Kan-Kan の雑記帳


2011年7月30日
 
「 渡り懸けて 藻の花のぞく 流哉(ながれかな) 」 凡兆
 
 爽やかで好きな句です。芭蕉の高弟として勢いを誇ったのに、なぜか突然罪を得て、保釈後、すーっと消えていった不思議な俳人。
 
 世界水泳、200メートル平泳、北島選手、力泳でした。
 
 28日の進学講習、2名でした。でも、そのふたりが一生懸命やっていたのでよし。砂に沁み込むように理解が深まってゆきます。これが教える喜び。
 
最近見た映画
 
「 台北に舞う雪 」 

原題: SNOWFALL IN TAIPEI/台北飄雪

製作年度: 2009年

製作国・地域: 中国/日本/香港/台湾   上映時間: 103分

解説: 『山の郵便配達』などで知られる中国の名匠フォ・ジェンチイ監督が手掛ける切ないラブストーリー。台湾北部の小さな町を舞台に、互いに惹(ひ)かれ合いながらもすれ違っていく若者たちの淡い恋模様を繊細に描く。

 主演は、日本のドラマや映画でも活躍する台湾の人気俳優チェン・ボーリン。ヒロインにはチャン・ツィイーに続く才能として注目される新進女優トン・ヤオがふんするほか、『夢遊ハワイ』のトニー・ヤンらアジア期待の若手俳優が競演している。

あらすじ: 新作発表直前に突然声が出なくなった新人歌手のメイ(トン・ヤオ)は、誰にも告げずに台北から姿を消す。たどり着いた小さな田舎町で、メイは孤児として育った青年モウ(チェン・ボーリン)と出会い、彼と共に過ごすうちに元気を取り戻していく。

 一方、モウはメイが台北に残してきた気持ちに気づきながら、彼女への思いを静かに募らせるが……。

 純愛映画の定石をきちんと踏まえながら飽きさせない演出、演技が見事でした。台北北部の小さな町の自然、風俗を美しく描き、若い演技者たちが脇役を含め、イキイキと動いている。朴訥な地方の青年を演じるチェン・ボーリンがいい。トン・ヤオは確かにチャン・ツィイーに似ています。

 ネタばれになりますが、最後にきちんと「雪」が舞うのです。その脚本もうまい。最近行った青島がこの舞台の町の対極として描かれているのも、個人的にはうれしい。

 小さな橋、味わいのある喫茶店、満月に向かって上ってゆく風船、道具立てがきちんと活きています。お約束のきれいなエンディング。気持ちのよい余韻ある映画です。

最近心に残った言葉

小松左京さんの最後の言葉ー読売新聞より

「今は大変な時期だが、必ず乗りこえられる。この先、日本は必ずユートピアを実現できる。日本と日本人を信じている」

 その信頼に応えられるか・・・。日本の正念場です。

ナチの収容所を生き抜いたビクトール・フランクル医師の言葉から

「 人生に期待するのではなく、人生の期待を理解あすること・・・どんなことがまだ自分を待ちかまえているかは、だれにもわからない。どのような重大な時間が、唯一の行動をするどのような一回きりの機会が、まだ自分を待ち受けているか、だれにもわからないのです」

そう、それが人生の醍醐味なのでしょう。生き抜かなければ。

 全日本選手権5連覇、卓球の天才と言われる水谷選手(22才)ー震災被災地の卓球少年たちを励ましていることに対してのインタビユーに応えて

 「じゃあ、がんばって僕みたいになってほしいとは言えない。・・・中学から高校時代、僕には卓球以外の思い出がないのです。みんな学校生活でいろんな思い出を作りますよね。卓球しかなかった僕は、その時代にしか得られないものを失ったのです。これは、今からどうあがいても、取り戻せない。・・・努力や犠牲が報われるとは限らない紙一重の世界で生きているから、これで正しかったと言いきれる日は来ないのかもしれません」

 正直で、いい発言だと思います。世界水泳でも100分の数秒で厳しい選別が待っています。

 それにしても、男子800メートルフリーのリレー.決勝のアンカーで、奥村選手が泳いでいたのに感慨がありました。彼が小学生の頃、富田林のスイミングスクールで私の泳いでいた大人のコースの隣の養成コースで練習していたのです。嬉しく、懐かしい。

 


2011年7月29日

「 死火山の 膚つめたくて 草いちご 」 飯田 蛇笏

中国リポート 2

 元々は、いつの話か憶えていませんが、退職記念に泰山に登りたいなあ、よっしゃ、付き合うわ、という酒の上の話のノリから始まったことです。いつもの3人の酒飲み仲間AND旅行仲間。このメンバーでの中国旅行は3度目、昨年来の日中間のごたごたもあって、ちょっと腰が引けていたのですが、約束は守るべし、と幹事役の友人が四月からプランを考えてくれていたのです。

ところが、私の都合―息子の結婚やら親の介護の為の帰省やらで日程が取りにくい上に、泰山へ行くツアーがなかなか成立しないという問題があり、やっと14人でツアーが成立したという知らせが入ったのは5月末でした。出発は金曜日、帰着は月曜日。ちょうど授業に穴を開けなくて済む。青州(よく知りませんでした)、泰山(これが眼目)、曲阜(きょくふー孔子縁の地)、青島(ドイツ租界があって、ビールがおいしい港町としか知らない)を巡る、3泊4日で交通費、宿泊費いろいろ合わせて6万。濃い中味の割に安いやん!ということで決定。

本来、青島は考えていませんでした。青州近くに国際空港もありますし、青島に寄ると一気に走行距離が増えます。でも、青島が行程に入ったことでツアーが成立したことも事実です。

というわけで、7月8日、金曜日朝8時半、関空に集合。月曜からこの日に備えて禁酒していた私は、友人と落ち合うなり、まずプレミアムビール500ミリで乾杯。一気に飲み干す。前夜まで仕事に追われていたので、ものすごい解放感。出国手続きを終えて、ロビーのカフェでまた乾杯。機内でもビールとワインと日本酒で盛り上がる。座席の関係で外が見られなかったのですが、よい天気だったみたい。

3時間のフライトで青島へ。それからバスでまた3時間かけて青州へ。山東半島を西に走るのですが、バスはオンボロ(途中で2回エンジントラブル、最後は後ろのトランクを開けて走行)で、まっすぐ伸びた高速道路をひた走る。座席は硬い。すごいのは道路脇に延々と続く高いポプラ並木。目隠しというより防風林?その隙間から見えるのはひろびろとした緑の田園風景。

日本と違うのは地平線が見え、村が少なく、田舎道もまっすぐ果てしなく続いているということ。たまに見かける人はどこへ帰ってゆくのだろう。ガイドさんは山東省は中国でも人口密度が高い地域だと言うが、どこが!?今まで行った中国は中部、北部が多くて、これだけ緑が多いというのは新鮮でした。水も豊か。溜め池で素裸で青年が泳いでいる、山羊を追いつつ、木陰でタバコを喫っている老人がいる。たまさか、街に入るととたんに工場が増え、スモッグが空を覆い、街を抜けると、またのどかな青空と緑。

 青州に入る。このあたりは3方を山に囲まれ、残る一方北側は天井川の黄河の下流に当たり、水の豊かな地。地名の由来は、4,5千年昔、黄河流域の9つの部族が共同して治水に当たろうと会合をしたとき、上流の部族から見たら、この地は青いイメージで捉えられたことによるらしい。今は高層ビルが立ち並ぶ近代都市の風情。

  まずは青州博物館へ。広い中庭を持つ趣ある建物。でも、展示品は多くない。ここで考古学者の夏先生が待っていてくれる。博物館は4時まででしたが、エンジントラブルなどでバスが遅れて4時15分到着。それでも日本人ツアーの強み?特別扱いをして入れてくださる。夏先生はもう80代?本来は土族だったのそうです。北京の大学で考古学を学び、この地に調査に来て、漢族の娘さんと恋に落ち、この地に住み着き発掘を続けたのだそうです。その大成果が近年、脚光を浴びたという(知りませんでしたー苦笑)龍興寺跡から見つかったという青州仏なのだそうです。

博物館の西のベランダから、あそこで発見したのです、と指差された先は、となりの学校のグラウンドの隅の3本ある柳の木の下あたり。この博物館との境の塀の工事の時、見つかったらしい。

ここがかつての龍興寺の跡なんだ。あの天台宗三代目座主、慈覚大師が留学訪れたという寺は(ここで、突然、慈覚大師は山寺―山形県の立石寺の開祖でもあったことを思い出しー奥の細道の一節を唱え―ツアー一同からどういう酔っぱらいやと怪しまれるー苦笑)。グラウンドでは学生たちがサッカーに興じている。彼らはこの地の由来を知っているのかしらん?

で、肝心の仏さまは?

ここにはありまへん。

なんやそれ?

昨年、できたばかりの山東博物館に出張展示しています。明日、ゆきます。

それにしても、この地にも、まだまだ凄いものが眠っているのでしょうね。

ゆく人ーどちらも毎日新聞の記事から
 
伊良部秀輝さん42歳 自殺 元ヤンキース投手
 
 【サンフランシスコ堀山明子、ニューヨーク小坂大】米大リーグ・ヤンキースや日本プロ野球の阪神、ロッテなどで投手として活躍して日米通算106勝を挙げた伊良部秀輝(いらぶ・ひでき)さんが米カリフォルニア州ロサンゼルス近郊の自宅で亡くなったことが28日、わかった。42歳だった。地元警察などによると、遺体は27日夕に発見され、首をつって自殺したとみられている。

 伊良部さんは兵庫県出身。香川・尽誠学園高から1988年ドラフト1位指名でロッテに入団し、日本最速(当時)の158キロの速球を武器に最多勝(94年)、最多奪三振(94、95年)のタイトルを獲得するなど活躍した。97年に大リーグ・ヤンキースに移籍。エクスポズ(現ナショナルズ)、レンジャーズでプレーしたのち、03年に阪神に入団して日本球界復帰。03年のリーグ優勝に貢献したが、04年に戦力外となり現役引退した。通算成績は、日本が72勝69敗11セーブ、大リーグは34勝35敗16セーブ。

 引退後は08年8月に大阪市内の飲食店で酒に酔って暴れて暴行容疑で現行犯逮捕された。09年に米独立リーグで現役復帰し、日本の独立リーグでもプレーしたが、昨年1月に自身のブログで2度目の引退を表明していた。また、昨年5月にはロサンゼルス近郊で飲酒運転の疑いで逮捕されていた。
 かつて、藤井寺球場で見ました。大きく、迫力あったなあ。兵庫出身とありましたが、沖縄出身と思い込んでいました。晩年(と言っても若い!)はいろいろスキャンダルがあって・・・。アメリカでうどん屋をやっていると聞きましたが、高校時代(尽誠学園高)を過ごした香川への思いと縁があったのでしょうか?

小松左京さん死去、80歳…「日本沈没」の作家

 SF作家の草分けで、「日本沈没」など都市文明を風刺した作品や未来学、文明批評、万国博覧会などで幅広く活躍した作家、小松左京(こまつ・さきょう、本名・小松実=こまつ・みのる)さんが26日に大阪府箕面市の病院で肺炎で死去していたことが28日、分かった。80歳。葬儀は親族による密葬で済ませた。

 1931年1月、大阪市生まれ。京都大学文学部イタリア文学科卒。一貫して「人類と文明」をテーマに膨大な作品を書き続け、73年に「日本沈没」で日本推理作家協会賞、85年に「首都消失」で日本SF大賞を受賞した。特に「日本沈没」は、当時の公害問題や石油危機などの社会不安を反映してミリオンセラーになり、映画やドラマにもなった。70年の日本万国博覧会(大阪万博)ではテーマ館のサブテーマ委員、90年の「国際花と緑の博覧会」では総合プロデューサーを務めた。

 博覧強記、時代を見据えた眼と行動力を持つ、しかも、気持ちのいい大阪のおっちゃんでした。田辺聖子さんも悲しんではるやろなあ。

2011年7月27日

 

「 蛸壺や はかなき夢を 夏の月 」 芭蕉

 

 

やっと進学講習にも慣れてきました。参加者希望者8名中5名(ちなみに全校でですー苦笑)

 

最近見た映画

 

「コクリコ坂から」

 

解説: 『ゲド戦記』以来、宮崎吾朗が約5年ぶりに演出を手掛けるファンタジックな要素を排したスタジオジブリ作品。16歳の少女と17歳の少年の愛と友情のドラマと、由緒ある建物をめぐる紛争を軸に、真っすぐに生きる高校生たちの青春をさわやかに描いていく。

 

 主人公となる少年少女の声を担当するのは、長澤まさみと岡田准一。企画・脚本は宮崎駿。さまざまな価値観が交錯する戦後の高度成長期を背景に、現代を生きることの意味を見つめていくストーリーが感動を呼ぶ。

 

あらすじ: 東京オリンピックの開催を目前に控える日本。横浜のある高校では、明治時代に建てられた由緒ある建物を取り壊すべきか、保存すべきかで論争が起きていた。

 高校生の海と俊は、そんな事件の中で出会い、心を通わせるようになる。

 

清水節さんの映画評

「コクリコ坂から」団塊世代の青春ドラマからは、ジブリの現在を描く裏テーマが読み取れる

 メトロノームが刻むリズムが規則正しい朝の始まりを告げ、ヒロインのてきぱきとした所作から昭和38年の倹(つま)しい暮らしぶりが立ち現れる。横浜港を見下ろす丘で、高2の少女は日々たゆまず、航海を案じ信号旗を揚げている。それは、船乗りだった亡き父への思慕であり、少年との運命的な出会いを生むきっかけともなる。 

 2つの軸がある。ロマンスを阻む出生の秘密と、高校文化部の老朽化した建物“カルチェラタン”の取り壊しを阻止する学園闘争。父親である宮崎駿の企画・脚本による古めかしいプロットに困惑しつつも、宮崎吾朗監督は坂のある街の高低差を生かし、テンポで見せる。恋の駆け引きからは機微を一切捨象し、時代感覚を際立たせるが、アニメーションならではの快楽への昇華には到らない。

 表向きは、希望のあった時代の前向きな青春の姿だ。ただし横浜という舞台には、少女の境遇を形成した朝鮮戦争の記憶が込められた。父の命を奪った特需の時代こそが、現代日本のルーツであるという重層構造は示唆に富んでいる。

 しかし、演出家の立ち位置が見えてこない。 戦前生まれが描く団塊世代の青春を、高度経済成長の恩恵に浴して生を受けた世代が撮るという「屈折」から、読み取るべきものは何か。闘争のゆくえを握る学園理事長の容姿と言動は、ジブリ創設者・徳間康快そのもの。そう、カルチェラタンとはジブリであり、血をめぐる彷徨は監督自身の自分探しに違いない。

 あぶり出されるのは、興味深い裏テーマだ。「ゲド戦記」で父殺しを試みた吾朗にとって本作は、父を受け容れ、ジブリの礎を確認して、自らの宿命を悟るプロセスでもあるのだろう。

私の感想

 清水さんの評は、映画を見た後、読みましたが、穿った見方で面白い。そうか、カルチェラタン(本来はいわゆるパリの学生区ですね)はジブリだったのか!?

『ゲド戦記』がイマイチだったので、それほど期待しないで見ました。その分、さらっと気持ちよく見られたのですが・・・、見終わった後に余韻が残らないのですね。さらっとして飲みやすいが、深みとコクのない酒みたい。

東京オリンピック前夜の横浜、そして東京が描かれますが、さすがに映像は美しい。緑滴る岡の上の家の描写も細かく、懐かしく、きれいです。しかし、その分、人物が描かれていません。主人公の二人はあまりにまっすぐ、素直でいい子。周囲の人物も同じ、悪人を作り出す必要はありませんが、もっと個性を際立たせてほしい。主人公の家の下宿人たちのおもしろいはずのキャラクターが掘り下げられません。その分、ドラマが薄くなりました。

大人たちも、ものわかりのよいいい人ばかりで、学園理事長に至っては、最後に英断?を下し、生徒会長から「閣下」と呼ばれる始末(なるほど「徳間」さんか!)。鼻白みます。高度成長に入る時期の日本社会の勢いは見えますが、そこにはもう矛盾や問題が孕んでいたはずです。学園内の問題も同じ、どこかに現代からの鋭い視点があってこそ、こういうドラマは活きるのです。折角の「上を向いて歩こう」の使われ方もイマイチでした。

私よりもうちょっと上、いわゆる団塊の世代の人々の琴線をきちんとくすぐって、ある程度の評価は得るのでしょう。美しい映像で見て損はありませんが・・・。

2011年7月26日
 
「 黄亀子(こがねむし) 擲(なげう)つ闇の 深さかな 」 高浜 虚子
 
 この雰囲気。よくわかります。田舎の闇の大きさ、深さ。黄亀子の小ささが活きます。
 
 マンションの廊下に仰向きになって藻掻いている、あるいはじっとしている黄亀子を毎日見かけます。拾い上げては外に投げて遣る。大概落ちつつ体勢を立て直して飛んで行くのですが、10匹に1匹くらいはそのまま墜ちて行ってしまいます・・・。弱っているのは投げないで、手摺りに乗っけてやればいいと気づきました。この句のように、家の中に入ってくるのはこのようにするしかありませんが。
 
 マンション上階のわが家のベランダにも、偶に風に乗って蝉がやってる。逃がしてやろうとしてもまた戻ってきてコンクリートの壁にしがみついている。このまままでは餓死してまうで、と仕方なくエレベーターで持って降りて、近くの木に止まらせてやる。子供の頃、昆虫採集などで沢山殺してしまった罪滅ぼしをしている気分です。
 
 中国リポート 1
 
 先日事故を起こした杭州からの高速鉄道は、3年前に乗りました。その時のHPにも記しましたが、駅舎も車体もピカピカなのに、改札がいい加減だったり、車体の一部にガムテープが貼ってあったりと、妙にちぐはぐな感じがしたことを憶えています。事故は落雷が原因と言われていますが、その後の処置も迷走しているようですね。
 
 今回、青州に寄ったので、北京から上海に向かう新幹線を見ることが出来ました。 高速道路を走るバスでクロスしたり併走したりしたのですが、疾走する姿は、やはり日本の新幹線にそっくり。
 
 ガイドさんも「微妙な問題ですね」と苦笑、「碌に試運転しないで営業開始を急いだ」「よく落雷で遅れるが、謝罪も、日本の新幹線のようにな払い戻しもない」「乗客の不満が溜まっていて、裁判になるかも」と、かなり批判的な口調でした。
 
 そのような言い方は、前回まではなく、逆に、オリンピック、万博を経て、人民の中に余裕が出来てきた証拠かなと感じたのですが・・・。
 
 それにしても、鉄道以外でも感じましたが、工事の速さ。思えばすべて国有地。用地買収の手間が掛からないのですね。
 
 
 
2011年7月25日
 
「 遠花火 寂寥水の 如くなり 」 富安 風生
 
 マンションの通路からも遠くに天神祭の花火が見えます。数年前に見に行って、帰りがとても大変だったので、今年は家でテレビ大阪の中継で楽しみました。花火も鵜飼いも賑やかな分だけ、後が寂しい。遠花火は音も聞こえず、美しいけれど、始めから寂しい(笑)。
 
 赤い頭巾の願人(がんじん)6人の打つ催し太鼓がいいなあ。願人の表情も。どうみてもあの衣装は外来のもの。祇園祭もそうですが、国際的な香りがします。
 
 どんどこ舟も勢いがあっていい。水に映る篝火や飾られた船もきれいです。どんどこ舟は子供のものあります。そして列外船として自由に漕ぎ廻っているのも、そのシステムもいい。
 
 花火三千発は他の大会と比べて、高度が低いのでより迫力あり。
 
 舟にも乗りたいけれど、いつか、桜の宮、帝国ホテルに泊まって、目の下の船渡御と目の前の花火を見るのも夢のひとつです。
 
 進学講習の予習をしています。大学入試問題を解くのは頭の体操になるけど、久しぶりなので、慣れなくて悩ましい(苦笑)。明日の問題文は評論「暴走する脳科学」から。
 
 「知覚・認識は拡張した心の本質的な働きである。自由は、自分を情報による成長へと開いている者のみが持ちうる性質である」 なんじゃそれ?(笑)もっと簡明に書いてくれ!
 
 
 
2011年7月23日
 
「 濁流に 三人(みたり)の子らを 救ひたまふ 野武士のごとき 眼の潜水夫 」
 
 朝日歌壇から 多賀城市 須田さん
 
まだまだ、捜索作業は今日も続いているのです。
 
バザーで残った品物の行商も一段落。改めて、支援の方法を考えます。
 
 世界のあちこちを見られるテレビの有り難さ。深夜にBSで見た旅番組のスベロニア特集にこころ惹かれました。小さな港町「ペラン」の夕陽の美しさ。山中の湖「ブレッド」に浮かぶ小島の教会、手漕ぎの船で渡ると、島の頂上にある教会まで白い階段がある。そこを花嫁を抱いて登る花婿(しんどそう!)。
 
 世界にはまだまだ行ってみたい、知らない国がいっぱいあるなあ。
 
 最近読んだ本
 
「 老嬢は今日も上機嫌 」 吉行 和子
 
 ベテラン女優の、一編ずつが非常に短くて読みやすいエッセイ。父、兄、妹はいずれも作家、母親は日本初にして現役の美容師。家族の思いでだけでも語ることがいっぱいあるのに、さらっと流して前を向いている。
 
 舞台に掛ける情熱も暑苦しくなく、好奇心に動かされ、つい首を突っ込んでしまうという雰囲気がいい!
 
 「老嬢」自分自身と母親を指していたのでした。カバー写真が美しい。
 
最近気になった記事
 
週刊朝日の田原総一朗さんのエッセイから
 
 自民党はおそらく民主党との連立には乗らないであろう。連立に乗るということは、民主党を助けて東日本大震災の復旧・復興を促進させることであり、成果が上がれば民主党の支持率が高まり、きたるべき総選挙で民主党が有利になるからだ。間違っても民主党が有利になるような手助けはしたくないというのが、自民党の本音である。
 
 となると、菅首相を辞めさせて事態が好転する見通しは、いったいどこにあるのだろうか。大騒ぎをした挙げ句、ただ首相が代わっただけで状況はまったく変わらないというころになりはしないか。(中略) だんだん、わけがわからなくなってきている。
 
 ベテラン政治評論家もお手上げ?首相はとっくに辞意表明をした上で、しかも辞めようとしない。内閣はすでに「死に体」のまま迷走。昨日夕刊では高校無償化見直し論も。いずれこうなるとは思ったけれど・・・。
 
 
2011年7月21日
 
 「 水すまし 水に跳ねて 水鉄の如し 」 村上 鬼城
 
 阿部野橋ターミナルビルタワー、現在80メートル。16階部分を建設中。まだエレベーターはなく、梯子で上り下りし
ているそうです。ただし上にもトイレはあるとのこと。完成予定は14年の春。
 
 今日は、松原から徒歩で通勤。この地区はゴミ出しの日らしく、各家庭の前にポリ袋が出ている。でも、それを勝手に開けて、空き缶を探している人がいる。この業界?も大変ときくけれど、これは軽犯罪では?ますます厳しい社会情勢が深まっているようです。
 
 夏の講習が始まったけれど、出席率悪し。人数は少ないのに疲れる。
 
 就職指導、面接指導も大変。言葉遣いを指摘すると、敬語は使ったことないし、今後も使うつもりないとほざくヤツがいるらしい。絶対ダメ。幼稚園からやり直す必要あり。
 
 さらに厳しい状況が次々明らかに。この就職氷河期に東北から千人単位で京阪神受験にきはるという話。確かに今、東北に求人はないだろうし、企業も受け入れに前向き。とすれば、弾き出されるのはやはり、うちのような生徒達?溜め息・・・。
 
 なでしこジャパン、佐々木監督の言葉から
 
 「宝くじは買わないと当たらない。シュートは撃たないとゴールに繋がらない。宝くじシュートを撃て!」
 
わかりやすい。ほぼ、ラストパスまで行って、シュートが撃てないと見ていていらいらします。
 
技術が進みすぎて?わざと倒れたり、痛がったり・・そんな男子のプレーを多く見てきたので、女子サッカーの試合は新鮮な驚きがありました。大会でチームとしてフェアプレー賞を貰ったのもすばらしい。
 
 日本チーム、帰りの飛行機もエコノミークラスと聞きましたが、誰かが気を遣ってビジネスくらいに変更してあげたかなあ?試合後1時間ほども眠れず、その足で帰国という強行軍。そして今日からもう各チームで練習してはる。タフです。アルバイトをしている人も多いらしい。一時のブームでなく、いい意味で長い目で環境改善されるといいけれど。
 
ハワイリポート おまけ
 
 やはり、憧れのホテルの話も。シェラトンは一流かもしれないけれど、巨大過ぎて、やはりワイキキビーチでは邪魔だと思いました。超一流というべきは、その東隣にあるピンクのロイヤル・ハワイアン、その隣のモアナ・サーフライダー(こちらは貴婦人と呼ばれる白い造り)、そして西隣のハレクラニ。いずれもこじんまりとして上品なイメージ。一泊くらいしてみたい。
 
 モアナ・サーフライダーの朝食に行きましたが、流石ハイブローな雰囲気でした。バイキングなのに、気取って?ちょこっとしか食べない人も結構いる(私たちはもちろんガッツリー苦笑)。それにしても、野菜が少ないのは残念でした。
 
 上の息子の勤務するホテルの系列店がマウイ島にあるというので、日帰りで見学に行って来た彼らの報告。オアフ島と全然違って、こじんまりとして人も少なく、落ち着いていいビーチだそうです。これも今後の宿題。
 
 でも、次回も、あちこち行くより、やはりもっと気楽なホテルで窓を開け放して、風に吹かれ、ひたすら眠り続けたいというのが夫婦の一致点でした(笑)。
 
 でも、四国の海で妥協するかも・・・苦笑。
 
 折角、買い換えた海外使用できる携帯も、日本との送受信に費用が掛かることが判明。結局、使用せず、現地でそれぞれの家族分の携帯をレンタルしたのは、なんだか損した気分。1週間後の中国旅行でも新しい携帯は使いませんでした。
 
 いくら日本語が通じるといっても、やはり細かい部分(レストランの予約、交渉など)では上の息子の世話になりました。悔しい。改めて、英語、勉強しよう!
 
 最近読んだ本
 
「 SLY(スライ) 」 吉本 ばなな
 
 以前の恋人喬からHIVボジティブであることをうち明けられた清瀬は混乱する。同じく喬の恋人でもあった日出夫の誘いで3人でエジプトにゆくことになる。
 
 まだ、神が存在するところ、エジプトの遺跡の空気をすくい取り、ナイル下りの描写が美しい。作者の好奇心溢れる目が、絶望から再生への友情の変遷をシャープに捉える。
 バリに引き続いての取材旅行報告のおまけも楽しいが、作品の余韻を妨げるので、これは別バージョンで読ませるべきと思いました。
 
 
2011年7月20日
 
「 鮎くれて よらで過ぎゆく 夜半の門 」 蕪村
 
好きな句です。釣った鮎を届けて、さっと去ってゆく友人。上がり込んで自慢話などしません。こちらも引き留めもしません。こんな交友の在り方、理想です。
 
 遅い初蝉。月曜に帰阪した朝聴きました。台風(休校になって、来月、振替授業)も過ぎ、21日から夏休み。で、講習が始まります。でも、気分的には一段落。
 
ゆく人
 
原田芳雄さん
 
ネット記事から引用
 
映画「竜馬暗殺」「ツィゴイネルワイゼン」など個性的でワイルドな演技で知られたベテラン俳優、原田芳雄(はらだ・よしお)さんが19日午前9時35分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。71歳だった。今月11日に主演映画「大鹿村騒動記」(阪本順治監督)のプレミア試写会に車イス姿で参加し、病状が心配されていた。葬儀・告別式の日取りは未定。

 最後の主演作となってしまった16日公開の「大鹿村騒動記」は、長野県の村歌舞伎を自らテーマに選び、病をおして撮り終えた。周囲からは「無理をしないように」と言われたが、自らアピールしたかった原田さんは、娘に車イスを押されて11日の試写会に登壇した。

 髪は短くし体もやせ細って別人のような姿に、スタッフは息をのんだ。声が出にくいため、共演の石橋蓮司(69)が「今日はどうもありがとうございます。どうぞ、ごゆっくりご覧ください」とメッセージを代読。観客から拍手があがると、自らの寿命を悟っていたのか原田さんはポロポロと涙をこぼして手で拭った。隣の佐藤浩市(50)は、天を仰ぐように涙をこらえた。

 原田さんにとって、公の場は、5月4日に映画の舞台、長野・大鹿村で行われた完成披露試写会以来。このときは、元気に歩いてあいさつしていたというから、わずか2カ月の間に急激に病魔が襲ったことになる。

 病状については、腸閉塞と誤嚥(ごえん)性肺炎を併発し、腰痛を伴う持病の腰部脊柱管狭窄症の悪化−と発表されていた。原田さんは2008年に早期の大腸がんが発見され、手術していったんは克服。俳優活動を続けてきた。阪本監督によると、プレミア試写会の楽屋では当人が「必ず戻ってくるからな」などと復帰に意欲を見せていたという。

【“アナーキーな個性派”の地位確立】

 原田さんは、1940年2月29日、東京都足立区生まれ。66年、第15期生として俳優座養成所を卒業し、俳優座に入団、翌年、「どれい狩り」で初舞台。68年、同年松竹「復讐の歌が聞える」の主人公役で映画デビューを果たし、翌年、清水邦夫脚本の「狂犬なおもて往生をとぐ」の主役に抜擢され一躍人気俳優となった。

 その後は、純朴な青年風からワイルドなアウトロー風へとイメージチェンジし、日活ニューアクション「反逆のメロディー」「新宿アウトロー・ぶっ飛ばせ」のほか、「八月の濡れた砂」「赤い鳥逃げた?」「竜馬暗殺」などに主演。圧倒的な存在感と演技力でアナーキーな個性派俳優としての地位を確立した。

 71年、俳優座の体質を批判し、市原悦子、菅貫太郎、中村敦夫らとともに退団。テレビドラマにも活躍の場を広げつつ、75年には「田園に死す」「祭りの準備」でキネマ旬報とブルーリボンの助演男優賞を受賞し、日本を代表する映画俳優の座を不動のものとした。100本を超える映画に主演し、数多くの映画賞を受賞するかたわら、2003年には、紫綬褒章を受章していた。
 
 記事の最後の紫綬褒章というのが原田さんらしくないけど、ま、いいか。個人的には、「八月の濡れた砂」、「祭りの準備」、そしてドラマの「火の魚」が印象に残っています。
 
 でも、もし71年に俳優座を退団していなければ、どうだったんだろう?市原さんにしても、小川真由美さんにしても映像の世界でも成功したけれど、日本の舞台はあの時代、多くの名優を失ったんだなあ。
 
 大関魁皇関引退。ご苦労様でした。これで日本人の大関以上はいなくなったのですね。「国技の国際化」?としてはこれでいいのかも。
 
 河内長野の山間の実家で療養中の友人に会いに行く。緑滴る環境、稲がすこやかに伸びています。80才のお父さんが6反の田を守ってはる。腰痛だそうで心配。蝉がしきりに鳴いていました。
 
 
2011年7月18日
 
 「なでしこジャパン」の健闘を讃えようと思っていましたら、なんと優勝!正直、嬉しいサプライズでした。
 
 祖母の33回忌の法要を済ませ、片づけ、決算を終えて、夜、母を施設に送って、そのまま東予港からフェリーに乗りました。今回は嫁ハンも一緒だったので、車で帰省、荷造りも、移動も楽でした。施設の時間の関係で、早めに家を出たので、2時間、港で待ち時間があったのですが、丁度、壬生川(にゅうがわ)町の夏祭り。入り江越しに上がる花火をたっぷり観賞できて、儲けモンでした。たっぷり1時間余り、PL花火のややミニ版という感じで、個々の花火も凝っていて、スケールもなかなか大きい。海面に映るのでより美しい。でも、フェリー岸壁からの見物はわずか5名ほどでした。
 
 実はその前日も、故郷の町、菊間の花火を観たのです。法要前夜の念仏を終え、田舎の家とはいえ、10名を越える宿泊は手狭なので、身軽な我々夫婦が隣町、北条の温泉の付いた宿泊施設を抑えたのです。みんなからは感謝され、申し訳ないと言われましたが、疲れていた身には却ってありがたい(笑)。その道中、町へ降りると、ドンドンと腹に響く音。築港の傍を通ると夜空に大輪の花火。そういえば、夏祭りのチラシを観た記憶がありますが、法要の準備に追われて忘れていました。
 
 頭の上で開花、直後に大音響。こういうのは久しぶり。車を道端に停めて嫁ハンとしばし観賞。次々上がらないので、じっくりたっぷり味わえる。花火と花火の間に、余韻と期待がある。これが本来の花火ではないか。あとでチラシを読み返すと、「豪華300発」とありました(PL花火は10万発)が、充分楽しみました。こちらも観客が少ないのがもったいない(苦笑)。
 
 温泉付き宿泊施設は前にも泊まったことがあるのですが、今回も大正解。高い天井の広い部屋。6畳ほどのテレビ付き浴室。卵形の大きなバスタブにたっぷり湯を張り、手足を伸ばしてもまだ余裕あり。窓の外は海。
 
 爆睡して翌朝、もいちど入浴。窓の外は快晴、椰子の木が3本、そして目の前の瀬戸内海の三角形の島が浮かぶ。あれはダイヤモンドヘッド?実は鹿島。これはミニハワイではないか!先月ハワイに嵌ったはずなのに、ここもええなあ、と節操のないこと。何と言ってもこの環境で二人で9,900円!シャワートイレもあちこちに完備。施設はシェラトンより上です。皆さん、「コスタ北条」、お薦めです。
 
 すっかり脱線してしまいました。帰省疲れとしては過去最高。フェリーに乗るやいなや風呂に入る余裕もなく寝入ってしまいました。
 
 目が覚めたのが午前3時過ぎ。トイレに行くと、ふたつある休憩室にぼちぼち人の姿が見える。サッカーワールドカップ、日本、アメリカの決勝が始まったのです。マッサージ機に揺られながら観戦。嫁ハンも起きてくる。後半、先取点を取られた時点で、ようがんばったねと風呂に向かう。帰宅したらHPで「なでしこジャパン」の健闘を讃えよう、と思いつつ、ゆっくり浸かって上がってくるとまだやってました。1−1だって!?それから更に人が集まって来て、スポーツバーの風情。南港に着いても延長戦は続いています。
 
 阪神高速を走行しつつカーラジオを付けるといつも聴いている「コミヤサン」がパーソナリティの番組。いつものコーナーはすべてぶっ飛んで、テレビを観つつ実況中で、あ、放送権はありませんから、これは噂を聞いた感想です、と笑わせつつ素直に興奮してゆのがおもしろい。あれよあれよという間に優勝してしまう。
 
 帰宅してテレビに齧り付いて映像で確認。PK戦に向かう前の円陣を解く監督の笑顔がいいなあ。表彰式でのお約束の黄金の紙吹雪もキレイ。スローモーションで見てみると、シュートを撃つ選手って、ゴールでなく最後までボールを見ているのですね。ゴールの位置は身体で解っているのでしょう。改めて感心。
 
  午前中休んで、午後天王寺市立美術館へ全関西美術展を見に行きました。彫刻の部、友人、堀の作品は、左足、右手が連なって頭を支える。バランが絶妙。播間さんの女性像は美しい。篆刻にも知人の作品がいくつか。油絵イマイチ、日本画まあまあ、全体に大きなキャンバスを埋め切れていない、パワー不足を感じました。強い作品にはエネルギーを吸い取られるので、いつも駆け足で見るのですが、その足を停めさせる作品が少なかったのが残念です。
 
 でも、今回のなでしこジャパンの活躍が自信と元気を失いつつある日本全体に活を入れてくれるかもしれません。
 
 法要のこと、ハワイリーポートの仕上げ、中国リポートは明日以降にさせていただきます。
 
 
2011年7月14日
 
 今日は巴里祭、そして旧暦6月14日のきれいな月が上ってきました。昼間はかなり強い日射し、中国に行っているあいだに梅雨明けをしていたのでした。
 
 今夜のフェリーで帰省します。祖母の33回忌。「親の33回忌をする不幸」なんていいますが、それは短命の時代の親を早く亡くした場合のこと。うちの祖母は88才まで生き、そして今、両親は90才で健在?です。これは幸せなことなのでしょう。明治生まれの祖母は、床についても最後までトイレに歩いてゆきました(そこで倒れたのですが・・・)。
 
 あと、37回忌とか42回忌、47回忌などといいますが、それはほとんどその前後のご先祖の70回忌とか100回忌とかと一緒に済ませ、独立した法要は33回忌で一段落。祖母方の親戚もこれで遠ざかってゆきます。それでいいのでしょう。
 
 ハワイリポート 番外編
 
 やはりホテルは大事?シェラトンは数千人を超す客を飲み込んで、それでもゆったりのんびりしているのがすごい。
嫁ハンのお気に入りは、1階東側のロビー。薄暗い広間に新聞、パソコン、ビリヤードの台がふたつ。大きな鯉が泳ぎ、睡蓮が咲く小さな池に面して、6台のロッキングチェアが並ぶ、目の前に巨木が聳え、その下の小径が隣のアロハ・ハワイアンホテルに繋がっている。そこのチェアでよく居眠りをしていました。
 
 私はその真上の2階広いベランダがお気に入り。そこが喫煙所。南にカーブして海と、ダイヤモンドヘッドが眺められる。そこでの一服は最高。一日4本くらいすいました(普段は1本)。
 
 
 
2011年7月13日
 
「 我が独房(セル)が いかに閑かな部屋なのか はじめて気が付く くさめしたのち 」
 
朝日歌壇から アメリカ 郷 隼人
 
月一くらいで採用されるこの歌人の歌も楽しみのひとつです。
 
 電話は通じないが、いつもこのHPを見てくれているという従兄弟のKくんへ。
 
 震災で忙しいと思います。飼料という生き物相手の仕事だものね。どうぞ、身体に気を付けて。
 
 17日は祖母ちゃんの33回忌。もし君が参加してくれれば、孫全員が揃います。成田は近いから、もし来れたら来て下さい。僕らは明日夜フェリーに乗ります。
 
 仕事を片づけて、西梅田「サンケイブリーゼ」の「巴里祭」に駆けつける。嫁ハンの出番に間に合う。先日のワンマンライブとまた違った、大きなホールでのコンサート。これもまた違った味わいがありました。
 
最近読んだ本
 
「 バリ夢日記 」 吉本 ばなな
 
 前日書いた「マリカのソファー」の舞台裏というか創作日記のようなもの。バリ島への、編集者、事務所のスタッフとのにぎやかな取材旅行。その中でも、ひとりの時間を大事にし、バリという地の持っている、不思議なパワーをキャッチしようとする、そのひたむきで鋭敏な感性に共感。読んでいて気持ちいい。
 
 ところで、別のエッセイでの、あの京都の旅館への悪口はどうなったの?読む人が読んだら、あれは「嵐山峡温泉」のいけずな仲居さんへの恨み辛みとすぐわかる。あれで、あの温泉はどれだけ客を失ったか?(少なくとも私は行かない)
 
 活字の、飛び交う情報の怖さを自戒しつつ、この文章を読んで素直にバリへ行きたいと思わされた私でした。
 
ハワイリポート 番外編
 
 ハワイの楽しみは「ホテルの部屋で寝ること」と見つけたり。シェラトンホテルへの文句を書いてしまいましたが、いいとこも書き残しておきます。いい景色、気持ちよく通る風。たくさんの小鳥や鳩がベランダにやってきました。気になったのは左足が不自由な番の二羽の鳩。どうしているやろ?
 
 水回りがイマイチ(湯圧が低い)、トイレのドアがええかげんな造り。でもこの苦情は今回の中国行きで撤回。中国はもっとすごい(苦笑)。
 
 それにしても日本の(ホテルの)サービスがすごいのだと思います。中国のホテルのトイレットペーパーは小さくすぐに無くなる、しかもスペアがない。
 
 毎日の気持ちよいシャワートイレで柔になってしまった身体には、海外旅行は辛い。ハワイで思いついたのは、日本の旅行社のサービスラウンジ。探して行ってみると、ありました!それから毎朝、わが家はそこへ通いました(笑)。
 
 
2011年7月12日
 
「 一滴に 一音 水琴窟涼し 」 長岡帰山
 
 水琴窟(すいきんくつ)の音は心地よいものです。京都詩仙堂のものが有名ですが、近場では当麻寺の塔頭にもあります。
 
 最近気になった言葉からー昨年からのノートに書き付けてあった言葉
 
 先日就任した日本政策金融公庫の安居総裁は、帝人社長になる前に反対が多かった人物らしい。選んだ板垣帝人最高顧問は「安居の評判をみんなに聞いてみたら、煙たがられていて芳しくない。もうひとりの候補は誰に聞いても評判がいい。しかし、誰に対してもいい人間には、会社を変えられないのではないかと思って安居を選んだ」
 
 かつての大蔵大臣、伊藤準之助の言葉「使っている人間のうち、人格のよい人ほど警戒せよ。人間の悪い奴はちっとも警戒する必要がない」人格のよい人はは騙されやすい。一癖ある人間は意外に革新的に思い切った仕事をする・・・。
 
 なるほど。
 
 それにしても内閣の迷走ぶりには、あきれ果てています。中国でもちょっと皮肉っぽい言い方をされました。
 
 逝く人
 
ローラン・プティさん (バレエ振り付け師 87才 )
 
 1940年、オペラ座入団とありますから、60年以上第一線にいたんだ。独創性がいのちの振り付けの世界でこれはすごい。
 
大町 正人さん(歌手、肝臓癌、73才)
 
 元ボニージャックスのリードテナーでした。大きな体、柔らかい声。慶応のダークダックス、そして早稲田のボニージャックス。デュークエイセスを含め美しい男性コーラスが賑わった60年代でした。
 
ベティ・フォードさん(ジェラルド・フォード元米大統領夫人、93才)
 
 地味なファーストレディという感じでしたが、私は好印象を持っていました。はるか昔、フォード大統領が来日した折、宮中晩餐会で気分を悪くして倒れ病院に運ばれたとき、代わりにスピーチに立った夫人は、いきなり米領事の名前を挙げて、○○、貴方が悪いのよ、今日の昼のテニスで主人をコテンパンにやっつけたでしょ!?と切り出して、笑いを取り、一気に場の雰囲気をほぐしました。すごいなあ、と感嘆したものです。
 
 
2011年7月11日
 
 無事、中国から帰って参りました。好天に恵まれ、泰山、曲阜、青島と廻って来ました。報告はそのうちぼちぼちと。
 
まずは、非日常の生活を楽しんで来ましたので、明日から3日間とにかくがんばります。
 
 旅行中に読んだ本
 
「 マリカのソファー 」 吉本 ばなな
 
 悲惨な過去を持つ多重人格の少女マリカと知り合い、懐かれてしまったジュンコ先生は、苦しみつつ、マリカの中の様々な人物と関わり合い、そのことを通して、自己を見つめ直してゆく。そしてマリカに導かれるように、バリ島へ出掛けてゆく。
 
 親の性的虐待、暴力等の中で傷ついたマリカを救うためどこかからか現れ、マリカの中に住みついたいくつかの人格。その中でも特に「オレンジ」と呼ばれる少年との交流が胸を打ちます。バリのホテルでのジュンコ先生との会話で、マリカの成長と回復を確認したオレンジはどこかへ消えて行く・・・。彼がマリカに残した手紙の引用句は、トーベ・ヤンソンの詩の一部だった。それが切ない。
 
 バリ島という不思議で魅力的な空間を舞台に、透明感のある吉本ばななの世界が展開します。「マリカの永い夜」として発表された作品でしたが、改題、大幅加筆されて再度発表されました。これはこれでいい。
 
 
 

2011年7月7日

 

「 七夕や 別れに永久と かりそめと 」 鷹羽狩行(たかはしゅぎょう)

 

最近読んだ本

 

「 杉浦 日向子の江戸塾 」  目からウロコの話がいっぱいでした。

 

「 薬指の標本 」 小川 洋子

 

 ジュース製造工場で薬指の先を失い、標本研究所に勤め始めた主人公。研究所の所長に惹かれ、やがて、標本になろうとする。小川さんらしいエキセントリックな感じが、この作では裏目。ちょっと後味悪し。

 

「 六角形の小部屋 」 小川 洋子 

 

 こちらはグッド。「カタリコベヤ」という小さな部屋を持って移動する不思議な姉弟。そこに通うようになる、孤独な主人公。その小部屋で独り言を言って癒される人々。夢のような非現実な交流が、独特の透明感をもって描かれます。ある朝、姉弟はすっと姿を消します。こちらは後味きわめてよし。

 

ハワイ リポート 10

 

 最後に夜のワイキキも。

 

 昼間、気持ちよく海やプールサイドで過ごし、昼寝もするので、夜はまた元気。でも商店街は早く閉まると聞いていました。午後11時頃、嫁ハンと出掛けると、それでも人はいっぱい。吹き渡る風も、時折さっと降る雨も気持ちいい。

 

 高級ブランドの店は仕舞っているけれど、関係なし。小売り店やレストランは遅くまで開いています。ネオンがないのでちょっと暗めなのもいい。あちこちに篝火が焚かれていて風情あり。

 

 すっと高校生らしき男の子が寄ってきて、タバコのようなものを差し出し「ワンダラー」と囁く。ちょっとこころは動いたが「ノーサンキュー」。

 

 きわどいミニ若い日本人のような女の子の4人グループが歩いている。

こんな時間に危ない。校外指導をしてやらにゃ!

嫁ハンが、やめなさい。ここは大阪と違うのよ。それに、あの子たち、日本人じゃないから、言葉通じないと思うよ。

え?なんでわかるん?

あの腰の細さ、高さは中国か韓国の人よ!

 

へー、と近寄って耳を傾けると・・・中国の子達でした。それにしても、20代前後です。

 

我々は12時過ぎにホテルに帰りましたが、若い息子達は元気。

 

下の息子夫婦は、世界のビールを飲ませるというパブに出掛けて2時過ぎまで飲みまくっていたらしい。

 

もっと不良は上の息子

お嫁さんを寝かしつけてからひとりで出撃、怪しげなライブハウスで朝方まで盛り上がっていたらしい。

日本人は僕だけやった、ちょっと危ない感じやったなあ、と報告あり。困ったヤツや。

 

波の音が終夜響き、鳥の声で目覚める。

 

一流ホテルのはずやのに、なんで壁が薄いのだろう。隣の部屋の声も聞こえました。

 

でも、ずっとホテルの部屋で寝ていたいというのが本音。

 

今まで、ハワイに嵌る人を遠くから見ていました。

有名人では高峰秀子さんや阿川弘之さん、あのような頑固な方達までも・・・

なんでやろ?と思っていましたが、行ってみてわかりました。

 

あの風に吹かれて、ひたすら眠りたいのです。

 

帰国してからの慌ただしい日々が夢のようです。

 

そして明日の朝、今度は中国へ向かいます。11日に帰国予定です。

 


2011年7月6日

 

最近読んだ本

 

「  Kの昇天 」 梶井 基次郎

 

 作者らしい、神経の細かい部分にふれる小品。

 

「 日本人の微笑 」 小泉 八雲

 

 明治の外国人が躊躇い戸惑った日本人の謎の微笑。哀しい時になぜ笑えるのか?それをきちんと八雲は分析してくれます。私的には納得。でも、近年、無愛想な日本人が増えまくっていて、ハワイで出会った外国人の方がはるかに愛想がいい。日本人から微笑みが消えつつあるのかも知れません。

 

「 ひなまつり 」 浅田 次郎

 

 母親の若い恋人に惹かれる小学生の少女。彼女の思いきった行動で、母親と別れた恋人はよりを戻し、結婚を暗示して幕となりますが、後味は個人的にはイマイチ。これは造りと文章が、巧すぎて、あざとくて、感動モノに仕上げていますが、実は非常に危うい展開。母の恋人もこの少女を愛しているのです。今後、うまくゆくはずないわ、と思われるのは余韻とはいえません。

 

ハワイ リポート 9

 

 下調べもろくにしないで出掛けてしまったので、思いつくまま適当にオアフ島を廻っただけの今回でした。ホテルマンである上の息子は、系列ホテルがマウイ島にあるので、見学を兼ねて夫婦で日帰りで行ったそうです。きれいなリゾート地で、オアフ島よりええでえ、まず、人が少ないし、と申しておりました。

 

 波を見るのも好きなので、憧れのノースショアへほいほいと出掛けたら、波の、サーフィンの季節は冬と聞いてがっかり。確かに波は低い。雨も降っていました。それでも、サーファー達が波に浮かんでいる。

 

 ビーチを見下ろす岩山の上に、エルビスプレスリーの別荘だったという建物が見える。円形の屋根をふたつ並べたような白亜の建物。今は売りに出ているそうです。

 

 雨はすぐに上がったけれど、サンセットビーチの太平洋に沈む夕陽は見ることは出来ませんでした。

 

 こころに残ったのはその近くの日本人が多く住んでいたという小さな町。今は観光化されていますが、ニシムラとかハセガワという店の名前が残っています。そのひとつに入り、大きなかき氷(一人前スモール)を買って嫁ハンとふたりで分ける。

 町はずれの小さな教会、その横の広い墓地。芝生の上の墓石に名前と共に生没年が1897−1935という風に刻んでいる。ああこの人は37才で亡くなったんだ、若いなあ、母国に帰ることはあったのだろうか、などと、ひとつひとつの墓標を読みながら感傷に耽ってしまいました。

 

 日本人移民が苦労して拓いたパイナップル畑もサトウキビ畑も、一部の観光農園以外は広大な荒野になって、アフリカから来たという成長の速い赤い花の咲く木が伸び続けていました。パイナップル栽培などは、より人件費が安いフィリピンに移行しているのだそうです。そして労働力も。日本人とメキシコ人は周りのことを考えず、働きすぎて嫌われるんです、とタクシーの運転手さんが言ってました。ホテルの清掃などの従業員もフィリピンから出稼ぎに来ていると思われる方が多かったです。日系移民の子孫の方々は、多くはサービス業に就いているというのですが。

 

 ハワイは移民と混血の島。ここ100年余の間に、アメリカはじめ世界各国からの移民で純血のハワイアンは迫害、伝染病などで激減し、現在1パーセントもいないそうです。北海道、東北に住んではったアイヌの人々の人々のことを思いました。、アラスカ、オーストラリア、中国の各地・・・でも同じようなことが行われたのですね。

 

 ホノルルでも、混血を重ねつつ、アメリカ系、中国系、日系・・・と。それぞれ住む地域もある程度固まっているそうです。

 

 次回はもっと準備して行って、自然に親しみ(珊瑚礁も火山も天文台も)、ディープなハワイを楽しみたいと思います。

 

 

 

2011年7月5日
 
 土曜の、嫁ハンのディナーライブも無事終了。たくさんお越しいただき、ありがとうございました。
 
 日曜の、前任校の保護者の方々との年一回の集まりも無事(大酒飲んだけど)終了。楽しかった。退職祝いに天野酒を頂く。ありがとうございました。
 
 月曜は久々家でゆっくり休養。そして、新聞記事でなく、あの松本復興相の、岩手県、宮城県知事との対応を、まず、テレビの画面で見てしまいました。仰天、唖然、そして激しい怒りがこみ上げてきました。あの発言内容。もの言い。自分を何様と思っているのでしょう。「長幼の序」などとほざいていましたが、松本復興相がみとめる「エライ方」は、ソファにふんぞり返って恫喝などせず、避難所で膝を屈して被災者を労っておられましたよ。
 
 今まで、この大災害時に、大事な時に国の代表者を引きずり下ろすような動きに反発を感じていましたが、今回の件でもう匙を投げました。
 
 こんな大臣に、乞うて就任依頼した責任は重く、昨夜の段階で首相から何もコメントなかったことに更に失望。今夕、帰宅したら「復興相辞任」だって?「解任」でしょう?解任した上で、自分も任命責任を取って辞任すべきです。もう、現政権に絶望しました。ここまで、バカだと思わなかった・・・。こんな政治家しか持てなかったわれわれ国民がバカということなのでしょうか・・・。
 
以下は以前に書いておいた記事から 
 
おいしいスイカの見分け方
 
音で判断する人多し。で、指3本の腹で軽く叩き、音が低くて響きがあるのがベスト。響かないのは棚落ち(空洞あり)。音が高いのは糖度が低いのだそうです。なるほど。
 
最近読んだ本
 

「 孔乙己(コンイーチー)」 魯迅

 

 中国下町の居酒屋。そこにやってくる浮浪者、孔乙己。生活破綻者だけど、妙にみんなから愛されている。だが、やがて、姿を見せなくなる。彼は死んだのだろう、というあっけない結末。

 

 前回、中国に行ったとき、この話のモデルになった店に行ったのです。今回、再読。なんとも言えない味わいがありました。

 

 

2011年7月2日
 
 テニス、ウィンブルドン大会も大詰め、準決勝のジョコビッチとツォンガの打ち合いは見応えありました。以前はすぐにキレていたジョコビッチが最後まで冷静にプレー。成長を伺わせました。優勝するかも。もうひとつの準決勝のナダルは怪我を押して麻酔を打ってプレー、地元の期待を担うマレーを撃破しました。こちらの精神力もスゴイ。
 
 今夜はシャラポワが久々の優勝を狙う女子決勝。見られるかな?
 
 「コパアメリカ」が始まりました。サッカー南米選手権みないなもので、すごいハイレベルの試合です。アルゼンチン開催で、地元のエース、メッシ(流石のボール捌きです)が激しいマークの中でどこまで動けるか?ほとんどの選手が欧州で活躍する現在。これを足がかりに世界に打って出ようとする若者達の意欲というより欲望が渦巻いて、迫力ありますねえ。
 
 いよいよ今日、太子町の「サントル・ドゥ・ヴィラージュ」で嫁ハンのソロ・ディナーライブ開催です。雨が降らないといいのですが・・・。
 
最近印象に残った言葉
 
「 木は自分の破滅をもって、木を切るものに復讐する 」
 
ハワイリポート 8
 
 巨木ウォッチャーの私には、ホノルルは見るべき所の多い街でした。至る所に巨木が残り、色々の花を咲かせ、うまく活かされている。木の下に小径をつくり、小さな売店があり、夜には焚き火が燃える。たくさんの小鳥も集まっています。豊かな陽光、水、そして土壌、木が育つ要素に溢れている地です。ただ、日本の年末にもよく見かけるのですが、木にイルミネーションのコードを巻き付けるのはかわいそうです。
 
 もちろん、通称「日立の木」(名前は忘れましたー合歓の木の一種)も見に行きました。確かにCF通りのきれいな巨木でしたが、このような木はあちこちにあるので、見に来るのは日本人だけだと言われました。納得。
 
 でも、これだけホノルル市内に大きな木あるのに、郊外や山には森が見えない。
 なんでやろ?訊いてみると、
 やはりハワイ王朝末期に外国からやって来た商人たちに唆されて、森を伐採、売却してしまったのだそうです。王朝の滅亡で、植林する余裕も無かったのでしょうね。そもそも植林なんて意識があるのかなあ。オアフ島以外にはジャングルも残っているというので、この島の特色なのかも知れません。
 
 サンセットクルーズ。大きな客船でのディナーを含む3時間近い船遊び。夕陽に映えるワイキキのホテル群、浜辺、ダイヤモンドヘッドがきれいに望める。海の色が美しい。でも、もっと沖にでてほしかったなあ。西の山でなく太平洋に沈む夕陽が見たかった。
 
 料理は蟹がたっぷり。それにしても、ロビーでずっと音楽と、ダンスのショーを続けているのはなんでなんだろう?それも容姿の美しい男女のダンサーが衣装を取っ替え引っ替え、華麗で忙しいこと。最後は観客も参加して踊りまくっている。それもいいけど、甲板で夕陽を眺めるのが主眼ではないのかなあ。我々夫婦は最上階のデッキまで上がり景色を眺めていましたが、かなりの人は最後まで船内にいました。
 
 後で話をしたところによると、下の息子夫婦も我々が行った翌日にこのクルーズに参加したようですが、彼らは船内で踊りまくっていたそうです(苦笑)。もったいない!
 
 
最近読んだ作品
 

「 あくる朝の蝉 」 井上 ひさし

 

 作者の自伝的作品。父を亡くし、苛められて婚家を飛び出した母に同行した兄弟は、母の都合で孤児院に入れられる。その夏休みの窮屈な生活に耐えきれず、兄である僕は、祖母に手紙を出し、以前住んでいた父の実家を訪れるが・・・。

 

 祖父の死後の実家の没落、その苦労を背負わされた叔父の苦悩。祖母の哀しみ。幼い兄弟の気遣い。せめて夏休み、できればこのまま引き取ってほしいという願いが空しいことを思い知らされ、一晩だけやっかいになって、早朝、置き手紙を残し、そっと孤児院に帰ってゆく兄弟のいじらしさ。

 

 だれも悪いヤツはいないのに・・・切なく胸を打つ短編です。兄弟がとぼとぼ歩いた東北の港町はどうなったのしょう?

 

 





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