Kan-Kan の雑記帳



2010年4月24日
 
「 利根川のほとりに生まれ 終(つひ)の地と 鮭にならひて もどり来たりぬ 」
 
  新聞歌壇から  香取市 嶋田さん
 
 香取市は千葉県、潮来の近くの人口8万の市。この歌ではもっと上流のイメージがありますが、調べてみたらかなり下流でした。私もいつか故郷に帰る日が来るのかな。ちょっと微妙な思いの昨今。
 
 故郷の母はまだ足がイマイチ。車椅子が必須です。退院しても、段差の多い実家での生活は大変だと思います。費用の問題はありますが、風呂にも入れて貰えて、友人も多い病院生活の便利さは捨てがたい。
 
 ひとりで暮らす父は、今まで興味を示さなかったデイサービスに自分からゆくと言い出し、結構機嫌良く通っているようでちょっと安心。花見やミニ旅行などイベントがあるのも気に入っているようです。
 
 今年の私は久しぶりの卒業年次のチューター(担任)。最後の一年で卒業生を送り出せることの喜びと、生徒が毎日来ていることが嬉しくて、ワクワクしてつい力が入ってしまいます。進路を控えた微妙な大事な時期なので、23日(金曜日)から早速保護者を交えた三者懇談を開始しました。勤務の関係で金曜日の昼しか来られないとおっしゃるお母さんに合わせて、昼休みに設定。約束の10分前に車でご両親で来られる。昨年度までの連絡もとれない、家庭訪問しても会えない、もちろん懇談には来て貰えない保護者に慣れていたので、これだけで感激(苦笑)。
 
私「お忙しい中、お揃いでお越し頂き、ありがとうございます」
父親(苦笑しながら)「いえいえ、私、昨年から失業して家におるのです」
私「それは・・・失礼いたしました」
 
 応接室に案内しておいて、生徒をゲットしにゆく。
 
「お父さんも来てはるで」
「ええっ!?もう2週間、おやじとはしゃべってないんですが・・・」
「顔はわかるか?」
「ハイ、多分」
 
 などと言いつつ、合流して懇談30分。専門学校志望なのですが、やはりポイントは合格した場合の授業料。お母さんは昼夜働いておられるようです。奨学金を受けられるといいのですが・・・。
 
  金曜の夜は元同僚の退職祝いにかつての担任仲間が河内長野に集合。久しぶりの歓談に時間が経つのを忘れ、あらかじめ3時間キープしていた部屋に3時間半も居続けていたのに驚き。かつてよく通ったその店の人も気を遣って、邪魔しないように声を掛けてくれなかったのです。感謝。退職して、現場からきっぱり足を洗った人、再任用で週3日ゆく契約なのに、毎日部活動指導にも通っている人・・・いろんな話を聞いて、来年度の自分の身の振り方を考えます。
 
 家にいるのがもったいない見事に晴れた日曜。嫁ハンにどこへ行きたい。「類食べて、道の駅ツアー」という回答に、まずは羽曳野市内の人気の蕎麦屋「I」へ。
 
 11時20分に着いたらもう店の前に10人以上並んでいる(11時半開店)。暖簾が掛かると同時に満席。最初に席に着いた方々が食べ終わって、我々は2回目のグループになる。その時にもう暖簾を降ろしている。なんで?もう表にたくさん並んでおられるので、これ以上並ばれないようにと思って、とご主人。営業時間は2時間もないようです。麺は細く、ダシが絶妙の味わいで、これでざる大盛り1100円は高くない。親子3人でやってはるけど、商売になってはるんかな?うすいピンクのおろしがおいしかったのでどんな大根ですか?と訊くと、早速現物を持って見せに来てくれる。紫色の大根でした。
 
 午前中用があったという義母を拾って、河内グリーンロ−ドの滴る翠の中をドライブ。葡萄園の中の産地直売店を皮切りに道の駅を4軒はしご。千早赤阪の「日本一かわいい(小さい)」が売り物の道の駅はちょうど楠公の生誕地の隣で、なんや記念行事をやっていました。あちこちで花を買い、野菜を漁り、女ふたりのかしましいことこの上なし。わたしはぐったり、ふたりはにんまり。ま、たまには女性に尽くしておかないとね(いつものような気もしますが・・・)。
 
 映画こぼれ話
 
井筒和幸監督のインタビューから
 
 ダスティ・ホフマンにアカデミー主演賞をもたらし、そして作品賞も受賞した映画「レインマン」は実は童話作家から自分の作品の盗作だと訴えられて、裁判になって、結局制作チームが敗訴した・・・。
 
ここまでは私も知っておりました。
 
 でも、その後がすごい。裁判所は映画の儲けの100パーセントを原作者に支払えと命令。それに対して、製作者側は制作と宣伝に経費を使いすぎて儲けは全くないと申告、結局1ドルも払わなかったという。辣腕の弁護士が活躍、ゼロかけるゼロはゼロだと言い通したのだそうです。やるなあ。あれだけ世界でヒットした作品なのに。
 プロデューサーのピーター・グーパーとジョン・ピータースはその数年後にも大ヒット作(作品名は失念)を放っているのです。金がなかったハズはありません(笑)。
 
最近印象に残った言葉
 
 竹中文良さん(「ジャパン・ウェルネス」の理事長、自ら4度目の癌手術を受けて、再発と闘っている医者)のエッセイから
 
 「余命半年以内」と医者が診断し、生命保険会社が認定すれば、前もって死亡保険金を受け取ることができる制度がある。住友生命によると、診断書を出して保険金を受け取った方の中で、実際に半年以内に亡くなった方はわずか3割だという。5割くらいは1年以内に亡くなるが、5年以上生きた方も2割もおられる。だから、医者にあと半年だと言われても落ち込む必要はない、「私は違うんだ」と思って生きなさい、とお話している。
 この原稿を書いているところで、肝臓癌が再発した・・・。
 
 78才、竹中さんの生き方から目が離せません。
 
森山良子さんのエッセイから
 
 アメリカ南部、ミズーリ州ブランソン。人口3,4千人の小さな町に、劇場が44館。そのほかにもたくさんのライブハウスがある。2千人から4千人収容の劇場のほとんどが往年のカントリー歌手の持ち物。長年全米ツアーを重ねてきた歌手達が、われわれの歌が聴きたかったらブロンソンにおいで、と創り上げたかたち。
 早いショーは午前9時からのブレックファースト付きのステージ。チャーリー・プライド、ブレンダ・リー、オズモンド・ブラザーズ(もう、おっさん)そして、アンディ・ウィリアムズは「ムーンリバーシアター」で毎日歌う。全国からバスツアーでファンがやってくる。
 
 広大な国ゆえの在り方だろうけれど、ニューヨークでもロスでもない、南部の小さな町、東京に一極集中の日本、こんな形もあっていいなあ。
 
2010年4月21日
 
 「オオカミ中年」桝添新党?この賭けはどうでる?どうみても人徳に欠けるように思うのですが・・・。信頼出来るリーダーが見あたらない国。これも平和の証?それにしても、鳩山、石原、橋下・・・寂しいなあ。
 
 最近読んだ作品
 
「雛灯り」 葉室 麟
 
 与謝蕪村と上田秋成の交流を通して江戸時代の庶民の哀感を綴るシリーズ。今回は蕪村の家の女中「おもと」の話。
 
 洛北、一乗寺村の悲劇。相思相愛の若い二人の間を裂いた家の対立。庄屋であった男の家の父親の反対が原因。断られた娘の兄は妹を斬り殺す。それを美談に仕立てたのが俳諧師でもあり、蕪村の知人であった建部綾足。
 
 綾足とおもとの因縁は・・・。実はおもとは妹を殺して美談の主となってしまった兄の嫁だった・・・。
芸術、あるいは客寄せの名のもと、脚色された事実が世間に流布して、家族は翻弄され、離散してしまう・・・その怖さは現代にも通じます。
 

2010年4月20日
 
「 もの皆の 縁輝きて 春日落つ 」 松本 たかし
 
山の若葉が燃えるように美しい季節です。
 
 香里園に出来たあたらしいワッフル店の品を、嫁ハンのお友達が持ってきてくれる。いろんな種類の中から、私は「りんごちゃん」を選ぶ。おいしい。
 
 話を伺うと、同じ香里園に住む私の叔父と知り合いらしい。世の中は広くて狭い。
 
 焼肉店経営のそのお友達は、最近の親子連れのマナー低下を嘆く。子供のマナーが悪いので、見かねて注意にゆくと、親が逆ギレするらしい。わかります。サービス業は苦難の時代です。
 
 最近読んだ作品
 
「藤吉郎放浪記」 加藤 廣
 
 新妻に二日で逃げられた藤吉郎が、ちょっと落ち込んだものの、仲人松下源左衛門の励ましで立ち直り、新しい運命を切り開いてゆく。源左衛門は藤吉郎の手相から、彼の女運の強さを見抜いていた・・・。
 
 後の秀吉は好きではありませんが、若き日の藤吉郎のバイタリティはいろんな作家の想像力を刺激するようです。
 
2010年4月19日
 
「 吉野山 花の散りにし 木の下に 留めし心は 我を待つらむ 」 西行
 
 こころは、愛するものや人のもとにとどまっているのですね。
 
 ゆく人
 
 宝生 英照 さん(能楽師、心不全、52才)
 
 宝生流19代宗家。52才とは、これからの年のはず。でも、すでに2年前に宗家を長男に譲っていたそうです。病は重かったのでしょうね。
 
 堀 多恵子さん(随筆家、老衰、96才)
 
 堀辰雄の奥様が存命だったとは・・・。辰雄の死が53年ですから、その後50年余を生きたことになる。葬儀はもちろん軽井沢追分教会だそうです。
 
最近読んだ作品
 
「氈瓜(かもうり)」 乙川 優三郎
 
 必死に地道に計算して生き抜いて、晴れて楽隠居の晩年を迎えた主人公夫婦。でも、その堅実さから、子供達、親族ともよそよそしくなって、安定しているが、どこか心寂しい晩年を送っている。
 
 このささやかな安定を失うまいと、自己保身に汲々として生きる主人公のいじましさは、不安定な現代社会にも即、通用します。
 
 氈瓜は冬瓜のこと。主人公は負け犬と見下している幼なじみが、貧しい子供達にいきいきと冬瓜の売り方を教えている姿を垣間見て、なんとも言えない思いを噛みしめます。
 
 後味の切ない、江戸小説の佳作です。
 

2010年4月18日
 
「 風に落つ 楊貴妃桜 房のまま 」  杉田 久女
 
 薄曇りの日曜日。例年、この時期の週末は、義母も一緒に吉野へ行っていたのですが、先週は義母の旅行もあってパス。今週はもう葉桜という情報に、今年の吉野を諦め、嫁ハンと「通り抜け」に行ってきました。天満橋からすごい人波に流されるままに造幣局入り口に到着。
 
 吉野の山桜と対照的な艶やかな花々が満開。ぼってりと量感のある花房が豪華です。一段と大きい「楊貴妃桜」。ピンクの花の中では白っぽく、その分、凄艶な美女を思わせる美しさでした。
 
 水温む大川の風情もよかったです。源八橋から広々とした川面の向こうに眺める大阪城も美しい。
 
 でも、あの大群衆には疲れました。来年は平日の夜桜にしよう。吉野も来年はゆきたい。
 
 土曜の夜は、嫁ハンのライブに武庫之荘へ。初めて行った街でしたが、夜はちょっと暗いけど、落ち着いたええ感じの街。おしゃれな店もたくさんありました。
 
 店は「ル・クワトロ」。普段はジャスを主にやっているようです。嫁ハンはまだ喉の調子がイマイチでしたが、がんばっていました。ライブのあと、嫁ハンがスタッフと軽い打ち上げをしている間、駅付近を探索して、見つけたおでんやでいっぱい。これが誰もいない店だったけれど、おいしくてアタリでした。千円なり。
 
 最近読んだ作品
 
「鬼の間尺」 峰谷 涼
 
 「献残屋」(献上品を払い下げて捌く仕事)の嫁「おりき」は夫に裏切られ、別れたが、やさしい舅、姑の元、婚家に留まり、夫が他の女性との間に作った子供を引き取り育てつつ、家業に励む。
 
 番頭に裏切られ、店の信用が傷つく危機を迎えるが、柱の諸手付きで覚悟を新たに、番頭と対決、急場を切り抜ける。おりきさん、まだまだ苦労しはるんやろなあ。そういえば「十三夜」のヒロインも「おりき」でした。
 
「 われらが胸の鼓動 」 宇江佐 真理
 
 「髪結い伊佐治」のシリーズは若い世代に。若き同心、龍之進がとうとう結婚。これからの展開が楽しみです。
 
最近印象に残った言葉
 
今回の直木賞の選評の中から、平岩弓枝さんの言葉
 
 「(受賞作は)手馴れた巧者の感がある。その意味では文句のつけようがないけれども、なんとなくもの足りない。あんまりよい例えではないが、うかうかと読んでいたら地雷を踏んで、成る程、こういうことであったかと頭を抱えて降参するようなところがない。なにも無理矢理、地雷を埋めてくれというつもりはないが、読み進む中にこころの深い部分に衝撃を与えてくれるよううな人間の奥行きが書かれていたら、、作品にもう一つ、陰影が出たのではないかというような気持ちが残っている・・・。」
 
 さすがにポイントを衝いているなあ。確かに、しばらく地雷を踏んでいないような気がします。
 

2010年4月11日
 
「 エキセントリックになるなと 言われても 桜の開花の 今は無理です 」
 
           新聞歌壇から 東京 平岡さん
 
 満開の吉野へゆこうと思っていましたが、嫁ハンの風邪で諦め、日曜はゆっくりすることにしました。
 
 ところが、朝、市立図書館に行って、帰りに二上山を見て、急に行こうと思いました。南河内に住んでいる方はご存じですが、今の時期の二上山はふたつの山の谷間(「馬の背」といいます)から雌岳の中腹にかけて、ピンクの帯が襷のように掛かっているのです。下り坂という天気もまだ持ちそうです。
 
 家に本を置きに帰って、嫁ハンの熱が下がっているのを確認。2時間で帰って来るからとね、と言って飛び出す。石川の桜堤の下の道は、車で走ると土煙というより花煙が巻き上がっていました。竹ノ内街道の二上山登山口のパーキング(普段はガラガラ、今日も整理係はいない)はやはり満車。どうしようかと思ったら、ちょうど下山してきた人がいて、ラッキーにも置けることができました。
 
 「落花盛ん」の下界と違って、低いとはいえ、山の上はまだ満開から散り初めというところ。花曇りで見晴らしはイマイチでしたが、清々しい桜を満喫しました。それにしてもたくさんのハイカーでした。早足で降りてきたら、駐車場所を探してうろうろしている車が一台。声掛けて場所を譲ってあげました。
 
 帰宅したのは午後1時過ぎ。ちょうど2時間ちょっとの桜狩りでした。
 
 もうすぐ今度は二上山の隣の葛城山の山頂が赤くなります。躑躅の季節が控えています。
 
 夕食を終えて、腹ごなしに石川堤に夜桜を見に行く。800メートル程の堤の花はどんどん散っているようですが、暗闇で何も見えず(苦笑)。道明寺寄りの50メートルだけ雪洞が灯っていますが、誰もいず、ちょっと不気味でした。
 
 これほど長い期間、花見が出来た年はなかったようです。もうこれで終わりかな、と思ったら、最後に「通り抜け」が残っていることに気づきました。これにも行かなければ・・・。つくづくミーハーな体質です(苦笑)。
 
 嫁ハンの熱も一段落。今週末にはライブがあるそうですが、大丈夫かな。
 
行く人
 
星川清司さん
 
 小説「小伝抄(こでんしょう)」で直木賞を受賞した作家、脚本家の星川清司(ほしかわ・せいじ、本名・星川清=きよし)さんが、肺炎のため平成20年7月25日に死去していたことが分かった。葬儀・告別式は近親者のみで済ませた。

 星川さんは東京都生まれ。脚本家としては市川雷蔵主演の「眠狂四郎」シリーズなどを手がけた。

 家族によると、大正15年10月27日生まれと公表してきた生年月日は、じつは大正10年で、亡くなったのは86歳だった。平成2年に直木賞を受賞したときは68歳で、古川薫さんが持っている受賞最年長記録より年長だったことになる。星川さんは家族に、自身の死を公表しないように伝えていた。
 
 これで驚いていたら、また、大きなニュースが飛び込んで来ました。
 
井上ひさしさん
 
 小説「吉里吉里人」やNHKの連続人形劇「ひょっこりひょうたん島」の台本のほか、戯曲やエッセーなど多彩な分野で活躍した作家の井上ひさしさんが9日夜、死去した。75歳だった。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。

  家族によると、昨年10月末に肺がんと診断され、11月から抗がん剤治療を受けていたという。

 井上さんは昭和9年、山形県生まれ。上智大在学中から浅草のストリップ劇場「フランス座」文芸部に所属し、台本を書き始めた。39年からは、5年間続いた「ひょっこりひょうたん島」の台本を童話、放送作家の山元護久とともに執筆、一躍人気を集めた。

 44年、戯曲「日本人のへそ」を発表して演劇界デビュー。47年に「道元の冒険」で岸田戯曲賞を受賞して、劇作家としての地位を確立した。奇想と批判精神に満ちた喜劇や評伝劇などで劇場をわかせ、59年には自身の戯曲のみを上演する劇団「こまつ座」の旗揚げ公演を行った。

 小説家としても、47年に江戸戯作者群像を軽妙なタッチで描いた小説「手鎖心中」で直木賞を受賞。絶妙な言葉遊び、ユーモアたっぷりの作風で多くの読者に支持され、エッセーの名手としても知られた。自他ともに認める遅筆で、台本が間に合わず公演が延期となることなどから、「遅筆堂」と自称していた。

 一方、戦争責任問題を創作のテーマに掲げ、東京裁判や原爆を主題にした作品も数多く発表。平成15年から19年にかけて日本ペンクラブ会長を務め、16年には護憲を訴える「九条の会」を作家の大江健三郎さんらとともに設立した。

 戯曲「しみじみ日本・乃木大将」「小林一茶」で紀伊國屋演劇賞と読売文学賞(戯曲部門)、「吉里吉里人」で日本SF大賞、読売文学賞(小説部門)。小説「腹鼓記」「不忠臣蔵」で吉川英治文学賞、「東京セブンローズ」で菊池寛賞など受賞多数。16年に文化功労者、21年に日本芸術院会員に選ばれた。
 
 この人と同時代に居合わせたことだけで、幸福でした。小説でも舞台でも、笑わされ、啼かされ、たっぷり楽しませてもらいましたが、直木賞の選考委員としてその選評での、落選者への配慮に満ちた暖かい文章が特に好きでした。
 
最近読んだ作品
 
「盗まれた手紙」 奥泉 光
 
 人気の桑潟幸一、通称クワコーの事件簿シリーズの最新作。大阪の短大から千葉県の大学の准教授に移った主人公は相変わらず下品、下世話でいい加減。つぎつぎ事件に巻き込まれ、とんでもない展開になってゆくのだけれど、最後は不思議にきちんと着地してしまう。それって、作者の力量のなせる技なのでしょう。
 
「野ざらしの秋」 笹本 稜平
 
 こちらも好調シリーズ。山小屋の経営者、亨とそのスタッフが出会う事件と人々。今回は見つかった野ざらしが持っていた時計が思わぬ展開を呼んでゆく。そんな偶然もあるかも知れないなあ、と思わせるのは、やはり語り口のうまさ、プロットの巧みさ。新たな登山客の老人と時計の接点は?そして新しい人間関係が生まれてゆく・・・。こころに残る短編です。

2010年4月10日
 
「 春風の 花を散らすと見る夢は 覚めても胸の騒ぐなりけり 」 西行
 
 昨日、嫁ハンの友人が京都相楽郡の人気の店、ル・フルティエの「石ころシュー」を届けてくれていました。ちょっと歯ごたえあっておいしい。
 
 晴れた休日の朝。もったいないので、朝食もそこそこに車で飛び出す。落花盛んな石川堤を抜け、若芽のうつくしい南河内グリーンロードを走って、葛城の山懐へ向かう。平石を始めとするいくつかの集落に向かう谷道や尾根道に桜の大木が並木になってピンクの帯を作っている。車を降りて、山道を少し歩く。古木は苔むして、幹には虚(うろ)が出来ているものも多い。数年のうちに大きな雪でも被ったら折れてしまうのではと心配。でも、今はちょうど盛りをすぎたころで、花びらを盛大に散らしている。
 
 終点は弘川寺。西行終焉の地。方丈と庭園(拝観料500円)は盛りを過ぎて人影なし。たったひとりで広い庭先で地面すれすれまで垂れた桜の大木からの花吹雪を浴びました。鶯、啼き交わす小鳥たち、遠くに犬の声、時々かすかに坂道を登ってくる車のエンジンの音・・・。すべてが心地よくで眠くなりました。
 
 西行記念館の裏手にある山桜は1本だけ満開でした。いつもは下旬に咲く、天然記念物の海棠(樹齢350年とか)もちょうど満開で濃いピンクの花を堪能しました。
 
 山門代わりの枝垂れ桜は満開。裏の桜山に登って、西行墳にお参りする。ここにあるたくさんの山桜はほとんど終わっていましたが、まだ咲き残っている桜が、のどかな日射しの中、しきりに谷に散ってゆく風情はここならではのもの。ああ、やはり今年も来てよかった、見れてよかったとしみじみ思いました。あと、何回来られるでしょう。
 
 帰りに、寺の近くのガーデンカフェで、お茶と昼食代わりの遅いモーニング。おいしかったので、近くに住む友人を呼びだして、しばし、おしゃべり。そのまま午後のテニスへ。強い日射しにすっかり日に焼けてしまいました。
 
 テニスでふらふらになって帰ってくると、嫁ハンが寝ている。どうしたん?寒気がして熱があるみたい。何度?38度5分。それ、あかんやろ?インフルエンザかもしれへんでー。
 
 即、休日診察案内に電話。これが・・・相手はコンピュータの声でした。
 
ご用件をどうぞー
あの、発熱でー
ご用件をどうぞ。
インフルエンザかもー
外科とか、整形外科とかおっしゃってください。
内科です。
内科ですか。正しければハイ、間違いならイイエとお答えください
ハイ
お家はどちらですか?
ハビキノシデス。
ハビキガオカニシデスカ?正しければハイ、間違いならイイエとお答えください
ちがいます!
お家はどちらですか?
フルイチです!!
フルイチですか?正しければハイ、間違っていればイイエとお答えください・・・
 
もう、まだるっこしい!いらいらして、受話器を折ろうかと思いました。
せめて人間なら、もっと速く話が進むでしょうに。
 
やっと連絡ついて、車で連れてゆく。
ところが、内科に入院中の患者さんの容態が急変。申し訳ありません、先生は手が離せません。
職員、看護士さんの丁寧な対応に好感を持つ。
わかりました。いったん家に帰ります。また連絡させてもらいます。
 
病院を出ようとして、玄関で急を聞いて駆けつけた患者さんの家族とおぼしき方々とすれ違う。
 
1時間後電話する。
すぐに来て下さい。
先ほどはすみませんでした、と医者も看護士さんも、修羅場があったはずなのに、柔らかで落ち着いた対応。えらいなあ。
 
 その患者さん、どうなったのでしょう?
 
 結局、インフルエンザではなくて、ただの風邪とわかって安心。家に帰って、私は晴れてビール、と思ったら、私の友人から春鹿の「ときめき」が届いている。古酒の好きな私も、久々、フレッシュな味に酔う。嫁ハンは今日はお酒はがまん。
 
 目と耳と、そして舌にご馳走、ハードなテニス、救急病院・・濃い一日でした。

2010年4月9日
 
「 花あれば 西行の日と 思ふべし 」 角川 源義
 
 そういえば、今年は西行の寺、河南町、弘川寺へ行っていません。桜祭りは先週だったらしい。
 暦を見ると、今日は旧暦如月二十五日。西行が亡くなったのは十六日でした。やはり死ぬならこの時期ですね(笑)。
 
 「ゆく空に桜の花があればよし」ー歌手、三波春男さんの辞世。個人的に好きじゃなかったけれど、彼も亡くなったのは春。たしかに名前の通り、春のイメージの人でした。
 
 行く人
 
木村 拓也 さん( 巨人コーチ 4月7日、くも膜下出血、37才)
 
 広島時代のきびきびした動きもめざましかったけれど、働き場所を求めて07年に巨人に移籍してからの、野球人生終盤に向かうひたむきな姿勢と、笑顔に惹かれました。19年間で投手以外のすべてのポジションをこなし、若手との競争に負けないで、あの巨人軍で07年08年も100試合以上出場しました。
 
 昨秋の阿部のいない時期のヤクルト戦、延長戦で捕手の加藤が死球退場すると、迷わず捕球練習にブルペンに走った。延長12回の守備を10年ぶりの捕手として守り抜き、原監督から「2009年で一番感動した場面」と激賞された人。こんな人がいてくれたら、監督は助かるだろうなあ。
 
 コーチになった今春も、腰痛をおして苦手なキャッチャーフライの練習を一生懸命していたそうです。
 
 華やかな球界にあっては、比較的地味な人だったけれど、根強いファンがいました。昨秋の引退セレモニーのスピーチの最後で、「最後なので、家族にひとこと言わせてください」と言って絶句し、大声援に後押しされて、「今まで支えてくれてありがとう。パパはがんばったよ。」と言った声が耳に残っています。
 
 病院へは木村拓哉さんからの応援メッセージも届いていたそうです。数々のエピソード、アテネ五輪のメダル・・・家族に、子供達に残したものはいっぱいあります。意識はなかったかも知れないけれど、悔いのない19年間の選手生活、いや37年間の人生ではなかったでしょうか。うらやましい気もします。
 
最近読んだ作品
 
「魚屋の空き地」 ねじめ 正一
 
 野球少年の「僕」の思い出。僕の所属するチームは今はナルシゲくんのワンマンチーム。いやナルシゲくんが来るまではボクがサードで主役だったのに・・・。先生がナルシゲくんにノックする。動きはいい。でも踊っていない。ボクのサードは「長嶋」ですから、リズムがあります。長嶋は踊っているのです・・・。
 
 ナルシゲくんは町内の大きな魚屋の息子。お父さんとおじさんが店をやっている。僕の家はお母さんが働かないで寝てばかりいる。その散らかったアパートの部屋にナルシゲくんが急に遊びに来て、僕は慌てる。僕は長嶋のスクラップを見せて必死でしゃべる。ナルシゲくんは感動する。
 
 ある日、ナルシゲくんのお父さんがおじさんを刺し殺し、ナルシゲくんは最後まで笑顔で、僕に別れを告げに来て、お母さんの田舎に引っ越してゆく。ナルシゲくんを見送って、泣きながら帰ると、お母さんが長嶋のスクラップをびりびりに破って窓から捨てていた・・・。
 
 「魚屋の子はノブオみたいにピーピー泣いていなかったよ」
 
 ナルシゲくんの家は取り壊されて大きな更地になり、子供たちが野球をしようと集まってくる。それを僕は追い払う。ここは空き地じゃない。
 
 せつなく胸を打つ短編でした。
 

2010年4月6日
 
 「 人恋し 灯ともし頃を さくら散る 」 白雄
 
 桜吹雪の中で入学式。晴れてよかった。今日、私は校門と自転車置き場の警備。式が終わって、保護者説明をしているのに、もう出てきてうろうろしている保護者が結構いてはる。説明会まだ続いていますよ、いえ、説明が長くてだるいから、出てきたんよ・・・。確かに以前は長かったけれど、近年、手短にコンパクトになってきています。なにより、これからの子供の高校生活の為の説明会なのですが。この方達のお子さんがきちんと授業を受けられるのかなあ。
 
 その後、育英会の予約奨学生の受付。ここでもモンスターペアレントに2名遭遇しました。でも、全体の数%だと思って、気を取り直し、明日からがんばります。
 
 2月1日に亡くなっていたことが、しばらくして公表された、シャープ元社長で最高顧問の佐伯さん。
あたらしもの好きで、まねされる商品をつくれ、と次々新製品を開発、業界をリードしていった積極性と、目立つことがキライ、というおもろい個性が微妙に共存していた方でした。魅力ある経済人や政治家がもっと出てほしい。民主党にも自民党にもうんざりさせられるばかりの昨今です。
 
最近読んだ作品
 
 「 雨が落ちてくる 」  乾 ルカ
 
 市井の、ある特定の人が持っていると思われる不思議な能力?。本人はそれに振り回されてもう辟易している。主人公永井が持っているのは「雨男」。それも暴風雨を呼ぶため、彼が乗った飛行機も、列車も、船も動かなくなり、郷里の北海道からも出られない。そんな彼に「ぱくりや」と称する団体から「能力交換」の話が持ち込まれる。
 
 登録し適合した相手は大食いのチャンピオン。手術のあと、ふたりの能力が交代するのは、ある日の午前零時。いきなり食欲が出始めた永井。その時大食いチャンピオンは海外に向かう機上だった・・・。
 
 ちょっととぼけたミステリー仕立てのSF。おもしろい。
 
 

2010年4月5日
 
 「 ふるさとの 村に焚き火をしに帰る 」 
 
 新聞俳壇から   小金井市 上條さん
 
 もっと帰りたいけれど、心身の状態と、ふところを思えば、なかなか帰れません。
 
 テレビで、脳性麻痺の幼い息子の笑顔を見たさに、マラソンに挑戦しはじめた父のドキュメントをやっていました。車椅子を押しつつ走って完走。ついには3時間を切る。そしてトライアスロンに挑戦。泳げなかった父は水泳を特訓、60キロのボートを引いて完泳、トライアスロンもし遂げる。息子は次第に表情を持つようになり、学習できるようになり、やがて教育を受けて、大学まで卒業する。そして更に親子は走り続け30年。
 
 現在69才と42才の父子は今も毎週マラソンに出場し、その回数は千回を超える。
 その事実の大きさにうたれます。
 
 昨日のNHKアーカイブスは見応えがありました。
 「京女三人が桜の下で刻んだ人生」
 
 中高大と一緒に過ごした仲良し三人組が写真家に声を掛けられて、毎年桜の下で記念撮影をする。三人娘の一人A子さんは南禅寺前の旅館の娘。泊まった写真家に誘われて仲良しの二人と写真に納まる。その時18才。それから20年。それぞれに結婚、出産、離婚、自立、親や本人の病気・・・それぞれの人生をカメラは毎春冷徹に捉えてゆく。
 
 あとの二人も着物の小物を扱う大店、京都で最も古い家政婦の紹介所、とそれぞれ裕福な家であったことも大きい。毎年違う凝った着物姿を見せるのがもうひとつの見物です。京の市民文化の底力も感じます。
 
 番組のおもしろさは、放映されてからの後の12年もまた追っていること。すなわち写真家は32年も撮り続けたことになる。3人の50才の近影では、B子さんが18才の第1回で着た着物を長女が着て写っている。
 
 主に満開の枝垂れ桜の下、3人女性の人生が浮き彫りになって、深い余韻を残しました。
 
 今日も朝から夕刻まで、作業と会議でフラフラ。でも夜に友人から河南町の評判の和菓子屋「いもと」の桜餅をいただいて、一気に元気回復。おいしい。今夜は酒も我慢して、明日からに備えます。
 
 最近読んだ作品
 
「藤巻さんの道」 森 絵都
 
 かわいく気配りもできて、申し分ない恋人、藤巻さん。でも「僕」は彼女の微妙な陰を感じ始める。
写真集「道の向こう」をモチーフにミステリアスに始まった恋物語は、いつかコメディタッチになって、ちょっと拍子抜け。ま、後味は悪くありませんが・・・。
 

2010年4月4日
 
 またジェットコースターの日々が始まりました。1日は編転入考査、採点、判定会議、職員会議、2日はその受け入れ生徒への対応。そのあいだを縫って、様々な会議・・・。ぐったりでした。
 
 でも、やっと晴れた週末は、花見もぬかりなく・・・。
 
 前から気になっていた、大和高田市の川端の桜並木。午後6時半の近鉄急行吉野行きに嫁ハンと乗り込む。ペットボトルに酒を詰め、つまみを用意し、真冬のコートを着込んで、用意はばっちり。
 
 20分で「高田」に。駅から歩いて5分ほどで、川にたどり着く。両岸と西岸の遊歩道の西端、すなわち3列のさくらの並木が南北にずっと延びている。これがソメイヨシノで見事に満開。歩いて20分ほどですが、雪洞が並び、花見客でごった返しているのは真ん中の公園を中心とする半分くらいの地域だけ。ここでは屋台もいっぱい出ていて、お好み焼きを買って、川岸で酒と共にいただく。
 
 それ以外の南北の地域はさくらの並木があるのに、街灯だけで薄暗く、人も少なく、それはそれで、たっぷり花を味わうことが出来てよかったです。
 
 JRの「高田」まで歩く。午後8時過ぎなのに、駅手前の商店街も芝居小屋「弁天坐」前が明るいだけで、ほとんど閉まっている。駅前に到っては人気なく、薄暗く、コンビニが一軒だけ。そこに入ったけれど酒も売っていない!20分待って、王子廻りで柏原へ向かう。王子の駅のキオスクでカップ酒を購入。見たかった河内堅上の駅のさくらを、通過時に一瞬愛でて、柏原、道明寺を経て、10時前に帰宅。
 
 たまたま、読んでいた「さくら伝説」(なかにし礼)に仏隆寺の千年桜には「桜鬼」が住んでいるという話があって、それを友人にしたら、鬼と懇談してくるわ、と自転車で(!))出掛けてゆきました。三時間あまりかかったようですが、まだ桜はまだ蕾で、鬼もいなかった、と報告に寄ってくれました。代わりにと石川堤で花見で一杯。そのまま、わが家でさらに一杯、そして「花よりビールに餃子」と「王将」になだれ込んでしまいました(苦笑)。
 
2010年4月1日
 
「 しめりがちの 鼓絞め打つ 花の雨 」 松本 たかし
 
 病弱で、宗家を継げないことはわかっている、それでも深い能への作者の思い。鼓の音は深く低い。
 
 嬉し涙を流したのは3年ぶりかなあ。事情で現場から遠ざかっていた、友人が晴れて復帰。それが正式に決まったのは29日。故郷でその知らせを受けて、涙が溢れました。
 
 3年前にはかつての教え子が10年のチャレンジを実らして教員採用試験に合格したのでした。今回はそれよりもっと複雑な、そして切ない喜び。
 
 涙が止まらなくて、悪友Nと会う時間を延期してもらう。そのあと2人で見た、枝垂れ桜の美しかったこと。
 
 今日から彼も新しい職場に出勤。はやりにはやっています。「ドウドウ」とブレーキをかけてしまう無粋な私。でも、あんな辛い思いはもうさせたくない・・・。
 
  一夜でがらっと変わった職場。フレッシュな顔ぶれを迎え、また新しいジェットコーターが動き始めました。
 
 自分より若い友人がどんどん、私からみれば突然辞めてゆく。それも人生と思うけれど・・・。今夕もそんな友にあって、何も言えませんでした。
 
 それにしても、昨年度採用された新任が次々辞めていっている(ナント5割に迫るという)という現実にも心揺さぶられます。
 
 4月1日にずれ込んでやっと退学届けが出ました。9時に来ると言って、来たのは午後1時。日付は3月31日付け。今更言っても仕方がないけれど、もう正社員になるんやったら、時間守らんとあかんでと言って別れました。もう、会うこともないでしょうが・・・。
 
 最近印象に残った出来事
 
 ルイジアナの高校生だった服部剛丈くんがハロウィーンに射殺されて12年。服部君の両親は通夜の席から銃の取り扱いを規制する法律改正を訴える署名運動を始め、170万人の署名をとクリントン大統領に届けました。刑事裁判では無罪だったが、民事では正当防衛は認められず、その賠償金を元に、その後も銃の規制運動に援助を行っている・・・個人を恨まず、国を恨まず、平和に繋がる活動を地道に続けてはる・・・えらいっ!私には出来まへん。
 
最近読んだ作品
 
「彼女の晩年」 藤堂 志津子
 
 「彼女」とは、実は仕事も出来て美しいのになぜか男性に縁のない40代の主人公ではなく、主人公にまとわりついて、あれこれ男性を紹介する旧友、蜜江。
 
 ひとの人生をかき乱して、ウソと策謀に溺れ、相手を陥れ、男を次々手に入れ、それに優越感と満足を覚えて生きてゆく蜜江。最後は自滅してゆくのですが、それがいっそ、さわやかというより、小気味よくみえるのは、萎びて老いてゆくしかない現実を見飽きたからでしょうか・・・(苦笑)。
 


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