を払っている多くの生徒や親の立場はどうなるのでしょう?除籍はともかく、きちんと払うべきものを払わないで、減免の申請もしないで、卒業だけしよう、させようというのはおかしいと思うのですが・・・こういう考えは古いのでしょうか?
 
 最近読んだ本
 
「にぎやかな天地」(上・下) 宮本 輝
 
 読売新聞に数年前に一年半連載された時は、なんや細菌やら発酵食品やら、製本やらで朝から読みづらいと思ってパスしていたのですが、今度文庫本で読み通して、そのおもしろさを堪能しました。
 
 32才のフリー編集者の聖司は日本伝統の発酵食品を後世に伝えるための豪華本の製本を引き受けたことから、味噌、醤油、鰹節などの徹底取材を始める。そうして、何兆という細菌の働き、食品の奥深さから生きること、死ぬことに思いを致してゆく。
 
 底辺に流れるのは阪神大震災の記憶。聖司が生まれる前に不慮の事故で死んだ父とその加害者との長年の関わり、すべてのものごとには意味があり、運、不運も含めて連鎖してゆくのだという確信に思い至るまでが丁寧に描かれて、説得力あり。宮本さんの文章は手固く、品があり、しかも会話は大阪弁でその柔らかさがいい味付けになっています。
 
 ただし、ストーリー展開は、そんなに都合良くいかんやろ、というところ多し。また、登場人物が善人ばかりでアクに欠けるのがちょっと物足りません。
 

2009年3月22日
 
 「 春眠に 夜来の風雨 治まりぬ 」 新聞俳壇から 武蔵野市 相坂さん
 
 漢詩の世界を取り込むのは俳句の得意技。ゆっくり目覚めたら、風雨は去り、爽やかな春の朝だったのですね。生きている幸せを感じる瞬間です。
 
 20日は元同僚の結婚式。二人とも20代ですが、3年前から我が家にも顔を出してくれていたカップル。きちんと恋を実らせてくれたのはなにより。いそいそとJR福島駅前のホテルに出かける。「夜来の風雨」がやや治まって来た朝でした。
 
 春の3連休の初日で結婚式のラッシュ。ホテル上階のチャペルは30分刻みで挙式。2組前に挙式したカップルが屋上ガーデンで記念の鐘を鳴らし、記念撮影するセレモニーをやっている。どうも自衛隊の方らしい。坊主頭の新郎を迷彩服の同僚が取り巻いている。ちょっとやりすぎ?そこへ風が巻いて吹いて、新婦のウエディングベールが垂直に舞い上がる。バズーカ砲に似せたクラッカーが発射される。大きな色紙屑、テープが空に舞い上がる・・・なんとも賑やかな前振り。
 
 12時半過ぎ。挙式。歳と共に涙もろくなった私はバージンロードを歩いてくる美しい新婦(170センチ近い長身)とお父様の姿を見ただけでウルウル。レストランでの披露宴は和やかなものでした。宴の始めに仲の良いおじさん3人と共に、シャンペンオープンの役に選ばれて驚くやらうれしやら、緊張してうまく開きませんでした(苦笑)。もちろん披露宴が終わっても、河岸を変えて(梅田から京橋あたり)、深夜まで痛飲。
 
 21日、二日酔いを押して甲子園へ。同僚に誘われ、母校が出場し、阪神ナンバ線が開通し、甲子園がリニューアルし、元同僚の御主人が母校の野球部の顧問をしてはる・・・こんなに条件が揃ったら、普段、甲子園とオリンピックがスポーツを歪めると公言している私も腰を上げざるを得まえせん(苦笑)。また、ほいほい応援タオル(なぜか持っている)をバッグに潜めて出かけました。朝の開会式のテレビで見て、母校の主将の選手宣誓、大会歌「今ありて」の「ああ、甲子園」の部分でもう胸が熱くなってきました。
 
 昼過ぎなのに、阪神ナンバ線は満員。梅田経由でなくショートカットで便利になりました。甲子園は超満員。甲子園は久しぶりですが、銀傘がさらにスケールアップ球場としてグレードアップしています。小一時間並んで母校の応援団席に入場。どっと押し掛ける観客の中のあちこちでどこかで見た顔がある。おそらく40年前の同窓生なのだろうけれど、認識しようがない。1学年600人もいたのです。次々銀傘に反射した声援が上からも振ってきてすごい迫力。延長になった第1試合の影響で、一時間遅れてプレーボール。
 
 相手(青森代表)もいいチームでした。ピッチャーも守備もすばらしく鍛えられている。母校は押されっぱなしで2回に先制されて苦しい展開。ところが5回裏に数少ないチャンスを掴み、その時に相手チームが好投していていた先発左腕に換えて、温存していたエースを登板させたのが流れを変えました。渋いヒットで同点に追いつく。
 
 その後もどちらのチームも攻めあぐね、最終回の相手の攻撃を無事に凌いだころ陽も落ちて、照明灯に灯が入る。3塁側のこちらもぐっと寒くなる。酒を持って来なかったことを後悔。でも、目の前で整然と応援している後輩達、隣で必死に応援している元同僚を見たら、飲みたいそぶりなど見せられません(苦笑)。
 
 9回裏、ツーアウト1,2塁で粘投のエースのレフト前ヒットでセカンドランナーがホームに滑り込み。なんと2−1でサヨナラ勝ち。狂喜乱舞のアルプススタンドでした。
 
 応援団は3種類だったのだそうです。開会式観賞グループ。開会式第3試合セットのグループ。第3試合のみ観戦応援グループ。第1のグループは昨夜12時にバスで今治発。サービスエリアで時間調節をしつつ、午前6時の甲子園のパーキングの開場に滑り込み、7時から並んで開会式に臨んだそうです。もちろん第3試合が終わると同時に集合がかかって、慌ただしく愛媛に帰って行きました。青森のチームはどうしはったんやろ?もちろん私は日頃の主張はどっかに置いといて、ナンバで祝勝会で盛り上がりがました(笑)。
 
 2回の攻撃時、ラッキーセブン、そして勝ったときと3回もタオルを振りつつ校歌を歌い、懐かしい応援歌(40年前に古典の担当だった池田先生が作詩された)も歌えました。新バージョンの応援歌は初耳でした。
 
 お辞儀ー形も大事。選手宣誓の時、主将がきちんとお辞儀をしたのをええなあと思って見たことでした。試合開始の挨拶時、審判の合図で双方礼をして、母校がまだ下げた頭を上げないうちに、もう先攻の相手チームは自軍ベンチに向かって走っていた。あいつらーと思って、私の乏しい母校愛に火がついた瞬間でした(苦笑)。
 
 22日、早朝、風邪気味の義母を病院へ運ぶ。薬を貰って落ち着く。10時から2週間休んだテニスに復帰。まだ、腰は重いけれど、ぼちぼち鍛えながら治してゆきます。ランチは友人と狭山池を望むカフェで。もう桜がちらほら咲いています。腰を労りながら土手を少し散歩。ピンクの花は江戸彼岸かな?
 
 急な豪雨に襲われて、家庭訪問を諦め、帰宅。
 
 休日の夜はビデオでバレエと音楽を。東京バレエ団とシルビィ・ギエムの「ボレロ」。ジュルジュ・ドンの後を受け継ぐギエムの踊りはこのベジャールの振り付けを更に昇華させて行きます。舞台の上の更に丸い特設ステージで単調なリズムと動きの中で限りなくドラマチックに踊る・・・長身、長い手足、大きな手が見事に活かされて、有名な「11時58分」のポーズも楽々と決まります。
 
 惜しむらくはバック(前面も)の日本人男性ダンサー陣が好演なのに貧弱に見えること。上半身裸なだけに余計気になりました。ここは分厚く力強いキャストを揃えてほしかった。
 
 なつかしいN響の演奏会は7年前のランランとの協演でラフマニノフのピアノコンチェルト第3番。当時19才のランランは若さとテクニックと豊かな表情で聴衆を引きずり廻します。恐るべし。
 
 雨も上がりました。明日からまた忙しい学年末の仕上げの週間が始まります。
 

2009年3月19日
 
 「 桜貝 踏まれて美しき砂に 」 新聞俳壇より  神奈川県 中島さん
 
 「桜貝の歌」という美しい歌がありました。うるわしき桜貝ひとつ、去りゆける 君にささげむ・・・失恋の歌ですが、この季節に聴くと、転勤して行く友への惜別の歌にも聞こえます。
 
 2期分の授業料が溜まって、退学も転学も出来なくて、学年末が迫ってきた生徒。希望している転学先の受付もあと2日。「今日来る」という3度目のやりとりのあと、メールがあって、やはり授業料を納めないとダメですか?何度も何度も言っているけれど、だめです。振り込み用紙を失くしました、郵送してください。もう間に合わないから、現金で事務所に持っておいで。なら、月曜に。それって、受付最終日。
 
 はたして本当に間に合うのか?彼女だけでなく、いつもあらゆる書類や期限に余裕がなく、こんな感じでぎりぎりなって、そして間に合わないケースも多々あります。胃が痛みます。
 
 ずっとこんな風にギリギリで生きてきたのでしょう。それでいて(それだから?)、焦ったり、踏ん張ったりすることがありません。だめなら仕方がないという感じを始めから持っていて、あっさり諦めてしまうように見える。これからの長い人生、どうするのでしょう。
 
 合格者登校日に来なかったので、標準服(制服はありません、希望者が標準服を買う制度)の採寸をしなかった、プリントに書いてあった業者に電話したのに留守電で、取り込んでいるのであとで改めて電話してくれと言われた、と学校に猛抗議の電話をしてくる保護者。もういちどあとで業者に電話してくださいと、慇懃に対応。
 
 「合格者説明会でバイク通学okと聞いたけど(言っておりません!)間違いないな」、と電話してくる保護者。(バイク登校は禁止、発覚すれば停学になります。)
 
 入試受付時に、忙しかったからと受検料払い込み用紙を添付しないで、申し込みに来た保護者。入学金、授業料は払ってくれるかな?
 
 来年度も大変なことになりそうです。
 
 山形県上山市、山元小中学校が閉校に。「やまびこ学校」(無着成恭さん)の舞台だった学校です。貧しくて一家離散になってゆく子ども、家業の炭焼きの手伝いで学校に来れない生徒。厳しい状況の中で、それぞれが友を思い合い、家族が、家同士が支え合い、それでもなかなかうまくゆかなくて、それでも、希望を失わず・・・それを文章に綴る。そんな切ないあたたかな思いがどんどん薄れてゆくように思います。
 
 夕方、時間休をもらって、日展に走り込む。閉館までの50分で早足で観賞。彫刻も日本画も全体的にやや小粒な印象。篆刻で友人の友人が3名入選。小さな作品ながら、力強さと広がりを感じました。工芸の人形がすてきでした。
 
 印象に残った作品のいくつかーいずれも洋画と日本画「清蔭」「トラコルーラの日曜市」「45年目の良江」「赤いドレス」「高原の夏」。作品が発するパワーに元気を貰いました。
 
 来る人
 
ヴィカス・スワラップさん(インド外交官、作家)
 
 南アフリカのインド大使館のナンバー2。でも、今回のアカデミー賞の作品賞「スラムドッグ$ミリオネア」の原作者。そして、時期の在大阪インド総領事。すごい人が来るんだ。本人曰く「私は小説を書く外交官であって、小説家ではない・・・外交電報も小説も言葉を注意深く選ぶことは一緒」なるほど。

2009年3月17日
 
 「 弾かれて 弾き返して 独楽(こま)回る 」 新聞俳壇から 茨木市 瀬戸さん
 
 昔、独楽の勝負をしたものです。もう今は回せないだろうなあ。小さな遊びからもそれとなく人生を学んだように思います。
 
 日曜に4度目の家庭訪問しました。家に気配あれど、反応なし。連絡してくださいとメモした手紙を郵便受けに入れたけれど、、電話もなし。あと2週間で新学期。また授業料が加算されます。入学以来の授業料が増え続けて、40万を超えて、どうするつもりか・・・結論を先延ばししているだけになってしまっています。
 
 合格者を登校させて新入生テスト。筆記用具を持ってきていない生徒がいる。これで新学期から授業に出られるのだろうか?
 
 黄砂の中を中学訪問。道端の木蓮が見事に咲き始めています。今日は後期入試なので、逆に中学の先生方は時間的余裕があるのです。入学の決まった生徒についてのヒアリング。もちろん問い合わせについては合格した生徒と保護者の了解は得ています。いろいろ話を伺って、帰って、データとして入力。
 
 それにしてもますます家庭事情は複雑になってゆきます。経済事情から本人は就職を望んだけれど、中卒で働いているふたりの兄が金を出してくれるという。でも兄二人は新婚。続けられるのだろうか?
 
 母子家庭の生徒の母親が交通事故死したとの連絡。家には二人の兄弟と父親の違う幼い弟が残されて・・・。どうなってゆくのだろう?

2009年3月16日
 
「 初孫や 土現れて 土まみれ 」  新聞俳壇から 長岡市 内山さん
 
 雪国、長岡だからこその句ですね。いいなあ。春の喜び、初孫の可愛らしさ・・・どろんこ遊びは子どもなればこそ。大人になったらもう出来ません。洗濯は大変やけど、孫なら許す!(笑)
 
 早朝から日本・キューバ戦を観る。見事な快勝でした。松坂の好投がすごい。イチロー、城島とベテランふたりが続けて落球しても動揺せず、バッターを三振に切って取りました。
 
 それにしても、イチローの落球とは珍しい。これってCFに使えるんちゃうか?と瞬間思いました。猿も木から落ちる、どんなアクシデントもある・・・保険のCMですね。イチローも名誉でしょう。断られるとは思いますが・・・(笑)。
 
 感心したのはやはりキューバの選手の馬力。空振りして手がすべって、バットが飛んで行く。なんと1,2塁間のラインの向こうまで。もう少しで外野フライ(笑)。
 
 好天に恵まれた15日。月一の友人2人との近場温泉ツアーは大宇陀温泉、「あきのの湯」へ。阿騎野(安騎野とも書きますね)は好きな土地です。温泉はぬめりのある膚に気持ちよい湯。ぬるめで露天風呂で30分以上のんびり話し込んでしまいました。レストランでビールと大和粥。畳敷きの広間をのぞくと、これが床暖房で気持ちいい。つい、座布団をまくらに昼寝してしまいました。
 
 久しぶりに「かぎろいの丘」を訪ねて柿本人麻呂の歌碑を見る。すばらしい天気で雲もなし、「かぎろい」を望んだであろう東の空には雪を抱いた高見山がくっきり見える。葉を落とした裸の木々の立ち並ぶ丘は万葉の歌のイメージそのままで大満足。こんなええとこに誰も来ていない(温泉はいっぱいやのに)のはもったいない。
 
 近くの又兵衛桜はまだ蕾固し。あと20日もすればスゴイ人出でしょう。前に来て気に入った「天益寺」(てんやくじ)を訪れる。里山の中腹のわらぶき屋根の風情ある寺で、ここの枝垂れ桜も見事だったのに、行ってびっくり。数年前に不審火で本堂が燃えたらしい。再建の為の、夜桜コンサート(インド音楽とかやるらしい)が4月11日にあると書いてましたが、場所も狭いし、人が集まるかなあ。桜は無事でしたが、なんとか存続してほしいものです。
 
 帰りに見た、小さな集落の社の見事な杉にも感動。30メートルは優にある。この数百年の自然の営みに比べれば、人事のなんと小さいこと(歌い継がれる万葉集のすばらしさは別にして・・・)。でもそれに心動かされる年度末です。
 
最近読んだ本
 
「夜は短し歩けよ乙女」 森見 登美彦
 
 職場の若い同僚(女性)が読んではったんで、面白そう、話題の本やね、と物欲しそうに言うと、すぐ快く貸してくれました。ありがとう。
 
 純粋で好奇心旺盛な若いヒロイン(女子大生)が「酒清に浸った夜の旅路(京都の町々・路地)を威風堂々歩き抜いた記録」を装ったファンタジーであり、きらびやかなパロディに彩られ、捻られた恋愛小説。
 
 趣の異なる4章から成っているのですが、酒を飲みまくる標題の第1章がまず面白い。木屋町、先斗町界隈を舞台に、しっちゃかめっちゃかのドタバタノンストップコメディが繰り広げられます。大酒飲みの美女「羽貫さん」謎の老人「李白さん」他のクセのある登場人物の中で、ヒロインの無色が活きます。それはこれからの大変な人生に挑んでゆこうとする若者への賛歌に繋がります。若い人は「命短し恋せよ乙女」というこの題のオリジナル「ゴンドラの歌」の一節、また映画「生きる」は知っているかなあ。
 
 「おともだちパンチ」「鯉」「だるま」「偽電気ブラン」という小道具が見事に活かされ。これはずっと後まで引っ張ってくれます。
 
 第3章「御都合主義者かく語りき」はニーチェというより、京大の学園祭を舞台に、イキイキした演劇の時代へのオマージュが込められていると感じました。作者は若いけれど、きっとかつての唐十郎さんの「紅テント」の京都公演を伝説として聞いていたに違いない。その時の話題をすぐに取り込みゲリラ的に上演し、客は必死でそれに付いてゆく。
 
 かつて(30年以上前)、糺の森で紅テントが上演された時、幸運にも見ることができました。クライマックスに出演者はテントを飛び出し、観客はそれを追って森を走り回る。ラストシーンは森の中の小川の畔。ヒロインは李礼仙さん。もちろん、この作品の「プリンセス・ダルマ」のモデルです。セリフの調子もほぼ同じ、懐かしかったです。
 
 そういう団塊の世代向けのサービスもしながら、結局は、この無気力になりがちで閉塞感漂う現代においても、なお不可思議で魅力的な人生、社会は目の前にある。それににぶつかってゆこうぜ、人生は「生きる」価値があり、「恋する」対象があり、世界は深く面白いーそのシンボルとして京都という町があるーという極めて前向きなメッセージがあると感じました。
 
 「李白さん」所有の摩訶不思議な3階建て電車型バス?を描いた中村佑介さんの描く装画もお洒落です。
 
 ちなみに、このヒロイン造型、私には個人的にモデルに憶えがあると感じるのですが・・・(笑)。

2009年3月14日
 
「 歩み去る 魁夷の白馬 水温む 」  新聞俳壇より  東京都 小出さん
 
 東山魁夷の描く白馬が早春の林の奥に消えて行きます。白馬はこの世の儚い美しいものの象徴なのかも知れません。
 
 大阪府の財政緊縮政策で勤務校でも教務助手(膨大な印刷や実験実習のお手伝いをしてくださっていた)の2人の方が解職。13日が最後の勤務。玄関に職員が集まって、花束と記念品を渡してお別れ。お一人の方は13年余りの勤務。私とは9年間のおつき合いでしたが、いろんな思いがあって、涙が出ました。
 
 近所に住む若い同僚と古市の駅前、例の1時間760円飲み放題で盛り上がる。彼は20代なのに植物や農業などにも詳しい。話を聞くと、実家は無花果(羽曳野名物)農家で、おじいちゃんが現役、彼はおじいちゃんを尊敬し、その手伝いをよくしているらしい。えらいっ!よく気が付くのもむべなるかな。でも、お節介な老先輩である私はもう嫁取りを心配(笑)。
 
 嵐の夜が明けて土曜の朝、テレビで久米宏さんの話と「山椒大夫」の朗読の一部を聞く。安寿と厨子王の受難もですが、佐渡での老いた母と息子の再会にまた泣けました。田口八重子さんや拉致された方々の姿をつい重ねてしまいます。
 
 午後から一気に晴れてゆく。警察官である下の息子も学校と同じく11日に転勤決定。今日、荷物をいっぱい持って帰ってくる。日本で2番目に忙しい署から少し南に異動するらしい。責任も増して、本人かなり緊張していて、テンションめちゃ高し(苦笑)。17日から新天地に赴任するそうです。
 
最近読んだ作品
 
「シェード」 本多 孝好
 
 年上の彼女へのクリスマスプレゼントを買おうと、狙いを付けていたアンティーィクショップで、お目当てのランプシェードを買いに入ると、ちょうど売れたばかりだった。がっかりする「僕」に店のオ−ナーらしき老婦人は紅茶と香でもてなしながら、そのシェードに関する由来を語りはじめる。それは地中海の小島の哀しい恋人同の士話だったが、ちょうど「僕」と彼女の現状と照応する話だった・・・。
 
 老婦人の話に勇気づけられて、向かった彼女のマンションで「僕」が見たものは・・・。
 
 これもミエミエの話ながら、老婦人の語る物語が魅力的で引き込まれます。本多さんの作品は独特のエレガントなムードがあります。

2009年3月12日
 
 「 行く先は 誰にも告げず 西行忌 」 新聞俳壇から 大垣市 大西さん
 
 如月十六夜のあたたかい色の月が上りました。「その如月の望月の頃」です。昨年のこの欄で、西行自殺説をちらっと書いたら、あれはどうなったんや、というお問い合わせを頂き、そのままにしておりました。
 
 そんなに構えたこのでしゃありません。愛する桜の季節に、それも釈迦の入寂の日に死にたいという思いはもっとも。今のように、病院で点滴や栄養剤注入で無理に生かされる時代ではありません。ほとんどの病が、栄養を摂取できなくなって、衰弱、もっと言えば餓死してゆくのが普通の状況だったはずです。
 
 とすれば、死期を悟った西行が、薦められた水や食物を絶って、死に至ったであろうことも容易に察することができると思うのです。巷間言われる奇跡のようなものではないでしょう。
 
 そんなことを思ったのは、大叔母が亡くなった時、最後の見舞いに行ったら、彼女は口の利けるうちに、周囲のものに別れの言葉を述べ、そのあとは粥や水を薦めても、一切口を開かず、ものも言わず、首を振って拒否して、翌朝静かに亡くなったことを思いだしたのです。
 
 どんな風に死んでゆくか、そこに自分の意志をどう反映できるか、むつかしい命題です。それが年々重くのしかかってきます。
 
 夢の中のあちらの世界?もいろいろ忙しい様子です。
 
 昨晩、あちらの高校は工作の全国大会、我がクラスは紙細工の大きな家を造って出場。東京の屋内競技場です。フロアいっぱいに各県代表の展示。我がクラスの和紙で出来たテントには黒々と墨で漢詩のようなものが書かれている。でも、私はそれを放っておいて、隣のブースの展示の凧のからまった糸を解す手伝いをしている。やっとほどけて、凧がぱっと開く、えんじ色の大きな蝶のような形で美しい。会場から拍手が湧く。
 
 結局、その凧とうちの和紙の部屋が受賞して、プラカードを先頭にアリーナ席の間をパレード。宿舎に帰って、そろそろ寝ようとしていると、突然大きな揺れがくる。部屋は左右に大きく横揺れ。震源地は北関東らしい、震度8とのテレビ報道を見つつ、大変だ、どうしようなどと言っているうちに眠くなって・・・そして目が覚める。
 
 そしてこちらの世界?の一日が始まる・・・忙しいことです(笑)。
 
 科目登録と指導要録で一日机に向い、細かい作業に没頭しているとあっというまに夕刻。このところの一日の速さはおそろしい程です。
 
「 三月十日 七十回忌まで 生きむ 」 新聞俳壇より 東京都 木島さん
 
 東京大空襲から64年。どなたか家族を失なわれた木島さんには、戦後どのような人生があったのでしょう。長かったのでしょうか?短かったのでしょうか?もうご高齢のはず。「む」はこの場合、意志、もしくは願望の助動詞でしょう。
 
 最近読んだ本
 
「眠りの為の暖かな場所」  本多 孝好
 
 今回はサイコホラー。でも、明るいのは主人公の人間造型のせい。20代の大学院生。男言葉を遣い、教授の助手としてテキパキ働き胸を張って生きている。そして自分の魅力にそれほど拘っていない。それは心に深い傷があったから。
 
 悲劇を予感させる結末ですが、妙に明るい。それはきっと主人公のバイタリティがこの厳しい状況を切り開くのではないかと思わせる前提が出来ているからです。
 

2009年3月11日
 
「 悲しみは 真実白し 夕遍路 」 野見山 朱鳥
 
 菜の花咲くこれからが、四国遍路の本格的シーズンです。団体バスも車も便利だけれど、やはりぽつぽつ歩いてゆくのが本筋。信仰、観光、修行、趣味、健康促進・・・目的はそれぞれなのでしょうが、肉親を失った人の鎮魂の旅、肉親や知人の、また自身の病気平癒を祈る旅もあるようです。その中で、シーズンにかかわらず、ひたすら倒れるまで廻り続けている人もいます。家、家族を捨て・・・これも一種のホームレス状態であるのでしょう。
 
 10日午前、卒業式。107名が巣立って行きました。107様の様々な思い・・・。授業料が納まっていない生徒もいます。
 
 10日午後、またひとり退学届を受理。父を亡くし、母と別れ、施設から通っていましたが、対人関係が作れず、授業に出れず、退学して高卒認定を目指します。学力のある生徒だったので、あと一科目、この夏にはクリアすると思います。でも、女生徒間にファンもいるほどの美少女だったので、いつも周りに男性が群がってゆく。これからが心配です。
 
 卒業年次を担当した同僚達のものすごい苦労を労って、会食。でも、明日の科目登録指導を考えて、早めに切り上げました。
 
 最近読んだ本
 
「イエスタデイズ」  本多 孝好
 
 末期癌の父から、35年前に別れた恋人を捜してくれと頼まれた「僕」は戸惑う。手がかりは一枚のスケッチだけ。探し当てたアパートで、
「僕」は若い日の父とその恋人に巡り遇う。
 
 山田太一さんの「異人たちとの夏」に着想が似ているが、ここにも独特の味わいあり。人生の分岐点への思い、取り返しのつかない過ぎてしまった時、人への思い、読ませます。
 


2009年3月9日 
 
「 川よりも 山よりも 雲 春らしく 」 新聞俳壇から  栃木県 あらゐさん
 
 日ごとに春めいてくるのは嬉しいけれど、花粉症の人は大変みたい。今までのところ持ちこたえて来ましたが、私にもその気配が忍び寄っているようで、やたら目がかゆい昨今です。

8日の日曜、嫁ハンの出演するライブに顔を出す。今回は西梅田のライブハウス。ところが出演者3名のはずが、なぜか4人に。

で、その4人目の歌手(もちろん、そのライブハウス初出演、年配のご婦人)、歌がうまければまあよかったのですが、なんともはや・・・。1曲ならまだしも3曲も歌われたのです。聴衆はうなだれて、歌が頭の上を通り過ぎるのを耐えて待っている。私は途中でトイレに行ったけれど、帰ってきてもまだ歌ってはる。私も結構、辛抱強いつもり、思いやりもあるつもりだったけれど、その日、付き合ってもらった若い同僚に申し訳なくて、とうとう休憩時間に外に連れ出して、そのまま2部のその人の出番の終わり頃まで、西梅田を散歩しておりました(苦笑)。同僚もビックリしておりました。

その歌の後を受けて、嫁ハンも歌いづらかったようです。頑張りすぎて、却って声の出がイマイチだと思います。同僚は、「奥さんが出てきて、バックのバンド(トリオ)が急に張り切って演奏していましたね」、と言ってくれたけれど・・・。彼は嫁ハンにかわいい花束を用意してくれていました。ありがとう。

私の想像 あれはひょっとして、本人がご病気か何かで、最後の思い出に出演させてあげたのかな。これも後で聞いたところによると、私達の席の後ろでその方のご主人が一所懸命ビデオを撮ってはったらしい。とすれば、我々が席を外したのもミエミエ。大人気なかったかなあ、とちょっぴり反省。

でも、とすれば、もっとそれにふさわしい場で歌わせてあげなくては。まばらな拍手で、席も立たれて、恥をかかせたのは気の毒でした。

かつて、アメリカ南部の大富豪がオペラ歌手になりたかった奥さんの為に、カーネギーホールを借り切り、満席にしてやったことがあったそうです。すべて仕込みの客に万雷の拍手で迎えられたワンウーマンコンサートは伝説となり、そのレコードは珍品として高価な値を呼んでいるそうです。聴くには耐えられないそうですが・・・。

私にはもちろんその富豪のような甲斐性はありません。せめて、嫁ハンの歌声が衰えたら、「もう辞めなはれ」と引導を渡すことはしてやろうと思っています。「趣味で、楽しみで歌うこと」と、「聴かせて、それで金を貰うこと」は基本的に違うと思っています。

「教えること」も同じこと。自分の衰えを自覚しつつ、辞め時を探っている昨今です。

最近印象に残った言葉
 
 京劇の名優、梅蘭芳(メイランファン)の生涯を描いた最新作「花の生涯ー梅蘭芳」キャンペーンの来日記者会見で
老子の「 上善は水の如し 水は善く万物を利して争わず 」を引用しつつ、
中国映画の名匠、陳凱歌(チェン・カイコー)監督が次のように語っています。
 
「世界的に成功をおさめた芸術家ですが、その人生は、常に枷(かせ)をはめられていたように思います。その中でどう生き抜いたか」
 
 文化大革命も超え、中国の厳しい社会の枠の中で、悩み闘いつつ生き延びてきたしたたかな芸術家の言葉だけに重みがあります。私も、もちろん彼ほどではなくても、田舎、家族、公務員などという様々な枷の中で藻掻きつつ生きているわけですが・・・。

2009年3月7日

 休日登校で合格者説明会。基本的に保護者同伴だが、風邪等はわかるけれど、「用事がある」と休む合格者。母親、祖母だけ出席というケースも結構ある。1時間余りの説明を聞けず、トイレに行く者も10数名。(体育館は早朝から暖めてあります、寒いからでなく、○○タイムなのでしょう、まだ本校生でないのでまだ指導はできない)。先が思いやられます。でも、昨年よりましという感じも・・・。まあ、ぼちぼちゆくしかありません(苦笑)。

 土曜の朝の電車は独特の雰囲気。ダイヤも違いますが、込み具合も全然違う。

1昨日、腰痛ですぐに座席から立ち上がれず、ひと駅乗り越した教訓から、早めにバーや吊革を持って立ち上がることにしました。

年取ったら、失敗も多いけれど、嘆かず、すぐに対策を考える、なんとか誤魔化す、それを美しい言葉で「年の功」というのでしょうが、これは「諦め」、「開き直り」、「苦肉の策」の別名なのでしょう。

WCBの日韓対抗野球を楽しむ。かつてはもっとどろどろした因縁試合といった趣がありましたが、今は気持ちよく観賞できる。たとえはイマイチかも知れませんが、昔の「早慶戦」を見るような感じ。日韓関係もいい意味で成熟してきたのでしょうか。

もうひとつはこちらにも半端な思い入れがなくなってきました。こちらの思いとは別に、イチロー(好きではありません)ほかスーパープレイヤーが、われわれの想像のレベルを超えたプレイをする。応援などとおこがましい、純粋に感嘆、観賞させていただくという感じ。

これは先月の富田林のテニス大会出場の折、悟ったこと。地方大会のレベルで、ものすごいプレーをする無名の選手がいる。その上のレベルは想像を超えます。草テニスを楽しみながら、勝敗に関わらず、見事なプレイを堪能することにしました。

夢の話を書いたら、なぜか急に、夢の世界が遠ざかってゆきました。そして、難病で療養中だった友人の職場復帰の知らせが飛び込んできました。うれしかった。そして、昨日気づいたこと、ひょっとしたらあの夢のピークの時に、あちらとこちらが入れ替わった、反転したのではないのでしょうか?


そういえば、最近、妙に嫁ハンが優しく、機嫌がいい。これも変(苦笑)。ま、いいかっ!(笑)


最近読んだ本


「 FINE DAYS 」 本多 孝好

 

息子から市立図書館へ寄付するように頼まれた本の中にあったので、読んでみたら、これが面白い。「僕」と全校を仕切る女番長(古い表現!ボクシング部部長、)安井、転校してきた異常なまでに美しい少女、絵のうまいいじめられっ子―神部が織りなす学園ドラマ。


転校してきた美少女(イメージ的には若い時の六条御息所)は以前の学校で4人を死に追いやったらしい。果たして、教師が屋上から転落死・・・。サイコスリラー、サスペンス、純愛が微妙なバランスを保ちつつ、話はテンポよく進み、軽やかなどんでん返しを見せて、しかも後日談付きのサービス。この作家、うまい。


強いて難点を挙げれば、「僕」がやや作り過ぎ。不良で成績もよく、家も安定、しかも安井に惚れられ、神部の保護者的存在。彼が学校でタバコを吸って見つかり、残されて反省文を書いている冒頭シーン。


「学校で煙草を吸って、素直の反省文を書くのは私の中で両立しない」、となじる安井にいう。


「未成年が煙草を吸っちゃいけないのは体に悪いからだって言われる。でも、それは嘘だ。日本において自傷行為は基本的に罰せられることはない。もっと、体に悪いことをしても、たとえば自分の手首を切ったりしても、そのこと自体で罰せられることはない。では、なぜ煙草を吸ってはいけないのか。それは単純に社会秩序の問題だ。未成年があっちでもこっちでもぷかぷか煙草を吸っているような社会は嫌だ、という社会全体の意思表示だ。つまり、この社会で培ってきた常識から考えるなら喫煙は罪悪には当たらない。だから、吸いたければ吸う。けれど、社会の意思に添えないことは、その社会の一員である礼儀として隠れてやるべきだと思う。見つかったら謝るべきだし、罰を科せられるというなら甘んじて受けるべきだと思う。」

安井の反応 「わかるような、わからんような」


こんな歯ごたえある(言葉で遊ぶことが出来る)不良?にはしばらくお目にかかっていないなあ。逢いたい。


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2009年3月6日
 
 雨の一日。寒い教室で、個々に呼んだ生徒と来年度の科目登録相談。細かい字と、たくさんの資料と、パソコンの画面と、すぐに脱線する生徒との掛け合いで、昼食も摂れず8時間。かなり疲れました。でも、やっと峠は超えた感じ。今年度もあと少しです。もうひと踏ん張り。
 
 毎日微妙に脹らんでゆく花芽。目には見えないけれど、ふと気づく木々の成長。あと何年花見ができるかと思うと、これから桜を植えても、成木までは見届けれないなあと思ったりします。
 
 祖母は「我亡き後に 花咲く望み」とよく言ってました。見られない花を思いつつ苗を育てる、「教育」もそういうものかも知れません。
 
 数年前、故郷の山の中腹にあった墓を、老いた両親に墓守はできないからと麓に降ろしたのですが、そこは梅畑。梅もいいけれど、なんや墓の傍には桜がほしいと思ったのです。紅い枝垂れ桜が。口にすると父も頷いていました。京都、法然院の谷崎潤一郎の墓がイメージにあったのでしょう。
 
 その墓に両親は入るでしょうが、自分が入るとは限りません(個人的には墓はいらないと思っています)。でも、墓を覆う枝垂れ桜は美しいだろうなあ。しかし、やはり自分が見られないと思うと、寂しい。桜を植えるのは止めようか。あれこれ思うのは自分がもう歳だからでしょうか?それとも、まだ祖母があの言葉を語った頃より若いからでしょうか?
 
 校庭の脹らんでゆく辛夷や桜の蕾を眺めながら、そんなことを思いました。

最近読んだ本

「ローマ人の物語」28 すべての道はローマの続く(下) 塩野七生

 広大な領土の交通網を廻らせ、水道を整備した帝国のすごさは、そのインフラを徹底して長年維持したこと。作ることも大事だが、管理、維持することもそれに劣らず大変。それをきちんとやったのだ。その人々はどこへ行ったのだろう?今のイタリアにはいないみたいです(笑)。

当時の教育体制がおもしろい。カエサルの医療、教育に携わるものには市民権を与えるという法(この面でもかれはエライ!)によって教師の数が増え、中流以下の家庭でも教育が受けられるようになった。初等、中等教育とそれぞれ学校があって、現在の高校にあたるのが「レトーリス・スコーラ」(英語の「スクール」につながってゆくのでしょう)。17歳から20歳の若者が学ぶのだが、そこで学ぶのは「弁論を駆使して意思を伝達する技能」だった。キケロなどの著作を題材に論の構成を学ぶことはもちろん、聞かせる技術、身振り、音声、ユーモアのはさみ方まで学ぶ。

これは弁護士や政治家の育成が元だったが、それで一生を終える人は少なく、軍人や企業家としても弁舌は必要。わずか一語の効果的な使い方で状況を一変させたといいうカエサルの演説なども好材料になったらしい。

確かにこれは大事な要素なのでしょう。そして日本ではずっと軽んじられてきた点でもあります。もっと、「話すこと伝えること」を大事にすべきと改めて思いました。



2009年3月5日
 
「 三郎といふ名の川の白魚汲む 」 俳壇より 徳島市 吉田さん

川は四国三郎、吉野川ですね。春の味覚。水はまだ冷たいけれど、川面にも魚の白い膚にも光が溢れています。

成績会議が終わり、いよいよ来年度に向けて、科目登録が始まる。単位制ですから、各自が取得した単位を元に来年度の時間割をl組んで登録してゆきます。ちょうど、大学と同じかたちですね。大学生ならともかく、計算にもシラバス(教科科目の内容説明プリント)を読みこなすことも苦手なうちの生徒にはかなりしんどい作業。寒い教室で一日かかって2人がやっと。明日も続きます。

そのあいだに女生徒の退学手続きも。3年高校生で過ごしたから親も親戚も納得と、さばさばした表情。奨学金は3年間でうち切りです。修得単位は10単位ほど。この3年間はなんだったんだろう。母子家庭で母親とも折り合い悪い様子。バイト先のおばちゃんたちとはうまくやっているから安心して、と言って手を振って去ってゆきました。

腰痛も2日目、やっと折り合いの付け方を思いだしてきました。とにかく座り方が大事。うっかり電車の中でリラックスして座って起きあがろうとして激痛が走り、這うようにしてやっとのことで下車しました。

腰を引いて、背筋を伸ばして真っ直ぐ座る、手を使って上にすっと立ち上がる。立っている方が楽。ぶら下がりが楽と聞きますが、まだやっておりません。とにかく痛みが引いてから、腰痛体操をはじめるつもりです。卒業式の会場設営(椅子運びや舞台づくり)は勘弁してもらいました。

ジャン・ジャック・ルソーの生きた時代のパリには「捨て児養育院」というものがあって、毎年赤ちゃん8千人が置き去りにされていたという。ルソーも30代から40代にかけて、内縁の妻との間の5人の子を次々ここの捨てたとのこと。教育論「エミール」の著者が・・・。

66才で死んだとき、側にいたのは23年間の内縁関係の末、10年前に結婚した妻だけ。子供たちはどうなったのだろう。人間って矛盾に満ちた存在ではあるのだけれど・・・。

最近読んだ本

「石川くん」  桝野 浩一

歌人が啄木の短歌を現代語訳、そして、啄木あてに感想の手紙を綴るという形式。宛先は不来方(こずかた)の空の上。凝った作家論、評伝とも言えますが、これって、俵万智さんもやってなかった?

「働けど働けど・・・」などと歌いながら、仕事さぼりっぱなしじゃないか、妻子に仕送りもせず、友人(主に金田一京助)に借金を重ね、その金を返さずに、それでプロの女性と遊んだりしている・・・そして、ローマ字の日記に友人の悪口を書き付ける・・・。

啄木の生き方を、それって、ずるい、ええかげん!と非難するのには簡単、かつ同感だけれど、結果的には啄木紹介と賛歌に終わっているところがちょっと物足りない。若者向け、そしてHPでの公開ということがあるのでしょうが。

嫁ハンのライブも紹介させてもらいます。

とりあえず当面の分だけ

8日(日)、13時開場、13時開演、曾根崎新地2−3−13「 JAZZ ON TOP 」

軽食付きで6500円です。もしよろしければ。


2009年3月4日

「 雪ふりし 日のことをふと 雛あられ 」 櫻井 博道

 はなかい甘さのピンクや黄色や白の雛あられに、ふと雪を思い出す。厳冬の冷たい雪でなく、春の淡雪の思い出なのでしょう。

 プロ野球オープン戦も始まり、駅におすもうさんの姿を見かけるようになりました。大阪場所ももうすぐ。東大寺のお水取りも始まって、いよいよ春近しの感です。

 でも、昨日の寒さと、準備不足でやったテニスの両方にやられたのでしょう。昨夜から5年ぶりの腰痛。最近腰痛になった若い友人に、腰痛体操などを教えてあげていい気になっていた報いかも(苦笑)。

 腰を屈めて、そろりそろりと歩いていると、息子が「お父さん、それ、じいさんの格好やで」と容赦ない。「しゃあないやろ?じいさんやもん。もう、じいさんに甘えたらあかんで。」と応じると、「いや、僕の周りの60前の人に比べたら、お父さん、若いけどな」とフォローにならないフォロー。

50で亡くなった芭蕉は30代から「翁」と呼ばれていた(37才の延宝8年―1680年―弟子の嵐雪が「桃翁―とうおう」と記している)という。人生50年、「初老」が40才を指した時代ですが・・・。今の感覚で50才といえば、まだ若い、30代は「青年」と思いますが、敬意とは別に、芭蕉自身が外見的に老けて見えたのは事実らしい。

2代目団十郎の日記「老のたのしみ」に「翁は六十有余の老人と見えしよし、そのころ、翁は四十前後の人か」(芭蕉の門人の破笠より聞いた)とあるそうです。度々の長旅における芭蕉の健脚を、意外なことと唱える向き(これから発展して「芭蕉隠密説」になる)もありますが、事実若かったんだ!

最近読んだ本

「しらみとり夫人」 テネシー・ウィリアムズ

 短い戯曲集ですが、それぞれに人間の深い業が刻み込まれていて、読み応えあり。虱(しらみ)も蚤(のみ)も、もう現代日本からはほぼ消えていますが(私は蚤は知っている)、20世紀初頭のアメリカの都会、古ぼけた安アパートでは日常的存在だったのです。

 登場人物はいずれも、かつての栄光?を引きずる人々。プライドと美意識は捨てられず、心は病んでいる。嘆き悲しむ男女の姿はすべて「欲望という名の電車」のブランチ、そして作者のお姉さんの姿に収斂してゆくのでしょうか?

「風変わりなロマンス」「ロング・グッドバイ」「」財産没収」どれも面白いけれど、「東京のホテルのバーにて」はイマイチ評判がよくなかったというのは頷けます。作者があまりに露悪的に自分を晒すというのも、見ている方はしんどいものです。


2009年33

「 眺めては また眺めては 飾る雛 」  新聞俳壇より 枚方市 石橋さん

「 遠き世を 引き寄せ雛の 箱開く 」  新聞俳壇より 大牟田市 鹿子生さん

小学校の頃、雛飾りの手伝いをするのが好きでした。暗い押入れの奥から出された雛は新聞紙に包まれていて、開ければ、虫が食っていたり、ねずみに齧られていたりして、びっくり、がっかりしたものです。昔は「ゴン」とか防虫剤があまり無かったのでしょうか。

女の子中心の祭りですが、男の子は、右大臣(「天神さん」と呼んでいた)左大臣の雛が与えられていて、これは内裏さんの脇に控えてサポートする役目で、それを飾るのはなんや誇らしかったものです。私の雛は小さいけれど、黒い直垂に身を包み、眉目秀麗で、仕舞うのが名残惜しかった記憶があります。

ただし、故郷の雛祭りは月遅れ、43日に行われます。桃の花も桜もその時期に一斉に咲いています。

家々の表座敷に飾られた雛壇を見て回ってお菓子をもらう「雛嵐」も、小学年の低学年次で終わったようにおもいます。今は飾る子供もいないさびしい村。雛人形はどこで眠って、朽ちていっているのでしょう。


寒の戻りの3日。入試の合格発表でした。ひっそりと去ってゆく子に心が痛みます。しかし、毎年のことながら受験生のマナーの悪さも目に付きました。自転車をちゃんと停められない、二人乗りを注意しても降りない、親子でオートバイで乗り込んでくる。せめて校門で降りるくらいのことができないのかなあ。4月から、高校に慣れるまでの数ヶ月が思いやられます。

それにしても冷たい雨の中の校門立ち番。体の芯まで冷えました。でも、今日は休肝日です(苦笑)。

最近読んだ文章

曽野綾子さんの文章「エコばやり」から

 足首骨折して以来、遠出の講演などは秘書の運転する車で出かける曽野さん。夏や冬に車の中で待つにはどうしても空調を使うため、エンジンをかけっぱなしになる。「運転手さんもどうぞこちらでお休みください」と控え室に案内してくれる主催者が少ないそうです。

 「あいての立場を考えることができる、というのは知性の結果である。どんなに優秀な大学を出ていても、こういう点にはまったく気がつかない人が近年多いのは、多分昔風にいうと「しつけが悪い」のだろう。一方で、自分はこんなにエコに気を遣っているのに、人はそうしないと言ってきつく非難する人が出てきたのも近年の特徴である。エコ運動は、他人がそうしなくても、自分だけは守り続けるという姿勢を貫けばいいので、エコの姿勢を示すことが自分の道徳性を示す証だと思ったり、エコ運動にずぼらな他人を非道徳だといって責めるのは、嫌な風潮である。エコ守れば、自分は上等な市民であるかのような態度は、的外れというものだ。」

 なるほど。

来る人

中竹竜二(早稲田ラグビー部監督)

カリスマ清宮監督の後を受けて、大学選手権2連覇の監督は、リーダーシップと対極の「フォロワーシップ」を最近刊行の書で謳う。「日本一オーラのない監督」と自ら記し、「期待に応えない」「他人に期待しない」「できないことはやらない」・・・統率者も大事だが、敏感な呼応者がいてこそ組織は生きる。首相をはじめリーダー待望論が高まり、リーダー養成が急がれる中で、監督というリーダーが逆の立場でチーム運営を語る。部員は、わかりやすいはず。これは冷静巧妙なリーダーぶりというべきか。注目すべき人材です。(ジャーナリスト、清野氏の書評から一部引用)


2009年3月2日

「 失職の身に 工場の門 凍てぬ 」  新聞俳壇より 東京都 牧さん

 現場からいきなり営業に廻された友人がいます。寒空の中、重いケースを抱えて歩き回っているそうです。でも、本人は「仕事があって、ありがたい」。えらいなあ、と思う。彼は40代。彼女との結婚が延び延びになっているのが心配です。

 建仁寺の仏像盗難犯人逮捕、仏様は無事保護?それにしても40体も座敷に据えて(どんな広い座敷や!)お供えもしていたんですって(苦笑)。趣味が高じたとはいえ、やはり罰当たり。、きついお仕置きを。

 アカデミー賞外国語映画賞「おくりびと」凱旋公開大ヒット。夕方アポロを覗いたら満員でした。短編アニメ賞を貰った作品も見たいなあ。

最近印象に残った言葉

中村 稔さん 日本近代文学館名誉館長

 「最近の傾向として、インターネットで検索できない本はこの世に存在しない、と研究者の多くは見ているのだ、と聞いている。・・・インターネットで検索できる資料だけを調べるのが研究というものか・・・私の同僚の若い弁護士もすぐインターネットを検索し、たちまち適切と考える判例等を発見し、意見を言う。対象となっている事件記録を充分に読み込んでいないことが多いし、探し出した判例等を正確に理解していないことも多い。・・・弁護士も裁判官も他の世界と同様、便利になっただけ、安易に流れているのではないか・・・今、一部の裁判官は判例の累積と権威を背に強圧的、傲慢になっているのではないか・・・」

 確かに資料をめくりながら、探し当てた資料を読み込む作業がおろそかになってきていると思います。文学の分野も同じこと。

 詩人であり弁護士である中村さんの文章は、自然、人間、社会へのバランスのとれた独特の視線が鋭い。最近よく「疎外感」という言葉を使われる。迎合されていない姿勢の表れなのでしょう。

最近読んだ作品

「勇午(ゆうご)」 作 真刈 信二 画 赤名 修

 
 息子が処分しようとしていたので読んでみる。大阪編(全国各地を廻るシリーズみたい)。交渉人、勇午の依頼人は日本有数の投資ファンドの代表。彼は依頼の最中に狙撃され、向いのビルにはヴァイオリンを抱えた美少女が。暴力団、保険調査会社、火傷を負った謎の母子・・・事件のルーツは40年前の大学紛争に。芦屋、新今宮、帝塚山、梅田、天王寺・・・馴染みのある場所が舞台でうれしい。次は下北半島編です。
 
「時を刻む時計」 宇江佐 真理
 
 人気時代劇「髪結い伊三治」シリーズが久々の復活。十年の月日が流れ、いなせな伊三治と粋な芸者お文は所帯を持って、ふたりの子どもに恵まれている。上の伊与太は絵の修行、下のお吉は母親ほど美しくはないが、気だてのよいしっかりした娘に育っている。この家族を中心に周囲に起こる事件を描く。伊三治が髪結いの仕事の一方で下働きをする奉行所の若い同心のトラブル、侍相手にひるまないお文の変わらぬ切れのいい啖呵が小気味よい。
 
 タイトルは伊三治が髪を結っている箸屋の大旦那。高価な櫓時計を手に入れたが、お陰で時刻は忘れないが、時間が見えるようで、一日が怖ろしい速さで過ぎていってしまうと嘆くtころから・・・
 
 日本橋での、職場でいじめにあったと思い込んだ若い板前の無差別殺傷事件が今回のメインですが、もちろん秋葉原の事件をベースに置いています。これからの展開が楽しみ。



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