2011年5月31日
「 頑張って」「がんばれ」「ガンバレ」もう沢山!私とっくにがんばってます
朝日歌壇から 仙台市 坂本さん
最近読んだ本
「ふたりで探偵」 平岩弓枝
テレビで「御宿かわせみ」を見たので、つい図書館文庫本コーナーで手にとってしまいました。作者にはこういう現代ミステリーもあるのですね。
ツアーコンダクターの妻と人気旅行作家の夫。実は夫は強度の乗り物恐怖症で電車にも乗れず、妻の報告を元に作品をかいていたのだ。ローマ、スリランカ、チュニジア、ニューヨーク・・・世界各地の旅行先で起こる出来事、事件を電話で、あるいは事後報告で夫が解明してゆく・・・。いわゆるアームチェアディティクティブ、安楽椅子探偵の分野の短編集ですが、ひねりはあまりなく、あっさりした味わい。仕組まれた新婚旅行のチュニジアの部がおもしろい。
「 あの頃ぼくらはアホでした 」 東野 圭吾
悪名とどろく中学での命懸けの生活から体育会系の大学生活まで、波乱?の青春を綴る・・・でも、ちょっと詰め込みすぎで読んでいて息苦しい。こういう体験記はエピソ−ドをどう整理するかがポイントなのでしょう。
東野さんはやはりストーリテラーなのではないかと思います。
2011年5月30日
「 ゆく春や 震災しるす 方丈記 」
朝日俳壇から 北九州市 武田さん
「方丈記」では大地震(おおない)、「平家物語」では大地震(だいjしん)どちらも同じ震災の悲惨さを描いています。
土日にひたすら眠っていました。そこで見たたくさんの夢の中から。
アメリカをひとり旅をしている。辿り着いたニューヨークは深い霧の中。ハドソン河畔のビルの一階を抜けると大きな浮き桟橋。その上には木々が植えられて公園になっている、川は濃褐色でゆるやかに、しかしすごい水量で流れている。
水際のベンチで一服していたら、濃い霧が少し晴れて、摩天楼の高層の部分が圧倒的な姿を見せました。夢の中ということを忘れて?大感激。もうニューヨークにゆかなくていい?(苦笑)
西部に車で移動して、カーニバルをやっている小さな町に立ち寄る。バザーでグリーンを売っている。感じのいい紺のTスアツの笑顔いい兄ちゃんとカタコトの英語であれこれ交渉。最後に蔦の苗を選んだのですが、日本に持ち帰るとわかって、やっぱり無理ということで納得。でも、楽しいひとときでした。
銀行、リハビリ・・貴重な月曜をしっかり使いました。リハビリは大詰め。なかなか左膝が曲がらないのですが、イケメンのT先生の長いマッサージで奇跡のように曲がりはじめる。正座も出来る!そうだ、諦めずに続けていれば、このようになるんだ!がんばろうとおもいました。
5月28日の読売新聞の記事から
伊賀山中に住む彫刻家、ふじい忠一さん(70才)
自然の巨木を使って年1作の緩やかなペースで作品を作ってきた・・・
3月11日以来、十分に睡眠もとれない状態に陥る。ひたすら作る、描きまくる・・・自分を鎮めるため、なんでもいいすべて旧作も出す。一円でもいい。みんな売り払って東北へ届けよう・・・。
それを受け入れたのは明日香の岡本寺(いい寺です)。5月初旬、その境内で8日間展示即売。売れた全金額を東北に送り、全てを手放して、ふじいさんは伊賀の山に帰っていった・・・。
「ひとりひとりが、いま、自分の足下を見つめ直すしかない。自分を落ち着かせるためにやったことですから、人様にお話するようなことでもないのです」
共感。来月またバザーをします。自分にできることを。
豪雨の梅雨の晴れ間。青空の下の緑がきれいでした。ベランダのラベンダーが冬の間咲いていたのに、花の季節を前にしてあっという間に枯れてしまいました。なんでやろ?
ゆく人
岸田衿子さん (詩人、童話作家、髄膜腫、82才)
一生 同じ歌を 歌い続けることは
大事なことです
むずかしいことです
劇作家岸田國士の娘。平成18年に死去した今日子さんのお姉さん。谷川俊太郎、田村隆一さんと一時期夫婦だった。
田村さんとの間の息子、未知さんの言
「 私が最初に口にした言葉はカッコーです。母は勉強しなさいと言ったことがない。困っている人を手伝ってあげなさいというくらいです・・・」
浮世離れしていて、昭和天皇の崩御知らず、山(浅間の山荘)から東京へ出て、平成って何?と聞いて笑われたという。
こんな人、もっといていいですね。
2011年5月28日
独房の 灯りを消して 叫びたい 「逢いたいよ久子(チャコ)」 四十年前の恋
朝日歌壇から アメリカ 郷 隼人
囚人の胸に蘇るかつての恋。逢うことの叶わないチャコ。歌謡曲にもこのような歌がありました。灯りを消すことも、思い切って泣くこともままならない生活です。
河内長野からのメール。ホトトギスが鳴いて、蛍袋が咲き始めている・・・いよいよ初夏です。葛城山の躑躅も満開とか。
その河内長野で前任校の十数年前の同僚達(担任グループ)と年一回の飲み会。昔話に花を咲かせる。退職祝いの花束をいただく。心も濡れる雨の夜でした。
なつかしい番組をBSで見る。NHKの「御宿かわせみ」。今回は「七夕の客」るい役は真野響子さん。東吾に小野寺昭、源さんに山口崇、通之進に田村高廣、その妻に河内桃子、脇役も含めベストの配役です。悪党に狙われる大店の美しい未亡人に南田洋子。店を守るために別れた母子の再会と永遠の別れを描いて泣かせます。丁寧なセットと作りがいい。すでに亡い出演者がいきいきと演技しているのが不思議で切ない。
いつも通っている市立図書館が整理で休館中。ちょっと離れた別の市立図書館へ。本を借りたついでに併設されている老人施設も覗く。60歳から利用可能だって。風呂も無料で入れるんだ。ちょっとためらったけれど、登録しようと思います。
南河内グリーンロードの中にある農産物直売店、看板娘犬のラムちゃんは今日も元気なし。声掛けても小屋から出ず、尻尾を振るだけ。心配です。地元の名産、デラウエアがやっと出始めました。甘くておいしい。すいか、胡瓜も買う。
野中寺となりにある蕎麦屋「I」。ここの蕎麦は正直、南河内一番のおいしさ。今日も開店10分後に寄ってみたらもう5人待ち。それでも20分待って、おろし蕎麦にありつけたのはラッキー。嫁ハンと喜び合ったことでした。おいしいものを食べるのが老後の絶対大きな楽しみです。
最近読んだ本
「 禁断のパンダ 」 拓未 司 (たくみつかさ)
2008年度の「このミス」ー「このミステリーがすごい!」大賞受賞作。前半はなかなか読ませます。神戸のハーバーランド近辺が舞台というのも身近で嬉しい。
新進気鋭のフレンチ料理人と、神の舌を持つ料理人との接触から始まり、ポートタワーの前の海に死体が浮かぶ・・・ミステリーとしては弾まないが、何と言っても料理の描写が巧みで食欲をそそられる。「美食ミステリー」として評判を呼んだのですが、後味はイマイチというより悪い。折角の前半部のおいしさをぶちこわしにする結末です。折角の受賞作だけど映像化は無理でしょう。
ネタバレになるので抑えますが、題名は、「竹を食べるパンダは元々肉食だったらしいが、何故が牙がまだ残っている」というところから来ています。題名も韻を踏んだつもりでしょうが、半端でよくないです。
2011年5月27日
「 明日といふ 日を疑わず 種を蒔く 」
朝日俳壇から 西宮市 吉田さん
雨上がりの緑が一段と美しい梅雨入り後の朝。ベランダから望める草原にマメ科の紫の花が咲き群れています。実家から貰って帰った、弟の作った豌豆も空豆もおいしかった。梅も徐々に実を大きくしていました。
腰痛がやっと治まって来て、週末に。今週は帰省しないのでまず養生、ストレッチに励みます。
最近見つけたメモ
「 生きているからには、ひとさし舞わずは なるまいて 」 谷川 雁
いつ、どこで読んだ文章にあったのでしょう。人生の第3コーナーを廻ったような実感があります。残された時間をどう生きるか?親の介護や、実家の問題はあるけれど、自分のことをどうするか?具体的に動かなければと思うこのごろです。
テレビで絵本作家ターシャ・チューダーの庭園の四季を特集していました。バーモント州マールボロの森の中に57歳で移住。92歳で亡くなるまでそこで庭園造りに打ち込み、19世紀開拓時代スタイルのスローライフな生活を楽しんだ。
30万坪(!)の庭園は世界の園芸ファンの憧れでした。あんな暮らしもいいなあ。出来ませんけど(苦笑)。
22日、実家で過ごした最後の朝、やっと気になっていた伸びすぎた庭木の数本だけ剪定したのですが、それでも2時間かかりました。時間があればもっと庭をいじりたい。好きな花や木を植えたい。でも、いつかいつかと先延ばしにしたら、ターシャのように出来上がった庭を見ることが出来ません。今60歳、間に合うかな?
番組では触れられなかった余談ですが、ターシャは元々ボストンの名家の生まれ。ひいじいさんは「若草物語」のエイミーの恋人?のモデルになった人らしい。両親の薦める社交界には入らず、誕生祝いに牛を欲しがり、16歳の誕生日にそれが叶うと学校を辞めて農業生活に入ったというおもしろい経歴の持ち主。
更に余談ですが、2年前に彼女が亡くなったあと、家と庭を相続した長男(家具職人でずっと母の面倒をみていた)に対してあとの3人の弟妹が遺産要求の訴訟を起こしているらしい。あの庭はどうなるのでしょう?
うちの実家の庭もどうなるのでしょう?(苦笑)このままでは(源氏物語の)「末摘花の庭」になってしまう、と嘆くと、母に私はあそこまで不美人ではない、とクレームをつけられました(笑)。
最近読んだ作品
「 タイムカプセル 」 西 加奈子
大阪三津寺(みってら)のゲイバーのママ、ミミィは171センチ、85キロ。話芸を売りにしているが、客引きに自ら街角にも立つ。
沖縄の離島出身で小学校時代に苛められた心の傷を今も引きずっている。ミミィのがんばりで店は繁盛し始めるが悪い客がつき、傷害事件を起こしたミミィは、仮釈放後、数十年ぶりに変装して故郷に帰り、夜中に小学校の校庭に埋められたタイムカプセルを掘り返そうとする・・・。
大阪の歓楽街の夜のムードはよく出ています。でもマツコ・デラックスを明らかに意識しているところと、最後にアイスピックを持って宿を抜け出るところで、昔のいじめっ子に復讐に行くのかと読者に気を持たせるのが作りすぎ。いくら酒場の人間とはいえ、アイスピックではタイムカプセルは掘れません。鍬かスコップでなきゃ。
4月の四国帰省時の話
4月9日、よく晴れた午後、昨春の同窓会で45年ぶりに交際が復活した中学時代の友人「マーシくん」と花見。彼は昨年お母様を亡くして以来、海岸の村で独り暮らし。私の弟の車で彼を迎えに行き、駅裏の丘の上の公園までビールや弁当を運んで貰い、二人であずま屋で、眼下の春の海と目の前の満開の桜を眺めつつ2時間余り楽しむ。ビールもたっぷり。最後は父から借りてきた大きな盃に花びらを受けて日本酒。
すっかり忘れていたけれど、彼によると45年前やはりここで花見をして、当時はお茶に花びらを受けて飲んだらしい。これも因縁?
お互い元気でいてよかったねえ、来年もやろうな、という結論。マーシくんは東京で働いてはる一人息子さんが、原発事故を避けて、事務所ごと松山に疎開して?来ているので、最近はしょっちゅう会えるのだと言っていました。
2011年5月26日
「 入学式の返事の中に 低い声 遺影を抱いた 母親の声 」
朝日歌壇から 塩尻市 百瀬さん
まだ授業再開の目処も立たない学校がいくつもあります。今年入学するはずだった子供。きっとランドセルも机も整えられていたことでしょう。
暗い重いニュースが続きます。大阪は、日本はどうなる?どうすべき?
最近読んだ本
「 阿弥陀堂だより 」 南木 桂士
映画になって評判を呼びましたが、原作も知りませんでした。結論から申しますと、結構面白かった。セリフがクリアー。
売れない作家である主人公の妻で、有能な医師である妻の言葉。都会生活で疲弊しています。
「太陽と死は見続けてはいられないっていうけれど、そのとおりだったのね。正のエネルギーをすっかり死に吸い取られちゃった私は、死のことしか考えなくなって、明日を楽観できなくなってしまったのよ。」
その妻は夫の実家信州の山里で再生する。淡々とした描写はうまくて、吸い込まれるけれど、つい、作者の南木さんが医師で芥川賞を随分前に受賞している現実を思えば、ちょっと鼻白んでくるところもあります。疲れたので、明日に続けます。
2011年5月24日
「 ふるさとの 島に手を振り 春惜しむ 」
朝日俳壇から 多度津市 浜辺さん
香川県の島ですね。浜辺という名前もいい。四国はこの時期、光に溢れ遍路さんが盛んに行き交っています。でも、最近はほとんど番号順に一方通行、「逆打ち」を見かけることはありません。なんでだろう?
最近印象に残った言葉 松本幸四郎のエッセイから
「これは僕の体験から感じることですが、役者はトチリや失敗をしても、それをお客様にわからせないようにする技術や、感じさせないようにする味とか風格とか、そんなものを身につけなくてはいけないと思うんですね」
古今亭志ん生はとちりまくる、話の筋は前後する、挙げ句の果ては酔っぱらって高座で寝る。それでも、「寝かせとけ、志ん生が眠いんだから・・・」と客に言わせるだけ、おもしろい、芸を持っていたのですね。
一方の名人、桂文楽は、何度演じても一語一句変わらない。ほとんど完璧。でも、最晩年に高座で絶句して、謝って「勉強してきます」と言って降りて、二度と高座に上がらなかった・・・。
うーん。どちらもすごいなあ。
2011年5月23日
「 教室の 窓は開かれ 生徒らの ざわめく声や 桜しべ降る 」
赤旗歌壇から 大阪 山下さん
深い赤褐色の無数の桜しべ、樹下が赤く染まります。葉桜の候です。
実家から22日に帰阪しました。前回は沿線はピンクの躑躅、今回は新緑と黄色い麦畑。風景を眺め、ビールを飲んで居眠りしているうちに目的地に着いてしまいます。持って帰った本もほとんど読まずでした。
母を家に迎えて2日間、合間を見て母と一緒に母の部屋の物置と仏間の掃除、片づけをする。ものすごい量の荷物を整理して、また腰痛が再発しました(苦笑)。それにしても、手紙、書類、健康グッズ、洗剤、タオル、各種引き出物、万中陰などに混じって、鯨尺、古い糸玉、茶道具など・・・半分くらい処分しました。
帰阪して、友人にこの話をすると、「古い掛け軸なんか、ぼろぼろになっていても残しておくねんで」、と言われて・・・「なんで?」「鑑定団見てないの?今はどんなにでも修復できるし、古い布は端切れでも値打ちあるねんで」
そうなんだ!床の間まで手を付けなくてよかった。
友人Nとは1時間ほどしか会えず。そのかわり4月のミニ旅行時の写真を貰いました。
その4月初旬の桜の続きをー
釈迦堂で見事な仏像を拝見、しっかり味を占めた?3人(私と弟とN)は故郷の桜ツアーに繰り出す。どうせなら、3名桜を選定しようという目論見。
結果、その1ー弟の推薦。我が町の一番奥の集落の山の上にある紅枝垂れー小雨に煙る中谷に向かってたっぷり枝を垂れてなんとも艶やか。
その2ー町はずれの禅寺にある樹齢300年余の江戸彼岸、通称「金龍(こんりゅう)桜」これは巨木で豪華。木の下で落語などイベントも行われたらしい。この木は外せない。
その3ーNが案内してくれた、町の南の岡の竹林にある山桜。これはまだ樹齢4,50年。勢いがあって、白い花に緑の葉が清潔感いっぱい、落花盛んで周囲は真っ白、人目に触れないのがもったいない。
どれも捨てがたいが、うーむ紅枝垂れか、山桜か・・・それぞれNが写真を撮ってくれHousmanの桜を謳った詩に、自分の訳を添えて送ってきてくれました。味なことをやってくれます。
最近印象に残った言葉
「幸せは歩いて来ない。実はそこらに落ちている」 京極 夏彦
日常の些細な事柄の中に幸せはある。休日、家から歩いて20分、近くの温泉で露天風呂に浸かって昼の月を見る。極楽、天国はこの世にあると思います。
今頃気づいたのですが、肉体は無い、意識のみの存在となって極楽とやらに行けたとしても、おいしい酒も、気持ちよい温泉も味わえないのでは・・・?やはり楽しみはこの世で尽くすべし。
でも、地獄へ行ったら肉体的苦痛が待っているというのですね?そのあたり、どうなっているんやろ?今から心配。
最近読んだ作品
「 心聴(きこえ)る 」 東野 圭吾
ガリレオシリーズの最新作。不倫をしていた部長が飛び降り自殺、有能な社員が病院で傷害事件を引き起こす・・・幻聴をテーマに、ガリレオこと湯川の鮮やかな推理が事件の核心を衝いてゆく。
人物造型が際だってきて、個々の登場人物が脇役まで活きているのもこのシリーズの魅力になりつつあります。
「 望郷、海の星 」 湊 かなえ
「告白」の衝撃からまだ1年余り、そのパワーと新鮮さを失わない筆力は本物。湊さんの故郷、瀬戸内因島を思わせる島を舞台に、失踪した父とその後の母との人生、そこに関わる謎の人物。はやりミステリー仕立てで、最後にああそうだったのか!と思わせられる結末。きちんとバズルの最後のピースがはまって後味がいい。
2011年5月19日
「 ペットボトルの 残り少なき水をもて 位牌洗ひぬ 瓦礫の中に 」
朝日歌壇より いわき市 吉野さん
被災地支援の臨時職員バザーを3弾に分けて実施。先週終了。
5万余円が集まりました。
日赤に送金しようと思ったのですが、調べてみると・・・
4月末で日赤には1588億円集まっている。(阪神淡路大震災の時が1006億円ですから巨額ですーちなみにあの時の募金総額が1900億と聞いていますから、日赤の集金力は大きい)。ところが、日赤は救護、医療活動優先で(それは当然ですが)お金はストックされる一方で配分されていない。やっと4月28日に宮城県に47億円送金しただけだそうです。(数値は日赤のHPから)
もうーっ!現地では今、必要なのに、何やってんねん!「いらち」の私はあちこち調べて、結局、いつものUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に戻りました。
こちらは世界の難民キャンプでの経験から、太陽光とAC電源両方で使用できるソーラーランタン(倒れても引火しないのが長所)を既に2回に分けて3600個、生産国インドから緊急輸入、成田から陸路、石巻市総合運動公園に届け、市役所の指示で必要な避難所に配布したそうです。(第2弾は4月20日配布)
まだ電気が復旧していない地域もあり、また避難所でも、夜9時の消灯時間以降は特に重宝されています。石巻市立湊小学校や、鹿妻小学校では、夜、照明設備のない仮設トイレにゆく人達(特に子供達)に喜ばれているようです。
被災地の要請を受けてソーラーランタンをあと3000個送り、それが行き渡れば、次は屋根代わりになるビニールシートと、水を汲む容器を送る予定だそうです。その速くて具体的な動きが頼もしいと思いました。
プリントで協力者に説明、送金先をUNHCRに変更して振り込みました。また、来月バザーをするつもりです。
朝4時に、もう空が薄明るい。4時半、石川の川面が朝焼けに赤く染まっています。5時に日の出。これってもったいないなあ。東西が狭い日本、サマータイム考えてもいいんじゃないでしょうか?残業で使う電気が節約できる。でも、仕事時間が延びるだけかなあ。
幅広い国土で時差がない中国。長江中流の楽山へ行った時、朝7時だけれどまだ暗い。それでも通学、通勤のラッシュが始まっていて驚きました。もっと西域の方へ行ったらどうなるんだろう?
いい天気なので今日も河内松原から職場まで歩いてゆくつもりです。もちろん着替えを用意して・・・。
歩き方を矯正中。リハビリの先生に、左足が内股になっていると指摘されました。足の親指に力が入っているとも・・・。それも膝痛、腰痛の原因になっているらしい。10種類に増えたリハビリ体操をこなしつつ、なんとかテニスは復活、後は正座が出来るようになるまでがんばってみようとは思っています。時々挫けそうになりますが・・・。
今夜のフェリーで帰省します。実家の庭、草がいっぱい生えているだろうなあ(苦笑)。次の更新は23日の予定です。
2011年5月17日
「 ほととぎす 空に声して 卯の花の 垣根も白く 月ぞ出でぬる」 永福門院
唱歌「夏は来ぬ」のルーツ」はこの歌にあるのだそうです。作者は鎌倉末期の女流歌人。中宮でもありました。
きれいな卯月15日の月が出ました。暑くなく寒くなく、いい時期ではあります。
体重計で初めて「痩せ気味」という表示。この言葉30何年振りに聞く。うれしいというか戸惑い(苦笑)。歯医者、腰痛でお通院が一段落。まだまだペースが整いません。
児玉清さん(77歳、胃癌)逝去。最近エッセイを読んだばかりだったので、なんやショック。「読書家」、貴重な渋い脇役として最近また脚光を浴びていました。山田太一さんが彼主演の脚本を書いていたそうです。出させてあげたかった。
2011年5月15日
「 ふるさとの 潮の香も添え送り来る みかん ぽんかん ざぼん でこぽん 」
朝日歌壇から 柏市 宮本さん
柑橘類は瀬戸の島々の名物です。本土より潮風に当たった島の蜜柑の方が甘いという説もあります。毎月帰省するようになって、当然故郷の香りが届くこともなくなりました。しかも車を置いて帰るので、土産は余り持てない。これって、小さな悩みです。
5・15事件(昭和7年)も歴史の彼方に消えつつあるように思います。かつて(30年以上前ー苦笑)はいつもこの日に特集番組やドラマがあったものですが・・・。「話せばわかる」「問答無用」という名セリフ?も会話不足というより会話の成立しにくい現代に残ってほしいものですが・・・。昭和もますます遠くなります。
ちなみに、チャップリンは事件の前日に来日、事件当日、犬養首相と会う予定だったのに、気が変わって相撲観戦に行き、難を逃れたのだそうです。チャップリンもテロ対象リストに入っており、もしそれが実行されていれば、日英関係はもとより、映画の歴史も変わったことになります。
勤務形態が変わって時間の余裕ができたと思われるのに、なぜかまだ忙しい日々。特に3日間の勤務の間は一気に仕事を片づけなければと思うのでめちゃ忙しい。授業準備、プリント作り、評価採点などに追われてしまいます。先週HPを更新出来なかったのは、週末に恒例のダイエット競争の計量、今年度の歓送迎会があったことも原因でした。腰痛がひどいのではとご心配をいただきましたが、順調に快復しております。
それでもやはり少しの余裕?天気のよい日は、河内松原から歩いて職場まで通うことを始めました。約40分。住宅地の花や緑を眺めながらの通勤は楽しいものです。腰への負担を考えて、手提げカバンは止めてリュックサックに変更。最初、同僚に教えてもらった道からさらにいろんなコースを探索、豆腐、合鴨、居酒屋・・・おいしそうな店も次々発見、そのうち寄ろうと思っています。
忘れぬうちに4月の最初の帰省時(8日から4日間)の話をー
たまたま4月8日の朝に到着したのは仏様のお導き?食事もそこそこに悪友Nと体が空いていた弟を誘って弟の車で今治東部の山上にある「釈迦堂」へ。
以前の帰省時に恒例のNとのミニ旅行で見つけた古寺の案内板に、「花祭り」時に国指定重要文化財、釈迦如来像公開とあったのを思い出したのです。
前回、Nと小一時間かけて辿った、桂という集落からの細い山道を、対向車を気にしつつ、弟の車で一気に登る。冷たい小雨で桜はまだ5分咲きくらい。前回は境内無人でしたが、この日はさすがに人影在り。寺社関係者数名。村の有志とおぼしき人々10名くらい。参拝者が5、6名。室生寺に似た参道は馬酔木、椿、桜が咲いている。本堂にあげて貰うと、更に奥の防火壁も開かれていて、拝殿に導かれる。道路工事で使うような照明灯を持たせてもらって「どうぞ参拝して下さい」。ええーっ、いいんですか?
目前に見る、赤栴檀(せんだん)木の素地の木目の衣のひだの美しさに圧倒される。等身大でお顔も優しい。これほどの仏様がここにおられたとは・・・感嘆、感動の対面でした。
本堂前で、小さな釈迦像に甘茶掛け、別に甘茶をいただき、接待所でお団子をよばれ、3人とも大満足で、指示のあった別コース(これも細い急な道、馴れた弟の運転でよかった)で麓の別の集落(鍋地)に下山しました。山道は一方通行だったのです。
これで2時間余りの小さな旅、午後から母を迎えに病院に参りました。
最近読んだ本
「 通りゃんせ 」 宇江佐 真理
マウンティンバイクで旅行中、江戸時代にタイムスリップした若手社員の冒険。彼のスリップした先は飢饉の迫る貧しい農村だった。生活、価値観の違いに悩みつつ、農業をしながら、生き方を探り、現代に帰る道を捜すが、やがて江戸に出ることに・・・。
設定は面白いのですが、文章と展開がイマイチでご都合主義。ヒロインの扱いも粗雑で可哀想。「仁ーJIN」には遠く及びません。でも、一気に読まされました。
2011年5月9日
「 若葉して 御目の雫 拭はばや 」 芭蕉
奈良、若葉の西の京、唐招提寺、開山堂の鑑真像。今は滅多に拝観できません。3年前に名月の夜に開かれましたが、遠くて暗くて見えませんでした(苦笑)。芭蕉はじっくり近くで拝することが出来たのですね。
芭蕉の鑑真への思いとは別に、若葉で拭ってあげたい涙があふれる今年の初夏です。
貴重な大連休の最後の一日。泌尿器科で改めて検診。前立腺癌の心配も膀胱癌の心配もなし。心配だった腎臓結石も超音波検査の結果、以前と同じく奥の方に小さな石があるけれど、当面は大丈夫だろうということ。泌尿器科に定期的に検診に来た方がいいですか?いや、この数値なら当分、2年くらいは、ボクのこと(先生は朴さん)、忘れていていいよ、という嬉しい応えに満足。
よーし、これで、膝、腰以外の懸案事項はやっと解決。暴れるぞー!と吠えて。もう、十分暴れていますよ、と嫁ハンにたしなめられる。が、とにかく、テニス復帰します。
早速、富田林までサイクリング。石川河畔の新緑が燃えていました。
5本指ランニングシューズが評判になっています。腰にもいいのだそうで、これ買ってみようかな。商品名は「ビキラ」。われわれの世代には懐かしいアベベ選手の名前です。
「民主党の石井一副代表は9日、訪問先のフィリピンでゴルフをしていた問題の責任をとる形で、党地震対策本部副本部長の辞任を岡田克也幹事長に申し出た。岡田氏は了承した。(産経新聞)」
やったことはもちろん、その前後の言動がー。ゴルフ場でハーフパンツで「報道すんなよ!」と恫喝に近い発言をしている映像に唖然!ヤクザかと思いました。帰国してええスーツ姿で「目に付かないと思った」「テニスや水泳はどうなんだ!」。普通のおっさんなら、かまへん。あんたは与党の副代表で地震対策本部副本部長なんやで。この3つの発言だけで、アウト!です。こんな人が本部で指揮しているんだ!
ゆく人
「岡田茂・東映名誉会長が死去
「網走番外地」「仁義なき戦い」など任侠(にんきょう)・実録映画路線で一時代を築いた東映の名誉会長、岡田茂(おかだ・しげる)さんが9日午前5時55分、肺炎のため都内の病院で亡くなった。
87歳だった。告別式は11日午前11時、東京都港区南青山2の33の20青山葬儀所。喪主は妻、彰子(あやこ)さん。
広島県出身。東大を卒業後の1947年、東映の前身の東横映画に入社。50年に日本戦没学生の手記「きけ、わだつみの声」で初プロデューサーを務めた。51年に東映発足後は京都撮影所長、東京撮影所長に就任。テレビの普及で映画界が斜陽化する中、鶴田浩二主演「人生劇場 飛車角」(63年)や高倉健主演「日本侠客(きょうかく)伝」(64年)、藤純子主演「緋牡丹(ひぼたん)博徒(ばくと)」(68年)などヒット作を数多く手がけ、東映の黄金時代を築いた。
時代の流れを読む目に優れたプロデューサーでした。ただ時代劇の東映がヤクザ映画路線(名作も多々ありましたが)に流れてしまったのは一寸残念でした。息子さんの佑介さん、俳優でした(「赤ずきんちゃん気をつけて」に主演していました)が、今は東映社長になってはるんだ。
最近読んだ本
「 ほら吹き茂平 」 宇江佐 真理
江戸庶民の生活を描く短編集。6編の中で「金棒(かなぼう)引き」が心に残りました。題名の意味する、好奇心に溢れ、噂好きの主人公の主婦と彼女に付き合う夫とその親友、3人が見た、聞いた幕末から明治に至る江戸の変遷。3人の興味の的は大奥、和宮。実はこの物語の主人公は彼女なのです。
それぞれにシリーズされてもいいような作りですが、さっと終わるのがいい。幽霊物もありますが、これはやはり宇江佐さんより宮部さんの特異な領域でしょう。
2011年5月6日
「 手の甲に 今日の仕事の書いてある 若手社員と乗るエレベーター 」
朝日歌壇から 東京都 豊さん
わかります。友人にも手の甲にメモする癖を持つヤツがふたりいます。やめよというのですが、これは便利で止められないものらしですね(笑)。
連休の谷間の平日ですが、私は出勤を要しない日、これをうまく使わない手はない。でも、まず7時前に車で学校へ。バザーに提供する品物を搬入。職員室、準備室を開けて観葉植物に水を遣り、机の上の配布物など整理して10分で退散。8時から整骨院へ。でも今日は3番目。
9時から歯医者へ。これに時間がかかり、11時予約の整形外科の病院リバビリに滑り込む。これもみっちり。でも腰はかなり快復してきているとのお墨付きをもらう。午後はウォーキングと読書。
最近印象に残った言葉
轡田 隆史さんのエッセイから
「 歌いたくなって、歌えば、もうあなたは歌手よ、さあ、歌いましょう!」
発言者はジャズ・ピアニスト、チック・コリア夫人にしてジャズ歌手のゲイル・モランさん
1983年暮れ、京都を訪れたチック・コリア一家を温かくもてなしたのが伝説のジャズ喫茶「YAMATOYA」のマスター熊代夫妻。その返礼に一夜のライブが企画された。ピアノを挟んで巨大なスピーカーと壁のように聳える8000枚のレコード。店は音響抜群の小ホールだった。
父と娘が連弾、妻が歌い、息子がギターとパーカッション。観客は30名。こんな贅沢な演奏会の話が巷に最近まで伝わらなかったのは、参加者の多くが大事に胸にしまっていたからでしょう。冒頭の言葉はライブが盛り上がってきて、ゲイルさんが客席に呼びかけたもののようです。
療養中の中村勘三郎さん、倒れる前のインタビューで 平成中村座に拘る理由を熱く語る
「江戸時代の小屋だって、板壁越しにいろんな音が聞こえたはず。雨が降れば負けない声で演じればいい。デジタルの世に人のさじ加減がきくアナログの心意気、究極の一期一会が10年変わらぬ平成中村座の醍醐味だと思う」
確かに。アナログも大事!かつて、扇町公園の中村座で見た芝居が懐かしい。手作りの暖かみがありました。勘三郎さん、9月に復帰の予定。焦らず、しっかり養生して帰ってきてほしい。
友人、知人に返事が来て、私には届かないので焦っていた大阪マラソンエントリー。今日確認したら、やっぱりダメでした。7月の補欠発表を楽しみにします。その前に腰を治さなければ。
2011年5月5日
「 牡丹花は 咲き定まりて 静かなり 花の占めたる 位置の確かさ 」
うーむ。作者は木下利玄だったでしょうか?ど忘れしました。
久しぶりの温泉仲間3人のツアー。黄砂も少しおさまって新緑が青空に映えています。
下見ばっちりの(笑)「船宿寺」で集合。でも、躑躅はまだちょっとだけ早かった。
期待通り、大手鞠は満開で見事な白い玉をつけ、牡丹がまたそれぞれに豪華な花を開いていました。やはり白と深い赤は貫禄の美しさ。そこだけ光が当たったようで、まさに花の王です。
大満足でとなりの「かもきみの湯」へ。
連休なのに、意外に人が少ない。気温も上がり、日射しの気持ちよい露天風呂で長話。
湯上がりのビールを我慢して、金剛山麓の「橋本院」へ。
のどかな山里。広い庭。みつまたが咲いている。客はまばら。友人の作った新曲を聴く。
すぐ近くの「高天彦神社」へ。ここの高い高い杉並木の間の細い参道がすばらしい。巨木ウォッチャー感動。
傍の「鶯宿梅」も健在。レンゲ畑ものどか。神社のご神体「白雲嶽」もちろん変わらず、30年ぶりでしたがその月日がうそのようでした。
「極楽寺」をさっと見て(ここの石段の参道もいい)、「葛城一言主神社(かつらぎひとことぬしじんしゃ)」へ。腹が減ったと連れの二人がうるさいので(笑)、コンビニで各自ビール始め(運転手は別)昼食を仕込み、神社の傍の池端で食べて飲む。これがおいしい。景色もよく、山の水を受けて池の水も澄み、おたまじゃくしが群れている。銀杏の巨木を拝んで納得。でも一言願いで投げた賽銭がきれいにはね返って来たのが不安(苦笑)。願いはもちろん「みんなすこやかに」。
「九品寺(くほんじ)」で仕上げ。ここの桜、紅葉の巨木もすばらしい。この秋、来春に来よう。大満足で山を越える。とたんに立ち込める黄砂。やはり山一つこえると違うのですね。奈良はいい。古市でまた例の如く餃子のビールで乾杯、解散。
ダイエット中でしたがまた1キロリバウンド。でも後悔しません。
ところが、明日の歯科の検診を忘れていました。しもた、と必死で歯磨き(苦笑)。私の腰痛はだいぶマシになりましたが、今度は一緒に行った友人が腰痛に。これって、伝染するものなのでしょうか・・・。
2011年5月4日
「 行列に 2回並べば一日が終わってしまう 震災の町 」
読売歌壇から 塩釜市 佐藤さん
宅急便も大分復活しているようですが、必要な生活救援物資もなかなか届いていない様子。公平も大事だけれど、もっと臨機応変にゆかないものか?どんどん送られた野菜など、傷んでいるようで気がかりです。
申し訳ないけれど、初めてのくつろいだ連休を味わっています。
姉夫婦は徳島から愛媛に実家に到着。母も施設から外泊許可を貰って実家に帰宅。一安心。
付けっぱなしのラジオから深夜、流れてきた歌、「涙なんだ」。
阿木耀子さんの詩に宇崎竜童さんの切ないメロディと歌唱。伴奏はギター一本。いいです。
連休の課題だった自転車の修理。
下の息子が残していったものです。2年ぐらい自転車置き場で眠っていたもの。
近所にできた「おじいさんのチャリンコ屋」に運び込む。
これは以前の自転車屋が撤退、改めてこじんまりとリューアルオープンされたもの。
でも、丁寧にみてくださって、30分で見事に復活。ライトも設置して合計千円。
これからしっかり愛用します。
腰の調子がまあまあなので、ミーハーの虫が騒ぎ出し、黄砂の立ち込める中、嫁ハンと話題の大阪ステーションシティを見物に出掛けました。
ものすごい人出(午後4時までに30万人とか)で、開店も45分早められたらしく、到着した10時過ぎには駅内外の溢れんばかりの人の波。「JR大阪三越伊勢丹」とシネコン、専門店街ルクアをざっと廻って、人当たり(笑)。
ついでに、こっちは空いているかと「サウスゲートビル」(大丸百貨店)まで足を伸ばす。ところが、こちらも大混雑。アベノキューズモールも嫁ハンが見たいというのでさらっと見て帰宅。歩数は8000歩でした。
60年代終わりから70年代当初を東京で過ごした経験(新宿伊勢丹が大成功して急成長、銀座三越がお家騒動からガタガタしていた時代、日本橋三越は健在でしたがーこの二店が合併するなんて当時は思いもしませんでした)から、新百貨店は伊勢丹のイメージが強い感じです。
とにかくファッション関係の色遣いが美しい。並べ方、見せ方も工夫が凝らされて、他のデパートとの区別化は成功しているみたい。三越らしさは、やはり呉服売り場やギャラリーに。シックな着物の店員さんが流石に綺麗。若手男性店員さんの和服の着こなしはイマイチ。やはりなんでも年季が要るんだ、などと言いつつ、スーツも着物ジーンズも身に付かなかった我が身を省みて溜め息(苦笑)。
ギャラリーの作品群(10万、50万から100万以上の作品まで)はすでに売り切れの印の附いた物も多数ありました。
レストラン街も大行列。こちらは生活物資配給ではありません。「高麗橋吉兆」が出店したことも話題ですが、確かにブランドだけれど、吉兆は創業して80年。京都の老舗からみれば、まだまだ新参者だよね、などと憎まれ口をききつつ一応覗いてみる。ランチが二千円台からあります。コレなら一度来れるね、と嫁ハンと頷きあう。高麗橋の本店は行ったことありません。
14階のミニ農園はイマイチでした。
検索したノースゲートビルの情報を紹介。
総工費は2100億円。JR西日本が社運を賭けて建設した巨大ターミナルが4日、いよいよ“始動”した。
ノースゲートビルは、JR西日本が平成16年5月に着工した複合ビルで、延べ床面積は約21万平方メートル(地上28階、地下3階)。
入店する施設で注目されるのは百貨店「JR大阪三越伊勢丹」(地上10階、地下2階)。このほか、ビル11階の「サポートプラザ」には、旅行会社の窓口やコンビニエンスストア、保育施設を設置。鉄道模型のジオラマもあり、親子連れで楽しめる。14階のミニ農園「天空の農園」(1500平方メートル)ではブドウやハーブなどを栽培する。オフィス部分には8月、伊藤忠商事が大阪本社を大阪市中央区のビルから移す。
JR大阪駅前は、3月16日に先行オープンした「サウスゲートビル」と合わせて「大阪ステーションシティ」という名前で新たな歴史を刻む。
JR西の佐々木隆之社長は「(百貨店としては)JR大阪三越伊勢丹は新参者。利用客は何を求めているのかをきちんと勉強しながら、次の一手につなげたい。(ライバルとなる)他の事業者たちと一緒に梅田地区の魅力を発信することで、関西エリア全体の発展に役立てたい」と語った。
ついでにネーミングについても。
大型商業施設「LUCUA(ルクア)。「Lifestyle(ライフスタイル)」「Urban(都会の)」「Current(流行の)」「Axis(軸)」の頭文字を取った。また、「『Look up(見上げる)』『歩く』をかけて、お客さまに回遊して楽しんでもらいたいとの思いも込めた」(JR西日本グループ)という。
「あべのマーケットパーク キューズモール(Q's MALL)」。英語で「開始の合図」を意味する「CUE」から、親しみやすく連想しやすいアルファベット「Q」を使用した。ちなみに、ロゴマークの「Q」の文字は、大小2つの輪がつながった形で、「人と人、人と地域、地域と地域が、つながっていくお手伝いをしたいとの願いを込めた」(運営する東急不動産)という。
最近読んだ本
「 タタタ旅の本 」 阿川佐和子
旅にまつわるエッセイですが、小気味いい仕上がり。檀ふみさんもそうですが、東京人の割に、自分を笑いものにできる能力あり。これが大きな魅力なのですが、お二人とも縁遠いのもそのせいか・・・(苦笑)。
文中から心に残った言葉
「焦りは事故のもと
ケチはトラブルのもと
そして後悔は次への期待のもと」
(アトランタ五輪の取材でー爆発事件の後もその地に人が集まって来ているのを見て)
「爆発事件は悲劇だったが
それと自分の楽しみは別のこと。
危険は自分で察知して、自分の身は自分で護ろうというのが
アメリカの基本的理念だということを、今回ますます強く認識した」
ワシントン滞在の記事で、阿川さんがアパートを出ようとしたときパーンという音がした途端
通行人がみんなパッと身体を伏せ、物陰に隠れる
呆然と立っているのは作者だけだったと書いています。(結果は車のパンクの音だったのですが・・・)
連休で各地の観光地に客足が戻っているのはいいけれど
福島はどうなるのでしょう。
生肉食中毒事件。現在死者3名。
「食品管理は大事だけど、死んだ人には気の毒だけれど、幼児に生肉を食べさせるのは親としてどうかなー?」
と迷いつつ厳しい?意見をはくと
嫁ハンが「同感。ハチミツも幼児にはよくないのよ。夾雑物が入っているから。何を与えるか親の責任よね。」
ええっ?ハチミツも・・・。知らなかった。
2011年5月3日
「 非常食の冷たき粥をわが口に あたためて母に 口移すなり 」
読売歌壇より 旭市 山田さん
ガスが止まり、停電になって、暖めることも出来なかったのですね。
いつの間にか五月、そして街も大きく変わってゆきます。
アベノキューズがオープン。帰宅途中に寄ってみましたが
確かに大きな専門店街です。新しい店もお洒落で清潔で美しい。
でも、ここにしかないものではない。
この下に消えていった、あのごみごみした大阪の匂いのする路地を懐かしむ自分がいます。
その向かいのアベノ近鉄ビル
こちらもいつの間にかどんどん成長?もう7階になっているのです。
アベノ筋の東側、巴通りから1年ほど見えた、JRステーションビルとミオに連なるシャープなスカイラインももう見ることは出来なくなりました。
でも、この時代に日本一の高さのビル、売り場面積の大きな百貨店
大丈夫なのでしょうか?平成の「バベルの塔」にならなければいいけれど・・・。
世界フィギアスケートのアイスダンスを堪能しました。
今回は特にハイレベルな激戦でした。
それにしても、ダンスは女性をいかに美しく見せるかということがポイントなのですね。
そのための体形維持、高い技術
男性の支えるポジション、筋力もすごいと思いました。
女子シングル。安藤選手の安定感。スランプを超えて、本当に強くなりました。
人は変われる、成長できるんだ。
痩せた浅田真央ちゃんも心配ですが、立ち直ってくれるでしょう。
キム・ヨナ選手の「アリラン」、いいプログラムでしたが
約一年のブランクは大きかった。でも2位は立派です。
膝に続いて腰を痛めてショックだったこと。
きちんと正座ができない。
長時間正座できることは数少ない特技?だったのに。(田舎育ちだから当然ですが・・・笑)
左足だけ下肢を外側に流して色っぽく(苦笑)横座りするしかありません。
1日久しぶりの座禅に出掛ける。足を組むことができない。これもショック。
ヒバビリ担当のイケメン兄ちゃんは、「無理かもしれないが、治るかもしれません」と
めちゃわかりやすい対応(笑)。
やってみるしかありません。一日3回6種類のリハビリを続けています。
黄砂に包まれた2日。悪友の彫刻家Hが出品している「長居・バラと彫刻展」を
Hが受付担当の午後の時間帯に見に行く。
妙な色の花壇があると思ったら集合していた中学生達でした。ちょうど遠足が集中した日だったのです。
でも、薔薇が花壇に1本も咲いていない。
「なんやコレ!?肝心の薔薇がないやんか?」とHに文句。
「彫刻見に来たんちゃうんかい?」
「もちろん、薔薇が主目的やんか!」
でも、作品群、今年は充実。見所が多かったです。
Hの作品は木彫で、女性の片足に片手が乗り、その掌に首が載せられているというもの。おもろい。
植物園も薔薇以外の花が咲き始めて美しい。珍しい花もいっぱい。
特に藤が見頃でした。
結局、Hに引きずられて、いつもの居酒屋で待ち合わせすることになる。
近鉄百貨店の酒売り場で、福島の酒を選んで持ち込みました。
それがこれ、「大七」です。
福島県二本松の老舗「大七酒造」。名峰、安達太良山麓の美しい自然は、豊かな名水をこの地に授けました。
伝承によれば、清和源氏に連なる太田家は寛永年間(1624-1643)に伊勢国より三人兄弟で丹羽侯の二本松に来往したといわれ、それぞれに酒造業を営みました。
宝暦二年(1752年)に大田三良右衛門栄親が分家したのが、現在の大七酒造の始まりです。
これを始祖として、三代目以降は七右衛門を襲名するようになり、以後十代目の今日まで、酒造り一筋に発展を遂げています。酒銘の「大七」は七右衛門にちなみます。
大七酒造は八代目七右衛門の時代に全国清酒品評会第一位など輝かしい成果を収め、今や希少となった正統的醸造法「生?(きもと)造り」の全国髄一の担い手として評価を確立しました。
また近年では、独自開発した「超扁平精米技術」が、精米効果を革命的に向上させたことにより各種の表彰を受け、業界の大きな注目を集めています。
結構、辛口で「ひや」ではしんどいかも。燗したかったけど、面倒なので結局ロックで盛り上がる。めちゃおいしいマグロの刺身が入っていてアテも文句なし。酔眼朦朧で帰宅して夕刊を開いて「ビンラ−ディン殺害」の記事に酔いが醒める。
3千余人が命を失った9・11から10年、その復讐の為?、卑劣なテロ防止の為?世界の秩序を保つ為?超大国の威厳を示すため?アフガニスタンへ、続いてイラクへ侵攻、3千人の何倍もの人命(兵士も一般市民も)を失い、100兆を超す費用を費やしてひとりの男を追いつめたその先にあるものは?
熱狂するアメリカ市民に共感できません。また暴力による報復合戦が果てしなく続けられるだけではないでしょうか。
ぼんやりした翌日の朝刊で、またショックな記事を見つける。
アイドルグループJに所属していたNクンが大阪市内のネットカフェで窃盗容疑で逮捕されたとのこと。6年前に入学して来たとき、式の後、芸能活動と学校生活の両立について、応接室で相談を受けた事がありました。爽やかで素直な印象でした。
結局、仕事が忙しくなって一年で退学してしまったのですが、公演ポスターで写真を見たこともあったし、活躍していると思っていたのですが、そういえばここ数年、名前を聞かなくなっていました。今年3月にグループを脱退していたのですね。もう21才だったんだ。いや、まだ21才なんだ。若い。これからの彼の人生を思います。立ち直ってくれるといいけれど・・・。
2011年5月1日
「 花に水遣る 贅沢を許されよ 最少限を如雨露(じょうろ)に 汲みおり 」
読売歌壇より 市原市 井原さん
日常の当たり前の行為がいかに贅沢であったか、思い知らされた春が行きます。でも、節電、節水忘れまい。
最近気になった言葉
「トイレのないマンション」 池上彰さんの文章から
原発がこう揶揄される理由は?使用済み核燃料がなぜプールに貯蔵されていたのか?
「本来、再処理工場に運ばれ、まだ使えるウランと、核分裂の過程で生まれたプルトニウム、それに核のゴミ(高レベル放射性廃棄物)に分けられる。
ところが再処理工場がまだ運転を開始していない。青森県六ヶ所村に建設中の施設がトラブル続きで操業開始がもう4年も遅れている。その間に全国から持ち込まれた使用済み核燃料が、貯蔵施設3000トンの内すでに2800トンに達していて、運べず各地に残っている量が1万トンを越えている。それを各地の原発で貯蔵しなくてはならないが、この時期、貯蔵庫の建設計画がスムーズに進むとは思えない・・・。」
本当に行きあたりばったりで来たのですね。東電だけでなく、政府の国民の見通しの甘さを痛感します。トイレを考えずに高層マンションを作ってしまったんだ!
いしかわじゅん氏の古谷三敏評
「 ギャグ漫画で最初にヒットは出したが、ギャグにはあまり向いていなかったと思う。資質に合わないものを無理に創り上げていたので作品世界に歪みがあり、それが面白く感じる時期もあった。しかし、本質は、じっくりと誠実にエピソードを積み重ねて描写してゆくタイプなのだ。
でも、シリアスな物語を描くのには、ギャグ漫画の計算の緻密さが役に立った。
どんなキャリアも、無駄にはならないのだ。」
最後のひと言が胸に沁みます。古谷さんの漫画では「BARレモン・ハート」が好きです。そして「寄席芸人伝」。
町山智浩さんの文章から
来年の米大統領選挙を目指すニュート・ギングリッチ元連邦下院議長(共和党)について
映画「スター・ウォーズ エピソード1」に登場する悪役、ニュート・ガンレイは当時のレーガン大統領とこの人の名前の合体だったというのは有名な話。そのギングリッチ氏の女性遍歴がテレビインタビューで話題に。
19歳の時に7歳上の自分の高校時代の教師と結婚、妻の援助で大学を卒業、やがて教職を経て政界へ。共和党で地位を築いた時、癌末期だった妻を捨てて、若い女性と再婚、さらに10年後23歳下の女性と不倫、離婚して3度目の結婚をした。
女性遍歴と政治能力は関係ない、とギングリッチ氏は言う。確かにその通りだ。だが彼が不倫していたのは、議会で彼がクリントン不倫疑惑を厳しく糾弾していた、まさにその時なのだ。
その点を衝かれた氏は「 この国への思いが強すぎて、ついそれに突き動かされた・・・ 」
愛国心が強すぎて、女性にもその発露が及んだというのですね。笑いました。このインタビュー、選挙運動にも影響を与えるでしょう。
赤塚不二夫さんの言葉から
「 でも、こんなこと言っちゃ悪いけど、あまり質のよくない編集者と一緒に仕事をしたときは全部失敗している。僕はたった6本しかヒットを出していないのだ。自分はただの田舎者、石ころだった。・・・ただの石ころを宝石みたいに磨いてくれる編集者がいなくなっちゃった。昔はいたんですよ。それで編集者も作家に触発される。今はすっごく熱く仕事をしたい気分なんだ。編集者と一緒に、面白いものを作ろうよ、と盛り上がりたいのだ・・・」
1999年頃のインタビューから。でもその後2002年に脳内出血で倒れ、意識が戻ることなく2008年に亡くなったのです。「名馬と伯楽」、これは永遠の課題ですね。