Kan-Kan の雑記帳



2010年7月31日
 
「 青簾 垂れてわれなきごとく住む 」 田畑 美穂女
 
 作者は大阪道修町(どしょうまち)の薬種商の長女で、奉公人を婿に取ったが、子が授からないまま、夫と死別しました。大店の奥深い部屋にひっそりと生きたであろう美穂女の孤独を思います。
 
 この句を思い出したのは、市川海老蔵と小林麻央さんの豪華絢爛な結婚披露宴中継を見てしまったから。100人、まちがい、1000人の招待客が異口同音に「早く男の子を!」。300年続く歌舞伎界最高の名門に嫁ぐプレッシャーや如何に?もし、男の子が産めなかったら、妻の座も危うくなる。もちろん産んだら、何があっても(旦那が浮気をしようが、倒れようが)梨園の妻としては大丈夫。時代錯誤な話ですが、これも伝統芸能の世界の現実なのでしょう。
 
 炎天下。焼けた舗装道路で猫が足裏の肉球をやけどしたとか。今日プレーしたテニス仲間の日焼けした友人は、木の下で涼んでいたら、蝉が飛んできてその腕に留まったのだそうです。どうやら木の幹と間違われたよう。
 
 おもろいニュースもあるけれど、すぐ打ち消されるのは、相次ぐ幼児虐待死。もう、毎日。うんざりというより虚脱状態です。でも、すぐ怒りもこみ上げてきます。なんとか早く手を打たなければ。学力テストがどうだらというより、子どもの生き死に関わる問題。文部科学省、厚生省、警察、地方自治体が、どこがニシアチブを取るかで綱引きしている場合ではありません。プライバシーや人権問題も絡むけれど、監視、通報、立ち入り捜査をどんどんしなければならないところまで来ていると思います。
 
 歯科の定期検診。暑くてコンピュータが故障して、支払いは再来月の検診時に。
 買い物に行った生協で前々任校で高校3年次に担任を持ったかつての女生徒にばったり。なつかしい。でも明るい笑顔は変わっていない。そして高校3年生の娘を連れていたことに驚き。話をしていて、その女の子の教科担当が私の友人だったことにも驚き。
 
 夜に、溜まっていたビデオを見ようと、まず「2010年東京パリ祭」を見る。その直後に亡くなった石井好子さんの追悼番組の形になっていたのは当然として、肝心の舞台は期待外れのものでした。東京NHKホールの広い舞台を使い切れず、余計な演出、振り付けで歌そのものが疎かになっている。心打たれた歌手は2名だけでした。これでは石井さん亡き後の日本シャンソン界は暗いなあ、と嫁ハン(あんたががんばらにゃー笑)と溜め息。
 
 口直しに「2010年トニー賞授賞式」を見る。これがすばらしい。歌もダンスもこれぞ超一流!今年は映画スターがたくさんブロードウェイ進出して候補になっていました(キャサリン・ゼダ・ジョーンズもデンゼル・ワシントンも受賞)。でも、演劇部門主演女優賞を受賞したのはアフリカ系の女優さん(すみません、名前が出てきません)。この方の「私は運も神も信じて来ませんでした。育った環境に神はいなかったからです。でも、今は神の存在を信じます。」と涙を流して語った姿が印象的でした。
 
 最後にミュージカル部門の発表があり、受賞作品の関係者全員が舞台に上がり、主題歌を歌い踊るという幕切れは、トニー賞ならではの感動的な演出でした。近年は、ショーとしてはアカデミー賞よりこちらの方を楽しみにしています。
 
 うれしい休日の夜。つい夜更かしをしてしまう。明日はPL花火当日です。今年は日曜日。そして炎天。すごい人出だろうなあ。みなさん、熱中症と、人の大津波にご注意下さい。
 
2010年7月30日
 
「 主語を省かず 意志鮮明に 伝ヘ来て 深く疲れき 英語の国に 」  渡辺 幸一
 
確かに、はっきり言われることは疲れるけれど、その反対に日本語の曖昧な言い回しに疲れることもありますね。
 
行く人
 
女優の園佳也子(そのかやこ)(本名・清水郁子=しみず・いくこ)さん(80)が、東京都世田谷区の自宅で亡くなっていたことが29日、分かった。

 警視庁世田谷署によると、27日午後、親族が風呂場で倒れている園さんを発見し、119番通報、死亡が確認された。病死とみられる。園さんは独り暮らしだった。

 東京都出身。1953年の草創期からテレビに出演。テレビドラマ「細うで繁盛記」や舞台「細雪」で人気を集め、長く個性的な脇役として活躍した。
 
名バイブレイヤーでした。もう80才だったんだ。独り暮らしで、風呂場で・・・というパターン、多いですね。自分の死はどんなかたちでやって来るのだろう。病院で、ベッドで死ねるということは、ある面、幸せなことなのでしょうか。
 
 応募前職場訪問が続いています。第4希望まで提出させるのですが、第1希望の塗装会社を張り切って見に行ったわがグループの生徒、帰ってきて、「ダメでした」。フーム、どこが?「あの匂いがどうにもダメで・・・」そうか、そら、しゃあないなあ。行ってみて、よかったやん。
 
 中国からの帰国子女のひとりで、長身、小顔のかわいらしい女生徒。前からキャビン・アテンダント(スチュワーデスの方がいいやすい!)に憧れていたが、その専門学校を探して来て、オープンキャンパスに行ってきた、行きたい、と言う。資料(学校案内ー華やかな制服が溢れて美しい、入試要項)を持って来させてじっくり読んでみたら、1年目学費が110万円、キャビン・アテンダント科をうたっているが、実際にその職に就いているのは1割ほどとわかる(わかりにくい)。あなたなら、中国の航空会社に入れるわよ、と言われたらしいが、中国人の先生に伺ってみたら、中国の航空会社のキャビン・アテンダントはものすごい競争率で、すべて大卒、語学力も備えた人材が犇めいているので、とても入れないだろうとのこと。
 
 ちょっと不安なその専門学校。実現の難しい狭いコースより、資格を取れる大学に行った方が、道が拡がるのでは、とアドバイス。
 
 結局、以前から考えていた大学と専門学校を、保護者と一緒にそれぞれもういちど見に行って、その上で懇談することにしました。もちろん学資の問題があるのですが・・・。
 
 最近読んだ作品
 
 「ふっかつのじゅもん」 馳 星周
 
 最近読んだ中で出色の青春ものでした。敦賀の近郊に住む高校生の徹。彼女もいず、サッカー部を辞め、勉強にも身が入らず、バイクとゲームで時間を潰し、未来への展望もない。
 
 高校のグランドの片隅にサッカーを見に来ていた、原初の渡り職人の大越と知り合い、連れて行ってもらったキャパクラで愛子と知り合い、恋に落ち、性に溺れてゆく。
 
 病が進んでいた大越は、愛人にも捨てられ、入院費が払えない病室で自殺する。元サッカー選手だったらしい大越の孤独な人生と死に、自分の未来を重ね、衝撃を受ける徹だが、泣きながら愛子と抱き合うことしかできない。ゲームの登場人物は呪文で復活することができるが、人生はそうはいかない、そんな当たり前のことを知ってゆくのが、大人になるということなのでしょう。
 

2010年7月28日
 
 「 鹿児島は 今頃きっと梅雨ならむ あの鬱陶しさが 今は恋しき 」 アメリカ 郷 隼人
 
 直近の朝日歌壇。ここにはふたりの特異な投稿者がいました。そのひとり、郷さんは、アメリカの刑務所に終身刑で服役中。これも望郷の歌。久しぶりの作品はふたりの選者が採っています。
 
 そしてもうひとり、ホームレス歌人?公田耕一さんの消息はこの冬から絶たれています。
 
 「公田さん 居ること願い 炊き出しの 冷麺配る 寿地区センター 」 横浜市 大須賀さん
 
 これもふたりの選者が採っています。毎週、たくさんの愛読者が期待を持って紙面を開いています。
 郷さんの刑期はどれくらいなのでしょうか?もう娑婆にでることはないというような歌もありましたが。死刑囚と無期懲役の囚人の違いを描いたリポートがありました。曰く、死刑囚は明るく、無期懲役の囚人は無気力で暗い・・・。「生」とは何なのでしょう?
 
 1年ぶりに死刑が執行されました。
 
 やっとパソコンで打ち上げた就職用の調査書。と、思ったら今年から、一部文書形式の変更があったという連絡。なんで今頃?どうやら通知文書が管理職のところで止まっていたらしい。「貼り付け」も難しいみたいで、またやり直し?怒り、溜め息、でも、怒っている時間がもったいないので、さっさと次の仕事に移っています。ほんとはきちんと責任を追及すべきなのでしょうが・・・。
 
 行く人
 
 森 毅さん
 
 「雑木林の社会」という文章に共感したのは数年前。思い切った言動、ポイントを衝いた論は気持ちよかったけれど、やはり「ええしのぼん」。なんのかんの言うても体制内の人。どこか恵まれすぎたゆえの、若さ、甘さを感じたのは私だけでしょうか?
 
 早乙女 愛さん
 
 6万人の中から選ばれたという「藍と誠」のヒロイン。この映画は見ていないので、清純派の時代を知りませんが、日活ロマンポルノでの妖艶な姿は記憶にあります。51才。13才の息子さんがおられるとのことですが、心残りだったことでしょう。
 
 中村祐造さん
 
 バレーボールをやっていた者(私もそのひとり)にとってはもちろん、あの時代のみんなの憧れ、ヒーロー、頼れる兄貴でした。ミュンヘン五輪の準決勝の興奮は忘れられません。ある面、今回のワールドカップサッカー以上でした。長袖のユニフォームを腕まくりして、ファイト剥き出しで・・・。闘病生活も有名ですが、68年、いろんな面で闘い抜いた悔いの少ない人生だったんじゃないでしょうか。
 
 長谷川裕見子さん
 
 大スター長谷川一夫の姪で、昭和30年代の時代劇できれいに咲きました。私の印象に強いのは東映「新吾十番勝負」で、葵新吾(大川橋蔵ーかっこよかった!)の実母、お鯉の方を品よく演じてはりました。
 
 二枚目役者、船越英二さんと結婚、人気俳優、船越栄一郎さんのお母様とは昨日まで知りませんでした。とすれば、今春、娘さんが自殺しはったはず・・・?85才。
 

2010年7月27日
 
「 いのち短し 泉の傍に いこひけり 」 野見山 朱鳥(あすか)
 
 「今朝の秋」ー炎天続きですが、さすがに今朝は露を含んだ涼風が吹き渡って、気持ちよかったです。歳のせいか、早起きが習慣になってきて、5時前の爽やかさは格別です。今朝も満月が西の空に沈んでゆきました。そして、朝夕の空の美しさ。ここんとこ、月や日の出、日没を拝める(つい手を合わせてしまうー笑)、幸せを感じています。
 
 午前懇談。進学希望だけれど、経済的に厳しい帰国子女の家庭。なんとかなると思ってはるけれど、日本の大学は金が掛かることを、中国人の先生と一緒に必死に説明。入学はしたものの、資金が続かず、卒業できない昨今のあまたの例をまた言わなければならない。アルバイトに埋没してしまったり、学費を都合するために密輸に手を染めた者もいる・・・。卒業した者の方が少ない現実。就職のよいある短大を薦めたけれど、中国の親戚の手前、大学でなければだめだという。4年制大学の専願の推薦を希望しているが、入学金を納められるあてはないらしい。専願で合格すれば、必ず入学しなければならない・・・。改めて相談することに。
 
 午後は就職希望の生徒を集めて、求人票を閲覧しまくって、希望先を絞り込む作業。これが難しい。決定する前に会社訪問を希望、調整して手配したりするので、実際の決定は8月にずれこむ予定。それにしても、本当に厳しい昨今の就職戦線。4月から担当スタッフで電話したり、会社訪問したりして再開拓したけれど、求人がかつての10分の1しかないのです。この年度に当たってしまった生徒が運命とはいえ、かわいそう。つい、あれこれ話し込んでしまう。解決策はないけれど・・・。
 
 夕刻、このひと月あまり気になっていた、鼻の付け根(左目の下あたり)の痛みを診てもらいに、近所の耳鼻科にゆく。レントゲン検査の結果、「上顎洞炎症」とかいうものらしい。しばらくクスリで様子をみることにする。ややこしい病気ではないようなので、ちょっと安心。
 
 中村ゆうぞうさん、早乙女愛さん、長谷川ゆみこさん死去。この記事は明日改めて。

20010年7月26日
 
 暑かった日も落ちて、満月が上ってきました。今日は旧暦六月十五日。
 
「 市中は 物のにほひや 夏の月 」 凡兆
 
 まだ蒸し暑さの残る宵の風情を見事にキャッチしています。こちらは元禄3年の夏。凡兆の隣に芭蕉。師匠が弟子の発句に付けたのが「あつしあつしと門々(かどかど)の声」。「猿蓑」に収録された三吟歌仙から。ちなみに、もうひとりは去来です。
 
 
「満月の日に、月に感謝しながら願い事をすると
叶う」、「満月に向かって財布を振るとお金がたまる」などスピリチュアル
なものまで。
中には「満月にはワインが美味しくなる」なんていう楽しい話もあります。
 
 映画館から送られてきたメール(会員の有効期限が切れるよという警告)に、このような文章が付けてありました。さっそく財布を振りましょう。
 
 先日の句、違っていました。何やら気になっていて・・・。
 
「蟻の道 雲の峰より つづきけん」 一茶でした。失礼しました。
 
最近読んだ作品
 
「石灯籠」 梶 よう子
 
 これも「鬼平」をテーマとした競作でした。鬼平はほとんど登場せず、彼の後を継いだ、まったく正反対の人物、森山与一郎の回想する鬼平とは。羨望と、嫉妬と、優越感と・・・微妙な感情を持ったまま数十年をニアミスを重ねながら、またあちこちで鬼平の足を引っ張りながら、生きる。鬼平は森山のことを歯牙にも掛けていなかったであろう。
 
 鬼平が死んで二十年。功成り名を遂げた森山は、今でも鬼平を引きずって生きている・・・。そんな人生も、人物もあったかも知れない。


2010年7月25日
 
「 炎熱や 勝利の如き 地の明るさ 」  中村 草田男
 
 梅雨明け後のこの炎天続き。突き抜ける夏空。夏好きの私には快適な気候ですが、暑がりの嫁ハンは半分死んでいます(でも、京都までレッスンに行っているー苦笑)。こういうときの細々とした家事はお任せあれ。
 2年越しにやっと孵化に成功したわが家のメダカ(昨年は、卵を水槽に移すタイミングを誤り、親に食べられてしまった)の稚魚を、買ってきた水槽に移す。溜まった衣類をクリーニング屋に運ぶ。夕方取りに行く。調子の悪かった台所の電灯を取り替える・・・。
 
 土曜午後は炎天下でテニス。早めに切り上げて、天王寺へ。38年前の新任仲間の年一回の集まり。今年は例年より多い9名参加。馴染みの店を借り切って、4時間があっという間。見渡せば、浪人、留年、社会人経験あり、院卒ありとバラエティに富んだメンバーだったので、他の8人は60代で、一応現役は私ひとり。末っ子的立場で、来年の定年、そしてその後の生活に向けて、いろいろ教えてもらう。
 孫のいる者、親の介護に追われている者、闘病中の者・・・それぞれ、いろいろあって人生の縮図そのもの。自分よりはるかに不摂生をしていた「私」が、なぜそんなに元気なのかいな、と癌と闘う人に攻められる(苦笑)。素直に謝る私。
 
 日曜も軽い二日酔いを楽しみつつ、朝寝、読書、買い物。夕刻、友人と軽いドライブをして、大阪平野を見下ろす、霊園でお茶。雲が、空が美しい。大阪市内は薄霞。家に帰って、ベランダのメダカの傍で、夕風に吹かれつつ、昨晩の店からもらってきた、肴でビールを飲む。旧暦6月14日の大きな月が上ってくる。ゴクラク、極楽。久々のんびりした休日でした。
 
 腹の立つ男ー辻 仁成 
 
 きっと嫉妬しているのだ、と言われるのがいやで無視していたのですが、先月初めの「週刊朝日」の対談に登場。その変身ぶりに驚き。痩せて、さらさらの長髪に女物のファッション。中性的な美少年?(今年50才のハズ)。今はハードロックのバンドのボーカルなのだとか。映画監督としても新作を発表、小説家としても(芥川賞の「海峡の光」ー好きになれなかった!)フランスでフェミナ賞を受賞。ま、これからも気にしないでおきましょう。
 でも、なんであんなにもてるのだろう?中山美穂さんの前の奥さん(女優さん)誰でしたっけ?瀬戸内寂聴さんもお気に入りで、棺桶を担いでもらうのはモックン(本木雅弘)と辻クン、と決めているそうです。モックンはわかるけどなあ。
 
 読もうとして読めていない本
 
「二笑亭綺譚」ー昭和11年頃、東京深川に頭の狂った資産家がいて、全財産をなげうって、奇妙な家を建てる。やがて資産家は入院させられ、家は壊される。その家のレポート。建物ウォッチャーの私としてはめちゃ気になる。
 
「ちいさなお家」ー今期の芥川賞?東京のお手伝いさんの手記の体裁で語られるある家の、一家の歴史らしいけれど、なによりそのモチーフになったであろう、童話、いや絵本「ちいさなお家」のファンである私には、発表当時から気になる作品でした。
 
気になる人  水戸岡 鋭治 さん
 
 鉄道車両、船舶、建築のデザインで超人気。夢と遊び心に溢れた作品は大好きだけれど、彼がコンピュータを使えないで、手書きの絵をスタッフがデジタル化するというのも面白い。
 
 24日は「河童忌」。芥川の死の報に、内田百閧ヘ「あんまり暑いので、腹を立てて死んだのだろう」と述べたそうです。83年前の夏の話。
 
最近読んだ作品
 
「 浅草の女」 から 続き
 
「 仕事の付き合いが長くなって、お互いが大事な立場になるとね。相手が馴染んでいる場所には足を向けないものなのさ。大切にしているものにはふれないってことだ。それが大人の男の礼儀だ・・・」
 
 それって、すごくわかります。このあたり、伊集院さんの旨さが際だちます。

2010年7月23日
 
「 冷やされて 牛の貫禄 しづかなり 」 秋元 不死男
 
 宮崎の事件の牛や農家のお気持ちを思うと、切ないことこの上なし。昔、実家で馬も牛も飼っていましたが、見た目の美しい馬(おまけに賢くて、人にランキングをつけて差別する)より、牛の愚鈍さ、誠実さを好もしく記憶しています。
 
 進路指導(就職)もいよいよ佳境に。毎日、求人票とにらめっこの日々。とにかく求人が少ない。最盛期の10分のいか。その中で、選ぶことは本当に難しい。こ数十年、進路指導もしてきたけれど、「入れること」ばかりを考えていなかったか?大事なことは入った後のこと。会社は続けているか、大学、短大、専門学校ならそのあとの進路。ここ10数年、いろいろ見てきて、途中で辞めた生徒、大学などを卒業出来なかった生徒を数多く見てきて、本当に考えました。いくら「自己責任」と言っても、もっと個々の敵性に応じたアドヴァイスができていたか?
 
 どうしても生徒本人や保護者の意見を重視しますが(当然ですが)、もっと深く関わってゆくべきなのでは、と改めて思う今日このごろです。
 
 その合間を縫って、大学説明会にも顔を出す。こちらは学生獲得に必死。いろんな学科、講座も増えて、思わず社会人入学を考えてしまう私でした。
 
 いわゆる「梅雨明け10日」、ものすごい盛夏。クーラーの効いた室内と炎暑の外の出入りは疲れます。おまけに今日は健康診断で朝から絶食、血を抜いて、バリウムを飲んで・・・でも、ひたすら、仕事をこなして迎えた週末の夕焼けは一段と美しい。感傷かもしれませんが、調査書を仕上げつつ、最後の仕事がひとつずつ終わってゆく実感があります。たった一度の夏を精一杯鳴く蝉の声も胸に響きます。
 
 最近読んだ作品
 
「浅草のおんな」  伊集院 静
 
 「人はそれぞれよ。せっかく産んでもらったんだ。好きなことをやればいいのさ。ただ、好きなことをして生きていけるほど世の中は甘くはないし、好きなことをやり通せないほど冷たいもんでもねえ。どう生きたっていのさ。へこたれた時にゃ、人が手を貸してくれる。どんな時にだって、見てくれている奴はいるもんだ」
 
 疲れたヒロインに声を掛けてくれる、亡き夫の親友。これは愛の告白です。 
 

2010年7月22日
 
 「 舌に載せて さくらんぼうを 愛しけり 」  日野 草城
 
 石井好子さんの訃報のバックに「さくらんぼの実る頃」を流したセンスある局がありました。
 
 日本のシャンソン界を代表する歌手の石井好子(いしい・よしこ)さんが17日午前5時28分、肝不全のため亡くなった。

 87歳だった。告別式は近親者で済ませた。お別れの会が8月26日午前11時30分から、東京都千代田区内幸町1の1の1帝国ホテル本館「富士の間」で開かれる。連絡先は港区高輪4の10の60ベルセゾン高輪602石井好子事務所。喪主は弟、公一郎さん。

 衆院議長を務めた石井光次郎さんの二女として東京都で生まれ、1942年、東京音楽学校(現・東京芸大)声楽科を卒業。当初はドイツ歌曲を学んでいたが、ジャズに転向。52年にフランスに渡りシャンソンを学んで、パリでデビューした。ヨーロッパ各地で歌い、54年に帰国。シャンソン界の第一人者として活躍を続けた。

 豊かな声量でシャンソンを日本で広める役割を果たし、63年からはシャンソンの祭典「パリ祭」を開いてきた。岸洋子、加藤登紀子さんら後進を育てる一方、イベット・ジローら海外の人気歌手の招聘(しょうへい)にも尽力した。

 90年にパリのオランピア劇場で日本人としては初のリサイタルを開き、「愛の讃歌」など大半を原語で歌い、客席を沸かせた。91年には日本シャンソン協会を設立して、3月まで会長を務めた。

 エッセイストとしても活躍し、「巴里(ぱり)の空の下オムレツのにおいは流れる」で日本エッセイストクラブ賞を受賞。87年に紫綬褒章、92年にフランス芸術文化勲章コマンドール賞、94年に勲四等宝冠章をそれぞれ受けた。趣味の水泳では、87年に台湾で開かれたマスターズ水泳選手権大会の50メートル平泳ぎで大会新記録で優勝した。
 
 いい意味で、育ちの良さ、豊かさがこの人の身上でした。シャンソン界は柱を失ってどうなるのか?嫁ハンをコンクールで認めて褒めてくれはった方でもありました。
 
(パ・リーグ、ソフトバンク−西武、14回戦、20日、ヤフードーム)西武の工藤公康投手(47)がソフトバンク14回戦の七回に2番手で登板。自身の持つ実働年数記録を29に伸ばした。(サンケイスポーツ)
 
 47才というのがスゴイ。甲子園を湧かせた名電工の童顔の剛腕、六本木で遊びまくっていた西武の若手時代。いつの間にか、いいおとうちゃんになったのですね。あのやんちゃ坊主が、節制して、現役を続けています。
 
 3連休の最後は、友人といつもの山と(大和)温泉ツアー。天理の竜門山へ。金剛山ほどの登りで一時間ほど。木漏れ日が気持ちいい山道でした。かつての山城跡の頂上に立つと西風が吹いて、気持ちいいことこの上なし。西は信貴山の二上山の途切れで、大阪が一望される見晴らし。霞がないと、明石大橋も見えるらしい。帰りは香芝の「虹の湯」でリフレッシュ。
 
 20日で授業は終わり。21日から、就職に向けての登校指導。8月の6日までは気の抜けない日が続きます。
 
 最近読んだ作品
 
「 ちぎれ雲 」 杉本 章子
 
 身分違いだが、好き合って、一緒になろうと誓った二人。しかし、運命は(周囲は)二人を引き裂き、女は死んでしまう。男は女が苛め殺された嫁ぎ先から、位牌と、思い出の振り袖を取り返し、振り袖を羽織ったまま、大通りを歩き去ってゆく・・・。
 
 幕切れ。それとすれ違い、強い目つきで観察していた大島紬の男。彼、河竹新七は市村座の立作者。やがてそのイメージは弁天小僧菊之助(「青砥稿花紅彩画」ーあおとぞうしはなのにしきえ)に昇華してゆくのです。
 
 そんなことは知らず、自分の悲しみに全身を浸して、人目も憚らぬ格好で歩み続ける主人公、佐七。味わい深いエンディングです。
 

2010年7月18日
 
「 暑き日は 暑きに住す 庵かな 」  虚子
 
 この2日間の気候の変わり様。一気で衝撃的でした。好きな夏です。私が初蝉を聴いたのが一週間前でしたが、もう賑やかな合唱。昨晩は6日の月がきれいでした。
 さわやかな朝の風を受けながら、休日出勤。暑さには強いので、閉め切った職員室でもそんなに苦痛ではありません(窓を開けると蚊が入って来ます)。電灯も最低限にして、根を詰めて、午後1時まで仕事。閑かな、薄暗い部屋から見える外の明るさが気持ちいい。雨もいやではありませんが、長く続くと気が塞がります。懸案事項がほぼ片づいたので、さっと帰る。同じ頃、下の息子も夜勤から疲れ果てて帰宅。息子は冷房を、私はドライをかけて二人同時に昼寝。
 
 それにしても、今年の進路状況も厳しい。担当10数名が電話しまくり、かつて求人をもらった会社に訪問を重ねたけれど、昨年度をかなり下回る求人票の数にさびしさがこみ上げる。斡旋就職希望者数は昨年度をはるかに上回っているのに・・・。求人票の公開が一応終わって、いよいよ来週から、個別相談に入ります。来月初旬までが、ひとつのヤマ。
 
 高卒認定試験も迫って来ました。これはサービスだけれど、一応、過去問を印刷して希望者に配布してやっています。その印刷、セッティングに金曜日、同僚を多数動員、5時間かかりました。その割に、反応が少なかったりして・・・。
センセー、この中から問題出るの?違います!でも、類似問題が多いのは事実。やっただけのことはある。それなのに、ぶっつけで臨んだり、当日寝坊して受検しなかったりする者多し。もったいない。
 
 最近印象に残った言葉
 
映画「RAILWAYS」が話題の中井貴一さん 
 
 今、49才。30代後半からの中国映画への出演、そしてプロデュース参加で世界が拡がったと語る。
 
 「日本では、手に入れたものを手放すまいと、みんな必死になっている気がします。とにかく失敗だけはしまい、失敗したら終わりだ、とも思っている。でも、生きる価値は、豊かさだけにあるのではないと僕は思うのです。やんちゃで自分らしく生きたほうが、みんな楽しく生きれるし、日本も面白い国になる」
 
 端正な二枚目の映画スターだったお父さん、佐田啓二さんが事故で亡くなられたのは37才。大河ドラマの第1作「花の生涯」の長野主繕の水際立った姿、憶えています。あの時、貴一さんは10代の学生だった。
 
 この映画でも堂々の主演、そして三浦友和・百恵夫婦の次男・貴大と共演。時代の移ろいを感じます。
 
最近読んだ作品
 
「 平蔵の顔 」 逢坂 剛
「 最後の女 」 諸田 玲子
 
 池波正太郎没20年を記念して、鬼平犯科帳をテーマにした競作。読み応え充分。それぞれに、鬼平を熟知して、その登場人物を見事に生かしている。鬼平を極力出さない逢坂作品。鬼平の最後の?切ない恋をたっぷり描く諸田作品。甲乙付けがたい佳作でした。
 

2010年7月17日
 
「 蟻の道  雲の峰まで 続きけむ 」
 
 うろ憶えで自信がありませんが・・・。誰の句だったのだろう。
 
 やっと夏が来ました。見事に切り替わったものです。朝の空から、夏の光に満ちていました。暑がりの嫁ハンはげんなり。私はイキイキ。
 
 で、朝から休日出勤。校門を開けて閉めて、校舎を開け、機械警備を解除し、職員室を開け、警備会社に連絡し・・・煩わしかった一連の作業も、爽やかな空の下では苦になりません?。休日出勤はすまいと、無理して片づけていた仕事も、これは土日にまとめてしようと、残しておけば気分的に楽。
 
 金曜日は同僚達と6時に職場を出て、7時には堺のリーガロイヤルで3500円(安い!)の豪華なビアバイキングにかぶりついておりました。一気にプレミアム(おいしい!)をジョッキ3杯飲んでしまう。
 それからあとも、ビール、チュ−ハイ、ワイン・・・おいしい料理もどっさり・・・満腹、満足、充分酔ったので、2次会は失礼して、まっすぐ帰ったのは、我ながらエライッ!(自分で言うしかないー笑)
 
 
 四月からのあのこだわり(平日全力投球、休日出勤はしないぞ)はどうしたの、と自分でも思うけれど、やはり、のびのびと集中して一気に仕事し、それが片づいていくのを実感できるのはうれしい。平日はこまぎれに仕事して、中断も多くて、いらいらすることが多い。あー自分って、ワーカホリックだったのかなあ、と溜め息をつくと、嫁はんが、今頃気がついたの?と笑いながらきつい一撃。でも、ほんとは、どんくさくて、仕事が遅いだけなのかもしれません(苦笑)。
 
 それでも、遊びは忘れない。午後1時まで仕事した後は、テニスコートへ一直線。炎天下のコートで4時間暴れたらフラフラになりました。葛城山の上に、大きな入道雲(雲の峰)がかかり、上に拡がって、かなとこ雲になり・・・日射しが目に痛いばかり。サングラスを用意すべきでした。みんな日焼け止めを塗りまくる。家に辿り着いて、缶ビール、マチガイ、発砲酒を4本飲んでしまう。反省。今日は、休肝日のハズでした。

2010年7月16日
 
 「 菅総理 早く行かなきゃ 延命寺 」  読売時事川柳から 兵庫 和田さん
 
 字面通りの意味に、菅さんのかつての四国遍路の旅を踏まえているのがウマイ。ちなみに「延命寺」は今治市内に実在する、たしか54番?(数字もあやしいー苦笑)の札所。実家から車で15分。大叔父、叔母の墓があります。今は尼さんがお寺を護ってはります。
 
 朝4時45分。雲が途切れて、朝焼けが紅い。二上山の麓にも雲が立ち込め、山が高く見えます。
 
 つかこうへいさんの死去を取り上げないのですか、とのお声に。
 
 彼の死を扱った「天声人語」を授業で取り上げたので、もう書いた気になっていました。ただ、何年か前に書きましたが、好きな作家ではありませんでした。「いつかこうへいなしゃかいに」がペンネームの由来とありましたが(異説あり)、彼の舞台での屈折した差別への意識にはちょっと抵抗がありました。かつての「心斎橋劇場」で見た「ストリッパー物語」もそうでした。映画「蒲田行進曲」は良くできていた(舞台版は見ていません)けれど、あれは深作監督と若いスタッフのもの、それでも、勢いのある映画だったけれど、深みは感じませんでした。
 
 二つの巨星墜つ、とか言われていますが、井上やすしさんとは、大きく違っていたような気がします。
 
 退職後の楽しみのひとつは語学研修だったのですが・・・。 
 
 日産についで、ユニクロも社内公用語を英語にするというニュース。楽天も続くそうです。外国人スタッフのいない会議、場所でも、文書もすべて英語だと・・・。海外進出を目指すから、というのもわからないではないが、英語の前に、日本語できちんした敬語を話せる、意志疎通を図ることも大事じゃないでしょうか?ただでさえ、人間関係がぎくしゃくしている現代日本社会です。
 


2010年7月13日
 
「 五月雨や 大河を前に 家二軒 」  蕪村
 
ゲリラ豪雨があちこちを襲い、山崩れで松山の愚陀仏庵が全壊とのニュース。俳人・文人の聖地のようなところでした。残念。
 
最近読んだ作品
 
 「運命の糸車」 赤川次郎
 
 最近は期待しないで読むことにしていたのですが、今回は○。殺人事件が呼び起こす高校時代の恋。人の恋心を弄んだ悪意の繰り返しに、失恋の原因が浮き上がり、誤解が解け、お互いを庇うために嘘を付き、罪を被ろうとするが・・・。
 
 すれ違った人生は取り戻しようがない。それぞれの家庭に帰る前に、一度だけキスをして女性は走り去ってゆく。後味のよい作品です。
 
「 はぐれ猿は熱帯雨林の夢を見るか 」 篠田 節子
 
 怪力の怪しいストーカーに悩まされる女性。実は実験中の人工知能を持ったサル型ロボットだったという結末はちょっと気分悪し。力作だが、問題提起に終わっている感じ。
 

2010年7月11日
 
「 七月の 冷たきスウプ 澄み透り 」  日野 草城
 
 よく冷えたパンプキンスープ、好きです。
 
 昨日に続く休日出勤。昨日は昼頃、同僚が一人来て、生徒に電話していました(家で、ややこしい長い電話はしたくなかったのだろうーわかる)が、今日は全くのひとり。
 怖くないですか?とよく問われますが、緊張感はあるけれど、ひとりで集中して仕事できる気楽さが勝っています。懸案の進路関係の資料をまとめ(パソコン処理が苦手なので、きっと堪能な方がやられたら、わたしの5分の1の時間でやられることでしょうー苦笑)、月、火と空き時間がないので、授業プリントを作って印刷、これが一度にできるのが学校で仕事する強みです。疲れたけれど、ストレスは少し減ったようです(苦笑)。明日からまたハードな一週間です。
 
 選挙と大相撲、そしてW杯サッカー決勝を控えて、あわただしい日曜でした。敗北民主、に菅さんの責任論?まだ成ったばかりでしょ?同姓のよしみで言うわけではありませんが、もちいとやらしてあげなはれ。そんなに首ばかりすげ替えて、どうする?
 
 最近印象に残った言葉
 
指揮者で東京芸大教授の松尾葉子さん
 
 高い能力を持ちながら、世間に認められない教え子の将来を憂えるー
 
「運次第で、きちんとした芸術が認められない。ファストフードのような音楽ばかりでいいのでしょうか」
 
 スポーツジャーナリスト  増田明美さん
 
 ロス五輪のマラソン途中棄権後、復活を賭けた大阪女子マラソンで、沿道から「お前の時代は終わったんや」とヤジを受け、恥ずかしくて逃げようと、地下鉄の入り口を探した。その時、後ろから来た市民ランナーが「一緒に走ろうや」と声を掛けてくれた。その楽しそうな後ろ姿を見て、「完走することが、今の自分の目標だ」と気づく。
 
 長居公園について、うれしくて涙が止まらなかった。「見栄っ張りな自分を卒業できたのことへの感動」だった。
 
 ひとつの言葉が人を殺しも生かしもします。増田さん、あれから一皮も二皮も剥けて、解説も上手。今は、大阪芸大の教授でもあります。
 
 ウォーレン・バレットさん  
 
 ビル・ゲイツが出現するまで世界一の金持ちだった 投資家
 
「 人生の目的は、愛されたいと思っている人達から、ひとりでも多く愛されることだ 」
 
  ウォール街に馴染めず、自宅のベッドサイドの小部屋から、パジャマ姿のままで、仕事を続けた。慈善事業に熱心だった妻、スージーを失ったことを契機に、兆単位の資産のほとんどを、より優れた慈善システムを持っているという理由で、ビル・ゲイツの財団に寄付してしまったという。
 
 曾野綾子さん 
 
  文士劇(なつかしい。1958年の舞台は今も語りぐさー「助六」の舞台で、助六の石原慎太郎、意休の三島由紀夫、揚巻が曾野さん、白玉が有吉佐和子さん、通人が深沢七郎・・・)のあった時代を振り返ってー
 
 「こうした無駄なお遊びが消えた頃から、文学も衰亡期に入ったと思われる。文学が、人権のためだの、平和のためだの、と偉そうなことを言い出すと、それはもう真の文学ではなくなる。人権も平和も、作家が生の言葉で口にすべきものでなく、溢れ出る人生の断片を文学として昇華したものの中から、読者が汲み取るべきものである。その頃から柔らかな時代は去ったと思えばいいのだろう。」
 
2010年7月10日
 
 「 かへりみて 暑かりし日は 輝けり 」    山口 波津女
 
 金曜の授業で「卒業ホームラン」(作者をもう失念ー苦笑)をする。6年間息子の所属する少年野球チームの監督を務めた主人公、徹夫は、6年生の息子にとっても最後の試合の補欠名簿の最後に息子の名前を書いて、そして消す。相手は強豪チーム、そしてチームの20連勝が懸かっている。控えの5年生のピッチャーを登録したのだ。始の最後までベンチにも入れなかった息子。試合は惨敗。これなら出すことができたはず。父親として、徹夫は監督である自分を許すことができない。
 
 みんなが帰ったあとの球場で徹夫や息子をバッターボックスに立たせ、自分はピッチャーとして3球勝負を挑む・・・。
 
 甲子園の地方予選が始まりました。そして、当然のことながら、もう敗退チームが生まれる。最後まで出場はおろか、ベンチに入れなかった者もいる。高校3年生の彼らの夏は終わり、進路問題や卒業に直面することになる。そして、チームは翌日から2年生を中心とする新体制に。2年生のいきいきとしていること!毎年のことながら、その鮮やかな変化を、ちょっと切ない思いで見てきました。
 
 土曜日の早朝から出勤。誰もいない(平日忙しいのに・・・こういう職場も珍しい)校舎にひとり。ラジオをかけて、溜まっていた仕事を片っ端から片づける。少しずつ肩の荷が下りてゆく実感。やはり家でするより、この方が効率的。6時間ほど仕事して、午後から炎天下のテニスに。快い疲れでした。
 
 11日は選挙。友人のHPを見て、紹介されていた新聞社のマッチボードをやってみる。結果は自分の思っていた党とずれがあって、また、悩みは深まる(苦笑)。一応、朝一番で選挙にはゆきますが・・・。

20010年7月9日
 
  忙しさにかまけて、HPの更新を怠っていました。ご心配をかけましたが元気でやってはおります。平日は8時頃まで残って仕事しても片づかず、土日も仕事を持ち帰って、ずっとパソコンに向かうという日々でした。明日の土曜は、近来の方針を変えて、出勤して仕事をするつもり。それで今夜はちょっとくつろいで、早寝をしようと思います。
 
 そんな忙しい中でも、7月3日、年一回の懐かしい集まりが三日市町でありました。年一回の集まりはいくつかあるのですが、これは前任校のPTA仲間の集い。転勤以来毎年、呼んで下さって、今年で11回目。
 
 それぞれの近況報告に笑ったり泣いたり・・・それでも、みんな元気でなにより。18分の13という参加率もスゴイ。参加出来なかった人は、海外赴任中やら、お孫さんの世話やら、姪御さんの結婚式やら・・・すごいのはリタイアしたご主人とふたりで北海道までドライブ中の方。ひと月以上かけて走ってはるらしい。宴会途中で電話あり。今小樽の近くにいてはって、今夜も車の中で寝るんだと・・・タフだなあ。新緑を追っての旅、憧れます。
 
 ミーハーな方が多いのもこの会の特徴。前回は関空へヨンさまを迎えに行ってきた、とういう報告に盛り上がり、今回は別の人が、やはり関空へサッカー日本チームを迎えに行ってきたというので大騒ぎ。あの4200人の中にいたんですね。
 
 一年なんてあっという間。次年度の再会が待ち遠しい、というより、再会がすぐやってくるという感じです(笑)。だから明るく笑って別れました。
 
 定年まで9ヶ月。せめて有給休暇(30日以上残っています)を消化したいと思うのですが、まだ1時間(近年は時間休が取れる)しか使っていない(苦笑)。おまけに休日出勤しようなんて・・・アカンなあ。でも、昨年までの10年間、生活指導で事件に追われた、独特の徒労感と違って、膨大な事務処理はあるけれど、やっただけ仕事は減り、それなりの充実感はあり、残るのは「普通の疲労感」という現状なのでマシとしましょう(笑)。
 
 今年、生活指導担当をされている方のストレスはいかばかりか。心配でなりません。



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