Kan-Kan の雑記帳


2011年6月30日
 
「 原発を 目の当たりとし 三十八年 桜咲く日も 雪積む朝も 」
 
 朝日歌壇から 福井県 大谷さん
 
 この歌は2月7日の月曜の朝刊からです。美浜原発を目の前に、馴染みきれなかった年月が重い。
 
 毎朝出会う人々。今まで手をにぎって歩いていた幼稚園の息子とお父さんが、最近は手を放して歩いている。やっぱり。それでいいんだよ。
 一方、高校生らしいお嬢さんとお父さん、どちらも長身で仲良く並んで歩いてくる。今日も、娘が手を差し伸べると、お父さんがさっとハンカチを出す。娘はそれを使って父親に返す・・・。えーっ、これって変!
 
 全英オープンテニス。フェデラーが敗れたのは意外でしたが、新星もがんばり、大会は盛り上がっています。なんといっても復活したシャラポワの美しさ。ウインブルドンならではの白いコスチューム。大白鳥が舞い降りたようで、必見です。
 
最近読んだ本
 
「 いつも二人で 」 宮部 みゆき
 
 平凡で冴えない若い男の体に、魅力的な若い女性の霊が取り憑く。女性にはある企みがあったのだが、男はそれに気づかず、ためらいつつ引きずられてゆく・・・。ユ−モアを交えつつ、ラブスト−リーとしてもかろうじて成功しています。
 
2011年6月29日
 
「アタック」という声 耳に残りおり 青葉の季節に 散りゆきし人
 
読売歌壇から 四街道市 平山さん
 
 5月に逝去した児玉清さんへの追悼歌。さわやかな人でした。四街道市(よつかいどうし)は千葉にある町だそうです。
 
 社会見学の付き添いにゆく。私は南森町にある調理専門学校へ。マナーを知らない(教えられていない)生徒を連れて町中を歩くのは大変でしたが、行き届いた専門学校の対応で、無事冷麺とシューマイを調理し、いただく。これはおいしかった!でも、疲れて帰り、ビールを飲んで朝まで寝てしまう。長い夢を見ました。
 
 その一部。
 
 夢の中での勤務校。今年度は関東の海岸の高校みたい。休日、海に出て、ボディボードで大きな波に揺られてそのまま砂浜に打ち上げられ眠ってしまう・・・。夢の中で更に眠る・・・快感。
 
 あちらの世界でも私生活も一段落。パーティをすることになる。夢の中なので準備は一瞬。それに客として亡くなった人もごく自然に参加してくれて嬉しい。20年前に亡くなった友人が、昔と同じように足を踏み違えて笑いをとる。
 
 でも、なぜか幽霊さんグループは別室に固まってしまう。その連絡役は私らしい。ひとりが顔を出してレモンを下さいという。
 
 現世グループ?は卒業生らしいサーファー達中心に盛り上がる。ふらっと立ち寄った加山雄三さん(私の友人か?笑い)を紹介するとみんな感激。光進丸で2次会をすることになる・・・。
 
 今、思えばなんともわけのわからない夢ですが、忘れないうちに書き留めておきます。加山さんはともかく、20年ぶりに亡き友に逢えて嬉しかったです。
 
最近気になったニュース
 
県鳥コマドリ、大峰山系でも激減 奈良
 
 県鳥「コマドリ」が営巣地(えいそうち)の台高(だいこう)山系で減少している問題で、県は27日、県内のもう1つの営巣地、大峰山系でも、34年前から約1割に生息数が激減したとする調査結果を発表した。コマドリが巣をつくる「スズタケ」が野生のシカの食害で激減したことが原因だが、愛鳥家は「山の生態系が変化している」と警鐘を鳴らしている。

 コマドリは標高1200メートル以上の山に生息し冬は中国大陸に渡る。県内では台高山系、大峰山系で生息しており、昭和41年に県民の投票で県鳥として指定されたが県のレッドデータブックで希少種となっている。

 「駒鳥」と名付けられた由来の「ヒンカラカラ」という鳴き声が聞こえなくなったとの指摘で昨年、県と日本野鳥の会奈良支部が台高山系で調査した。

 昨年の調査では、昭和52年に134羽が見つかった場所で、9羽のみを発見。今年はもう1つの生息地の大峰山系を調査したところ、53年に51羽見つかった場所で、6羽しか確認できなかったという。

 同支部によると、コマドリが営巣する高さ約2メートルのスズタケが野生のシカに食べ尽くされたことが原因という。シカ猟が減って個体数が増えたことや、温暖化の影響で積雪が少なくなり、シカの行動範囲が広がったことも影響している。

 同支部の川瀬浩支部長は「ありふれていたスズタケがほぼ消滅している。コマドリの減少は、山の生態系が変化している象徴。保護を訴えていきたい」と話し、県はスズタケをシカから守る柵を設けるなどの施策を検討するという。
 
 コックロビン(こまどり)を殺したのはだあれ?
 「私だわ」って、雀が言った
  私の弓と矢でもって、コックロビンを殺したの・・・
 
推理小説の一場面を思い出しましたが、殺したのは鹿だったのですね。

2011年6月28日
 
「 丘畑は 雲低く垂り 廃棄せり キャベツ五千に 花咲きたりと 」
 
朝日歌壇より ひたちなか市 篠原さん
 
 今回の帰省では腰痛はマシでした。これまでの反省を活かし、とにかく立ち居振る舞いに注意。長時間の作業を避ける。腰痛体操を頻繁に。正座や胡座はしない。帰りは長距離バスを諦め、新幹線で。値段は張るけど、体調が一番です。
 
 梅雨の晴れ間のきつい日射し。松原から職場まで40分歩くと汗まみれ。着替えて授業に臨む。
 
 夜は一週間ぶりのテニス。これでも汗をたっぷりかきました。体重が2キロ減。それでもあと5キロ痩せなければなりません。ハワイでの暴飲暴食、四国での飲酒が祟ってものすごいリバウンド。ここ数年のダイエットの苦労はなんだったんだ!(苦笑)。
 
  最近読んだ本

 

「 聖女の島 」 皆川 博子

 

 東シナ海に浮かぶ軍艦島を思わせる孤島で非行少女の更生に打ち込む女性、仕事は挫折し、精神的に追いつめられた彼女は宗教団体本部に援助を求めるが、やって来た修道女は・・・。

 

 皆川ミステリーの最高傑作長編と称されていますが、どうもイライラする展開です。最後は始めに返っておしまいという展開も読めてカタルシスなし。どうせなら、舞台は最高なのですから、もっと孤島での少女達の生態、企み、陰謀も描いて、怖がらせてほしかった。

 

「 ミリアム 」 T・カポーティ

 

 これは怖かった。静かに暮らすミセス・H・T・ミラーの家に突然現れた少女ミリアムの怖さ。これが作者19才の作品とは恐れ入るばかりです。

2011年6月27日
 
「 十薬(じゅうやく)の はびこる 老々介護かな 」
 
読売俳壇から 福岡市 酒井さん
 
 十薬が実家の北から西の庭にかけてびっしり生い茂っていました。可憐な白い小さな花もつけているのですが、今回は容赦なく、片っ端から引き抜いてきました。「薬湯」に使う分は、何年も前に、母がとっくにストック済みなのです(もう使えないかもー苦笑)。引きちぎった茎からの匂いもあって、しばらく家の周囲に独特の匂いが漂っていました。あちこち手入れをしたいのですが、余裕がありません。
 
 土日はかなりの日射しで、大阪も暑かった(関東熊谷で39.8度?)そうですが、さすがに四国の山中は朝夕は涼しかったです。作業は早朝、夕暮れ時がやはりいいです。
 朝6時半、母を車椅子で村はずれの家の墓まで連れてゆきました。峠の近くなので、かなりの坂。汗をかきましたが風と鳥の声が気持ちいい。ご先祖に近況報告。墓の周りは弟が掃除してくれていました。
 
 昨夜、帰阪しました。「 JIN−仁 」の最終回も見ないで寝てしまう。昼に、父とビール(本物)と日本酒(今回は「梅錦」のええヤツと内子町の大吟醸「吹毛剣(すいもうけん)」ー吹きかけた毛も切るほどの鋭利な剣の切れ味ということらしいー)を飲み過ぎたのです。弟に今治駅まで送ってもらって、電車の中で爆睡。気が付いたら瀬戸大橋を渡りつつありました。それでもまだ眠れる。ひたすら体が睡眠を要求しているみたいで、どこでも、いくらでも眠れるようです(苦笑)。今治駅で買った「山丹正宗」は飲まず仕舞でした。
 
ゆく人
 
上村たねさん103歳=日本画家・上村淳之さんの母
 
 上村たねさん103歳(うえむら・たね=日本画家・上村淳之さんの母)5月21日、老衰のため死去。葬儀は近親者のみで済ませた。喪主は長男淳之(あつし)さん。

 日本画家の故上村松篁(しょうこう)さんは夫、故上村松園さんは義母。松園さんの代表作「序の舞」などでモデルを務めた。
 
 
 「序の舞」は毎正月複製画を玄関に飾ります。日本髪に赤い着物で正装した若く美しいたねさんが永遠に描きとめられています。

「コロンボ警部」ピーター・フォークさん…83歳 

 米国の人気テレビドラマ「刑事コロンボ」シリーズで主演を務めた俳優のピーター・フォークさんが23日、ロサンゼルス近郊のビバリーヒルズの自宅で死去した。83歳だった。詳しい死因は不明だが、2008年ごろよりアルツハイマー病を患い闘病生活を送っていた。人生最大の当たり役となった「コロンボ」シリーズは日本でも大人気となり、多くの刑事ドラマに影響を与えた。

 よれよれのレインコートに安物の葉巻。「うちのカミさんが…」の口癖でおなじみのコロンボ刑事を、35年もの間、演じ続けた名俳優がこの世を去った。複数の米メディアなどによると、フォークさんは3年前にアルツハイマー病を発病。診察した医師によると人の判別が困難になり、もはや自分がコロンボであったことさえも認識できない状態だったという。

 「刑事コロンボ」は1968年に初めて制作され、71年にテレビシリーズとしてスタート。冒頭で犯人と犯行の方法を視聴者に見せ、ロサンゼルス市警殺人課の刑事・コロンボが鋭い推理で犯人をじわじわと追い詰めていく、それまでの推理ドラマとは逆転した「倒叙(とうじょ)」と呼ばれる形式をとり、お茶の間のミステリーファンを魅了した。
 
 第3話「構想の死角」(71年)はスティーブン・スピルバーグ監督(64)が担当。89年には「新刑事コロンボ」シリーズがスタート、03年の最後の放送まで全69話が制作されている。

 米国以外の26か国でも放送され、フランスなど各国で高視聴率を獲得。日本版では、俳優の故・小池朝雄さんが吹き替えを担当、小池さんの死後は石田太郎(67)が声優を務め、軽妙なせりふ回しで人気に。同じく倒叙の形式をとった三谷幸喜氏脚本、田村正和主演の大ヒットドラマ「古畑任三郎」シリーズなどにも多大な影響を与えた。

 フォークさんは「コロンボ」で米テレビ界最高の栄誉であるエミー賞の主演男優賞を4度受賞。コロンボの「あと…。もうひとつだけ」という決めぜりふは流行語となり、フォークさんの自叙伝「Just One More Thing」(06年)のタイトルにもなった。まさに、コロンボと歩んだ人生だった。

 ◆ピーター・フォーク(Peter Falk)1927年9月16日、米ニューヨーク生まれ。3歳のときに腫瘍で右の眼球を失い義眼に。58年「ジャングル・ガードマン」で映画デビュー。「殺人会社」(60年)、「ポケット一杯の幸福」(61年)でアカデミー賞助演男優賞に2年連続ノミネート。05年、映画「ピーター・フォークの47年目のプロポーズ」で78歳にしてヌードに。画家の顔も持ち日本で個展が開かれた。
 
 先日、たまたまコロンボ第1作を見たのですが、犯人役はジョン・バリー(テレビ「バークにまかせろ」のスマートな探偵役でしたーこのキャスティングがおもしろい)。かなり泥臭い、えげつないやり方で犯人を追いつめるのです。後々洗練されてゆくのですね。面白かったですが・・・。
 
 映画「ポケット一杯の幸福」も好きな作品でした。明らかに義眼とわかる風貌でしたが、個性と演技力で当たり役を掴みました。
 
ハワイリポート 7
 
 カイルアビーチの美しすぎる海に感動。なんという色でたとえればいいのでしょう?パンフレットにはターコイズブルーとありましたが、さまざまな青色が織りなす微妙な色合いです。
 
 それなら隣のラニカイビーチへも、と欲を出し、バスターミナルに引き返して、そこでレンタサイクルを借りる(10ドル)。ところが嫁ハンの足がペダルに届かない!(苦笑)。探し回ってやっと一台見つける。さあ、出発と思ったらブレーキがない!
 
 日本人スタッフのミエコさんA(ミエコさんがふたりいてはるので、@Aと呼び分けてはる)に訊くと、ペダルを反対に回すとブレーキがかるんです。これが馴れないと難しい。幸いサイクリングロードが整備されているので、恐る恐る練習しつつ、ラニカイに向かう。
 
 小さな岬(ここからのカイルアの景色が抜群)を越え、下り道は自転車を押して少しゆくと、もうラニカイの町。意外に近い。とたんに沿道の家が更に大きくなる。別荘というより豪邸、(ここまでに見てきた家は広いけれど、芝生から家屋が見えるー家の中も見えるーハウスウォッチャーの私は思わず覗いてしまうー苦笑ーそれにしても銃社会だから無防備なのか、無防備に近いから銃を持っているのか、いまだに疑問です)ラニカイの家々には塀があります。
 
 家の切れ目から海岸に抜けると、確かにカイルアを上回るほどの美しい海岸。それなのに人が少ない。日本人はほとんどいない。時間の関係から写真だけ撮ってカイルアへ引き返す。次に来たときは必ずここで泳ごう。
 
 街路樹の花が美しいカイルアの町を走って2時過ぎのバスに乗る。
 
 嫁ハンが水着を着替えてる間に、ミエコさんAにちょっかいを出す。@の方は元気なヤンキー娘、Aの方はちょっとおとなしめ。
 
 ハワイはもう長いのですか?
 7年目です。憧れてやってきて、ラッキーにもアメリカの方と結婚出来て、ここで働いています。
 じゃあ、ハワイでずっと暮らせるのですね、いいなあ。
 いえ、でも、やはり日本人ですね。最近は一年に一度必ず日本に帰らないではいられません・・・。
 
 ふーん、そうなんだ。なんだかわかるような気もしますが、ハワイ熱に罹った今は、ずっとハワイで暮らしたいなあと思う私でした。
 
 翌日、タクシーの運転手さんに聞くと、ラニカイはかつてのハワイ王族の特別な保養地として栄えた地なのだそうです。豪邸があるのはその名残とのことでした。ええとこでした。ワイキキに帰り、まだどこへも行っていない下の息子夫婦に「綺麗な海やったで、あそこに比べたらワイキキの海はきたないなあ」と報告すると、呆れていました(笑)。
 
 前にも述べましたがハワイは火山島で珊瑚礁の島ではない。だから、私が憧れた「ブルーラグーン・青い珊瑚礁」で潜り、お魚さんと遊ぶというわけには参りませんでした。
 
 ところが、実はハワイにも珊瑚礁はある、というので上の息子夫婦は勝手に調べてそこへ行って(ビーチの名前は忘れましたーハワイの地名は何度きいても憶えられないー苦笑)、潜って来たそうです。もう、別行動を取ろうとは言っていたけれど、悔しい!
 
最近読んだ本
 
「 花の旅 夜の旅 」 皆川 博子
 
 新人賞を獲ったが、その後芽が出ない作家のもとに、旅行雑誌の編集者から、花の名所を旅しつつ、そこんをテーマに連作小説を書くという依頼が来る。
 作者自身の覚え書きに作中作を交互に配置、おまけに皆川さんも途中出場という凝った構成。皆川ミステリーの初期傑作と言われているようですが、作中作がイマイチなので、乗れませんでした。
 
 
2011年6月23日
 
 クルム伊達さん、がんばりました。夏至も超えましたが、これから夏本番。みなさま、お体に気を付けて。今夜、帰省します。
2011年6月21日
 
「 党派捨てて 復興党を立ち上げよ 未曾有の国難 救はむがため 」
 
読売歌壇から 福島県 黒沢さん
 
 被災地の、いや、国民の多くの人が感じているであろうこの思いを、国会議員たるものが理解できない?いや、実行できない政治の貧困さが天災と同じく怖い。
 
 ハワイリポート 6
 
 結婚式も無事終わり、いよいよハワイを満喫するぞ!と嫁ハンとふたり出掛けたのはダイヤモンドヘッドの向こう側、アメリカ一の美しい海岸に選ばれたという、カイルア、ラニカイふたつ並んだ浜辺。
 ワイキキからバスで30分、低い峠を越えると海の色が違う。形容しがたい様々な色合いの紺と藍と青と水色。茣蓙とシュノーケル(無料)を借りで歩いて5分でカイルアビーチへ。
 ワイキキの浜と違って白い砂がとにかく細かい、それに熱くない。日射しは強烈だけれど、とにかく風が強いのです。広い湾に小島が浮かび、カヤックが集まっている、湾の向こうの半島の先の雲の掛かった青い山もいかにも熱帯らしい。
 
 大きな木の陰が続き、売店も海の家もビルもない。遊泳の監視台とトイレ、シャワーがあるだけ。気持ちいい簡素さ。美しい海があるだけ。
 
 

2011年6月20日
 
「 かまどには 昔神様おりまして いま原子炉に神はいますか 」
 
 朝日歌壇から 東京都 無京さん
 
今朝の読売新聞の「編集手帳」に異議あり。
 
「真理は中庸にありと言われる。安全神話にも危険神話にも与(くみ)せず、安全性を高めた原発を使い続ける。それが日本の英知を結集し、目指す道だろう」
 
 まず、「安全神話」はともかく「危険神話」という言葉の使い方に問題在り。安全確保が難しい現実を、今度の事故でも思い知ったはず。それを、それを「神話」という言葉で括ってうやむやにしようという発想が底に見える。後世の為にも大きな危険は残すべきではないのです。
 
 先日の産経新聞のコラムでも
 
 「今、みんな原発反対と言うから、大声で言えない。小さな声で言うが、もういちどあの不便な時代に帰れますか?不自由に耐えられますか?」
 
 ハイ、不便にも不自由にも耐えましょう。それが人類が生き延びる道です。
 
今朝方、うつらうつらしていて見た夢。
 
病院の診察室。肘掛け椅子の見知らぬ医師が、丸椅子の私に
 
「ーさん、前にも申し上げたけれど、貴方は咽喉癌ですよ。」
「 エーッ。先生、そのお話、前に伺いましたっけ?」
 
家に帰って嫁ハンに
 
「 医者にこんなこと言われたけど、知ってた?」
「 いいえ。でも、咽喉癌なら肝臓や膵臓より手術しやすいからいいじゃない!」
 
目が覚めて、改めて嫁ハンに確認。笑っておりました。
 
 
ハワイリポート 5
 
 結婚式の朝。嬉しいことに晴れている。早めに起きて、ワイキキの浜をずっとダイヤモンドヘッドの方まで歩く。帰りにスターバックスに寄って、軽い朝食。様々な国の人がいる。道端の土産屋で息子夫婦へのレイを買う。ホテルに帰ってから嫁ハンと海でひと泳ぎ。7時過ぎのロビーにもう花嫁姿が見える。走っている。早い時間の式があるのでしょうか。
 
 シャワーを浴びて、着替えて、海から見た、ベランダから手を振っていた息子達の部屋を覗く。もうメーク、着付け担当の人が来てはったので、部屋に引き返す。なにせ、こちらはアロハシャツやドレスですから着替えは簡単です。もうひと眠りすることにする。
 
 2時間後、ロビーに2家族7人が集合。遅れて下の息子達登場。ウエディングドレスと白いタキシード姿を初めて見る。息子の顔がなんか変。白いリムジンが2台滑り込んでくる。前の車に新郎新婦、後ろの車に我々。リムジンに初めて乗りました。入り口が意外に狭い。ソファが三方に、残った一方にバーセット。もちろん、手は付けない(笑)。
 
 郊外に向かう途中、にわかに雨、あれーっ、困ったなあ、と思っているうちに教会に着く。車を降りると雨は上がっていました。式のリハーサル。息子の顔、変やね、妙にメリハリがある、と言うと、嫁ハンが「メークよ。最近は新郎もメークするのは常識よ」。上の息子の時はしてなかったけどなあ。
 
 上の息子の結婚はより簡素に、下の息子は出来る限りのことを・・・それぞれ違う形になりましたが、本人たちの意志を尊重したのだから、ま、いいか。
 
 花嫁のウエディングドレス姿はやはり美しい。それにしても、少人数の式なのに、ずっとビデオとカメラの撮影班が付いているのです。 でも、式の間は撮影禁止。「ハワイアン・ウエディングソング」に始まり「アベ・マリア」で終わる。神父さんは、かつて堺にいてはったらしく、大阪なまりの日本語で執り行ってくださる。最後に新郎新婦に強く抱擁させて長いキスをさせるのはアメリカ風?
 
 教会の中庭でレイを贈呈。赤い花の咲く大樹の下で記念撮影。
 
 俳優でもいけそうなイケメンのカメラマン(日本人男性、30代)は、サーフィンしたくてハワイに来たのですが、海で大怪我をして競技は諦め、でも、ハワイが好きだから、残ってこの仕事をしているのだそうです。
 
 
 場所を、海辺の貸し別荘?に移し、ガーデンパーティ形式のランチ。白く美しい邸宅。砂浜に続く芝生には深いプールもある。ただし遊泳禁止だとか。誰が泳ぐ?いや、きっと、はしゃいで泳いで事故ったヤツがいるのですね。シェフも、ウェイターも呼んでいる。もちろん撮影班も。もー、このウエディングツァー、どこまでやるんだ?
 
 中庭でケーキカット、乾杯。挨拶も済み、ほっとした心身に冷たいシャンパンが沁みる。新郎新婦の笑顔もほどけてきました。新鮮な魚、ボリュームある肉料理・・・そうなると赤白ワインも飲まなくちゃ。
 ところが、飲み手は9人中、私と下の息子しかいない。頼みの新郎は、まだこれからあちこちの砂浜で記念撮影があるという(まだ続くんかい!?)。結局、ワイワイ盛り上がりつつ、酒は私ひとりが残ったシャンパン、ワイン2本すべて飲んでしまったらしい(苦笑)。
 
 ホテルに辿り着いて爆睡。もちろん夕食はパス。息子達は改めて食べに出掛けたらしい。元気な奴らじゃ。私は夜中に目覚めてうつらうつら。柔らかな広いベッドで、ずっと幸せだった一日を噛みしめつつ、こんなんでいいんだろうか、被災地の避難所の固い床に寝ている人もいるのに、と思いつつ、ガラス戸越しに打ち寄せる太平洋の波の音を聴いていました。
 
 

2011年6月19日

「 はるばると カップ麺来たる ハングルもタイ語も読めぬが 湯を入れて待つ 」

朝日歌壇から 仙台市 武藤さん

 そうなんだ。海外からもカップ麺が届けられているんだ。 

 嫁ハンは、今日も朝からシャンソン教室の発表会とやらで出掛けました。昨夜は、京都でライブ。あ、久々のワンウーマンライブが、7月2日(土)、太子町の「サントル・ドゥ・ヴィラージュ」であります。ディナー付きですが、ライブのみも可です。よろしければ、お越し下さいませ。このHPにリンクしている嫁ハンのブログに詳しいことは掲載しております。

 忙しい嫁はんを横目に、私は久々のんびり日曜日。家を出たのは、ゴミ出しと近所のスーパーへ、ノンアルコールビールを買いに行ったくらい。新聞をじっくり読み、読書、掃除、そして久々、テレビで映画を見る。

「 しあわせの隠れ場所 」

THE BLIND SIDE

解説:

  ホームレス同然の生活からアメリカン・フットボールのプロ選手になった少年の実話を映画化した感動的な人間ドラマ。裕福な家族と黒人少年との、偶然の出会いと深いきずなを丁寧につづる。魅力ある母親を好演したサンドラ・ブロックが、2009年の数々の映画賞を受賞。さらに、カントリー歌手のティム・マッグロウや実力派のキャシー・ベイツ、本作の少年役で本格的にデビューするクィントン・アーロンらが共演。良心がもたらすアメリカン・ドリームに、ラストはさわやかな感動で包まれる。

あらすじ:

 家族と共に車で帰路に着くリー・アン(サンドラ・ブロック)は、雨に濡れながら夜道を歩くマイケル・オーア(クィントン・アーロン)に目を留める。自宅に連れ帰ったマイケルの境遇を知り、一家に迎え入れることにしたリー・アン。アメリカン・フットボールを始めたマイケルの適性をリー・アンが見いだしたことから、マイケルの才能は一気に開花する・・・。

「しあわせの隠れ場所」格差への想像力を喚起させ、生活の足元を見つめ直させる
 

「格差への想像力を喚起させ、生活の足元を見つめ直させる 」

 寒さに震えて夢を抱くことすら忘れ、人生に絶望していた黒人少年が、裕福な家に招き入れられ、やがて家族の一員として眠れる才能を開花させる。まるで、田舎娘が原石から宝石へと磨き上げられる「マイ・フェア・レディ」の格差社会版のよう。
 ただし実話をベースとする本作は、現役アメフット選手へと成長する少年を軸に、もうひとつのドラマの方に軸足を置き、ホーム・コメディと見まがう軽やかなタッチで綴られていく。
 
 当初、サンドラ・ブロック扮するエネルギッシュな女性は、夫と子供達に対し、貧しい者への接し方を示そうとしただけだったのかもしれない。憐れみはすぐに消え去る。温かさに満ちたひとときを共有した少年が心の底から感謝する振る舞いに、豊かな者の方が欠落していた何かを教えられるという逆説。  家族は、当然の如く享受していた衣食住や教育の本当の有り難みを知る。そう、むしろ豊かな白人家庭が目覚めていく物語こそテーマだ。
 
 事実をデフォルメしている点は多々あるようだ。しかし、批判的な視線の交わし方が巧妙。寵児となった少年をめぐり、実は自己顕示欲を満たすことが家族の目的だったのではないかとメディアが騒ぎ立てるくだりの、笑いと涙を織り交ぜた内省的な描写には好感がもてる。
中流から貧困層に転落する家庭が続出する今だからこそ、自らの生活の足元を見つめ直す寓話として、持たざる者への想像力を呼び起こす本作は十分に機能している。(清水節)(eiga.com)
 この清水さんの評に共感。主人公及び家族を美化しすぎている点もありましたが、これは登場人物が今も現役という、「実話の強み」の反面の「弱さ」でもあるのでしょう。
 それにしても、サンドラ・ブロック、巧い。この作品でのオスカー受賞も納得。「スピード」以来、ずっと敬遠し続けていましたが、今回、一応撤回させていただきます(笑)。でも、今でも、みんなが騒ぐような「美人女優」とはどうしても思えないのですが・・・(苦笑)。
 それと、この映画、子役(主人公の息子役の子)がめちゃ達者です。最近、子役があちこちで脚光を浴びていません?
 
 映画の余韻に浸っていると、ピンポーン。息子達からそれぞれ宅急便が届く。今日は「父の日」でした。もちろんビール。こんな飲んだくれの親父に・・・もったいない(そうやそうやの声が聞こえるー笑)、ありがたいことです。お嫁さんのメッセージが嬉しい。長男の「四国のこと、任せっぱなしですみません」の一文に、そんなことも感じていたのか、とちょっと感慨。
 
 最近目に付いた記事

シドニー 21日(5月) ロイター] 英誌エコノミストの調査部門エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)がまとめた世界で最も住みやすい都市ランキングで、カナダのバンクーバーが5年連続で1位になった。

 EIUは世界の140都市を対象に、治安状況や医療サービス、文化、環境、教育などの30項目を基に「住みやすさ」を数値化。バンクーバーは昨年に続き98%をマークし、2007年から続く首位の座を維持した。

 ランキングのトップ10都市のうち、カナダとオーストラリアが計7都市を占めるなど、上位陣の常連に大きな変動はない。このほか、パリが16位、ロンドンが53位、ニューヨークが56位となった。

 アジアの最高位は大阪の12位で、東京は18位。香港が31位、北京が72位となっている。

 昨年に引き続き、ワースト1はジンバブエのハラレ。

 大阪が12位とは知らなかった。そんなに住み良い街で働いていたのか(苦笑)。感謝しなくちゃあ。もちろん、知事でなく、市長さんはじめ大阪市民の方々に。ちなみに憧れの街のひとつ、ウィーンは3位です。ジンバブエの「ハラレ」という街の名も不勉強で知りませんでした。世界は広く、知らないことが多いなあ。

ハワイリポート 4  買い物

 ハワイの魅力のひとつは買い物、と聞いてはいましたが、ブランド品などに興味がない我々夫婦にはピンと来ていませんでした。ホノルルにある巨大ショッピングセンターも行きましたが、まあ、阿倍野キューズの大きなもんみたいやな、と歩き疲れてふたりで納得。ちょこっと雑貨を買ったのみ。

 力の入ったのは着いた当日の買い物。夜9時に発って、その日の朝に着くという微妙な時間感覚がありましたが、新郎新婦は、そのまま式の準備、エステなどへ直行。新婦側の家族は即ツアー参加。うちは長男が前日までの疲れでホテルで寝ていたい、というので、私は嫁はんと長男のお嫁さんと3人で、翌日の式に着る服を買いに繰り出したのです。

 地図で見たら、ホテルの近くには「ロイヤルハワイアンショッピングセンター」やら「インターナショナルマーケットプレイス」などの大きな専門店街もありますが、街に出ると、衣料関係の店がいっぱい。とにかくアロハシャツ、ムームー、帽子、髪飾り、花輪?、ブレスレット、指輪、ネックレス、耳飾り、水着・・・莫大な量の品々が店先にまで溢れています。

 とりあえず、私の着るアロハシャツをぱっと決めて(赤い地に黒の模様)、後は嫁ハンとお嫁さんの衣装探し。表通りより、ちょっと入ったところに良い品揃えの店があるのはどこも同じ。片っ端から試着させまくり、嬉々として選ぶこと2時間。嫁ハンには黒地の、お嫁さんにはピンクの地のものを選ぶ。買った服を着たそのままで、歩き廻り、髪飾りなど装身具も買い求める。お嫁さんは、しきりに、自分で払いますと、遠慮している。でも、私は娘を持ったことがない身、こういう楽しみがあったんや、これを一度味わいたかったんや、と強調。ここは気持ちよく散財させてもらう。

 で、改めて、過去30年余の数々の嫁ハンとの買い物の時はどうやったん?と問われると、うーむ、内緒(苦笑)。

 3人共、疲れた果てたけれど大満足の帰り道、あ、長男の分買ってなかった、と思い出し(笑)、「ロイヤルハワイアンショッピングセンター」に飛び込んで、お嫁さんのドレスに見合った水色のアロハシャツを3分で買う。帰って着せると、息子は気に入って喜んでいましたが、後で確認したら、私のシャツの倍近い値段だったとわかり、息子は「いい買い物をしてきたねえ」と笑っていましたが、私は妙に腹が立ちました(苦笑)。

 

2011年6月18日
 
「 地震の時 どこにゐたかと 新茶注ぐ 」 
 
朝日俳壇から 東京都 大久保さん
 
 雑誌にも「勢い」というものがあるのでしょうか?同僚から廻してもらう週刊誌の数々。読んだ後から次々四国の実家へ持ってゆくキャリーバッグへ入れる。母の病院のみなさんが待ってくれています(笑)。かつての王者?「ポスト」に勢いがなく、「現代」もイマイチ。「新潮」も頼りなく、「朝日」は平板。今、読み応えあるのは「文春」かなあ。母もこれを愛読しているようです。
 
 コミック誌の雄、ビッグコミック兄弟。ところが、「ビッグコミック」が失速気味。唯一、気を吐いていた「山口六平太」も元気がないと感じます。
 その分、勢いがあるのが「オリジナル」。「釣りバカ日誌」「あぶさん」はマンネリですが、「あじさいの歌」「深夜食堂」「浮浪雲」「看護助手ナナちゃん」など安定。
 6月5日号の「三丁目の夕日」は初老の公務員、取越九郎さんが、やがてくる老母の葬儀を思い遺影が無いのを心配して、家族写真を撮ることを思いつくというお話。大騒ぎして撮影した一年後、当の九郎さんが心筋梗塞で死んでしまい、その写真が役に立つという皮肉。外にはしとしと戻り梅雨。あじさいの花。
 
最近印象に残った言葉
 
映画「奇跡」の是枝監督に希木樹林さんが言った言葉
 
「 大人のシーンが多すぎると思うの。これは子供中心の映画だから大人は背景でいい、みんな背中で演じれる役者ばかりだから・・・」
 
カッコイイ!
ちなみに、主演は人気少年漫才コンビ「まえだまえだ」、共演の大人は希木さんの他、オダギリジョー、大塚寧
々、橋爪巧、阿部寛・・・納得です。
 
ハワイリポート 3  ホテル編
 
 ハワイハワイと浮かれていましたが、そういえば観光旅行ではありませんでした(笑)。下の息子の結婚式への出席がメイン。ただ家と家との結びつきという形はもう古いと思っているので(あちらの家もそれでOK)、結納も食事会で済ませ、式は基本的には本人達任せ。式場も披露パーティの中味もホテルの予約もすべて任せっぱなしで、みんな忙しく、私もハワイに着くまで、詳細はよくわかっておりませんでした(苦笑)。
 
 トロリーバスで着いたホテルは「S・ワイキキ」。客室千室を超すワイキキでも指折りの巨大ホテル。東(ダイヤモンドヘッド向き)南(太平洋向き)西(ホノルル市街と夕陽が見える)三方を向いた三十階を超える建物がゆったりとした敷地の中に立つ。延々と歩いてロビーを抜けると建物に負けない貫禄の巨木の繁り立つ東の庭が見える。巨木ウオッチャーの私は大感激。
 庭はそのまま、垣根などなく、木陰の小径で隣の「ロイヤルハワイアンホテル」のエントランスにつながる(ワイキキの海岸のホテルはどこもこのように自在につながっているのでした)。ここは由緒あるピンクの建物で一目で好きになり、それから毎日、大通りへはここを抜けて通いました。
 
 砂浜からホテルの南の庭までは数メートル。庭先に広い大人用プール(15才以下禁止ーこれはいいこと)があり、そこには縁が見えないように水をいっぱい張ってあるので、プールが海に繋がっているように感じます。実はその向こうに一段下がって幅1メートルほどの歩道があって人々が行き来しているのですが、それが見えない・・・心憎い演出です。
 海際のプールサイドには、京都の鴨川縁のようにカップルがずらりとならんで浮いて、太平洋と寄せ来る波を眺めている。早速、べちゃべちゃしているカップルには泳ぐふりをして水を引っ掛けてやり、新婚カップルの間に嫁はんと割り込んで、海を眺める(嫁ハンは近鉄で水着を新調、私は着いた日にカラカウア通りで購入ーめちゃ品数豊富、そして安い)。
 でも、2日目からはプールより目の前のビーチで泳ぎました。波が気持ちいのです。
 
 家族向けには東側の庭にスライダー付きの大きなプール。ここには傍らにジャグジーが2カ所あるので、海やプールから上がるとまず、ここで暖まることにしました。
 
 それにしても広い。プールサイドにはバーやレストラン、パブが点在し、飲み物食べ物に事欠かない。無料貸し出しのバスタオルを敷いてデッキチェアで昼寝。極楽はここにもありました。
 
 それにしてもホテルが大きすぎる。広すぎる。「ロイヤルハワイアンホテル」の上品さから見たら、えげつない。これって隣からみたら目障りやろなあ、とホテルマンである上の息子に言うと、「大丈夫、同系列だから文句は出ません」。ナルホド。
 
 翌朝、夫婦で海で泳いでいると、東側20階のベランダから下の息子たちが手を振っている。結婚式の朝です。
 
 
2011年6月17日
 
「 夏萩に ただただ薄き えにしかな 」 中村汀女
 
 秋の萩と比べて地味で目立たない花。あっという間に散っています。こころに残る人とのふれあいも過ぎていって、もう復活することはありません・・・?
 
 1月の膝の怪我以来通ったS病院のリハビリも今日で一段落。若いイケメンのO先生ともお別れ。丁寧に指導していただき、最後の今日も今後のリハビリの仕方をあれこれ言ってくれる。膝を支えるのは腸脛靱帯、外側広筋が大事ですよ、整骨院に通ってはるなら、そこでこの部分をこんな風に揉んで貰ってください、とありがたい忠告。
 
 また、お目に掛かりたいかれど、かからないでいいようリハビリに励みます、と言ってお別れ。
 
 早速、いつもの整骨院へ。いつもの女性ふたりがいない。旅行で留守していた間に、ひとりは名古屋の医院へ転勤、ひとりは体調を崩して退職されたんだと。どちらも明るく、きさくな方だったので、お別れも言えなかったのが残念。
 
 夕方、前任校からの親しい友人と久しぶりに会食。彼は昨年からあちこち体調を崩していたので、快復し、ちょっとふっくらした姿をみて安心。元気で生きている間にもっとまめに会おうと思います。
 
 トニー賞授賞式の記事の補足。昨日の文章を書いている間にビデオが終わらなかったのです(苦笑)。
 
 式中盤の、この一年の演劇関係の物故者追悼コーナー。伴奏は「サムホエア」。美しいエリザベス・テーラーの写真が映し出されると大きな拍手。
 
 式後半、主演賞の発表はキャサリン・ゼダ・ジョーンズ。深紅のロングドレス姿は流石の貫禄と美しさ。今、ハリウッドでかつてのエリザベス・テーラーのポジションにいるのはこの女性でしょう。
 
 石原都知事の東京へのオリンピック招致意思表示声明に反対。JOCも賛成だとか。そんなことより、今、やらねばならないことがいっぱいあるでしょう!世界からの同情をてこにしようと思っているのでしょうが、それより、今、世界は日本への警戒、原発への不安を持っているはず。まず、金も人出もかかる招致運動より、自らの復興に全力を尽くし、原発問題を片づけてから、10年か20年後に立候補すればいいのです。
 
 旅行で休んでいたテニスレッスンの振り替えにいったら、コート際のボールを打ち返そうとして転倒。左足の甲が変な形で腫れる。仕方なしに久しぶりの近所のF病院。外科のF先生と看護士さんが笑って迎えてくれる。レントゲン検査の結果、骨には異常なし。
 
「で、この変な腫れ方はナンデショウ?」
「わかりません、とにかく湿布して安静にしましょう。」
「で、明日の・・・」
「テニスはもちろん無理でしょう」
「そんなに嬉しそうな顔で言わないでくださいよ」
 
というわけで、病院に「えにし」のある日でした。「ハワイリポート 3」 は明日に持ち起こさせていただきます。 
 
 

2011年6月16日

 久しぶりに見た阿倍野のターミナルビルタワーの建設現場は、今、15階の工事中。まだまだ伸びるのですが、仕上がれば14階までが近鉄百貨店が入るはずなので、その部分までは届いたのです。売り場面積日本一、10万平方メートルの広さになるようですが、この百貨店に厳しい時代、うまく対応できればいいけれど。

 テレビで録画しておいたトニー賞の授賞式を見る。ブロードウェイの舞台の作品を顕彰するものですが、近年はことにショーアップしてショーとしてはアカデミー賞授賞式より見応えあり。軽やかなタップ・ダンス、豪快なアクロバチック・ダンス見事です。

 客席最前列に貫禄のアンジェラ・ランズベリー(日本でも「ジェシカおばさんの事件簿」で有名ですが、映画はもちろん、トニー賞を何度も受賞したブロードウェイのベテラン女優。そのとなりにアル・パチーノ、ヒュー・ジャックマン、ウーピー・ゴールドバーグも・・・豪華な顔ぶれです。

 リバイバル作品賞にノミネートされている「ハウ・ツゥ・サクシード」のパフォーマンスで、あのハリー・ポッターのダニエル・ラドクリフが歌い踊っているのに驚き。2年前に「エクウス」で全裸の演技が話題になったけれど、今度はミュージカルに主演、それも超一流のスタッフと見事に共演している。いつの間に、これだけ歌、ダンスを練習したのだろう。まだ20才そこそこのはず。すごいなあ。

 それにしても授賞式、毎年見ているつもりでしたが、昨年度は見逃していたことを知る。それだけ去年の今頃は心身共に余裕がなかったということなのでしょう。あらためて今の境遇に感謝。

 相次ぐ事故、トラブルで開幕が遅れに遅れた(トニー賞に間に合わなかった)「スパイダーマン」が14日にオープンしたらしいですが、どうなんでしょう?

 ハワイレポート 2    ワイキキの浜

 「ワイキキ」はハワイ語で「水が湧くところ」という意味だそうです。ハワイの島々は珊瑚礁でなく、火山島なので結構高い山もあり、水が豊富なのですね。豊かな水蒸気が雲となり、あちこちの山に掛かかっているのも趣のある風景です。晴れていてもさっと雨が降る。レインというよりシャワーといった感じで、すぐ上がり、すぐ虹が架かる。ホテルのベランダの下から200度以上の円を描いて海の上に架かったのには見とれました。

 ワイキキは気候が安定、水があり、景色もよく、ハワイ王朝の王族の保養地だったそうですが、砂浜はなかったそうです。1898年にアメリカに併合された後、観光地として脚光を浴び、ホテルが建てられ始め、1920年代から30年代にかけて、カリフォルニアから白砂を運んで造ったとか。すごいことやるなあ。

 私が小学時代に作った版画では椰子の木に実がありましたが、実際のワイキキの椰子の木を見ると実がなっていない。なんでやろ?と食卓の話題にすると、新婦のお母さんが、かつて、実が落下して怪我をした人がいて、裁判で補償問題になって、それ以降、実は早めに摘み取っているんですって・・・なるほど!確かに、翌々日訪れたノースショアあたりの椰子の木には実が生っていました。

 ハワイでは公園や浜辺で酒類を飲んではいけない(プールサイドではいい)ーこれは新鮮なかつ残念な驚きでした。そのくせ、タバコはいいのです。肌を露出した人が多いのだから、タバコの方が危ないと思うのですが・・・。で、プールサイドでベランダで朝から飲みまくり、バルコニー、遊歩道で一服。1日1本だったタバコも増えた不良中年(老年)の私です。

 2011年6月15日

 
 早朝出勤して溜まっていた仕事を片づける。たっぷり休んだので快調。時差ボケもなし。ただし、みんなに頭を下げまくる。人間関係のいい職場でよかった。
 
 もともと原発が少ないイタリアが原発からの完全撤退を決めたのはいいと思うけれど、「国内の需要を満たせないので、隣国のフランスなどから電気を買う」というのはどうかなあ。フランスはイタリアと違ってほとんど原発による発電です。その電気を買うことの矛盾。
 きちんと代替え案を持つべきです。もちろん同じ火山国、地震国である日本も。
 
 ハワイ報告 1
 
 まず、ホテルに向かうバスの運転手がめちゃハイなのです。歌を歌い、カタコトの日本語を交えて後ろを向きつつ周囲の景色を説明してくれる。すれ違うバスや通行人に気軽に大きな声でちょっかいを出す。おいおい、前を見て運転してよ、と思いつつ、そのお気楽な態度に肩の力が抜けてゆく・・・。
 
 今回出会った沢山の運転手はひとりを除き、あとはみなおしゃべりでオモロイ人々でした。 ホテルに到着後、ちょっと休んで着替えて、目の前のワイキキ海岸へ。
 
 瀬戸内の穏やかな多島海を見慣れた目には、新鮮な、180度近い水平線と絶え間なく打ち寄せる白く大きな波。
 その波間に浮かぶ100人を超すサーファー。なかなか動かないが、大きな波が来ると次々浜に向かって滑ってくる。
 数隻のヨット、更に沖に豪華客船、クルーザー、軍用艦らしき船も一艇。
 
 右カーブを描いてゆく白い砂浜、それに沿って椰子の並木、椰子の後ろに高層のホテル群、その向こうに茶色の直角3角形(頭がぎざぎざですが)を伏せたようなダイヤモンドヘッド・・・。数限りなく映像で見た景色がそのままにあるのです。うそみたい(笑)。でも、実物を見てガッカリということがありません。期待を裏切らない、それがハワイの印象でした。
 
 とにかく「気持ちよい風が吹く島」。かなり強い風がつねに吹き抜け、「過ごしやすいとはいうけれど、しょせん熱帯、かなり暑いトコロではあるだろう」というイメージは一瞬にして覆されました。海やプールから上がっても肌や水着がすぐ乾く。木陰は風が強い時は肌寒いくらい。
 
 日本では海から上がるとすぐシャワーを浴びないと、べたべたして気持ち悪くなりましたが、ここでは、シャワーはプールサイドや海岸のあちこちにあるけれど、ブースではない。後日、ホテルの人に訊くと、足だけ洗って砂を落とし、そのまま部屋に帰って熱いシャワーを浴びるのです、そうでないと、風邪を引きますよ。ナルホド。それで花嫁のお母さんが風邪を引かれました。初日に聞いておけばよかった(苦笑)。
 
 ぽたぽた水を落として、廊下やエレベータを濡らすこともない。だからみんな水着で平気でホテル内を歩いているのです。もちろん、ベランダの椅子に干した水着はすぐ乾きました。
 
 南向き14階のホテルの部屋の前い見えるのは海だけ。打ち寄せる波頭と雲だけが白。あとはマリンブルーとスカイブルー。一晩中波の音が響いていました。後で思うと不思議だったのですが・・・。
 
 
2011年6月14日
 
 午後8時、無事、楽園から帰国しました。薄曇りの空に旧暦5月13日のおぼろ月。カエルの声も聞こえる。やはりいいものです。
 昨夜はワイキキの浜の上に浮かぶ月をホテル述べランダから見ていました。月影がうち寄せる波に砕けてきれいでした。四国へ帰省するのとほぼ同じ時間で行ける常夏の島。思えば不思議な体験でした。
 
 ハワイ報告 プロローグ
 
 雑誌「小学校3(?)年生」の新年号特別付録はいろはかるた。「き」の札は「聞きたいな ハワイのお話 与那嶺に」だったことを憶えています。与那嶺はハワイ出身の当時の巨人選手。50年以上前の話です。後、憶えているのは長嶋選手、松島トモ子さんの札。
 
 小学校の5年の時、版画製作の授業で、ダイヤモンドヘッドの風景を作って刷ったら、左右反対で、がっくりしました(苦笑)。
 
 中学時代、映画「青い珊瑚礁」(もちろんオリジナル、白黒映画)の、感動。南の島への憧れを募らせました。でも、ハワイは火山島で珊瑚礁はあまりないことを後で知りました(苦笑)。
 
 高校時代、映画「ハワイ」。当時ブレイクしていたジュリー・アンドリュース主演の大作、開拓時代の宣教師夫妻の苦闘を描いたものですが、出来はイマイチ。プレスリーの「ブルー・ハワイ」は見ていません。加山雄三の「ハワイの若大将」という映画もありました。
 
 その島へゆくなんて、当時は思ってもいませんでした。
 
2011年6月8日
 
 半年前から決まってはいたのですが、慌ただしい日常で、言い出しにくく(苦笑)、職場で仕事の関わりの深い一部の人だけに申しあげていただけでした。すみません。
 
 今夜のフライトでハワイへ。下の息子の結婚式です。参列ついでに観光も。来週まで「行ってまいります」。あ、四国では「行って帰ります」と言います。
 
 準備もバタバタで、忘れ物がないか心配。いつも帰省の仕度の荷造りは5分です。今回は海外なので1時間。とりあえず、パスポートだけ確認してあれこれ放り込んで、旅行カバンを閉めたところです。あ、水着は?
 
 現在午後4時半。では、行って帰ります。

2011年6月7日
 
「 ランドセル 負いたる遺体 抱きしめて 自衛隊員 泥沼の中 」
 
朝日歌壇から。 すみません、歌人名を書いたメモを見失いました。
 
震災救援バザー終了。昨日は売り上げ6千円程でしたが、最終日の今日で2万円を超えました。
 
バザーの片づけは腰痛持ちには苦しい作業。でも、同僚が手伝ってくれました。中間考査の採点、成績処理、明日からの自習課題を10時間分作って、さすがに疲れました。でも、快い疲れです。
 
 4月の帰省時の報告
 
 4月10日、近年気になっている隣町の山中の桜咲く山。その麓にゆくと、妙に瀟洒な建物が目に付きました。どう見ても農家ではないし、隠居所でもない。破風に凝った屋根瓦、軒や壁も地味ながら金と手がかかっている、どちらかというと「粋な造り」。こんな山中に(失礼)誰のお住まいだろうと、後ろの桜の木々よりも気になって弟と眺めていると、前の道の掃除をしていた60才くらいのご婦人が笑顔で会釈してくれる。
 
 つい話しかけて、
 
いいお住まいですねえ、
いえ、父が昔、菊間(私の町)にあった料亭を移築したのだそうです。
えーっ、そうなんだ!道理で凝ってはるはずですねえ。お父様は?
もう、亡くなって、みかん山も維持できなくて、それで桜を植え始めたのです。
えーっ、では、貴女が?
 
少し家を見せていただく。玄関の向こうに庭と池が見える。池を巡ってコの字型に建物が巡らされている。庭木の緑も濃い。風流な住まい。
そこへ、そこへ桜咲く山から60がらみの男性が降りてくる。
 
主人です。
 
その男性が、わたしを見て
 
おやー、○○くんやね?
あ、ハイ?S先輩?
 
中学1年の時のバレーボール部3年生で主将、5月で引退されたので、ひと月余りのおつき合いでしたが
ハンサム、長身、成績優秀、憧れの先輩でした。一度相談に乗っていただいたこともあったなあ。
 
愛媛で中学教師になり、母校に勤務、われわれがガタガタにした(苦笑)バレーボール部を建て直し、全国大会に連れてゆき、最後は母校の校長で終わって、今も松山の教育関係施設で働いてはる・・・
 
 当時は長身と思ったけれど、私が小さかったんだ。今はほぼ同じ背の高さ。家の表札が違っていたのは養子に入られたのです。
 
 4人であれこれ話しているうちに、奥様が私の高校の同期生であると判明。これも驚き。ここ10年あまりをかけて、少しずつ桜を植えて増やしてきたのだそうです。桜の種類も本数ももっと増やしてゆく予定とか。
 
 もっと話を聞きたかったのですが、またということで失礼する。それにしてもバレー部のマーシくんとの邂逅以来、これは桜とバレーに導かれた出会いだったのでしょうか?来春また伺おうと思っています。
 
最近読んだ本
 
「 日々のこと 」 吉本 ばなな
 
 若い日のエッセイを読むのは恥ずかしい、でもそれを通ってきたから今があるという後書きに同感。
 
 ウエイトレス時代、恋人との同棲時代・・・それぞれ、魅力ある人が周囲にいっぱいいる、いや、周囲の人の魅力を引き出す力が作者にあるのでしょう。
 
 「痛みには甘さがある」という言葉に共感。

2011年6月6日
 
「 ふるさとは 無音無人の町になり 地の果てのごと 遠くなりたり 」
 
 朝日歌壇から 福島県 半杭さん
 
 今日からまた被災地救援バザーを始めました。昼食を挟んでの2時間。中間考査で忙しい中、協力してくれる同僚に申し訳ない思い。明日、バザーを終えて、成績処理を終えて、自習課題を作って休暇に入ります。
 
 5日、元同僚が所属する合唱団の演奏会。大阪市内夕陽ケ丘の会場までアベノ橋から歩く。20分余りの町歩きが楽しい。やがて日本一の高さになる阿倍野橋ターミナルビルタワー館(仮称)は現在13階、57メートル。完成は2014年春の予定ですが、日々変貌してゆく姿を見るのが楽しみではあります。
 
 この合唱団の演奏会は2度目でしたが、ミュージカル仕立てだった前回を異なり、今回はじっくり聴かせて貰いました。特に組曲「風の歌」が日本各地の四季の風を歌って感動的。1番は瀬戸内の春の風でした。愛唱曲集の「みかんの花咲く丘」や「落葉松」も心に沁みました。
 
 最近読んだ本
 
「 玉、砕ける 」 開高 健
 
 作者を思わせる主人公と、元作家志望の中国人の初老の友人の間で、逢う度に繰り返される問答
 
上部組織からA、Bいずれかの道を選べと迫られる、答えないことも、躊躇うことも許されない、それに答えはもう決められているのだ・・・どうする?
 
ひりひりするような状況の文化大革命時の中国の文化人をちょっと変わった視点から描いて、心に重いものが残ります。
 
 そんな時代が日本にも来るのではー
 
 某高校に転勤した友人が大変な思いをしていると聞いて、天王寺で会って話を聞く。
 
 彼はこの3月まで学年主任を2年勤めて、今年度は3年の主任、本人も、定年まであと1年がんばって生徒と一緒に卒業しよう、と思っていた矢先、希望してもいないのに、異動を希望している、彼より長く在籍している教師もいるのに、いきなり校長から転勤を通告されたというのです。
 
 あと一年なのに、なにより一緒に2年間やってきた生徒やスタッフと引きはがされた彼の哀しみと絶望感が胸を打ちました。
 
 原因は、校長と学年主任である彼との間に、進路指導をめぐって意見の不一致があったということですが、別に校長に露骨に逆らったり、指示に従わなかったりしたということはないようです。ただ意見を言う、素直に自分の言うとおりにならない人間が気に入らない、そういう人間は排除する、という見せしめの人事異動だったように思われます。
 
 彼の同僚と彼の話を聞いただけで、その校長から話を聞いたわけではないので、決めつけはできませんが、話を聞こうとしない校長の在り方、「異議申し立て」を受け入れなかった委員会に、その後ろにいる人に、不信の念を感じます。
 
 管理職の存在、大事さはもちろん認めます。しかし、それが現場の声を聞かない、無視する、強権で抑え付けるようになったら組織は痩せて細ります。なぜ、そんなことが賢いはずの人たちにわからないのだろう。
 
 新しい学校であと1年がんばるしかない、と言いつつ、「あの生徒たちに会いたい」と言う彼に、慰める言葉が見つかりらず、話を聞いて酒を注いでやることしかできませんでした。
 
 これから教育界は、学校現場はどうなってゆくんだろう?心底、心配です。
 
4月の四国帰省時の話
 
 一緒に駅上の公園で花見したマーシくんは中学時代のバレーボール部のチームメイトでした。私がセッターで彼がアタッカー。チームは弱かったけれど・・・(苦笑)。そんな思い出話もでました。
 
 マーシくんとの花見の翌日は日曜日。前日送迎してくれた弟へのお礼の意味を込めて、近隣の寺社巡り。弟とあちこち走って辿り着いた隣町の寺、それは南北朝の時代、後醍醐天皇の皇子が戦死したとされる由緒ある地。
 その裏山が、みかん山からいつの間にか桜の山に変わっている。ここ10年余りの事らしい。見に行ってみようと歩き始めことが意外な出会いに繋がりました。(以下、明日)
 
 
2011年6月4日
 
「 若芝に 寝て 突き上ぐる 余震かな 」 
 
朝日俳壇から 高萩市 小林さん
 
 毎日のような余震の報道。もう震度4くらいで驚きませんが、震度4といえば・・・阪神大震災の時に我々が大阪で体験したモノ。大変なハズ。
 
 3日、午後からJR大阪三越伊勢丹へ。友人からチケットを貰った「細川護煕美の軌跡展」。これが期待以上の見ものでした。60才で政界を引退、湯河原の「不東庵」で芸術三昧の日々を送る・・・うらやましいやら、腹が立つやら、名家のぼんの道楽だろうとのやっかみもありましたが・・・書、漆芸など130点余が展観されているのですが、個人的には陶芸が圧倒的によかったです。特に楽焼の「長次郎」。もちろん優れた師匠、土、窯があるのでしょうが、それにしても形も色も味がありました。
 
 それと、自邸内に先年つくった茶室「一夜亭」を再現していたのに興味津々。シラク大統領を迎える為に3ヶ月で作ったという。(大統領は事件があって結局来日せずー普通、茶室は材料集めに3年、建築に2年かかるといわれています。)畳、床の間を廃し、にじり口は残し、大きな窓を設けた斬新な作り。ちょっと前衛的すぎるかも知れないが、こういう空間は憧れ。いつか四国の実家の座敷を改築して、茶を点てれるようにして、N始め友人達を招くのが退職後の夢のひとつだったのです。
 
 あ、でも、まずは膝を治さなければ(苦笑)。
 
 歓送迎会は6時半から。費用を抑えるため(今回は例年より転出、転入が多く招待客多し)少し飲んで来て下さいね、という教科主任のお言葉に、任せなはれ、と言った手前・・・(苦笑)
 
 まずは、三越伊勢丹の屋上でコンビニ(店内にある!)で買ったウイスキーの水割り、それからゆっくり会場の谷町6丁目まで2時間余りかけて歩く。平日の町歩きはほんとに楽しい。そして大阪の街はディープ。
 
 中之島、北浜・・・いろんな店、路地、見所いっぱい。早めに着いたので、近くのコンビニに寄り、道路脇で今度はビールと日本酒。道行く車、たくさんの人々を眺めつつ、風に吹かれつつ、気持ちいい2時間。ますます息子達の心配するホームレスに近づいてきました(苦笑)。かなり出来上がりました。
 
 肝心の宴会ではもちろん、ビールと焼酎は控え目に(笑)。転出した同僚との別れを惜しむ。でも、後半さすがに眠くなって(苦笑)、会終了後、速やかに帰宅しました。
 
最近読んだ本
 
「 鳩の血 」  立松 和平
 
 東南アジアを放浪し、帰国途中に寄った台湾で、知人の傳(フ)さんと待ち合わせた私は、彼に温泉に連れて行ってもらい、歓談しながら、自分の旅行を振り返る。
 
 自分の目で確かめた世界観、人間観が新鮮で確かです。題名はスリランカでのルビーの善し悪しを見分ける方法です。
 
 途中まで読んで、昔(80年代)、読んだことを思い出しました(苦笑)。
 
 

2011年6月3日
 
「 俺も牛も死ねというのか 原発の警戒区域の酪農家哭く 」
 
朝日歌壇から 白河市 舟部さん
 
 被災地の苦闘を余所に、政争に明け暮れた月始め霞ヶ関。もう、どこが「国民の意思」(谷垣さん)や?そんなコトする時間とパワーを一致して被災地に向けよ、というのが国民に本心では?
 
 したり顔に、国民の意志とか、府民のとか使って欲しくありません。
 
 来週また救援バザーをやりますが、職員以外のこのHPの読者の方からも物品提供をいただきました。ありがとうございました。
 
 最近復活の元グラビアアイドルにしてタレントの岡本夏生さん、めちゃハイテンションで、壊れるんちゃうか、と心配。ある日突然仕事が来なくなって10年。原因は自分の慢心にあったと自戒してたけど・・・。
 
 昨日の夕刊で、女優の高木澪さんが復活のニュース。こちらは「片側顔面痙攣」という病気だったんだ。顔の痙攣は女優業には致命傷、2003年、芸能界から身を引きビルやパチンコ店の清掃アルバイトなどをしていたらしい。病気が治癒したらしい。歌も歌える雰囲気ある人です。がんばってほしい。
 
 祖母の33回忌の日程が決まる。7月中旬。亡くなって32年、もうそんなになるんだ。可愛がってもらった懐かしい祖母で、面影は今も鮮やかですが、息子達はもちろん顔も名前も知りません(上の息子は死に顔には対面できたけど、なんせ生後4ヶ月、憶えているはずもありませんー苦笑)。
 
 中間考査中。問題作製、印刷、採点、成績処理・・・と昨年度までと同じような気のはる作業が続きますが、今年度は、これまでと全然違って余裕があります。勤務日が減り、担任の仕事がないことがこれほど大きいとは・・・。(もちろん、給料も半分以下になってしまいましたが・・・苦笑)。
 今日は出勤日ではありません。採点が終わったので、昼間から大阪市内をぶらぶら(こんなことがしたかったのです!)、夜には同僚の歓送迎会に出席します。
 
2011年6月1日
 
 「 フクシマの ニュースに戦く我もまた 火遊び覚えし 猿の裔なり 」
 
朝日歌壇より 東京都 谷田さん
 
 とんでもない火遊びを覚えてしまったものです。ここらで、見直さなければと思うけれど、まだまだ推進しようというアホがいる。疑念を表明すれば、バッシングを受ける。世論とはまた別のベクトルが動いているようです。同僚のブログによると、自身のブログで原発反対の意思表示をした俳優の山本太郎さんが干されているというーなんということ!
 
 就職状況の打開の為?の会社訪問。東大阪の会社へ新任の先生(24才。息子よりはるかにお若い!)と一緒にお邪魔する。3年前にこの会社に入った卒業生とも会えてよかった。でも、どこも厳しいことを痛感。
 
 最近読んだ本
 
「 この町の人 」 平岩弓枝
 
 東京下町の人情話。描かれた登場人物の個性が際だっており、これってテレビのホームドラマの形?と思いつつ読んだら、やはり昭和50年放映のテレビドラマの脚本の小説化でした。但し、後書きのシナリオと比べてみると、やはりセリフを抑え、小説としてやや誇張はあるが、うまく描かれている。平岩さんの器用さに感嘆。
 大阪育ちの下町の質屋のおっせかいでお人好しの未亡人。そこに下宿するヤモメの男友達、その家に出入りするさまざまな人物群。甘さを抑え、庶民のさりげない人生の悲哀を丁寧に綴る。
 
 テレビのキャストを見ると、主人公にミヤコ蝶々、男友達に西村晃、男友達の戦友に森繁久弥、店に出入りする若者に緒方拳、家政婦、実は山の手の奥さんに杉村春子、義理の娘に三田佳子、なんという豪華な顔ぶれ。ドラマは好評だったようですが(当然!)私に見た記憶がないのは、この時期、学生時代で下宿にテレビがなかったのです(苦笑)。それにしても、キャストのほとんどが物故者というのは・・溜め息。




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