Kan-Kan の雑記帳


2010年8月31日
 
「 心臓から 遠い所に 若さ見ゆ 冷房部屋の 素足サンダル 」
 
 新聞歌壇から 伊丹市 山崎さん
 
 寒がりで冷房苦手の私は、手足が冷えやすく、冷房の効いた部屋では靴を履くようにしていて、更に寒くなるとレッグウォーマーを穿いています。確かに、若い人の半袖や素足が眩しく、いや、やはり寒そうに見えてしまうのですが・・・苦笑。
 
 就職試験の履歴書の清書に8時間かかる生徒。面接練習で何も言えない生徒・・・。気の遠くなるような指導をひたすら続けながら、一方、帰国子女でT大のAO入試を受ける生徒が、45枚のレポートを仕上げてきて、その「てにをは」をチェックするのに2時間半。
 
 もう、ふらふらで帰宅の途につく。でも、愉しみ発見。立ち飲みは寄りたいが、やはりカネがかかる(千円くらい)。馴染みに店はもっとかかる(二千円くらい)。時間も費やす。そこで、アベノのコンビニに寄り、缶ビール(訂正、発泡酒)とナゲットなど揚げ物ひとつ、これで250円。夜景を眺めつつ、ぐいっといっぱい。3分間。
 これで生き返れるのだから安上がりな人間です。
 

2010年8月29日
 
 「 妻の忌は 秋風の吹き始めなり 」  森 澄雄
 
 18日に91才で亡くなった森さんの句。「俳人として俳句を作ったことはない。29年、教壇に立ったが教師であったことはない。なにより人間なんだ。」その強さは身近にいる人にはしんどかったかもしれませんね。ボルネオでの「死の行軍」、中隊200人のうち生き残った8人のひとりでもありました。愛妻家で知られ、「除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり」は有名でしたが、実際はどうだったのでしょう。22年前に亡くなったアキ子さんの命日は8月17日でした。
 
 「いくたびも 水かけ洗う 妻の墓」
 
 最近の俳句を「自分を見つめることが一番怖ろしいんだな。いつも自分を他に置いて作ろうとする」と批判してはったそうです。わかるけど。
 
 涼風の吹く朝、4時。コーナンで買った一畳(300円)の寝茣蓙と枕を抱えて移動。東側の風の一番通る居間のフローリングの床でひと眠り。気持ちいい。
 
 友人から絹笠の「とん蝶」をもらう。中華まんじゅうのようなものですが、中身は小梅や豆が入っていて、170グラム、326カロリー。おいしい。大阪では百貨店を中心に10店舗あるそうです。オススメです。
 
 さらにハ−ドな日々ですが、なんとかやっています。教師生活のあれこれを、仕事を、強調して書いていますが、これは知人でこのHPを読んでいただいている人の中に、いまだ教師に対する古い?感覚が残っているように思うからです。曰く「教師は夏休みが40日もあっていいね」とか、「世間から一目置かれる職業で、その分、甘やかされて世間を知らない」とか・・・。そんな誤解と偏見を拭いたいと、意識して書いています。お聞き苦しい点は、ご容赦ください。
 
 ちなみにこの夏は夏期休暇が5日。有給休暇を3日申請、でもそのうち2日出勤した(もう訂正が面倒くさいのでそのままにしてあります)ので、休みは6日でした。
 
 今週末も土日出勤。やっと考査問題を仕上げて、明日、同僚にみてもらいます。考査問題を2日で仕上げたのは初めて。いつも3,4日かかります。誰もいない準備室で集中して仕事出来る(パソコンもコピー機も印刷機もフルに使える)幸せ。就職用の調査書もなんとか仕上がる。普段、どれくらい仕事が寸断されているのか、と思い至りました(苦笑)。
 
 それでも所詮、仕事人間ではありません。朝、思い切って早めに行き、涼しいうちに仕事、午後はテニス(熱中症寸前)や読書、昼寝、友人とのお茶もしっかり。夕刻、厚い雲の間から見えた夕陽はきれいでした。その後の夕立も久しぶりで歓迎(洗濯物は濡らしましたがー苦笑)。
 
 暑い暑いと言いながら、ひぐらしから、つくつくほうしへ、そして虫の音が聞こえてきました。古市の町にも秋祭りの高提灯が上がり始めました。旧暦20日のきれいな月が上っています。来月はもう名月。季節は移ってゆきます。
 
 最近印象に残った言葉
 
 母親に「リングの上の怖ろしいお前と、私の知っている優しいお前と、どっちが本当なの?」と聞かれた、プロレスラーのプラッシーさんの答え
 
 「どちらも本当の私ではない」
 
 現代中国事情ー王 小鷹 (ワン シャオイン)さん
 
 「 今の50代、60代には家族のためにという気持ちが比較的残っているが、20代、30代には自己中心的意識が強い。一人っ子政策になって生まれた世代だから、親に面倒みてもらって当然という意識が強い。大学の数も増え、一年間の600万以上の新卒者が輩出される。国有大企業や外資系は一握り。年間200万人近くの就職難民が生まれ、田舎に帰っても職がないので、大都市近郊の農家の一室を間借りして、8から10人が一緒に生活する。それは蟻族と呼ばれ、社会問題にもなっている・・・」
 
 わがグループの4名の中国人生徒の進路も大変です。3人は進学、やがて、中国に帰って働きたいという気持ちがあるのですが、受け入れは厳しい状況です。
 

2010年8月25日
 
 きっと、職業人としての人生最後の忙しい日々なのでしょう。23日から授業が始まって、もうトップギアが入っています。このひと月を乗り切ればと、必死の思いの毎日です。
 
 それにしても腹の立つ、今夜の保護者への電話。今までがんばって来た男子生徒。成績も出席状況もよく、第1希望の会社受検が決まったのですが、6月末から体調が悪く、顔色も悪いので、会社訪問など大事な時に休んでしまう。就職試験を前に、一度医者へ行ってみては、という電話をしたのですが・・・。母親の対応は、とにかく病院へは行かせたくない、行ってよくなる見込みはない、病院を知らない、大阪にはいい病院がない、病院のメモを失くした・・・訳のわからない言い訳に始終。埒が明かない。
 お金がないのかもしれない。でも、子供の一生の問題でしょう?お節介ですが、不安なまま就職試験を迎えることは本人にとってもよくないでしょう、なんとか病院へ行ってください。本人もそれを望んでいます、と言っても聞かない。
 
 20分余りの電話で疲れ果てました。めったに帰ってこないという父親に電話しようか、と思うのですが、以前に電話して、逆に息子が叱られたと聞いているので、迷っています。

2010年8月21日
 
「 提灯を ともせば秋の 来たやうな 」  森田歩
 
 和紙を透かして、揺れる炎にかすかな秋の気配。
 
 夏前から、学資の件で進路に悩んでいた生徒に電話。
 
「どうや?鍼灸の専門学校なら、昼働きながら行ける、夜間部があるとこもあるで?」
「センセ、もう鍼灸は諦めて、前から言うてたコンピュータゲーム関係に絞ろうと思うて」
「ウーム。それでええんか?」
「センセは反対なんやね?」
(ドキッとして)「なんでそう思うん?」
「なんや、声に元気がないんで」(こういうとこするどい)
「ウーン、正直、就職とか、どうなんかと思うてな。ゲーム関係って競争厳しいとこらしいからなあ」
 
来週改めて懇談することに。オープンキャンパスにも行かせなければ。お父さんはまだ失業中なのだそうです。 
 
 金曜夜は、阪急、武庫之荘Mクワトロでの嫁ハンのライブに駆けつける。2階でこじんまりしているけれど、広いベランダを持ち、硝子窓の外で、観葉植物や今盛りの百日紅が風に揺れて、いいムードでした。
 
 甲子園も決勝。興南春夏連覇。やっぱり高校野球はピッチャーやなあ、と息子。この時季に連戦連投はかわいそうだねえ、と私。
 
 その炎天下の下、私も連日のランニングでダイエットに励んでいます。計量日まであと2日。あと1キロ。
 
 夜に気が付いた「思い出のメロディ」。途中から見ました。名曲の魅力は褪せないけれど、歌った人は衰え変わってゆく。声の伸び、張りは正直なものです。来春引退を表明している二葉百合子さんが、美声で歌いきったのはご立派でした。
 小椋圭さんも病気を克服されて、いい具合に年を重ねてはる。もうすぐ還暦の中村雅俊さん、容貌は若々しいけれど、声が出ません。八代亜紀さん、天童よしみさん、うまい。やはり、歌手として現役で歌い続けている人は違うのかなあ。
 
 最近読んだ作品
 
「号泣する準備はできていた」 江國 香織
 
 男女の、夫婦の、家族間の、微妙な感情の揺れを描いた12の短編。直木賞受賞。短いけれど、どれも濃密。文章は丁寧で清新。どのドラマにも破綻の予感があり、それこそ号泣するほどの悲しみが訪れそうなのだが、その寸前で話を閉める。そして、それぞれの底を流れる「きっと、大丈夫、そうなっても切り抜けられる」という、根拠のない前向き思考を支えているものはなんなのだろう。
 それは諦念でなく、深い覚悟であることはわかるのだけれど、その強さをどう手に入れたかを知りたいなあ。
 

2010年8月19日
 
「 蝉鳴くや 後手後手と打つ ヘボ碁打ち 」  徳川夢声
 
 戦時下の日記に、こっそりこう記すしかなかった作者。戦略無き戦争に翻弄された庶民のつぶやき。いや、作者は庶民とは言い難い(有名人だった)ので、更に微妙な屈折があったはずです。
 
 この夏、印象に残った事件
 
朝のラジオで聴いた話題が、翌日の日経新聞にも採り上げられていました。ソースは同じなのでしょう。
 
 昭和20年、フィリピンセブ島の激戦で、銃弾に倒れた日本兵のポケットからのぞいていた日章旗。それを持ち帰った18才のアメリカ兵。寄せ書きのある日の丸は「グッド・ラック・フラッグ」として米国のオークションで取り引きされることがあるらしい。
 
 その籏を持ち帰った若者、アールさんは終生それを手放さず、癌に冒された晩年、書かれた内容が気になって、隣家の牧師カーさんにそれを託し、それが同じキリスト教の立教大学の学生「ワタナベ」さんのものであったことを知り、初めて籏を手に入れた経緯を語って亡くなってゆく。享年85才。
 
 ワタナベさんー渡邊太平さんは学徒出陣して戦死、実家は戦災で既に無く、大学の懸命の調査でやっと、姪を捜し当てる。それは、なんと立教大学の卒業生だった。今秋、67年ぶりに籏が帰国し、カー牧師も迎えて、大学で特別礼拝が行われるという。
 
最近読んだ作品
 
「 安土城の幽霊 」  加藤 廣
 
 信長の横暴に振り回される大名達。その最たるものが徳川家康。妻・築山を殺し、嗣子信康に腹を切らせ・・・それでもしぶとい家康。ぞれを支えるのが忍び軍団、そしてその頭領、服部半蔵、というお約束の世界。
 
 辟易しながらも、秘策を弄し、危機をすり抜ける半蔵。最後の半蔵のつぶやき。「やはり、父の言うとおりだ。この上様のグズとしつこさは、ひょっとしたら信長さまにもない、あの方のとてつもない取り柄かもしれない。そう思って、この方に、己が技と行く末を賭けてみようか」
 
やはり、あの時代の人間は、いろんなアプローチが出来て、描き甲斐があるというものなのでしょうか。
 
 

2010年8月17日
 
「 花氷 人のいのちの かたはらに 」  田村木国(もっこく)
 
 「花氷」は生花を水に入れて凍らせたもの。今はホテルやデパートで偶に見かけます。冷房のなかった昔は、寄席や、芝居小屋にも置いてありました。少しずつ溶けてゆく氷のそばで、喜怒哀楽を繰り返す人の命も消えてゆきつつあります。
 
 昨日の記事の補足。15センチの身長差のバレーチーム。バレーボールはバスケット、相撲や柔道、高跳びなどにも言えることでしょうが、「体格のスポーツ」の厳しさ。もちろん、それを打ち破る、技術や精神力もあるのでしょうが、圧倒的に不利であることは現実です。伊良部高校は多彩な攻めで頑張りましたが、ブロックの遙か上から打ち下ろしてくるアタックを拾い続けるには限度がありました。
 
 身長のように目には見えないけれど、格差はきっちり深く存在します。今日も進学を巡っての資金の相談。26万円の入学金のめどが立たない。もちろんそれから後のことも。
 
 もうひとり、複雑な家庭事情で、家では勉強できない、もうだめですと泣き崩れる女生徒。帰国子女で英語力もあり、かなりのところに手が届くのに・・・。君だけではない、全国の受験生が悩んで苦しんでいるんや。できるだけ付き合うから、学校に残って勉強し、と励ますのが精一杯。
 
 資金の心配もなく、夏は講習と予備校でがっつり勉強、家でも冷房の効いた自室で勉強できる、他校の多くの生徒の存在は語りませんでした。
 
 最近印象に残った言葉
 
 スティーブ・ジョブス(世界最高のプレゼンの名手といわれる。彼の復帰以降、アップルの新製品はことごとく大成功している)
 
 パソコンに向かう前に、紙と鉛筆を持って、自分が何を伝えるべきなのか考えよ。
 一枚のスライドに箇条書きであれこれ詰め込むのは最悪。
 事前にリハーサルを念入りに行う。
 
 いくら最新のソフトを使ったからといって、話の中身がつまらなければ聴衆は飽きる。伝えようという情熱がなければ、
 誰も耳を傾けない。手前のモニターではなく、聴衆の目を見て話すこと。
 
 特別なテクニックでなく、ちゃんと普通に話すことが大事。これって我々の授業や説明会について言えることと全く同じなのだ。
 
 岡潔(私の若い頃には世界的数学者、そして奇人としても有名でした、最近また脚光を浴びているらしい)
 
 かぼちゃを見ていると、非常に面白いことにピョイピョイとリズミカルに伸びる。ずらずらと時間に比例して大きくなるのではない。人の子の内面的生長もこれとごくよく似ている・・・。
 
 戦後の日本教育はアメリカの思想家、ジョン・デューイの影響を受けて自我を真の自己と思い違いしてしまった。
 
 自我はすべてを自己中心の考える無分別な本能であって、動物と非常によく似ている。人の人たる所以、たとえば人の悲しみを知ることは、真の自己からくるのであって、自我からくるものではない
 
 その「真の自己」を育てるのが、「内面的生長のカーブ」だというのです。なるほど。
 
最近読んだ作品
 
「 名護屋城昼下がり 」  岩井三四二
 
 名護屋は秀吉の朝鮮出兵時の基地となった九州、唐津の北の地。そこには全国から大名、武将が押し寄せ、屋敷を仮ごさえし、秀吉の顔色をうかがい、機嫌をとりつつ、できれば出兵すまいと駆け引きを繰り返す・・・。そして、小さな町だけに大名同士のニアミスも相次ぎ、いざこざが多発する。
 
 安房の里見家の侍、金丸強右衛門(すねえもん)もそれに翻弄されるひとり。名護屋を舞台に選んだ作者の目がいい。さりげない午後の事件の中で、秀吉の狂気、それに振り回される当時の人々、その中での強右衛門の息子の成長などもあって、まとまった佳品です。
 
 

2010年8月16日
 
「 囚われて 両親(おや)の死に目に会えもせで 歌詠むなどと 我は愚か者 」
 
 朝日歌壇 アメリカ 郷 隼人 さん
 
 服役中の郷さん、今度はお母さんを亡くされたらしい。悔いと嘆きと。ご両親も辛かったはず。
 
来る人 
 
野又 穫 さん (画家・54才)
 
 どこでもない、どこにもない「空想の建物」を描く。帆を付けたり、気球を備えたり・・・奇抜なのに、細部描写に凝って、流れる雲も精密。高崎の近代美術家館で個展をやってはるんだって・・・行きたいなあ。すべてに制限、所有を求められる現代に、想像力だけは自由な存在です。
 
この夏、また思い出した言葉
 
松本さん(29才)が当時2才の長男に
 
「しっかり生きろ 哲也 立派になれ 」
 
河口さん(52才)が妻に
 
「ママ こんな事になるとは残念だ 子供達のことをよろしくたのむ 本当に今迄は幸せな人生っだったと感謝している」
 
客室乗務員のメモ
 
「 ハイヒールを脱いでください 落ち着いてください 身の回りの用意をしてください 」
 
 日航123便の事故からもう25年。日航の職員もほとんど事故を知らない世代になったようですが、事故を知っている者にとっては毎年、この時期、胸が痛みます。
 
 1週間夏休みで久々の出勤。就職の応募先決定、AO入試、志望理由書の作製、奨学金の相談・・・いろんなことが押し寄せて、一気に平常モードに帰ってしまいました。
 
 久しぶりに、ふとテレビで見た甲子園大会、九州対決の終盤、9回ウラに3店追いついて、延長戦。やはり面白い。
 
 ニュースステーションで採り上げていた、男子バレーボール、インターハイ。沖縄代表、伊良部高校(ちいさな島の唯一の高校。だが小学校からお年寄りまでバレーボール熱に沸いている)は本戦1回戦で大阪代表と当たって善戦するも惜敗。その平均身長差15センチ。
 

2010年8月15日
 
 葡萄がピークです。デラウエアはピークを過ぎましたが、ロザリオ・ビアンコはじめ、各種の葡萄のおいしいこと。無花果も出始めました。これがまた、たまらない。
 
ゆく人
 
河野裕子さん 歌人 12日午後8時7分、乳がんのため死去、64歳。
 
「 しっかりと 飯を食はせて 陽にあてし ふとんにくるみて 寝かす仕合わせ 」
 
 母性を絞り上げるように歌い上げた歌人。その長男の淳さん、長女の紅さんも歌人になりました。12日夕も新聞歌壇の選歌原稿を送るなど、最後まで仕事を続けていたということです。
 
最近改めて、気になった言葉
 
「ここで寝る。おやすみなさい。」
 
 去年4月(まだ寒い)、西淀川区のマンシヨン4階ベランダで衰弱死した聖香ちゃん(当時9才)の最期の言葉。実母の裁判で明かされたそうですが、部屋に入ったらまた虐待されると思ったのでしょうか。ベランダに敷かれたレジャーシートに布団なしで寝て、死んでいたそうです。
 
 それで思い出したこと。うちの息子達がまだ小学低学年だった頃の夏、和歌山、加太の民宿を予約して海水浴に行き、そこの庭に簡易テントを張っていたら、夜、寝る時間になっても息子達が上と同じセリフを吐いて、テントから出てこない・・・。
 20代最後の誕生日を迎えた下の息子にそのことを話すと、まったく加太へ行ったことも憶えていない。あちこち連れて行ったことも、上の息子も大概憶えていないという。私はテントの周りに蚊取り線香を立てたり、夜中に何度も見に行ったりで、ろくに眠れなかったのに。ほんとに健忘症のばか息子共です。腹が立つ(苦笑)。
 
 聖香ちゃんの苦しみ、悲しみ、絶望感はいかばかりだったろう。
 
 聖香ちゃんの実母への判決は懲役8年6ヶ月(7月21日、大阪地裁。求刑懲役12年)。重さで罪は計れないけれど・・・。顔面を手で殴打、リモコンで頭部殴打、木刀で手を叩く、ナイフを突きつける、足蹴にする・・・実行犯だった内縁の夫の判決(8月初旬だったはず)はどうだったのでしょう。
 
友人のHPから勝手に引用(Oさん、ありがとう、ごめんね)

毎日新聞夕刊、穂村弘さんの言葉より

「遊びに行って留守だったら帰ります。

非常に機能的でなくロスが多いのですが、それが楽しかった。

大人になると効率を意識するけれど、すべてが徒労だと逆説的にきらきらして感じるのでしょう。」


「だから札幌に帰りたいとは思いません。

物理的に戻ったところであのころのまぶしかった時空間には入れないからです。

札幌の記憶は僕の中でずっときらきらしていますが、実体ではないんです。

北海道は僕にとって幻のふるさとです。」

 わかります。効率に追われて走っている自分を省みて、身につまされました。「留守なら帰ってくればいい」のですね。携帯電話など、本来、要らないのです。

会津八一

「 深く生を愛すべし 」

「 理屈を言わずに、奈良を歩いてこい」

 7月に放映されて見逃していたNHKの「日曜美術館」がもう再々放送。友人からもよかったと聞いていたのですが、やっと見ることができました。

 昭和18年、学徒出陣が決まった生徒を引率して、会津教授は恒例の奈良見学旅行を敢行する。それも10日間50カ所というハードスケジュールで。宿舎は先年、無くなった「日吉館」(泊まっておけばよかった)。入営のため、旅行をリタイアする学生(彼は生き延び現在89才)に「作歌を続けなさい」と諭す八一。帰ってこいとは言えなかったのです。奈良に入隊したある生徒は、訓練の途中に日吉館に立ち寄り、八一の書いた看板を撫でて泣いて出征して行ったそうです。彼はフィリピン沖で戦死。

 「破門の会津」といわれた厳しい教授(何度も破門された学生がいたというのがおかしい)。彼に奈良の仏様を見せられて、戦場へ旅立った行った学生達。

 遷都1300年に浮かれ、セントくんとやらがバカ売れし、奈良が再注目されているのはいいことかもしれないけれど、客をたくさん集めることが大事なことではありません。奈良の美しさをきちんと守り伝えること。

 名月の唐招提寺にライトアップするようなバカなことは止めてほしい。八一が生きていれば、怒りまくって関わった職員全員破門されたことでしょう(苦笑)。


2010年8月13日
 
「 涼風の 曲がりくねって 来りけり 」 一茶
 
 細い路地の奥に住んでいたころの一茶。そこにも涼しい風が通ってくる。秋はすぐそこです。
 
 今朝、帰阪しました。羽曳野市内でモーニング。荷物を降ろして、一休みして、今度は義母を拾って、大阪市内の義父の菩提寺に墓参り。買い物して帰って昼寝。夕刻、友人に会って、近況報告と四国の土産を渡す。書家である友人には、両親の卒寿の祝いの横断幕?を書いて貰ったのです。彼からは倉敷のお土産をもらう。
 
 例によってハードなスケジュールの帰省でした。今回の特徴は、12日の卒寿の祝いの会をメインに、入院中の母の一時帰宅を含め、6家族の出入りがあったので、とにかくめまぐるしかったこと。その中でも、上の息子とフィアンセが顔見せに日帰りで帰省したこと、甥夫婦に今春出来た娘(両親にとっては初曾孫)の四国デビューがあったこと。そのお陰で、両親の今後の介護という大きな問題を抱えつつ、賑やか、和やかな雰囲気で祝宴を終えることができました。
 
 還暦祝いを実家でやって以来、喜寿、米寿など節々の祝いは外部でやっていましたが、今回は30年ぶりに実家の座敷で。料理はウチの嫁はん中心の嫁軍団が大車輪でがんばってくれました。私たち男連中は買い出し、セッティング、庭の掃除など。台風一過の秋晴れの下、宴会は2部に分け、正午から昼寝タイムを挟んで午後8時まで。特筆すべきはいつも大酒をくらっている私が、その夜の帰阪もあって、一滴も飲まず、ノンアルコールビールで我慢し続けたこと(笑)。我ながらエライッ!(誰も褒めてくれないのが辛い)
 
 12日、午後11時、フェリーに乗って真っ先に、持ち込んだビール(姉夫婦のドイツ土産)を飲み干したのはいうまでもありません。
 

2010年8月9日
 
「 野分中 つかみて墓を 洗ひをり 」 石田 波郷
 
 台風1号発生。沖縄は暴風圏。三重にも影響が出始めているそうです。でも、今夜のフェリーは内海を走るので安心。太平洋は大荒れでしょうが・・・。帰省の足、沖縄はもちろん、特に九州方面には影響が出てくることでしょう。墓参りの前にまず、墓掃除があるのですが、台風が来たら大変です。
 
 京都へ行った友人からお土産に、三条大橋西詰めの「内藤商店」の棕櫚の卓上?箒をもらう。創業200年とか。流石に丁寧な作りで、雰囲気が、義父から貰った大きめの机にぴったり。Mさん、ありがとう。京都は本当奥が深い。
 
最近気になった言葉
 
 新書の「ゼロ円で愉しむ極上の京都」の書評から。青木るえかさんの文章
 
 京都を愉しむということは、風流を愉しみ、カネを払うことを愉しみ、イケズされて喜ぶ。「ゼロ円」と釣って愉しみ、釣られて愉しむ。それをボラれていると感じるようなら京都なんかおよしなさいってことですよ。怒っているほうが笑われる。わかりました。京都よします。
 
 確かに京都のイケズさというのはありますね。気を遣い合っているのだけれど、それが東京に比べて幾重にも屈折している。それに馴染んで暮らすには、素養か年季が必要。やはり、「訪れるべき町」なのかも。
 
 佐藤 優さん(作家・元外務相主任分析官)
 
米原万里さんに、何かの拍子で「米原さんは美人作家ですから」と言ったら、こうたしなめられた。「美人作家というのは、作家という集団の中では美しいという意味なの。私は美人作家ではなく、美人なの。わかった?」「よくわかりました。米原さんは美人です」と答えると、米原さんはにっこりと笑って「そう。あなたも作家になるのだから、言葉は正確に使わないとね」
 
 確かにそうかもしれない。「美人教師」などと言っては失礼ですね。でも「美人女優」という言葉には、 女優にまず美しいというイメージがあって、「美女の中の美女」というイメージですが・・・。
 
「エスケイパー」・・・長生きする人
 
「オール・オール・ゴーン」・・・みんなみんな行っちまったー「チャールズ・ラムの詩集から」
 
 長生きするなら、取り残される覚悟もいるのでしょう。そして若い友人をつくることも大事ですね。
 
最近読んだ作品
 
「みだらな仏像」 門井 慶喜
 
 旧財閥、桜小路家のおばかな御曹司、清長を探偵役としたしゃれたミステリー?。舞台は京都。プロレタリアートと恋に落ちて出奔、落剥し、戻ってきた伯母が大事に抱えていた仏像は、金色の裸の男性像。それを巡るドタバタですが、映画ファンなら、結末はもうお見通し。それは、仏像ではなくて○○○ー像だったのです。
 
☆13日まで帰省してまいります。
 

2010年8月8日
 
「 秋立つや 河瀬にまじる 風の音 」 飯田蛇笏
 
もう俳句の世界では秋。確かに、朝夕の風も涼しさを増してきました。
 
 6日は生徒2人を連れて、天王寺の電子関係の会社を訪問。広い工場内を丁寧に見せてもらう。無菌室やら、マイクロチップの製造室、検査室などもあって興味津々。でも。24時間営業の部署もあって勤務はハードみたい。生徒は悩んでいる様子でした。
 これでひとまず盆前の仕事は終了。夏休みに突入です。夜は進路部の一同で宴会。私は幹事ですが、早めに会計をした後、もちろん即酩酊、記憶喪失(苦笑)。
 
 7日は嫁ハンの北新地でのライブ。重い扉の向こうの赤い絨毯の会員制クラブですが、そこは、我々が押し掛けたので、一転下世話な雰囲気に。嫁ハンも好調。ママもご機嫌。来てくれた若い友人が、パルチザンを歌った曲に興味を持ってくれたのがうれしかった。ここも飲み放題だったので、2日続けて酩酊、記憶喪失かつ二日酔い(苦笑)。
 
 今日は大阪芸大のガラコンサートへ。NHK大阪ホールは満席。早めに行って並んで、招待席のすぐ後ろを確保。嫁ハンは別のコンサートから駆けつけてくる。荒削りだけれどパワフルな学生の演奏と、錚々たる教授陣のコラボが面白い。
 
 まずは川井郁子さん この人、デビュー以来10年間ずっとキライでした。口を半開きにしてカメラ目線でけだるい表情での演奏は意識過剰で、色気を売り物にすんな!イライラする、とテレビに出たら夫婦でチャンネルを変えていました。でも、今日の舞台で私は変節。白い肌、長い髪、ピンクと臙脂の中間のようなサテンのドレスできれいなスタイルを包み(かなり長身、銀色のヒールも高いけど)、腰を微妙にくねらせて、見事に魅せる。295年前に造られたストラディバリウスを使っての演奏もよかったけれど、そのビジュアルに拘った見せ方に感服。ちょっとファンになりそう、と言って嫁ハンに冷たい目でみられる。嫁ハンに言わせれば、彼女の最近お気に入りの韓国の若い女性バイオリニストは、演奏の途中でハイヒールを脱ぎ捨てて、足を踏ん張って演奏するんだそうです。確かに「演奏がいのち」は正論だけれど・・・。
 
 続いてこちらも美女、鮫島有美子さん。童謡、唱歌を丁寧に歌ったけれど、声が届ききらない。声量が落ちているでしょうか。長かった髪を切っていて、妖艶な熟女になってはりました。でも、体型が変に見えるドレスが残念。
 
 前半がクラシック、後半がポピュラーの構成。今年の司会が桑原征平さん(前回は河村隆一サン・・・字が怪しい?)だったので、ついつい暴走して(面白いことはたしか)時間が押して、舞台監督が舞台袖で必死に巻いているのが見えて、客がそれを見て笑うというなごやかなムードで進行。
 
 後半はロックやジャズゴズペルなど。音楽学科教授MALTAが率いるビッグバンドに舞台芸術科教授、島田歌穂さんが絡む。これが見もの聞きものでした。歌穂さんは、以前はちょっと野暮ったかったのに、見事な美女に変身して現れ(顎も細くなり、スタイルもあか抜けて、スパンコールをちりばめ、肩、背中を出したドレスを美しく着こなしていました)、鮮やかな歌唱で今日一番の拍手を浴びていました。確かピアニストと結婚したのでした。円熟期に入った落ち着きと自信に溢れたステージングでした。
 
 残念だったのは、学生ロックグループのドラマー。演奏が思い通りにゆかなかったらしく、演奏後に折れたステックを放り出したまま拍手にも応えず、舞台後ろへ去ってゆきました。あれはレッドカードもの。だれかちゃんと怒ってやってくれたかしらん?
 
 ま、中身がたっぷりで3時間半の長さを感じさせないイベントでした。でも、最後の1回生のゴスペルとアンコールの大学応援歌は余分でしたけれど(苦笑)。
 
 明日は家の掃除、整理などをして、夜のフェリーで帰省の予定です。
 

2010年8月5日
 
「 夏痩せて 嫌ひなものは 嫌ひなり 」  三橋 鷹女
 
 いわゆる花鳥風月を詠うことに飽き足らない人の強い自己主張。昭和初期という時代を考えれば、反発も強かったことでしょう。
 
 6日の朝に書いています。午前4時。東の空が薄青く明るんで、県境の送電線の赤い灯と空の対比が美しい。東からの風が強く吹いてきて、カーテンを脹らます。夏の早朝の気持ちよさ。
 
 5日は応募前職場見学で、生徒付き添いで大阪市内の金属プレス工場へ。正直、音がうるさい、暑い、危険というイメージがありましたが、払拭されました。
 確かに、耳栓をして作業しておられる方はいたけれど、耳に響いてたまらないという音ではなく、大蛇のように張り巡らされた通風あるいは換気の管のせいで、暑くもなく、なにより、安全性に気を配っているのに感心。センサーが張り巡らされて、機械に触っただけで、手や頭がプレス機に近づいただけで、動きがストップするようになっている。部品移動は磁石を使ったロボットアームで。かつては一人に機械一台というシステムだったけれど、今は変化をつけるためにポジションチェンジをしている。
 事務所での説明だけでなく、近郊の工場、倉庫すべてを案内して、最寄り駅まで見送ってくれました。募集は一人なのですが、人材をを確保するためにかなり心を砕いている。こういう会社は希望も多い。この日は見学者3名。連れて行った生徒(彼は4社目)は気に入ったようですが、ライバルも多い。厳しいだろうなあ。学校へ連れて帰って、報告書を作成させる。彼はあと1社見学して希望先を絞ります。暑い一日でしたが、充実していました。
 それにしても、倉庫のリフトカーの運転、操作、してみたかったなあ。ああいう、荷物の整理、積み上げという作業、個人的に大好きなのです。
 
 夕方6時、我が校の夏の恒例イベント。淡路チャリティマラソンの一行が帰ってくる。3日の朝、午前5時半に出発して3日間。大阪市内から淡路に渡って一周して、各地の高校を訪問しながら募金を募り(全行程250キロ)、ネパールの小学生に奨学金を送っています。3日間で生徒、付き添い教師共(計30人ほど)、見事に日焼けして帰ってきました。横断幕、テープ、PTAが冷やしウドンを用意して、拍手で迎える。
 
 この行事の送迎も、私にとっては今年が最後だろうなと思うと、ちょっと感慨がありました。
 
最近読んだ作品
 
「 いすず橋 」  村木 嵐
 
 新進の時代小説の書き手。いすず橋を渡るヒロインおさよの心は重い。美しかった姉を2年前に、この音無川の鉄砲水で失い、それから一家は不運続き。そもそも、見つかった姉の遺骸に掛けて埋葬してやった、姉が仕立てていた打ち掛けさえ、埋葬のあと、人に頼んで掘り起こしてもらって、売らなければならないほどの貧しさだったのだ。
 
 おさよが橋のたもとで出会った口の利けない少女と上品な老女。ここからおさよの知らなかった、姉のかつての生活、恋が浮かび上がってきて、それが、おさよと一家を思いがけない幸運に導いてゆく・・・。
 
 登場しない亡き姉「おもん」が実は主人公。これはヒチコックの名作「レベッカ」の逆パターンですね。
 
 

2010年8月3日
 
「おもしろうて やがてかなしき 花火かな」
 
下の句は元は「「鵜舟」です。
 
「さまざまな こと思ひ出す 花火かな 」
 
こちらは「」。どちらも芭蕉の句です。名句はパロディが無限に出来る。
 
 ことしもPL花火芸術を楽しみました。大阪に来て、南河内に転居してから33年、毎年見てきたわけで、感傷もあり、思い出すことも多いわけです。
 
 今年は友人に声を掛けず(ゴメンネ)、上の息子とフィアンセ、義母と我々夫婦の5人で楽しみました。下の息子は勤務。日曜と重なったので、朝から大掃除。ベランダの隅の蜘蛛の巣も払い、網戸も洗う。これで年末はちょっと楽かな。それにしても次々出てくるお掃除グッズは重宝します。特に網戸洗いの「たわし」は、ほんまに便利です。
 
 ビールはもちろん、ワインも焼酎もカクテルも用意したけど、息子達はあまり飲まないので(それでも上の息子はビール数杯で酔って、花火後半はほとんど寝ていましたー情けないー苦笑)。私も、相手がいないので、ビール数本、日本酒数合で切り上げる。お陰で最後までしっかり見れました。なにより、いつもおっさん声で、言われている「お父さん」という呼称を、若い女性に言われると、むず痒いやら、照れくさいやら、うれしいやら・・・思わずいつもの「オー!」「何ヤ?」でなく、「ハイ!」と応えてしまう(苦笑)。幸せなひとときでした。
 
 今年は雲が北側(こちら側)に流れて、見えにくかったのが残念でしたが、色鮮やかな新種もありました。江戸時代はオレンジ一色だったようで、それを思えばすごい進歩なのでしょうが、慌ただしいテンポはいただけません。もっとゆっくり上げてほしいなあ。今年はナイアガラの仕掛けもなかったようです。最後もあっけなかった。やはり不景気が影響しているのでしょうか。例年のように、滝谷不動の温泉街で、花火師さんたちの打ち上げは朝まで続き、PL関係者は、翌朝5時から、会場になったゴルフ場で、薬莢拾いをしたそうです。
 
 2日、3日が就職関係指導のピークでした。最後に志望先を絞るために、希望者は、応募前職場見学と称して、事前に会社訪問をすることができます。我が校は私服だけど、一応標準服もあり、就活に備えてスーツを誂えている生徒もいる。行く前に一応服装チェック。
 
「おいおい、ベルトは?」「忘れてきました」
「モー。俺のを付けてゆけ!」と言って、ベルトを解いて渡す。
「センセーは大丈夫?」「イキを吐いたら大丈夫」
「センセー、穴が足りません」「お前、ウエストなんぼや?」
「56です。センセーは?」「90・・・そんなこと言わすな!ベルト返せ」
 
 そんなやりとりもありまして、暑い中、先生方の付き添いのもと、あちこちの会社にお邪魔しているのですが・・・
希望先を絞り込むのは本当に難しい。
 
 仮希望提出が今日、3日。まだ職場訪問は続き、来週の盆休みを挟んで、最終提出は24日。9月にいよいよ入社試験です。
 



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