2010年10月31日
「 とどまれば あたりにふゆる 蜻蛉(とんぼ)かな 」 中村汀女
歩みを止めれば、まわりの蜻蛉の数がにわかに増えて感じられる。確かにそのような記憶があるのに、このようにきっちり詠われると、そうだったなあと感嘆します。今は蜻蛉の絶対数も減りました。
昨夜の記事に補足・訂正
「熟女バーはもっと若い」というご指摘。ごもっともです(笑)。
ずっと下世話な話ばかりしていたわけではありません。こころに残った言葉
長年、お母様と暮らし介護して昨年見送った60代の□□さんを80代の○○さんが叱咤激励する。
「あなた!お母様を亡くされて悲しんでいるけれど、寂しいのはわかるけど喜んで差し上げるべきなのよ。お母様は大事にされて、92歳の天寿を全うされて、お幸せだったの。悲しいというのは、私みたいに、40代で夫を出張先で亡くし、その後4人の子供を残され、また息子に病死されて、どんなに悔やんだか、そういう状態を言うの!あなたは悲しんじゃだめ!」
説得力がありました。確かにその通りだと思います。充分生きて順送りにゆくことが幸せなのでしょう。私にもいつか来る別れ。笑顔で送りたいけれど・・・出来るかなあ。
2010年10月30日
「 淋しさに なほも紫苑の のびるなり 」 子規
秋空の下に咲く淋しげな花。しかしぐんぐん伸びて背丈を超すこともあります。ただこの句の「紫苑」は単なる花でなく当時(明治26年)の大隈重信のことを詠ったものとして有名です。大隈伯はその数年前に爆弾テロで片脚を失い、外務大臣の職も追われていたのです。不遇の中でも、挫けず淡々と生きた明治の男。
ハノイまで行って会談をドタキャンするか?その準備だってばかになりません。わけのわからん国を相手に大変ですが、総理はもちろん、外務大臣がんばれ!
卒業があぶない生徒の家に定期連絡。
ところでセンセー、今日漢字検定試験がありましたか?
いえ、公開会場での試験はもっと先です。
ええっ?試験受けるからと三千円くれと言って、持って行きましたが・・・。
なんですぐばれるウソをつくかなあ。今頃、血の雨が降っていないか、心配。
後期が始まって四週間、やっと新しい授業や仕事のペースが掴めてきました。今までものすごい量の仕事に追われていたのが、やっと仕事を追っかける側に移れた感じ。そして第4コーナーを廻って、遙か彼方にゴールが見えてきた感じ。足下はふらついていますが、なんとかゴールしたいものです。
で、気分的にちょっとゆとりが生まれて、何ヶ月振りかでアベノの馴染みの店に顔を出す。常連さんのひとりに電話しておいたのでドアを開けると懐かしい?顔が笑顔で迎えてくれる。この宵、テーブルにいたのはすべて熟女の4名。平均年齢70に近い?(最近「熟女バー」が流行っているというけれど、まさにそれですー笑)。私が持ち込んだのは、還暦祝いに友達からもらった能勢の銘酒「秋鹿」の大吟醸、それと、羽曳野の「笑い栗」。どちらも好評でした。
それにしても喧しいこと、この上なし。笑いすぎて腹が痛くなりました。
話題はいつか女性の下着に。尿洩れやパンパースなどの話も出ましたが・・・
一番元気な80過ぎの○○さんー「ほんまに大変よ。私は生理の時ー」
私「ちょっと待て!それいつの話やのん?」
○○さん「そういうとこのツッコミは速いねえ。30年前よ」
私「コレ。正直に言いなはれ!」
○○さん「ごめん。40年前の話。それでねー」
いくら話題を変えようとしても、「下半身」から離れない。こまった大阪のおばさま達です。ちなみに○○さんは豹柄のブラウス(笑)。○○さんはその夜、帰宅してニタニタ思い出し笑いをして、同居の息子さんに気持ち悪がられ、心配されたそうです。
私は気持ちよく酔って笑ったので、爆睡。翌日は気分爽快でした。「笑い」はやはり体にいいんだ!
酒が2合残ったのと、まだ話し足りない?というので翌晩また集まることになりました。この日はなぜか7名。また大騒ぎ、大笑い。でも今度は流石に酒が残って、翌日のテニスはメロメロでした(苦笑)。それにしても連日付き合う80代(お仕事も現役)のパワーに敬服。
先日書いた、故郷の隣町の海岸「七五三が浦」の読みは「しめがうら」でした。教えてくれたYさんありがとう。故郷のNにも電話して確認しました。
最近読んだ作品
「平蔵の首」 逢坂 剛
前作が好評だった池波正太郎の鬼平をテーマにした新作。これもうまい!
老舗の薬種問屋への押し込み強盗一味に参加した歌吉が平蔵の手先になるまでの一部始終を、歌吉の視点で描く。
映像でなく、文章ならではのトリックがあり、あっと思わせます。人気アニメ「サザエさん」もそうですが、これだけのキャラクターを消滅させるのはもったいない。今後も逢坂さんはじめ、いろんな作家に挑戦してほしい新分野です。もちろん原作の匂いは残し、時代物サスペンスとしてこれくらいの水準はほしいものですが・・・。
2010年10月27日
「 露の世のひと急ぎけり 駅の朝 」
朝日俳壇から 東京都 木村さん
朝6時台、阿倍野駅で、改札口に突進する、到着した先頭車に乗った人々。あそこまで急がなくてもと思いつつ、早足で改札を抜ける自分がいます。
札幌はおろか、昨日は氷ノ山にも初冠雪。一気に冬?まだ夏服も仕舞っていません。昨日は「木枯らし1号」が吹いたらしい。今日も夕方強い風。これは2号?春は「一番」。冬は1号なんですね。
「股引」はメンズレギンズ?大売れらしい。腹巻きもブームで、どちらもちらっと見せるのがポイントだとか・・・。それって、邪道!
後期スタートから2週間、やっとペースが掴めて、仕事がひとつの峠を越えた感じです。(またすぐ峠があるって?ー笑)今の間に貯金をして、なんとかゴールまでたどり着きたい。
最近読んだ作品
「 巡る 」 角田 光代
DVで子供を殺して?そのまま、スピリチュアル体験ツアーに参加した主人公は・・・。
こいしう視点は新鮮。
「ラストシーン」 森 絵都
紛争地帯のある国の空港に降り立つ寸前、機内上映の映画がうち切られて、もう少しだから最後まで見せてくれと大騒ぎするある乗客。この自由のない国にあえて帰ってきた彼にはもうこの映画のラストシーンを見ることはできない。乗り合わせた「私」はなんとかしてあげたいがどうしようもないし、続きを話してあげることも出来ない。
その映画が「情婦」だからです。あの二重のどんでんがえし。しかし、これは映画の話ではなく、映画の主人公と同じ貧困と不自由な生活に帰る男、そこから救い出してくれたのに、なぜ恩人を裏切って「検察側の証人」(原題)になる?あの「悪女」は許せない・・・。
そう、映画を知っている乗客達はヒロイン(マレーネ・デートリッヒ)が「悪女」で無いことを知っています。でも、だからこそ言えないのです。その重さが何重にもなって、胸を打ちます。
2010年10月26日
「 食卓に 造花を飾ってゐるような ノンアルコールの 麦酒といふは 」
朝日歌壇から 東京都 高橋さん
造花でもいい。これがあるので、禁酒デーを作れています。
札幌に初雪。北国はもう冬なんですね。
クリスマスバージョンに模様替えするのはハロウィンが終わってからというのが近年の常識?ですが、大阪で一番早いクリスマスイルミネーション、アベノフープ前の光のゲートが始まりました。今年はちょっとスケールが小さいけれど、やはりきれい。毎日この下を潜って帰れるのもちょっと嬉しい。
気温が下がり、冷たい風が吹き渡り、夜の空が一段と深くなりました。星月夜が本当に美しいのはこれからです。
保護者がころころ変わり、進路も次々変わっていた(専門学校で学んで自動車の整備工、大学進学、営業関係に就職)生徒の現時点の保護者に来て貰って懇談。いろいろ変わったけど、君が本当にやりたいことは何?遠慮しないで言ってごらん?
センセ、本当は、おもちゃを作ってみたいんです。
それ、ええやん!
現時点の保護者もびっくり。改めて、相談しなおします。難しいけれど。彼の初めての意思表示を尊重してやりたい。
最近読んだ作品
「八号古墳に消えて」 黒川 博行
20年前の話題作だったけれど、読み逃していたのを友人がプレゼントしてくれました。羽曳野在住の作者らしく、舞台は富田林、奈良御所近辺とめちゃ身近。遺跡発掘と大学のポストを巡る連続殺人事件に、ご存じ府警の「黒マメコンビ」が挑む。
陰惨で重い事件も黒マメコンビの漫才のような掛け合いで、ほどよいエンタテイメントにすり替わり、中編だけれどあっというまに読了。
でも、10名を越す登場人物をもう頭の中で整理できない(苦笑)。何度も元に戻って人物関係を確認、これは作者の書き分けの問題でなく、私の頭の退化が原因です。昔、ロシアの長編を読んだなんて信じられない!(苦笑)
2010年10月25日
「 曾孫生まれ 笑顔よき子になりました 可愛さたまらん もうたまりません 」
朝日歌壇から 富田林市 太田さん
「孫」もまだいない身ですが、可愛さは想像は出来ます。「曾孫」は更に更に可愛いもんなんでしょうね。
朝、体調が悪いので、学校を休ませて検査に行かせます、と母親から電話。あれ、母親はアメリカ出張中と聞いてたのに、と思って生徒本人に確認すると、あ、国際電話を家のパソコンから転送して来ているのです、と返事。お父さんは仕事でヨーロッパに。で、君の世話は?大丈夫、お手伝いさんがいます・・・。彼はセンター試験受験予定。ごく一部ですが、こういう家庭もあります。
厳しい就職戦線。1次で不合格だった生徒の次の受験先が問題です。パソコン等でハローワーク検索する。でも、先生、受験先が決まっても、受験願いを郵送する費用がありません、と言われて絶句。父親も、兄も失職中。格差社会化はますます加速しているようです。
体が重かったので早めに帰宅。一休みして、改めて「NINAGAWA12夜」のロンドンの舞台をビデオで見る、というより聞きながらパソコンに向かう。歌舞伎の世界に植え替えられて、見事に活きるシェークスピアのセリフと人物造型。鍛えられた歌舞伎役者の声が実に気持ちよく耳に入ってきます。この歳になって、シェークスピアの言葉の深さ、重さ、面白さに感じ入っている次第です。
この夏の友人Nとの半日旅行。大西町の明堂院から山道を下って海岸線へ。農協で弁当を買って、更に隣町になる波方町の岬に向かう。岬の先、海を見下ろす高い丘の上に「御崎神社」という立派な社がありました。この付近は裕福な漁業と交易の町。金離れのよい人々の寄進で寺社も一際豪奢です。ここから燧灘(ひうちなだ)と呼ばれる愛媛北端の海域が一望。よく晴れた日で海が煌めいている。
Nのナビで車一台やっと通れる山道をドキドキしながら下って(対向車が来たら最後ーいつもこんな危ない目には遭わされる)「七五三ヶ浦」(字は憶えているのに読みを忘れました)と書かれた美しい広い海岸に出る。Nに寄れば知る人ぞ知る地らしく、海水浴客が10人ほど。形のよい小島が沖に浮かんでいる。水も透き通ってきれい。浜の外れの岩場の日陰で昼食。私はもちろん、ノンアルコールビール。その後Nを置いて、私一人、15分ほど泳ぐ。気持ちいい。この夏唯一の海水浴でした。これで水虫が治りました(笑)。着替えて急ぎ帰宅すれば午後2時。夕食の買い物にセーフ。
今回も昨年に続いて正解の小旅行。Nに及第点を与えてやりました。来年もNが健勝で一緒にゆけますように。
最近印象に残った言葉
斉藤明美さんの「高峰秀子という映画史」から
昭和23年、今井正監督の「われらが教官」で琴を弾く役がくる。琴を教えてくれたのはあの宮城道雄。
「もう緊張なんてもんじゃありませんでした。盲目だから全身が巨大な耳なんですよ。宮城道雄という人は。その人の前でど素人の私が琴を弾くのですから、恐ろしさと苦痛で、指が震えそうだった。物静かだけれど、厳しい人でした・・・あのビリビリするような緊張感の中で『ものを教わる』とはどういうことか教えてもらったような気がするの。一種の恍惚感と、ある種の『信心』にも似たような気持ち。生半可な気持ちではものを教わることはできないんだと思った。」
教わることがビジネスになってしまった現代。この言葉は重いと思います。
2010年10月24日
「 あたたかな 案山子(かかし)を抱いて 捨てにゆく 」 内藤 吐天
秋の陽を吸ってあたたかい案山子の抱き心地。感謝と寂しさ。今年の稲作も終わりです。
上の息子夫婦が来訪。一緒に義母のマンションで昼食をいただき、午後句会がある義母は残して、4人で車で駒ヶ谷へ。山間のワインメーカーの年一度のワイン祭り。仕掛け人の女性専務さんの奮闘もあって、年々人気を呼び、今回も驚くほどの人出。母屋での講演会、義太夫や落語、蔵でのコンサートと盛りだくさん。古市の飲食店からの出店もたくさんあって、それをアテにワインの試飲や販売店。新酒も出ている。めちゃ飲みたかったけれど、車なのでガマン。来年は歩いて行きます!
家に帰って、我慢した反動もあってつい飲み過ぎる。息子の嫁ハンと話すのも楽しい。仲良くやってくれているようなのがなにより。久しぶりにくつろぐいだ休日でした。夜に京都の姉と、四国の弟に電話。来月くらいに一度帰省したいと思います。
それで思い出しました。書き忘れたこの夏の帰省の半日。40年来の友人で故郷で療養中のNのことは、帰省する度に毎度書いてきましたが、今回は抜けていました。両親の卒寿祝いのハードなスケジュールの間を縫って、ちゃんとNとの半日のデート?は確保しました。
郷土史にも詳しい彼に、いつも帰省前に連絡して半日旅行のプランを立てさせるのですが、よくややこしいところ(車が通れないような山道ー運転は私)に案内して私にボロクソに言われるので、ここ数年は私の趣味(花、巨木、廃墟、巨岩、奇岩、庭、滝、人がいない海などが好き)を把握、学習して外れがなくなりました。
朝8時半にNを迎えに行き、最初に訪れたのが隣町の山間(やまあい)にある明堂院。蔦や草に覆われた人気(ひとけ)ない谷間に夏草に覆われた幅広い石造りの立派な参道がある。周囲の蔦の下には木造のしっかりした家並みが朽ち果てようとしている。家々は元旅館や土産物屋の跡らしい。
辿りついた本堂は小ぎれいな造り。なにより本堂の周囲の3本?の大きな山桃の木が圧巻。特に本堂後ろの大木は例によって洞に白蛇?狸?妖怪?が住んでいたという伝説があると脇の立て札に書いてある。誰が手入れしてしるのか本堂周辺だけはきれい。それにしても往事の隆盛と今の寂れようの、この大きな落差は何?さすがのNも詳しい歴史は知らないようなので、ここは父の出番です。その夜に訊いてみました。
父によると、そのお堂は昭和の初めに熱狂的な信仰を集めた場所なのだそうです。一種の新興宗教か祝祭のようなもので、仕掛け人がいて、御利益があるというので、全国から人が集まり、もよりの大井駅から参拝客が蟻のように山の中腹のお堂まで続いていたとのこと。土産物屋も旅館も出来たはずです。もちろん父も行ってみたそうです。
で、その騒ぎはどれくらい続いたん?
いや、もう半年くらいで熱は冷めて、それから一気に寂れていったらしいが、まだ残っていたんじゃなあ。だれが世話しているんじゃろ?
諸行無常とはいうけれど。家からほんの近くにこんな所があったんだ!Nの選択は大正解。褒めてやる。この項続きはまた。
最近印象に残った言葉
斉藤明美さんの「高峰秀子という映画史」から
松竹から東宝へ引き抜かれた(生活の事情あり)高峰さんは、新しいスタジオで山本嘉次郎監督に出会う
「とにかくみんなが仕事を愛していた。だから思ったの、俳優もスタッフも誰もが平等に一本のクギなんだなって。私は東宝に移って、初めて映画という仕事の奥深さというか、楽しさや苦しさを、そういうスタッフの真剣な表情を見ていて教わった。重いライトを全身でウンショって持ち上げているライトマンの額の汗とか、ひとりひとりが自分の仕事に自負を持ってやっている姿がまぶしかった。だから私もその中で一本のクギになりたいと思った」
その時、彼女は13歳。えらいなあ。
2010年10月23日
「 背の父に 楽しみやわと 男(お)の子言う えも柔らかき 浪花言葉よ 」
日経歌壇から 大阪 黒瀬さん
老いた父親を労る息子、そんな情景が今は新鮮です。それを柔らかい言葉が際だたせる。
22日は秋の遠足。30名を連れて神戸三宮へ。北野町も南京町も遠足や修学旅行でいっぱい。北野町は久しぶりでしたが、震災前の落ち着きと美しさを取り戻した神戸の街並を堪能しました。できたてパンも六甲牧場ソフトクリームもおいしかったです。
阪神三宮駅で一旦解散、数時間後その場に集合したのですが、迷子が何人も。マークしていた生徒達は無事集まったのですが(苦笑)、地図が読めない、人に道を聞けない、JRと阪神の区別がつかない生徒がこんなにいたとは・・・。忙しくて事前指導をじっくりできなかったことを反省。集まった順に数班に分けて帰阪。最後の班の解散は5時を過ぎました。それにしても遠足は携帯電話の重宝さを思い知る行事です。
23日土曜日は学校説明会。100人余りの保護者と中学生。ずっと寝ていた生徒、始終憮然としていて話しかけても無表情の保護者の存在が気になりました。来年度入学しはるんやろか?
十三夜が過ぎて月がほんとうに美しい季節。夜更けの空にはオリオンも上っています。まだ衣替えもしていないのに、季節は冬に向かって着実に行進中みたいですね。
「スーパージャンプ」に連載中の「JIN−仁ー」龍馬に次いで、沖田総司も橘恭太郎も死んでしまって、これから主人公南方とヒロイン咲はどうなるのか?好評だったテレビドラマの続編は来春始まるそうですが・・・。
プロ野球、ファイナルシリーズ、巨人もがんばったけれど、やはり中日は強かった。投手力の差は大きいですね。ペナントレース3位のチームが日本選手権に出るのはどう考えても不自然。これでよかった。
フィギアスケート、浅田真央ちゃん、日本だからNHKだからといって、無理して出場しなくてよかったのに。今は雌伏の時期。じっくりすべてを建て直す時間をあげたい。それにしても、この世界にも次々スターが生まれます。私はフィンランドのプラチナブロンドの選手にぞっこんでした。
最近気になった言葉
「敵を選ぶときは気を付けなければならない、なぜならこちらも敵に似てくるから」
パトリシア・コーンウェルの小説の主人公の言葉から。ニーチェからの引用のようですが。わかるなあ。最近の世相を見ていると特にそう思います。
2010年10月21日
「 ねこバスが 確かに見えた 空も秋 逢いたいと思い 逢えた人たち 」
朝日歌壇から 吹田市 川西さん
まだまだ続くハードな日々。
でも、今日朗報。正午のインターネットによる発表で、前に述べたグループの生徒のT大、合格判明。
思えば、この夏からずっと小論文、その作成のためのリポート、フィールドワーク、面接指導などで、多くの先生方の援助をいただきました。職員室は拍手の渦。
中国から帰国して5年。最初の一年間は地方都市で働いて貯金。それから大阪へ。日本語(日本語検定取得、漢検2級)と、英語(英検2級)をマスターしつつ、高校を探して進学、そしてこの難関を突破。厳しい家庭環境にめげず、この日を迎えました。本当によくがんばりました。頭が下がります。弾ける笑顔に彼女の拓け行く未来をみました。これで留学ビザがとれます。合法的に家を出られます。中国へ帰らなくてもすみます。将来、国際的な場面で働く彼女を姿を見るまで生きていたい。
生きていればいいこともあります。すばらしい人物にも出会えます。彼女の未来に光あれ。早速、卒業式実行委員としてゲットしました。
最近読んだ作品
「路上の旅人」 森村誠一
都会に生きる若者の迷いと自立。でも文章もテーマも古い。
「さよなら、ギューション」 乾 ルカ
これはよかった。 ギューシュンとは牛の小便、止まらない涙、桁外れの泣き虫のこと。そのことで苛められてきた主人公がそれを才能と見て開き直ったところから運が開ける。しかし、最後に悲劇が・・・。主人公の幼なじみの唯一の理解者の存在が胸を打つ。
最近印象に残った言葉
第143回、直木賞の選評から、北方謙三さんが小説の在り方に触れてー
前略ー面白ければいいという考え方も当然あるはずだ。しかし、魂というようなものは、間違いなくある、と私は感じている。魂といういい方は、私の独断的なものだが、それ以外の言葉が見つからない。三十年間小説を書き、魂を持っていると私は思ってきた。ただ、その魂というやつは、しばしば腐るのだ。自分の腐臭を嗅だと思い、おののいたのは一再ではなかった。その恐怖感は今も蘇る。道尾秀介の魂は腐っていない・・・。
選ばれなかったけれど(受賞は中島京子さん)、これだけ書いて貰って、道尾さん、悔しかっただろうけれど、嬉しかったはずです。
2010年10月19日
「 星月夜 死を受容るる 静かな目 」
朝日俳壇から 大津市 王仁さん
前書きに「末期癌を告知されし夜」 その落ち着き?諦観?満天の星が、一個の命を見つめているように思えます。王仁さん、どうしてはるやろ?
HPを更新出来なかったこの一週間の最大の話題はチリの炭坑からの奇跡の脱出劇。世界も(私も)注目していたあの愛人問題。カプセルから出てきたその人を迎えたのは愛人でした。そのまま愛人の家に。妻の家でも料理を用意して待ってはったようですが・・・。
やはり生存が確認されるまでの17日間を思います。傑出したリーダーの在り方が採り上げられていますが、信仰の、神の在り方はどうだったのか、と思います。それにしても、生き延びて、これから生きてゆく人生も大変。
この文章を書くのは3度目。昨夜からパソコンの調子が悪く、今日、キーボードを換えて復調しました。めちゃいそがしいけれど、明日からまたがんばります。
2010年10月17日
「菊酒や 決して延命願はねど 」
日経俳壇から 宝塚市 広田さん
チューブ人間や認知症になって長生きするのは辛いだろうけれど、元気で四季を味わえるなら、もう少し生きていたいものです。
まだ向日葵や朝顔が咲いています。ベランダのラベンダーも今年2度目の開花。2週間前、ラジオでススキの開花宣言を告げていましたが、ススキって「開花」と言うのかなあ。「出穂」というべきじゃないでしょうか?とにかく例年よりひと月遅いそうです。
2期制の現任校、後期始めの第1週は月曜休日で火曜スタートでしたが、やはりハードでした。最後の金曜は誕生日でもあったので、新しいシャツを下ろして、気に入りのネクタイを締めて気合を入れて出勤。
授業の間に、16日に大学入試の面接がある生徒の模擬面接指導。16日に入社試験がある生徒の呼び出し。
午後3時から卒業が厳しくなった生徒の保護者に来て貰って三者懇談。これに2時間かかりました。母親は涙。授業に出られなくなった原因は父親との確執も一因らしい。いくら話してもあかん、父親のあの性格は変わらん、と嘆くので、性格は変わらんけれど、生き方は変えられる。諦めないで、話し合うよう説得。母親は納得。
夕方、指定校推薦の校内選考。その後、選考に通った生徒を呼んで、願書や志望作文を書く指導。
帰りの地下鉄でメール着信。10日の試験を受けた生徒の合格報告でした。目の回る忙しさに、帰宅してもしばし茫然。冷蔵庫のビールが切れていたので、とにかく酒じゃと、藤井寺のスナックのママが誕生祝いに届けてくれた(アリガトウ!)焼酎「千年の眠り」をちょっと舐めたら、そのまま爆睡してしまいました(笑)。
千年ならぬ8時間眠って、土曜の午前は学校へ。午後からの河南町でのテニスを早めに切り上げて梅田へ。誕生日の恒例、息子の勤務するホテルでの1泊。息子達からのプレゼントです。
同じ誕生日の嫁ハンと待ち合わせていたクラブラウンジに入ると、スタッフが口々に笑顔で「オメデトウゴザイマス!」と迎えてくれる。オメデトウは息子の結婚と誕生祝いを指しているのです。暖かい対応がうれしい。結婚式の2次会に来てくれていたスタッフもいて、お礼を言いまくる。「お父さんのスピーチよかったです!」などと言われて気恥ずかしい。
早速ビールとカクテルで乾杯。可愛いケーキが用意されている。しばらくしたら素敵なキャンドルも。花も。次々繰り出してくるなあ。ホテルの外へ飲みに出るつもりでしたが、居心地がよくて結局ラウンジで飲み続ける。おいしいアテもある。先日ドイツフェアがありまして、その残りの珍しいビールがあります、どうぞ(もとろん無料)、と言われて断ることはできません。とうとう「コレが最後の一本です」というところまで飲み倒す。これでちょっと上がっていた?評判落ちただろうなあ(苦笑)。
千鳥足で部屋に。白い薔薇に支配人からのウエルカムカード、お祝いのチョコが届いている。酔眼朦朧で夜景を眺め幸福感に浸りつつ、ベッドでうつらうつらしていた11時過ぎに仕事を終えた上の息子が来た気配(下の息子は友人の結婚式で来られない由)。起きあがって、またビールで乾杯、新婚旅行の話など聞いたらしい(憶えていません)。息子は1時過ぎにタクシーで帰ったらしい。
翌朝、ゆっくり起きて、またラウンジでビールとおいしいブランチ。昼過ぎに帰宅して、もう夕食はパス。車はもちろん置いて、歩いて義母のマンションに土産を届け、また歩いて市立図書館に本を返しに行く。
ロビーで開催中の市民絵画展で元同僚(先輩)に20年ぶりにお会いする。出品してはったんだ。油絵やってはるなんて知らなかった。工業科の教師でした。お父さんの肖像画、迫力あり。お父様は?大分前に亡くなったけど、絵に残しておこうと思って・・・。ちなみにお母様は102歳でご健在とのこと。こちらの絵も描いてはるそうです。ちなみにもう1点出してはって、これは「羽曳野名産」と称して、ワイン、いちじく、デラウエア、ピオーネを描いた静物画でした。
お会いできてよかった。帰って歩数計をみたら、やっと1万1千歩。ダイエットの道は険しい。
最近読んだ作品
「PRIDE」 池袋ウエストゲートパークX 石田衣良
最新作はなんか元気なし。もちろん、よく出来ているのですが、いつもの社会批評とアピ−ルがより強くて、ちょっと説教臭い感じ。
美しい依頼者のレイプ被害相談に燃える主人公マコトと相棒タカシのコンビは、もちろんあくどいレイプ集団を追いつめるのですが、終わり方に妙な余韻あり。これってひょっとしてシリーズ打ち止め?「御宿かわせみ」の時(2年前の12月号で一応中断している)も明示はしていないけれど、なんか最終回の気配がありました。作者がこの話を、人物たちを廻すことに疲れてきているのでは、と感じたのですが・・・。
2010年10月11日
「 ある時は 新酒に酔ひて 悔ひ多し 」 漱石
金木犀がどこに行っても匂います。朝は義母を誘ってドライブがてらのモーニング。帰りにあちこち(道の駅や生協、産地直場所など)で、くだもの、野菜、饅頭など買い物をしまくる。女性ふたりの買い物に付き合うのは大変。最後にふたりとも金が無くなって私が千円貸しました(苦笑)。
午後はつい「出雲駅伝」を見てしまう。早大久しぶりの優勝。渡辺監督(選手時代から見ていました)、ふっくらしていると思ったけど、優勝、胴上げに備えて10s減量したんですって。選手が胴上げしようと駆け寄ったのを制して、大学駅伝3大大会制覇までお預けだって。胴上げのためにダイエットしたんだし、それを公表しているのだから、素直に胴上げされりゃいいもを・・・。
それにしても、選手の走りの美しいこと。やはりフォームって大事なんだろうなあ。
駅伝見た後は、走るのを止めて、たっぷりウォーキング。風邪がほぼ抜けたので、ダイエットの計量日に標準を合わせなければなりません。あと、1.5s。
チリ、サンホせ鉱山の落盤事故。救出用カプセルは直径54センチ。閉じこめられた人の中の何名かはそれに乗るためダイエットしてはるらしい。失礼ながらちょっと笑ってしまいました。なんせ、あの環境、ウォーキングもランニングもできないものなあ。脱出の希望がある現在だからこそ語れるエピソードです。
何年か前、バルト海で沈んでしまったロシア潜水艦の乗組員のことを思い出します。終戦前後、瀬戸内海や日本近海で事故などで沈み浮上できなかった多くの潜水艦に乗っていた人々のことも。もっとも辛い苦しい死に方だろうと思うのです。
チリの現場も、早くという思いと、慎重にという思いが交錯しているだろうなと思います。それにしても全員脱出できたとしたら、まさに奇跡です。
行く人
「青い山脈」など戦後を代表する映画で知られる俳優の池部良(いけべ・りょう)さんが8日午後1時55分、敗血症のため、東京都内の病院で死去した。92歳だった。東京都出身。葬儀・告別式は近親者のみで済ませた。
昭和16年、立教大学文学部卒業後、東宝シナリオライター研究所研究生になった。しかし、すぐに俳優へ転向し、同年7月に「闘魚」で映画デビュー。現役入営し、中国、ニューギニアを転戦後、陸軍中尉として復員。軍隊生活のブランクを経て、24年「青い山脈」、25年「暁の脱走」で主役を務めてスターとしての地位を確立した。
27年の「現代人」、31年の「早春」、32年の「雪国」などで演技派としても認められ、東映のやくざ路線へと幅を広げた。40年から47年にかけて9本続いた「昭和残侠伝」シリーズでは、高倉健の演じる主人公の兄弟分・風間重吉役が当たり役になった。
日本映画俳優協会理事長を務めたほか、エッセイストの才能も示し、「そよ風ときにはつむじ風」が平成3年の日本文芸大賞受賞。他に「池部良の男の手料理」「心残りは…」など。月刊誌「正論」で「つきましては、女を」を連載した。父は洋画家の池部釣(ひとし)氏。 (産経新聞から)
戦争のため、デビューが遅かったのですね。器用ではないが味のある、でも、役者というよりはスターであり、知性派。飄々としてとぼけた味わいのあるエッセイの書き手でもありました。俳優で文章の名手はこの人と高峰秀子、岸惠子の3人かなあ。あ、加藤剛も。池部さん、戦時中ニューギニア等で地獄を見たでしょうが、戦後の映画興亡の時代を生き抜いた、幸せな後半生ではなかったでしょうか。
最近こころに残った言葉
「放下着」(ほうげちゃく)
下着を放るのではありません(笑)。「物や執着を捨てて無一物になるだけではくて、無一物へのこだわりまで捨て去る」という高い境地を示す禅の言葉
「藁屋に名馬を繋ぎたるがよし」 侘茶の祖 村田珠光の言葉
名物道具をたくさん並べるよりも、侘びた風情の中に、一点の美しさを求めるのが、侘茶の極意だ
山本兼一さんの小説に出てきた言葉ですが、禅も茶も改めてきちんと教わりたい世界です。
2010年10月10日
「 コスモスの 押しよせている 厨口(くりやぐち) 」 清崎 敏郎
今は無い懐かしい小径。故郷の家の勝手口から村道に下りる10メートル余りの道の両側には、秋は群生しているコスモスの林が聳えて(!)いて、小学生の私はそのトンネルを潜って登校していました。雨の翌朝なんか草に残った露でびしょびしょになって、傾いた茎にランドセルは引っ掛かるし・・・今思えば、贅沢な美しい風景なのに、子供の私にはそれを味わう余裕も感性もありませんでした。でも、幼稚園から中学卒業まで11年間その道を通ったのです。
今は手を入れて、車が裏庭まで上れる味気ないコンクリートの道になってしまいました。消えたコスモスの代わりに父が花壇を作っていますが・・・。
ちなみに実家では、子供は中学までは勝手口か玄関横の通用口を使用。玄関は高校にならなければ使わせてもらえない慣わしでした。でも、玄関、門に到る道よりも、あの厨口の道が懐かしい。
賑やかなストリートより、小径、裏道、路地が好きなのは、おいしい居酒屋があるというだけでなく、あの頃の原体験に根ざしているのでしょうか(苦笑)。
祭り囃子が最高潮に達した10日。風邪気味なのと(もう一週間、こんな長い症状は初めて)地車の巡行で車が出せないので、家に籠もるしかない。でも運動不足になるのがいやなので、嫁ハンと歩いてモーニングに出掛けました。市役所前の喫茶は、広くて、しかもセット料金が350円とお得(ゆで卵もサラダもついてです)。
満足して更に歩いて誉田八幡を抜けて義母のマンションへ。宮前の小径の途中のいつもしまっている農家の門が開いて、中で無花果の出荷作業をしているのが見える。一家5人(おばあちゃん、息子夫婦、息子、娘)総出?で最後の出荷かな、と思いつつ通り過ぎようとすると嫁ハンが声を掛ける。少し分けていただけますか?箱でですか?いえ、できればパックで。いいですよ、と奥さんが、もう最後ですから小さいけれどと言いつつ、大きいのを10個ほど選んでくださる。これでおいくら?500円。めちゃ安い!2パックいただいて義母の土産に。
白鳥神社の境内で地車を見ていて声を掛けられる。20数年前の教え子。今は富田林に住んではるらしいが、そういえばこの近くの出身だったんだ。お母さんと御一緒。懐かしい。しばし昔話。携帯番号を交換して別れる。
今日、面接に行っている生徒からメール。無事終了しました。偶然、面接官がオープンキャンパスで説明してくれた人で、あがれないで話せました・・・。ひと安心。
実家の弟が新米と一緒に、焼き鰺と公魚の唐揚げを送ってくれる。感謝。さっそくそれをアテにビールを飲んで昼寝。目が覚めると風邪は大分マシになっていました。
リュックを引っ張り出して、借りていた本を詰めて図書館へ。行く道に花屋が4軒あるので覗きながらゆっくり歩いて20分程。帰りに一番コスモスが安かった店で鉢植えを買う。ピンクと白、5株で350円。小さな蕾だけで500円の店もあったので、これもお買い得感あり。今、机の横にスックと立っています。でも、やはり風に吹かれてこそのコスモスかな。
最近読んだ作品
「木陰の家」 小池真理子 「夏の尖り」 村山由佳 「タンク乗り」 重松 清
「調律師」 熊谷達也
ピアノから立ち上る匂いで調律する不思議な調律師の登場。これからが面白そう。
「薊と洋灯」 皆川 博子 「等身大の恋」 藤田 宜永
「幽霊注意報」 赤川次郎 「はにかむ甘食」 柚木 麻子
「苺のジョウロ」 緒川 莉々子
「 サクラ秘密基地 」 朱川 湊人
いつも幽霊譚をからめて独特の味を醸すこの作家。今回はそれがしっくり作品に馴染みました。昭和30年代の東京の下町。それぞれ複雑な家庭事情を持つ男の子達が自然に寄り集まってグループを作り、工場の外れの人目につかない空き地に集まる。そこに咲く大きなサクラ。そこは子供達の秘密基地。仲間のひとり、義父に虐待されたショースケが家出をしてきてこの基地に籠もる。
でも、どうも様子がおかしい。ショースケの家の様子を見に行った「私」達は家の前のゴミ箱からショースケの遺体を発見する。ショースケは母親を庇うために生きている体(てい)で秘密基地にいたのだ・・・。
サクラの下で涙する仲間たち。きちんと現代を映して、しかも切ない余情のある作品でした。
2010年10月9日
「 食道の 無事確かめて 冷そうめん 」
日経俳壇より 唐津市 山口さん
体が重く、横になっていると、友人が食道癌との報せ。毎月ドキッという知らせが来ます。7月には元気に飲んでいたのに。今は好きな酒もタバコも止めて、抗癌剤の副作用に堪えているらしい。知らなかった。風邪が長引いているくらいで憂鬱になっていては申し訳なし。「病気とも看護師さんとも仲良くするように」とメールを送って、ベッドから起きあがる。健康に感謝、しっかり働いて遊ばなくちゃ。
新婚旅行中の長男夫婦からは美瑛の美しい写メールが送られて来ました。北国は秋も真っ最中のようです。
息子は毎月2回ほどプロポーズして断られ続け、8回目に承諾してもらったらしい(笑)。
わが息子ながらその粘りはエライッ!俺なら1回断られたら、すぐ次に行くで。
お父さんのその諦めの良さというか、切り替えの速さもスゴイと思うで!
とめずらしく親子で褒め合っていると
それって、単なるストーカーと浮気者というだけちゃうのん?
と、下の息子に切って捨てられました(苦笑)。
最近印象に残った言葉
弾けない曲 ショパン 青島広志さんのエッセイから
「 ・・・しかし、もっとも困難なのは、ショパンのピアノ曲が、完全に個人形式で書かれていることである。たとえば、モーツァルトが弾ければその師弟関係にあるハイドンベートーヴェンの曲は似ているので弾くことができる。ベートーヴェンが弾けるなら、彼を尊敬していたシューマン、ブラームスの曲も大丈夫だろう。しかし、ひとりショパンは違うのである。ある時は高貴であり、ある時はヒツテリックまでに自虐的である。同時代の貴婦人の性格とでもいおうか。・・・ショパンと同棲していた作家のジョルジュ・サンドによると、彼は嬉々として即興演奏をするのに、それをいざ楽譜にしようとすると一晩中呻吟したという。ということは、残された譜面は、必ずしもショパン本人の演奏どおりではないわけで、どのように解釈しようと自由だという考えに達する・・・」
なるほど、面白い捉え方です。退職したらピアノを習おうと思っているのですが、ショパンまで辿り着けるかなあ。
年金詐欺についてー佐藤優さんのエッセイから
ゴーゴリの「死せる魂」での詐欺師のチチコフは戸籍上、生きたことになっている農奴を買いあさり、農奴の数を抵当にして銀行や他人からカネを借りて大儲けしようとする。最近、我が国で問題になっている偽装高齢者に年金や祝い金の詐取事件は現代の「死せる魂」だ。
現代ロシアの制度は性悪説に立つので、年金詐取は生じない。国民全員がパスポート(国内旅券)を持ち、本人が出頭し、定期更新を行わなくてはならない。パスポートなくしては、年金の受領はもとより、アパートを借りたり、列車や飛行機の長距離切符を手にすることも出来ない。日本も偽装高齢者問題を口実に国民聡背番号制を迫ってくるかもしれない。ロシアみたいになるのもいやだなあ。
うーむ。わかります。
ところで、先日、1年前に切れていたパスポートをやっと更新しました。手続きに1万6千円。痛いなあ。おまけに、この冬友人と計画していた「泰山ツアー」がここんとこの日中関係の悪化でキャンセル続出、不成立に。ちょっと残念、ちょっとホッ。
2010年10月8日
「 蜻蛉や 村なつかしき 壁の色 」 蕪村
この場合は「とんぼ」でなく「とんぼう」と読ませます。故郷の村の秋の風景の中にはやはり蜻蛉がいます。母の様子を見に帰りたいけれど・・・。「負われて見たのはいつの日か・・・」
NNNニュースから
今年のノーベル平和賞に、中国の民主活動家・劉暁波氏(54)が選ばれた。劉氏は共産党一党独裁の廃止を訴えて有罪判決を受け、服役中の身で、中国政府は受賞に強く反発している。
ノルウェーのノーベル賞委員会は、劉氏の受賞理由について、中国での基本的人権のための長く平和的な戦いを評価するとしている。劉氏は、89年の天安門事件に民主化運動のリーダーの一人として参加。事件が武力弾圧されると投獄されるが、釈放後も国内にとどまり、民主化を訴え続けた。08年に自らが中心となって共産党一党独裁の廃止を求める声明「08憲章」を発表、09年に国家政権転覆扇動罪で起訴され、懲役11年の判決を受けて、服役中。
劉氏の受賞について、中国外務省は受賞から約1時間後に談話を発表し、「劉氏は中国の法律に違反し、判決を受けた犯罪者であり、こういう人物に賞を与えることはノーベル平和賞の趣旨に背くもので、平和賞への冒とくだ」と強く反発した。その上で「ノーベル賞委員会が平和賞を劉氏に与えたことは、中国とノルウェーの関係に損害を与える」と警告した。
中国は発表前にもノルウェー政府に圧力をかけ、発表後はこの対応。世界の反応が読めないのかなあ。ノーベル賞も権威化して平和賞にも首を傾げる点もあったけれど、サハロフ氏、ダライ・ラマ14世、サン・スー・チーさん・・・体制を批判し、民主化を求める人をに与えたことに大きな意義はあります。サンスーチーさんが命ながらえてはるのも、この賞に裏打ちされた国際世論の存在があるからこそ。
「ノーベル平和賞の趣旨に背き、平和賞を冒とく」しているのはあんたの方やで、と言いたい。
はるかに次元は低いけれど、かつて在職していた某高校も、当時、ひとつの組織が支配していて、生徒の権利に目をつむったり、昼休みに職員室で組織の会議を開こうとしたりしたので、そのことに反対したら、きびしいバッシングを受け、参加していた教科の勉強会(「源氏物語を読む会」)」を解消されるなどの仕打ちを受けたことを苦々しく思い出しました。
硬直した組織は怖い。でも、言い続けなければさらに増長します。退職も近づいてきて、そんな思い出が呼び覚まされた今回の平和賞を巡る動きでした。
2010年10月7日
「 花アルトキハ 花ニ酔ヒ 風アルトキハ 風ニ酔フ 」
榊 莫山さん。風のように行ってしまいはった。書壇から離れ、でも俗からは離れず、大和の自然の中で自分の生き方を貫きました。個人的に好きでもないけれど、こんな在り方もいいなあと思わせる人でした。
上の息子の結婚で一日半の休暇をいただきました。
息子の仕事の関係で平日に実施。仕事柄たっぷりセレモニーは見たのでもう自分達(嫁さんは元同僚)は地味にシンプルにやりたいという言葉を、額面通り受け取って、結納もせず、親族の顔合わせだけでさっさと息子中にでコトを進めてきたのでしたが・・・。
最近の流行りなのでしょう。凝ったサプライズを演出する趣向を知らされ,しかもそれにホテルの専門のスタッフがついているのですから・・・。私もなまじ幹事である息子の友人を知っていたこともあり、当然に如く巻き込まれ、「花嫁にだけ内緒のにぎやかな2次会プラン」が同時に密やかに進行。そのための準備と重ねるウソが大変でした(笑)。
当日、息子の仕事が終わったのは午前3時。式のリハーサルは午前11時。身内だけのチャペルでの挙式、披露宴と和やかに進行。そして散会。花嫁の両親、親族も広島に帰ったはずでした。
ところが実はみんな別のホテルで休養。夜の8時(ホテルの勤務交代時間の少し後)ホテル近くの貸し切りにした食事も出来るジャズライブハウスで、ふらっと晩飯を食べに出た体の新郎新婦を待ちかまえる。その数100人余。新郎新婦の人生のこれまでの友人、仲間達。ホテルの清掃スタッフのパートの方々も来てくれてはる。
ドアを開けた途端にクラッカーと歓声。茫然自失の花嫁を控え室に拉致して、嫁ハンと義母が縫い直しておいたドレスに着替えさせて、再入場。花嫁感涙。そのあとの2時間は息子の高校の後輩の芸人さん?の出し物やら、ホテル仲間の落語やら、嫁ハンのシャンソンやら、しっちゃかめっちゃか、盛りだくさんのメニューのつるべ打ち。流石に4人の幹事の動きはすばらしく、舞台転換も鮮やか、食事をする間もなく、飲んで喋って笑っているうちに、最後の場面で私が指名される。
最後に感動のスピーチをというコンセプトらしいが、この若い人中心に盛り上がった場で、真面目な話もなあ。前夜、風邪発熱をおして考えた文章が霞んでゆく・・・。
一気に鎮まり、照明が絞られた小さなステージに立って口を開く。「相武紗季ちゃんはバージンだったんですね」一呼吸置いて爆笑と拍手の渦。
最初の出し物で息子の後輩が「大丈夫、相武紗季は処女だ!」というわけのわからん歌を歌って、大笑いと顰蹙を買っていたのです。
「つかみ」が成功したので後はほぼシナリオ通り、楽にしゃべれました。みなさん笑いながら、頷きながら聞いてくださって、授業よりもええ気分(笑い)。いつの間にか、熱も咳も納まっている(苦笑)。新郎新婦の挨拶で閉会。慌ただしく撤収して、息子達はマまたホテルに引き返して深夜まで3次会だとか。最近の結婚式ってこんなんですよ、と息子の同僚。それにしても、みんなタフやわ。若い幹事さんたちに感謝。
この日、息子と最後に交わした会話は日付も変わる頃。
お父さん、今日はありがとう。
お疲れさん、ところで新婚旅行はどうするの?
ゆけることになった。明日から。
ホンマ?どこへ?
北海道。
洞爺湖やろ?
ピンポーン、なんでわかったん?
これでもホテルマンの父親やで。
我々と花嫁の家族は近くのホテルで一泊。私は2次会で食べられなかった分を近くの居酒屋のラストオーダーで取り返す。翌朝、風邪は着実に快方に向かっている実感。
うれしかったのは前から楽しみにしていた花嫁の姉弟に会えたこと。特にお姉さん。176センチ、元全日本のレフトアタッカー(チビと言われていたのですって!)髪を大きく結い上げ、高いヒールに紫のドレス。明るい笑顔。すっくと立ったお姿は180センチはゆうに超え、ニコール・キッドマンかと思いました。こういう新しい人間関係が生まれるのはいいなあ。
午後から職場に駆けつけたら、また仕事が津波のように襲ってきて、風邪が一気にぶり返しました(苦笑)。
2010年10月4日
「 この足で 歩くほかなし 尾根灼くる 」
日経俳壇から 横浜 下田さん
山歩きもまた人生に重なります。
やっと秋が来た、凌ぎやすくなった、と喜ぶ声を背に。寒がりの私は朝夕の冷え込み(?)に早速風邪を引いてしまいました。微熱が続いてぼーっとして、体のあちこちの節が痛みます。食欲はあるので、飲んで早めに寝るという健康的な?生活を2日程送っています。で、寝入り鼻に電話で起こされる。センセー、願書、書き間違えたー。
結局、諸費は二人とも今日までに納まらず、その生徒達は遠足はゆけないことになりました。かわいそうという見方もあるけれど、仕方ないと思います。小中学校の給食費しかり。
親の問題で子供に責任はないというけれど、しかるべき代価を払わないままに享受してしまうことは結局本人のためにもよくありません。アルバイトしている高校生も多いのです。月に万近い携帯料金を払っている生徒もいます。数千円の諸費を自分で払うことも出来るはず。
個人的には高校の授業料無料化にも反対でした。無料化に伴い、事務職員だけ削減され、催促されない、未払いのため除籍にもならなくなった生徒がどんどん増え、その対応がさらに教師の仕事を圧迫します。授業には出ないが、学校には来る、遠足には参加するそんな生徒がますます増えています。
歌舞伎ダイスキ
4月に歌舞伎座が無くなって(正確には立て替え中)そのことをHPに書かなかったのでお問い合わせが。そう、思いがありすぎて、書けなかったのです。それでも風化する前に思いの一端を。
2年にわたるサヨナラ公演で、まず昨春の玉三郎の「鷺娘」一世一代(いっせいいちだいー歌舞伎の世界ではその役を演じるのはこれが最後の公演、という意味で使います)。代表作に自らピリオドを打ったのは「踊りきれない部分が出てきたから」。そうなんだ。観客に気づかれなくても、なにより本人がそれを感じているのですね。千秋楽ではミキサー室で勘三郎が泣きながらカメラを回していたそうです。
閑話休題、この秋の梅田芸術劇場公演「マイ・フェア・レディ」は大地真央の最後のイライザなのだそうです、日本では江利チエミさんから始まって(ロンドン初演はジュリー・アンドリュース)雪村いずみ、上月晃、栗原小巻と見ましたが、やはり大地真央さんが一番の当たり役だと思いました。美しさ、表現力、どれも絶品でした。でも、ご自分で引くべき時を悟らはったんでしょうね。
今年はバレエの草刈民代さんの引退もありました。一方で踊り続ける森下洋子さん、カムバックしたクルム伊達、投げ続ける工藤投手。一流のパフォーマーもいろいろです。
次々に新星は現れる。鷺娘は菊之助が踊るでしょうし、昨夏、甲子園で見た西条高校の秋山投手がもう立派に甲子園でプロとして投げています。文学座の名作「女の一生」(亡き杉村春子さんの持ち役でした)の布引ケイ役は平叔恵さんを経て一気に若返る。なんと鳳蘭さんの娘さんなのだそうです。時代も人も流れてゆきます。
最近印象に残った言葉
デカルトの「方法序説」から
あちらに行き、こちらに行きして、ぐるぐるさまよい歩いてはならない
深い森で迷ったら、ぐるぐるさまよい歩いてはならないし、一カ所にじっとしていてもいけいない。とにかく決めたどちらかに方向に向かって真っ直ぐに歩き、大した理由もなしにその方向を変えてはならない。望むところへは正確には行きつかなくても、最後にはどこかに行きつくだろうし、その方が森の中にずっといるよりましだろう。
経営危機だったはとバスを4年で建て直した宮端社長の行動
出発前のバスに乗って顧客に挨拶するため「朝一番」で現場にゆく。運転手、ガイドの名前を憶えて声を掛ける。乗務員や部下を指す「末端」という言葉を使わせない。乗務員が「一番上」という意識を徹底させる。
こちらの不備で顧客に不愉快な思いをさせてしまった場合は、社長自身がお詫びの手紙をしたため、自宅住所を書いて送る。
当然のようなことだけれどなかかな出来ないこと。それをきちんと徹底できる行動力がすごい。
2010年10月2日
「わたしは 赤色が好き
夕日が 好きやねん
夕日って めちゃんこ きれいねんで
なくなった お母さんが 夕日の中にうつるかも 知れんで」
大阪の元校長 松下さんがまとめた児童の詩から
母親が自死した女児の作品
26日は秋季卒業式。卒業生15名。卒業生代表は2年前にチューター(担任)した生徒でした。いろいろ心配したヤツだったけれど、4年半かかってやっと。「卒業生の言葉(答辞)」の中で、「入学していいかげんに2年間過ごし、いつか学校止めるだろうと思っていたけれど、2年前に同じクラスになったアキラに引っ張ってもらって・・・」と友人への感謝の言葉をきっちり述べて、ああこいつも成長したなあと感慨深いものがありました(アキラはこの3月に卒業、まだフリーターですが、ちょうど今、窓の下で祭囃子を演奏しています)。
休学2回、子供を二人産んで復帰、卒業した生徒は今日はあばあちゃんに預けてきました・・・子供を産んだばかりの生徒は、預けるのに時間がかかって、と式に滑り込み。いろんな思いに胸一杯。
その夜の教師の打ち上げ会では例によって意識不明になりました(苦笑)。
29日は秋季入学式。3日前に卒業したのと同じほどの人数のいろんな事情を抱えた生徒が、また心機一転を期して?入学して来ました。中東からもひとり。来週からまた新しい学期が始まります。
深夜の電話やメールに起こされる。四国に老いた両親がいるから電話は無視できない。でも、ここんとこ、いつも生徒。
先夜の電話 その1
センセ、やっぱし専門学校志望変えて、就職にする
なんで?
やっぱ、金がないし・・・
でも、学生支援機構の奨学金OKやったやないか?
でも、入学金や前期授業料が払えん、お父さんもお兄ちゃんも失業して、働かんと、仕事探しもせんと毎日パチンコ してねん。最低やろ?
うーん。お母さんだけ働いてはるねんな、怒ってはるやろ?
いいや、お母さんも最近一緒にパチンコに嵌って・・・月末になったらウチ、お金ぜんぜんないねん。こんなんで無理やろ?
とにかく、明日進路指導室においで。
働きながら、専門学校に通わせてくれる会社を探しています。
その2
センセ、願書がなくなった!
えーつ。この前渡した調査書と推薦書は?
それはある。自分が書いた願書だけ見つからへんねん?
願書は余分に取り寄せてある。明日取りにおいで。
その3
センセ、やっぱり諸費まだ払えないから、遠足、もう諦めます。
そうか、ホンマ残念やけど、仕方ないなあ。
その4(3とは別の生徒)
センセ、諸費、月曜に持ってゆけるかもしれんから、遠足ゆける?
土曜の朝
センセ、受験(短大・推薦入試)に来たんやけど、どこの教室で面接あるのかわからへん?
校門に引き返せ!そこに書いてあるはずはすやし、だれか係りの人がいてはるよ。とにかく、そこらにいてはる人に訊いてみ!
(5分後) わかりました!
いつでも電話してこい、などと4月に大見得切ったのをちょっとだけ反省(苦笑)。携帯の普及で、安易に電話、メールする傾向も気になりますが、まだ教師に訴えてくるだけマシとも思えたりして。大人不信、教師不信で心を開かない生徒もいますから。
最近読んだ本
「 千年樹 」 荻原 浩
平安時代、東国に赴任した国司の家族が反乱軍に捕まり、山野に捨てられ、最後に残った幼児が死の直前に口に含んだ楠の実が・・・。
千年の時代を自在に行き来して、楠の大樹の下で繰り広げられるドラマ8編。その中では、楠を神木とする神社の境内の幼稚園の園児がタイムカプセルを埋めようとして見つけた硝子瓶。そこの詰められていたものは・・・戦争、空襲の悲劇を描いた「瓶詰めの約束」が胸に沁みました。
最後は神社も寂れ、幼稚園は廃園、そして楠も切られる日がやってくる・・・。
荻原さんはユーモア小説、ミステリーといろんな引き出しのある作家みたい。もっと書き込んだらおもしろい。楽しみな人材とみました。