Kan-Kan の雑記帳


2011年4月30日
 
「 明日また 早朝給水に 並ぶべし 小さき犬を 抱きて眠る 」
 
読売歌壇より  桜川市 友常さん
 
 桜川市は茨城県西部の三方を山に囲まれた盆地の町で、米と葉煙草が主産業なのだそうです。この震災がなかったら知らなかったかもしれない。いつか行ってみたい。もちろん市内を貫くのは桜川。
 
 今日はオフの嫁はんと久々のドライブで、昨日、友人と行ったコースを復習。嫁はんは「梅本とうふ店」は初めてなので感激していました。夕食はもちろん豆腐。
 
 買い物にいつも寄る、南河内グリーンロードの途中にある農産物直売店のアイドル犬、ラムちゃんが最近元気がないのが気になっていました。声を掛けると奥からとぼとぼ出てきて手を舐める。トレードマークの赤いネッカチーフもしていない。もう年なんだそうですが、最近足を痛めたとか。腰を痛めた私も人ごと?ではない。大事にしいや、と声をかけて、大根(大・130円)、ポンカン(一籠500円)を買って帰る。
 
 酒を買いに寄ると、いつものノンアルコール「休日100パーセント」が無い!東北にある工場が操業出来なくなって当分入りません、とのこと。それならと、日本酒「奥の松」本醸造を購入。これは福島県二本松市長命にある造り酒屋のもの。享保元年(1716年)の創業で歴代伊兵衛さんが藏を守ってきたのだそうです。名杜氏と謳われた16代でさらにグレードアップ、現在は殿川さんという杜氏らしい。
 とりあえず、帰って一杯。辛口で当たりは強いが飲める。燗したらどうなるか、楽しみ。それは明日以降のお楽しみに残しておきます。
 
 夕刻、BSで「鈴木雅之ライブ2010年」を見る。30周年記念の公演ですが、観客との一体感があって気持ちよいものでした。でも、30年前の歌を振り付け込みで歌える自分もコワイ(苦笑)。
 
 で、いよいよ世界フィギアの女子フリーです。美しい女子選手達のコスチューム、音楽、演技を楽しみます。フィンランドのコルピ選手の足の美しいこと・・・(どこを見ているのか、スミマセン)。
 
最近読んだ本
 
 「 四十九日のレシピ(しじゅうくにちのレシピ) 」  伊吹 有喜
 
 デビュー作でポプラ社小説大賞特別賞を受賞した作者の長編2作目。テレビドラマ化されたものも興味あったのですが、見逃していましたら、友人が本を貸してくれました。
 
 レシピには「調理法」以外に「処方箋」という意味もあり、哀しみをどう癒してゆくか、苦しみからどう脱却するかというテーマがしっかり題名に表れています。
 
 義母の葬儀に帰省した主人公、百合子は夫の愛人の妊娠に打ちのめされていた。父の良平も33年連れ添った妻の急死に深い喪失感を抱いている。
 
 実は、主人公はすでにこの世にいない乙美(おとみ)。彼女は不遇な前半生を過ごし、良平と結婚してからは百合子を育て上げ、おいしい料理を作り、近所にある互助施設「リボンハウス(後述)」で絵手紙だけでなく、料理の作り方や所作を施設に通う子供に教えていた。そして家族のためにかわいい絵の入った「レシピ」を残していた。その施設でお世話になったから、49日までこの家に通って、49日目に大宴会してほしいという故人の遺志を受けてきたと言って現れたガサツな女の子、井本、その友人のブラジル人青年のカルロス・・・。
 
 最後にファンタジックな仕掛けが明らかになるのですが、心に残ったのは次の一節
 
「 私たちはテイクオフ・ボードなのだ・・・跳び箱の踏切板ってあるでしょう。私たちはそれなんです。思い切り走って、板を踏み切って箱を飛んだら、もう思い出さなくてもいい。過去を飛び越えたことに自信を持って、まっすぐに走ってゆけばいいのんです。・・・・人ってそういうものじゃないでしょうか。親が子を支えるように、みんな、だれかの踏切板になって、次の世代を前に飛ばしていく・・・世の中は無数の匿名のテイクオフ・ボードで成り立っている・・・」
 
 細かい点で気になるところはありましたが、この文章はずっと私の心に残ると思います。そうだ、私の人生も、教師というも仕事もテイクオフ・ボードなんだ。
 
 
2011年4月29日
 
「 乾パンに 咽びて水を流し込む 今日を生き抜く それだけのため 」
 
読売歌壇より 岩手県 小田さん
 
 耐えて耐えてはる多くの人々の姿に敬服。
我々も、少しでも応援を。節電を。連休明けに職員バザーを再開します。
 
辿り着いた連休。木曜は仕事を片づけた後、しばし放心状態でした。
これほどの休みは初めて。ちょっとワクワク。
男子フィギア、小塚くんの演技を見て、感嘆。ウイスキーを飲んで爆睡。
 
今日は次第によい天気になってきました。
リハビリ、整骨院でのマッサージ、
古いテレビを電気店に運び(2700円)、冬の毛布をクリーニングに運び
ついでにこの冬も着なかったカーディガンなど7枚思い切って処分
少し身軽になりました。
 
嫁ハンはチェリティコンサートのリハーサルで神戸へ
折角の晴天、新緑を味わいたい
友人が迎えに来てくれて、彼の車で竹ノ内峠を越える
二上山はどちらから見ても美しいですが
この時期は圧倒的に奈良側からが美しい
山全体が萌葱色の塊になって輝いています。
それが見えるフルーツカフェでランチ。
南に走って「梅本とうふ店」ヘ。
小さな集落の狭い道端にあるのに満員
豆腐は売り切れ、でも、厚揚げとひろうすをゲット。
待っている間に、厚揚げの薄焼きと一椀のサービスがうれしい。
 
更に南に下り、船宿寺(せんしゅくじ)に。
名物の躑躅の満開にはちょっと早かったけれど
白藤、おおでまり、石楠花、しゃがなどが咲き始め、山桜が咲き残り
気持ちのよい散策ができました。
花祭りの時期で、村の人々がボランティアで動いてはって
その笑顔の対応もいい。葛城の山麓のドライブは爽やかで
やはり奈良はいいなあと実感。
 
帰宅して5時半からロイヤルウエディングの中継を見る
緑の樹木が運び込まれ、きれいに飾られたウエストミンスター寺院
招待客の中にはエルトン・ジョンやベッカム夫妻の姿も・・・
注目の花嫁ケイトさんのウエディングドレス、
丁度帰ってきた嫁ハンが部屋に駆け込んで来て一目見るなり
「グレース・ケリーのウエディングドレスに似ている!」
その記憶力を生活面にも活かしてほしい(苦笑)。
デザイナーはアレキサンダー・マッキーン?
 
私は様々な帽子の洪水に圧倒されました。
黒い馬の先導、そして白馬に引かれた馬車を連ねてのパレードも美しい。
これはイギリスの国威発揚の行事でもあるのですね。
 
ダイアナさんの時より地味な感じがしたけど
あの時は皇太子の結婚式、
今回、ウイリアムは(皇位継承順位は高いけれど)まだひとりの王子なんですね。
 
夫婦でワイワイ言いながら、なんや申し訳ないけれど、長閑に連休一日目が過ぎてゆきます。
 
最近読んだ本
 
「 父の縁側、私の書斎 」 檀 ふみ
 
 エッセイの名手が父、檀一雄の作った家、自分の作った家、部屋を語りながら、父の生き方、家族の変遷を抑制の利いた筆で描く。そして、これは何より建築論、住居論になっているのがすごい。ただ、彼女の家に関わった建築家は耳が痛いだろうなあ。
 
 最後に、都市計画で永年住んだ、緑に覆われた家を、土地を離れなければならないことを告白し、切ない余韻を残して幕。後味もほろ苦いものがあります。
 
「 負けるのは美しく 」 児玉 清
 
 最近また脚光を浴びているベテラン俳優。望んで役者の世界に入ったわけでなく、長身と甘いマスクでそこそこ売れたが、インテリジェンスと自意識の強さも災いして半端な存在だった。同僚の若手スターに、ファンの前で「この人は雑魚だからサインはいtないよ」と言われ発奮するが映画では芽が出ない。結局テレビの水に合って生き残り、やがて舞台にも進出。
 
 その読書家としての存在、努力もすごいし面白いが、話は最後に一転、近年の愛娘の病気とその死という厳しい現実に触れて息を呑ませる。その治療を巡っての病院、医師に対する不信と恨みがかなり赤裸々に述べられて辛くなります。
 
 檀さんの文章も児玉さんのも、意識してかしてないかに関わらず、ペンの力の持つ怖さを感じさせられます。HPも気を付けなければ・・・。
 
ゆく人
 
蟻田尚邦さん=アンリ・シャルパンティエ創業者

4月28日(木)17時54分配信

 蟻田尚邦さん69歳(ありた・なおくに=アンリ・シャルパンティエ創業者)3月18日、心不全のため死去。葬儀は近親者で済ませた。お別れの会は5月30日午前11時半、神戸市中央区港島中町6の10の1の神戸ポートピアホテル。

 1969年、兵庫県芦屋市で喫茶店を開業。現在、全国に洋菓子店約100店舗を展開する。
アンリ・シャルパンティエ(Henri Charpentier)はフランス語の男性名。 フランスの料理人。クレープシュゼットを考案したと言われる。
2011年4月26日
 
「 停電や 縄文の夜と 同じ星 」
 
読売俳壇から 八潮市 井上さん
 
 星は少しズレているかも知れませんが、真っ暗になった町で見上げる星は古代を(宇宙の時間の中では一瞬でしょうが・・・)を思わせるのでしょう。
 
 腰痛とうまく付き合えるよう、歩いたり、リハビリしたりしながらぼちぼちやっています。ご心配かけました。
 
 ばたばたしつつ実家で聞いニュース、耳を疑ったのがスーちゃんの病死でした。
 
ゆく人
 
田中好子さん 乳がん 55歳
 
 元キャンディーズのメンバーで女優の田中好子(本名・小達好子)さんが21日午後7時4分、乳がんのため都内の病院で死去した。55歳。東京都出身。1992年に乳がんが見つかり、治療を続けていたが、昨年10月に再発、今年2月に容態が悪化したという。
 
 ピンクレディよりキャンデーズでした。前の職場では、忘年会のアトラクションで、悪友3人で「スキャンティーズ」(スーちゃんごめん)と称して、網タイツで歌い踊り顰蹙を買っておりました。私はミキちゃんでしたけど(スーちゃんごめん)。
 
 ずっと闘病してはったんだ。告別式のランちゃん、ミキちゃんの弔辞、そしてスーちゃんの肉声の最後のメッセージ。胸がつまりました。正直、当時、あれほどの女優さんになるとは思っていませんでした。いい仲間、よき伴侶を得て、一生懸命、努力し、生きはったんだ!お疲れさま。ゆっくり休んでください。
田中実さん 俳優  44歳
 
俳優の田中実さん(44)が、東京都大田区の自宅マンションで首をつって死亡していたことが26日、警視庁池上署への取材で分かった。同署は自殺とみて調べている。
 同署によると、25日午後3時半ごろ、田中さんが仕事先に現れないことを心配したマネジャーと母親が同区下丸子の自宅マンションを訪れたところ、田中さんが首をつっているのを見つけ、119番。病院に搬送されたが、約1時間後に死亡が確認された。
 遺書は見つかっていないが、争ったような跡がないことなどから同署は自殺とみている。
 所属事務所によると、田中さんは1990年のNHKの連続テレビ小説「凛凛と」で主演したほか、ドラマや映画で活動していた。悩んでいた様子はなかったという。 
 
 スーちゃんの告別式の日でした。これも驚き。無名塾から出た演技派の若手という印象だったのですが、44歳。微妙な年齢だったのかなあ。彼の最後のブログに「空を見上げて考え続けたい」とありましたが、26日の澄んだ青空に吸い込まれたのでしょうか?
 
 朔太郎の詩に
 
もしかして
大好きな五月の来る前に
死んでしまったら
もし川へ身を投げてでも
死んでしまったら
どうしよう
 
というような部分がありました。ふと、自発的にやってしまいそうな不安や衝動、誰の心にもあるように思います。

2011年4月25日
 
「 余震なほ 山河称えて 卒業歌 」 
 
読売歌壇から 久慈市 和城さん
 
「卒業歌」はこの場合は校歌でしょう。校歌には必ず故郷の山河が謳われています。故郷は荒れ果てても、まだ、山河は見守ってくれています。
 
 21日から24日まで帰省してきました。今回もいろいろあって、ちょっと疲れましたが、帰ってよかったです。両親の笑顔を見られてうれしかったです。それに萌え出ずる新緑の美しさを堪能しました。櫻は散りましたが、躑躅、藤が見頃を迎えます。これから四国は更に美しい季節。連休は京都の姉夫婦が帰ってくれます。私は今度は5月中旬帰省の予定です。
 
 貴重な月曜は、病院の日と決めていました。朝9時から歯医者、そして10時から腰痛と膝痛の検査の為専門医へ。これが待ち時間がすごい。検査、リハビリ指導が終わったのが午後3時。でも、本があるから待っているのは苦にならず、難しいと言われていた正座がリハビリ次第で可能と言われて希望が出てきました。
 
 4時から泌尿器科で検査。父の前立腺の件も気になっていましたし、3年ぶりの再訪を医者も笑って迎えてくれました。尿、血液、超音波検査、触診・・・ちょっと肥大しているが異常はなし。ちょっと安心。
 
 6時から近所の整骨院へ。揉みほぐしてもらってやっとひと息。腰、膝、泌尿器は退職してからの課題だったので、これで一段落。明日から改めてがんばります。
 
 最近印象に残った言葉(ずっと昔読んで、ノートに挟んでいたのを最近発見)
 
「 妹が死んだ時、ぼくは重荷から解放された思い、悲しみは片鱗もない。」
 
この目、この表現ができるからあの「火垂るの墓」が生まれたのでしょう。
 

2011年4月20日
 
「 失くしても 亡くしても 今生きている あなたがどうか強くと祈る 」
 
朝日歌壇より  日田市 高倉さん
 
 友人のお姉さまが茨城で急病死。震災の影響もあると思います。火葬場が10日待ちというので、大阪に遺体を運んで荼毘に付したとか。
 
 こんな中でと思ったけれど、息子達が退職祝いをしてくれるというので、市内のホテルへ。できれば質素にしてその分寄付したらと思ったけれど、飲食で小さいながら経済が活性化することもあるのだ、と言い聞かせ、その幸せに甘えさせていただく。
 
 明日の夜のフェリーで帰省します。
 
最近読んだ本
 
「 ニッポンが好きだから 」  瀬戸内 寂聴  櫻井よしこ
 
 噛み合わないかなと思ったけれど、しっかり噛み合って歯ごたえある対談でした。アナーキーな立場と、いい意味での保守の共鳴。昭和天皇は敗戦時に退位すべきだったというところでまず一致します。来週その一部を紹介いたします。
 
 
2011年4月18日
 
「 音もなく 大蛇がしのびよるにも似て みるみる津波が 町をのみこむ 」 
 
   読売歌壇から 京都市 末広さん
 
 たしかに映画でのイメージのように高いところから襲いかかってくるのではなく、すーつと横から忍び寄られるような恐怖感がテレビの画面からも伝わってきました。黒い巨大な蛇が・・・。
 
 テレビや新聞では見られないけれど、雑誌には死体の写真も掲載されています。手を握りしめて上を睨んでいる老人。階段の途中で手を上に伸ばして力尽きている若者・・・。
 
 昨日、花吹雪の石川堤で、雲雀の声と共に降ってくる陽光を浴びながら、まだまだ冷える北上川を思いました。岸辺の柳が「青む」のはもっと先でしょう。
 
 腰痛は何度も経験がありますが、今度はかなりのレベル。スボン、靴下はなんとか自分で穿けるようになりました。ちょっとした動きに痛みが走るので動きは慎重に。起きあがるときは両手で物を掴んで、片手で物を持たないように・・・身体のバランスが大事なのだと思い知らされました。整骨院では腰の左側が特に凝っていると言われました。
 もちろんテニスはパスですが、メンバーが少なく迷惑かけているので、早く復帰したいなあ。母が楽しみにしているので(ベッドの上のカレンダーに○してありました)、今週末にも帰省したいし・・・。
 
 印象に残った言葉
 
坂東三津五郎がインタビューに応えて
 
 何度か「勧進帳」の弁慶を演じてみて思ったっんですが・・・本来弁慶を演じるべき役者が病気になって、代役が回った時に、気づくことってあるんです。このせりふはもう少し間を取ったほうがいいとか、ね。準備期間がない代役は、逆に言えばまな板の上の鯉。開き直れて、欲も抜けるんですね。必死に準備して、手中を高めて勤める本役とは、違う景色が見える」
 
 さすが当代一の踊り手。欲や向上心や周到な準備は重要だけれど、それに引きずられてしまうこともある・・・うーむ、深い、面白い。もちろん我々の授業にも通じる話です。
 
 山村暮鳥の詩から
 
 さくらだといふ
 春だといふ
 一寸、お待ち
 どこかに
 泣いている人もあらうに
 
 当面、東北の酒をいただこうと思っています。ささやかなことだけれど。
 

2011年4月17日
 
「 流れ星 流れてよしや 消ゆるとも 瞬時は光れ 我の命よ 」 堀口 大学
 
 まだ授業再開の見通しがつかない学校が150校以上あるのですって。校舎そのものがない、生徒がいない学校も。
 
 腰痛でおとなしくしていた週末でした。ちょこっと飲みに行きましたけど(笑)。テニスも、毎春恒例の弘川寺や吉野の花見も諦めて、歩いて5分の石川堤で嫁ハンと散りゆく桜を眺めました。
 
 夜は「JIN−仁」再開第1回。やはり見てしまいます。
 
ゆく人
 
米映画監督のシドニー・ルメットさん
 
[映画.com ニュース] 「十二人の怒れる男」「狼たちの午後」などの社会派ドラマで知られる米映画監督のシドニー・ルメットさんが4月9日、米ニューヨークの自宅で悪性リンパ腫による合併症のため死去した。86歳だった。

 ルメットさんは1924年6月25日、米ペンシルベニア州フィラデルフィア生まれ。幼少の頃にニューヨークに移住し、以降同地を拠点に活動をつづけた。父親が俳優で、自身も4歳で舞台デビュー。その後、舞台やテレビの演出を手がけるようになる。57年には、陪審制度を扱った傑作「十二人の怒れる男」で長編映画監督デビューを果たし、ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞したほか、アカデミー作品賞、監督賞、脚本賞にもノミネートされた。

 代表作に、「セルピコ」(73)、「狼たちの午後」(75)、「ネットワーク」(76)、「プリンス・オブ・シティ」(81)、「評決」(82)、「デストラップ・死の罠」(82)など。07年の「その土曜日、7時58分」が遺作となった。

 俳優の魅力を最大限に引き出す演出術でも知られ、ルメット監督の作品に出演した俳優のうち、実に18人がアカデミー賞の主演男女優賞にノミネートされた。そのひとりで、「セルピコ」と「狼たちの午後」で同主演男優賞にノミネートされたアル・パチーノは、「シドニー・ルメットの名は、その作品とともに語り継がれる。彼は偉大な遺産を残したが、それ以上に、彼に近しい人たちにとっては誰よりも品格のある人間として記憶に残るだろうし、私自身もあれほど優しい男には出会ったことがない。私たちは大きな存在を失った」との追悼コメントを発表した。
 
 社会派でありながらしっかりエンタテイメント。「十二人の怒れる男」は見事でした。「オリエント急行殺人事件」も。

来る人
 
後藤 正孝さん(ピアニスト)
 
 リスト国際ピアノコンクールで優勝。26才。凱旋公演が楽しみです。
 
ドナルド・キーンさん(日本文学研究者)
 
 ニュ−ヨークで日本国籍取得、日本永住を決意。88才。国際社会に与える影響は大きく、多くの日本人を励ますことになります。
 
最近読んだ本
 
「 あの世 この世 」 瀬戸内 寂聴 玄侑 宗久 興味深い話でした。
「 赤毛のなっちゅん 」 内藤 啓子  元タカラヅカ花組トップスター大浦みずきさんのお姉さんの正直な記録。
「 上機嫌の本 」 佐藤 愛子 その潔い?生き方。見ている方は痛快だけれど、身内は大変?
「 親子で映画日和 」 永 千絵 映画エッセイ・紹介としてはイマイチ。
 
 
2011年4月16日
 
「 明日も喋ろう 弔旗が風に鳴るように 」  小山 和郎
 
 しばらくUP出来なくて、ご心配かけました。7日の夜から帰省、11日夕刻帰阪したのですが、実家で痛めた腰痛が悪化、椅子に座ることが苦痛なのです。酒を飲めば痛みは誤魔化せるのですが(笑)、恒例のダイエット競争もあって計量日の15日まで禁酒していました。
 
 計量もクリア(35年ぶりに夢の60台ー年齢ではありませんーに降下)、酒も解禁。ぼちぼち書き始めます。衣服の着脱や立ち上がるのが大変ですが、動き始めれば大丈夫?なので、授業はなんとかやれています。被災地救援バザー第3弾もやりたいと思っています。
 
 四国の両親もなんとか元気で、介護の合間を縫って花見もばっちりしました。今年は桜の開花が遅かったので、見頃にばっちり会うことが出来ました。その報告もそのうちに。

2011年4月6日
 
「 さまざまな こと思い出す さくらかな 」 芭蕉  「笈の小文」より
 
あっという間に開花してきました。入学式に間に合いました。
あと20回、開花を見たら80才?一年一年の出会いをを大事にします。
 
新学年に向けての会議、そして、入学式、奨学金の受付・・・慌ただしい日々でした。
明日の夜行フェリーで帰省します。
 
最近気になった言葉
 
「 深い瞑想の中で体験できる以上のことは死によっても体験しない」 阿含教典の言葉から
 
「 禅が最終的に目指しているものは、精神の全き自由。自由と言うと好きなことをすると思われがちだが、そうではなくて、することを好きになるための心の技術 」 玄侑宋久
 
「することを好きになるための心の技術」かあ。なるほどなあ。

2011年3月4日
 
「 現実に ならねばよいがと 不安なり チェルノブイリの石棺のひび 」
 
朝日歌壇から 山口県 宮田さん
 
 放射能洩れのニュースを、同僚がインターネットの海外の番組で見ています。日本の報道より正確で速いからだという。それって何?
 
昨日の一斉捜索で海中から78遺体を発見。あと1万5千以上の行方不明者。茫然とします。
 
水を吸った遺体は重く、大人3人でやっと持ち上げられるほどだそうです。
 
ふと、思い出して・・・友人へのメールの中で
 
> そういえば、宮城「浦霞」の醸造元はどうなったのでしょう?
 
と、呟くとー

HPを見てみました。少し壁がくずれたり、浸水したりの被害はあったようですが
タンクは無事だったそうです。
ライフラインの復旧とともに、再開にこぎつけたいように書いてありました。
 
との返信。
松島観光も再開するらしい。人が集まるかなあ。
でも、その地で、観光で生きて来た人たちには
切実な問題です。
こういう時にあえて、出掛けていって、現地でお金を落とすことも援助にはなるのでしょうね。
でも、楽しめるかと言われると・・・。うーむ。
 
年度初めの忙しい中、バザーの品物がゾクゾクと集まり
明日までの開催を延長しようかと思っています。
同僚の意識も高い。
 
最近読んだ作品
 
「月と蟹」道尾秀介「漂砂のうたう」木内昇 
 
 直木賞受賞の2作品の一部を「オール読物」で。地方の町の少年、明治初期の花街、対照的な舞台の作品ながら、どちらも作りが巧妙で文章もさすがにウマイ。いずれ全文読みたいと思います。
 
「宝塚読本」 中本千晶
 
 劇団員出身でも、劇団関係者でも、熱狂的ファンでもない、ただ長く深くタカラヅカを愛してきた著者による紹介が快い。その賛美やあるいは批判一方でない、適度な距離感を保つタカラヅカ論が日本の芸能論、文化論になっており、この作品が文庫本にまでなった原因でしょう。
 紹介できないような作品もある、と正直に言い切り、その上で、矛盾点や荒唐無稽さに拘らず、リアル感や写実を重んじる西洋式演劇と違い「かっこいいこと」を基本とする歌舞伎との類似点、ファンの微妙な意識と組織をきちんと押さえているのは鮮やか。
 
 

2011年4月3日
 
 土曜日、午前、歯の定期検診。
最近疲れが溜まってはりません?歯茎が腫れていますよ。
やっぱし!
歯の根もとにばい菌が入って膿が溜まっています。でも、歯茎に1oほどの小さな穴が開いていて
膿を出しています。
ええっ!誰がいつ開けたん?
自然に開けるのです。人の身体ってすごいでしょ?
で、このまま放っておいてもいいですが、治療してもいいです。どうされます?
この際、治療御願いします!
 
 午後はテニス、夜は友人達がキタのイタリアンでお祝いの会をしてくれる。記念品はキャスター。四国との往復に使ってとのこと。嬉しい。ありがたい。
 
 日曜朝。河南町、桜坂で地元の友人とモーニング。桜の名所、弘川寺に廻ろうと早めに出掛けたけれど、なんと雪が舞っている。。「春の雪」、4月の雪は珍しい。まさに新古今「花の雪散る」でなく「花に雪散るー春の曙」ではありました。
 
 近畿でこの雪、この寒さ、被災地ではどんな状況でしょう。春はまだまだ遠い。
 
気になったニュース

<東日本大震災>ヘリ搬送のお年寄り5人 行方不明に

 4月3日(日)2時30分配信

 宮城県南三陸町で、東日本大震災翌日から自衛隊などのヘリで避難先から運ばれた老人ホームの入所者ら5人の搬送先を施設が確認できず、家族とも連絡が取れないまま行方不明になっていることが2日分かった。このうち3人には認知症があり、自分の名前も言えない可能性があるという。搬送の際、施設側を含め記録を残していなかったことも一因とみられ、災害弱者の救護に新たな問題点が浮上した形だ。
 
 どこの避難所におられるのでしょう?それだけ現地の情報が不足、錯綜しているということでしょう。海上を漂う遺体の収容も困難を極めているとか。その作業も命懸けです。

2011年4月2日

「 喚ぶ声か 振り返りつつその母は 足どり重く 地震(ない)の地離る 」 
 
  朝日歌壇から 福岡県 城島さん
 
最近知った言葉ー「制限選手」
 
リーチ、初の「制限選手」=震災で米国に一時帰国中―プロ野球・横浜
 プロ野球の加藤良三コミッショナーは1日、東日本大震災の発生を受け、米国に一時帰国している横浜のブレント・リーチ投手(28)を「制限選手」として公示した。
 制限選手は、個人的な理由で選手が野球活動を休止する場合、所属球団がその旨をコミッショナーに申請し、制限選手名簿に記載された当該選手は他球団でプレーできなくなる制度。1998年に野球協約に加えられ、今回初めて適用された。名簿記載中、参稼報酬(年俸)は支払われない。
 左腕のリーチは新外国人の先発候補で、横浜と2年契約を結んでいる。震災後、横浜の外国人選手5人が一時帰国し、リーチは再来日を見合わせている。復帰する場合は、野球協約に基づく手続きを行うことになる。 
 
 リーチ投手の再来日は家族が反対しているようです。原発に関しては、まだどこか危機感に欠ける日本に比べて、海外の反応の方がはるかにシビア現実的であるようです。広報、報道の姿勢にも課題あり。
 
上の息子のホテルも外国人を中心に東京からの避難客で当分満室状態だそうです。(月単位の予約で埋まっているというのがすごい)
 
「ま、不謹慎ながら、ホテルとしては儲かっているわけだ。」
「お父さん、何言うてんの。パーティや宴会のキャンセルが続いて大変なんやで。ホテルは宴会場で持っているのです!」
 
 その関東へ向かう教え子。新聞にも載ったので固有名詞を出しますが、中国よりの帰国子女、唐(たん)さん。先月卒業し、筑波大進学の為、1日夜の夜行バスに乗る。午後10時半、
 日本の先行きは見えないけれど、がんばる若者には、これからの国際社会という大きな未来が開けているように思います。厳しい家庭環境の中で、働きながら、わずか数年で日本語と英語をマスターした彼女。きっと世界にはばたくと信じています。
 
ゆく人

漫画家の中島徹氏死去
 
 中島 徹氏(なかじま・とおる=漫画家)3月26日、大腸がんのため死去、47歳。横浜市出身。葬儀は近親者で済ませた。喪主は父秀夫(ひでお)氏。
 ビッグコミックオリジナル連載の「玄人のひとりごと」で知られ、他に「戦え! グリーンベレーくん」「五月原課長のつぶやき」など。 
 
 1日夕刻、上の息子からメール。タイトルが「残念な報せです!」。心配して開けたら中島さんの訃報でした。考えてみれば、息子の小学生の頃からビッグコミックオリジナルが身近にあり、「玄人のひとりごと」は息子のお気に入りだったのです。でも47才とは。まだ若い。


佐藤忠良さん 「人間の造形」追究 愚直な「職人」

 自らを「粘土職人」と呼んだ彫刻家の佐藤忠良さんが30日、亡くなった。抑制されたポーズの人体像や穏やかな表情の頭像に、こまやかな詩情と崇高な精神性を包み込み、多くの人々を魅了した。彫刻の新しい風潮や抽象には関心を向けず、ひたすら「人間の造形」を追究し続けた一生。気骨ある「職人」であった。

 佐藤さんの彫刻は、市井の人々をモデルにした作品が多い。「ドラマ性がない」と笑っていたが、自身は壮絶な体験をしていた。

 美術学校を卒業する直前、仲間と開いていた研究会が思想問題で取り調べを受け、1カ月間、警察署に勾留された。応召後は1年間戦地に、敗戦後は3年間のシベリア抑留。心身共に極限に追い込まれた環境で、人間の本能をつぶさに観察したという。「権力や知識のある人より、手に職を持った大工さんや、普通の人の方が立派でした」。静かな表情をした頭像でも深みを感じさせるのは、モデルの人生を深く射抜いているからだろう。

 代表作の一つ「群馬の人」のモデルは、旧制中学時代に共同生活をした当時20代の岩瀬久雄さん。幼くして父を亡くした佐藤さんにとって、父親代わり、兄貴代わりの存在だった。「帽子・夏」などのモデルは、東京造形大の教え子だった弟子の笹戸千津子さん。最晩年まで共に創作を続けた。

 現代具象彫刻の第一人者となってからも、愚直なまでに創作に打ち込む態度は変わらなかった。毎日芸術賞などは喜んで受けたが、70〜80年代に複数回打診があった文化功労者などについては「国からの栄誉はお断りする」という態度を貫いた。晩年、記者がその理由を尋ねても「職人に勲章は要りませんから」とほほ笑むだけだったが、当時を知る人は「シベリア抑留という筆舌に尽くしがたい経験があったからだろう」と話す。

 「一日土をいじらざれば、一日の退歩」という学生時代の恩師、朝倉文夫の教えを座右の銘に、東京・杉並の広いアトリエで毎日、朝8時ごろから夜8時ごろまで粘土と格闘した。この生活は最晩年まで続いた。
 
 失礼ながら、若い時は、われらが憧れ、女優の佐藤オリエさんのお父さんということでしか知りませんでした。骨のある方だったようですね。

女優、沖山秀子
 
 3月26日(土)16時46分配信
 沖山秀子さん(おきやま・ひでこ、本名・近野秀子=ちかの・ひでこ=女優、歌手)21日、不整脈のため死去、65歳。告別式は近親者で済ませた。喪主は夫、和文(かずふみ)さん。

 映画「神々の深き欲望」(今村昌平監督)でデビュー。「どですかでん」(黒澤明監督)や「陽炎座」(鈴木清順監督)などに出演したほか、ジャズ歌手としても活躍した。
 
 セクシーで野性的、脱ぎっぷりのよい大胆な演技で知られましたが、その奥の繊細さ、弱さが垣間見えて、ちょっと痛々しい思いもあったのです。女優にはもっと厚かましさが必要です。65才も若い。

アンドリアノフ氏

 3月23日(水)7時2分配信

 旧ソ連の体操男子エースで、70年代に体操ニッポンのライバルとして活躍したニコライ・アンドリアノフ氏が21日、ロシアの出身地ウラジーミルで死去した。58歳だった。進行性の神経障害を患っていたという。

 76年モントリオール五輪で加藤沢男の個人総合3連覇を阻むなど五輪通算7個の金メダルを獲得した。15個のメダル総数は08年北京五輪で競泳のマイケル・フェルプス(米国)が塗り替えるまでの男子の最多記録だった。

 引退後も日本との関わりは深く、好敵手だった塚原光男・日本体操協会副会長の招きで94年からは朝日生命体操クラブでコーチを務め、息子の塚原直也を指導した。恩師の悲報を留学先のオーストラリアで聞いた直也は「“体操は紳士のスポーツ。常に紳士であれ”という言葉が心に残っている。現役を続けているのも彼への恩返し。もっと恩返ししたかった」と声を詰まらせた。光男氏は「スーパースターであり、親友だった。去年ロシアに見舞いに行こうとしたが、実現できなかった。もう一度会いたかった」と涙声で話した。
 この人の体操は美しいのひとことでした。当時の日本の体操はダイナミックな演技と高度な技で勝負という感じでしたが、旧ソ連には優雅な美しさがありました。その後の日本は彼の指導も受け、洗練されていったように思います。
 

2011年4月1日
 
 「 大地震 津波の前に詠みし歌 春は近くて脳天気なり 」
 
      朝日歌壇から 東京都 夏目さん
 
 あの日から例年感じた季節感もぶっ飛び、人生観も揺さぶられて感性が元に戻りません。もう戻れないと思います。
 夜桜のライトアップをどうするかって?雪洞(ぼんぼり)があるでしょう?なければ、見たければ薄闇の中で見ればいいのです。関東でナイターを控えるのも当たり前です。ナベツネの顔色を伺うより被災者のやつれた顔を思うべし。
 
 10人を超すメンバーが異動して、一夜でがらっと雰囲気が変わった職場。でも、明るさ、テンションの高さは変わらず(苦笑)。新転任にもおもろい人がいるようです。楽しみ。
 退職祝いに頂いたネクタイを締めて辞令を貰い、新学期の準備をして、会議をすませればもう夕暮れ。中庭の咲き始めた桜が夕陽を浴びて輝いています。
 
 それにしてもこの気楽さは何?昨日までのチューター(担任)のプレッシャーが消えて、会議でも必死にメモを取ることもなく、ゆったり構えている自分がいる。自然に笑えてくる。
 
 どうしても目の前の差し迫った生徒指導が優先されるから、後回しになってしまう授業準備を4月1日から出来る幸せ。調子にに乗って、四月末までのプリントまで用意してしまいました(笑)。
 
 自分でも驚くほど、肩の力が自然に抜けて、楽しい再任用教師の第1日目でした。思えば、今日は本来出勤しなくてよかった日だったのです(苦笑)。
 
 で、再来週から授業開始。入試の成績を思えば、やはり、それなりにハードな日々が待っているのしょうね。でも、なんとかなりそうな予感が今はしています。
 
 

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