Kan-Kan の雑記帳



2009年5月31日
 
 「監房に 〈翼をください〉を 唱いおれば タイム・カプセルの 自分が見ゆる」  アメリカ 郷 隼人
 
 月曜の朝日歌壇ですぐに確認するのはこの郷さんとホームレス歌人の公田さんの無事。郷さんもおそらく70年代に青春を送った方なのでしょう。どんな過程を経て、今の境遇(殺人犯として収監中)に至ったのか。窓から、やはりつばめや渡り鳥が見えるのでしょうか?
 
 この季節ならではの「枇杷」。甘み、水分たっぷりでおいしい。自由に生きていられることの幸せ。めちゃ忙しいけれど、また来週バザーを実施すべく準備しています。難民キャンプで飢え、病気に苦しむ幼い子ども達に比べても、どんなに恵まれた人生を送っていることか。
 
 地下鉄の駅の長い階段。かつては、たたん、たたんと3拍子ないしは6拍子くらいで一気に軽快に駆け下りていたのに、今は2拍子でとことこと降りている(休符も入る)、それに昨日気付いて愕然としました。
 
 土曜はインフルエンザで休校になった分の補充授業。短縮の午前中。
 
 午後から3時間の休暇を貰って、職場を出ようとしたらいきなり土砂降り。またたくまにグラウンドも通路も海。ずぶぬれになって、それでも友人達が待っているテニスコートへ急ぐ。途中で3度電話して、ほんまにやるの?と確認。こっちは小雨、もうすぐ出来そうだからおいで。ワイパーも効かないような雨の中を半信半疑で走って辿り着くと、山沿いなのに河南町のコートだけはプレー可能状態。湿気たっぷりのコートで2時間走り回って汗びっしょり。
 
 帰宅して、シャワーを浴びて、「山芋の磯部巻き」で久々の発泡酒(忙しいのでしばらく禁酒していました)。酩酊。
 
 ビデオでガマン
 
「めがね」
 
 海辺の町を訪れた主人公の女性を中心に、そこで旅館を営む宿の主人、旅館に集う人々などの穏やかな人間模様をつづったヒューマンドラマ。監督の荻上直子を始め、大ヒット作『かもめ食堂』のスタッフが結集。主人公の女性・タエコを『かもめ食堂』にも出演していた小林聡美が、彼女を見守る謎の女性・サクラを、もたいまさこが演じる。海を背景にした心地よい風景、おいしそうな食べ物の並ぶ食卓が作品を彩る。(シネマトゥデイ)
 
 『かもめ食堂』に感動したので期待して見たのですが・・・。柳の下にはどじょうは数匹いますが、こんどは「めがね」、じゃない「めだか」しかすくえなかった!?安易に前作に頼ってはいけません。
 
 フィンランドの港町から今度は舞台は南の島(与論島にロケしたらしい)。確かに海は美しいが,それだけ。島の人も朝の体操以外は顔を見せない。食堂が旅館に変わり、小林聡美ともたいまさこが攻守を入れ替えているけれど、生活感がさらに希薄になって人生をどう生きてゆくかというテーマに説得感なし。食べ物もポイントの「かき氷」もおいしそうに見えない。
 
 「スローライフ」を前面に押し出し、劇中の会話は「たそがれる」がキーワード。登場人物全員が掛けている「めがね」が、忙しさと煩雑さで曇った目を無理に矯正して生きている現代人を表しているのでしょうが、説明不足です。最後にヒロインが「めがね」を風に飛ばされて、それを旅館の主人が海で釣り上げるという部分の脚本はうまくできているのですが、演出も唐突で時すでに遅し(苦笑)。
 
 「めがね」を捨て去ることはできません。どう折り合いをつけて生きてゆくか、ヒロインが何を得て、何を確認して帰っていったのか、そしてまた島へ戻って来たのか、仙女のようなもたいまさこの「さくらさん」(名前も暗示的、でも、どうもうまく活かされていない)は何者なのか、もっときちんと描いて欲しかったなあ。
 
 人生をさらっと描くのはむつかしい。登場人物の生活をちらっとかいま見せてこそ、奥行きと説得力が出る、単なるファンタジーで終わらせるのはもったいないスタッフ、キャストです。萩上監督、次回作に期待します。
 
ゆく人
 
頼近美津子さん(元アナウンサー、癌、53才)
 
 78年NHK入社、有望な新人美人アナというので早々にバラエティ「テレビファソラシド」に抜擢され、永六輔、加賀美アナと3人で司会するという恵まれたスタート。興味津々で見た第1回。あこがれの女性は?という問いに「イライザ・ドゥーリットル」ときれいな発音で答えて私は鼻白む。なんで「マイフェアレディのイライザ」と日本風にわかりやすく言わないの!?
 
 今風にいえばセレブ人気アナでしたが、3年でフジテレビへ。「小川宏ショー」などで活躍、3年目のフジ系列の社長(御曹司)と結婚、退社。あこがれのイライザになりました。しかし5年後、夫が急死。その後は、子育てをしつつ、クラシック音楽のコンサートプロデュースなどをしていたようです。
 
 いろいろ苦労もあったのでしょうが、最後まで気位の高さを維持してはったようで、ちょっと見ていて痛々しかった。癌治療を拒否していったというのも彼女なりの美学を貫いたのでしょう。
 
 林真理子さんあたりが評伝を書きそうだなあ。
 
栗本薫さん (もうひとつのペンネーム中島梓さん、膵臓癌、56才)
 
 「グイン・サーガ」は読んでいません。でも月産1000枚というのは書きすぎでした。働き過ぎ。2年前に発病、厳しい癌治療をしなから、それでも月200枚は書いていたという。大河ファンタジーは未刊に終わるのでしょうか。
 
石本美由紀さん(作詞家、肺炎、85才)
 
 「港町13番地」「悲しい酒 」の3番、ちあきなおみの唱う「矢切の渡し」好きでした。
 

2009年5月24日
 
「 陽炎や 塚より外に 住むばかり 」  内藤 丈草
 
 「芭蕉翁の墳に詣でて我が病身を思ふ」という前書き。儚いこの世にかりそめに住んでいるだけなのだという意識は、今より当時の方がはるかに高かったのは明白ですね。当然、死者との距離も近かったはず。
 
 ノムヒョユン韓国前大統領の死は衝撃でした。「ふくろう岩」からの謎の転落、遺書、不正資金疑惑の渦中にあった存在・・・自殺と断定されたものの謎は残ります。
 
 それにしても、前政権への「報復捜査」の行き過ぎが批判され、捜査がこれで打ち切られるというのは不自然。大統領でも不正があれば追求されるというのが民主主義の基本ではありませんか。痛ましさはのこるけれど、最高責任者であればこそ、死で自らを守り、逃避するのではなく、真実を明らかにすべきでした。検察側ももちろんです。
 
 「だれも恨まないでほしい。これも運命だ」という遺書の文言は、逆に「自分は恨みを持って死ぬ」というように受け取れました。これではまた恨みの連鎖を生むばかりです。
 
奈良へゆくなら
 
 京都もいいけれど、たまには奈良へ。この町はまた京と違った深い風情あり。
 
 10時出発。近鉄で一時間。「もちいどの通り」を抜けて下御門の「江戸川」へ。ここは大和野菜と江戸焼鰻の店。味も評判ですが、目的は江戸以来の築130年を越える呉服商だったという店の造作。京との違いはその間口の広さ。伸び伸びしていい空間です。
 
 30年ぶりに「今西家書院」で庭を眺めつつ、こっそり持ち込んだ酒で乾杯。となりの酒蔵(「春鹿」今西清兵衛酒店)で5種類の酒を試飲(400円、杯付き)これはお得感。
 
 今回の収穫は高畑の「頭塔」。2000年ニ整備された方形7段の土塔。767年の東大寺の僧によって築かれたもので、ある面、東大寺と並ぶ古代奈良のランドマークだったようです。奇数段に如来像が置かれており、それがいかにも無造作に鎮座しています。近くの表具店で鍵を管理してくれている(入場料二百円)のですが、草も茂り、人影もなく、もったいないなあと思いつつ、緑豊かな古都の眺望を楽しみました。
 
 仕上げは「旧大乗院庭園」を拝見した後、「奈良ホテル」でアフターヌーンティ。ここのベランダで紅葉青葉を側に静かなひととき。これで千円は高くありません。
 
 帰宅したのが午後6時。リフレッシュできました。明日からまた大変です。
 
ビデオでガマン
 
「 ゴスフォード・パーク 」
 
 1932年11月、イギリスの田園地帯。ウィリアム・マッコードル卿とシルヴィア夫人が主のゴスフォード・パークというカントリー・ハウスで撃とパーティが催された。貴賓が優雅に来場する“上の階”とは対照的に、メイドや従者たちは大忙し。そんな“下の階”では虚飾に溢れたご主人たちのゴシップが乱れ飛ぶ。
 2日目の晩餐の席、客の一人であるアメリカ人映画プロデューサーが、この“鼻持ちならない”貴賓たちをネタにした最新作の構想を披露する。それはカントリー・ハウスを舞台にした殺人事件。そしてその夜、実際にウィリアム卿が邸内で殺される事件が発生する。
 
 群衆劇の名手、ロバート・アルトマン監督の手だれた演出による2001年作。この年のアカデミー賞、脚本賞受賞作。こういう映画を撮らせたら米英映画、すごいのは時代色の再現力。宏壮な館から自動車、衣装、食器類まで手を抜かない。戦災にもあっていないし、それらがすべて残っている。震災や空襲で破壊され、その後もなんでも壊しまくり、放ってしまって、ロケ地、大道具、小道具、衣装の調達まで不自由する日本映画が小さく見える。晩餐のシーンの料理やドレスの数々も圧巻です。
 
 惜しむらくは、暗い屋内シーンがほとんどなので、多数の人物の出入りがよく見えない、人物が見分け付きにくい。もういちど、一時停止しながら見直すべきですが、時間がありません(苦笑)。
 
 こういう映画のお約束でイギリス演劇界のオールスターといえる配役が面白い。マギー・スミスはもちろん老貴婦人役で貫禄、映画全体を締めていますが、後にエリザベス女王役でブレイクする前のヘレン・ミレンが、メイド頭でキーパソンを好演していたり、実際の貴族出身の俳優が、給仕役をやったりしている(その反対もあり)ところにも楽屋落ちの楽しみがあり、唯一、ハリウッドから来た若者の役で、ハリウッドの当時の新進イケメン俳優ライアン・フィリップがういういしく華を添えて?いるのも見所です。
 
 当然イギリス映画と思いきや、監督も資本もアメリカ。渋い階級批判は控えて、謎解きよりも、個々の登場人物の描き分けに力点はあり、それは成功していると思います。クリスティなどのイギリスミステリーがお好きな方にお薦めです。

2009年5月22

「 五月待つ 花橘の香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする 」 読み人知らず

「昔の人」は、昔の恋人、無条件に人を惹き付ける歌です。これは右近の橘のイメージですが、他の花にない爽やかなイメージがありますね。そして、もう戻らない昔。美しい人は手の届かないところに行ってしまったのでしょう。

そして今、故郷の密柑山は花の香りでいっぱいのことでしょう。

「山窪は 蜜柑の花の 匂い壺」

今日はビクトル・ユーゴーが亡くなった日(1885年)でした。

インフルエンザ問題―考査日程の変更やら、補充授業やら、「お上」の授業再開決定は23日(土)の夜になるようですが、もちろんそれまで待てません。来週のことは金曜中に連絡しなければなりません。一応、暫定的な決定を連絡して、あとはニュースをしっかり見ておけよ、と指示する・・・とにかくその生徒連絡が大変。会議後8時間以上経っていますが、学校の電話を使っての連絡は終わっていません。学校の電話は一日満杯なので、私は自分の携帯を使ってしまいました。基本的には電話とメール郵便を使い、生徒の個人ロッカーにも文書を入れる。それでも全員には連絡は届きません。学校からの連絡は授業料の催促だと思われて、受けない、開封されないケースも多いのです。

一応、月曜の授業の準備をしていて、なんか変だな、と思ったら、一週間前にやった同じ準備やプリント印刷を再びやっておりました(苦笑)。

 先日「ばたばたして、書けなかったことを、忘れないうちに書いておきます」ーと言って、書き忘れていたこと(苦笑)

 田原総一郎さんの深夜テレビでの発言、「拉致された方は既に死んでいる、外務省もその事実をつかんでいる、確かな情報だが、情報源は明かせない・・・」日本の代表するジャーナリスト?としてとんでもない言い方です。 

 以前、石原都知事が同じく「(拉致被害者のある方を指して)もう死んでいるでしょう」と無神経な発言をして問題になりましたが、こっちは知事の推測でなく、情報という言葉を使っただけにもっとタチが悪い。家族の心境も運動も、この問題にかかわっている人々の動きもまったく無視した許せない発言です。後に訂正したらしいですが、一度吐いた言葉は消えません。

長く苦しい旅から旅の生活を経て、芭蕉にははっきり見えていたものがあるのでしょう。」と書いたら、反響をいただきました。

はっきり見えていたもの・・・それは私見ですが、人生というもののかけがえのなさ、そして儚さの自覚、そしてそのなかでの自分のあり方、生き方(死に方)への腹の据わった思い(覚悟)ではなかったでしょうか。

最近読んだ作品

「その夜のコニャック」 遠藤周作

打ち続く空襲下の東京。入営の近い学生の主人公。勤労動員で疲れ果てて帰り、空腹を抱えつつ、それでもフランス語の勉強をこっそり続けている。文中のベルサイユ宮殿の宮廷料理の場面で胃が疼く。やっと眠ったころ、警報で起こされ両親と庭の防空壕へ。今夜の空襲は特に激しい。父親に叱られつつ、首を出して見ると、下町の方面は火の海。

そのとき、父が壕から飛び出してゆき、やがて木箱を持って帰ってくる。闇の防空壕の中で開けるとそれは2年前に父がヨーロッパから持って帰ってきたコニャックだった。戦争が終わったら飲もうと大事に残しておいたのだ。闇の中で芳醇な香りが漂う。生まれて初めてのコニャックはこの上なく、切なくすばらしい味だった。外では死の炎が町を焼き焦がしている。

20年後、ベルサイユを訪れた主人公はあの味を思い出す。でも、それを同行の人々に語ることはなかった。

短いけれど、作者の青春が投影されていて、こころに残る短編です。



2009年5月19日

インフルエンザ問題―予想していたとはいえ、全府で休校というのは初めての体験です。初日(昨日)は家庭連絡や対応に追われて大変でしたが、2日目に入ってちょっと落ち着いてきました。それにしても、昨日朝、新大阪駅に集合して、いきなり修学旅行は中止、解散と言われた、市立中学の生徒は可哀想でした。

休校とはいえ、明日は高卒程度認定試験の申し込み締切日(文部科学省へ郵送、20日消印有効)。受験する生徒が相談に来たりするのは拒んでいません。

追い詰められなければ動かない(追い詰められても動かない)うちの生徒。今日も午後3時に相談に来るといって6時半に到着。驚きもしません。これから書類を揃えるとのこと。間に合うかなあ。住民票を取ることが出来なくて、区役所から電話してくる生徒もいます・・・。あれだけ余裕を持って手続きせよと言っているのに・・・。

 それにしても、休校中でも生活指導の事件があるのはなぜ?(苦笑)。近隣でタバコを喫って、停学になる(申し渡しは休校が明けてから)。それにしても、事情聴取で本人曰く、小学校2年から喫っているのだと、もう10年のキャリアなのね。そりゃあ、タバコを止めるのは難しいだろうなあ。

 この1週間余り、ばたばたして、書けなかったことを、忘れないうちに書いておきます。

先月28日の最高裁の判決にほっとしました。「体罰」か「指導」か。もし損害賠償をするようだったら、もう現場は意欲も熱意も喪失してしまうところでした。「体罰」はもちろんいけないけれど、あの場合の生徒の行動(当該生徒は休み時間に、だだをこねる生徒をなだめていた教師の背中に覆い被さるようにして肩を揉むなどしていた(これって迷惑)が、通りかかった女子生徒を蹴ったので、教師が注意した。その後、職員室に向かう教師の後ろから尻を2回蹴ったので、教師が怒って胸ぐらをつかんで「もう、すんなよ」と注意した)は小学2年生とはいえしつこく、悪意を感じます。それを許してはいけない。胸ぐらつかまれたという事実だけを言い募って、これを裁判まで持ち込んで金を要求するような親も。

判決は「教育的指導の範囲を逸脱するものではなく、体罰に該当するものではない。」

見慣れたとはいえ、こういう人々を相手をするのに疲れます。昔なら、あんなことをすれば、家に帰ってさらに親に叱られて(ウチならしばき倒されるやろなあ)、親は教師に平身低頭謝罪して、感謝して、終わるところです。事件から7年、あの子はどんな中学生になっているのでしょう。

教師になるとき、教師だった母から「生徒を叩いたらあかんよ」と強く諭されました。

かつて、若い頃、無闇に体罰を行う先生と対立して、大論争をしたことがありました。

あれから数十年。体罰は依然として出てくることはあるけれど、激減、逆に対教師暴力は2007年度で7000件。キレる生徒と過剰クレームの保護者の急増・・・。「信頼」といった言葉を教育現場に取り戻すのは大変な作業です。

先週の府立高校の教諭万引き事件も、こころ塞がる出来事でした。確かに万引き(2千円)はアカン。でも、それで新聞に名前が載り、「懲戒免職」ー退職金も出ないーというのは厳しい処置ではないでしょうか?間接的に存じ上げている方なのですが、しんどい学校を経験されて、心身共疲れ果てておられたようです

がんばって働いて、結果的に壊れて、みせしめのような社会的、経済的制裁を受けて・・・。

あの先生に必要だったのは処罰でなくカウンセリングだったのに・・・。身びいきと言われるでしょうが、お気の毒というだけでなく「人ごと」とは思えません。「明日は我が身」です。名前を掲載した新聞(毎日新聞)の行為には報道のモラルを超えた悪意を感じます。

最近印象に残った言葉―大岡信「言葉が映す人生」から

「あまり深淵をのぞきこみ過ぎると、今度は深淵が諸君をのぞきこみ始める」 ニーチェ

詩人で法政大教授の粟津則雄さんはこの言葉を引いて、「深淵にのぞきこまれる」のは「何か爬虫類の肌にでも触れているような底冷たい感触」と言ってはる。その「明るくて底冷たい感じ」、わかるなあ。


芭蕉の遺言  幾通もありますが、口述筆記でなく自筆といわれているもの。相手は松尾半左衛門。故郷、伊賀に居た実兄です。

お先に立ち候段、残念に思し召さるべく候。いかようとも、又衛門(息子のこと)頼りになされ、御年寄られおこころ静かにご臨終なさるべく候。ここに至って申し上ぐること御座なく候。

あとは親しかった人の名前がずらーっと弱い筆跡で書いているだけ。それも迫力。それにしても、これから死んでゆく者が、生き残る兄に臨終の心構えを説く・・・すごいなあ。長く苦しい旅から旅の生活を経て、芭蕉にははっきり見えていたものがあるのでしょう。享年50歳。


2009年5月17日
 
「 大和は 国のまほろば 畳なずく 青垣 山籠れる 大和しうるはし 」  古事記歌謡
 
 奈良は本当に美しいところ。この歌はいわゆる「国見」の儀式で歌われた「国褒め」の歌でしょうが、やはり、伝説の通り、伊吹山で傷ついたヤマトタケルが伊勢の能煩野(のぼの)で絶命する時に、故郷を偲んで歌った「白鳥の歌」と思って読むと、余計に切なく胸に迫ってきます。
 
 ちなみに、死後白鳥に姿を変えたタケルが天翔て、山を越え来て羽根を休めた地が、我が町「羽曳野」で、我が家のすぐ西に大きな「白鳥陵」(伝ヤマトタケルの墓)が横たわり、その付近の町名は「白鳥」(ハクチョウ)です。
 
 またまたハードな一週間の終わり、土曜も出勤、その夜は歓送迎会。ここんとこ数年は事件で宴会の開始時間に遅れていたのですが、今年は、休日開催にしたこともあり、最初から2次会までフルコース参加。楽しみ、転勤していった同僚とも歓談、痛飲することができました。
 
 会場はたまたま息子の勤務するホテル。連絡しておいたので、受付に会いに来て、久々の対面。親睦会幹事長の同僚にも挨拶させる。元気そうでした。
 
 近所に住む若い同僚(息子より若い!)に送ってもらって?終電一本前の準急で帰宅。茫洋とした頭でニュースを見てびっくり。府内(神戸も)でまた新型インフルエンザ発症!月曜からまた大変なことになるなあ、民主党新代表は鳩山さんに決定やて!もう、民主党も見込みないなあ、などと思いつつ爆睡。
 
 節酒のあとしっかり飲んで、ぼーっとしているけれど、気持ちのよい目覚め。妙に気分が冴えている。早朝出勤してゆく下の息子に、いつもは「気を付けろよ」と言うのに、今日は「忘れ物ないか?」と言いかけて、相手は小学生じゃないのだからと思い直して何も言わず送り出すと、数分して走って帰ってきて、忘れ物、忘れ物。天気は怪しいけれど、こういう時はどんどん行動しよう。
 
 嫁ハンと車で出掛ける。図書館で嫁ハンの無くしたカード再発行してもらう。本屋で、私が無くした、図書館で借りていた本を購入。auで契約更新。
 
 南阪奈道路を使って山を越えて、大和八木へ。深まる緑の山並みが美しい。ところがインターネットで検索して訪ねたイタリアンは大きなアミューズメントタウンの2階のフロアのど真ん中。「新口」(にのくち)という近松ゆかりの地名(梅川・忠兵衛の雪の道行きの舞台でした)に惹かれて来たのに、めちゃにぎやかなところでがっくり。ボーリングの音やら、ゲームの音やらでうるさいこと。まあ、味がよかったことと、巡業員さんとのゲーム、(トランプでカードを引き、相手より大きい数が出ればサービスがつく)で私がジョーカーを引き当ててジュースをゲット(車だったのでアルコールは断念)したのがよかったけど。
 
 橿原神宮に引き返して、畝傍山麓の仲人宅へ。庭先からもう登山口で、緑が広いガラス窓の外に溢れていて、その緑に溺れてしまいそう。大和は特に美しい季節です。ちょっと早めのお中元を渡し、落雁で抹茶をいただいて歓談。楽しいひとときでした。
 
 帰りに生協で飲料水(無料)を補充。秋田小町の販売キャンペーンで、小町の衣装を着たかわいいお嬢さんが売っていたので、釣られて5キロ購入。籤を引いたら当たってカランカラン、エコバッグを貰う。
 
 売り場で、所用で歓送迎会に来ていなかった、転勤した同僚に出会う。しばし立ち話。
 
 疲れたけれど、運にも恵まれ、いい気分で懸案事項をかなりクリアできて、満足の一日でした。この勢いで月曜からの日々を乗り切りたいものですが、新型インフルエンザの急激な広がりもあって、かなり波乱含みのようです。
 
最近読んだ本
 
「月光物語」 モンセ・ワトキンス
 
 在日スペイン女性ジャーナリストの時代ファンタジー。埼玉の古寺を舞台に、成仏できない武士の霊が現代まで彷徨う話。でも、未消化。単なる「お話」に終わっています。日本語訳がイマイチということもあるのかも。
 
「 シネマ・レストラン 」  桂木 良子
 
 様々の映画をその作品に登場する食事シーンを中心に読み解く。豪華なメニューより「椿三十郎」のおにぎりや、「レオン」の牛乳が印象的。
 
「 ブロードウェイ 夢と戦いの日々 」 高良 結香
 
 沖縄出身のミュージカル女優。ブロードウェイでひたすらオーディションに賭け、「コーラスライン」や「マンマ・ミーア」の舞台に立つ。厳しいレッスン、怪我との闘い、めげないそのバイタリティがすごい。
 
「 鬱積 」   ニョウニョウティンフラ  
 
 ミャンマーの女性作家。貧しい農村から出稼ぎに来て、都会の裕福な医師の家で懸命に働く少女を襲ったアクシデント。ミステリー仕立てで構成が確か。重い話ですが、読後感も悪くない。後期に始まる「海外文学講読」の教材に使おうと思っています。
 

2009年5月10日
 
 予想されていたこととはいえ、新型インフルエンザ患者の国内第1号が府内の高校生と教諭とは。ゴールデンウィークの帰国ラッシュの中でどれだけ水際で防げるか、難しいところですが、ここは緻密に対処するしかありません。それにしても、絶対数が足らないという検疫官の方々、連絡、対応する病院・保健関係の方々の大変さも察するに余ります。
 
 患者の出た府立高校も、実施したことの是非、現地での行動、府教委への連絡問題・・・いろいろ言われていますが、ここはこれからきちんと対応するしかありません。入院している4人の快復はもちろん、停留されている33人含めて、全員無事帰宅、学校への復帰ができるまで、保護者との対応を含め、学校現場は緊張の日々が続きます。
 
 母の日。大阪市内に転居した上の息子から大きな荷物、すごいプレゼントやなあと思ったら、先日私が運んだ荷物で、やはり納まりきれなかったものを、預かってほしいということらしい。なんやねん、と怒っていると、追っかけて、速達でグリーティングカードとスターバックスのコーヒー券が送られてきました。
 
 久々休暇の下の息子はカーネーションを買いに行って、ついでに入ったパチンコで2万円の負け。高く付いた花代だと言いつつ、赤いカーネーションの鉢植えを持って帰ってくる。
 
 こちらは昼食に嫁ハンと義母を誘って、義母の好きなイタメシへ。羽曳野は「チプリアーノ」「マンジャパスタ」「ドマーニ」他、結構イケるイタリアンの店が多いのです。今日は「ラミーカ」ヘ。薄いピザがおいしい。その後、藤井寺の源気温泉「おゆば」ヘ。ここでゆっくり浸かって、母の日のプレゼントに。カーネーションはピンクのものを贈る。
 
 故郷の母には夜に電話。居合わせた下の息子の声がプレゼントになったでしょうか。
 
 母と同年の森光子さん、9日、89才の誕生日に「放浪記」2000回達成。その後、NHKの特別番組に生出演、そのパワーに感服します。やはり死ぬまで現役に拘り、舞台に立ちたいタイプなのですね。
 
 「 あいつより うまいはずだが なぜ売れぬ 」 若い日の森さんの川柳です。遅咲きで40代で主役を掴んで、もう放さない。負けず嫌いでここまで来た、とカーテンコールで挨拶してはりましたが、もうだれにも負けていません(笑)。もう、いいんじゃないですか、というのは私のお節介。まあ、人の事は言わないで、自分の引き際を考えます(苦笑)。
 
最近読んだ作品
 
「終焉」 北原 亞煮以子
 
 人気シリーズも最終回。戦国時代、ポルトガルの宣教師から秀吉に贈られた鏡が語る時代の変遷。持ち主は秀吉、君、春日局・・・最後は幕末の医師、松本良順から名門一橋家の家臣ながら放蕩の末、吉原の幇間となっていた土肥庄次郎へ。庄次郎は城が薩長軍を迎え入れたことで激昂、発憤、武士に戻り、彰義隊に入り上野の山で闘うが、良順の贈った鏡が銃弾を防いで命を拾う。
 
 割れた鏡の「私」にはもう何も映らないが声は聞こえる。「助けてくれてありがとうよ。すっきりしねえまま徳川の時代は終わってしまったが・・・」。
 
 「かき集められた破片と私の上に、土がかけられた。埋めてくれたのだ・・・。」
 
 埋められた鏡に代わって、作者が庄次郎のその後を語って物語を締めくくる。庄次郎は江戸を脱出、榎本武揚を頼って函館へ行こうとするが、咸臨丸が嵐で座礁、清水に漂着、清水の次郎長に助けられ、やがて江戸に帰って、吉原へ復帰、有名な幇間、松廼家露八(まつのやろはち)となる。
 
 歴史の裏側の証人として鏡に語らせるのはうまい手法です。鏡なら将軍の寝室にも大奥にもすんなり入れます。庶民からみてすっきりしない時代の変遷を、こういう形で説明しつつ描いてみせて、最後はきれいに着地しました。
 
 ゆく人
 
 オペラ引退  ホセ・カレーラスさん (62才)。87年の白血病から復帰、年間50回のステージをこなしてきたが、今度からはリサイタルに専念するようです。 「重厚な」パバロッティはすでに亡く、「華麗な」カレーラスは引退。オペラ界に残るは「色気の」(失礼)ドミンゴのみ?
 
 
来る人 
 
 入江隆介くん、19才のスイマー、背泳200メートルで驚異的な世界新。背泳で100メートル50秒台で泳ぐなんて信じられない。それにしても日豪対抗水泳大会なんて、なつかしい。かつて、今はない扇町プールに昭和30年代の日豪対抗水泳大会の古い写真が飾られていたのを憶えています。山中選手もいたなあ。サーリなんて1500メートルの名手もいましたっけ。
 
最近こころに残った言葉
 
「今は、子どもにもわかりやすく、と配慮する時代ですが、却って能力を発揮させる妨げになっているのではないでしょうか。手取り足取り教えるよりも、天性の好奇心を刺激する方がいい。好奇心こそが、なによりの先生なのです」 田辺聖子さん
 
 全く同感。

2009年5月8日
 
「 響くなり 春は曙 監獄(プリズン)の早朝(つとめて)流す トイレの音が 」 (アメリカ) 郷 隼人
 
同じ日の歌壇に
 
「 見上げれば 花冷えの空 貧困の ビジネスありて 貧と貪の差 」 (ホームレス) 公田 耕一
 
 今日も近所からの苦情に飛び出して・・・昨日と同じ所に群れて、タバコを喫って・・・叱って散らして、ゴミを拾って・・・毎日こんなことの繰り返し。でも、やり続けるしかありません。 
 
 昨日の「つばめ魚」の記述で、主人公「お孝」がだらしない夫と離縁したことに触れていなかったので、後で読み返して不自然なことに気づきました。やはり飲んで書いたらアキマヘン。反省。
 
 いつも微妙な隔たりがあった「夢の中の世界」と現実の距離が急速に縮まって来ました。夢の中でも同じ職場、同じメンバーの生活があります。ただ舞台が四国なのだけが変。これはいいことなのか、それとも・・・。でも、夢の中でも、仕事の事を考え続けているのがちょっと切ない。
 
 最近読んだ作品
 
「 天空のアンナ 」  小池 真理子
 
 末期癌のヒロインが一日、家庭を離れ、都心の高級ホテルの高層階に宿泊して、暮れてゆく西空を眺めつつ半生を回想する。アンナはアンナ・カレーニナの事。家庭を捨てて、恋人に走った若い日。そして今・・・。
 
 「いつ最後の刻がやってくるのか、見当がついているというのは便利なことでもあった。二度と着ない衣類や古くなった下着、見苦しいものは先に処分しておける。別れの挨拶をしておきたい友人知人に、落ち着いた気持ちで、親しみを込めた別れの手紙を書き残しておくことも出来る。会いたかった人に会っておくことも出来るし、娘や夫に残したい言葉を冷静に考え、あらかじめ用意しておくこともできる。そして、何より、自分自身のこれまでの人生の軌跡を辿り、記憶を蘇らせ、思い出に浸り、懐かしむことが出来る。それがこの病の唯一絶対の長所だ、と奈緒子は思う。残り時間がわかっていればこそ、記憶を鮮やかに編み直すことができる。すきなだけ、そこに浸っていることができる。」
 
 私が認知症を怖れ、癌に憧れる(?)、その最近の思いを、これだけ鮮やかに言い解いてくれるとはうれしい次第です。
 

2009年5月7日
 
 「 自問して自答はいまだ 春愁 」 新聞俳壇から 長野 山口さん
 
 初夏のはずが冷たい雨。校舎の西庭のメタセコイヤの青葉の蔭に鳩が2羽寄り添っている、中庭の桜若葉の蔭では鴉が卵を抱いているみたい。寒いやろなあ。自由に空は飛べないけれど、安全な屋根の下に住める幸せを感じます。
 
 連休明けにさっそく事件というか、苦情、通報で駆けつけて、喫煙指導。もう、あれだけ注意しているんだから学校の直近で群れるなよなあ。ちっとは学習してほしい。一気に仕事モードになってくたびれ果てて帰宅。
 
 お父さんの仕事って僕と変わらへんね、とこれもお疲れモード、深夜帰宅の警察官の息子。
 何言うてんねん、事情聴取や指導会議しに学校行ってるんとちゃうわ!と言い返しましたが、力無し。
 
 最近読んだ作品
 
「屏風のぞき」  京極夏彦
 
 自堕落にひたすら流され墜ちてゆく女、マキ。それを屏風の蔭からみつめる「あやしのもの」。それに挑発されてさらに墜ちてゆくマキ。屏風の蔭の存在は、マキ自身の心の中にあるものなのでしょうが・・・。救いがなく暗い。
 
「つばめ魚」 杉本章子
 
 これは快作。日本橋の大店、伊勢屋の美しい家付き娘お孝は役者婿と呼ばれる美男の夫を迎え、息子にも恵まれ幸せだったが、それは一気に崩れる。両親の事故死、息子の病死、夫の浮気。気弱になったお孝、それを機に店を狙う、叔父と、嫁に行った妹。
 
 その苦境を救ったのは、ご家人崩れの子連れやもめ、早見。二人は惹かれ合い、男の子はお孝になつくが、身分違いの恋は進展しない。早見の活躍で店は救われるが、早見が暴漢に襲われ・・・。
 
 お定まりの展開を踏襲しながら、やはりはらはらさせられる。こうなれば結末は2種類しかない。
 
 締めくくるのは二人を見守ってきた相模屋。夏の祭礼の日、いつもは単衣に紅白染め分けの褌でのし歩いている生きのいいじいさんが、黒絽の紋服に袴を着けて伊勢屋に現れる。手には角樽。お孝も店の衆もその振る舞いが解せない。
 
「これは早見さんからの結納の酒樽だよ。受けてくれるだろうね。お孝さん。」その口上に店口がどよめく。
 
相模屋が早見に、男の面目と惚れた女とどっちが大事だ、とせっついて、仲人を買って出たのです。相模屋、かっこいい!
 
涙の粒を指の先で払って、ひと膝すざって両手をつくお孝。
 
きれいな幕切れ。よかった、よかった、お孝さん、よかったね、と思わずもらい泣きしました。
 

2009年5月6日
 
 5日。忙しくて4月はスキップした友人との「近場温泉ツアー」へ出掛ける。雨もまたよし。霧に包まれた青葉の山々を抜けて、奈良県へ。葛城の南、和歌山へ下る峠の上の大きな杉を友人に教えて貰う。「大井の大杉」といって地元では有名らしい。何度もこの側の道を通っていたのに気づかなかった。サイクリングしている友人ならではの発見です。
 
 樹齢400年余と10メートル下の小径の側の表示板にある。小さな地蔵さんが3体。それを見下ろす瘤のある力感に満ちたフォルムが大入道か金剛力士のようですばらしい。みていると勇気が湧いてくるような巨木です。しばらく幹に触れていました。
 
 雨に煙る桐の花はもちろん風情がありますが、山々のあまりに多い藤の花もちょっと気になる。それだけ里山が手入れが出来ず、荒れてきているということでしょう。藤の蔓に幹を締め付けられている木々の悲鳴が聞こえるように感じました。
 
 下市市内でちょっと渋滞、それを抜けるとスムーズ。下市温泉は鄙びたところですが、さすがに親子連れが多そう。静かに温泉に浸かりたいので、更に足を伸ばして、「黒滝温泉」へ。午後1時開館というので、側の「森の交流館」で山菜蕎麦と地酒の熱燗で待機。桜若葉に囲まれた温泉でゆっくり手足のを伸ばして友人と語り合う。人も少なくていい気分。
 
 高さ35メートル、長さ115メートルという大きな吊り橋があったので渡りたかったけれど、雨なので断念、下にある小さな吊り橋で辛抱。湯上がりに名物の熱い蒟蒻とビールで乾杯。気持ちよく酔えました。仲間2人に感謝。気の置けない3人のミニ旅行、いつまでも続けられますように。
 
 本日、6日は連休最後の日。体調を整え、鈍ったカンを取り戻すため、朝から学校へ。開錠した休日の誰もいない校舎は、森閑として不気味なくらい。2時間余り集中して仕事。印刷も数種類。授業モードが戻ってくる。昼過ぎにやってきた同僚に施錠を託して帰宅。義母を誘って嫁ハンと3人で回転寿司へ。結構食べたつもりで2100円。ひとり700円か・・・安い!
 
 夕食。義母が精魂込めた蕗が炊きあがり、鯖と、肉じゃが。このアテですから飲みたい気分が一気に高まったのですが、ぐっとガマン。明日からに備えます。
 
ビデオでガマン
 
「 必殺・ブラウン館(やかた)の怪物たち 」
 
 「必殺仕仕置人」の映画版。懐かしい山田五十鈴さん(現在療養中)が見たかったのです。厚化粧だけれど艶やか。他も豪華な出演陣。でも、センスが光ったのは題名だけ(ブラウン管ーテレビの世界と読めますよね)。テレビ時代劇をそのまま映画に移すのはムリ!映画には映画の手法があります。それでテレビ時代劇で作られた魅力的な怪物たち(仕置き人、悪役たち)を描かなければ・・・。
 
 消化不良のこじんまりしたパロディ映画に終わってしまいました。
 
「レッドクリフ PartT」
 
 今や世界的監督となったジョン・ウー。アクションの得意な彼が、潤沢な予算(100億円)をフルに使って?「三国志」の世界を映像化。
 
 「赤壁の戦い」はUで描かれるので、Tは2時間余を使った長大な予告編というところですが、つるべ打ちされる戦闘シーンは迫力充分(映画館で見たかった!)なのに、ドラマとしてはもの足りなさが残るのは何故?
 
 見終わったあとで思ったこと・・・。国際スターを揃えているのですが、芯がいないのです。この映画の主役というべき周ゆ(すみません、字を作る余裕がなくて)と孔明にトニー・レオンと金城武、そして孫権のチャン・チェン、それぞれ、若くりりしく美しいのですが、みんな二枚目(今風に言えばイケメン)で、重みに欠けるのです。
 
 クランクイン直前にチョー・ユンファが降りて、トニー・レオンに交代した(その為、衣装もセットも作り直して膨大な費用がかかったらしい)と聞きましたが、それも大きいかもしれません。好き嫌いは別にして、画面を支配する存在は必要です。
 
 本来の一枚目に当たるべき曹操のチャン・フォンイーや劉備のユー・ヨンも貫禄イマイチ。そして華となるべきヒロインの小喬、リー・チンリン(たしかに美しいけれど)も、尚香のヴィッキー・チャオも活かされていません。
 
 歴史ドラマ、それも戦闘シーンの続くスペクタクル大作では、いかに人間ドラマを整理して、印象的に描くかがポイントになります。まあ、すべてパートUへの序章として、本編?でのジョン・ウー監督の手腕に期待しましょう。
 
「クライマーズ・ハイ」
 
 日航機墜落事故とそれにぶつかった群馬の地方新聞記者を描いて話題になった映画をやっと見る。未曾有の航空機事故と大事故を前に興奮、記者魂と報道、新聞経営の在り方も一気に描こうという意欲作。
 
 事故前からその後の数週間、時間を追ってうまく描いています。報道責任者になった主人公の家庭事情、友情、山への思いが回想シーで織り込まれ、谷川岳、一の倉沢を登る過程と、正確な報道を追求しつつ、特ダネにも拘ってゆく新聞記者の葛藤が重なりあいながら、丁寧に描いています。
 
 地方新聞の内部の葛藤、編集部、営業部、印刷部の軋轢、食えないワンマン社長(山崎努ウマイ)の横暴さ、主人公を演じる堤真一の力演、堺雅人はじめキャストも粒ぞろいです。
 
 被災者の家族への遠慮があるのはもちろんでしょうが、新聞記者の性(さが)、大事件に出会えた記者の歓び、高揚感などをもっとリアルに描いてもよかった。最後のシーンがニュージーランドにおける主人公と息子夫婦の和解というのも不要な付け足しというか、ごまかしのように感じました。
 
 「HERO」
 
 話題になったテレビドラマの映画版。これもずっと見逃していました。こちらはうまく作っています。松本幸四郎、タモリ、中井貴一ら豪華な友情出演?でグレードアップしているのが映画らしくていい。それでいてテレビで見せたアンサンブルのよさやお約束の場面をきちんと残している。
楽しめました。
 
ゆく人
 
 高 英男さん (シャンソン歌手、肺炎、90才)
 
 ソルボンヌに入学後、「枯葉」「ロマンス」などのシャンソンを日本に紹介したシャンソン界の草分け。ヒット曲「雪の降る街を」は故郷の樺太(サハリン)を思って歌ったのだそうです。
 
 個人的にはその厚い化粧、あまりにやわらかな物腰が苦手でしたが、大御所ではありました。晩年まで舞台に立って、失敗することもあったそうですが、そこまで舞台に拘るかなあ。森光子さんの「放浪記」も帝劇で始まったようです(週末に二千回達成)が、引き際というのは難しいものです。


2009年5月4日
 
 「 みどりの日 風もみどりで ありにけり 」 小林 草吾
 
 昨日の記事の訂正から。五條で買ってきた観葉植物は「山帽子」ではなく「山法師」です。そして、忌野清四郎さんではなく「清志郎さん」でした。お詫びして訂正します。それにしても、友人、知人、同僚のブログすべて清志郎さんの死に触れているのは、いかに多くの人がこころ惹かれる人だったかということですね。
 
 インタビューで三浦友和さんが、高校の同級生だけれど、高校時代からミュージシャンとして尊敬していました、とコメントしていました。
 
 ロック葬というので、にぎやかに送る、そして祭壇もピンクや赤の花々で華やかに、というのはいいけれど、ならば遺影はネクタイ姿ではなく、あの派手なブラウス姿の方がよかったのでは、と思ったのは私だけでしょうか?
 
 曇天の休日もいい。遠出はやめて、午前からめずらしく嫁ハンとお手て繋いでご近所を散歩。顔見知りから「お仲のおよろしいことで」などと冷やかされるが、偶には仲のよいとこもアピールしておかねば(我々は芸能人か?ー笑)。
 
 近所の蕎麦屋さんで昼食。「天で一本付けてくんねえ!」というのは歌舞伎の「直侍」(なおざむらい)の名セリフですが(片岡仁左衛門が絶品)、私は熱燗でなく、「黒牛」の冷やでざるを、嫁ハンはてんぷら蕎麦をチョイス。おいしかった。
 
 和菓子屋さんで柏餅を購入、個人的にはこしあんより粒あんなので、2種類を買うことに。
 
 それにしても検疫官のみなさんは連休返上で大変なこと。うちの二人の息子も休みなし。ホテルマンと警察官では仕方ありません。私は完全休養で申し訳ない気分です。
 
ビデオテでガマン 
 
「みんなの家」
 
 三谷幸喜さんのちょっと前の作品ですが、なかなかまとまっていてよかった。近年の「有頂天ホテル」などは手を広げすぎて、散漫な感じもあったのですが、中小品であるところがいい。
 
 マイホームを建てるのに、友人の気鋭の建築家に設計を、奥さん(八木亜希子元アナーウマイ)の父親の大工に施工を依頼したところからくる、新旧世代の確執と深まるトラブルと和解というきれいな構図を、きちんと映像化しきっています。主役の田中邦江、唐沢寿明という組み合わせ、他のキャストもうまく嵌っています。セットがちょっと大袈裟なのも、映画だから許せる。ドアが外開き(日本)か内開き(外国)のカルチャーギャップもうまく取り入れていますが、もっと突っ込んでもよかったなあ。
 

2009年5月3日
 
 「 瓶にさす 藤の花房 短ければ 畳の上に 届かざりけり 」 正岡 子規
 
 枕から頭も挙がらぬ病床から見た、シンプル、的確な描写。それだけで胸を打ちます。そして作者も志半ばで、短い命が尽きようとしています。
 
 昨日の脱輪騒動が自分の中に尾を引いて、酒を飲んでも寝付けず、午前3時過ぎまで悶々としていました。人に迷惑を掛けないことを信条に生きてきたのに、この体たらく。おまけにきちんと礼も言えなかった・・・。
 
 5時半起床。6時過ぎに家を出て、友人と久しぶりの早朝座禅にゆく。3ヶ月振りなので、足腰が痛い。でも、やはり座ってよかったです。
 
 座禅後、友人とモーニングを一緒して、9時帰宅。これも約束していた嫁ハンと義母とのドライブ。青葉の美しい竹内街道を抜けて、葛城の「かもきみの湯」へ。御所までは渋滞、その後はスムース。込んでいるかと思ったら施設も意外に空いている。ゆっくり薬湯に浸かって気分転換。いい気持ちでした。
 
 南下して紀州に入り、五條の「金剛寺」ヘ。初めて参詣。牡丹で有名ですが、それ以外の花もすべて爛漫。700坪を越す境内には、100種類の牡丹(特に黄、白が美しい)、木蓮、都忘れ、花水木、えびねらん、黄れんげ、石楠花、えにしだ、おだまき、あやめ、そして珍しい大山れんげが咲き競っている。花に酔って、思わず売店で、ユニークな姿の「黒帽子」紫が美しい「カンパニュラ」を買ってしまいました。
 
 花のもちろんですが、江戸時代唐招提寺から移築したという茅葺きの隠居所も開放され、広い座敷を風が吹き抜けて、涼しげでいい寺でした。
 
 五條の古い街並みを抜け、、更に南下して、29日に誘わなかった義母を改めて橋本郊外の「子安地蔵」へ案内。藤はまだ持っていて、義母は大喜び。
 
 2時を過ぎて腹もすいたので、紀見峠を越えて、371から東にそれ、グリーンロードの途中にあるカフェレストラン「歩絵夢」(ポエム)で遅い昼食。ここは谷間の一軒家の風情。まず水がおいしい。寿司、焼肉、パスタを取って、3人で分けていただく。うまい。目の前に小川、木々には藤の花。
 
 それにしても女二人の購買意欲のものすごさ(苦笑)。立ち寄る道の駅、農協やコープで野菜、山菜などを買いまくる。義母は蕗を4束にめだかまでも購入。
 
 まあ、にぎやかな女性ふたりのお供に、たっぷり森林浴。これはこれでいい一日でした。夜9時、義母から蕗がやっと茹で上がったと電話あり、これから味付けするそうです。これだけ作れば半年持つとうれしそうな声。明日、貰いにゆきます。
 
 「天地人」は見ています。粗いところはあるけれど、テンポがよくてつい見てしまう。中村彰彦さんの文章によると、上杉家は信長の死によって、起死回生、「柴田勝家と雌雄を決する必要のあった」秀吉に景勝と共に重用され、直江兼続は秀吉の陪臣ながら30万石という豊臣大名中11番目の位置を占める。しかしそれで、主君景勝(120万石)と亀裂を生まないのが、兼続の巧みさ。やがて徳川の時勢となり、上杉は米沢30万石に削封され、兼続は3万石になるが、兼続は自分は5千石だけもらい、後は直江家家臣に分配したという。出処進退の鮮やかさがいいなあ。
 
 最近読んだ作品
 
「仏罰、海を渡る」 荒山 徹
 
 江戸時代初期の日韓国交秘話としては、捉え方が斬新でおもしろい。
 
「糸屋の女たち 新・御宿かわせみ」 平岩弓枝
 
 明治編にも慣れてきました。東吾・源三郎の息子達の活躍も安心してみていられます。今回は江戸以来の大店の血縁、遺産相続にまつわる連続殺人事件。おどろおどろしい騒動を、アガサ・クリスティ、横溝正史へのオマージュを根底に、巧みに語ります。でも、犯人像まで踏襲しているのは困ったものです(苦笑)。でも、久々「るいさん」の出番があるのがうれしい。
 
ゆく人
 
 中丸 忠雄さん(俳優、胸部動脈瘤破裂、76才)
 
 たくましい体と、個性的な容貌。敵役でも活躍しました。喪主の奥様は国際政治評論家。
 
忌野 清四郎さん(ロッカー、癌性リンパ管症、58才)
 
 独特の声、パフォーマンス、独特の語り口と反骨精神、CFもおもしろかった。2006年喉頭癌を公表、昨年復活ライブ・・・同世代でした。「僕の好きな先生」がなつかしい。
 
ナターシャ・リチャードソンさん(英国俳優、スキー事故、45才)
 
 祖父が英国劇壇の雄、マイケル・レッドグレーヴ、父はトニー・リチャードソン(アカデミー賞監督賞)、母はヴァネッサ・レッドグレーヴ(アカデミー賞助演女優賞)、夫は人気俳優リーアム・ニースン(「シンドラーのリスト」)、華やかな一族に突然の悲報。故人の遺志で、臓器は提供されたそうです。
 
モーリス・ジャールさん(映画音楽作曲家、癌、84才)
 
 「史上最大の作戦」「ライアンの娘」「今を生きる」どれもよかったけれど、やはり「ドクトル・ジバゴ」の哀切な「ララのテーマ」が忘れられません。

2009年5月2日
 
 「 ゆく春や 重たき琵琶の 抱きごころ 」  蕪村
 
 
  先月半ば、疲れて地下鉄のホームのベンチで休んでいたら、声を掛けられました。40代半ばかな。あたたかな笑顔で、かすかに見憶えがある。ごめん、前々任校の卒業生ですね。担任したのかな、お名前を失念していて、と言うと、いえ、担任していただいてはいません、授業を持ってもらいました、お名前も印象的だったし、お会いできてよかったです。Yです、お元気で、といって爽やかに去って行った。30年振りの出会いだったのに、立ち話でそのままになって、ずっと気になっていました。
 
 連休第一日。久々のテニス。疲れ果てて、最後のゲームをパスさせてもらって帰宅中、近所の路地で脱輪していまいました。前にも書いたとおり、この地区を東西に走る唯一の道は古代の国道一号線(竹内街道)で、狭くて、息子達は決して車で通らない。こちらの注意も足らなかったのですが、大きな車と離合しようとして傍に寄りすぎたのです。
 
 離合した車はそのまま行ってしまい、茫然としてひとり立ちすくんでいると、前の車の人が降りてきてJAFの番号を教えてくれるやら、なにやら手配してくれる。そのうち、たくさんの人が集まってきてくれて、また、脱輪したのが、たまたま以前住んでいた家の近所だった方の移転先の門前で、その夫婦も出てきてくれて、後ろに詰んできた少年野球チームのワゴン車のみんなも協力してくれて、車を持ち上げてくれ、無事JAFが到着する前に脱出。JAFは電話で断る。
 
 そのまま渋滞していたので、みんなぱっと散ってしまったのですが、別れる前に、「先生でしょ、今気が付きました」と言ったのは最初に声かけてくれた前の車の男性。ちょっと車を置けるところまで走って駐車、踏切まで走って、停車していた彼(A君)の車を見つけ、慌ただしく礼を言う。
 
 その足でケーキを買って、脱輪した場所の知人に家に礼にゆく。固辞されたけれど、散ってしまったたくさんの方にお礼のいいようもないので、代表していただいてもらう。それにしても。ぼーとして、集まってくれた方々に、きちんとお礼も言えなかった自分が恥ずかしい。自己嫌悪。
 
 家でシャワーを浴びて、酒を飲んで一息ついて、昔の名簿を引っ張り出す(今は個人情報の問題で名簿は作りません)。Aくんはわからなかったので、知ってそうな教え子にメールで問い合わせたら、消息不明でみんなで探していたのですとのこと。大阪市内の○○電気関係(大手)と言っていた。改めて調べてみてもらうことに。無理な詮索はしてはいけないけれど、きちんと働いてはったみたいだし、せめてちゃんと礼が言いたい。
 
 Aくんを調べる過程で、たまたまYくんらしき名前が名簿で見つかる。いつか調べようと思っていたのが、こんな機会に見つかるとは・・・。ずっとこの駅の近くに住んでいますと言っていたから、とさっそく手紙を書いてみる。20数年前の住所だけれど、届いたらいいなあ。
 
 それにしても30数年ぶりの脱輪はショックでしたが、何かの手引きがあったようにも思います。いろんなことがあった一日でした。
 


2009年5月1日
 
「 大空を オペラハウスに 揚げ雲雀 」  新聞俳壇から 伊万里市 萩原さん
 
新生児の名前のベストテン(明治安田生命調査)の推移はおもしろい
 
2008年の第1位は 女子が陽菜(あきな、ひな と読むのでしょう)
            男子は大翔(ひろと と読ませるらしい、ちょっとムリがあるなあーそれにしてもいい字ですが、書きにくい)
 
 
先日はせっかく嫁ハンが作っておいてくれた肉じゃがを焦がしてしまった。友人から貰った赤い厚い鍋は復活できるだろうか・・・。
 
近来稀なハードさだった4月をなんとか超えて、連休に突入できそうなのは、月末に開き直ったからだと思います。
 
 とにかく「無理することをガマンしない」ー年取ると、忙しい時はつい倒れないように、どこかでセーブをし始める。最後の再度の詰めを省略したり、睡眠時間を無理に確保しようとしたり、酒を控えたりする・・・その中途半端にセーブすることが却ってストレスを高めてしまう。若いときのように倒れるなんて考えすぎないで、思い切って行けるところまで行こう、忙しくても、飲む、睡眠時間を削っても、気になること、やりたいことをやれるところまでやってしまう・・・そう決意してから、うまく仕事が廻るようになって、30日、1日と快調に過ごすことができました。
 
 人間ってほんとに気持ちの持ちようひとつ。一度きりの人生、限りある力を出し惜しみしないで走り続けます。
 
 それにしても厳しい教育現場です。
 
最近こころに残った言葉
 
 松原泰道さん (禅僧 101才)の説法から
 
 江戸末期の名僧 仙崖(せんがい)のエピソードから話を起こす。
 
 死に際、弟子達が遺言を求めた。すばらしい言葉を期待する周囲の者に、仙崖は「死にとうない」と言った。「ご冗談でえなく、本当のことをおっしゃってください」と「いう弟子たちに「ほんまに、ほんまに死にとうない」と言った。誰でも死にたくない、未練を残している者こそ救われる・・・
 
 死ぬ間際までかっこいい言葉を残そうなんて色気を出すことはありません。生きるときは精一杯生きて、死ぬときはお任せする、それが禅の生き方なんです。
 
 ホームレス歌人 公田耕一さんの歌
 
 胸を病み 医療保護受け ドヤ街の 柩のような 一室に居る
 
 どこにいてはるんでしょう。お体は大丈夫なのかな。少し過ごしよい季節になってはきました。でも、まだまだ冷える夜もあります。
 
最近読んだ作品
 
 「 静人日記 」  天童荒太
 
 「悼む人」の続編というか長いエピローグといえる作品となるでしょう。新連載。
 
 彼(キリスト)は隣人を愛せ、汝の敵を愛せと言い、もし右の頬を打たれたら・・・(中略)
 
 キリストの言葉を行為として貫くのは難しい。でも、だからこそキリストはキリストなのだろう。彼は、もしかしたら、人間の死を考えに置いて語っていたのかもしれない。
 
 確かに人の世には、愚かな者たちがいて、自分の欲望を満足させる為に他者を殺すことも平気な者が存在している。何も悪いことをしていないのに、突然そうした愚か者に暴力を振るわれ、殺されたりする。といって、どれだけ用心していても、隙をつかれることはあり、個人では防ぎようもない大きな暴力が降りかかることもある。また、平和に暮らしているつもりでも、思いもかけない事故とか、過失によっても人は死ぬ。安全と言われている場所でも、時に死に至る事故は生じる。それはほとんど避けがたい。
 
 だからこそ、自己の防衛のためにきゅうきゅうとしたり、憎しみや恨みのために、生きることをおろそかにしたりするよりは、いま生きておられるこの〈生〉を、充実したものにすべきだという意図で、あのようなことを語っていたのではないか。隣人の幸いにつながるような仕事を心がけ、瞬間瞬間を誠実に生きるようにと求めたのではないか。
 
 確かにその通りだと思う、胸に落ちるけれど、肝心のキリスト教を信奉する国々でここまで汲み取って行動している国があるだろうか。
 
 小学校の校庭に立つ、二宮金次郎さんの銅像。彼の読んでいる本に何が書いているか?半藤一利さんのエッセイを読んでいて、自分も筆者と同じように、よじ登って覗いてみたのを思い出しました。確かに本には左右のページに「忠・孝」と大きな字が書いてありました。
 
 同じエッセイからー
 
「つまり飛鳥時代には、いわゆる天皇家の祖先がいて、さらに曽我大王家があった。ふたつの王家が存在していて、拮抗しながら国家が運営されていたと思えばいい。藤原鎌足と中大兄皇子がやったのは「大化改新」ではなくまったくの「革命」だったのだ。だからこそ、それまでの国史をないものにして「古事記」や「日本書紀」をつくり、あとから自分たちの政権を正当化したのだ」
 
 これは坂口安吾の論の引用らしいですが、面白い!
 
 津波のようにおそってくる、新型インフルエンザの脅威。防ぎきれるのでしょうか?



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